ソードアート・オンライン~黒の剣士と絶剣~ リメイク版 作:舞翼
今回は、いつもよりご都合主義が盛り沢山ですね(笑)
骸骨の狩り手との戦いは一時間以上にも及んだ。
無限と思えた激戦の果てに、遂にスカルリーパーの巨大な骨が青い欠片となって爆散した。 だが、誰一人として歓声を上げる余裕のある者はいなかった。
皆倒れるように床に座り込み、あるいは仰向けに寝転がって荒い息を繰り返している者も居る。
終わった――の……?
ああ――終わった――。
この思考のやりとりを最後に、俺とユウキの《接続》も切れたようだった。 不意に全身を重い疲労感が襲い、床に膝を突く。
俺とユウキは、背中合わせに座り込み。 暫く動く事はできそうになかった。 遠目で奥を見ると、アスナとランも、俺たちと同じように背中合わせに座り込み、荒い息を吐いていた。
俺たち四人は生き残った――。 だが、犠牲者は余りにも多すぎた。
「何人――やられた……?」
左の方でしゃがみ込んでいたクラインが、顔を上げて掠れた声で聞いてきた。 その隣で、手足を投げ出したエギルも、顔だけを此方に向けてくる。
俺は右手を振ってマップを呼び出し、プレイヤーを示す光点を数え、出発時の人数から犠牲者の数を逆算する。
「――十四人、死んだ……」
自分で数えておきながら信じることができない。
皆、トップレベルの歴戦のプレイヤーだった筈だ。 例え、離脱や瞬間回復不可能な状況でも、生き残りを優先した戦いをしていればすぐに死ぬことはないはずだった。
「……嘘だろ……」
エギルの声は掠れていた。
ようやく四分の三――まだこの上には二十五層もある。 一層ごとにこれだけの犠牲者を出してしまえば、最後のラスボスに対面できるのはたった一人になってしまう可能性がある。 おそらくその場合は、間違いなくあの男だろう……。
俺は視線を部屋の奥に向けると、そこには、他の者が床に座り込んでいる中、背筋を伸ばして立っている人物の姿。――――ヒースクリフだ。
無論、奴も無傷では無かった。 視線を合わせてカーソルを表示させると、HPバーがかなり減少している。 俺とユウキが二人がかりで如何にか防ぎ続けたあの巨大な鎌を一人で捌き切ったのだ。 数値的なダメージに留まらず、疲労困憊で倒れても不思議ではないのに。
だが、ヒースクリフの立ち姿には、精神的消耗など皆無と思わせるものがあった。そして、奴の視線、無言で床に蹲るKoBメンバーや、他のプレイヤーを見下ろしている。 謂わば、精緻な檻の中で遊ぶ子ネズミ群を見下ろすような――。
ヒースクリフのこの視線は、傷ついた仲間を労わる表情ではない。 あれは、遥か高みから慈悲を垂れる――神の表情だ。
俺は、嘗てヒースクリフとデュエルした時の、奴の恐るべき超反応を思い出していた。 そう、あれはSAOシステムに許されたプレイヤーの、限界速度を、だ。
プレイヤーでは出来ない事を可能にする存在。 デスゲームのルールに縛られなく、NPCでも無く、一般プレイヤーでも無い。となれば、残された可能性はただ一つだ――。
そして、ヒースクリフのHPバーは、ギリギリの所でグリーン表示に留まっている。 未だかつて、ただ一度もHPバーをイエローゾーンに落としたことが無い男。 圧倒的な防御力。
俺とのデュエルの時、ヒースクリフの表情が動いたのは、半分を割り込もうとした寸前だ。 そして、【DRAW】で終わらせた理由は――、
俺はゆっくりと剣を構え握り直し、ごく小さな動きで、徐々に右足を引いていく。 腰を僅かに下げ、ヒースクリフに突進する準備姿勢を取る。
仮に俺の予想がまったくの的外れなら、俺は犯罪者プレイヤーになってしまうだろう。 そして容赦ない制裁を受ける事になる。
俺は、隣で床に座っているユウキを見やった、ユウキの視線が交錯した。
「どうしたの……?」
「(……御免な)」
俺は声を出さず口だけ動かし、地面を蹴った。
床ぎりぎりの高さを全速で駆け抜け、右手の剣を捻りながら突き上げた。 片手剣、基本突進技《レイジングスパイク》。 威力が弱い技なので、ヒースクリフに命中しても殺してしまうことは無いが、俺の予想通りなら――。
