目を覚まして、初めに思ったことは銀の福音は大丈夫なのだろうか、ということだった。
「ここは……あの子は無事なのかしら」
「お目覚めですか、アメリカ軍所属、ナターシャ・ファイルスさん」
聞き覚えのない声で名を呼ばれ、ナターシャはとっさに声がした方に視線を向けた。そこにはまだ高校生くらいの少女が姿勢よく座っていた。
「貴女は? その前にここはどこ?」
「ここは現在、IS学園が利用している旅館で、更識の傘下でもあります。そして私は日本代表候補性であり更識所属でもある、四月一日美紀と申します」
「更識? あのIS企業のトップの?」
ナターシャの言葉に、美紀は苦笑いをこらえられなかった。確かに更識企業といえば、全世界で有名なIS企業ではあるのだが、その本質は対暗部用暗部であり表には知られてはいけない組織だ。その更識がIS企業で有名になってしまったのは、ほかでもない一夏のおかげなのだが。
「今当主代理を呼びに行っていますので、しばらくお待ちください」
「分かったわ……それよりも、何が起こったのか教えてくれないかしら?」
「そちらも当主代理からご説明いたします」
美紀の態度に、ナターシャはこれ以上問いかけても何も教えてくれないだろうと理解し、視線を美紀から外して天井を眺める。
「IS学園ってことは、織斑姉妹や小鳥遊さんもいるのかしら?」
「いますよ。今は事件の事後処理で忙しそうですがね」
美紀が答えたタイミングで、部屋の外に気配が現れた。
「誰っ!」
「ご安心を。当主代理が到着したようですので」
美紀はすっと立ち上がりふすまを引いた。ナターシャはふすまの向こうに立っていた相手を見て、思わず口をポカンと開けて固まってしまった。
「貴方が……更識家当主代理なのかしら?」
「代理、というよりは次期当主候補筆頭ですかね。初めまして、ナターシャ・ファイルスさん。更識家当主代理を務めております、更識一夏と申します」
丁寧な態度で挨拶をする一夏に、ナターシャはつられるように丁寧に頭を下げた。
「さて、二,三質問してもよろしいでしょうか?」
「構わないわよ」
「では一つ目。銀の福音が暴走したことは覚えていますか?」
一夏の質問に、ナターシャは目を見開いて首を左右に振った。
「なるほど……ではなぜここにいるのかが分からないでしょうね。後でまとめて説明しますので、今は動揺してても何とか答えてください。二つ目、貴女はアメリカ軍で何かミスをしましたか?」
さらに混乱するような質問をされ、ナターシャは困惑気味に首を左右に振る。
「では最後に、誰かに恨まれる覚えはありますか?」
「いいえ、ないわ。さっきから何を確認してるのかしら?」
一夏の質問の意図が分からず、ナターシャは一夏に問いかけた。少し目を瞑ってから、一夏はナターシャに事情を説明し始めた。
「アメリカ・イスラエル共同開発の名目で造られた銀の福音は、何者かにより暴走させられ、先ほど我々IS学園所属の生徒で停止させました。あっ、別に破壊してませんのでご安心を」
ナターシャが起き上がりそうな雰囲気を醸し出したので、一夏は手で制しながら苦笑いを浮かべそう告げた。
「本当なら一撃で停止させられたはずなのですが、何者かが篠ノ之束のラボから盗み出したとされる装置を使用し、銀の福音を強制的に第二形態移行させ暴れさせようとしました。第二形態移行した原因を解明するために、更識企業の方で精密検査を行います。それが済み次第銀の福音はお返しします」
そこでいったん区切り、一夏は真剣な表情を見せた。
「先ほどの最後の質問に意図ですが、アメリカ軍は暴走した銀の福音は無人機だと報告してきています。我々が先に入手していた情報では、テストパイロットがいるはずだったのにです。私の専用機のセンサーで反応を確認しましたが、やはり操縦者は存在していました。そこで先ほどの質問なのです。貴女はなぜいないものとされたのでしょうか?」
「……分からないわ。誰かに恨まれる覚えも、邪魔だと思われる覚えもないもの」
「そうですか……では、どうしますか? ケガが完治したらアメリカ軍へ戻りますか?」
「それ以外に選択肢なんてないわよ。銀の福音はアメリカとイスラエルが共同開発したとはいえ、所有権はアメリカにあるんだから」
当然のことだと思っていたナターシャだったが、次の一夏の言葉でその『当然』は当然ではなくなった。
「所有権なら更識の方で引き取れますし、このまま戻っても貴女は殺される可能性がありますよ。それでもアメリカへ戻りますか?」
「所有権の引き取り……そんなことができるの?」
「アメリカがほしいのはデータだけでしょうし、代わりのコアさえ用意できれば問題はありませんでしょうし。幸いなことに更識は独自開発したコアがありますので、銀の福音の代理はそのコアで問題ないでしょう」
「でも、更識所属にはなれないわよ。私はアメリカ国籍ですもの」
銀の福音はどうにかなっても、自分の国籍はどうしようもないと嘆くナターシャに、一夏は人の悪い笑みを見せた。
「別に国籍なんて気にする必要はありませんよ。現にフランス国籍の人間が一人と、イタリアから自由国籍を使ってフランスの代表候補生になった人間がいますから。それに、政府に誠心誠意お願いすれば何とかなりますよ」
「……その内容は聞きたくないけど、本当に私はアメリカ軍から抜けれるの?」
「文句があるようでしたら、織斑姉妹と篠ノ之博士にも説得に参加してもらいますので」
一夏が出した三人の名前は、ナターシャを納得させるに十分の威力を持っていた。そこまで考えてくれているのならと、ナターシャは一夏に自分の所属先の変更手続きを任せたのだった。
さすが暗部組織の当主なだけある……のか?