◇
「そんでな、お母ちゃん。今日はベンドもタンギングも上手く決まってな。デラ先生もよう誉めてくれたわ。どれみちゃんのピアノには及ばんけど、うちのハーモニカも捨てたもんやないやろ?」
「なに言ってんの。愛子はもう十分力をつけてるわよ。ピアノとはやってることが違うんだから捨てたもんじゃないなんて謙遜しないの。発表会でも凄い評判だったし私も嬉しくってさ。愛子は将来きっと良い奏者になるわ」
焼き上がった魚をお母さんが皿に移して用済みになったフライパンをさっと洗う。
うちはことこと暖めた味噌汁をお玉で軽くかき混ぜる。
キッチンで手を動かしながら交わす会話はいつもテンポが良い。
お互いに楽器を嗜んでるからかその動きはスムーズだ。正にセッションのように息がぴったり合う。
口の端に上る言葉も自然と音楽の話題が多い。うちが塾であれをやったこれをやったと話をするのが今や日課のようになっていた。
その話にお母さんはいつも楽しそうに耳を傾けていた。
「え~、うちは別にプロになろうとか考えてへんしな~。それにベンドなんて簡単やん。あれ出来んとハーモニカってなんも吹けんし、出来て当たり前やろ?」
「出来る人はそう言うのよね~。私なんて上手く吹こうとしても舌つりそうになるんだから。感心するわ……やっぱ才能ってやつよ。簡単なんて言って愛子ったら、どれみちゃんのビッグマウスが移ったんじゃないの~? 才能のある人は言うことが違いますわ。いや~、私も肖りたいものです」
「あ、アホぬかせ‼ なに言うとるんや! あんな能天気の減らず口と一緒にせんといて‼ 心外や! ホンマに簡単なんやて! 出来んお母さんが口いわしとるだけちゃうんかい⁉」
「おぉ? 喧嘩売ってんのか~⁉ タイマン上等! 表に出なさい‼」
「なんや急に‼ 血の気多くない⁉ 妊婦が言うセリフかそれ‼」
「昼間歩けないようにしてやる……」
「実の娘に向かって⁉」
「義理でしょ?」
「ひどっ! 一番傷付くやつや‼」
いつの間にやら軽い口論になっていた。うちは当たりが強い方だと自覚していたけど、お母さんもつくづく明け透けに物を言う女性だ。
最初こそ凄く困惑したけど姐さん気質というかどこか憎めない性格で、張り合っていく内にシンパシーに近い好感を得るようになっていた。
「はははっ、うそうそ。嘘だから~」とお母さんが笑いながら抱きついてくる。うちはちょっとむくれてそっぽを向く。
無論、本気で怒ってはいない。多少はキツい冗談が言えるくらい、うちらの関係は気安い。家族として受け入れると決めた人なんだから当たり前なんだけど。
お見合いの席で言っていたようにお母さんは思ったことをズバズバと言うタイプで、それ以上に愛情を持ってうちに接してくれた。
最初から気が合いそうだなとは思っていた。そして、その直感はズバリ当たっていた。
今も頬を寄せて細いけど逞しい腕でうちを抱き寄せてくれる、『母』の温もりがあった。
お母さんが初めて家に来た時のことを思い出す。記憶の中のお母さんはお母ちゃんの仏壇に手を合わせていた。
長い時間をかけて、合掌を終えた後も席を立つこともなく、お母ちゃんの写真と向き合っていた。
何か言葉でも交わすように、うちはその後ろ姿を見て何となくお母さん――当時は緑里さんと呼んでいた――その人となりが覗けたような気がした。
――ええ人や、本当に。
華やかで、情け深くて、明るく朗らかで、細々とした家事や手の込んだ料理を作るのが好きで……良い所を挙げればキリがない。
お父ちゃんは良い人と再婚したものだ。何故、こんな人がお父ちゃんの元へ嫁に来たのか甚だ疑問だけど……これが恋愛の妙と言うやつなんだろうか?
