◇
「いや~、廊下は涼しくて快適だったな~。あれれ、お二人さん? どうしてそんなに汗を? 蒸し暑い教室で授業ご苦労様で~す」
「……あんた、ちょっとは頭冷やしぃ」
「ふふふ、どれみちゃんたら」
「コラ、葉槻ちゃん。笑うとこちゃうよ。うちら煽られてんねん」
日も傾きけた放課後。うちとどれみちゃんと葉槻ちゃん、3人で下校していた。
朝だって一緒に登校するし、うちらは本当に何時でも一緒の大親友なんだ。
一時間立ちっぱなしだったどれみちゃんはうんと手足を伸ばしながら開口一番、いけしゃあしゃあと減らず口を叩く。反省の色もない。
それをうちがツッコみ、葉槻ちゃんがクスクスと笑い、何時も通りの光景だった。
春になって桜が咲き、夏に太陽が照り、秋に紅葉が落ち、冬に雪が降る。
街がいくら色彩を変えても、うちらの周りにある空気は何時も同じ。
何時も何時も何時も。互いの存在を心で確認し合うような時間。
顔を見合わせればどこからともなく笑いが込み上げてくるような。
くすぐったい、甘い感覚。理由は分からない。分からないままでも構わないモノ。
心地好い時の中で、うちらは寄り添う。いつか答えが満ちてくる優しさを抱き締めるように。
「ふひひっ……あ~はっはっはっ!!」
「うわあ! どれみちゃん!? なんや急に!? 気持ワルっ! 頭イカれたんか?」
「あ、ごめん。なんか暑すぎてさ。いや~、日本の夏って感じ……聞け! 地球人よ! ワレワレはイマナガ星人!! 夏にアイスティをインプット! ガムシロのアウトプットを要求する!!」
「おいおい、なんか始まったで……」
感慨に浸っていたら、いきなりどれみちゃんが叫びだす。
手足を絡ませた変なポーズをビシッと決めて。暑さでもうダメみたいだった。そんなモコッとした頭をしていたらそりゃ熱が籠るだろうに。
とは言え、どれみちゃんは常にこんな調子。
笑いながらその時の気分で動く。良くも悪くも本当に元気一杯で。
春や夏、台風とか。好き勝手に全力で回る。どれみちゃんという、もう一つの季節なんだ。
助けられた時も沢山あれば、めんどくさい時もある。今は後者……さて、どうしたもんかと考えていたら、横から急に声が飛び込んできた。
深緑のようなゆとりを持つ、伸びのある声。
「私、ガムシロって開けるの苦手。あれって手に付くと凄くベタベタするのよね~」
「葉槻ちゃんも!? 今そんな話関係ないやろ!?」
汗一つかかずに真顔。丸眼鏡をキラリと光らせる葉槻ちゃん。
炎天下の中でも頭に付けたお気に入りのリボンは機嫌良さそうにピコピコと跳ねていた。
いつもはふざけるどれみちゃんを嗜めるストッパー役、しっかり者の葉槻ちゃんだけど、たま~に悪ふざけに相乗りしてしまうような、周りが仰天してしまう言動を取る。
要は天然なんやな、この子。
くっきりとした目鼻立ちに橙色の髪が艶々と輝き、滑らかな白い肌という清楚系美少女。
これで日本有数の名家の出、親は大富豪で純粋無垢の御令嬢と来る。
美貌に家柄。世の中不公平だ……。
嫉妬も浮かばないくらい、誰もが羨むような、全てを「持ってる」女の子。
それでも別に自分が金持ちだからって嫌味たらしくもないし、逆に育ちの良さを感じるというか、めちゃくちゃ良い子なのだ。
棒みたいな細い体で、もっと飯食えやと言いたくなるような華奢な見た目。
だけど、意外にも水泳が得意で体力がある。思ったことを口にできないという悩みを抱えているも、大一番にはハッキリ物を言う勇気も。
矢田君が警察に補導された時なんて校長室へ乗り込んで校長に啖呵を切ったり。あれは見てるこっちがハラハラドキドキだった。
ただの温室育ちじゃない。質実剛健とした自分の芯をしっかり持つ、しなやかな女の子なんだ。
まぁ、それくらいの根性がなきゃどれみちゃんの友達は勤まらない。
どれみちゃんと友達になるにはタフネスが必要だし、普通のお嬢様じゃ着いてこれるわけがないんだ。独特の感性というか、要は変人……うちが言えたことじゃないけど。
特にこの二人は幼稚園からの幼馴染みなだけあって本当によくフィーリングが合っていた。
どれみちゃんがズビシッと指差して、
「そこに気がつくとは……やはり天才か!?」
