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『瀬川おんぷ、ハリウッドデビュー!?』
『アル・ヒューストン監督作品!!』
『監督直々の指名、オーディション開催!』
TVや新聞、雑誌が争うように報じる。
一面に、トップに、『わたし』が掲げられその一報が日本中を駆け巡っていく。
今もだ。
朝のニュース番組の中に『わたし』がいた。
TV局から出てきた『わたし』は差し出されたマイクに向けて、「オーディション頑張りま~す」と元気に応え手を振っている。
映像にニュースキャスターの声が被さり、ついに世界進出だの、日本の誇りだのと、まるで自分のことのように鼻高々と絶賛していた。
TVを見ながら、トーストを頬張る。
ウィンナーにかじりつき、サラダを押し込む。
最後に牛乳を一飲み、長いゲップを吐き出す。
久しぶりに食欲が出た。
つい最近まで、パン一欠片ですら飲み込むのが億劫だったのに。
みるみると欲望が頭をもたげて、腹を摩るほど食べに食べた。
エネルギーが、気が、血が溜まるのを感じる。
言い様のない力が満ちて、体の中を躍動した。
しゃっくりのように、笑い声が飛び出す。
泡のように次から次へと溢れて、湧いて。
「あっはっはっはっはっはっはっはっはっ!!!!」
息が切れ、咳き込んでも。
声を張り上げて、叫び続けた。
「くくっ……ぐふ、あは、あははは、はは!」
背中が痙攣し、腹を押さえて机に突っ伏す。
視線を床に向ければ、スポーツ紙が散乱する。
全紙だ。各社一面記事は全て、『わたし』。
TVリモコンを掴んで、闇雲にボタンを押す。
チャンネルが切り替わるたびに、『わたし』の顔が写り変わる。
絵理華は、麗華は、今どんな気持ちで、これを見ているんだろう。
どこにも逃げ場はない。
今の日本は、『わたし』一色なんだから。
――因果応報よね。
麗華のせいで、わたしは肩身の狭い思いをする羽目になった。
その報いが、今。
逆恨みから、わたしを目の敵にして、最後に待ち受けていたものが、これだったとは。
まるでコントのオチじゃないか。
――ねぇ、今どんな気持ちなの?
彼方にいる麗華に、問いかける。
今頃、自分のあまりの矮小さに頭を抱えているところだろうか。
わたしを足蹴にして さぞご満悦だったろうに。
今や、麗華が首をへし折っても見上げることは叶わない遥か高みに、わたしはいる。
――ばぁ~か。
こんなに愉快なことがあるか。
とは言え、麗華みたいな屑は元から存在価値が『0』の人間なんだ。
そんな奴が必死こいて、才能あるわたしの邪魔をしたところで所詮『0』は『0』。
羽虫がいくらわたしの肌を撫でようが、かすり傷一つつけることもできない。
最初から、何をしたとこで、無駄だった。
――少しは楽しめたけど。
全ての受難は、このために。
無能な人間が、どんなに苦しんだところで徒労に終わるだけ。
しかし、有能な人間にとって苦難とは、ただのステップに過ぎない。
凡人共が背伸びをしても届かない壁は、わたしにとって階段一段ほどの高さでしかないのだ。
悠々と越えてやろう。
才ある人間にとって、逆境とは、努力とは、成長のための一手であり成果が出るのが当たり前。
出来レースもいいとこなのだから。
ハリウッド。
いいじゃないか。
塵共に引こずる必要はない。
もっと高く。
もっと広く。
わたしが飛び立てばいいんだ。
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「なにあの服装、ダッサ!!」
「あれでオーディション受ける気なのかな?」
「うわっ! 最悪! 日本の恥じゃん!」
「エントリーナンバー33番! 趣味はジャージ集めで、特技はジャージの早着替えです!」
ギャハハと下品に笑う。
背中に忍び寄るせせら笑いは、隠すこともない真っ正面からの嘲笑に変わっていた。
わたしは肩で息をつく。
『せめて、スウェットって言ってほしいわね』などと呑気なことを考えていた。
私服を切り裂かれてから、学校でオシャレをしなくなった。
私物は上靴すら持って帰り、机やロッカーはいつも空っぽだ。
わたしは反応を示さないし防御も固めてたから、『ゲーム』も今や膠着状態。
クラスの様相は実に様々だ。
自分の組でもないくせに我が物顔で教室に居座る絵理華と、それに従う連中。
わたしと絵理華達を交互に眺めて日和見を決め込む連中。
