知覚に引っかかるものがいるなら切り伏せてしまえばいいと本能が訴えている。
おれの食指が動かないアイテムごと生き物をなます切りにして、生暖かい血液やら肉片を頭から浴びればそれはそれは面白いぞと何度も言うのだ。
そうして欲しいものを奪ってしまえば、最高じゃないかと。
それなのに干からびた婆さんの死体一つを引きずって、おれが自分の盗賊スキルも及ばない場所へのこのこと歩いてきたのはなぜだろうか。
この婆さんが
そう思って元来た道を戻ろうとして、――けれども足が動かなくなる。
今戻るのはよくないだろう。
それはなぜだ。
あの子を巻き込むから。
「あの子」とはなんのことだろうか。邪魔者なんて潰せばいい。
いいから先に進もう、アイテムの使用者がいなければ精神支配されていたってうまいこと制御できないだろう。
そもそもおれがここまで来たのはどうしてだろう。あの場所にまだ獲物はいたのに。
このどうしようもない衝動にあの子を巻き込んだらだめだろうとなにかが言う。
結局戻ろうとすれば説明のしようのない不快感に苛まれるので、おれは婆さん一つで諦めて、目につくはしから動物を切り殺して森の中を闊歩し続けた。
ああ、でも戻りたいな。盗賊スキルに引っかかったアイテムを回収したいな。でも「あの子」を巻き込んだらいけないからな。戻れないならしかたのないことだね。
もうおれの知覚できる範囲内には感知できるアイテムも、気配を感じる生き物もいない。
けれどもその繰り返しばかりで森の中をぐるぐる歩いていると、不意に湧いて出たようになにかが盗賊スキルへ感知された。
婆さんの死体を木のうろに隠してアイテムの匂いをさせる方向へ進めば、そこにはよく見慣れた男がいた。だから、心の臓を狙って突いた。なぜおれは知り合いを殺すつもりで突き刺したのか。そこにぼんやりと疑問が湧いたけれど、本能がそうしろと言うからしかたない。
しかし即死を狙ったおれの攻撃に相手はびくともしなかった。
多少のダメージは負っただろうが、攻撃力もレア度もそこそこでしかない武器でレベルをカンストした相手に与えられるものなどたかが知れている。一撃で仕留められないのなら、この状況は厄介だ。負荷が足りない。確率が外れた。これはそういう理由ではなく、どうやら相手が魔法やアイテムを使用して即死に対する耐性を身につけているらしい。
「私の元までご足労いただきましたこと、お礼申し上げます。シュヴァイン様」
本当に厄介なことだと小さく舌を打つ。おれはまんまと相手の策にはめられたようだ。
知覚が訴えてくるのは目の前の男だけではなく、どこかに二人、隠れてこちらの様子を伺っているのがわかる。
そうして「めんどうくさいなあ」とおれの中の人間らしい部分が愚痴を言う。
けれども「これはこれで面白そうじゃないか」と笑うのもおれの中の人間らしい部分なのだ。
仲間たちが作り出した彼らは、言うまでもなく集めるに相応しいアイテムを身につけているのだから、そのままころしてしまってもしかたがない。
なぜ仲間の子供と呼べる人物をころす必要があるのだろうか。それはやはり、本能がそうすべきだと言うのだから、どうしようもない。
ころす? 殺す? なんでころすのだろうか。どうしようもないからだ。
Q:神様の言うことは? A:ぜったーい!
