スレイン法国の
すぐそこまで迫ってきていたはずの天使たちが光の粒となって掻き消えていく。
それがなにかをしたことは明確だったが、なにをしたかまではガゼフにはわからない。ただ命が助かったという安堵と、どうして助けたのかという疑問の目で、その存在をじっと見つめた。
「な、何者だ!」
相手の指揮官が吠える。けれどもガゼフの目の前に現れたその異常は、相手の声が聞こえなかったかのような、もしくは聞く気もないといった緩慢な動作で背後を振り返った。
そうしたことでガゼフからはその存在の正面が見えたのだが、その存在はフード付きの土色の外套を身に纏うことでほとんど顔を隠していた。外套のはしから少しばかり見える顔も、鉄製の仮面に覆われていて容姿を見ることはほとんどできない。
その仮面は目のある位置に穴を開けて、薄い
ここだけ聞けばさぞや上等な仮面だろうと想像するが、実物を見たものならばそうは思わないだろう。仮面には口元と頬の左右の位置にそれぞれ平たい円筒の装飾がついていた。これがなんのためにあるのかはまるでわからないが、その仮面が人間の顔を模していないことだけは理解できる。異形をかたどったような装飾と鉄色が仮面から重々しい雰囲気を絶え間なく醸し出している。
上等な品であることは間違いないだろうが、ガゼフから見て、高級感という言葉からはとても縁遠い造形をしていた。
さらにこの人物は両腕すらも動物の毛皮で作られているらしいガントレットを身につけているために、肌の色すら確認できなかった。
外見から得られる情報があまりにも少ない人物だ。
ただ唯一、背丈から性別は男だろうと予想できる程度である。
浮世離れしたその格好が、先程カルネ村で別れた
知り合いだろうか? 可能性はなくもないだろうが、しかしそうなれば援助を求めて断られたガゼフを助ける理由がない。
どうして自分を助けたのかと問いかけようとしたところで、相手はすっと手をあげた。その手にはカルネ村から出る際にかの
いったいこの一瞬でいつの間に奪われたのか。驚愕とともに非難の言葉をかけようとして口を開けば、今度は、相手は実につまらないものを掴まされたと言いたげな反応で、その彫刻をガゼフへ粗雑に投げて返した。なんとまあ図々しい態度なのだろうか。
命を救われたとわかっていても憤慨してしまいそうになる自分をなんとか押さえ、ガゼフは一度大きく深呼吸を行い平静を取り戻した。
今はこのようなことに気を取られている場合ではない。
自分よりも腕が立つと確信できるこの人物が自分に協力してくれるならば、この状況を打破することができるかもしれない。そのためならば盗賊じみた相手だろうと、命の恩人には礼節をわきまえた態度を取るべきだ。
「危ないところを助けていただき感謝する、名も知らぬ御仁よ。そして申し訳ないがもうしばらく私に力を貸してほしい。報酬はいくらでも用意しよう」
さあどう出るか。ここで断られれば、今度こそガゼフはここで力尽きるだろう。
再び
「あれがいい」
敵側の一人の男を指さしてそうのたまった。
×××
「シュ、シュヴァイン様!?」
「なんでいるんですか」
坊やだからさ。
というかモモンガさん、アルベドの前なのに素が出てます。
戦士長にお手伝いしてくれたら好きなものあげるよ(要約)と言われたので、ちょっと考えてからあいつの持ってるアイテムが欲しいとおねだりしてみた。
まあ手伝う気もないし、手伝わなくても頂戴する気は満々である。アイテム絶対奪うマンとはおれのことだ。それが結果的に戦士長を手伝うという行為になるんだろうけれども。
こういうのを一石二鳥っていうんでしょぉ、豚君ってばちょー博識ぃ! なんて頭の中で自画自賛をしていたのだが、戦士長はおれの提案をなぜか「よし」とはしなかった。
「人間を報酬に求めるというのか…!」
あっ違うんですおれそういうのじゃありません。そういう趣味もありません。
戦士長の言いたいことを理解して言い訳をしようとしたところで、戦士長が視界から消えた。そしてその代わりとでも言うようにアインズ・ウール・ゴウン様()とその従者アルベドが同じ場所へ降臨していた。
これいらない疑惑抱えたままじゃないですか! 転移させるタイミング考えて下さいよお!
