麻雀を打ちたい   作:158

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九蓮宝燈を和了った日

 あれは、ある嵐の夜。

 繁華街から少し外れた通りにある、薄汚れた雀荘での出来事だった。

 

「――ツモ。8000・16000!」

 

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 何をツモって和了ったのかはもう覚えていない。

 奇跡の塊とも言えるその形に酔いしれていたから。

 倒された手牌は(ソーズ)の九蓮宝燈。

 それも純正と呼ばれる九面待ちでの和了――正真正銘、人生最後の和了だった。

 

 

 

 ――その日、あっさり死んじまったんだから。

 

 

 

 あの頃の自分はどうかしていたと今になって思う。

 学生時代、ふとしたきっかけで麻雀という遊戯にはまった。

 それに心底惚れ込んだ俺は、麻雀で飯を食っていきたいと志し、ついには学校を辞めて旅に出た。

 母親に泣かれ、父親に勘当されたのは、さすがに堪えたが、一月もすれば考えなくなった。

 俺は情のない人間なのか? 

 一時はそう思い悩んだが、後に勘違いだとわかった。ただ、麻雀に魅了されて周りが見えてなかっただけだった。

 

 

 

 ――なんて、愚かな。

 

 

 

 元は玄人(バイニン)だったという作家の書いた主人公に憧れた。

 彼の様にどんな強敵が相手でも持ち前の技術と運、そして機転で勝ちを拾う。そんな麻雀打ちになりたかった。

 一昔前だったらもう少し楽だったのだろう。

 バブルも弾け、十余年が過ぎ去った今、賭け麻雀に対する風当たりは強かった。

 点ピン(1000点=100円)よりも上のレートで場を開帳する雀荘の数は、当時と比べめっきり数を減らしたらしい。断定系でないのは、バブル時代の俺はまだ賭場に入る事すら出来ない年齢(ガキ)だったからだ。

 それでも、人目を盗んでやってるヤツは居るもので、俺も何とかそんな場所を見つける事が出来た。

 でも、現実は甘くなかった。

 格上の相手と打つのは心が躍った。ああ、まさに今麻雀を打っていると自分に心酔できた。

 勝ったり、負けたり、勝ったり、負けたり、負けたりした。

 負けたりの数が多くないかって? 当たり前だ。

 自分より強い相手と長期間打ち続ければ収支は確実にマイナスになる。

 旅の大半を占めたのは、食っていく為、種銭を稼ぐ為、様々な雀荘を訪れては格下の相手(カモ)を探す日々だった。

 こんなはずではなかった。

 両親と友人の顔を思い浮かべ――泣いた。

 理想と現実の違いに耐えきれず、ついには実家に電話をかけた。

 耐えられない、帰りたい――そう母親に伝える。

 しかし、返ってきたのは「バカ野郎! 夢を中途半端にしてトンボ帰りする息子を私は産んでないわ!」という言葉。

 むりやり絞り出した様な母親の声に、どんな気持ちで俺に言ったのかを考え――俺はまた泣いた。

 

 

 

 ――もう後戻りは出来ない。

 

 

 

 それからは狂った様に麻雀に打ち込んだ。

 背水の陣とは良く言ったもので、そこから急に俺の雀力は伸びて行く。

 勝って、勝って、勝って、また勝った。

 強敵との対局時に覚える高揚感、そして勝った時の全能感を味わい尽くした。忘れたくなかった。

 それはどんな純度の高い麻薬でも、絶世の美女とのセックスでも、味わう事の出来ない最高のエクスタシーだった。

 もう麻雀なしの生活なぞ考えられなくなっていた。

 

 

 

 ――だから、破滅する。

 

 

 

 あの日は、事前に目を付けていたレートが高い割に客の質(麻雀の腕)が高くない場所(養殖場)で荒稼ぎをしていた。

 巻き上げた札を無造作にバッグへと突っ込み、コートの内側へとしまい込んだ。

 そして、雀荘の店主から「二度と来るな!」という視線を背に受けながら店の外へと扉をくぐる。

 麻雀という遊びは金がかかる。

 だから、金をむしられ尽くすと客は雀荘に来なくなるのだ。

 なので、店主が恨みがましい視線を自分に向けるのは当然であり、特定の店で勝ちすぎるのは本来やってはならない行為であった。

 ただでさえ、不景気で金持ちの数が少ないのだ。

 少ない賭場と少ない客。太らせて、毟って、また太らせて、また毟る。そういう風にうまく立ち回る事を要求されていた。

 何度も不義を繰り返すと、最悪の場合、その界隈を支配する恐い人にちょめちょめされる。

 そうならなくても仲間からはハブられる上、他の店に話が流れどこもかもが出入り禁止――実質的な追放処分――となる。

 都合がよく分かってなかった最初の頃は、何地区かで出禁を喰らったものだ。

 バカだったと自分でも思う。あの小説の主人公もそう言っていたではないか。

 でも今日だけは許して欲しい。どうしても金が要ったのだから。

 