だからおれはもう一度、迷いなく刀を振り抜いた。
…
「いいわね、デミウルゴス」
「無論です」
「…ヨロシク頼ム」
この場にいる誰よりも速度は勝っている。けれど装備の都合で防御力や攻撃力は少し劣る。
そんなおれの目の前にいるのは、その「少し」が敗北要因となるやつらばかりだ。
時間が長引けば、回復アイテムを使用されれば、それだけの理由でおれは負けという位置まで追い詰められてしまうだろう。
だからできるだけ早期に決着をつけなくてはならない。耐久戦を重視して育成してきた結果がこんな場面で裏目に出るだなんていったい誰が考えるだろうか。ナザリック地下大墳墓の自室に置いてある装備が恋しい。
「悪巧みかな?」
「おっしゃる通りでございます、っ…はァッ!」
おれが振るった刀をバルディッシュで受け止め、アルベドは微笑んだかと思えばおれの体重ごと勢いを打ち返した。あの美女の腕力はどうなってるの。
着地しようとした地点ではコキュートスが待ち構えているので、腹から分割されないためにも空中に浮いた身体に回転をかけて体勢を整える。視界に入るのは振り下ろされる斬神刀皇――
「いいよいいよぉ」
がぁん、と鉄の板を打ち鳴らすようなけたたましい音がして装備していた武器がへし折られた。そうして右腕がびりびりと痺れるのを左腕で押さえながらも、おれは顔に満面の笑みが浮かぶのを耐えられない。おれの半分麻痺したような右手に握られているのは斬神刀皇、コキュートスの持っていた
「ひとのものをとったらどろぼう? 笑わせるなよ、おれは盗賊だぜ」
馬鹿でかい大太刀は地面について引きずられるような状態になっている。それを野球バットのように振って切りつければ、風圧で周囲の木々がなぎ倒された。まるで笑い話のような切れ味だ。手で握る感触はまだ麻痺しているのに、装備した斬神刀皇は吸いついたように離れないのがまた笑えてくる。
攻撃力の問題があるのなら現地調達で解決すればいい。
コキュートスから放たれるフロスト・オーラに当てられて顔や身体がみしみしと薄氷に覆われていくのを感じつつ、おれはもう一度握りしめた大太刀を振り上げる。これで攻撃力の問題は解決したのだから、こちらがとどめを刺される前に三人を仕留めればいいだけだ。
武器装備で負荷される荷重? 重戦士系の武器によるペナルティ? 三倍まで上がった速度の前には微々たるものだよぉ。
確かに装備する前と比較すれば速度は落ちる。けれども先程までの攻撃力を計算すれば、こちらのほうがよほど勝率が跳ね上がるのだから装備しないという選択肢はないだろう。
「悪魔の諸相、八肢の迅速」
「まだ遅いんだなァ!」
弾けるような血飛沫が上がった。
デミウルゴスの腹に深々と突き刺さった斬神刀皇を見て、頬に付着した血液を舌で舐め取る。あと二人。身につけているものは全員始末してから選別すればいいと体勢を整えて、デミウルゴスの腹から斬神刀皇を引き抜こうとしたところで異常事態は発生した。
太刀が抜けないのだ。それどころか血塗れた手で胸ぐらを掴まれて身体にしがみつかれて、まともに身動きすることができない。
斬神刀皇でもう一度切りつけて引き剥がそうにも、身近でしがみついてくる人物の腹に突き刺さった長大な太刀はある程度距離を置かなければ取り扱うことすら難しい。
――ああ、くそ、これも策のうちか!
