学校暮らしは大変です。   作:いちちく

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#2

 

 

 

 柿ヶ谷先生が、居なくなった。

 

「最後に彼を見たのはいつ?」

「えっと……確か、朝食は取りに来たのを見たのが最後だった、と思う」

「じゃあ、七時くらいね……。それから先は?」

 

 くるみの答えを聞いて、めぐねえが私達にも訊く。

 

 わたしは首を振った。

 同時にゆきちゃんも首を振る。

 

 わたしも彼女も、今日は掃除にかかりきりで殆ど移動していない。

 唯一移動したのは放送室の掃除を終えて、他の教室に向かう時だけど、その時も柿ヶ谷先生の姿は無かった。

 

「……先生、いなくなっちゃったの?」

 

 不安そうにゆきちゃんが私の顔を見上げる。

 顔色が悪い。

 私の制服に縋りつく腕が真っ白だ。

 思わずわたしはゆきちゃんを抱きしめていた。

 背中をさする。

 触れた手から微かな震えが伝わってくる。

 その震えを感じて、今更自分も血の気が引いていることに気付いた。

 貧血の直前のように、目の前の景色に青白いノイズがちらつく。

 

 今、私はゆきちゃんのために、何が出来るだろう。

 

 大丈夫。

 あの人のことだからきっと平気。

 心配しないで。

 そんな無根拠で無責任な言葉を無遠慮に投げかければいいのだろうか。

 

 それで、ゆきちゃんは落ち着くんだろうか。

 これはゆきちゃんのためになるのだろうか。

 

 分からない。

 

 やっぱり、結局、わたしに出来るのはただ、ゆきちゃんのか細い体躯をひしと抱くくらいだ。

 不意に思い出したのは、ずっと昔、大きな縫いぐるみに顔を埋めて泣く妹の姿だった。

 

 くるみはわたし達の青白い顔を伺うようにじっと見ていたが、やがてめぐねえと言葉を交わし始めた。

 冷静さを欠いているわたし達に代わって、状況の整理をしてくれているのだろう。

 今のわたし達に必要なのは事態を把握して適切な行動をとることだ。

 

 分かってる。

 分かってるのに、頭も口も体も動かない。

 どうするのが正解?

 

「ともかく、もう一度探しましょう。たまたま行き違いになっただけかもしれないし。もしかしたらソファーとかの下で寝転がってるかも」

「いや、流石にそれは無いかと……」

「冗談よ。……もっとも、彼なら、あながち有り得ない訳じゃないんだけど、ね」

 

 めぐねえはそう言ってどこか遠いところを見る目をした。

 めぐねえも少し顔が白い。

 でも、まだ余裕がありそうな、そんな表情をしている。

 きっと、彼が突然いなくなるのは初めてのことじゃないのだろう。

 だからまだ、取り乱さずにいられる。

 

 私にはその冷静さが、少し嫉ましかった。

 

 

 

 

 

 それから私達は、くるみの説明を受けて、あちこちを探し回ることにした。

 と言っても範囲はそれほど広くない。

 学校の三階から屋上、先生がもしいるとしたらその二か所だけだ。

 

 

 手分けをして三十分探した。

 

 

 先生は見つからなかった。

 

 

 くまなく探した。男子トイレや更衣室も、どう考えても大の大人が入れないであろう空間も、それでも一応、探した。

 

 先生は見つからなかった。

 

 どこにもいなかった。

 

 いなくなってしまった。

 

 私達を捨てて、何処か遠い場所に行ってしまった。

 

 もう二度と戻ってこれない場所に。

 

 イってしまった。

 

 そんな確信にも似た予感が私の中を支配していた。

 

 

 

「りーさん、ねぇ、りーさんってば!」

 

 

 

 身体を揺すられて、はっとして、気付けば私は廊下にぼんやりと座り込んでいた。

 

 見れば、私の顔を、心配そうなゆきちゃんの目が覗き込んでいる。

 大きな瞳に、病人のような顔の私が映し出された。

 何やってるんだろう、私。

 

 確か、柿ヶ谷先生を探すことになって、みんなで手分けして探して、見つからなくて、それで、ちょっと休憩しようと思って、廊下に座り込んで、それから……?

