どれみとおんぷ ♪ 春夏秋冬   作:シャンティ・ナガル

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第六話 訪問

 

           ♪

 

「ウチ来る?」

 

 どれみが机に手をつき覗き込むかのように顔を合わせて、そう問いかけてきた。

 

 放課後、ランドセルに教科書を詰めている最中、唐突な言葉だった。

 

「おばあちゃんが 水ようかん作ったから食べにおいでって。おじいちゃんも一度会ってみたいって言ってたし、どうかな?」

 

 あっけらかんと言う どれみ。

 

 急な誘いに困惑しつつ、わたしはその言葉をゆっくりと噛み締める。

 

 喜びに体を打ち震わせていた。

 

『来た』と心の声で呟き拳を握りしめる。

 手に汗握るとは、正にこの事だった。

 

 体を乗っ取られるかのような熱い感情が、わたしを駆り立てていた。

 

 

 

 いつもならそのまま教室に残って お喋りをしたり、校庭や川原で遊んだりはしても、互いの家に行くことはなかった。

 

 一緒にいるのは楽しい。

 今のままでも、不満はない。

 

 けれど、わたしはどれみとの関係を一歩踏み出すものにしたいと考えていた。

 

 付かず離れず、遠くにも近くにも見え、まるで逃げては近寄る猫のように、どれみとの距離感はその都度変化する。

 

 どれみに悪気はないし、『友達』という関係に疑いはないけど、その結び付きに焦燥にも似たもどかしさを覚え始めていた。

 

 この村に来てから――

 

 どれみのハーモニカの演奏に感激したり、

 どれみのドジに巻き込まれ本気で怒ったり、

 どれみの冗談に腹を抱えて笑ったり、

 どれみのことを嬉々として母に話したり――

 

 

 考えることは、どれみのことばかりだった。

 

 絶望の闇の中、蛍のような光が宙を舞う。

 

 それは『希望』だった。

 

 例え見えずとも感じられた、小さな光。

 

 

 コンパスが迷わず北を指すように、わたしを導いてくれた。

 

 怒ったり、ふてくされたり。

 でも、最後には笑顔で。

 

 もし、どれみに出会わなければ――

 

 母との繋がりは修繕せず、親子の絆は取り戻せなかったかもしれない。

 何より自分自身が、あのまま暗く沈んでいたら どうなっていたか。

 

 救われた気がする。

 それは大げさなことではなく、本心として。

 

 感謝の念を抱いた後、わたしの心は種火から大火が広がるように熱意が支配していく。

 

 

 最初はただ、『知りたい』と思った。

 そして、『知ってもらいたい』とも。

 

 『どれみ』のことを知って、『わたし』のことを知ってもらいたい。

 

 どれみの『左手』のことも、わたしの『過去』のことも。

 

 

 やがて、それは互いに体を傾けあって支え合いたいという願望に。

 

 次第に『心』を預け合い、共有し合い、持ち合い、分け合いたいという情熱に変わる 。

 

 

 それこそ光を分け与えてくれたどれみに対する恩返しになると、わたしは思い込み始めていた。

 

 

 

 気炎をたぎらせながら、目は狩人のように冷血に細められる。

 友達の家に遊びに行く、という よくある話ですら、わたしは敏感に反応していた。

 

 考えを思い巡らす必要もない。

 自分の中にある様々な可能性を閉ざしていく。

 答えは一つだけ。

 

「行くわ」

 

 返事は速く、そして何よりも重かった。

 

「うんうん♪ おばあちゃんの水ようかんはチョ~おいしいから楽しみにしてて。そうだ! おじいちゃんの工房にも案内するね! おじいちゃんの仕事って楽しそうなんだよ? 色ぬりみたいでさ~」

 

 

 

 そんな情熱を知ってか知らずか、どれみは今日も今日とて能天気に はしゃぐのだった。

 

           ♪

 

 蕗山の登山道は国道のように、しっかり整備された綺麗な道だった。

 崖からは村が一望でき、雄大な山々を遠くまで見渡せる。

 頭上には木々が陰り、梢から銀貨をばらまくかのように日射しが見え隠れしていた。

 

 もう四月も終わりに近いけれど、日影の中は肌寒い。

 わたしは早々に薄着で来たことを後悔した。

 

 そんな中、腕を大きく広げながら走り回っているどれみ。

 くるりと一回転し、まるで踊るかのように山を登っていく。

 

 チロチロと差し込む日射しがどれみに当たるたびに、小麦色の肌は際立ちを見せて、赤みがかった髪は輝きを帯びる。

 

 

 企みも、迷いも、誇りもなく。

 

 素直に、質素に、純粋だった。

 

 美醜を越えた光景。

 

 それはまるで――

 

 

 思わず、見とれてしまう。

 

「おりゃ」

 

 声が後ろから聞こえた。

 その瞬間、体の均衡が崩れ、わたしは尻餅をついていた。

 

「あははっ、なにボ~ッとしてんのさ? 置いてくよ~」

 

 見とれてる隙を突かれ、どれみに膝カックンを食らったと分かるまで数秒。

 

 頭に、カッと血が上る。

 即座に、どれみの背中を追って走り出した。

 

「コラ! どれみちゃん! 待ちなさい!」

 

 

 

 山を登る坂道には少女達の怒声と笑い声が絡まり、遠く響いていた。

 

           ♪

 

 ふざけあっていたせいで息が上がり汗が滲む。

 肌寒さは、いつの間にか消えていた。

 

 早い段階で地面に手をつくほどバテてしまったどれみを押して歩くこと数十分。

 分かれ道が見えてきた。

 

 生け垣が並び人々を招き入れるような佇まい。

 

