――リーチ。
一番好きな役は何か?
そう問われれば、俺は迷う事なくこの役の名を答える。
俺は、どちらかというと鳴きを中心に据えた雀風である。
好きな役がリーチというのは、打ち筋と矛盾しているかの様に思えるかも知れない。
だが、俺は鳴き型だからこそリーチが好きなのだ。
鳴き――副露するという行為にはどういった意味があるか考えた事があるだろうか。
細かい話は割合するが、他家の捨て牌を使って面子を作るという行為は、「自力で有効牌をツモる自信がない」と言っているのと同意だと考えている。
麻雀というのはツイている時よりも、ツイていない時の方が多いゲームである。
基本的に一局につき、一人のプレイヤーしか和了する事ができない。
単純計算で75%はツイてない局なのである。さらに流局になる確率を加味すれば、実に80%近くの局で自分にとってうれしくない結果が出るのだ。
面前に拘っていれば、よほど格下の相手を打たない限り、和了率は25%を超える事はないだろう。
だから鳴いて他人の
そうやって無理をする事で、自分と同レベルかそれ以上の相手と卓を囲み、和了率25%以上を残せる様になる。
まあこの理論にも、「相手が面前派ならば」という大きな穴があったりするのだが。
何にせよ、他家の
だから、先制リーチを打てば大抵和了れる。そういう風に出来ているのだ。「俺の場合」という注釈は付くが。
勝つという事は、いかにリーチが打てる状況の持ち込めるかに限りなく近い。
俺はそう考えている。
――ああ、やっとだ。やっと牌にさわる事が出来る。
からからと回るサイコロ、じゃらじゃらという洗牌の音、どれもが新鮮で懐かしかった。
「レートはどうするんだ?」と言おうとして、相手が未成年なのと、自身が文無しなのを思い出した。汚れてるなあと自分の事が少し嫌になる。
それにしても、今日はそう長く打てないというのが残念極まりない。俺としては、自分か衣のどちらかがぶっ倒れるまで打ち続けたかったのだが、「勝負は半荘一戦ですわ。明日は学校があるのですから」という透華の一言により却下された。
そうか今日は日曜日だったのかと、曜日感覚のなくなっている自分に愕然としながらも、まあ良いかという珍しい感情を抱いた。
これから寝食を共にするのだ。毎日でも衣とぶつかり合う事は出来る。
だからと言って、いい加減な打牌をするつもりは全くないが。じっくりと味わいながら魔物を倒したいと思う。
今回も、これからも、全身全霊を持ってして勝ちに行く。
――トップ以外の着順に価値は皆無なのだから。
ルール
・東南戦 25000持ち30000点返し
・喰いタンあり 後付けあり 喰い替えなし
・赤ドラあり(赤五萬一枚・赤⑤筒二枚・赤5索一枚の計四枚)
東一局0本場 ドラ:西 親:杉乃歩
東家:杉乃歩
南家:龍門渕透華
西家:井上純
北家:天江衣
起家というのはあまり好きではない。
相手がどんな打ち手なのか、それを理解していないと手痛い一撃を喰らう事になる。これは俺がただの麻雀好きから麻雀打ちへと転身してすぐ、身を持って教えられた事である。
だから、序盤は相手を観察しながら対局を進めて行く訳で、俺はあまり攻勢に出ない。もちらん和了らないという意味ではないし、リーチに対する反応を見る為、クソみたいな牌姿(ひどい場合はノーテン)で曲げる事もたびたびある。
