どれみとおんぷ ♪ 春夏秋冬   作:シャンティ・ナガル

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幕間
第二十話 JUDAS


 

           ♪

 

 結局、わたしには暗がりしかなかった。

 

 暗闇は優しくはないけれど、どんな人間であろうと受け入れてくれる。

 

 逃げ込んだのは家の屋根裏だった。

 そんな場所にしか、わたしの居場所はなかったのだ。

 

 わたしが上から見渡していた広い世界は、逆に下から監視されていただけの。

 手狭な鳥籠でしかなかったのだと。

 

 わたしが絶対だと思っていた大きな力は、骨が浮き出た弱々しい翼に過ぎず。

 儚げな雛鳥でしかなかったのだと。

 

 そんなわたしが運良く逃げ出せたとしても。

 行く場所なんて、どこにもなかったんだ。

 

 暗闇は怖くないと言ったら嘘になるけど、少なくとも隠れるには最適だった。

 

『悪霊』は黒色だ。

 身を守るには同じ黒色に染まればいい。

 

 そしたら、何も見えない。聞こえない。

 

 希望がなければ、絶望することもない。

 

           ♪

 

 太陽は西の彼方に消えていたけど、まだ昼間の余韻を残していた。

 

 ぼんやりと光が漂ってるように薄暗く。

 空気はじめじめと生温く。

 

 祭り囃子が遠くに聞こえそこまで人気から離れてるわけじゃないんだろうけど、聞こえるものがドロリと耳に流し込まれてるように感じた。

 

 わたしの周りだけ世界から切り取られて、色彩を失っていく、灰色の空間。

 

 

 今のわたしにお似合いの居場所だ。

 

 

 重い息を吐き、沈み込む。

 心が萎んで魂すら抜け落ちる。

 

 凝固、氷結、硬直。

 死体のように微動だにしない。

 

 そうすることで悲しみや苦しみから目を逸らして、痛みをやり過ごそうとしているのだ。

 

 解決するためでも、癒すためでもない。

 ただ忘れるために。

 

 傷とともに深い暗闇へと一緒に沈むために。

 

 思い出してしまわないように。

 昔の醜い自分の姿を。

 昔の弱い孤独の姿を。

 

 憂鬱や寂寥が重力になって、底へと誘う。

 

 胸を締め付けるように体を抱いて時が過ぎるのを踞って、待つ。

 

 でも、ふと顔を上げれば――

 

 

 

 そこに広がってる光景に。

 わたしは頭を掻きむしりたくなる。

 

 こんな場所を、偶然でも無意識でも選んでしまった自分に、心底、腹が立った。

 

 激情が波打って苛む。

 わたしの一番の、後悔。

 

 

 

 川のせせらぎが近い、大きな岩のそば。

 太陽の光を蓄えて茂る草原。

 

 そこは、まるで――

 

 

 

 ――わたしとどれみちゃんが出会った場所。

 

 

 

 自嘲気味に笑う。

 

 この後に及んで、まだ『どれみ』なのか。

 いよいよ持って救い難い。

 

 大馬鹿者だ。

 自分の嘘に、罪に、向き合うことなくノコノコと人前に出てしっぺ返しを食らう。

 

 自分の間違えを何一つ正すことなく、綺麗なものばかりに目が眩んで。

 

 与えられたと思った。

 癒されたたのだと。許されたのだと。

 

 そんなわけがない。

 わたしはずっとしがみついて、母の腕の中で眠る赤子のように甘えていただけだ。

 

 

 それをとっくに乳離れした、傲慢だけは一丁前の人間がやるんだから始末が悪い。

 

 

 一緒にいた時の温かな気持ち。

 桐野村で過ごした日々。

 

 二人で、少しでも共鳴し合えた。

 分かち合えた。

 

 ちっぽけだけれど、穏やかな世界や秩序を。

 作り上げてきたのだと、錯覚していた。

 

 そんなもの、ありはしないのに。

 例えあったとしても、認められるわけがない。

 

 怒りや憎しみばかり繰り返してきた。

 かつてわたしが望んでいたモノ達が、見逃すはずがないのだから。

 

 さっきの衆目がまさにそれだ。

 孤独を忘れ昔以上に弱くなった自分は、こうも簡単に滅多打ちにされる。

 

 己のために、どれだけ人を傷つけたか。

 孤独に無自覚で、強さに酔っていたか。

 

 

 その罪重ねは。

 

 

 今なお、形を変えて。

 わたしを背中から狙っている。

 

 気が済むということを知らない。

 わたしの欲に際限がなかったように。

 