「ふふっ、誉めても何も出ないわよ?」
「あんたらいい加減にせぇ! ボケに対してツッコミが割に合わんわ!!」
「まぁまぁ、落ち着きなって……あれ? あいちゃん。おでこそんな広かったっけ?」
「いつもや! 昔っからこの広さや!!」
ピークを過ぎて視界が白く染まるような強い陽射しは鳴りを潜めている。それでも照り返しは頭がぼうっとするほど外は蒸し暑かった。
春や秋ならまだ真面だけど、夏になり既に脳ミソがオーバーフローしてるどれみちゃんの奇天烈発言に、こちらは年中頭がぽかぽかしてる葉槻ちゃんの能天気発言。
幼馴染み組のコンビネーションに翻弄されるうちは四苦八苦。どれみちゃんはともかく、葉槻ちゃんなんてうちより頭が良いはずなのに難儀なことだった。
二人とも元気だし天然だし。ルール無用のボケや何が面白いのか分からない行動の数々。ツッコミのプレッシャーはえげつない。
笑いを愛する関西生まれとして場を収めるために日々奔走する。
別に無視したって構わないんだろうけど、これがうちの選んだ道。うちの居場所だった。
傍目から見たら、つまらないことだけど。
うちにとって、それは凄く大事なこと。
くすんだガラス玉みたいな、何で大切にしているのか分からないもの。
小さくて、ちっぽけな、3人で歩く時間。
だけど、どうしようもなく。かけがえのない存在だった。
夕方は夏が近いと感じる。距離や濃さ、季節の只中にいるような気分。
窪んだ所に水が溜まるように、暑さの密度が増す午後。
未だ生温い。風を切るように意気揚々と進む。
並んで歩く影が一つになっていた。
◇
放課後、と言ってもうちらは真っ直ぐ帰るわけではない。
うちとどれみちゃん、葉槻ちゃん。3人は同じ習い事をしていた。
今日も皆でふざけあいながら『ジュピタースクール』へと足を運ぶ。
大きな橋を渡り、閑静な住宅街を通る。
石畳の緩やかな坂。心地好い音を聞きながら登っていくと木々に囲まれた洋館が脇に見えた。
まるで絵本から飛び出てきたような豪奢な館。
森で迷っていたらいきなり目の前に現れたかのような不思議な佇まい。
見上げるほど高い門をくぐり、これまた大きな楕円の形した扉をノックもなしに開け、うちらは館の中へと入っていった。
広い空間。白い壁に赤い絨毯。天井には煌びやかなシャンデリアが吊り下がる。
これでもかと言った絢爛な内装だけど、冷房が効いているわけでもないのに自然と汗が引いてしまうような厳かな空気。
暑がりなどれみちゃんも一息ついて、涼しげな静寂に身を任せる。
「こんにちは、どれみちゃん達。よく来たぞよ」
伽藍堂の玄関ホールを巨体の男がノシノシとうちらの元へ歩み寄る。
まるで力士のような恰幅の良さ。
褐色の髭をモシャモシャと蓄え、どこぞの王様かと見粉う貫禄があった。
「チィ~ス、チョイ悪先生。今日もぶつかり稽古頼んます。はっけよ~い、残った残った!!」
「ほっほっほっ、どすこいどすこいぞよ~」
「ちょ、ちょっとどれみちゃん!! やめなさい! 失礼よ!」
どれみちゃんは元気に挨拶し、いきなりその巨体に向けて張り手をかましてじゃれつき出した。
男は朗気に笑ってどれみちゃんの突っ張りにも微動だにしない。
そこへ葉槻ちゃんが慌てて止めに入る。さっきまで一滴もなかった汗が落ちる。冷や汗だ。
焦るのにも理由があった。
目の前の人物。日本で言わば人間国宝のような、音楽界で名が知れ渡る重鎮なのだから。
ヘルベルト・V・チョイワール塾長。
ドイツやオーストリア、ヨーロッパを中心に世界を股にかけて活躍するオーケストラの指揮者。
終身指揮者、芸術監督など各国のクラシック音楽の地位を独占し『帝王』とまで称された男。
葉槻ちゃんにしてみればどれみちゃんの態度は胆がヒエヒエで何でそんなに親しくなれるのか理解出来ないらしい。
まぁ、どれみちゃんは例え相手が総理大臣だろうとあんな感じだろうし、うちもいくら偉い人だと言われてもピンと来なかった。
チョイワール先生は威厳があれど取っ付きにくいってわけでもなく、名の通りチョイ悪でもなければ寧ろ紳士な性格。瞳にはいつも優しい光が灯ってて年中無休のサンタクロースみたいな?