剣は、青い閃光を引きながらヒースクリフの左肩目掛けて剣を振り下ろされる。 ヒースクリフは流石の反応速度で気づき、目を見開いて驚愕の表情を浮かべた。 そして、咄嗟に左手で盾を掲げ、ガードしようとする。――だが、俺の方が早い。
寸前で、目に見えぬ障壁に激突し、同時に俺の腕に激しい衝撃が伝わり、同時にヒースクリフからシステムカラーのメッセージが表示された。 【Immortal Object】。 不死存在。 俺たちプレイヤーにはありえない属性だ。 静寂の中、ゆっくりとシステムメッセージが消滅した。
俺は剣を引き、後ろに跳んでユウキの隣に着地し、周囲を見回し言った。
「これが伝説の正体だ。 この男のHPバーは、どうあろうとイエローまで落ちないようにシステムに保護されているのさ。……不死属性を持つ可能性があるのは……システム管理者以外有り得ない。 だが、このゲームには管理者は居ないはずだ。 ただ一人を除いて。……この世界に来てからずっと疑問に思っていたことがあった……。 あいつは今、何処から俺たちを観察し、世界を調整しているんだろう、ってな。 でも俺は単純な真理を忘れていたよ。 どんな子供でも知っていることさ」
俺はヒースクリフを真っ直ぐ見据え、言った。
「《他人のやっているRPGを傍から眺めるほど詰まらないことはない》。……そうだろう、茅場晶彦」
全てが凍りついたような静寂が周囲に満ち、ヒースクリフは無表情のままじっと俺に視線を向けている。
ヒースクリフは俺に向かって口を開く。
「……なぜ気付いたか参考までに教えて貰えるかな」
「……最初におかしいと思ったのはデュエルの時だ。 最後、あんた余りにも速過ぎたよ」
「やはりそうか。 あれは私にとっても痛恨事だった。 君の動きに圧倒されてついシステムのオーバーアシストを使ってしまった。……いや、君の行動にも驚かされたが」
「それで、システムの機能を使って、【DRAW】に終わらせたんだろ?」
デュエル時、お互いの最後の一撃は、茅場はGM権限を行使して同じダメージ量に調整し【DRAW】に終わらせたんだろう。 その保護が露見しないように。
ヒースクリフは頷き、苦笑いを浮かべる。
「……君の観察眼には舌を巻くよ」
ゆっくり周囲を見回し、堂々と宣言した。
「――確かに私は茅場晶彦だ。 付け加えれば、最上階で君たちを待つはずだったこのゲームの最終ボスでもある」
「……趣味が良いとは言えないぜ。 最強プレイヤーが一転最悪のラスボスか」
「なかなか良いシナリオだろう? 盛り上がったと思うが、まさか四分の三地点で看破されてしまうとはな。……君はこの世界で最大の不確定因子だと思ってはいたが、ここまでとは」
茅場は薄い笑みを浮かべながら肩を竦め、言葉を続けた。
「……最終的に私の前に立つのは、キリト君とユウキ君。 君たちだけだと思っていたよ。……だが、私の予想は裏切られ、君たち四人に変わっていた。 全十種存在するユニークスキルの内、《二刀流》スキルは全てのプレイヤーの中で最大の反応速度を持つ者に与えられ、その者が魔王に対する勇者の役割を担う。 《黒燐剣》スキルは勇者の姫に与えられる。……そこに、絆の力が加わるとは思ってもいなかったよ。……君たちには、本当に驚かされるばかりだ。 まあ、……この想定外の展開もネットワークRPGの醍醐味と言うべきかな……」
その時、凍りついたように動きを止めていたプレイヤーの一人がゆっくりと立ち上がった。
血盟騎士団の幹部を務める男だ。 朴訥そうなその瞳に、苦悩の色が宿っている。
「貴様……貴様が……。 俺たちの忠誠を――希望を……よくも……よくも……」
両手剣を握り締め、
「よくも―――――ッ!」
絶叫しながら地を蹴った。 そして、大きく振りかぶった両手剣が茅場へと――。
だが、茅場の動きの方が一瞬早かった。左手を振り、出現したウインドウを素早く操作したかと思うと、男の体は空中で停止し、床に音を立て落下した。HPバーにグリーンの枠が点滅しているという事は、麻痺状態だ。 茅場は手を止めずにウインドウを操り続けた。
