どれみとおんぷ ♪ 春夏秋冬   作:シャンティ・ナガル

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第七話 春慶

           

           ♪

 

 羊羮に舌鼓を打ち、囲炉裏に手を当てる。

 

 昼間とも夕方ともつかない気だるい時間帯。

 物憂げな時の長さも、退屈な午後の空気も均一に混ざり合い、平和で麗らかな時が過ぎていく。

 

 すると突然、陸さんが、ハッと何かに気づいたかのように大きく目を見開き「おりょ? ……しもうた~。じいじに羊羮出すの忘れとった~」と、おでこに手を当てて天井を仰いだ。

 

「あ~らら、おじいちゃん かわいそ~」

 

「ええ、ええ。じいじかて私のこと、ほっぽって仕事に夢中なんやから」

 

 どれみが両腕で体を抱きさも悲しげな仕草をして、ジロッとした眼差しを陸さんに送るけど、当人は どこ吹く風と受け流す。

 

 年甲斐もなく、と言ったら失礼だけれど、まるで童女のようなツンとした澄まし顔を見せる陸さんに、わたしは内心で苦笑しながら、どこか憎めない可愛らしさを感じていた。

 

「どれみ、悪ぃけど羊羮届けてくれんか? じいじは離れにおるから。おんぷさも挨拶がてら行ってきんさい。途中でどれみが羊羮(くす)ねんように見張っててよ」

 

「やっ……やだな、おばあちゃん。くすねるなんて~そんなことしないさ~♪」

 

 何のことやらと歌って乗り切ろうとするけど、祖母には孫の行動は全部お見通しらしい。

 

「よ、よっしゃ! そんじゃま おじいちゃんとこへレッツゴ~!」

 

「うわぁっ! ちょっと! 引っ張らないで!」

 

 蟀谷から流れる汗を勢いでごまかすように、どれみは わたしの手を取って部屋から飛び出した。

 

 

 

 どたどたと、慌ただしい子供二人を 微笑ましく見送る祖母の瞳には、暖かな光が、ゆっくりと溶けていた。

 

           ♪

 

 玄関を出て、庭をぐるりと回り込む。

 

 わたしは物欲しそうに羊羮を見るどれみに、睨みを利かせながら歩いていた。

 

 竹柵には蔦が絡まり、青葉が茂っている。

 時折、涼やかな風が穂先を揺らし、日溜まりが躍るように地面を照らす。

 

 何の変哲もないなだらかな中庭を抜け、家の裏に出ると、視界が開けた。

 

           ♪

 

 先ず目につくのが大きな別宅。

 山小屋のような造りで木の頑丈さや健全さを表現し、堂々とした構え。

 山を削って作った菜園が段々畑となって鎮座し、斜面を這うように整列していた。

 

 キャンバスに描かれ、額縁に表装されるべき雄大な景色。

 それが今、手の届く距離にあった。

 

 

 わたしは 一瞬、別世界に迷い込んだのかと錯覚して、目を見張った。

 

 庭と言うには余りにも広く、先の庭園を合わせると春風家の敷地はかなり広大なのが分かる。

 

 

 ――どれみちゃんって、意外にお嬢様?

 

 

 実は高貴な家柄だったりして。

 

 物憂げに佇む深窓の令嬢だとか、月を見て物思いに耽る姫君だとか、どれみには決して当てはまらないイメージだけど。

 

 ドラマだと、こういう能天気なキャラに限って家がお金持ちだったりするんだ。

 

 

「今の時期だとキュ~リを育ててるよ。もう少ししたらイチゴとスイカでしょ? トマトに~。秋とか冬になったらダイコン、ホ~レンソ~……って、おんぷちゃん。なにさ、その目は?」

 

 菜園を指差すどれみは、わたしの眼差しに何やら含みがあるのを感じ取り身を竦ませた。

 

「別に。人は見掛けによらないな~って」

 

「なんスか、それ?」

 

「ふふ、教えな~い」

 

「えぇ~! 気になるじゃん」

 

 訝るどれみを、さらりとあしらう。

 

 草原が細波を打ち、足元をくすぐる。

 まるで海の上を歩くような不思議な感覚に、ステップを踏んで淡い着地を心行くまで楽しんだ。

 

           ♪

 

 別宅の前に立つと、その建物を見上げた。

 

 長屋のように奥長で、装飾がない『木の家』。

 その無駄の無さには活々とした親しみやすさがあり、持ち主の強いこだわりを感じた。

 

