えっ、シスコン魔王様とスイッチ姫みたいな力ですか?   作:のんのんびり

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第六十一話 混乱

 

 

 

 安らぎを与えてくれるような優しい香りが、部屋の中をほのかに漂う。手に持つお茶の香りを楽しみながら、さわやかな風味に喉も潤い、彼らの心は少しずつ落ち着きを取り戻していく。精神的な疲労が急転直下の如く降って湧いた状況で、疲労回復効果のあるハーブティーは彼らの心を癒した。味や香りに集中することで、現実逃避することができたともいうが。

 

 数分前に突然起こった大嵐は、一瞬の内に冥界全土を文字通り巻き込んでいった。その影響力は甚大の一言にすぎるが、正直色々あり過ぎて頭が追いついていけない。今更慌ててもそこまで事態は好転しないという諦めが、彼らに「まずは一服しよう」という思考に、とりあえずは落ち着いたのであった。

 

「これおいしいねぇー。ソーたんのお土産に、アウロスのお店へ帰りに買って帰ろうかなぁ」

「あぁ、温かい。温かいっていいよね。もうこのままお家に帰って、寝ちゃってもいいかな…。僕、もうお仕事頑張ったよね……?」

「(自業自得だが)俺も、なんだかゲームがしたくなってきた」

「グレイフィアとリーアたんに癒されたい…」

 

 冥界を治める悪魔の王、四大魔王であるサーゼクス達の本音が心から漏れる。まだ公務の最中ではあるのだが、真面目に魔王として働くことを今だけは勘弁してほしかった。どうせ少ししたら、嫌でも現実を直視しないといけないのはわかっている。だから今だけは、みんな何も考えたくなかった。

 

 

「ふむ、これもいい香りだ。確か、アリヴィアンと言ったな。なかなかの腕前だ」

「……ありがとうございます」

 

 そんな魔王様達の遠い目をあえて見なかったことにしながら、バアル大王もハーブティーの感想のみに留める。彼の頭の中では様々な情報が飛び交っているのだが、同時にあまりにもあんまりな現実の到来に、ちょっと頭が痛いのも事実だった。古き悪魔達をまとめるゼクラム・バアルとしては、本来冥界が大混乱しているこんな時に、のんきにお茶を飲んでいる訳にはいかないのだが、真面目に考えれば考えるほどズキズキとしてくるのだから仕方がない。

 

 あの大王様すら、遠い目になってしまうような大騒動。そんな異常事態の中、一番最初に現実に戻ってきたのは、やはりアジュカ・ベルゼブブであった。彼は一度小さく息を吐くと、これからの流れについて考えを巡らせる。少なくとも、ここまでは予定調和といったところか、とそっと静かに瞼を閉じた。

 

 

 和平に関して話し合いをしていた最中、慌てた様子のアガレス大公の眷属が当主を呼びに来たのだ。その眷属の尋常じゃない様子に、アガレス大公は会談を中断させてしまったことを謝罪し、続いて部屋からしばしの間退出をする。そんな突然のことに困惑する一同の下に、再び帰ってきたアガレス大公は真っ青な顔で胃を押さえながら、アグレアスで起きている映像を魔王たちに見せたのであった。

 

 レーティングゲームのトップ3による突然の緊急放送。そこから映し出される、悪魔のゲームの不正の暴露に、皇帝から運営へ向けた真正面からの宣戦布告。さらに、プレイヤーに向けたストライキ宣言で、四大魔王にポカンと口を開けさせ、あのバアル大王の目を点にさせた。一名、皇帝の笑顔に疲れからか、ちょっと幻覚が見えていたが。そんな怒涛なまでの勢いに、誰もが言葉を失うしかない。

 

 それから映像が終わった後も、彼らはすぐに動くことができなかった。目と鼻の先にアグレアスがあるというのに、魔王である彼らにできることが何もなかったからだ。レーティングゲームの不正問題を訴える皇帝を魔王が止めれば、民の暴動を招く危険性がある。何より、為政者である魔王はゲームの運営に関して口出しができない。また強引に介入したら、運営側が逆に暴走しかねなかった。

 

 また、ゼクラム・バアルも同様に動けないでいた。ここで序列第一位であるバアル大王が全面に立てば、運営は一丸となって皇帝に対抗できるだろう。だが、国民の不満は消すことができない。高い確率で、その負の矛先は運営とバアル家に向けられ続ける。それほどまでに、あの一瞬で皇帝ベリアルは冥界の民の心を掌握してしまった。もはや、もみ消すことなど不可能なほどに。

 