「離せ、…ぐぅっ!?」
コキュートスの二本目の腕に構えられた武器が振るわれて、デミウルゴスごと地面に叩きつけられる。身体を起こそうとしたところで視界からコキュートスが消えていくのが見えた。転移魔法の類いの魔法陣が糸を引くように霞んで消えていく。
「これから私たちが乞う許しを、けして許さないでください。シュヴァイン様」
上等な鈴が響くような声が聞こえた。
そこにいたのは、ヘルメス・トリスメギストスの兜を取り払ったアルベドだ。
フロスト・オーラで霜の降りた草地を踏んで近寄ってきたその悪魔は、おれとある程度の距離を置いて立ち止まる。背筋を伸ばして、凛とした顔でおれを見据えて、そうして表情を一転させてとても悲しげに眉を寄せた。まるで今生の別れのように。
その厳めしい戦士の装備に不釣り合いなその手に握られている異様な造形の
「
「シュヴァイン様が左手の人差し指につけていらっしゃる指輪は体力以上の攻撃を受けたとき、即死を防ぐ特性があると他の至高の御方々と玉座の間でお話していらっしゃいましたね。それをこうして利用する無礼をお許しください」
「嘘だろ、それを発動したらデミウルゴスが死ぬぞ!」
おれにしがみついたままのデミウルゴスの顔色は悪い。そりゃあそうだ、大振りな刀が腹を貫通して平然としている生き物なんていないだろう。
それをしでかしたのはおれだというのに、ひどく追い詰められた気持ちになる。
「どう、どうか…お、おゆるし、くだ、さい…」
そうしてアルベドが転移する直前に聞こえたのは、嗚咽と涙声が混ざった声だった。深く頭を下げていたのでその表情まではわからない。
けれどそれに気を取られている暇もなくおれを中心に空へ魔法陣が描かれて、ここ一帯を見る間に包み込んでいく。
「くそ、離せ、デミウルゴス…! 諦めてたまるか…!」
「いいえ、お許しください、その命令に従うわけにはまいりません!」
口から血を吐きながら、デミウルゴスは一層強くおれの胸ぐらを掴んだ。
ここでようやく守護者たちは本気なのだと悟る。守護者たちはデミウルゴス一人を犠牲にして、おれがまともに身動きできなくなるようなダメージを叩き込もうとしているのだ。
死をもってしても得られるのは敵の負傷だなんてそんな納得のいかないことがあるだろうか。
「馬鹿か、お前ここで死ぬつもりか! こんなろくでもない男一人を捕獲するのに命を捨てるなんて無意味だろうが! 殺そうとしたおれが言うのもおかしな話だけどさァ!」
「いいえ、至高の御方を御救いすること、これほどの名誉の死がありましょうか! シュヴァイン様、あなたは、あなた様方、至高の御方々は、生きていて下さるだけで我々の存在理由であり、命であり、唯一無二のかけがえのないものなのです!」
怒鳴っているからなのか見開いた宝石の目に何人ものおれが映った。
なんだそれ。
「別におれじゃなくてもいいんだろ?」
一瞬、息が止まったようにデミウルゴスが動きを止めた。
そうして視界に映る限りの世界が輝く。
燃え盛る業火か、怒涛の吹雪か、よくわからない衝撃が全身を包んで、目を開けていられない。やがてそれが消失したと思えば代わりに例えようのない激痛が身体を駆け巡った。
頭が痛い。垂れてきた血で視界も霞んでいる。
足が痛い。たぶん両足とも折れている。
腹が痛い。恐らく衝撃で内臓の一部が潰れたのだろう。
けれどまだおれは生きている。デミウルゴスがいた場所に残された斬神刀皇を手探りで探し、なんとか見つけたところでおれのうえに影が落ちた。
「シュヴァイン様、オ加減ハイカガデショウカ?」
「あ゛が、あああああ!」
潰れたのどが断末魔のような濁声を上げる。
折れた両手で斬神刀皇を握り、折れた両足でなお立ち上がろうとするおれを見て、コキュートスはゆっくりとした動作で武器を構えた。
「……ドウカ、オ許シクダサイ」
武器が振り下ろされてそこからおれの意識はない。
×××
全身が痛い。
ただそればかりを感じて重たい目蓋を開けば、そこにいたのは世にも恐ろしい骸骨の顔だ。