毎回、こうして玄関で塾生を出迎えたりと律儀な人で『帝王』というイメージとはかけ離れた親切なおっちゃんなのだ。
とは言え、それは内面の話で実際は輝かしい経歴の持ち主。
じゃあ、何でそんな偉い人が日本の片田舎にいるんだ? と聞かれたら、それは今、葉槻ちゃんに怒られてへらへら笑ってる女の子。どれみちゃんが原因なんだ。
小学校に上がる前から、どれみちゃんのピアノ演奏は非凡さを見せていた。
うちも生で聴いて感動したけど、それ以前から当時の日本の音楽界では注目を集め『天才少女現る』と熱狂的な盛り上がりがあったとか。
子供コンクールでは拍手喝采、賞を総なめ。TVの取材を受けたし、YovTubeに動画が公開されて話題を呼んだ。
そして、ついに運命の時がやって来る。
日英親善イベントでどれみちゃんは使節団の一員に選ばれ日本代表として渡英。エリザベス宮殿へ招かれ、女王様の前で演奏を披露したのだ。
著名人が集まる中、怯むことなくピアノを弾き、その演奏は観衆を驚愕させた。
絶賛の嵐。女王様からも賛辞を賜り、各国で大ニュースになるほど日本の天才少女は一大旋風を巻き起こした。
その会場に、チョイワール塾長はいたのだ。どれみちゃんの演奏を目前で聴き衝撃を受け、すっかり魅力に取り憑かれてしまう。
その衝撃は凄まじく、とうとうある一つの決断にまで至る。チョイワール塾長は名うての音楽家を引き連れ日本へ移住しに来てしまった。
全てはどれみちゃんを育てる為に。
この塾はその為に作られたんだ。
日本、引いて世界。これからの音楽界を担う才能。未来そのものとまで期待され、イギリス女王から『黎明の魔女』と讃えられた少女へ。
成長を促し、その背中に翼を授ける為に。
世界屈指の音楽塾、『ジュピタースクール』。
◇
階段を登り、各教室へと繋がる扉がズラリと並ぶ廊下に出る。
広い廊下にはチラホラと人が集まっていた。
楽譜を持つ子供や楽器を運ぶ大人。静寂の中にも活気がある雰囲気。
「Bonjour! mesdemoiselles. 今日も皆さんお揃いで。本当に仲が宜しいですね~」
すると、後ろから声を掛けられる。
ひょろりとした長身にクネクネとした腰付き。
豊かな巻き髪、クルンと伸びる髭。胸が大きくはだけたタキシード、片目にはモノクル。
正しく変態紳士という出で立ちの男が後ろに立っていた。
この状況、外を歩いていたら迷わず通報している所だけど、こんな奴が闊歩して回るのが今やうちらにとっての日常茶飯事だ。
何故ならこの男は『ジュピタースクール』の講師なのだから。
「お! オヤジーデ先生! コマンタレブ~?」
「Très bien, merci!」
手を上げて元気に挨拶するどれみちゃんへ、アレキサンドル・T・オヤジーデ先生がキレの良い動きで優雅に礼をする。
いつ見ても気持ち悪いものは気持ち悪いが、気持ち悪い以外は真面目で誠実な人柄。性格だけなら貴族たらんとした高潔さを持つ『ジュピタースクール』でも人気が高い講師だ。
「ウッヒョオ~!! おんぷちゅわ~ん!! Mignonne! petite!」
……少し誉めたらこれだった。
うちは半目で冷ややかに呆れる。どれみちゃんも「うわ……」と声に出して引き、優しい葉槻ちゃんも苦笑い。
ジュニアアイドルのプロマイドにぶちゅぶちゅとキスしまくるオヤジーデ。
良い年こいた親父のくせに瀬川おんぷというチャイドルの大ファンでファンクラブ会員No.7。舞台だのコンサートだの追っ掛け回すほど熱狂的で、日本へ来た目的も実はチャイドルのためなんじゃないかと勘繰ってる所だった。