「キリト……」
ユウキの声で横を振り向くと、俺以外のプレイヤー全員が麻痺状態になっていた。
俺は手に携えていた剣を背の装備している鞘に収めると、跪いてユウキの上体を抱え起こし、茅場に声を掛けた。
「……どうするつもりだ。 この場で全員殺して隠蔽する気か……?」
「まさか。 そんな理不尽な真似はしないさ」
ヒースクリフは微笑を浮かべたまま左右に首を振った。
「こうなってしまっては致し方ない。 予定を早めて、私は最上階の《紅玉宮》にて君たちの訪れを待つことにするよ。 九十層以上の強力なモンスター群に対抗し得る力として育ててきた血盟騎士団。 そして攻略組プレイヤーの諸君を途中で放り出すのは不本意だが、何、君たちの力ならきっと辿り着けるさ。 だが……その前に……」
茅場は言葉を切ると、俺を見据えてきた。 剣を軽く床に突き立て、高く澄んだ金属音がドーム内に響く。
「キリト君、君には私の正体を看破した
その言葉を聞いた途端、俺の腕の中でユウキが自由のならない体を動かし、首を振った。
「受けちゃダメだよ……。 今は、今は引いて態勢を立て直そう……」
確かに、ユウキの意見は正しさを認めていた。 奴は、システムに介入できる管理者だ。 口ではフェアな戦いと言っても、どのような操作を行うか判らない。 この場は退き、皆で意見を交換し、対策を練るのが最上の選択だ。
しかし、俺は決戦前の言葉を思い出していた。――――俺たちには命の刻限が迫っているということだ。 良くて一年。 悪くて半年だろう。
ユウキは、俺の思ってる事を理解してか、笑みを浮かべた。
「……受けるんでしょう……?」
「……ああ」
「でもね、約束を破ったらいけないからね」
「……わかった」
俺はヒースクリフに視線を向けてから、ゆっくり頷いた。
「……受けてやるよ……。 此処で全て終わらせてやる……」
そう言ってから、ユウキの体を黒曜石の床に横たえ手を放し立ち上がる。 無言で此方を見ている茅場にゆっくり歩み寄りながら、両手で音高く二本の剣を抜き放つ。
「キリト! やめろ……っ!」
「キリト――ッ!」
「ダメよ! キリト君! 今すぐ引いて!」
「キリトさん! 行かないで下さい!」
声の方向を見ると、エギルとクライン、アスナとランが必死に体を起こそうとしながら叫んでいた。 俺は皆が居る方向に向き直ると、まずエギルと視線を合わせ、小さく頭を下げた。
「エギル。 今まで、剣士クラスのサポート、サンキューな。 知ってたぜ、お前の儲けの殆んど全部、中層ゾーンのプレイヤー育成に注ぎ込んでいたこと」
目を見開くエギルに微笑み掛けてから、顔を動かしクラインに視線を向ける。
「クライン。………あの時、お前を……一緒に連れて行けなくて、悪かった。 ずっと、後悔していた」
クラインは涙を流しながら、再び起き上がろうと激しくもがき、声を張り絶叫した。
「て……てめぇ! キリト! 謝ってんじゃねぇ! 今謝るんじゃねぇよ! 許さねぇぞ! ちゃんと向こうで、メシの一つも奢ってからじゃねぇと、絶対に許さねぇからな!」
俺は頷き、
「解った。 次は、向こう側でな」
右手を持ち上げ、親指を突き出す。
そして最後に、親友と幼馴染の顔を見る。 きっと、彼女たちも解ったはずだ。 俺が考えてる事を。 その証拠に、彼女たちは口をきつく結んでいる。
「……アスナ、ラン。 お前たちと一緒に居た時間は忘れない。 俺にとっては最高の時間だった。 ありがとう」
アスナとランの目許に涙が溢れ、一筋の光となって零れ落ちる。
俺は茅場と向き合い、二刀流での戦闘スタイルなり、剣を構える。
茅場がウインドウを操作すると、俺と奴のHPバーが同じ長さに調整された。 レッドゾーン手前、強攻撃のクリーンヒット一発で決着がつく量だ。
そして、奴の頭上に、【changed into mortal object】―――不死属性を解除したというシステムメッセージが表示される。 茅場はウインドウを消去すると、床に突き立てた長剣を右手で抜き、十字盾を後ろに構えた。
俺と茅場の間の緊張感が高まっていく。 空気さえその圧力に震えてるような気がする。