「ここがおじいちゃんの工房。おじいちゃんって職人カタギでチョ~キビシ~から怒らせないようにね。あたしなんて いっつも、このたわけ!! って怒られちゃってさ~」

 

「ふふ、そう」

 

「ちょっとぉ、何がおかしいのさ? ホントなんだよ!? おたんけつ! とか、かぶちゃ! とか、はんちくたいやっちゃ! ってさ」

 

「もう、わざとやってるでしょ? ふふふ、分かったってば」

 

 どれみは『おじいちゃん』の真似なのか、顎を突き出し、声をしゃくれさせて、脅かすように言ってくるけれど、拙いモノマネのせいで吹き出して笑ってしまう。

 

 ネタを出し終えて満足した どれみは、工房の引き戸に手をかけた。

 

「おじいちゃ~ん、ようかん持ってきたよ~!!」

 

           ♪

 

 まず最初に感じたのは『木の匂い』だ。

 巨木に穴を開け中に入ったかのような、木の生命そのものの匂い。

 

 匂いだけでなく、目や耳で捉える感覚、周りにあるもの全てが『木』一色だった。

 

 壁や床の木目が太い血管のように脈動し、家鳴りがキシキシと音を立てて身震いする。

 器具や設備が整然と置かれ、用途は分からずとも それも木で出来ているのは分かった。

 部屋は薄暗いが不気味ではなく、敢えて光を遮り力を鎮めるような落ち着いた雰囲気が流れる。

 

 

 物を生産するため無駄を省いた機械的な部分と木の元素とした自然的な部分が融合した室内。

 

 

 その奥間で仏像のように黙し、尚且つ強烈に呼び掛けてくる気迫で粛々と作業する老翁がいた。

 

 背が低く痩せ細り、顔は皺で弛み手には斑点のようなシミが浮かぶ。

 小柄な体を更に縮こませ作業に没頭しているが、その瞳は冴え冴えと威厳に満ち溢れていた。

 

「おじいちゃ~ん、ようかんだってば~!」

 

「がなるな。仕事中や」

 

 老翁はどれみの呼び掛けを、ぴしゃりと斥け、こちらに見向きもせず作業を続行する。

 

 皿に注がれた液体を刷毛で丁寧に研いでいく。

 

 液体はぬらぬらと光り、捏ねるたびに半透明の鈍い色を放つ。

 決して綺麗な色ではないけど、何故かわたしは目を離すことができなかった。

 

 棒を取り出し、ライターで先端を炙る。

 次に器を手に取る。

 

 赤と言うよりは紅。熟れた林檎のような色だ。

 破裂しそうなほど実が詰まり、艶やかに底光りしていた。

 

 棒を、ぐっと器の底に押し込み接着する。

 棒を取っ手とし器の全体を把握すると、液体を浸した刷毛で線を入れていく。

 

 

 一本の線は、やがて面となり器を形作る。

 何もない空間から徐々に、器という影が生まれ実体が顕になるかのように存在感を発していた。

 

 その手付きは戦くほど繊細で、それでいて勇ましいほど大胆に、器を塗っていく。

 

 そのたびに器という『世界』が広がっていく。

 

 

 静かで穏やかであり、抗い挑む。

 

 矛盾を抱えながら、強く逞しい。

 

 

 何者にも屈さず動じない、その姿に、わたしは心を奪われていった。

 

 

「おんぷちゃん」

 

 どれみが、わたしの肩に手を置く。

 

 いつの間にか二歩、三歩と前に進んでいた。

 光へ向かう虫のように、誘われるまま足が勝手に動いてしまう。

 

 どれみの口調に険はないが、動くな、と有無を言わさない凄みがあった。

 

 汗がゆっくりと頬を伝う。

 

 

 やがて、老翁が刷毛を机に置く。

 一つ、長い息を吐き、緊張を解いた。

 

「もうええぞ。こっち来いや」

 

 老翁は後片付けをしながら、声をかけた。

 

 どれみは「行こっ!」と、わたしの背中を優しく叩いて、歩き出す。

 

 それを契機に、どっと疲れが押し寄せた。

 

 虚脱感が体にのしかかる。

 思ったより集中して見続けていたのだと、今になって気づいた。

 

 背筋を伸ばし気合いを入れ直すと、どれみの後に続いた。

 虚脱感をぬぐい去るかのように、足を強く踏み締める。

 

 

「おじいちゃん、しょ~かいするね。この前引っ越してきて~、あたしの友達のおんぷちゃん! 」

 

「初めまして。瀬川おんぷです……」

 

 さっきまでの気迫に満ちた作業を思い起こし、わたしは緊張しながらたどたどしく挨拶した。

 

