どれみとおんぷ ♪ 春夏秋冬   作:シャンティ・ナガル

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おんぷの話
第十四話 始点


 

           ♪

 

 最初に感じたのは、『怒り』でした。

 

 

 

 無機質な待合室で、わたしは下を向いて座っていた。

 

 拳を、ぎゅっと握って。

 自然に呼吸が出来ないほど、胸が詰まって居心地悪かった。

 

 隣には母。

 眉をひそめて俯いている。

 

 わたしを連れてきたのは母なのに、どうも納得していないかのような浮かない表情。

 

 後ろを振り向くと、わたし達と同じような親子が何人もいた。

 

 皆して顔は静寂に塗り潰されて、まるで蝋人形のように表情が見えなかった。

 沈黙の白と陰影の黒。モノクロの世界で自分だけが色彩を持っている。

 

 それが怖くて、寂しくて。

 人の息遣いすら消えた空間で、一人ぼっち。

 

「お家に帰りたい」

 

「何言ってるのよ。もう少しだから我慢して」

 

 何度不満を口にしても、答えは同じだった。

 

 どちらも望んでいないのに、その場を離れることができない。

 

 わたしは首輪をつけられた犬、ご主人様は自信無さげに、梃子でも動かないよう座っていた。

 

 やはり、納得していないのだ。

 それを飲み込むまで、母は――

 

 

「あの~、もしかして桜井くららさんですか?」

 

 後ろの席の人が、母に話しかけてきた。

 

「えぇ、まぁ……」

 

「私、小学生の時ファンでした! コンサートもテレビで見てましたよ。懐かしいです~」

 

「はぁ、どうも」

 

「そちらは娘さん? 可愛い子ですね~。桜井くららそっくり! へぇ~、そう……オーディション、お互い頑張りましょう」

 

「ありがとうございます……」

 

『桜井くらら』

 

 母は その言葉を聞くと顔を強張らせて、ぎこちなく頷いた。

 

 会話が終わってしばらくすると、雑談に混じって黒い囁きが近寄って来る。

 

 

――あれが桜井くらら? 嘘でしょ?

          ――昔は可愛かったのに。

   ――なんで来たのかしら?

――自分がダメだったから今度は娘を……

           ――親のエゴってやつ?

――どうせデビューしたとこで人気出ないわよ。

         ――親が親、だものね~

 

 

 言葉の節々には棘があり、囁きはぶすぶすと遠慮なく母の背中に突き刺さる。

 

 その度に母の体は小刻みに震えていた。

 悲しそうに、待合室の床に目を向ける。

 

 その姿を、一部始終を、わたしは見ていた。

 目に入り、神経を伝わり、脳裏に焼き付く。

 

 縮こまった、母の姿が。

 

 体がかっと熱くなる。

 無性に、腹が立った。

 

 後ろで陰口を叩く人達も。

 それを黙って見過ごす母の態度も。

 その腹立たしさを撥ね除けることができない己の弱さも。

 

 悔しかった。

 

 後ろにいる人達も、母も、自分自身もひっぱたいてやりたいくらい、悔しかった。

 

 まだ、わたしは何もしていない。

 それなのに誰も彼も、母を見て、桜井くららを見て、わたしを決め付けようとする。

 

 母も母だ。

 しょぼくれているだけで、何故堂々とできないのか。

 自分の娘だって、なんで自信を持って言ってくれないのか。

 

 そして、状況に流されるだけで出来事一つ一つに掻き回されている自分に、心底、腹が立った。

 

 

 ――見てなさい。

 

 

 ここで怒りをぶつけるのは容易い。

 でも、それでは相手の思う壺だ。

 

 より効果的に、敵を打ちのめす方法がある。

 より屈辱的に、敵を懲らしめる方法がある。

 

 今、目の前に。

 その方法を試すチャンスがあるじゃないか。

 

 そう考えると、楽になった。

 体から力が溢れていく。

 