「何故、皇帝が真実にたどり着いた? いや、まず不正の告発のみで、第二位と第三位が反旗を翻すとは考えられん。……アレについても、知られている可能性が高いと見るべきか」

 

 皇帝に真実を告げた者がいる。ロイガンやビィディゼが裏切ったかと考えたが、それはないだろうと頭を振った。不正を告発しないままの方が、彼らにとって利益が高い。あまりにも危険な賭け過ぎるからだ。つまり、彼らは皇帝に弱みを握られ、従わざるを得なかった。そう考える方が、妥当であろう。

 

 彼らを従わせられるほどの効力を持つカード。間違いなくそれは、『(キング)』の駒だ、と彼は当たりをつけた。その証拠を表に出されてしまったら、どう足搔こうと運営に勝ち目などない。ランキング操作をした、程度では済まされなくなるだろう。映像に映る皇帝の姿は雄々しく、怒りに震えるような様子だったが、彼はまだ理性的だ。しかしこれ以上、皇帝が怒りを溜め続ければ、自棄になって暴発する可能性がある。早急に彼の宣言通りに、行動をして誠意を見せるべきだろう。それが最も被害が少なく、今後の再起も十分に行える手だ。

 

 しかし、運営側はそれをおそらく理解していない。己の利権の『全て』を守るために、皇帝に勝とうとするだろう。ゼクラム自身はこの勝負はすでに決着が着いていると考えても、古き悪魔達はそう簡単に認められない。皇帝が民の旗頭となるのなら、自分たちはバアル家を旗頭にして対抗しようなどと考え出すかもしれない。大王バアルの権力があれば、民を黙らせることなど容易いと、不正の責任から逃れようとする可能性すらある。

 

 ゼクラムとしては、そんなものを押し付けられるなど、バアル家全体にとってマイナスでしかない。貴族悪魔全体の権威の失墜すらあり得る。ここは素直に不正を行ったことを謝罪し、今まで甘い汁を吸ってきた運営上層部のクビを切り、誠意を国民に見せなければならないのだが、……当然彼らがそんな選択肢を選べるわけがない。

 

 ゼクラムから進言しても、反発は確実にあるだろう。むしろ、「現魔王よりも尊い存在であるバアル家が、皇帝ベリアル程度に負けを認めるのか!?」と、好き勝手に喚き、貶めだすであろう。それこそ原作のように、ゲームの不正はバアル家が全ての黒幕だった、とスケープゴートにしようなどと愚かな考えを持つ者まで現れるかもしれない。

 

 それ故に、己の影響力を熟知していたゼクラムも、すぐに動くことができなかった。まだ己の現状を理解できていない運営側に、何を言っても意味がないから。少なくとも、今回の件はバアル家が先頭に立って介入してはならない。表にあがるのは運営側であり、バアル家の介入は彼らが自分達の立場を正しく理解してからだと考えを巡らせていた。

 

 

「まさか、冥界全土の民を巻き込むとはな…。悪魔は人間に近づきすぎたということか」

 

 序列第一位であるバアル家。古き悪魔達のトップであるこの家は、当主こそ時代ごとに変わっているが、実質ゼクラムこそがその象徴となっているのだ。歴代のバアル家の当主は、必ず何かを決める時は先代に頼り、意見を請うのが当たり前となっている。それこそ、政はもとより、家の行事すらだ。自分というものを持たない、古き悪魔達にとって扱いやすい駒。普段なら問題なかったその事実が、今のゼクラムにとって苛立ちを産む結果となっていた。

 

 今回の魔王との密会は、『三大勢力による同盟』という最重要機密。そのため、ゼクラムがアガレス領にいることを知っているのは、己が信頼する本当にごく一部の者のみなのだ。当然、人形同然であるバアル家当主達や自身の利権のみに固執している古き悪魔達になどに、居場所を伝えている訳がない。今頃「初代当主様ァァァーー!!」と、大型台風(突然の災害)に対して何も対策や対応もできないまま、自分を探し回っていることだろう。

 

 『己の判断で決める』ということができない者たちは、とにかく自分が責任を持ちたくなくて、自分が安心したいがために、『何もできない』のだ。序列第一位であり、ゲームの裏を知る大王家はまともに機能せず、自らの権威を落としたくない運営側は、味方同士で責任を擦り付け合い、隙あらばスケープゴートにしようと足を引っ張り合っている。そんな状態では、誰も積極的に対策を講じようなんてできる訳がない。

 

 普段は穏やかな表情を浮かべている相貌は、今は苦々し気に眉根が顰められている。騒動の発端である皇帝を認めるのは癪であるが、『レーティングゲームのストライキ宣言』は一万年を生きるゼクラムですら、完全に想定外の行動だった。皇帝ベリアルを見誤っていたのは間違いなかった。