 

 何万という鏡が取り囲み、その業を映し出す。

 

『悪霊』が戯むように躍り、歪み、ひび割れ、渦を巻き、砕け散る。

 

 降り積もるだけの残骸を。

 拾い集めるでもなく、ただ呆然と眺めること。

 

 

 

 それが、わたしに課せられた罰なんだ。

 

 

 

 何度目かの溜め息。

 

 息継ぎをするように、顔を上げた。

 

 

 

 その時、わたしは。

 

 真闇の中に浮かぶ光を見る。

 

           ♪

 

 ――バカな。

 

 

 

 まったく気がつかなかった。

 わたしが気を滅入らせてる間に、情景は静かに変わっていた。

 

 亀裂の中を光が辿る。

 さざめきを掻い潜り、黒以外の色が混ざった。

 

 砕け散った心を縫い付けるように、わたしの前を過ぎ行く。

 

 光が差し込んだ。

 

 

 

 ――ホタル。

 

 

 

 金粉が降り注ぐ。

 

 光の粒子が花を咲かせる。

 明滅を繰り返し、ふわふわと漂う。

 

 まるで星の誕生に立ち会うかのように、大地から、力が沸き立つ。

 

 

 

 ――ありえない。

 

 

 

 目の前のものが信じられなかった。

 なんで急に、こんなに、溢れ出るんだ。

 

 視界がぼやけて、目元を拭う。

 何度も何度も、目を擦った。

 

 

 それでも、景色は変わらない。

 

 わたしは未だに信じられないと、信じたくないと、首を振り続けていた。

 

 

 モノクロの世界に色が宿る。

 鮮やかに舞い上がる。

 

 

 

 その光景は。

 

 優しくて、暖かくて、私には。

 

 今の私には、それはあまりにも。

 

 美しすぎて、拒絶してしまうほど――

 

 

 

「ひゃ~、すっご! なにこのホタルの大群!! きっれ~い!」

 

 

 

 ――あなたと初めて会った時も――

 

 

 

 

「よっ! 探したよ! おんぷちゃん♪」

 

 後ろで熱が揺らめくのを感じた。

 

 影が薄く伸びて、煌々と、闇を照らし出す。

 

           ♪

 

 来ると思っていた。

 来ないで欲しいと、願っていたのに。

 

「よくここが分かったわね」

 

 振り向かずに言う。

 

「うん、超迷ったけど……勘かな! 」

 

 目の前にぽんと下駄を放って、「どっこいしょ!」と隣に座る。

 

 項垂れるように腰を折って、息を吐き出した。

 

「はぁ~、こんな全力で走ったの久々だよ~。年は取りたくないねぇ。あ~疲れた~」

 

 よく見ると足は土でドロドロだった。

 裾も無惨に汚れていて赤地は汗で滲み、茶色い染みが広がっている。

 

 必死に探してくれたんだと一目で分かった。

 それだけで、わたしは嬉しくてたまらなくて顔が綻びそうになる。

 

 でも、そんな単純な自分が。

 簡単に笑ってしまいそうになる自分が、今は疎ましい。

 

「なんかここだけ蛍がビカビカ光ってさ~、これが大女優のオーラってやつ? すぐ分かったよ」

 

「……大女優、ね」

 

 皮肉、ではないはずだ。

 

 そんなことが言えるほど器用ではない。

 あなたはいつも純真で真っ直ぐで、白く輝いて、天使のような女の子。

 

 わたしはあなたから逃れたくて仕方なかった。

 どうしようもないくらい会いたかったのに。

 

 あなたを前にすると胸がつかえて、苦しい。

 

 あなたはわたしとは違う。

 忌々しい過去を引き摺るわたしとは。

 

「知ってたの? わたしの話」

 

「ううん、さっきのんちゃんにざっくり聞いただけ。続きはおんぷちゃんに聞こうと思ってね」

 

「……話すことなんてないわよ」

 

 一人の、道化の話だ。

 

 自分の力に驕り、他人を拒絶して。

 挙げ句、孤独になり、 それに最後まで気付くことがなかった、馬鹿な女のお話。

 

 舞台をくるくると、よく踊った。

 自分が嗤われていたとも知らずに。

 

 嘲笑しか生まれない、チープなお遊戯。

 孤独に相応しい結末を、わたしは得た。

 

 そして残念なことに。

 これは人生という名の演目であり、決して幕が下りることがない舞台だった。

 

 エンドロールも何もない。

 死ぬまで、幕引きはない。

 