そんな訳で、俺の場合、理想は北家であり、その次は西家、南家と続く。実際の所、どこでも勝率にさほど開きはなく、ただのジンクスなのだが。
これは初対面の相手との対局の場合に限る話であり、お互いのやり口を知り尽くした様な相手の場合は違ってくる。親番は早ければ早い程嬉しい。もちろん、これもただのジンクス、というか好みの問題だ。
一般的には、放銃さえしなければ確実に二位以上で親番に突入出来る南家が一番良いとは聞く。
まあ今は出来る範囲で攻めつつ観察するとしよう。
俺に嘘を言っていないのだとすれば、純の打ち筋はある程度だが想像出来る。流れを重視するという、俺に近いスタイルだろう。
問題は他二名。
透華と衣についてはデータが全くない。あせらずに真髄を見極める。
優劣を付けるのはあまり良い事ではないのだが、特に衣には注意を払う必要があるだろう。
あの男と同じ雰囲気を纏っているのだから。
どう料理してくれよう。それを考えるだけで、胸は高鳴り、顔は熱を帯びていく。愛しい愛しい
配牌 ドラ:{西}
{一二赤五七②④⑨3457東東北}
この局は和了れそうにないなと思った。
長い間麻雀から離れていた為か、あまり俺の運が牌に馴染んでいない。
連風牌の対子と赤牌を一枚持っていて、配牌が悪いというのはおかしいと思うかも知れないが。
牌を握った時のすかっという軽い手応え、それが俺に教えてくれるのだ。ツキのない今、お前ではこの手牌を面前で聴牌まで育て上げる事は出来ないぞと。
一度深呼吸をして気持ちを落ち着ける。
そして冷静になった頭が判断を下した。鳴きを駆使して、{東}と何かのシャボ待ちで聴牌出来れば上等というレベルだろうと。
卓上を見渡し、他家の理牌が終わったのを確認して、{北}を打つ。
二巡目、三巡目、四巡目……変わらず手応えはない。まだ時間がかかるという事か。
五巡目、衣が零した{6}へと、反射的に手が動いた。
「チー」
五巡目 手牌
{一二赤五七②④34東東發} {横657} 打{一}
喰った。衣の
自分に運が向くまで、のんびり待つのは俺の性に合わない。
集まって来ないのならば、無理矢理奪うまでの話だ。
六巡目 手牌
{二赤五七②④34東東發} {横657} ツモ{③}
(少しだけ……戻ったか?)
軽石の様に手応えのなかったツモが、ふやかした高野豆腐程度には重くなって来た。
打{二萬}で二聴向。
七巡目 手牌
{赤五七②③④34東東發} {横657} ツモ{五} 打{發}
ようやく一聴向に届いた直後、「リーチですわ!」と下家の透華が牌を曲げた。
東家:杉乃歩 {五赤五七②③④34東東} {横657}
捨て牌
{北⑨白北一二}
{發}
南家:龍門渕透華 {■■■■■■■■■■■■■}
捨て牌
{①白北一南横④}
西家:井上純 {■■■■■■■} {中中横中} {横一二三}
捨て牌
{⑥⑧北白⑨三}
北家:天江衣 {■■■■■■■■■■■■■}
捨て牌
{南九二發}
案の定先制された訳だ。
まあ想定通りの流れではあるが。
俺に第二の生を与えてくれたのが麻雀の神かどうかは定かでないが、ただ一つ確実な事はある。天運をセットにはしてくれなかったという事だ。
注意すべきは下家だけではないと、肌がぴりぴりする。
幾多の敗北により俺の身に染みついた獣の様な危険察知能力。それが「この局は無理だぞ」とささやいていた。
(二家……いや、まさか三家聴牌か?)
