境界線上の傾奇者   作:ホワイトバス

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人生は迷いの連続

地図もなければ、道筋もない

自ずの判断こそが道標となる

配点《決断》




迷走中の副会長

 

 

 

「今日も餓死寸前だったよねぇ、正純さん。ちゃんと三食摂ってる? 年頃の女の子が無理してちゃ、体に悪いよ?」

 

「すいません……。一応摂ってはいるんですが学費と生活費に消えるんで、食費は少ないんです……」

 

「……大変だねぇ」

 

 

 厨房からバターや小麦粉、さらに焼き上がったばかりのパンの臭いが立ち籠む軽食屋 "青雷亭(ブルーサンダー)" のテーブルに本多・正純はいた。

 青雷亭(ブルーサンダー)の女店主が用意してくれたパンと一杯の水、それだけで食事の有り難みを感じながら食す。空腹は最高の調味料とよく言ったものだ。

 

 

「今日は確か三河に来港するらしいけど、これから生徒会の仕事? でなきゃ、こんな時間にいる理由がないもんね」

 

「ええ。これから酒井学長を三河の関所まで送ります。それと……、母の墓参りにも行こうかと。三河が故郷だったので、ちょうどかなと」

 

「思い出させるようで悪いんだけど、一年前だっけ。お母さんが怪異の犠牲になったのって」

 

「はい。俗に言う "公主隠し" という神隠しの類いです。それに墓と言っても、納めてるのは装飾品とか手帳などの遺品だけですよ」

 

「……そうかい。正純は強い子だね」

 

 

 その言葉を最後に、女店主は口を重くした。

 これ以上重い話題は控えたい。淀んだ空気を払拭するように。

 

 

「あの、パン、ありがとうございました」

 

「いいよいいよ。どうせ、焼き損ねたパンばかりだしさ。捨てるよりは、食ってくれたほうがもったいなくないしね。

 それよりさ、生徒会はどうだい。生徒会の面子見たら、まともなの正純さんしかいないもんでさ」

 

「はは、確かに皆、サボってるというか……自分勝手というか……。個人の所用で休むことはありますけど、それでもやれてますよ」

 

「ホントかい? でもね、何であの馬鹿なトーリが生徒会長なんてしてんだろうねえ。立候補して当選したとはいえ、正純さんの方がしっかりやれるのにさ。そう反論しなかったのかい?」

 

「え、いやあ。それは仕方のないことですよ。それに葵の方が人となりや付き合いも解ってますし、一年前に来たばかりの新参者が出る幕じゃないですから」

 

 

 新参者ねえ、と女店主は呟いた。そして何か思い付いたようで軽く腕を組んでは。

 

 

「聞いた話じゃさ、武蔵で最初に借り作ったのって慶次らしいじゃない。方向音痴のアイツを案内してやったって前聞いたらからね。それって本当かい?」

 

「方向音痴って……。まあ、そうだったような気がしますし、ただの噂だった気も……」

 

「気になるから教えてくれる? 差し支えない程度でいいからさ」

 

「はは……。えーと、あれはたしか……」

 

 

 

 

 

正純、回想中―――……

 

 

 

 

 

 武蔵生徒会副会長、本多・正純が慶次と出会ったのは一年前のことだ。

 

 あれは武蔵に移住したての新参者であった頃、教導院を探し歩いていた時だった。

 その日は朝から父は仕事で外出し、酒井学長も別件で同行出来なかったので、一人で教導院を目指すことになった。すでに転学の手続きは済ましたので、後は武蔵アリアダスト教導院でクラスに溶け込めるかどうかが心配なのだが……、まあそれはついてから考えよう。

 

それより、今立ち塞がってる問題を解決しなければならない。

 

 

「……どこなんだ、ここは……」

 

 

 本多・正純、現在絶賛遭難中である。

 道を教えてもらったとはいえ、同行なしで目的地に辿り着けるのは至難のこと。土地勘もないため、ぐるぐると同じ道を回り、迷っていた。

 

 どうするか、と悩んで考えて困っていたところにだ。

 

 

「―――なーにしてんだ、テメェ」

 

「うひゃぁっ!?」

 

 

 突然、声をかけるものだからみっともない声を出してしまう。恥ずかしさのあまり顔を赤くして俯き、腰までも抜けてしまった。

 