これはデュエルでは無い。 単純な殺し合いだ。 そうだ、俺はあの男を――――、
「殺す……ッ!」
言葉と同時に、俺は床を蹴った。
遠い間合いから右手の剣を横薙ぎに繰り出し、茅場が左手の盾でそれを難なく受け止める。
金属がぶつかり合う衝撃音が戦闘開始の合図だったでも言うように、一気に加速した二人の剣戟の応酬の衝撃音が周囲に響いた。
俺と奴は、一度お互いの手の内を見せている。 その上《二刀流》スキルをデザインしたのは奴だ。 単純な連撃技は全て読まれる。
俺と茅場の剣戟の応酬が続くが、茅場は正確な攻撃で、俺の攻撃を次々に叩き落とす。 その合間にも、此方に隙ができると鋭い一撃を浴びせてくる。 それを俺が瞬間的反応だけで迎撃する。 少しでも敵の思考、反応を読もうと、俺は茅場の両目に意識を集中させた。 そして、俺と茅場の二人の視線が交錯した。
茅場――ヒースクリフの瞳は冷ややかであった。 人間らしさは、今は欠片も無い。 俺が今相手にしているのは、四千人もの人間を殺した男なのだ。
「うぉぉぉおお!」
俺は心の奥に生まれた恐怖を吹き飛ばすように絶叫した。 だが、俺の攻撃は十字盾と長剣を操る茅場に全て弾き返される。
もう、これしかないと思い。――――俺はソードスキルを放つ。 二刀流最上位剣技《ジ・イクリプス》計二十七連撃。 太陽なコロナの如く全方位から噴出した剣尖が超高速で茅場へと殺到する。
そして、奴の口許に始めて表情が浮かんだ。 それは――勝利を確信した笑み。 茅場は、俺がシステムに規定された連続技を繰り出すのを待ち構えていたのだ。
剣の飛ぶ方向を予想して、目まぐるしく動く茅場の十字盾を空しく攻撃を打ち込む。
二十七連撃の最後の左突き攻撃が、十字盾の中心に命中し、火花を散らした。 直後、硬質の悲鳴を上げて、左手に握られた《ダークリパルサー》が砕け散った。
「さらばだ――キリト君」
動きの止まった俺の腹部目掛けて、茅場が右手で握っている長剣がクリムゾンの光を迸らせ狙いを定める。 そして、血の色の帯を引きながら、剣が俺の腹部に迫る。
――――だが俺も、茅場がソードスキルを放つのを待っていたのだ。 ソードスキルは途中で止める事は不可能。 裏を返せば、茅場もソードスキルに身を任せるしかないのだ。
俺はニヤリと笑い、茅場は目を丸くする。
――――
そう、システム外スキルだ。 瞬間、俺が右手で握る《エリュシデータ》の刀身にオレンジ色の光が迸る。 片手剣単発重攻撃、《ヴォーパル・ストライク》。 ジェットエンジンめいたサウンドと共に一気に距離を詰め、茅場の長剣が俺の腹部を貫き、俺の剣が茅場の腹部を貫く。
これこそが俺の狙い。――――同士討ちだ。 HPバーも目に見えて減少し、HPバーがゼロになり、俺の視界にはメッセージが表示された。 【You are dead】死の宣告だ。――――だが、俺はまだ死ぬ訳にはいかない。 死ぬのは、茅場の最期を見てからだ。 俺は抗った。 システムという名の神に。
茅場は、僅かに開いた口元に穏やかな笑みを浮かべていた。 そして、――茅場の体は青い破片となって砕け散った。
また俺も、砕けかけていた全身を繋ぎ止めていた力を解き放ち、青い欠片となって破砕した。
意識が遠ざかっていく中で、無機質なシステムの音声が聞こえてきた。
――ゲームはクリアされました――ゲームはクリアされました――ゲームは……。
こうして、俺とヒースクリフとの決闘に終止符が打たれたのだ。
♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦
気付くと、俺は不思議な場所に居た。
足場は分厚い結晶の板だ。 透明な床の下には、赤く染まった雲が連なりゆっくりと流れている。 どこまでも続くような夕焼け空。 赤金色に輝く雲の空に浮かぶ小さな水晶の円盤、その端に俺は立っていた。
……ここはどこだろう。 確か俺の体は、無数の破片となって砕け散り、消滅したはずなのに。 まだSAOの中に居るのか……。 それとも本当に死後の世界に来てしまったのか?