 頭の中はクリアになり、目に光が満ちた。

 背筋を伸ばし、胸を張る。

 

 早く 自分の番が来てほしい。

 演技、歌、ダンス。なんだってこなしてやる。

 

 勝つ。絶対に。

 何もかも、見返してやる。

 

 

 ――さぁ、来なさい。

 

 

 わたしは、にっこりと 大きく笑った。

 

 

 

 思えば、その時が。

 

『わたし』と『チャイドル 瀬川おんぷ』を分かつ、境界線だったのかもしれない。

 

           ♪

 

 車を降りると同時に 群集が壁となって、わたしを取り囲んだ。

 声援は怒号に近く、直でバズーカを食らうかのような圧迫感がある。

 

 けれど、もう馴れた。

 もはや、睫毛すら揺らせない微風だ。

 これが、わたしの日常。

 

 マイク片手の取材陣。

 サイン目的の野次馬。

 

 どいつもこいつも、わたし目当て。

 わたしの一挙一動作に操られ、動いてくれる。

 例え、わたしが唾を吐きかけてもありがたく両手で掬い取ろうとする連中だ。

 

 

 ――まるで奴隷ね。

 

 

 猿か犬と言ってやりたいところだけど、一応わたしの人気はこいつらの上で成り立たっている。

 せめて、わたしを称賛する言葉を叫ぶくらいの人語は解してもらわないと困るのだ。

 

 

 わーだの、きゃーだのと叫ぶ群集を押し退けて、ボディーガードや警備員が道を作る。

 

 わたしはゆったりと歩き出した。

 

 斜め後ろには母が続く。

 ぶくぶくと弛んだ顎を震わせて、にこやかに微笑んでいる。

 

 実に暢気な姿だ。

 母が身に付けている脂肪すら、わたしが稼いだお金から生まれたというのに。

 

 今のところ、実害があるわけでもなし。

 暫しの間、優越感に浸らせておくのが親孝行と言うものだ。

 

 

 割れた人垣の中心を、堂々と進む。

 

 喝采はアーチとなって頭上を飛び交い、生々しい空気は色濃く滞留した水のように重たい。

 

 ふと、既視感に襲われる。

 どこかで見たような光景だと、即座に閃く。

 

 昔読んだ本で似たような場面があったんだ。

 

 ある聖人が民衆と逃げ惑う最中、海を割って対岸へ渡ったという物語。

 あれとそっくりだった。

 

 労せずとも、わたしのために道が拓かれ王道を行くが如く、愚かな民衆を導き、癒しという名の陶酔を与え、その人生を惑わす。

 

 

 宛ら、神に選ばれし者の特権だ。

 

 堪えきれずに、「くくっ」と笑った。

 

 

 わたしを中心に世界が回っている。

 

 それぞれの人生、それぞれの主義、それぞれの哲学、それぞれの夢、それぞれの信念。

 

 皆、違う物を見て、聞いて、生きてきたのに、わたしの前に来れば同じことを叫んだ。

 

 

『おんぷちゃん、かわいー!!』

 

『おんぷちゃん、サインくださーい!』

 

『おんぷちゃん、新曲サイコーでした!』

 

『おんぷちゃん、ドラマ感動しました!』

 

 

 ――ははは、バッカじゃないの?

 

 

 なんとも、哀れじゃないか。

 

 

 その哀れさに免じて。

 撮影所に入る前に、くるっと振り向く。

 

 皆、わたしに向けて手を伸ばしていた。

 届くはずもない、その手を。

 

 その手に向けて、笑顔でウィンクした。

 

「みんな、ありがと~! ドラマ頑張りま~す!」

 

 わっと、歓声が上がった。

 

 

 

 ――汚ない手、こっちに向けないでよ。

 

           ♪

 

 楽屋に入って一息つく間もなく、スタジオへ向かった。

 

 ドラマに出演している。

 人気アイドルであり俳優業も務める、トッキー主演の学園コメディ。

 