「目が覚めましたか? シュヴァインさん」
ぼんやりと周囲を見渡せば、目の前の骸骨のすぐ後ろに大きな虫が控えている。誰だ、どこだここと自問自答を繰り返していればだんだんと記憶が蘇ってくる。ここはナザリック地下大墳墓で、おれの自室だ。
「あー…あー…あー…、あー……、………寝るぅ」
みしみしと痛む腕を無理に動かして頭から布団を被れば「この様子なら
そうして部屋の扉が閉まったところで、布団という名前の心の壁がモモンガさんの手によって容易く奪われてしまった。
「きゃーえっち」
「しばき倒しますよ。もうすぐペストーニャが来ます。それで身体を一気に直しましょう」
「秒2%回復がまるで効いてる気がしない」
「すみません、まだスキルが続いている場合を考えて課金アイテムで抑制しました」
「ええ? おにのこかきさ、…いや、今回は大変ご迷惑をおかけして、すみませんでした」
のどが潰れてざらざらとした声を見かねてかモモンガさんからポーションが一本差し出される。
それを飲み干して一息つくとおれはぶるりと身震いをした。ユグドラシルでPKするしないの遊びではない、殺し合いの世界を思い出したからだ。
いや、殺そうとしたのはおれだけで、きちがいとも言える状態になったおれを生かしてここまで運んできたのは優秀な守護者たち、そしてそれを指示したモモンガさんだ。おればかりがただただ迷惑をかけた。
おれはこの直面した環境を甘く見ていたのだ。続編のゲームを楽しんでいるだけのような生温い精神で、ふらふらと遊んでいた結果がこのありさまだ。そうしてその怠惰のせいで、出してはいけない犠牲が出てしまった。
「モモンガさん、おれのせいでデミウルゴスが…」
「ええ、ええ、大丈夫です。シャルティアも、デミウルゴスも、アインズ・ウール・ゴウンの仲間たちが残してくれた大量の金貨で無事に蘇生されました」
宥めるようにおれの肩を撫でながら、モモンガさんがおれの言葉に返答する。
けれどその解答はおれに新しい不安を植えつけた。
「シャルティア? シャルティアがやつらに殺されたっていうんで、いッ!」
「落ち着いてください、傷だらけのままナザリックまで連れて来たんです。…なんの心配もいりません。事態は無事に落ち着きました」
「………はい」
「シャルティアはね、わたしが…俺が殺したんです。
それは「軽蔑しますか?」という質問を匂わせた沈黙だった。
モモンガさんは考えていたよりもずるい人だったらしい。そんな言いかたをされてしまっては、おれのほうが重罪になるじゃあないか。
「質問に質問で返しましょうか。さんざん暴れまわって他人に迷惑をかけて、挙げ句に無事に蘇生することができたとは言え、部下を死に追いやったおれを軽蔑しますか?」
「字面だけ見るとひどい状態ですね」
「お恥ずかしい限りです」
そこでようやく、おれたちに少しばかりの笑いが訪れた。
「治癒魔法での治療が終わったら守護者たちに顔を見せてやってください。とりわけシュヴァインさんを攻撃したからと、アルベド、デミウルゴス、コキュートスの落ち込みようがひどくて…」
「あー…あー…あー…」
「どうしました?」
「おれも顔を合わせるのが死ぬほど恥ずかしくて。特にデミウルゴスにはさんざん暴言を吐いたというか、めんどうくさい彼女みたいなことを言ったというか」
「わかりました、治療が終わったらすぐにデミウルゴスを呼びますね」
「鬼の子か貴様」
…
そうして玉座の間ではおれが謝罪を述べ、守護者たちも快く許してくれたのであったたた、とか思うじゃん。本気でデミウルゴスを連れてくるとか思わないじゃん。じゃん。
「シュヴァインさんがお前に話したいことがあるそうだ」とか会話に対するハードルを上げてくるあたり嫌がらせとしか思えない。目覚めたときは「シュヴァインさんが無事でよかった」とか言ってくれたけれども、あとからじわじわ「心配かけさせやがってあの豚野郎」とかそういう類いの怒りがきたパターンと見た。
「…まあ、座れ」