 

 このアウロスにゼクラム・バアルがいる限り、バアル家は動くことはない。ゼクラムが姿を現せば、「どうすればいいのか!?」と怒涛の如く聞いてくるに決まっているため、ここで待機せざるを得ないのだ。

 

 

「……あのウァプラの小娘のような者がいれば、多少はバアル家も動けたであろうに」

 

 ミスラ・バアル。サイラオーグの母親であり、「元72柱」の獅子を司るウァプラ家の出身。彼女はサイラオーグを産んだことでその地位も名誉も全て堕とされてしまったが、それまでは「バアル家を支えるに相応しい妻」とゼクラムも認めるほどの聡明さと気概を持つ女性だった。

 

 彼女は『滅びの魔力』を持たない息子を守るために、大王バアル家に真っ向から相対し続けた。今は辺境に追いやられ、実家の支援も何もなく、たった一人で子どもを育てながら、貴族以下の生活を周りから蔑まされながら送っていることだろう。ウァプラ家の姫として、持っていた全てを奪われながら。しかし、彼女の獅子のごとき不屈の精神は決して折れることはなかった。その聡明な瞳が曇ることはなかった。

 

 今の当主の妻も優秀な分類ではあるが、もしミスラがあのまま当主を支えていれば、バアル家を守るために例え周りから何を言われようと、自らを犠牲にしてでも動くことができたであろう。少なくとも、今の当主の言いなりであるだけの夫人にはできないことだ。そんな今さらなことを考えてしまったことに、ゼクラムは自嘲混じりに首を横に振った。

 

 本当に、今更なのだから。もしも、などを考えるなど、大王としてあってはならない。悪魔とは、古くから伝わる上級悪魔の血筋のみ。この貴族社会を未来永劫存続させることこそが、悪魔の使命であり、己の思想。この道を歩くことこそが、大王バアルなのだから。

 

 

「どうかされましたか、ゼクラム殿?」

「いや、お気になさらず。年寄りになると、愚痴が多くなるという世評がわかっただけのこと」

「……そうですか」

 

 くつくつと楽しそうに笑うゼクラムに、アジュカはどう反応を返せばいいのか困りながら、とりあえず相づちを打っておいた。結論として、魔王も大王も、アウロスから動けない。しかし、だからといってただじっとしている訳にもいかない。そんな訳で、唯一動くことができる人物に面倒事が集中してしまったのは致し方ない事だった。

 

「アリヴィアン殿。その、……アガレス卿は?」

「……はい。現在当主様は、レーティングゲームのトップ3に関する情報収集や、プレイヤーたちの心境や状況の把握。さらに、自領であるアグレアスの混乱の対応と同時に、怒涛の勢いで押し寄せて来る冥界中の悪魔からの問い合わせに関する受け応えの指示を行っています。あと、運営や貴族悪魔の方々から、これはレーティングゲームの運営の問題であるため、アガレス家は(自領で起こったことなのに)口出しを禁じると言われ。しかも、もし魔王様方がゲームに介入しようとする動きが見られた時は防波堤となれ、などといったものまでありまして……」

 

 リベラル傾向の強い魔王派と、古くからのしきたりを重視する大王派の間に立つ、不憫すぎる宿命を背負ったアガレス大公(最強中間管理職)の局地的なまでの大嵐の巻き込まれ具合に、アジュカの頬が引きつった。傍にいたバアル大王も、労しげに告げる侍従から視線を外し、僅かに明後日へ向ける。冥界のトップたちから、「後で胃薬を……いや、もう療休を送ろう」と思いが一致した。

 

 

「当主様からは、魔王様と大王様は事態が多少でも収まるまでは、申し訳ありませんがここでお待ちいただきたい、と連絡を受けています」

「あぁ。……俺達がアグレアスへ行けば、逆に民を混乱させてしまうだろう」

「致し方あるまい」

「……すまない。眷属達に連絡を入れたいのだが、構わないだろうか。マグレガー達も独自に動いているだろうし、別の情報も入っているかもしれない。それに現状では、魔王側は静観するしかないことを民や運営に向けて伝えておかなければ、余計な混乱を招きかねないだろう」

 

 アジュカとゼクラムの会話を聞きながら、サーゼクス達もなんとか現状を受け入れる覚悟を決められた。レーティングゲームの不正問題に対して、魔王側は表立った介入はまだ行わないことを明確に示しておかなければ、メディア関係が勝手な憶測を飛ばして混乱を招きかねない。悪魔のトップとして、民の不安を少しでも抑える必要もあるだろう。

