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「も~う、びっくりしちゃったじゃん。なんですぐ声かけてくれないのさ~? そんなユーレイみたいに目の前に立ってたら誰だってびっくりするでしょ!! あ、でもでも!ユーレイはユーレイでもステーキのユーレイなら大カンゲ~!! フワフワした霜降りが口の中で溶けて……もう、たぁまりませぇ~ん~。ユーレイだったらお腹いっぱいにならないからたくさん食べられるよね!? でも、脂身はいいとして赤身の部分はユーレイになったらどうなるんだろ?霜降りもおいし~けど、あたしは赤身肉も好きかな! 食べた瞬間あふれ出る肉汁! 焼き加減はミディアムレア! 味つけは塩コショウにバター! ザ・ステーキ! これぞお肉! って感じじゃない!? いくらユーレイだからってそ~いうとこも表現してもらわないと。デミグラスソースも捨てがたいし……そもそも部位はどこ? サーロイン? リブロース? 肩肉? 焼き方は鉄板なの? それとも石焼き? バーナーで炙って…… あっ! そういえば名前まだ言ってなかったね。
チッ~ス! 春風どれみです! ヨロシク!」
強引にわたしの手を掴んで、がっしりと握手する春風どれみという少女。
あの後、わたしをお化けと勘違いし怯えるどれみを宥めること数分。
やっと落ち着きを取り戻したと思ったら、今度は津波のように押し寄せ、距離を詰めてきた。
「で、あなたの名前は?」
すっと顔を近づけてくるどれみ。
光を溜めた瞳が、わたしを捉えた。
一瞬、その眼差しに吸い込まれそうになるけど、気を取り直し自分の名前を言った。
「……瀬川おんぷ、です」
「おんぷちゃんか~。あたしの『どれみ』と一緒で音楽の名前だね! おそろいじゃん!!」
「お……お揃い?」
「じゃあ、何年生?」
「3年……もうすぐ4年生」
「年もいっしょじゃん!! ダブルスコア!」
「……ダブルスコアって そんな意味だっけ?」
どれみの暴投に必死に食らいついているような会話のキャッチボール。
わたしは内心で、その会話を楽しんでいた。
どれみの声はまさに春風といった陽気さに溢れていた。
それは逆に相手が照れてしまいそうなほどの明るさを含み、萎びた花に潤いが与えられたかのように、わたしの頬は自然と緩んでいく。
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「ふふっ、それにしても演奏を頼りにここまで来てくれるなんて……なんだかうれしい! ハーモニカはまだ赤とんぼとキラキラ星しか吹けないんだけどね~。ヘタっぴだし」
「下手だなんて……すっごく感動した。まるで心が、その……とにかくすごくて。わたしもフルート吹くから、だから、あの……」
どれみの演奏は所々で音の流れが悪かったり曲を間違え吹き直していた部分があったけど、それも味と言えるほどの技術や表現力があった。
何より、その『ズレ』も含め、わたしはその演奏を――美しいと感じた。
絵画や彫像や宝石や風景、美しさを例えて表現する言葉は数あれど、この美しさはどれにも当てはまらない。
本能を揺さぶるような美しさ。
琴線に触れるとはよく言うが正にそれを体現した演奏だった。
最大の賛辞を言葉で表したい、と思いつつも心の中は纏まらず、口はモゴモゴと芋虫のように動くばかりで声も出ず、声が出ない恥ずかしさで顔も俯いていく。
昔は、こうではなかった。
それも、そう遠くない昔。
自信と強胆さを持ち合わせ、恐れなど知らず、思ったことを口にした。
今の情けない自分を、昔の自分が見たら、きっと嘲笑う。
けれど、どれみは全てを察したかのように優しく微笑みかけた。
「イヤ~、そんな言葉を選んじゃうくらい、あたしの演奏がスゴかったってこと? こんなカワイコちゃんにホメてもらえるなんて照れちゃうな~」
ぽんぽんと労るように、わたしの肩を叩いてくれる。
恐る恐る顔を上げると、どれみの視線が甘く絡みついた。
近い、と感じた。
体と体の距離ではなく、心と心の距離が。
両親以外でそう感じたのは初めてだった。
まるで母親に抱かれる赤子のような心地よさで身を委ねたくなる。
「ところでさ……」
しかし、どれみはさりげなく体を離す。
「あっ」と遠退く暖かさを追うように、わたしは前につんのめりそうになり照れ隠しのつもりで無用に服のシワを伸ばし居住まいを正した。
「な~んでこんなド田舎にいるの? 観光……なわけないよね。見るもんないしさ~、ここ。」
「……引っ越してきたの。新学期から、ここの小学校」
「え!? それって桐野小? あたしもだよ! でも、あそこって……」
「……?」
急に言葉が止まる。
どれみは顎に手を当てて考える素振りを見せるも即座に何やら含みがある笑みを浮かべ、ニヤリとこちらを見やった。
「ん~ん♪ なんでもな~いよ。始業式までのお楽しみってことで! きっとビックリすると思うよ? それじゃ! 今日のところはこのへんで! 新学期に会おうね! バイバ~イ」
そう早口で捲し立てると、急に背中を向けて帰ろうとする。
「えっ!? ちょっとっ!」
唐突な別れに その手を反射的に掴んでしまう。
すると、どれみはまるで行動を読んでいたかのような素早さで振り返った。
「ふふっ……」
さっきまでの太陽のような明朗な笑みではない、深海のような妖麗な笑みを浮かべ――
炎を湛えた大きな瞳を、猫のように細め――
ドングリのような小柄な鼻から、息遣いの微かな音が聞こえ――
そして、瑞々しく光る、桃色の唇を――
――わたしの頬に、そっと重ねた。
「なっ…!?!?」
何をされたのか理解した瞬間、顔はダイナマイトを丸飲みしたかのようにかっと熱くなり思考回路は焼き切れた。
口は金魚のように開閉を繰り返すのみで、体はふらふらとへたりこみそうになる。
どれみは楽し気にこちらを見つめ、わたしの耳元に口を近づけて囁いた。
「再会の、お・ま・じ・な・い♪」
それを言い終わると今度こそ用件は済んだとばかりに、ゆったりと歩き出す。
どれみが去った後も、わたしはしばらく動けなかった。
虫歯を患ったかのように、口付けを受けた頬に手を当てる。
頬から甘い痺れが全身に伝わる。
体は冷めることを知らないかのように赤く燃え続けていた。
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