 わたしはトッキー演じる新米教師に何かとお節介を焼くという少女役。

 ストーリーの核となる準主役級だ。

 

 今日は軽い稽古だけど、既に台本を頭に叩き込み役作りも終えている。

 本番にすら臨めるような意気込み、集中力を漲らせながら廊下を歩く。

 

 我ながら殊勝なことだ。

 顔だけの大根が主役を張る作品に、感性の欠片もなく口から涎を垂らす視聴者。

 本来ならこんな輩のために時間を取られるなんて、あってはならないのに。

 

 しかし、わたしほどの唯一無二の存在になると、それこそ天を廻る月のように、能無ししかいない暗黒の世界を一人で照らさなければならないという重い使命が付きまとう。

 

 天才とは斯くも孤独で、涙ぐましい努力が必要なのだ。

 

 その努力とて赤子の手を捻るようなもの。

 台本は一度読めば覚えるし、息を吸うように役が体に染み込んでいく。

 仕事となると勝手にスイッチが切り替わり、心体は戦闘状態へと移行する。

 

 才ある人間、生まれながらの戦士だ。

 周りの連中が必死になってやる事を、わたしはいとも簡単にこなしてしまう。

 格の違いを見せ付け、ひれ伏させる。

 

 だけど、まだ。まだ足りない。

 まだ。まだ。まだ。まだ。

 

 月の輪郭から翼が生えて、空高く飛び上がる。

 己の照光を、さらに広い世界へと満たすため。

 

 

 ――もっと高く

 

 ――もっと広く

 

 

 廊下が狭く感じるほど、自分の中で気迫が大きく膨らむ。

 

 世界が窮屈なら、殻をぶち破ればいい。

 まだ手狭なら、さらに壊せばいい。

 

 

 自分なら為せる、と。

 

 自分だけが許される、と。

 

 自分こそが真理である、と。

 

 

 自信、自敬、自尊。

 感情は三位一体となり、昂りが天を裂きながら登り詰める。

 

 笑い叫びたい欲求に駆られ、激しい高揚感に支配されそうになりながら、いつしかスタジオの入口に到着していた。

 

 わたしは『いけない、いけない』と頬をぱたぱたと叩き、瞬時に気持ちを切り替える。

 

 

 ――てへっ♪ ちょっと集中しすぎちゃった♪

 

 

 ここからは プロの仕事場。弱肉強食の世界だ。

 臆することも、油断することも、許されない。

 

 勢いよく、ドアを開いた。

 

「おはようございま~す! 今日も よろしくお願いしま~す!」

 

           ♪

 

 小物やセットの部品を担いだスタッフが忙しく行き交う。

 

 広いホールの真ん中には学校の教室をそのまま切り抜いて運んできたかのような本物さながらの舞台が組まれていた。

 

 やろうと思えば江戸時代の武家屋敷だろうが、UFOの船内だろうが、なんだって作れてしまう。

 

 

 芸能界は魔法に溢れている。

 

 

 けれど、わたしは そんなものには目もくれず周囲のスタッフに挨拶をして回る。

 

 何も物珍しいことじゃない。

 こんな物は全て、子供騙し。

 

 壮大な舞台、精密な小道具、煌びやかな衣装。

 どんなに魔法染みていようが、結局、それは人が生み出している物だ。

 

 スタッフは日夜技術を磨き、汗水垂らして、仕事をこなしている。

 

 全て、仕事だ。

 

 

 ――わたしのための、ね。

 

 

 もし、魔法があるとするならば。

 それは全て、自分のための魔法で。

 魔法を使える『魔女』は、わたし一人。

 

 

 わたしは監督やプロデューサー、末端のスタッフにも一言ずつ声をかけていく。

 

 皆が皆、鼻の下を伸ばし、瞼をだらしなく垂れ下げる。

 自分に向かっている照れや好意が手に取るように分かった。

 