「おう、どれみの祖父の春風雄介や。よろしゅうな。わざわざ、よう来てくれた」

 

 

 それが、春風どれみの祖父、春風雄介との初めての対面だった。

 

 

 雄介さんは、さっぱりと挨拶を返した。

 

 しゃがれた声に訛った方言は聞き慣れないけど、どことなく愛嬌がありすぐに耳に馴染んだ。

 手をつき頭を下げる所作は礼儀正しく優雅さを漂わせ、それでいて媚びず強い自信を覗かせた。

 

 

 ――この人が、どれみちゃんのお祖父さん。

 

 

 大きな人だ、と思った。

 体などではなく、人間として。

 

 奥底から沸き上がる生命力。強烈な自我を持ち、かと言って自然に逆らうことがない。

 苔生した大岩や大樹を想わせる。厳としながらも優しい。

 素直に敬意を表すことができる、『英雄』のような人だった。

 

 

 雄介さんは、深い洞察を湛えた瞳で、こちらを見る。

 

 自分を見透かされるようで、一瞬冷やりとするけど、その眼差しは慈しみを帯びていた。

 

『逃げる必要はない』と教えてくれる。

 

 わたしは強気も弱気も、そっと手放して、雄介さんに向かい合った。

 

「毎日毎日どれみの相手してくれてほんとありがとな。すぐにちょけよるからたいもないやろ? めんどくさなったらひっぱたいてもええぞ。どうせこれ以上馬鹿になることもないやろうから」

 

「いえ、そんな……わたしの方こそどれみちゃんにはいつもお世話になってますし……」

 

「そ~そ~。世話焼きマンだよね~、あたし♪」

 

「たわけ。気を遣ってそうとるんや。わりゃ、ためらうことないぞ。このどたわけは明るいのだけが取り柄やもんで悪口そうても明日になれば忘れよる。ドついて体で教えてやった方がええぞ」

 

「うが~!! さっきからなんなのさ!? ドつくだの、ひっぱたくだの! それが孫に向かって言うセリフ!? このだだくさおじじ!!」

 

「そうたな!! でっちびんた!」

 

「やるか~! このやろ~!!」

 

 いつの間にやら 稚拙な祖父と孫のケンカが始まっていた。

 雄介さんは先までの鬼気迫る姿から想像もできないような大人気ない姿で孫とじゃれ合う。

 

 わたしは置いて行かれたかのように、きょとんとしてしまう。

 

 ふと、戸棚に器が飾られてるのが目についた。

 

 平べったい、子供の手には大きな器だ。

 秋の紅葉を彷彿とさせる豊潤な色合い。

 

 顔を映し出すほどに照り返して、まるで鏡のように見る者を誘う。

 

「触ってもええぞ」

 

 雄介さんは暴れるどれみを手で払いのけながら言った。

 

 恐る恐るといった手付きで、器に触れる。

 思っていたよりも、軽い。

 

 

 

 けれど、器を手に持った瞬間、衝撃が走った。

 

 体や意識が一点に凝縮されるような感覚。

 

 窮屈さや、息苦しさではない。

 

 パズルが高速で組上がるかのように、自分が『単純化』されていく。

 

 思考が一本の線に束ねられ、一つの解を得る。

 

 

 

 ――美しい。

 

 

 

「春慶塗ぞ」

 

 雄介さんが、言った。

 

「おじいちゃんは伝統工芸師なのさ! 弁慶塗の密航!! すっごいお金持ちで~、その器一枚でナンジュ~マンもするんだよ! お皿なんてヒャッキンで買えばいいのに。ぼったくりだよね~」

 

「くぉらぁ!! このクソガキがぁ!! 職人さ向かってなんつう罰当たりな!! そりと弁慶塗の密航やのうて春慶塗の漆工や! たわけが!!」

 

 余りの態度の悪さに激怒する雄介さん。

 「うひゃ~」と頭を押さえて逃げるどれみ。

 

 

 喧騒を他所に、わたしは、器を見つめ続けた。

 

「春慶……」

 

 噛み締めるかのように言葉にする。

 心の中で、反芻する。

 

 

 木目は断層のように連なり、今にも動き出しそうなほど生々しい。

 光沢は霊気と言ってよいほどの蠱惑的な輝きを放つ。

 

 

 

 本能に直結するような、原始的な美しさ。

 

 時間や空間を絶して、『普遍性』を実践する存在(モノ)

 

 おんぷは、器を見つめ続ける。

 

 いつまでも。いつまでも。

 

           ♪ 


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