 「こっちこっち」と、さっきまで息も絶え絶えだった どれみが指を差して先を進む。

 

 

 そこは庭園の中を通る小路だった。

 清く澄んだ小川が流れ、丸太と木板で組まれた橋がかかっている。

 飛石が左右に振り分けられ、どれみがけんけんぱでもするかのように跳び跳びで歩いていく。

 

 日本庭園のような荘厳さはない、手作り感が漂う慎ましい園路。

 

 わたしは、どれみのイメージとそぐわない雰囲気に驚いていた。

 けれど、益々どれみに対する興味が湧いてきて心が追いつかないほどの好奇心が、体を前へ前へとせっついていた。

 

 

 

 園路を進むと竹柵で囲まれた家が見えてきた。

 

 一階建ての日本家屋。

 質素だった庭園とは違い、こちらは武家屋敷といった厳つい外観。

 

 どれみは玄関の引き戸を力強く開け、靴を放り投げるように脱ぎ捨てて「おばあちゃん、ただいま~!」と奥の方へ行ってしまう。

 

 わたしは、やれやれとどれみが散らかした靴を揃え 勝手に入って良いものか逡巡、やがて「お邪魔します……」と小さい声で呟き、中へ入っていった。

 

 板張りの廊下は歩くたびに、ミシミシと音を立てる。

 部屋は開け放たれて、広々と畳が敷かれているのが垣間見えた。

 

「お~い、おんぷちゃ~ん! こっちおいで~!」

 

 すぐ近くから、呼び声が聞こえた。

 目の前の部屋を覗くと、八畳ほどの広さで中心に囲炉裏があり、どれみは囲炉裏の横で肩肘をついて寝そべっていた。

 

「かぁ~! やっぱ疲れた時の麦茶は最高ッス!!」

 

 グラスに注がれた麦茶を飲み干し、「ど~ぞど~ぞ、くつろいでて。もうすぐ おばあちゃん来るから」と、わたしを手招きする。

 

 どれみの だらけた態度に辟易しつつ、囲炉裏の側へ座った。

 

 囲炉裏は薪が積まれており、パチパチと小さく火が爆ぜる音がしている。

 天井高く吊るされた自在鉤。横木である鯉の飾りがなんとも可愛らしい。

 

 初めて見る囲炉裏に興味津々で顔を動かし、色々な角度から観察する。

 

 その様子を横目で見ていたどれみは「ニシシッ」と笑った。

 

「ねぇねぇ、そのコイはね。口に手を近づけると指が食べられちゃうんだよ~」

 

「あら? それは大変ね」

 

「活け造りにされたコイのオンネンが宿っててね。夜な夜なビチビチとハネるんだぁ。それで指を近づけると、こう……ガブゥッて!!」

 

「ふふふ、怖い怖い」

 

「そんであたしも食べられかけたんだけど、こう、逆に腕をツッコんでやってさ」

 

 どれみは だんだんと調子に乗り、身振り手振りで解説をつけながら見えない敵と戦い始めた。

 わたしは相槌を打ちながら、時に囃し立てて、どれみの大立回りを微笑ましく見つめる。

 

 

 和気藹々と話している内に襖が開き、もんぺ姿の老婆がお盆を持って中へ入ってきた。

 

 髪は根元まで真っ白で腰も曲がっているけれど、その顔に悲壮感はなく満面の恵比寿顔。

 怒りや悲しみを何処かに置き忘れたかのように愛嬌が溢れ出ていた。

 

「まぁまぁ、おんぷちゃん久しぶりやな~。ゆっくりしていきや」

 

 老婆はお盆を床に置くとわたしの頭を撫でる。

 節くれだった細い指が髪を優しく梳いて、皺だらけの掌がしっとりと温かい。

 わたしは、この感触が好きだった。

 

「ご無沙汰してます。どれみちゃんのお祖母さん」

 

 どれみの祖母、春風陸とは始業式以来だった。

 

 

 学校の講堂で行われた始業式。

 

 陸さんはどれみの保護者として参列していた。

 優雅な着物姿が印象的で、その時に挨拶した以来の再会であった。

 

 

 陸さんは、屈託のない笑顔をこちらに向ける。

 

「ほんによう来た。羊羮作ったでな。食べんさい」

 

「よっ! 待ってました~!」

 

 どれみはお盆を引き寄せ、羊羮を手渡した。

 

 竹を割って作った器に羊羮が詰められている。

 器は手触りが良く、羊羮は瑞々しい光沢を放ち、そのまま置物にしたいほどの風情があった。

 

「いただきま~す!……うほぉぉ、うんんんま~い! おばあちゃんのようかんサイコ~!」

 

「ふふ、どれみは大袈裟やな」

 

 どれみは一口食べただけで天へと舞い上がる。

 陸さんは、にこやかにそれを眺めていた。

 

 わたしも「いただきます」と羊羮を頬張る。

 

 歯を跳ね返す弾力に、ほどよい餡の甘さが口の中に広がる。

 あっさりとした味わいが癖になり、いくらでも食べられそうだった。

 

「美味しい!」

 

 堪らず、声を上げてしまう。

 

「ふふ、まだあるからな。たんとお食べ」

 

「そ~そ~、バケツ一杯分くらいは食べたいよね」

 

「あんたは いっつも食べ過ぎやで、どれみ」

 

 陸にやんわりと窘められ、どれみは舌をぺろっと出して戯ける。

 

 目の前で祖母と孫の掛け合いを見せられて、わたしは口元を押さえて笑った。

 

 

 

 綻びや、濁りすら優しく包まれる団欒の中で、時は ゆったりと流れていく。

 

           ♪


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