 

「……大丈夫か?」

 

「あ、あ、すまない……」

 

 

 差し伸べられた手を掴んで身を任せ、立ち上がる。握ってようやく気づいた。逞しく、ゴツゴツした、それでいて優しく包容力のある男の手。

 見上げた先、目に映るのは凛々しいけど強面の青年であった。

 

 

「……」

 

「何を呆然としている。俺の顔に何かついているのか?」

 

「……あ、悪い」

 

 

 裾についた汚れを払い落として改めて礼を言い直す。

 

 

「すまない、恥ずかしいところを見せてしまったな。実は、武蔵に来るのは初めてで……言い訳がましいが、土地勘もないから迷ってたんだ」

 

「初めて? つーことは武蔵に引っ越したばかりか?」

 

 

 問われ、ああ、と肯定した。

 

 

「今日から武蔵アリアダスト教導院に転校してきた本多・正純だ。前は三河の教導院に在籍していたが、ちょっと所用で移り変わることになったんだ。これからよろしく。……えーと」

 

「前田・利益だ。ま、皆は慶次と呼んでるからそう呼んでくれても構わんよ」

 

「ああ、よろしく頼む。……前田・利益か」

 

 

 その名は知っている。聖譜記述にも僅かにだが記された極東の一武者の名。武蔵に襲名者がいるとは聞いていたが、彼がそのようだ。

 

 天下一の傾奇者、前田慶次郎利益。前田利久の養子として育てられ、家督を叔父の前田利家に奪われて以降、風流や女遊びに耽ったという変わり者。しかし武だけではなく芸や茶道、漢詩や連歌もたしなみ、数々の武将を魅了させた人気者でもあったという。

 

 

「前田・利益か……。三河でもその噂は聞く。確かに、噂通りの派手な着こなしだな」

 

「あんがとよ」

 

 

 前田・利益が派手な着物を好んだと言う話は、彼にも引き継いでいったようだ。学生とは思えないほどの余分な装飾品と異様といえる着こなしが傾奇者らしさを具現させていた。

 

 

「すやり霞の袴を羽織り、銀白色のベルト。それと装飾品がジャラジャラし過ぎだ。学生としてそれは派手すぎじゃ……? 学生らしい格好じゃないとダメだろ」

 

 

 早々から説教とは悪いことしたな、と後に後悔した。

 しかし返ってきたのは力強い返答だ。

 

 

「つまらんなあ正純は」

 

「え?」

 

「俺ぁな、規則などという小さい器に染まるような男じゃねェ。人生は一度きりなんだ。好きなときに寝て、好きなときに食い、好きなときに好きなことをする。それが俺の法なんだよ。わかったか?」

 

 

 好きなときに好きに生きる、それが慶次の法。見事な傾きだな、と正純は感心した。

 

 しかしこれ以上、談笑してる暇はなかった。

 

 

「前田、一つ聞くが教導院はどっちの方向なんだ?」

 

「向こうだ。その先は商店が多いから道に迷ったら聞くといい。じゃあな。教導院でまた会おうぜ」

 

 

 随分と素っ気ない別れ言葉だが、教えてくれただけでも良しとする。

 さっそく向かうとしよう。もうすぐ一限目が始まる頃だ。転校初日から遅刻など言語道断。出だしが好調なのに越したことはない。

 

 歩もう、そう一歩踏み出した、その矢先。

 

 

「ど、どうせなら一緒に行かないか?」

 

 

 気づけばそんなことを口にしていた。しかし何故? どうして? 自問自答してその結果は。

 

 

「ほ、ほら。もうすぐ授業が始まるだろ? 初日から遅刻なんて幸先が悪いと思わないか? お、お前も学生なんだから遅刻はダメだぞ。うん、一緒に行った方がいい。どうせ、向かう先は同じだからな。

( 落ち着け、私はそんなキャラじゃないだろ!! ) 」

 

 

 とはいえ、言ってしまったものはしょうがない。今の自分を突き通す他、解決策が見つからなかった。

 ほとんど自棄、そんな一貫した態度を取り続け。

 

 

「ま、また迷ってしまったらどうする? そうすれば今度こそ遅刻だ。だ、だから、お前が教導院まで連れていってくれ。( 違う違う違う!! )」

 