自分の体に視線を落としてみる。 黒いレーザーコートや長手袋といった装備類は死んだ時のままだ。 だが、その全てが僅かに透き通っている。
右手を伸ばし、指を軽く振ってみると、聞き慣れた効果音と共にウインドウが出現する。ということは、此処はまだSAOの内部だ。
だがそのウインドウには、装備フィギアやメニュー一覧が無い。ただ無地の画面に一言、小さな文字で【最終フェイズ実行中 現在54%完了】と表示されているだけだ。 ウインドウを消去した時、不意に背後から声がした。
「……キリト」
綺麗な美声。 振り向くと、俺の最愛の人が立っていた。 彼女も同じように全身が僅かに透き通っていた。 夕焼け色に染まり、輝くその姿は、この世に存在する何よりも美しい。
だが、感動の再会。とはいかなかった。 ユウキが勢いよく、俺の胸に飛び込んで来たからだ。
「……バカバカバカバカ、和人のバカ!」
「ば、バカって言うなよ」
ユウキは、俺の胸から顔を上げた。 瞳からは、涙が零れ落ちていた。
「……じゃあ、何でボクを置いていったのさ……」
「あの時は、あの方法しかなかったからな。…………ごめん」
「……許す、こうしてまた会えたから。……アスナと姉ちゃん、号泣してたんだからね」
「……マジか。 アスナたちに謝る事ってできんのかな? てか、俺死んだんだよな? 何でユウキが此処に居るんだ?」
俺が茅場を倒したという事は、SAOから、皆のログアウト開始されてるはずだ。
てっきり、ユウキも現実世界に帰還したと思ったのだが。
「ボクが光に包まれてログアウトしたと思ってたら、此処に転移してたんだ」
「……ということは、俺って生きてるのか?」
何と言うか、今一そこがハッキリしない。
ユウキは、首を傾げて聞いてきた。
「で、ここどこかな?」
「う~ん、どこだろうな?」
本当に此処は何処だろう?