 少し愛嬌を振り撒いてやれば、この通り。

 相手の下心を撫でてやっただけで、周りの奴らは馬車馬のように働いてくれる。

 

 ご褒美は「ありがとう」の一言。

 それは魔法の呪文。

 

 その一言で人が踊る、踊る。

 だめだ、笑いが止まらない。

 

 TVの向こう側にいる人間とて同じ。

 ハリボテの嘘にかじりつき、必死になってわたしの笑顔にすがりつく。

 

 

 わたしは一時の熱情(まほう)を与える。

 人は一時の快楽を得る。

 

 けれど、快楽に浮れた人は一時だけでは満足できなくなり、もっともっと、欲しがり依存する。

 

 やがて、お金や時間、人生すら、わたしのために捧げるようになるのだ。

 

 一汗すらかいていないのに、目の前に名声や貢物が勝手に積み上がっていく。

 

 

 人を操ることが、最強の魔法だ。

 

 

 ――あははっ

 

 

 なんて愉快な気持ち。

 笑顔を作るのに、苦労しない。

 

           ♪

 

 舞台には演者が集まり、談笑していた。

 わたしと同年代の餓鬼が、きゃんきゃんと喚き散らす。

 

 特にトッキーの周りは多くの子役達が囲み、本人は対応に齷齪しながら困った顔で笑ってた。

 

 

 わいわい、がやがやと。

 煩いこと、この上ない。

 

 

 わたしが折角精神を集中させているのに、この馬鹿共ときたら。

 一人一人、口を引き裂いてやりたくなる。

 

 どうせ立ってるだけのマネキン、背景も同然。

 声は後で録音でもすればいいのに、わらわらと群れて邪魔な連中だ。

 

 誰のお陰でこのドラマが成り立っていると思っているのか。

 

 全て、わたしの手柄。

 役立たずが何人揃ったところで、砂一粒ほどもわたしの代わりは出来ない。

 

 

 憤怒が心を焦がす。

 けれども、頭の中は至って冷静だった。

 

 わたしは、夜空の月。

 羽虫がいくら羽ばたこうが、決して届かない高みにいる。

 

 せいぜい、わたしを引き立てるために連中には踊ってもらおう。

 

 

 そう自分を納得させて抱いた憎悪をおくびにも出さず、わたしは微笑みながら演者の群れの中へ入っていこうとした。

 

 その時。

 

「Hey! そこなGirl! 待ちナ!!」

 

 いきなり呼び止められた。

 

 内心で舌打ちする。

 こんな阿呆丸出しの片言を喋る奴は、この世に一人しかいない。

 

「Hello! おんぷチャン! こんにチワ~!」

 

「……」

 

「オヤオヤ~、こちらからApproachを仕掛けてるのに? 唸りが足りないからカ!? おんぷチャンッ!! おんぷチャァァァ~ンッッッ!! おんぷチャンと思われる方ッ!!」

 

「もう! 耳元で怒鳴らないでよ! 聞こえてるから!」

 

「ヨカッタ!! やっと姿を現したナ!! オハヨッ!!」

 

 気付かない振りをするも、逃げ損なった。

 

 

 仕方なく、声の主――飛鳥桃子と向かい合う。

 

 

 畏縮させるつもりで溜め息をついてみるけれど、当の桃子は全く気にしていない。

 

 無神経で空気が読めない女。

 

「はいはい、おはよ。これでいいんでしょ。わたし、他の人にも挨拶するから……」

 

「ヤダネ! ここは通せんボッ!! 四半世紀は退かなイ!!」

 

「……頼むから、退いてくれない?」

 

「自業自得デショ!」

 

「なんでよ!?」

 

「ファンです。Marry me!」

 

「ねぇ、話聞いてる?」

 

 時間を束縛され、苛つく。

 あしらおうにも掴み所が分からな過ぎて、いつもあちらのペースに飲まれてしまう。

 

 

 わたしの魔法が唯一効かない相手。

 

 同業者にして、最大の敵。

 

