一夏のいない部屋で、美紀は一人読書をしていた。普段なら本など読まないが、一人で過ごす無音の部屋に耐えきれずに一夏が読んでいた本を借りて読んでいるのだ。
『珍しいね、美紀が読書なんて』
「一人で過ごすには寂しいからね。消灯時間まで読もうと思ってさ」
『一夏お兄ちゃん、大丈夫だよね?』
金九尾が心配そうに美紀に訊ねると、美紀は少し引きつった感じがある笑みを浮かべる。
「後は意識さえ戻れば大丈夫だと思う。でも、その意識が何時戻るかが分からない……」
『……あのね、お兄ちゃんが攻撃された時、何かをしようとしてた感じがしたんだけど、美紀は知らない?』
「何かって……あの状況なら、レーザーを無効化しようとしてたんじゃ……でも、そんな事出来るのかな?」
闇鴉のSEをたった一撃でゼロにするような攻撃を無効化出来る手段を、美紀は知らない。
「ところで、最後の攻撃……金九尾と光白孤が何か能力を発揮していたような」
『あれは普通なら操縦者が絶体絶命の時に発動するはずなんだけどね。一夏お兄ちゃんが危ない、って思ったら発動してた』
「あれ、なに?」
『ボクと光白孤の単一仕様能力「殺生石」』
「殺生石?」
『近づいてきた敵を全て倒す一夏お兄ちゃんが美紀と簪を守る為に編み出した技。どれだけ強大な敵だろうが一撃で倒す事が出来る起死回生の一手。だけど普通ならそこまで追い込まれる事は無いから、発動する事もないかなぁ、って思ってたんだけどね』
自分のSEがゼロで、なおかつ敵が攻撃を止めない場合を想定して一夏が編み出した技である殺生石は、競技でISを使っている限り発動しないはずだった。だが今日その技が発動したのだ。
「つまり、あのままあのISが動けてたら、一夏さんの命は……」
『たぶんね……だからボクたちがあの技を出せたんだと思う』
美紀が言い淀んだので金九尾も直接的な表現を避けた。一夏が死んでいたかもしれない――想像でもそんな事を考えてしまった美紀は、特に寒いわけでは無いのに震えだした身体を抱きしめ、そして俯いた。
「篠ノ之箒……殺しても殺し足りないくらい憎い……」
『憎悪の感情に支配されちゃダメだよ。あのバカに制裁を下すのは一夏お兄ちゃんだから。美紀がそんな顔してるって一夏お兄ちゃんが知ったら、きっと悲しむよ』
「……ゴメン、そしてありがとう」
憎しみに押しつぶされそうだった美紀は、金九尾の言葉で何とか気持ちを落ち着かせたのだった。だがそれでも、自分が想像してしまった事に恐怖し、美紀は早々にベッドに潜り込み自分を抱きしめるように丸まったのだった。
一夏は今、終わりの無い闇の中にいた。前を向いても後ろを向いても何処までも続く闇、もしかしたら身体を動かしているつもりだったが動けていないのかもしれないと思いたくなるくらい景色に変化が無いのだ。
「ここは……何処だ?」
一夏の記憶は、無人機にやられそうになったところで止まっている。だからここが何処なのか、何故自分は暗闇の中にいるのかが分からないのだ。
「これが世に言う死後の世界、というやつなのだろうか? いやいや、確かにあの攻撃は強力で、全て捌き切れなかったが死んだりするはずは……」
あの無人機を送り込んできた犯人を、一夏は知っている。というか、自分以外でISを造れる人物は、一夏が知る限り一人しかいないのだ。その相手が自分を殺すなどという事は考えられないので、とりあえずは死後の世界という考えを頭から追いやった。
「ん? 誰かいるぞ……」
永遠に続くかと思われた暗闇だったが、少し先に光が射し込んでいる。一夏はその光を目指し一歩前に歩みを進めた。
「あれは……子供?」
漸く視認出来る距離まで近づいた一夏は、目の前にいる人間が子供であると認識した。そして、その顔を見て驚愕する。
「あれは……俺?」
少し幼さを感じさせるが、その子供は間違いなく一夏だった。だが、一夏には目の前の子供が本当に自分の幼少時代なのか確証が無かった。
「君、名前は?」
「……おりむらいちか」
「………」
『更識』ではなく『織斑』と名乗った事で、一夏はこの子供が自分の失われた記憶である事を理解した。
「(つまり、ここは俺の記憶の中という事か……)」
「おにいちゃん、だれ?」
「俺か? 俺は更識一夏。未来のお前だ」
「さらしき? 何でおりむらじゃないの?」
どう説明しようか頭を悩ませたが、急に一夏の視界が開けた。
「……ここは、保健室か」
目を覚ました一夏は、自分は記憶を失ったのではなく閉ざしたのだと理解した。だがその閉ざした記憶を無理に開こうとは思わなかった。
「とりあえず痛みは……痛っ!」
自分の身体を触っていると、頭部に激痛を覚えベッドに倒れ込んだ。
「これは……さすがに致命傷だったんじゃないか? 何で生きてるんだ、俺?」
痛みが和らいだところで近くにあった鏡で自分の頭部の傷を確認する一夏。確認した一夏が抱いた感想はそれだった。
明らかに深い切り傷が二ヶ所にあり、普通の人間なら死んでいてもおかしくないくらいの出血量が予想出来たのだ。だが自分は生きている。一夏は鏡を覗きこみながら首を傾げたのだった。
「こんな傷があるなら、普通他の場所にも傷があるんじゃ……」
「まだ安静にしていなければいけませんよ、一夏様」
「……誰?」
不意に声を掛けられて振り向いた先には――
「私です、一夏様。闇鴉です」
――綺麗な黒髪の美女が専用機の名を告げたのだった。
はい、闇鴉も擬人化しました。