自分には関係無いとすかしてる連中。
最初こそ絵理華に纏めあげられ盛り上がった『ゲーム』も嫌がらせがワンパターンになってきて、倦怠期に突入した。
今も無視は続いてるけど、それも惰性で続けてる仕事のような無感情さだった。
餓鬼共の考えることだ。
ネタが切れるのも当然。
わたしとしては将来、小学生時代のエピソードとして、このことをトーク番組で話す予定だから、もっと話題を提供して欲しいだけれど。
つくづく、使えない奴らだ。
蛆虫にしてはよくやったと誉めるべきか。
連中が先に根を上げるのも、わたしがあまりに高潔過ぎるから仕方ないとも言える。
わたしはハリウッド女優になるんだ。
世界のトップスターの、仲間入りだ。
本来なら、こんな掃き溜めにわざわざ来迎してやったわたしに対し、顔を地面に擦りつけてでも崇めるというのが筋というものだろう。
屑共の礼儀の無さには、うんざりしてしまう。
けれど、こいつらの崇拝など鼻から当てにはしていない。
こちらから突っぱねてやる。
こいつらが何をしたのか、わたしは知ってる。
服を切り裂いた、教科書に落書きした、筆箱を隠された、上履きを捨てられた。
今さら犯人探しなどしない。
けど、絶対許さない。
まさに、天に唾する行為。
下劣で、卑怯で、臆病で。
もし目の前で「おめでとう!」とほざく奴がいたら、わたしはそいつを八つ裂きにしている。
もう、お前達は用済みなのだ。
見据えるのは、遠い海の先。
これから忙しくなる。
塵共に構っている暇はない。
映画の撮影は主にアメリカの撮影所。
他にもフランスのパリやイタリアのベネチア、世界各地を巡る大作だ。
撮影は優に半年を越え、期間中は殆ど日本には帰れないだろう。
撮影が終わっても、わたしが出た映画は世界中で大ヒットして今以上に仕事の量が多くなる。
もしかしたら、この学校に来るのも数える程しか無いのかもしれない。
そう考えると、絵理華のアホ面もなんだか名残惜しくなるというものだ。
これで地上の
広い世界へ。
わたしは、一つの高みへと解放される。
今まで、下界の人間共の顔を眺められた空とは違う、『天』へ、昇っていく。
煌々と光が注ぎ込まれ、暗黒に白く浮かぶ。
満天の、『月』。
一つだけ輝く、『わたし』。
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広い廊下に靴音が響いた。
静寂に包まれるスタジオ内には、わたしと数人のスタッフが残るのみ。
ハリウッド進出が決まり、ドラマの撮影スケジュールが前倒しになった。
門限ぎりぎりまで仕事をし、ようやく家に帰れるところだ。
ドラマを降板しようと考えていたわたしを、監督がどうしてもと引き留めた。
こんな仕事で小金を稼ぐ必要はないけど、日本への最後の置き土産として続けることにした。
――それにしても。
わたしは笑みを噛み締める。
降板の話をした時の監督のあたふたとした表情が忘れられない。
わたしには及ばないけど、少しは世間に名の知れた人物だ。
その監督が最後には土下座までした。
今の状態で、これなのだ。
ハリウッドに行けばどうなる。
もっと多くの人間が、わたしの前にひざまづくことになる。
もっと多くの人間が、わたしに頭を垂れ媚びることになる。
けど、それすらも――
名声が、金が、羨望が、嫉妬が、男も、女も、子供も、老人も。
天高く、一杯に積み上がった階に過ぎない。
わたしを高みへと誘う貢物に過ぎないのだ。
踏み締める。踏みにじる。
嬌声や悲鳴が上がるのを、しっかりと確かめながら。
登ってやる。
わたしには、その権利がある
何故なら、この世界は、全て――。
「ときめきを越えテ~♪
ボク達は歌う~♪
サビしさや~♪
悲しみに囚われたとし~テモ~♪
ソレハ~♪
優しさに変わるカラ~♪
キット~♪ ダイジョ~ブ~♪」
「……」
「歌うことも許されないのカ!?」
「まだ何も言ってないじゃない!」
曲り角から、桃子が勢いよく飛び出してくる。
一瞬、ぎょっとしてしまった。
わたしより先に上がった桃子が、何故ここに残っているのか。
元から不可解な人間だから、理由とか常識的な事を求めたところで無意味なんだけど。
本当は話したくなんかないが、捕まってしまったのなら仕方ない。
率直に疑問をぶつける。
下手に無視すると、逆に付きまとわれるから。
「なんでまだいんのよ? あんたの仕事は終わったでしょ」