 

「それなら、アウロスに残ってアグレアスの様子を窺う組と、魔王として混乱を収める組に分かれる方がいいだろうね。事態が動けば、皇帝へ僕たちが掛け合う可能性もある。アグレアスへ入るには、アウロスにある魔方陣からジャンプした方が早い」

「アグレアスに入るには、三つの方法しかないものね。じゃあ、誰が行こっか?」

「うーん。……めんどくさいけど、僕が行ってくるよ」

「えっ、ファルビウムが?」

 

 めんどくさがりの彼なら、ここに残ると言いそうだと考えていたサーゼクスは、素で驚きを声に出す。それに気分を害した様子もなく、いつも通りやる気が感じられない口調でファルビウムは怠そうに頭を掻いた。

 

「……冥界の各所に伝達や指示を出すなら、僕の眷属達が適任だからね。それができるのは、冥界の各所に眷属や伝手を持つ僕かアジュカだけど、……アジュカ。キミはここに残る気だろう?」

「あぁ、まぁね。レーティングゲームは、俺が開発し、システムを組んでいるものだ。この騒動に関して、無関係とは言えないさ。魔王として皇帝と交渉することになった場合、俺が対応するべきだろう」

「うん、そう言うと思った。サーゼクスとセラフォルーの眷属は、戦闘力が高いから外的要因の対処として控えさせてほしいし、そう考えると冥界の内側は事務仕事が得意な僕の眷属が受け持つ方が効率的かなって。混乱を抑制するぐらいなら、僕の声明でも効果はあるだろうしね」

「外的要因。……『神の子を見張る者(グリゴリ)』か」

 

 サーゼクスのつぶやきに、ファルビウムは肯定を示す様に肩を竦めた。先ほどまで、三大勢力の和平について話し合いを行っていたというのに、その勢力からの不意打ちを考えなければいけない。常に背後を警戒しなければならない現在の勢力図の危険性が、嫌でもわかってしまう。

 

「そ。もし堕天使が攻めてきた時のために、キミたちの眷属は外を警戒しておいてもらいたいんだ。裏方は僕が担当するから、……セラフォルー。キミは外交官として、もしものためにここで堕天使と裏で交渉できる材料の用意をしておいてほしいかな。その時は、僕から連絡を入れる」

「わかったわ」

 

 ファルビウムからの指示に、セラフォルーは冥界の外交官としての相貌へと変わる。悪魔側の騒動に気づかない、または様子を見るなどして、堕天使側が攻めてこない可能性もある。しかし、攻めてきてもおかしくない状況であることも事実。もしかしたら、全く別の勢力に隙を突かれる場合だってありえるだろう。セラフォルーが外敵を抑える役目を担うことで、危険に備える必要があった。

 

「ファルビウム、私もキミと共に行った方がよくないか? アウロスには、アジュカとセラフォルーがいれば問題はないと思うが」

「確かに、サーゼクスは魔王の顔だからね。僕より、キミの方がテレビ映りもいいだろうし、僕一人で裏方に回るのは正直しんどいからいてくれると助かる。……なんだけど、今回は待機組だね」

 

 訝し気な友人の表情に小さく笑いながら、ファルビウムは人差し指をアグレアスへと向けた。

 

「特大の火薬庫が、アグレアス(あそこ)だからだよ。もし皇帝や運営が強硬手段に出て暴動が起きてしまった場合、魔王級三名やその眷属、皇帝に賛同を示したトッププレイヤー達を確実に止められるのは、超越者である二人しかいない。いくら個の力があっても、複数人を同時に相手にするのはアジュカ一人では難しいだろう? しかも、相手側が狙うのは魔王(僕たち)じゃない。もし暴動で民が傷つくなんてことがあったら、それこそ大問題だ」

「セラフォルーは、外交に専念するため動けない。その時は、私とアジュカで早急に皇帝たちを抑える必要がある、ということか」

「そういうこと。あと、……もしかしたら旧魔王派(僕たちのことが大っ嫌いなやつら)が、嫌がらせに出てくる可能性だってある。それを止めに行けるのも、キミだけだ。ゲームはアジュカ。外交はセラフォルー。裏方は僕。だからサーゼクスは、最悪が起こらないための砦であってほしい。魔王ルシファーとしてね」

 

 ファルビウムの言葉に、苦虫を噛みつぶしたような表情をサーゼクスは隠さなかった。同族同士で争い合う。内乱なんてもう起こってほしくない、と願う彼にとってあってはならない事態。それを阻止するための防波堤こそが、サーゼクスのやるべきこと。

 