「ただいま~」
そうこうしている内に、張本人であるお父ちゃんが帰ってきた。うちはお母さんと同時に「お帰り」と返した。
お父ちゃんは靴を脱ぎネクタイを緩めながら、
「なんや表まで声が聞こえとったで。また喧嘩か、このじゃじゃ馬娘共が。喧しいことこの上ないのぅ」
「……愛子、玄関のチェーン締めた?」
「あぁ、忘れとったわ。ついでにこのけたくそ悪い不燃物も外に運んどこか~」
「わわっ! 冗談やて~‼ 締め出さんといて~‼」
お母さんの目配せに頷いたうちがグイグイと玄関の方へ押すと、お父ちゃんは手を合わせて情けない声を上げた。
帰ってきて早々憎まれ口とは、このオヤジ……親子なのが恥ずかしくなる。次にお父ちゃんは拝むように手を合わせて、
「よっ! そこのおネーさん方! べっぴんさんが二人してお出迎えかぁ~。愛する家族に囲まれて俺はホンマ果報もんやなぁ」
「あらまあ、お姉さんなんて……そうね、それじゃここで一つ。その愛する家族のために渾身のギャグをお願いします!」
「えっ⁉ なんや急に⁉」
お母さんの無茶ぶりに狼狽えるお父ちゃん。かなりの悪乗りだけど、うちはニヤリと笑って便乗する。
「そうや、お父ちゃん! ここで一発かましたってな‼ 関西人の意地見せたって!」
「そうそう意地イジー!」
お母さんが手を上げて囃し立てる。お父ちゃんはひぇ~と頭を抱えた。
「さっきの腹いせか! なんでそんなにノリノリやねん。帰ってきて早々見せなあかん意地なんてあらへんのやけど……まぁ、やったるがな」
「ええから早よやりーや」
「勿体ぶらなくていいわよ?」
「お前ら……こっちにも間というもんがやな……んんっ! え~と、今日仕事をしていたらマラソン大会に出会してん。ランナーの走ってる姿はたまらんなー……と」
「……はい、拍手~」
「愛子、お前は黙っとれ」
「ランナーが、たまらんなーって‼ プフフ、ダメ、笑っちゃう……‼」
「ええ……お母さん、今の会話のどこに笑うとこがあんねんな?」
「かっかっかっ! 分かる奴には分かるん柳多ギータの座右の銘はぷろていん」
「畳み掛けんなや‼」
うちは呆れてたけど、お母さんは膝を叩いて大笑い。
調子に乗ったお父ちゃんは高笑いだ。相手が相手だけにあまり調子に乗らないで欲しいんだけど……。
思えば初めて出会ったお見合いの席でもお父ちゃんの吐いたギャグに1人ゲラゲラと笑っていたお母さん。
SOSトリオの隠れファンである葉槻ちゃんといい、何故お嬢様はこうも寒いギャグに弱いのか。笑いの沸点が低い分、それだけ心が広いのかも。両者を見比べると何だかそう感じるのだった。
まぁ、何にせよ娘としては再婚した父親への気遣いや新しい母親の立場を考えていただけに夫婦仲がよろしいのは結構なことだ。
「あ~、笑った笑った。あ~、くだらない‼ ホントにくだらないんだから! なんでこんなつまんないギャグで笑っちゃうのかしら? はいはい、ご飯にしましょ。お腹空いちゃった」
「くっ! そんなはっきり言わんでもええがな……まったく、気が変わるのが早いやっちゃ」
さっきから笑っていたお母さんは急激に冷めて、さっさと居間に料理を運んでしまう。
唐突な掌返しを食らったお父ちゃんはトホホとそれに続く。うちも晩御飯の支度を手伝った。
お父ちゃんとお母さんは去年のクリスマスに入籍した。お見合いから1年近くを経て、イヴの日にプロポーズした……。
身内のことながら何だかとても気恥ずかしい。聖夜に婚約ってあまりにもキザすぎるし、何なら自分もその場にいたし……。
前からちょくちょくと一緒に出掛けたり、家に遊びに来たりと交流を続けてきた。結婚までに時間がかかったのは連れ子であるうちのことを心配してくれてたからなんだと思う。
お父ちゃんとお母さんとうちと……そして、お母ちゃん。皆で新しい家族を作る。そのベストポジションを真剣に探していた。
決して二人はうちやお母ちゃんのことを蔑ろにはしなかったし、その気持ちが伝わっていたからこそ、うちは応援しようと決めたんだ。
お父ちゃんもうちの中に手応えを感じたんだろう。いざ、イヴに3人で食事に出掛け……出掛けたのは良いもののヘタレなお父ちゃんは合間合間で告白のチャンスを逃しっぱなし。お母さんも待ってたはずなのに、あれよあれよと時だけが過ぎていった。
そして帰りの車中、うちはこのまま帰るわけにはいかない‼ と意を決して「止めて!」と車を飛び出した。
その時は無我夢中で特にプランとかはなかったんだけど、後から追いかけてきたお父ちゃんはうちの必死さにやっ~と踏ん切りがついたのか、お母さんにプロポーズすることが出来たんだ。