「あれ見て」
ユウキが視線を向けた場所を見る。
俺たちが立っている小さな水晶板から遠く離れた空一点に―それが浮かんでいた。
「アインクラッド……」
俺の呟きに、ユウキは頷いた。 間違いない、あれはアインクラッド。 俺たちが二年間の長きに渡って戦い続けた剣の世界だ。
――鋼鉄の城は――今まさに崩壊しつつあった。
俺たちが無言で見守る間にも、基部フロア一部が分解し、無数の破片を撒き散らしながら浮遊城の一つ一つの層がゆっくり崩壊していく。 そう、思い出の場所も。
俺とユウキは手を繋ぎ、水晶板の端に腰を下ろした。
「全部無くなっちゃうんだね」
「そうだな」
「なかなかに絶景だな」
不意に傍らから声がした。
声がした方向に振り向くと、そこには一人の男が立っていた。――――茅場晶彦だ。
今の茅場はヒースクリフの姿では無く、SAO開発者としての本来の姿だ。 白いシャツにネクタイを締め、長い白衣を羽織っている。 線の細い、鋭角的な顔立ちの中で、金属的な瞳が、消えゆく浮遊城を眺めている。 茅場の全身も、俺たちと同じように透き通っていた。
この男とは、数分前までお互いの命を懸けた死闘を繰り広げていたはずなのに、俺の感情は静かなままであった。
俺は茅場から視線を外し、崩れいく浮遊城を見やり、口を開いた。
「此処は、どうなるんだ?」
「現在、アーガス本社地下五階に設置されたSAOメインフレームの全記憶装置データの完全消去作業を行っている。 後十分ほどでこの世界の何もかもが消滅するだろう」
「皆は……どうなったの?」
ユウキがポツリと呟いた。
茅場は右手を動かし、表示されたウインドウを眺めた。
「心配には及ばない、生き残ったプレイヤー、六一四七人のログアウトが完了した」
「……死んだ連中は? 死んだかもしれない俺が此処に居るんだから、今まで死んだ四千人だって元の世界に戻してやる事ができるんじゃないか?」
茅場はウインドウを消去し、浮遊城を眺めながら言った。
「命は、そんなに軽々しく扱うべきではないよ。 彼らの意識は帰ってこない。 死者が消え去るのは何処の世界でも一緒さ」
それが四千人を殺した人間の台詞か――と思ったが、不思議と腹は立たなかった。
「……かもな。 命は、何にだって一つだ。 だからこそ、人は苦しくても、汚れようとも、必死に生きようとする……。 俺が言える台詞じゃないと思うがな」
「意外だね。 君からそのような言葉が出てくるとは、私はてっきり、君に糾弾されると思ったのだが」
「……俺が奪った命も多いからな。 俺もそれに該当するだけだ」
そして俺は、根本的な疑問、恐らく全プレイヤー、いや、この事件を知った全ての人が聞きたいと思う疑問を問いかけた。
「なんで――こんなことをしたんだ……?」
「なぜ――、か。 私も長い間忘れていたよ。 何故だろうな。 フルダイブ環境システムの開発を知った時――いや、その遥か以前から、私はあの城を、現実世界のあらゆる枠や法則を超越した世界を創り出すことだけ欲して生きてきた。 そして……、私の世界の法則を超えるものを見ることが出来た……」
茅場は
「子供は次から次へと色々な夢想をするだろう。 空に浮かぶ鉄の城の空想に私が取りつかれたのは何歳の頃だったかな……。 その情景だけは、いつまで経っても私の中から去ろうとしなかった。 年経るごとにどんどんリアルに、大きく広がっていった。 この地上を飛び立って、あの城に行きたい……。 長い、長い間、それが私の唯一の欲求だった。 私はね、キリト君。 まだ信じているのだよ。――何処か別の世界には、本当にあの城が存在するのだと――」
「……そうだといいな。……なあ茅場。 俺は死んだのか?」
俺はそう呟き、茅場は穏やかな笑みを浮かべる。
「……――この場に君たちを私が呼び寄せた。と言っておこう」
茅場はゆっくり俺たちに向かって歩き始めた。
「……言い忘れていたな。 ゲームクリアおめでとう。 キリト君」
茅場は穏やかな表情で俺たちを見下ろしていた。
「――さて、私はそろそろ行くよ」
風が吹き、それにかき消されるように――気付くと茅場の姿はもう何処にも無かった。水晶板を、赤い夕焼けの光が透過し、控えめに輝いている。 俺たちは、再び二人きりになった。
浮遊城は、既に尖端を残すのみだった。 結局、俺たちが目にする事の無かった七十六層より上層が崩壊していく。――そして、アインクラッドは完全に消滅し、世界には幾つかの夕焼け雲の連なりと、小さな水晶の浮島。 そこに腰掛けた、俺とユウキ、二人が残された。