 それが、飛鳥桃子という少女だった。

 

 

 同年代とは思えない長身に、カモシカのようなすらりとした手足。

 パーツを絶妙に配置された端正な顔立ち、生来の金髪はリングにして纏められている。

 

 綺麗過ぎる見た目は近寄り難い印象。

 されど、性格は底抜けに明るく、いつも周りは友達に囲まれていた。

 

 アメリカ人の祖父を持つクォーターで、生まれも育ちもアメリカ。

 5歳の時に芸能事務所にスカウトされ、アメリカの子供番組やドラマに出演。

 1年前に帰国し、そのまま日本のTV業界に進出した。明るい性格はバラエティでも受け、モデルや役者としても引っ張りだこ。

 特技のお菓子作りを生かして有名スイーツ店とコラボ商品を出したり、ギター演奏でバンドを組んだりと多彩な活躍を見せ、今や引く手余多の人気チャイドルになった。

 

 

 同い年であり、人気をほぼ二分してると言ってもよい両者。

 自然と巷ではライバル関係として見られ『おんぷVS桃子』という構図はいつも注目の的だった。

 

 

 雑誌の取材でも、よく聞かれる。

 

 

『ももちゃんのこと、どう思ってるの?』

 

 

 その度に、心に激情が走った。

 

 なんで、わたしがこの女と並べられて――比べられなきゃならないんだ。

 

 わたしは、天の月。

 雲一つ、陰ってはならないはずなのに。

 

 桃子がTVに出ているのを見ると、画面を殴りたくなる。

 もしかしたら、その台詞は、その席は、その舞台は――

 

 わたしがやるはずだった仕事かもしれないのに。

 

 わたしの方が、もっと上手く演じられる。

 わたしの方が、もっと面白い事が言える。

 わたしの方が、もっと綺麗な声で歌える。

 

 嫌悪感が肌を這い回った。

 

 自分の中にある、絶対に譲りたくない何かが犯されてるように思えて――

 

 桃子と比べられる度に、わたしの価値が貶められているように感じて――

 

 

『ももちゃんのこと、どう思ってるの?』

 

『と~っても仲のいいオトモダチで~す』

 

 

 

 ――殺してやりたいくらい、嫌いです。

 

           ♪

 

 延々と桃子のお喋りに付き合わされてる内に「リハ始めま~す!!」とスタッフが呼びかけた。

 

 リハーサル前の打ち合わせが始まる。

 演者やスタッフが監督の前へと集まり出す。

 

「オット、もうこんな時間カ!? Yeehah! Life changes!!」

 

 桃子は腕を大きく突き上げて走り出した。

 

 相変わらず、勝手な女だ。

 こちらの精神を削るだけ削って、自由気儘に去っていく。

 

 気持ちを荒ませながら、わたしも打ち合わせに参加しようと歩き出す。

 

「あの……おんぷちゃん」

 

 すると、後ろから声が掛かった。

 

「おはよ。かれんちゃん♪ 今日も頑張ろうね」

 

「お、おはよう。よろしくね。足引っ張らないようにするから……」

 

 振り向いて、こちらから挨拶をする。

 森野かれんが、幽霊のように佇んでいた。

 

「あ~あ、今日も市川先生に宿題たっぷり出されてヤんなっちゃう。そもそも子供が働くのも反対だ~、なんて言ってくるのよ? かれんちゃんも何か言われたでしょ?」

 

「うん……あたしもいっぱい宿題もらったよ。先生には学業を優先するようにって……」

 

「ふん、ほっとけばいいのよ。いくら先生だからって生徒のことに口を挟みすぎなんだから」

 

「そう……そうだよね」

 

 弱々しく頷くかれん。

 

 偶然にも同じ小学校、同じクラス。

 しかも、同じ仕事をする仲だ。

 

 芸能界について何かと小言を言ってくる担任の愚痴や、授業のノートを共有したりと、数少ないわたしの――味方だ。

 