 

 それから、私は何をしていた?

 

 記憶を穿り返してみても、暗い靄のようなものが纏わりついて邪魔をする。

 暗い靄は注射針だったり縫いぐるみだったり本だったり……色々なモノに目まぐるしく変わって、肝心の記憶を見つけられない。

 

 どうしちゃったんだろう、私。

 

 自嘲にも似た笑いが内側から這いだしてきて、溢れる寸前のところで何とか表情を微笑の形に整えた。

 ゆきちゃんに余計な心配はかけたくない。

 

 もう、手遅れな気はするけど、それでも。

 

 ……ああ、今度は、私が心配される立場だ。

 

 期待通り、ゆきちゃんは私の想像を裏切って、恐る恐る声を掛けてきた。

 

「大丈夫? りーさん、疲れてるよね?」

「……ううん。大丈夫よ、ゆきちゃん。ちょっとぼーっとしてただけなの。だから平気。心配しないで。ね?」

 

 震える声を必死で奮い立たせて、元気そうに振る舞う。

 取り繕っただけの笑みにはもう既に綻びが生まれて、頬が引き攣れそうだ。

 耐える。

 膝立ちになって、それから立ち上がろうとする。

 立てない。

 足に力が入らない。

 身体が重い。

 私の中で、鉛のように重いナニカが邪魔をしている。

 ダメだ。

 諦めるな。

 しっかりして。

 ここで壊れたら、もうゆきちゃんを元気づけられる人がいなくなるから。

 しっかりしなきゃ。

 

 めぐねえにもくるみにもあの人にも出来ない仕事が出来るのは私だけでそれは私にしかできないことだから。

 

 だから、頑張らなきゃ――。

 私が――。

 

 

 不意に、視界が塞がれた。

 目の前が何か柔らかな暗闇に覆われている。

 息をすると、それだけで落ち着いて心が休まる匂いが、私を包んでいく。

 寒気に襲われていた背中に温もりが広がっていく。

 

 ゆきちゃんに抱き締められているんだということを理解するのに、しばらく掛かった。

 やっぱり、今度は逆だ。

 何も見えないまま、優しい声が耳を打つ。

 

「りーさん、無理しなくていいんだよ。わたしは、わたしなら、だいじょうぶだから……」

「でも」

「いいから」

 

 何か言おうとして、言えなくて、身体を抱き竦められた。

 動けなくなる。動きたくなくなる。

 心地の良い無力感にどこまでも溺れていきたくなる。

 

「りーさん、いいんだよ。わたし、知ってるから。だから、もう、いいんだよ……」

「あ、うあ……」

 

 口から嗚咽が漏れる。

 これ以上はダメだって分かっているのに、止められない。

 罅割れた心から、今まで抑え込んでいた想いが、モノが、漏れ出していく。

 漏れて、漏れ出たモノが、行き場を求めて体中を駆け巡る。

 目頭が熱い。

 滴っていく。

 涙が。

 熱い。

 

 ゆきちゃんは私の頭にそっと触れ、丁度母親が幼い子供にするように、ゆっくりと撫で始めた。

 

「りーさんはりーさんのままでいいから。どんなりーさんでも、わたしにとって、それはりーさんだから。だから……、だから、無理しなくて、いいんだよ……」

「――ぅわあああああああああああああああぁぁぁぁぁっ……」

 

 そして、私はもう溢れる涙と泣き声を抑えられなかった。

 近くに寄り添ってくれる温もりを、力いっぱい抱きしめる。

 縋りつくように。その温かさを確かめるように。

 

 そんな私を、ゆきちゃんはただ優しく抱きしめ、頭を撫で続けるだけだった。

 それだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私が落ち着くのに、それほど時間はかからなかった。

 まだ目元が赤いが、少なくとも涙はもう流れてこない。

 もう大丈夫だ。

 