今やその崇拝ぶりは病レベルにまで達し、おんぷ分(本人談)が足りなくなるとたまにこういう発作が出る。
容姿といい、名前からしてふざけてるとしか思えないロリコン親父だけど、これでもフランスの至宝とまで謳われた人物。
バイオリンやヴィオラやチェロ、果てはエレキギターまで、全てに於いてプロレベル。弦楽器なら何でもござれの異能者。天は二物を与えないとはこの事か……。
とは言え、オヤジーデは歴とした葉槻ちゃんの師匠だし、うちにとっても恩人に当たる人だから無下にはできなかった。
プロを育成する『ジュピタースクール』へハーモニカを持って入門を願い出た自分に「まぁ、いいデショ」と迎い入れてくれたのがオヤジーデ。
本来ならうちみたいなトーシローは拒否されて当然の格式ある音楽塾。各講師が反対する中でもオヤジーデだけは自分の懇願を汲み取って、塾長を説得してもらい何とか入門を許されたんだ。
それ以来、変態とはいえ何だかんだと憎み切れずにいる。
「では、葉槻っち。今日も張り切ってLeçonと行きましょうか。どれみっちと愛子っちも頑張ってくださいね~」
「はい、オヤジーデ先生。じゃあ、どれみちゃん、愛子ちゃん。また後で」
発作が治まり何食わぬ顔で尻をフリフリと振りながら教室に入るオヤジーデ。
何故かうちらの名前に「っち」を付けるのがこの親父の癖だ。フランス独特の感性なんだろう。
その背中を葉槻ちゃんが追い、うちらと手を振って別れた。
家がお金持ちで生粋のお嬢様の葉槻ちゃん。のほほんとした性格だけど、この塾ではどれみちゃんと共に双璧と言われる実力だ。
専門であるバイオリンの腕前は今や海外でも注目され始めている天才奏者。
一応、世界に名高いプロの音楽家であるオヤジーデのレッスンを受けられるのはその実力あってこそで、本当はかなり名誉なことらしい。
普段の葉槻ちゃんやオヤジーデを知ってるうちからしたらあんまりしっくり来ないけど、中々良い師弟なんだと言う。
スポーツならまだしも芸術についてはさっぱり考えが及ばない。相変わらず、自分には理解し難い不思議な世界だった。
「それにしてもオヤジーデ先生の授業ってどんななのかな? 一度受けてみたいよね~」
「あかんあかん。合間で『おんぷちゅわん』なんて発作起こされてみぃ。こっちは堪らんわ。あれを許せるのは葉槻ちゃんくらいなもんやて」
「はははっ! それもそうだね!」
ケラケラと笑うどれみちゃん。
いたずらっぽく歯を見せて、ウィンク一つ。
うちもフフッと頬を緩めて笑い返した。
何となく、2人の間に微妙な空気が流れる。背中がくすぐったい、良い気分だった。
にこやかなその姿を見ているといつも胸に熱いものが込み上げてくる。どれみちゃんの眼差しに心がときめいていた。
うちがここにいることと、どれみちゃんがここにいること。
何かとてつもない。価値や値段では推し量れないような、奇跡のような気がして。
何気ない光景。だけど、いつも想う。
何物にも代え難い、愛しい気持ち。
正直に言うと音楽や芸術なんてまるで興味がないし、本当にどうでもいいんだ。
うちがこの塾に入ったのはどれみちゃんと一緒にいたかっただけなんだから。
……勿論、葉槻ちゃんと3人組もね♪
オマケみたいに付け足して悪いなと思いつつ、これだけは譲れなかった。
◇
葉槻ちゃんと別れ、また廊下を進むとまたもや知り合いに出会う。
うちはゲッと怪訝な顔。知り合いは知り合いでも嫌な知り合いだった。
「遅いぞ、どれみ! もっと早く来て沢山練習せんか!! さらに腕を磨きガッポガッポ金を稼ぐのだ! お前が有名になればワシは一躍名講師……行く行くはこの塾も……グフクフフ……!!」