 暴走にもほどがあるだろう。いよいよ、自分は正気なのかと疑い深くなる。今の誘い方はどう考えても口説くような誘いだ。おまけに会ってまだ数分。会って数分でこんな誘いをするなんて我ながら馬鹿馬鹿しいと思う。

 けれど、運命は許さないようで。

 

 

「まあ……いいが。案内はしたことないから満足がいくかどうかは保証出来ねぇな。それでもいいんならついてきな」

 

「そ、そうか。それはよかった。( 違うだろ私! 何、安堵の息なんて吐いてるんだ! )」

 

 

 本人からオーケーが出た以上、今さら無しにするのはいかがなものか。自口から出た言葉に従うしかなく、正純は慶次に寄り添って行動を共にする他なかった。

 

 

( うぅ……何やってんだ私は…… )

 

 

 その後、梅組らに同行中を見られた二人は黒魔女の濃色BL同人のネタにされたり、校内新聞に張り出されたりと初日から散々な結果になった正純であった。

 

 

 

 

 

 

……などと、あまり掘り起こしたくないことが甦ったので、頭を机に打ち付けて消すことにした。

 

 

「……なんか思い出したくない記憶でも思い出した?」

 

「……察してください」

 

 

 目に涙は浮かべずとも心で泣いていた正純に、女店主は、Jud(ジャッジ).と言う慰めを与えた。

 

 

「正純さんにも黒歴史はあったんだねぇ。まっ、内容は聞かないから安心しなよ」

 

「ありがとうございます……。けど、借りを作ったのは事実ですし、そのうち返さないといけませんよね。前田は忘れてそうですけど」

 

「完璧に忘れてるだろうね。貸し借りなんて気にしないガラだもの」

 

「らしいと言うか……、それが彼の良いところですので」

 

 

 人を褒めるのは中々難しく恥ずかしいものだな、と正純は思った。

 

 魅了的というか、吸い込まれるというか、心の壁なども無意味にさせる魔性が彼にはあった。人柄の良さ、寛容な雰囲気を漂わせ、人を裸にする誑し者と言うべき男だ。

 彼の人気ぶりそこにあるのかもしれない。来る者を拒まない人柄が、より彼の好印象を強くさせている。

 

 するとどうだろうか。慶次の性格を考えてるあまり気づかなかったが、女店主がじっくりこちらを見ているではないか。

 

 

「……正純さん。もしかして慶次のことが気になる?」

 

「はあ!? いえいえいえいえ!! と言うか何故!?」

 

 

「だってねぇ、正純さん、慶次の話をするとちょっとペースが速くなるというか、出だしがちょっと速くなるんだよね。もしかして気づいてない?」

 

「えっ!? 本当ですか!? ( よく見ているな―――そうじゃない。バレた……。いや―――そうじゃない!! それは断じてない!! )」

 

 

 とにかく持てる力で女店主の言葉を否定した。向こうもすぐに折れたのか、『冗談だよ』と話を切り上げ、店の作業へ鞍替えした。

 

 

「まあ、なんというか。ちょっと変な質問してゴメンね。というのも、トーリがこの頃調子が一変してさ。初々しいガキかって言うくらいの豹変ぶりでさ」

 

 

 チラッと目線を変えるや、見たのは外で掃き掃除をしている自動人形 P-01sだ。そして女店主は一つ長いため息を吐いて、こう呟いた。

 

 

「最初は単なる冗談か何かと思ったけど違ったね。うちのトーリは……P-01sのことが気になってるのかもしれない」

 

 

 

 

 

「―――は?」

 

 

 突然の話に正純の頭は一瞬ショートした。いきなり慶次に気があるとかないとか聞かれた次は、トーリが自動人形に恋してるとかしてないとか。

 

 何とか開いて塞がらない口を動かし、喉を鳴らして言葉を作る。出た言葉は。

 

 

「P-01sに、恋……?」

 

「そうなんだよねぇ。自動人形を好きになるなんてマニアックというか無駄というか。いくらあの子に似てるからだなんて……」

 

「あの子?」

 

 

 知り合いだろうか。昔なつかしいものでも思い浮かべるように和みのある表情が、女店主から感じられた。

 

 