そして冒頭へ戻るのであったたた。
ガスマスクを装備しているというのに一瞬でアルベドに見破られたのはどういうことだろうか。もしかしておれこんな顔なのか。聞いてみたいことはいくつかあったが、今はそんなことをしている場合でもないだろう。
「なんなんだ、貴様ら…」
驚きと混乱の混ざったような声が聞こえて、おれたちは音源のほうを見た。
モモンガさんが「あとで聞かせてもらいますよ」と耳元で囁いたので、同意の意味を込めてうなずいた。おれもあとで言いたいことがあるんですよぉ、よくも豚君を置いていきやがって。
豚は激怒した。必ず、かの人畜無害なギルド長に以下略。
おれがモモンガさんの顔を見て、戦士長とのなんやかんやで忘れかけていた怒りが甦ってきている一方で、本人は芝居がかった動きで一歩を踏み出す。
「初めまして、スレイン法国の皆さん。わたしの名前は…アインズ・ウール・ゴウン。親しみを込めてアインズと呼んでいただければ幸いです」
少しばかり迷った様子を見せてからモモンガさんが名乗った名前は、やはりギルド名だった。
名乗ったあとにちらりとこっちを見たことから、なにかを考えているのだろうということはわかるが、おれとモモンガさんとのアイコンタクトは成立しないということをこのひとはそろそろ学習するべき。
そうしてとりあえず今は現場は丸投げしておこう、そしてタイミングを見て相手のアイテムだけを回収しようと結論づけたところで、モモンガさんの邪魔にならないような声量で、アルベドがこっそりと話しかけてきた。
「シュヴァイン様はどこまでご存じなのですか?」
「今回村が襲撃されたこと、あいつがそれを指示した人物であること。あいつが周囲の連中と比較して少しばかり上位のアイテムを持っていること…くらいだな」
「感服致しました。私がシュヴァイン様に報告させていただくまでもなかったのですね」
「多少なりと情報に粗があるけどな」
モモンガさんと戦士長の会話が筒抜けだったからね。それくらいはねぇ。
「先程取引と言ったが、内容は抵抗することなく命を差し出せ、そうすれば痛みはない、だ。そしてそれを拒絶するなら愚劣さの代価として、絶望と苦痛、それらの中で死に絶えていけ」
「…ああ、そうだ。モ――アインズ」
お前ら全員死刑な(はあと)宣告をしているモモンガさんに待ったをかける。
先程アインズと名乗っていた以上、他の名前で呼ぶのもどうかと思い、またさん付けなのも雰囲気に合わないと判断して呼び捨てにしたが…いいよね?
第なん位階魔法を使うのかはわからないけれど、その魔法に巻き込まれてアイテムが壊れては困るのだ。
「あれをおれにくれないか。あいつの持ち物が欲しいんだ」
指を差して今度こそ誤解のないように告げれば、モモンガさんは納得したようにうなずいた。
「いいとも。我が盟友よ」
そしておれの標的にされた人間は、今の会話を聞いて自分の腹にきつく腕をあてた。…そうか。そこにあるのか。おれがガスマスクの下で舌なめずりをするのと、相手の指揮官が指示を出すのはほぼ同時のことだった。
「天使たちを突撃させよ! 近寄らせるな!」
そこから繰り広げられるのは、徹底的な力の差による鏖殺だった。
まずレベルの差の問題で、モモンガさんには相手の攻撃はまるでダメージにならない。
今まで十分すぎる働きをしていた主力の武器が、まるで通じなくなるというのはどんな気分なのだろうか。
威力はてんでないというのに数ばかりが多いので、あぶれた天使がモモンガさんの横に立っているおれのところにもやってくる。
…こいつらはアイテムをドロップしてくれないようだけれど。
「そんなはずはない! ありえない! 上位天使がたった一つの魔法で滅ぼされるはずがない!」
吠える男はモモンガさんやおれを指差してなにものだと尋ねてくる。
そうですわたしたちが変質者です。仮面的な意味で。
相手は万策尽きたのか。いや、まだだ。指揮官の男はついに懐から「それ」を取り出した。
ああ、魔封じの水晶だったのか。しかも色合いからして超位魔法以外のものなら封じ込められるタイプのものだ。
水晶を見た瞬間から髪の蛇たちが興奮して鳴いている。
けれども「さあお仕事の時間だ」と身構えたところで今度はおれに待ったがかかった。
「待て。
演技がかったモモンガさんの声は、おれを苛立たせるのに十分だった。はぁん?
「だから水晶が壊される前に奪うんだろう」
「そんなことを言って奪取が間に合わなかったらどうするんだ。属性が極悪のわたしたちでは攻撃を受ければ大ダメージを食うだろう。水晶の中身もわからずに賭けをして、無暗に突っ込んでいくのは危険すぎる」
「いやいやいやなんのための耐久装備だと思ってるんですか」
「その台詞はまず耐久装備とやらを身につけてきてから言ってください。なんですかそのマスクとガントレット」
「ガスマスクとクマサンハンドです!」
「いや知ってますけどね! さっきはいいよなんて言いましたけど前言撤回です!」
「あ、あの…お二方…」
両者譲らない問答で演技の生皮が剥がれていく。先程とは違う意味の興奮で心配そうなアルベドの声も耳に入らない。
いやそんなことよりも早く奪いにいかないと魔封じの水晶が、水晶が使われちゃうぅ!
「ふ、ふざけるなよ貴様らッ!」
モモンガさんの制止を振り切って走り出そうとしたところで「ぱきん」と嫌な音がした。
目映い輝きが、暗くなり始めた草原を照らし出す。その光源は純白の翼を広げた一匹の天使だ。
「見よ! 最高位天使の尊き姿を!」
魔封じの水晶は使い捨てのアイテムだ。つまり、もう、
「はァ?」
草原に、聞いたことのない低い声が響いた。
よく聞いたらおれの声だった。