 既に演じたい役も語る言葉も持ち合わせていない役者だけが、一人取り残されていた。

 

 その役者はスポットライトを背にして、影ばかり見つめて、身動ぎ一つしない。

 

『自分という人生』ですら、主役に立とうとはしなかった。

 

 

 そんな時、あなたと出会った。

 出会ってしまった。

 

 変わってしまった。何もかも。

 あなたと出会ったことで、わたしは光へとまた目を向けてしまいそうで。

 

 笑顔になってしまう自分が情けない。

 気力が湧いてしまう自分が悔しい。

 涙を堪えようと目の奥が熱くなる。

 

 でも、駄目なんだ。

 わたしは優しくされる価値なんてない。

 

 

 

 あなたから与えられる感情は。

 

 幸せな気持ちは。

 

 

 

 それは全て借り物の光なのだと。

 あまりにも、解り切ったことなのだから。

 

 それ以上に。

 あなたの優しさは、わたしの内面を深く抉る。

 

 あなたの穢れの無さを見ていると、わたしは堪らなくなる。

 

 もう何も望みたくない。

 何とも向き合いたくないのに。

 

 あなたを欲しいと思ってる。

 独りは嫌だって、孤独に堪えられなくなる。

 あなたを想うと眠れなくなる。

 自信を取り戻しつつある自分が、穢らわしいと感じる。

 

 あなたの慰めは、わたしを『舞台』へと引き摺りこむんだ。

 

 わたしはそれが嫌で嫌で、今にもあなたを突き飛ばしたい。

 あなたを、あなたすら裏切ってでも、暗闇に逃げ出したい。

 

 そんな身勝手なわたしが、あなたと一緒にいる資格はない。

 

 

 

 ――これ以上、わたしに見せないで。

 

 

 

 今はただ、自分を守るために。

 あなたと離れたいと思ってる。

 

「……なんか白けちゃったわね」

 

 わたしはお尻を手で払って立ち上がった。

 

「帰りましょうか。今日はごめんなさい。わたしのせいで祭りが台無し――」

 

「まだ話は終わってないじゃん」

 

 言葉を遮って、あなたはキッと睨んだ。

 

 わたしの横顔に視線が突き刺さる。

 それでも、気にする素振りすら見せないようにクスッと笑った。

 

 わたしは未だにあなたと目を合わせられない。

 

「話は明日にしましょ。色々、思い出があるんだから。なんでも話してあげる。トッキーと共演したりだとか、きっとあなたも羨ましがるわ」

 

「違う。そんなんじゃない。もっと……あたしだけに伝えたいことがあるんでしょ?」

 

 あなたは首を振って、きっぱりと言い切る。

 

 声が震えた。

 

「なによそれ……そんなものないわよ。わたしは別に――ッ!!」

 

 体の奥底まで、驚愕が突き抜ける。

 

 ひしっと。

 あなたがわたしの手を掴んでいた。

 

 固く握り締めて、引き寄せられる。

 

 静寂。その次に訪れたのは優しさ。

 

 

 

「大丈夫。逃げないよ」

 

 

 

 ――いつもあなたは――

 

 

 

「だから、おんぷちゃんも逃げないで」

 

 

 

 涙の中で、『春風どれみ』(あなた)が微笑んでいた。

 

           ♪

 

 結局、わたしは――

 

 

 

 あなたには絶対に勝てないのね。

 これを負けと呼んでいいのか分からないけど。

 

 少なくとも、わたしはこんな弱りきった姿をあなたには見られたくなかった。

 怖いとすら、思っていた。

 

 自分の胸の内を晒して、わたしの弱さや穢さを見たら、あなたが離れていくんじゃないかって。

 あなたは――どれみちゃんはそんな人じゃないって信じてたのに。

 

 でも、どれみちゃんとってはわたしの愚かさなんて、関係なかったのね。

 悩みなんてちっぽけで、容易く吹き飛ばしちゃうのね。

 

 負け越し、涙越しで見る景色。

 あなたがぶち抜いて来た世界。

 

 

 間違えばかりしてきたのに穏やかで。

 失敗したことばかりなのに大らかで。

 

 どれみちゃんは相変わらずお節介で。

 わたしにとっての太陽だった。

 

 

 何もかも突き破って、笑顔を届けてくれる。

 

 

 その陽差しを無視するなんてこと、わたしには出来っこないんだ。

 

 

 

 わたしとあなたを結ぶ特別なもの。

 

 抑えきれない想い。

 

 言葉にできない想い。

 

 

 

 今はそれを認めることができる。

 