「……昔、十年前にここらでよくトーリと慶次と三人で遊んでた女の子がいてね。たまには喜美とか智なんかと一緒に過ごしてたんだよ。まあ、いわゆる幼馴染みってやつだね」

 

「そ、それは知りませんでしたよ。私、武蔵に来たばかりなんで……。それで、その子は?」

 

 

 返答は答えるまでが長かった。少し考え、悩み、唸って生まれた答え、それは。

 

 

「"後悔通り" を調べてみなよ。武蔵に住んでるなら大半の人が知ってるけど、来たばっかりの正純さんが知らないのも無理はない。いい機会だし、調べるのもいいと思うよ」

 

「後悔通り……ですか? 」

 

「うん。普段、何気に使ってるけど、あそこは別の一面を持つ。その一面を見るには視点を変えることも必要さ。だからさ、調べなよ。そうすれば思いも増えるよ」

 

 

 

頑張ってね、と送り出す女店主に、正純は複雑な思いを抱いて青雷亭を後にするしかなかった。

 

 

 

 

☆★☆

 

 

 

 

 青雷亭を出て、向かったのは母が眠る場所だった。だが、思わぬ先客がいたのだ。

 

 

「いや、こんな時間にここにいるのはもちろん、お前と会うなんて思ってもなかったなあ」

 

「Jud, ここの掃除は日課にしておりますので。ですが、どうして正純様がここにいらっしゃるのでしょうか」

 

 

 自動人形・P-01sだ。彼女は箒を片手に土塊や落ち葉を掃いては側溝へ持っていき、数匹の黒藻の獣にゴミを与えている。どうやら、黒藻達からかなり懐かれているようだ。

 そして、その無機質な瞳で正純を見据えて。

 

 

「本来なら、今の時間は正純様は教導院にて授業を受けてるはず。ですので、目の前にいるのは正純様ではなく正純様の形をした怪異的なナニかということですね」

 

「極論過ぎるだろそれは! 私が幽霊か何かに見えるか? 人を幽霊呼ばわりするのはいくら自動人形と言えど許さないからな!」

 

 

 ひどい言いように正純はつい声を荒げてしまった。今日の自分は何かと厄にまみれてる。浅間神社で厄払いしてもらったほうがよさそうだ。

 

 そういえば、とふと思った。

 

 

「どうかなさいましたか?」

 

「いや……、そろそろ四時限めが終わる頃でな。今、皆はどうしてるのかなってさ」

 

 

 確かにまもなく四時限めが終わる時間帯だ。ちなみに梅組は今何してるかというと。

 

『あ、あの……皆、これは一体……』

 

『おう! 東じゃねえか! 麻呂もこっちに来いよ。誰もお前のこと嫌ってないし、どうとも思ってないしさ―――』

 

『こ、こら、武蔵総長! 一体何が起こってるのか説明したまえ! 何故、全裸なのかね! あの壁の穴は一体―――』

 

『おいおい麻呂! そんな小さいことは気にすんなよ! 小さいのはインパクトの無さくらいにしとけって。ぷー、クスクス』

 

『き、貴様―――!』

 

 ちょうど教室では、トーリがオリオトライの蹴りを食らって武蔵王・ヨシナオと帝の子・東を尻目にかけているところである。

 朝言ったように今夜、肝試し兼告白前夜祭を決めたが、場にいない正純は知る由もなかった。

 

 

「だと言うなら、正純様がここにいるのは何故でしょう? とうとう非行少女になったのでしょうか?」

 

「それ、人前で決して言うなよ。『少女』の部分は特にだ!」

 

 

 自分が女だということをカミングアウトするのはまだまだ先になるだろう。騙しているわけではないが、隠していることに胸が痛む。されど、もう少しだけ秘匿でいたかった。

 

 自念はここまでにして言おう。このまま黙り込んでも良いことはない。

 

 

「今日は……、酒井学長を三河に送る予定でな。学長から自由登校を許されてるから、母の墓参りも悪くはないと思って来たんだ。まあ、墓と言っても遺骨はないし、遺品を納めてるだけだが」

 

「Jud. 率直に感想を申し上げますが、正純様はお母様がお好きなのですね」

 

 

( ―――好き、か )

 

 