そして、この世界に留まる時間は余り残っていないだろう。
「……お別れだな」
「……ううん、違うよ。 お別れじゃなくて、
「……そうだったな。
俺たちは抱き合い、ユウキ顔を上げ、俺の顔を真っ直ぐ見てきた。
「……ねぇ和人。 アスナと姉ちゃんの物理には気をつけるんだよ。 約束を一時的にだけど、破っちゃったんだから」
俺は若干顔を青くする。
「お、おう。 解ってる。……覚悟はしとくよ」
脳裏には、鬼の形相で俺を正面から見ている、アスナとランの顔が浮かんだ。……かなり怖いと予想される。 雑魚のモンスターなら、威圧だけで殺せるんじゃないか? そんな俺を見て、ユウキは苦笑していた。
俺たちは固く抱き合い、最後の時を待った。 そして、視界が光に満たされていく。 全てが純白のヴェールに包まれ、極小の粒子となって舞い散る。
――――現実世界でね。和人。
最後に残った意識の中に、鈴のような声が響いた。
この瞬間、アインクラッドの“黒の剣士”の役目は終わったのだ。
♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦
空気に、匂いがある。
鼻腔に流れ込んでくる空気には、鼻を刺すような消毒薬の匂い、果実の甘い匂い、そして、自分の体の匂い。 ゆっくり目を開けると、その途端、脳の奥まで突き刺すような強烈な白い光を感じ、慌てて瞼をぎゅっと閉じる。
恐る恐る、もう一度目を開けてみる。 様々な色の光の乱舞。 強すぎる光に目を細めながら、首を動かし周囲を見渡す。 そして、今気付いた。 俺は全裸でジェル素材のベット上に横たわっており、上には天井らしきものが見える。 オフホワイトの光沢のあるパネルが格子状に並び、その幾つかは、奥に光源があるらしく柔らかく点滅している。 金属でできたスリットが視界の端にあり、低い唸り声を上げながら空気を吐き出している空調装置。――これらの情報から導き出されるのは、現実世界。――そう、無事に帰還する事ができたのだ。
だが、全身に力が入らない。 右肩が数センチ上がるが、すぐに沈んでしまう。 右手だけは如何にか動かせそうだった。 自分の体に掛けられてる薄い布から右手を出し、目の前に持ち上げてみる。
驚く痩せ細った右手、皮膚の下に青みかがった血管が走り、間接には皺が寄っている。 肘の内側には注射装置と思しき金属管がテープで固定され、其処から細いコードが延びている。 コードを追っていくと、左上方で銀色の支柱に吊るされた透明なパックに繋がっている。
パックにはオレンジ色の液体が七割溜まっており、下部のコックから滴が一定のリズムで落下している。 今までの情報から、此処は病室のようだ。
「(……俺が生きてるのは、茅場からのゲームクリアの報酬って所か)」
俺が目を覚ましたという事は、約束を交わした明日奈たちも目覚めてるはずだ。
俺は顎の下に固定されている硬質のハーネスを手探りで解除し、力を振り絞り、頭に被るナーヴギアを取り外す。 耳を澄ませると、様々な音が聞こえてくる。
大勢の人の話し声、叫び声、慌しく行き交う足音、キャスターを転がす音が聞こえてきた。 おそらく、此処の病院で眠っていたSAOプレイヤーたちが目を覚ましたのだろう。
俺は必死に上体を起こし、体に絡みついていたコード類を力を振り絞り無造作に外した。 点滴の針も引き抜き、自由の身になると足を床に付けた。
点滴の支柱に掴まって体を支え、如何にか立ち上がる。 部屋を見回すと、花籠の中に置いてある診察衣を取り、裸の上から羽織る。
俺は点滴の支柱を握り締め、それ体を預けて、ドアに向かって最初の一歩を踏み出す。――――約束を交わした、少女たちを探しに。
SAO編 ~完結~
SAO編が完結しました。読者の皆様のお陰です。ありがとうございます(#^.^#)
てか、キリト君。この頃から剣技連携が使えちゃうなんて、チートだよ(笑)
さて、今後なんですが……アレです。決まってないですね。でもまあ、親友たちをすぐに会わせてあげたい感はあったりしますね。
あとあれです。現実の名前と仮想世界の名前が混合してますが、突っ込まんといてください(^_^;)
ではでは、感想、評価、よろしくお願いします!!
追記。
茅場の言った、生き残ったプレイヤーには、ユウキちゃんもカウントされてますね。