答えはもちろんイエス。「もっとハッキリ言ってよね」とお母さんは愚痴を溢してたけど、その瞳は涙で潤んでいた。
すると、空から雪が舞い始める。プロポーズを祝福してくれるかのようにムードも満点。うちのファインプレーのお陰だし、お母ちゃんも喜んでくれてるんだと思う。
これが映画なら、空を見上げるうちら家族をカメラが引きながら映して、見えなくなるまで引いて、雪が舞い散る美空町をぐるりと見せてエンディング。
こうして、うちら家族は最高で完璧な、新しいスタートを切ることになりましたとさ。
そこからは親戚に挨拶回り。祖父とは連絡が取れなかったけど、沢山の人が喜んでくれた。
同居はいつからするかという話に、うちは「今!」と答えた。おっさんおばさんが何をモジモジしてんねんと、1日でも早く一緒に暮らしたらええやないかと、うちが押し切った。
お陰で冬休みは怒濤の忙しさで丸潰れになってしまったけど、初詣に3人並んで出掛けることができた。
もう寂しい思いをしなくて済むんだ。ずっとうちが夢見てたこと。それがやっと叶った。嬉しくて嬉しくて……春風家と藤原家に遭遇して矢鱈冷やかされ恥ずかしい思いもした。でも、皆のおめでとうの言葉で胸が一杯になった。
幸せだった。家族が一緒にいる。幸せって、そんな単純なことに宿っているんだと思った。
うちも幸せで、お父ちゃんもお母さんも幸せで、その姿を見ていたどれみちゃんも笑顔で、これ以上幸せなことなどないと、そう信じていた。
まるでおとぎ話みたいだ。――皆、幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし――って。
白雪姫やシンデレラみたいに。……本当にそうならどれだけ良かったか……。
いつの間にか、キッチンに1人取り残されていた。
リビングからは和気藹々とした声が聞こえてくる。
もう半年になる。うちら家族がちょっとずつちょっとずつ築き上げてきた我が家のリズム。
うちも早くそれに混ざらないといけない。さぁ、早く……足を動かそうとするとどうしても何かが引っ掛かった。
何かが喉元まで出てこようとしているのに、どうしてもそれが越さない。
何を言おうというわけでもないのに飲み込むこともできない。胸が潰れそうになる。さぁ、早く……痛い。苦しい……気持ち悪い……‼
「――愛子? どうしたの? ご飯食べるよ」
ハッと気付くと、キョトンとした『母』の姿があった。
その顔を見て急に冷徹になる自分がいる。底抜けに明るくて、ハキハキと活発で、のんびりとしたゆとりを持つ母親。能天気な母。
何故だろう? 娘がこんなに苦しんでいるのに。
あるいは――何故、気付かないのか。
――それは、他人だからかもしれない。
「――ああ、うん。行く行く。なんや腹減ったなー!」
「よしよし、席に座った座った! 腹が裂けるまで食べよ~‼」
「それ、お母さんの場合やと大惨事やから縁起でもないこと言わんといて……」
「堅いこと言うなよな~。あ~、妊婦マジ辛いわ~。ビール1口も飲んじゃいけないんだから!」
「なにを天井に向かって叫んどんねんな⁉」
わいわいとはしゃいで、たった数歩の距離なのに手を繋いで歩いた。
お母さんが手を引いてくれる。うちの動かなかった足を導いて招いてくれる。
歓声が上がるTVのナイター中継。テーブルの上にはホカホカご飯。
それを囲む父と母とうち。『暖かな家庭』。
いつからだろう? ――その光景が、嫌に眩しくなったのは。
知らず知らずの内に、お父ちゃんとお母さんの顔を窺うようになったのは。
光の眩しさに反して、うちの眼差しに陰りが差す。
『母』の妊娠が分かったのが、丁度2ヶ月前の話。
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◎
【挿絵表示】
更新が遅れたお詫びに絵を描いてみました。ドッカ~ン48話のラストダンスの衣装を交換。
愛子のガタイがデカい……「春夏秋冬」という作品の中で愛子はボーイッシュなキャラ、身長が高めと書いたんですが文章だけではイメージし辛いかなと思い、参考になればと描いてみました。
作中のどれみとの身長差も大体これくらい。もしかしたら多少誤差が出るかもしれませんw 小学三年生の平均身長が130ちょい……そう言われると丁度良く見える⁉w
次回は出来るだけお待たせしないようにします。もし遅れたらまた絵を描きます‼w
では、また。