 私は立ち上がって、ゆきちゃんに向き直った。

 

「ありがと、ゆきちゃん。……その、色々ごめんね?」

「ううん、へーきだよ! 困ったときはお互い様だよね!」

「ふふっ……。そうね、うん。ありがとう」

 

 一転して無邪気で元気な笑いを浮かべたゆきちゃんにつられて、私も笑う。

 それだけで、今まで抱え込んできた重荷が、嘘のように軽い。

 

 依然として私の心には抑え込んできた想いの残滓が巣食っている。

 けれど、もうそれは苦しくて重い物じゃない。

 ゆきちゃんが、それを一緒に持ってくれたから。

 重い物だって、二人で持てば重くなくなる。

 そう、教えてくれたから。

 

 にぱ、と太陽みたいな笑顔のゆきちゃんを見て、思う。

 この笑顔があれば、私は、私達は大丈夫だ。

 何度でも立ち上がれる。

 前を向ける。

 この鮮血に塗れた現実の中でも、普段通り、笑って生きていける。

 大丈夫だ。

 もう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから。

 

 めぐねえをくるみが生徒会室のソファーに運び、そのまま寝こけてしまったくるみを、ゆきちゃんと一緒にソファーに寝かせた、その後。

 

 わたしは職員室にいた。

 

 めぐねえが何を見て壊れてしまったのかを確かめるために。

 くるみがおぶっていためぐねえの顔には、くっきりと疲労が色濃く出ていた。

 

 顔があんな風になるってことは、めぐねえの負ったものは並大抵のストレスじゃない。私の感じた負荷ですらまだヌルい。

 

 あの精神的にタフなはずのめぐねえが参ってしまう程のモノ。

 

 おおよその予測はついている。

 

 

 きっと、ほぼ間違いなく、()()だ。

 

 

 場所はすぐに分かった。

 先生が書いていたであろう日記と並べられて置いてあった、物々しい文句が並べられた冊子。

 

 

 やっと見つけた。

 

 

 

 

 職員用緊急避難マニュアル。

 

 

 

 

 わたしがずっと探し求めていたもの。

 そして、今となってはもう必要のないもの。

 

 きっと、柿ヶ谷先生は今、地下にいる。

 この下らない紙束を読んでしまったせいで。

 

 馬鹿じゃないかと思う。

 

 あれらの群れの中に突っ込むなんて、正気とはとても思えないが。

 いくら常人離れした身体能力を持ち合わせているからって、一撃でも喰らえば終わりなのに。

 

 あの人も、そしてわたし達も。

 

 戻ってきたら、そこのところをきっちり肝に銘じさせてあげよう。

 

 そう思うと少し楽しみだ。

 

 そんな事を考えながら、わたしはマニュアルを手に取り、窓の外へ投げ捨てた。

 涙の染み込んだ紙束は、軽い音を立てて地面に落ちていった。

 

 これで、無用な混乱は避けられる。

 或いは、本社はその混乱を求めているのかもしれないが、知ったことじゃない。

 

 決めたんだ。

 

 もうわたしは本社の人間じゃない。

 

 わたしは若狭悠里。

 

 例え私が他人にどう思われようが関係ない。

 

 私は、私だ。

 

 だからわたしは、わたしのやるべきことをやる。

 

 即ち、この腐りきった街から脱出すること。

 誰一人として欠けずに。

 

 それが今のわたしのやるべきこと。

 

 その後のことは今は考えなくていい。

 今は。

 

 ふと頭の中に、マニュアルに羅列されていた文字列が蘇る。

 

 待ってろ。

 

 直ぐだ。

 

 わたしは直ぐに行く。

 

 それまで待ってろ。

 

 

 

 絶対、ブッ潰してやる。

 

 

 

 




お待たせしましたわあい。
また四ヶ月ほど間が空いてしまいましたすみませぬ。
そして気付けば一年が経過しているという。
このペースで行くと完結まであとどのくらいかかることやらって感じですが、気長にゆるーり待っていただければ幸いです。

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