 そう強く意識したことは随分と久しい。生前の頃は母の存在が身近だった故か、母の存在が愛おしく思い始めたのは、いなくなってからだ。

 

 もちろん好きなものだ。それにまだ物心つく前の幼き頃のこともよく憶えている。風邪をひいた時は遅くまで看病してくれ、暇な時にはいつも遊び相手になってくれた。

 

 そして、母が子守唄として通し道歌を歌ってくれたことも。

 

 

「どうかなさいましたか? 正純様」

 

「―――いや、昔のことをちょっと思い出してな。前に私が三河出身であることを話したことがあっただろう」

 

 

 それは何時だったか、憶えていない。けれど話したことは憶えている。

 

 

「私の名字は本多だろう? 松平家の家臣として務めていたんだ。そして松平には二つの本多が必要とされていた。

 一つは東国最強、松平四天王の一人、本多・忠勝を筆頭とする "武" の本多家。もう一つは佐渡守と称された本多・正信を筆頭とする "政" の本多家。立場役目は違えども、両方とも松平の家臣として名のある豪傑だ。そして、私の父は本多・正信の―――」

 

「襲名を?」

 

「ああ。……失敗したけど」

 

 

 正純は自虐的に言った。言い放ったのだ。

 さらに正純は続ける。

 

 

「父の無念を晴らそうと、本多・正信の子、本多・正純を襲名しようとした。けど……、結局は失敗したよ。

 十年前の松平家による "人払い" で家臣団に代わり、自動人形が世襲することになったんだ。多くの家臣・商人が地位や役柄を失い、目標と誇りを無くしていった。……私も例外ではなかった」

 

 

 本多・正純を襲名出来なかった歯痒いさは忘れられない。何年経っても、何をしても、あの悔しさだけは消えなかった。

 

 

「私は、襲名で不利にならないようにと子供の頃、胸を削る手術をしてるんだ。女から男へ……、いずれ男性化の手術をしようといた矢先に "人払い" だ」

 

 

 どれだけ頑張ってきたのだろう。

 どれだけ苦労してきたのだろう。

 なのに、それが全て "人払い" で水の泡となってしまった。

 

 

「そして……その後は謝って、迷惑をかけて、後悔して……。とにかくあまり記憶に残ってないけど、そんな流れだ。母の慰めは嬉しかったけど、それさえも痛く感じた」

 

 

 中途半端な胸。失敗した過去。"公主隠し" で消えた母。印された二境文。

 こんなにもいらぬ傷を残していって、事は終わったのだ。

 

 

「何でなんだろうな……、くそっ、泣くなんてカッコ悪いなぁ」

 

 

 一気に押し寄せてきた心残りを、吹き消すように一拭い。拭ったものは衣服に残り、シミとなった。

 それを一見して、そうなのですか、とP-01sは応えた。そしてそれに次いで出た言葉は。

 

 

「しかし、これで正純様に対する疑問が一つ解けました」

 

「疑問? それは?」

 

 

 Jud. と一つ頷いてP-01sは言った。

 

 

「結論から言えば、男装は正純様のご趣味ではなかったのですね、驚きました」

 

「……は?」

 

 

 どんよりとした空気から一気に現実へ戻された。

 色で例えるなら淀んだ紺から無意の白へ。

 

 

『まさずみ だんそう しゅみ?』

 

『づか? づか?』

 

 

 誰だこんな言葉を教えたのは。まさかあの馬鹿(トーリ)か?

 

 

『ともだち?』

 

「Jud. 正純様は最近友達が欲しいようです。今がチャンスです。つまりチョロいです。通称 "チョロ友" 。人に冷めやすいですが、下水管理にも役立てるかと」

 

「……お前ら、人を何だと思ってるんだ」

 

 

 黒藻の獣達にさえも舐められている、と正純は自嘲した。舐められてるかどうかはさておいて、さっきの悲観的な昔話は彼女らの前では無意味だと悟った。

 

 

 するとだ。空が 、雲が二分するように大きく張り裂けて町並みが見えてくる。

 

 

「ステルス航行が解除されたようですね」

 

「そのようだな。まもなく三河か……」

 

 

 かつての級友や故郷はどうなってるだろうか。そんな過去に浸る思いを胸に、正純は空から三河を眺め続けた。

 

 




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