「…はッ」
気まずぅい。
デミウルゴスの背後からサムズアップして部屋から退室したモモンガさんにも
モモンガさんに手渡されたアイテムを手の中で転がしながら沈黙に耐えるが、そりゃあ呼び出したはずの上司がなにも言わなければデミウルゴスも発言できるわけがない。つまりおれがなにか言わなければ、この沈黙は続くのだ。うわ…つら…。
「今回のことは礼を言おう…いや、悪かったな…これも違うな」
ぶつぶつと訂正を繰り返して謝罪とお礼の言葉を考える。
けれど支配者として威厳を保ったまま今回のことをお詫びできる気の利いた台詞は、おれの陳腐な頭ではまるで浮かんでこない。そうしている間にも時間は経過しておれを追い詰めるわけでありまして。
「…あああもういい! 威厳とか知らん! この度は多大なご迷惑をおかけしまして本当にすみませんでした! あと助けてくれてありがとうございました!」
「なっ、シュヴァイン様…!」
ペストーニャの治癒魔法を受けて完治しているのだから怪我人もくそもないと思うのだが、安静だと口を酸っぱくして言われたのでベッドのうえで頭を下げる。気持ちは平身低頭だけれども身体の構造的にこれ以上は下がらないので許してほしい。
これ以上頭の位置を低くしたら豚君の背中から背骨が突き抜けちゃうぅ。
「どうか、どうか頭を下げないでください! 私はシュヴァイン様のお気持ちも考えずに行動した愚か者なのです! 責められこそすれ、頭を下げられることなどなに一つしておりません! いいえ、至高の御方が誰かに頭を下げることなど、ッ…申し訳ありません失言でした」
「あああやっぱり覚えてる! 忘れて! そのめんどうくさい彼女みたいな発言忘れて!」
「で、ですが…」
「後生だから忘れてぇ」
威厳なにそれうまいの。
逃がすものかと言わんばかりにデミウルゴスの両手を両手で捕まえて、ぎゅっと握る。頼むから忘れてくれたまえ。無言で見つめると「か、かしこまりました…」と小さな声で返事をしてデミウルゴスは顔を伏せた。よっしゃ言質取ったり。
×××
これはいったいどういう状況だろうか。
守護者たちの中で自分だけが呼ばれたことに、デミウルゴスは十分に心当たりがあった。
なにか処罰を――今度こそ自害の類いを命じられると考えていたというのに、デミウルゴスに与えられたのはしばしの沈黙と、謝罪、謝辞の言葉であった。
けれどもデミウルゴスは考えるよりも早く高揚する心臓を無理に鎮めて、頭を下げている主人に撤回する。今回のできごとで自分は至高の御方にお仕えするにはまるで理解の足りていない愚か者だということがわかったからだ。
「別におれじゃなくてもいいんだろ?」
自分が死ぬ直前にシュヴァインから与えられたのは、的の中央を射抜いた言葉だった。
もし、もしも至高の四十一人に優劣をつけるとするならば、デミウルゴスにとってその頂点にいたるのは他でもない自分を創造したウルベルト・アレイン・オードルその御方になる。
叡智は尽きることを知らず、悪魔としての至高を探究し続けたデミウルゴスの絶対的な創造主。
けれどもそんなウルベルトも今ではナザリックを去りどこかへ隠れてしまった至高の四十一人のうちの一人だ。
――至高の御方々はそれを悟っていたのではないだろうか。
ナザリック地下大墳墓のシモベたちは、至高の四十一人を崇拝している。
しかしその崇拝の念はその四十一人全員に対して平等なものであったと言えるだろうか。答えは否だ。だから、至高の存在たちは隠れてしまったのではないか。
自分たちの慢心が、落ち度が、自分たちの存在理由を奪っていたのだとしたら。
デミウルゴスは自ら導き出した解答に絶望し、嘆いて、それでもこの場所に答えてくれる人物がいるはずもなく、静かに語られるシュヴァインの言葉に耳を傾けた。
「まあ今回のことでばれたと言うか、自爆したと言いますか、おれが普段偉そうな態度でいるのは演技でありまして」
デミウルゴスは自分の浅慮を心底後悔していた。