「ウヘヘ~何故っテ? 何故っテ? ワタシがこのAwayな環境の中に身を置いてるのかっテ?」
「ここはどちらか言うと、あんたのホームだと思うけど」
「ズバ抜けてる理由があるヨ~。昼にCurryを食べたから気が高ぶってるヨ~。後、暇ヨ~」
「暇だから残ってたの?」
「Yes!」
「そんな胸張って言われても……」
頭が痛くなる。
前言撤回。
やっぱり、こいつと関わってたら時間がいくらあっても足りない。
「そ。じゃあ、わたし行くから」
「オイオイ、お楽しみはこれからだゼ? 一緒にEccentricな夜を過ごそうヨ~」
「わたしはあんたみたいな暇人に構ってる余裕はないの」
「――Hollywood、カ?」
その一言で、全てを理解する。
馴れ合いの空気が霧散し、視線を交わす。
眼差しは刃。
――わたしを待ってたってわけね。
芸能界で鎬を削ってきた宿敵同士。
相手の動向は逐一気になってしまうのは自然。
ハリウッドという大舞台なら、尚のこと。
わたしだって、逆の立場だったらそうする。
会って何を言うつもりなのかは、自分でも分からないけど。
桃子なら、どうするのかも。
「へぇ~、それで? おめでとうとでも言ってくれるの?」
「その質問は、Noダヨ。どうせおんぷチャンのことだから、もうHollywoodに行った気でいるんでしょ? フフッ、甘いナ。まだAuditionは始まってもないヨ」
「は? オーディション? って、あんた、もしかして――」
「そのマッサカサマ! ワタシも候補に選ばれたのサ! おんぷチャン、Auditionで勝負ダヨ!!」
称賛でも、妬みでもなく。
桃子の口から飛び出してきたのは、宣戦布告だった。
すっかり忘れていたけど、わたしはまだハリウッドに行けると決まったわけじゃない。
映画のヒロインとなる候補者の一人に選ばれただけで、これから選抜オーディションがある。
でも、マスコミは既にわたしに決まったも同然の過熱報道をしていた。
わたし自身も候補者が何人いようが負ける気はしない。
相手が例え、桃子であろうと。
「ふ~ん、あんたがオーディションにね。TVじゃ1秒も放送されてなかったから知らなかったわ」
「Yes! ワタシも選ばれたのに~! って、あんまりにも悔しかったから自分で言いにキタ!」
桃子は背を仰け反らして、高々と言い切った。
高慢な態度が、不思議と様になる。
その天然な振舞いが桃子の人気の秘訣なんだろうけど、わたしの琴線には一ミリも触れない。
冷笑しながら、それを眺めた。
「ふん、わざわざご苦労なこと。でも、お生憎様。もう勝負はついてるわよ。今や日本中がわたしを望んでる。この勢いは誰にも止められない。今度ばかりはわたしの勝ちね」
「HAHAHA! 大した自信ダ! それでこそおんぷチャン! ……なら、ワタシと賭けをしようヨ」
「賭け?」
「Auditionに受かった方が相手の言うことを一つ聞く。簡単なGameさ。ドウ?」
意外な提案だった。
出た番組の本数、CDのランキング。
数字の上で勝敗が決まっていたけど、今までそれを口に出すことはなかった。
縄張り争いを繰り広げたライバル。
現場で何度も会って話をした。
なのに、一度も仕事の良し悪しで嫌味をぶつけ合うことはなかったのだ。
況してや、賭けをして遊ぼうなんて。
そんなことに、今更気づいた。
ほんの些細なことだけど。
「賭けねえ……なら、わたしが勝ったら芸能界引退しなさいよ」
「ウン、する」
不覚にも、目を見張った。
冗談半分の言葉に、桃子は即答する。
顔は穏やかなまま、静かに頷く。
声がぴしゃりと響いて、視線を逸らさない。
迷いも躊躇もなく、桃子は、本気だった。
動揺で声が掠れる。
「あっ、あんたなに言ってるか分かってる?」
「分かってるよ。ワタシはこのAuditionに、芸能界の進退を賭けル! その代わり、ワタシが勝ったらお願いを聞いてネ?」
「……なによ、わたしにも芸能界を引退しろって? 言っとくけど、わたしは――」
「ん~にゃ、違うヨ」
不意に、腕を掴まれる。
驚いて身が強張ったわたしを引き寄せるように、桃子が手を強く握った。
「おんぷチャン、もし、ワタシが勝ったら――」
その言葉を告げる。
「――ワタシと友達になって!」
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