 

 

 ――次は本命(まもの)だ。

 

 

 

 外に出ると雨が降っていた。

 いつもなら不快なだけのそれも、その日の俺にとっては何故か心地よかった。

 風は強かったが、小雨という事もあり、傘もささずに顔に当たる水滴の感触を楽しんだ。

 箸が転んでもおかしい年頃とはちょっと意味が違うが、とにかく俺は上機嫌だった。

 時折、魔物が雀荘に現れる。

 それは様々な形をしていて、いかにもな見た目のゴツゴツとした男だったり、物腰のやわらかな老紳士だったり、まだ成人式を迎えてないのではないかと思うほど幼い女だったりもした。

 少なくとも、見た目だけでそいつが魔物かどうか判断する事は出来ない。

 今回現れたのは年齢不詳、頭の頂点から足下まで黒で固めたあやしげな男の姿をしているらしい。

 断定系でないのは、他人から聞いた話だからだ。

 決して広い業界ではないこの界隈では、ちょっと有名になるとすぐに知り合いが増える。

 そう長い間この街に根を張っていた訳ではないが、類は友を呼ぶとは良く言ったもので、俺と似たような思考回路を持つ麻雀打ちが何人か居た。

 そして、やつらが出たら教えてくれるのだ。

 おい、出たぜ、と。

 

 

 

 ――そんなもの、聞かなければ良かったのに。

 

 

 

 “出た”という雀荘に着いて、そいつがどこの卓に座っているどいつなのか、俺にはすぐにわかった。

 目を合わせただけで凍り付く様な怜悧な視線と、絶対王者を思わせる尊大な態度。

 上から下まで黒で固めた男――こいつが魔物だ。そう確信した。

 その鋭い視線は獲物に餓えた若さの様なものを感じさせたが、何十年も賭場に巣くっているかの様な落ち着きも併せ持ち、正に年齢不詳。

 見た目は秀麗だが、コイツが放つ、平気で数人は殺してそうなオーラ――瘴気と言った方が正しいだろう――が、彼をヒトだとは思わせない。

 卓に着かずともわかる。コイツは今まで対峙したどんな魔物よりも強い。

 男の座っている卓には男を合わせて三人しかいない。まだ面子が揃っていない様だった。

 

 

 

 ――打てますか?

 

 

 

 ヤツからそう呼びかけられた気がした。

 今考えれば、俺の自惚れから来る思い過ごしだったのかも知れない。

 実際に声を掛けられた訳ではなく、ヤツは値踏みする様な視線でこちらを眺めていただけだった。

 だが、その時は恐怖よりも喜びが勝った。

 俺はコイツと打つ権利を手に入れたのだという。

 武者震いで脚ががくがくと震えた。

 そして始まる。

 

 

 

 ――長い様であっという間だった人生最後の勝負が。

 

 

 

 勝負は半荘三戦。

 

・1000点=10000円

・25000点持ちの30000点返し

・順位ウマ20-30

・焼き鳥罰符10000点

 

 一般的に高レートと言われる点デカピンの十倍にもなるが、魔物達が現れるのは決まってこんな目玉が飛び出る様なレートの場だけなのだ。

 警察にバレると間違いなくブタ箱行きである。だが、魔物達の幸運か凶運か、そのどちらかはわからないが、邪魔者(けいさつ)を寄せ付けない。

 同格以下の相手と打っていて、捕まりそうになった事は何度もあれど、魔物と打っていて、横やりを入れられた経験はない。

 ルールを改めて見て、少し珍しいなと思った。

 レートが――ではない。ウマがだ。

 店長に聞いてみると、二位のウマが大きいのはあの男が強すぎるが為の苦肉の策であり、普段は10-30だと言う。

 だが、俺は大して気にしなかった。

 黒ずくめの男とは初対面だが、他二名とは面識があり多少なりともその人となりを知っていた。

 一人はサラリーマン風の格好をした中年のおっさん。あくまでもサラリーマン“風”なだけで実際は世間一般で言う無職であり俺と同業だ。

 もう一人は好々爺然としたじいさん。孫と楽しくお散歩にでも出かけてくれれば良いのだが、内実は獲物を骨の髄までしゃぶり尽くす畜生である。

 他にも俺は知っている。コイツらが二着で良しとする程プライドのない打ち手でない事も。

 