自分たちの落ち度を考えればシュヴァインの演技は最もだ。崇拝に優劣をつけるものを、信頼のできる忠臣だと言えるはずがないだろう。
「日頃との言葉づかいの差とか、ひどいものだったと思うのに、おれを最後まで見捨てずに助けてくれてありがとうございました」
「そんな…」
至高の御方を助けるのは当然ですという言葉を飲み込んでデミウルゴスは他の言葉を探す。
それなのに言葉が見つからず、ただ自分の手を握るシュヴァインの手を見つめるばかりになってしまう。なにか、なにか言わなければ。そんな焦りは思考を空回りさせるばかりで、ろくな提案を生み出さない。
こんな自分に落胆してシュヴァインが隠れてしまったら。
すでにナザリックを捨てて去ってしまうだけの材料は十分に出揃っている。それどころかこれまでの無礼な態度を考えれば、シュヴァインだけでなく、モモンガ――アインズですらシモベたちを見捨てても不思議ではないのだ。
それでもまだこうして二人がナザリックに残り、あまつさえシュヴァインが自分の手を撫でてくれているのは、慈悲とも慈愛とも呼べる彼らの温情に他ならない。
だからこそデミウルゴスはその温情に甘えるわけにはいかなかった。本来ならば崇拝の念に差をつけるという無礼な行為に自ら気づいて、怠惰な思想を戒めなくてはならなかったのだから。
「シュヴァイン様、どうか、どうか私を、私たちをお許しにならないでください…」
「許すも許さないもないだろう。それどころか今回のことはおれに全部責任があるわけだし、デミウルゴスたちを責めるならまず罰を受けるべきなのはおれのほうだ」
「そんな、シュヴァイン様は被害者なのです」
「そう言うならデミウルゴスだって被害者だとも。おれのせいで、一度命を落としたんだ。頼むから自分を卑下するのはやめてくれ」
金色の目がデミウルゴスを真っ直ぐに射抜いて言葉に詰まる。
いまだに内心では納得いかないけれども、支配者たる偉大なお方が「是」と言えば全てが「是」になるのだ。ならばこれ以上デミウルゴスが謝罪の言葉を口にするべきではない。
「おれは今回のことを本当に感謝している。それと同時にとても申し訳ないと思っている。それはアルベドにコキュートス、他の守護者たちにもだ。…ひいてはお前だデミウルゴス、おれのせいでつらい目に合わせて、本当にごめんな」
「…勿体ない、お言葉です…」
とうとう耐えきれなくなったデミウルゴスの目から雫が浮いて、ほろりと落ちた。それは何度も頬を滑り落ちてシュヴァインの手に小さな水溜まりを作る。見かねたシュヴァインがデミウルゴスの両手から片手を離してそっと背中を撫でた。
それがまるでいつかのできごとのようで悪魔は嗚咽を噛み殺すように唇に歯を立てる。
意識を改めよう。
至高の四十一人は一人として欠けてはならない。
その忠誠心に優劣をつけてはならない。
心を入れ替えて、至高の御方々に絶対を誓うとその働きで証明してみせるから。
「どうか、私たちが御方々に仕えることをお許し下さいますか…?」
「ぜひともよろしくお願いします。そしてこれはほんの感謝の気持ちなんだけれども、これからもおれとモモンガさんを、皆で助けていただけませんか?」
そうして手のひらに握らされたのは「リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン」
それは至高の方々しか持つことを許されない至宝の一つだ。
恐れ多いと断ろうとしたデミウルゴスがなにかを言う前にシュヴァインが指輪を握らせた手を両手で塞ぐ。困惑して、頼りなく眉を寄せるデミウルゴスへ指輪を与えた「至高の存在」は緩やかに微笑んでみせた。
なんとずるいお方だろうか。
こんな顔をされてはなにも言えなくなってしまうではないか。
「…無論でございますシュヴァイン様。私、第七階層守護者デミウルゴスはいかなる難行と言えども全身全霊をもって遂行いたします。造物主たる至高の御方々に恥じない働きを誓います」
悪魔は優雅な姿勢を崩さずに、それでいて非常に心のこもった礼を見せた。