いきなり怒鳴られたと思ったら次はニヤニヤ笑いこっちにもガッツリ聞こえるくらいの独り言で、フィリッポ・S・オジジーデ先生が欲望を垂れ流す。
マジックで描いたようなゲジ眉。団子みたいな鼻をフンフンと膨らませる。
いつも偉そうにふんぞり返ってる、欲の皮が突っ張った業突く叔父々だ。
とは言え、これまた世界中の名だたる賞やコンクールを総浚いした優秀なピアニストでもある。
性格と才能が噛み合ってないというか、天は二物を与えないその2。まぁ、比べたらオヤジーデの方が断然マシだけどね。
音楽を商売の道具としか思ってないような男で、その合理的な考え方はうちと少し似てるけど一緒にされるのは死んでも御免だった。
あーいう大人にはなりたくないと心底思う。反面教師みたいなものだ。
「チィ~ス。オジジーデ先生~! 自分、ビッグになりたいッス! 稽古つけてくださいッス!」
「うむうむ、良い心掛けだな。お前は歴史に名を残すに値する逸材。今以上に精進するのだ!」
オジジーデの傲岸な物言いに、ビシッと選手宣誓みたく気を付けで答えるどれみちゃん。
いつものノリだ。さすがに付き合いが長いだけあって対応を心得ている。オジジーデはどれみちゃんの師匠であった。
光と影、水と油。まるで正反対の二人だけど、実のとこ、これから世界で戦うどれみちゃんにとってオジジーデはうってつけの先生なのだ。
卑しい男とはいえ、数多のコンクールを勝ち抜いてきた技術は本物。どれみちゃんも「イヤな人だけど……」と前置きの上で、ピアニストとしては学ぶべき所が多いと言っていた。
一応は満更悪い師弟関係でもないらしい。適材適所というやつ。
どれみちゃんは人を憎み切れない性格だし、処世術というか人を転がすのも上手い。
誰の心にもピョーンと飛び込んでしまう。好き嫌いはあっても苦手な人間がいないのだ。
ピアノも十分凄い才能だと思うけど……。
それは表面的なことでその人当たりの良さこそ、どれみちゃんの一番の力なんじゃないかとうちは感じていた。
少なくとも自分には真似できないことだった。
うちにはどうしても許せない、負けられない
「オッス! どれみチャン!! 今日も
「あっ! 暁君だ! キャ~! リャンリーなんて照れちゃう~!!……リャンリーってなに?」
「……おう、暁君」
独特の訛りがある快活な声。
扉からひょっこりと現れた男の子に、どれみちゃんの目がハートになる。
一気に腰砕けになり、端から見てもメロメロなのが丸分かりだった。
うちはボソッとその男子に挨拶してチッと舌打ちする。
端正な顔付きに紫の髪と瞳。笑って目を細める姿は悪戯っぽい猫みたいなイメージ。
スラリとした長身。かっこいいというよりは麗しいといった美男子だ。
わざわざこの塾に通うために日本へやって来たプロの音楽家の卵。
専門のピアノはどれみちゃんには劣っても大人顔負けの腕前。実家は超がつくお金持ちで、サッカークラブで活躍するスポーツマンでもあり、日本語も習ってすぐ覚えるくらい頭脳明晰。
おまけにこのルックスだ。とにかく女に死ぬほどモテる。学校が違うから噂しか聞かないけど。
まさに完璧超人。国籍どころかもはや宇宙人と言っていいくらい違う人種なんだ。
傍目から見たら葉槻ちゃんと似たり寄ったりだけど、この男は違う。
「はい、どれみチャン」
「うん、今日の花はなに?」
「ラナンキュラス。日本では金鳳花と呼ばれている。薔薇のように花弁が幾重にも重なった姿がとても淑やかだね。花言葉は晴れやかな魅力……君にピッタリの花さ」