嫌な予感がした。
俺にツキがない分、他家の手は早いはずなのだ。
全員張っていても不自然ではない。
「引かねえぜ」
純はそう言って{赤⑤}をツモ切った。
捨て牌からすると萬子のホンイツ。リーチに立ち向かうという事はよほど待ちが多いのか、打点が高いのか。そのどちらかだろうか、最悪の場合両方満たしている可能性もある。仮に染まっていないにしても、一枚も見えていない自風牌の
(ハードだな……)
少なくともリハビリついでに打って良いレベルの卓ではない。
アーケードの脱衣麻雀もビックリの難易度だ。
そして次は大本命。
衣のしなやかな指が手牌の中の一枚へと伸びる。
そして――打{赤5}。
「おおう……」
捨てられた牌を見て、純が思わず声を漏らしてしまった。
気持ちは良くわかる。俺も苦笑いを浮かべたくなった。
だが、それより先に口が動く。
「チー」
手牌 ドラ:{西}
{五赤五七②③④東東} {横赤534} {横657}
そして打{④}。聴牌はとらない。
(あやしすぎる……)
片和了りとはいえ、親の満貫を捨てるのは勿体ないと感じるだろう。だが、これはこれで正解のはずだ。なぜなら、魔物達が理解不能な打牌をする時、それは誰かを嵌めている時で間違いないのだから。攻撃にも、守備にも、あいつらには素直さがない。誰かを陥れる事に執着しているのだ。
その矛先は間違いなく俺に向いている。純を罠に掛けるのならば、萬子を切ってくるはずである。
「ツモですわ! 2000・4000」
透華手牌 ドラ:{西} 裏:{南}
{五五六六七②②234567} ツモ{七}
次のツモで、透華が高らかに和了の宣言をした。
メンタンピン――麻雀の花形とも言える綺麗な手だ。
(四七萬待ちのメンタンピン、高め一盃口……やっぱりか)
和了られたとはいえ、俺の気分は悪くなかった。
ほら見ろ。打{七萬}ならば、高めに振っていたじゃないか。俺は間違っていない。おまけに裏ドラ表示牌が二枚しかない和了り牌の内一枚。例え{七萬}が安牌だったとしても、俺に和了り目があったのかどうかは、非常に微妙だったと言わざるを得ない。
千点棒を四本取り出す。
この安っぽい感触を指先で味わったのは一月ぶりだ。その記念すべき初点棒? の理由が他家に払う為にというのは何とも情けない限りである。
透華が点棒をしまい込むと、卓上の点数表示に変化が出た。
東家:杉乃歩 21000(-4000)
南家:龍門渕透華 33000(+8000)
西家:井上純 23000(-2000)
北家:天江衣 23000(-2000)
手牌を伏せ、中央の穴へと落とす。
その際、さりげなく山を崩し、本来の透華のツモ(俺が鳴かなかった場合のツモ)を確認するのも忘れない。
({七萬}ッ! いける……な)
いきなり親被りでラス転落の憂き目に遭った。とはいえ気にしてはいない。何度も言うが俺は逆に手応えを感じている。
あの時、反射的に赤5索を喰ったが、そうしていなければ一発が付いて跳満になっていたのだ。
俺の勝負勘は決してさび付いてなんかいない。そう確認出来た。
まだ運は付いてきてくれないが、それは時間が解決してくれるだろう。
勝負は東四局――衣の親番。
そこに照準を合わせ、この小さくなった手で掴めるだけの運、それをこつこつとかき集めていくしかない。
流石に直撃を喰らわせる等と自惚れた事を言うつもりはないが、親被りくらいはさせてやる腹づもりである。
そして、その勢いのままに続く俺の親番で一気に形勢を決める。
(うれしい事に、お眼鏡にもかなった様だ)
俺がちらりと視線を送ると、それに気が付いた衣はにやりと口元を吊り上げた。
(試したな……このやろう)
もし俺があそこで振っていれば、こいつは落胆したのだろう。その程度なのかと。だが、俺は回避した。とりあえず土俵に立つ資格はあると認めて貰えたらしい。
こいつらに何が見えていて、俺に何が見えてないのか。それは未だにわからない。もしすると、もう一度死んでもわからないのかも知れない。
だが、俺にでも魔物相手に勝利を拾う事は出来る、出来た。その勝利の為に、何度負けを捧げたのかは口にしたくないが。
圧倒的劣勢、今日はツキにも見放されていると来た。それでも、あきらめない。渡り合う事は出来る。ならば噛みつく事も出来るはずだ。
だから――、
――やっぱり、麻雀は面白い。そう思えるのだ。
さあ、勝負は始まったばかり。喰うか喰われるか、このギリギリの綱渡りを精一杯楽しませて貰おう。