 変わることが負けだとしても、構わない。

 

 わたしの、本当の、本当の、気持ち。

 

           ♪

 

「……約束だったよね」

 

 夜風と共にどれみの呟きが流れる。

 

 わたしは思わず「えっ?」と聞き返した。

 

「バスの中で言ってたじゃん。あたしの話、聞きたいんでしょ?」

 

 涙が乾いてかぴかぴな目をぱちくりと瞬かせて、まじまじ、どれみを見つめてしまう。

 聞いていてくれたんだと、伝わっていたんだと、嬉しくて頬が熱くなった。

 

 どれみはにこりと笑って話を続ける。

 

「友達だもんね。悲しいこととか辛いこととか、今日はなんでもぶっちゃけようよ」

 

 「よ~し、語っちゃうぞ~!」と、どれみは腕をブンブン振り回す。

 

 ぱたと腕を止め、息をついて肩の力を抜く。

 目を細め――そっと『左手』を撫でた。

 

 

 力強い、どれみの覇気。

 後光すら湛えるような生命力の中で唯一、『左手』だけは黒い手袋に覆われて闇に紛れる。

 

 靄に包まれ、真実は窺えない。

 

 

 ついに、という思いで一杯になる。

 

 空気が変わった気がした。

 緊張感が高まり、わたしはどれみの左手から目が離せなくなる。

 

「……あたしもおんぷちゃんとおんなじで昔ね。ちょっといろいろあって、桐野村に引っ越してきたんだ。いやぁ~、まさか一人だと思わなくてさ~! クラスが一つならまだしも生徒がたった一人……つーか、あたしが来るまでゼロだったんだよ!? ふつ~想像つかないっしょ? おんぷちゃんが来てくれてホント嬉しかったんだ~!!」

 

 どれみは笑みを深めて、楽しそうに喋る。

 ハミングするように、上機嫌。

 

 そこだけ切り取ればいつものどれみだった。

 けれど、わたしはその姿に少しだけ違和感を覚えて眉をひそめた。

 緊張の中に、何か別の引っ掛かりが混じって、胸がもやもやとざわついた。

 

「それでね……えっとね、あたしも、なにもかもおんぷちゃんと一緒で……目の前のことから逃げてきちゃったんだ。どうしようもなくって……」

 

 最初の勢いからトーンが急低下する。

 

 だんだん言葉を選ぶようになって。

 でも、考えるのが苦手などれみは困り顔で頭を掻いていた。

 

 

 そういえば、どれみは何故一人で村に来たのだろう。

 母親は、父親はどうしたのだろう。

 

 その理由も、どれみが言い淀む迷いの中にあるのだろうか。

 

 わたしはどれみのことを何も知らない。

 それが今から明かされようとしている。

 

「まぁ、後悔は……してないんだけど。わたしはわたしらしく、胸を張ってる。誰かじゃなくて、あたしと……お母さんと……」

 

 首をかしげ、むむぅと唸るどれみ。

 

 歯切れの悪い物言いにわたしは戸惑いながらも、真剣に耳を傾けていた。

 

 どれみはタイミングを計るように息を吸っては吐いて、手首に指をかける。

 

 そして――

 

 

 

「うちゅうてんちよがりきりょ~こうふくぐんまごうら――」

 

「ふざけないで」

 

「はい、すいません」

 

 へらへらと笑い「別にそこまで大したもんじゃないんだけどね~」と、どれみは手袋を剥いだ。

 

 わたしは若干嫌気が差しつつ、どれみの左手を覗き見た。

 

 

 

 あっさりと、どれみの過去が紐解かれる。

 

 暗闇の中に浮かび上がる淡く細い線。

 

 目を凝らさなければ分からない。

 

 どこまでも青白い、傷の痕。

 

 

 

 永遠を象徴した太陽が落日する。

 

 冷たい地平線、懺悔の果てへ。

 

           ♪




 
           〇

どうも、作者のシャンティ・ナガルです。
お読みいただきありがとうございます。

今回は後書きの方を初めて利用します。
二十話記念というのもありますが、この度少し報告があります。

次回からどれみの過去編に突入するのですが、もしかしたら誤解を招くかもなんで…

念のためネタバレを一つだけ先にしておきます。

次回のどれみ過去編。
主人公は『どれみ』ではありません。

過去編はあるキャラの視点からになります。
誰かは薄々当たりがつくとは思いますが…

お楽しみにしていただければ幸いです。
お待ちくださいませ。

では、これにて失礼します。
また次回、お会いしましょう。

           〇

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