「素敵……いつもありがとう。すごくキレイ……なんかミルフィーユみたいで美味しそう」
「ははっ、どれみチャンの例えはいつも
うちそっちのけで何やらムーディーな空気を醸し出す二人。
殺意すら覚える。どれみちゃんを誘惑しようとする目の前のスケコマシに対して。
小竹君はまだ可愛げがあるけど、この男は……マジでいきっとんな、このカス。
暁君はどれみちゃんに会う度に花を一輪、花言葉を添えてプレゼントするのが習慣だった。
毎度律儀にどこで揃えてるのか知らないが、余りにも気障ったらしくて虫酸が走る。
だけど、どれみちゃんには効果覿面だ。惚れっぽいし、面食いでシンデレラコンプレックス気味のどれみちゃんはこういう如何にもな行動にコロッと絆されてしまう。
暁君の方もどれみちゃんへの好意がバリバリ出ていて、狙ってやってるのは確かだ。
何でこんなモテモテイケメンがピアノは凄いとはいえそれ以外はからっきしの芋女に惚れるのか分からないけど、実際暁君はどれみちゃん一筋。
裏があるんじゃないかと色々調べても特に女癖が悪いというわけでもない。それ所か本当の好青年というか、女からの誘いは全部断るほどの入れ込み様だった。
うちはそれが逆に嘘臭いと思うが。好意は表に出ていてもその魂胆が分からない。
暁君はどこかミステリアスで、花を送るとか情熱的なアプローチが本心なのか、いまいち掴みきれていなかった。
何か別の目的……例えばどれみちゃんの才能目当てとか。それが一番妥当ではある。
でも、もし違うのなら――
もし、本当に暁君がどれみちゃんのことが好きで、本当に女を見る目があるのだとしたら。
二人とも未来を嘱望される才能の持ち主。
お似合いの二人、世紀のビックカップル誕生の予感というわけだ。
見つめ合うどれみちゃんと暁君。
恥ずかしそうに花をいじるどれみちゃんに暁君はそっと手を伸そうとして、
「なあ、その辺にしとけや。おう? 暁君」
ズイッと二人の間に横入る。
ムードもへったくれもない。繰り広げられていたメロドラマを完膚なきまでにぶち壊す。
暁君と目線はほぼ一緒。背丈は若干低いくらい、うちも同年と比べタッパがある方で体格には自信があった。
どれみちゃん達より頭一つ分はデカいし、クラスで一番背が高い奥山さんともどっこいだ。
さらに体を大きく見せるように肩をそびやかす。顔は和やかたっぷり、心は威圧感マシマシで暁君と対峙する。
うちはニヤリと笑って、
「折角の色男がこんなあかんたれ冷やかしてどないするん? もっと女選んだ方がええで。中身はとんだおぼこなんや。勘違いさせたら可哀想やがな。この前なんて一緒にお好み焼きしとったら丸焦げにしよるし、寝る時は口開けて大鼾や。ガーガー煩いで~、のどちんこまで見えよる。指突っ込んでやろうかと思うたわ。このズボラ女」
「ちょ、ちょっとあいちゃん!? なに言ってんのさ! 暁君! しないよ! イビキなんて! 夜はすっごく静か! 息してない!!」
「嘘こけ。そりゃ死体やないか」
「うっさいよ! もう! あいちゃんのバカ~!! なんでそんなこと言うのさ~!」
「アホ。うちは人助けしただけや。今にもダボに引っ掛かりそうな哀れな男をのう。お好み焼き一つひっくり返せんどん臭や言うてこれ以上黒焦げのチヂミ食わされる害者を増やさんようにな」
「む~!! あの時は本気じゃなかったんだよ!! 誰もあたしのマジヘラテクを知らないの!! 小手先を! てゆーか、あいちゃんはあのお好み焼きうまいうまいって食べてたじゃん! あんな丸コゲだったのに! この味オンチ!」