 

 

 ――さあ、やろうか。

 

 

 

一戦目

一位64900 俺+85 △85万

二位15600 じいさん+6 △6万

三位12000 おっさん-38 ▲38万

四位7500 男-53 ▲53万

 

 一戦目はあっさり俺がトップになった。

 九蓮宝燈という奇跡の塊をこの手で掴んで。

 そして、半月は遊んで暮らせるだろうという紙幣の束が渡される。

 和了れば死ぬ――九蓮宝燈にはそんな迷信があるが、俺は欠片も信じていなかった。

 そんなの運がないヤツが死ぬだけで、俺には関係ない。そう思っていたから。

 この調子で残りも勝つぞと意気込んだ。

 しかし、その後二戦は――。

 

 

 

 ――御無礼、ロンです。あなたのトビで終了ですね。

 

 

 

 相手を見下しきった憎たらしい笑みを口元に浮かべ、男は締め括った。

 自分の上家に座る、直撃を貰いトンだじいさんは、口をぱくぱくとして言葉を出せない様子である。

 俺はトビこそしなかったが、二戦連続でヤキトリであった。

 幸い他二人が沈んでくれたのと、20-30という珍しいウマのおかげでペナルティを払ってもプラス収支ではあった。

 しかし、俺にはこのまま引き下がることはできなかった。

 いくらなんでもわかる。一戦目は手を抜かれていたのだ。

 こんなお情けに預かるくらいなら、スッカラカンになった方がましだった。

 俺はあまりにも青臭く、真剣勝負という名の美酒に餓えていた。

 

 

 

 ――頼む! もう一戦だけ打ってくれ!

 

 

 

 あまりにも無鉄砲で、あまりにも愚かな願いをしてしまう。

 しかし、悪魔は願いを叶えてくれる存在であった。

 条件付きではあったが。

 

 

 

 ――レートを上げませんか?

 

 

 

 一も二もなく、その場に座る全員が悪魔の提示する条件を呑んだ。

 わざわざ強者と打ちに来る様なヤツは揃いも揃って負けず嫌いであり、敗走は許されざるものだと自身にルール付けをしていた。

 もちろん、そんな思惑も悪魔の想定通りだったのだろうが。

 アレは人の姿をした鬼――人鬼だったと思う。

 その後の展開は語るまでもない。

 

 

 

 ――御無礼、ツモりました。

 ――御無礼、ロンです。

 ――御無礼、御無礼、御無礼、御無礼。

 

 

 

 あの男が何回御無礼と言ったのか、それすらわからなくなる程に和了られ続けた。

 その間、俺は放銃も和了も、もしかすると副露さえしていなかったのかも知れない。

 何もさせてもらえないまま対局は終了した。

 しかし、何故か俺のバッグは僅かばかりだが金で重くなっていた。

 店長が言う、「あの男は、自分の邪魔をしなかった相手をお情けでプラス収支になるようにしているんだ。最も本人は何も言わないから推測だけどね」と。

 その言葉を聞いて俺はその場に崩れ落ちた。

 

 

 

 ――なんたる、無様。

 

 

 

 俺は負けたとはいえ、あの男と卓を囲めたことに誇りを持っていた。

 あんな強いやつに勝負の相手として選ばれたんだと。

 しかし、それは勘違いだった。

 あの男にとって都合の良い、利用するには丁度良い腕前の打ち手。

 それに該当するのが、たまたま俺だっただけだ。

 どれだけその場に座り込んでいたのかわからないが、俺が冷静な思考を取り戻した頃には雀荘から客の姿が消えていた。

 その後のことはもう朧気にしか覚えてない。

 外に出ると既に嵐は過ぎ去っており、空には朝日が昇っていた。

 寝ぐらというには上質なカプセルホテルに戻ることもなく、ただふらふらと街中を歩いていて――何かが頭に衝突した。

 体がアスファルトに叩き付けられ、視界は鮮血の赤に染まる。

 

 

 

 ――勝ちたかった……な。

 

 

 

 薄れ行く意識の中で、俺はあの男のことを思い浮かべた。

 母親でも父親でもなく、あの憎たらしい男のことを。

 

 

 

 ――願わくば、もう一度あんな魔物と戦いたい。

 

 

 

 信じてもいない神に祈った。

 まだ死ねない。

 まだ戦い足りない。

 まだ、まだ、まだ、まだ……。

 

 

 

 ――麻雀を打ちたい。


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