 毒にも薬にもならない女だけど、ストレス発散やノート書き留め係としては有用。

 おまけに、いつも挙動不審で役者志望のくせに演技の才能が欠片も感じられない所が素晴しい。

 わたしの領域を犯さないから、大変都合が良い存在だった。

 

「じゃ、じゃあ、おんぷちゃん……また後で」

 

 そう言って、かれんは群集の中へ消えていく。

 

 いつも前の方で話を聞く、真面目な子なのだ。

 

 その努力は一生報われないとも知らずに。

 呆れを通り越して感心してしまうほどの健気さを、わたしは黙って見送った。

 

 

 いよいよ打ち合わせが始まる。

 

 背中を、どんと小突かれた。

 

「あらぁ? 小さくてぇ~、見えませんでしたわぁ。ご・め・ん・な・さ~い♪」

 

 振り返って、睨みつける。

 

 玉木麗華が、嘲笑っていた。

 

 

 一時期は紙面を騒がせるほどの人気だったけれど、今やわたしと桃子に話題をかっさらわれて、落ち目も落ち目のチャイドル。

 今回の役所とて、短い台詞が三つ四つあれば良いと言った端役だ。

 

 そもそも、才能がなかったのだけれど。

 

 親のコネで芸能界に入って映画の主演を掴むも、臭い芝居に、愛想の欠片もない尊大な態度、台詞や役所にケチをつけ脚本を書き直せと迫る。

 束の間持て囃されて、客にも製作にもそっぽを向かれた。

 自業自得なのに、それを自分のせいではないと宣う愚かな女。

 

 今も人気を奪われた妬み――妄想にも等しい逆恨みで、わたしに絡んでくる。

 桃子は嫌味どころか日本語すらまともに通じない相手だから消去法で、わたしというわけだ。

 

「……ちゃんと前向いて歩きなさいよ」

 

「あら、嫌ですわぁ。怒んないでくださるぅ? わざとじゃないですのよ、お・チ・ビ・さん♪」

 

 麗華が、見下ろしながら言った。

 

 

 わたしは、背が小さい。

 

 中学生の麗華はともかくとして、同い年の桃子にも及ばす、クラスでも一番背が小さい。

 

 

 今まで、どんな努力だってしてきた。

 

 体力を鍛え、歌唱力を身に付け、表現力を磨き、授業に遅れてはいてもテストは何時も満点で、どんな些細なことであろうと自分を高めるための努力に、手を抜いたつもりはない。

 

 けれど、どうしようもないことがある。

 どんなに頑張っても叶わないことがある。

 

 背が小さい。

 それだけでオーディションを落とされたことが何度もあった。

 そして、わたしが落ちたその役を桃子が演じることも。

 

 背の小ささは、弱点(コンプレックス)

 麗華は、それをよく分かっている。

 

 だけど、誰に向かって文句を言っているのかは理解してないらしい。

 

「ふふっ……お陰様で、こっちは忙しくて背が伸びる暇もないくらいよ♪ あんたはいいわね~、のんびり育って。まるで芋みたい」

 

「――ッ!? あ、あなたねぇ!……」

 

「ちょっと太った? 舞台に上がってないから体が弛んでんじゃないの? まぁ、仕事がしたくてもできないものね。次に現場で会うことはもうないじゃないかしら?」

 

「この――ッ!!」

 

「いつまでも芸能界にしがみついてないで引退でもしたら? お・ば・さ・ん♪」

 

 小さく呟いて、わたしはその場を後にする。

 

 横目で流し見た麗華は肩を震わせて、顔は赤く上気し、唇を噛んでいた。

 

 

 雑魚の能書きほど、むかつく物はない。

 それを切って捨てることほど、愉快な事はなかった。

 

 わたしは、ケタケタと、嗤った。

 

 

 

「――あなた、確か青空小でしたわねぇ?」

 

 囁きは、笑い声に紛れて、聞こえなかった。

 

           ♪


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