「ナハハハ~!! 自分で言うんかいそれ! うちは特別やからええんや! 味オンチで結構! どれみちゃんの料理を旨そうに喰えるんは地球上でうちくらいなもんやがな! 感謝しぃ。おかげで産廃が出んのやさかい」
うちはムキ~!と怒るどれみちゃんの頭をポンポンと叩きながらチラリと暁君の方を見る。
暁君はうちらの話に着いていけず、困り笑いで頬を掻いていた。
この前、二人でお泊まり会をした時の話だ。
春風家に一泊。晩御飯はお好み焼きパーティーだった。
折角うちが綺麗に形作ったのに、どれみちゃんたらヘラ持つ手がぷるぷる震えてて「小鹿か!」とゲラゲラ笑って、出来た料理は見事に失敗作。
どれみちゃんのお父さんもお母さんも呆れ顔。
ぽっぷちゃんが一口食べ「この世の物とは思えない」なんて、どれみちゃんを怒らせてたっけ。
あの日は本当に楽しかったな~。
どれみちゃんに恋をして、自分が何で女に生まれてしまったのか悩んだ時もあったけど、それならそれでやり様があるんだ。
少なくとも男にはこうしてお泊まりなんて気軽に出来まい。
女同士だからこそ有利な部分だってある。今度はこちらのターンだ。
心中でクスクス笑う。ざまぁみろ。
どれみちゃんの隣にいて良い、本当の、心の側へ寄り添って良いのは、うちだけなんだから。
ホイホイと男が気安く近づくな。
どれみちゃんは、うちのモノだ。
こっちが圧倒的に不利なのは自覚してる。それでもそう簡単に渡す訳にはいかない。
今もむ~む~膨れてるどれみちゃんを見るに、心がチクリと痛んだ。
やっぱどれみちゃんは普通の女の子なんや……
普通にジャニタレが好きで、普通に金持ちイケメンが好きで、普通に男の子の事が好きで……
うちとは違う。どんなにどれみちゃんの事を愛していても女の子同士だから……
いつもその事実を突き付けられる度にショックを受けてしまう。
広い砂漠のど真ん中にいるような孤独感。想いを共有したい相手との距離は余りにも遠い。
でも、嫌なものは嫌だった。
どれみちゃんが他の誰かのモノになるのを想像すると胸が張り裂けそうで。
知りたいと思った。どれみちゃんを。笑ったり、泣いたり、怒ったり。ずっと隣にいて欲しいと願っていた。心が押し潰されそうなくらい。
同性だからと簡単に諦められるほど、安い感情ではない。
そして、悲恋なんて言ってシクシクと身を引くのは自分のガラじゃないんだ。
誰が尻尾巻いて逃げてやるもんか。
女同士だからって何が悪い?
この地球、全宇宙ですら、どれみちゃんのことを一番愛しているのは自分なんだ。
認めない奴がいるなら認めさせてやる。どれみちゃんも、きっといつか分かってくれる。
闘志が燃え上がる。何者にも屈さない、崩せないど根性。
全身全霊、全力全開。守りたいと、愛したいと想える人がいるんだ。
二人といない。その人以外、もう二度と恋はしないだろうと。
そう想える人と出会ってしまったんだから。
焦がれるような想いを胸に、うちはいつも世界を睨んでいた。
◇
〇
本作をお読み頂きありがとうございます。
作者のシャンティ・ナガルです。
ちょっとだけ補足説明を入れます。
暁の中国読みは本来「シァォ」となるそうですが、今話では呼びやすいように「シャオ」としております。悪しからず。
後、チョイワール塾長は分かりにくいかもですが魔法使い界の王様です。
名前がないので自分で付けました。本来なら王様と暁君は親子ですが春夏秋冬では他人同士です。
今話は人物を沢山出し、フランス語などの言語も挿入して賑やかな回になりました。
書いてて楽しかったです。この調子で物語を進めていきたいです。
では、次は第二十三話でお会いしましょう。