「その時は、ゼクラム・バアル殿。あなたには運営側の対処と後始末をお願いしたい」

「……大王としての、責任は果たそう」

「うん、それでいいさ。全員共倒れになんてなったら、悪魔は滅ぶしかないからねー」

『…………』

 

 のんびりした口調で、当たり前のように語るファルビウム。まるで軽い冗談のようにも聞こえるが、誰も不謹慎だと否定の言葉を返すことができなかった。

 

 民の心を掌握した皇帝達を魔王が止めれば、民の不満は魔王に向けられるだろう。そんな状態で、運営の対処まで行うことなんてできない。そこでバアル家が責任を取る形で、運営の不正を暴き、後始末をすることで古き悪魔達の不満を大王家が受け持つ。お互いに痛み分けをすることで、体裁を保つしかなくなるだろう。暴動が起きれば、悪魔全体の弱体化は避けられない。

 

「運営側が覚悟を決めるまで、皇帝の気が長いことを願うしかないね。まっ、ストライキ(お仕事の放棄)とか、大変羨ましいことをやらかした彼に願うのもあれだけどさ」

「ファルビウム、本音が出ている」

「おっと」

 

 軽くおどけながら、ファルビウムはここにいる者たちに手を振り、自らのやるべきことを果たすために魔方陣を発動させた。本当は彼の中でいくつか疑問点や疑念などはあるのだが、今ここでそれを考えても仕方がない。ファルビウム・アスモデウスは軍師だ。常に最悪の事態を想定して、それに対策を講じなければならない。それが、めんどくさがりの自分がやるべきお仕事なのだから。

 

 

「でも、根拠のない感情面から言わせてもらえば。たぶん今回の騒動に、最悪は起こらなさそうなんだよねー。なんとなくだけど」

 

 誰にも聞こえないほどの小さな呟きは、魔方陣による転移で飛んだことによって、外界に伝わることはなかった。ファルビウムがなんとなくそう思ったのは、演説をする皇帝の目を見て思ったからだ。常に一歩引いたところから世界を見続けてきた彼だからこそ、皇帝の目がどこか友人たちに似ていると感じ取った。

 

 根拠などないが、あのお人好しである友人たちに似た目ができる者が、そう簡単に自棄を起こすことはない気がする。ただ、それだけのこと。

 

「ふあぁぁーー。この仕事が終わったら、絶対に休暇をもらわないと。くれなきゃ、僕もストライキしちゃいそうだね」

 

 冗談なのか、本気なのかわからないこと呟きながら、軽い足取りで魔王としての自室へと向かった。大変優秀な己の眷属達に、王として指示を出すために。いつも通りやる気があまり感じられないながらも、彼の歩みに迷いはなかった。

 

 

 

――――――

 

 

 

 同時刻。魔王側が混乱の調停のために真面目に奔走する中、彼らが警戒していたとある勢力は現在、これから起こることに固唾を呑み込み、静かにその時を待っていた。

 

「それにしても、すごい人数っすねぇー、レイナーレ様。上級堕天使様だけでなく、中級や私たちと同じ下級堕天使までこんなに集まるなんて」

「当然でしょう、ミッテルト。至高の堕天使であるアザゼル様が、お声をかけて下さったのよ。こんなチャンス、絶対に逃す訳がないじゃないッ!」

「レ、レイナーレ様、興奮しすぎっす…」

 

 長い黒髪に黒のボンテージに身を包んだ女性は、普段の気の強い態度と違い、鼻息荒くアメジスト色の瞳を輝かせていた。胸の前で手を組み、くねくねと腰を曲げ、幸せオーラをまき散らす上司の姿に、頬を引きつらせる部下。ちょっと他人の振りをしたくなったが、憧れのトップの姿について語りまくる彼女から逃げることができないでいた。

 

 金の髪をツインテールにし、ゴシックロリータ衣装に身を包むミッテルトと呼ばれた彼女も、下級堕天使である自分が上級堕天使がいる中にいられることに興奮はしているのだが、自分よりもテンションが高い人物が傍にいると逆に冷静になってしまう。そろそろ泣きたくなってきた頃に、会場の様子を見に行っていた同僚であるドーナシークとカラワーナの姿を見つける。これぞ邪神の助け、と救いを求める様に涙目で二人へ訴える彼女に向け、傍からレイナーレ達を見ていた同僚二人は静かに頷いた。

 

『ファイト!』

『てめぇら、後で絶対に泣かすッ!!』

 

 ドーナシークは無表情で、カラワーナはいい笑顔で、綺麗にサムズアップして同僚をあっさり見捨てた。隣でいかにアザゼル様やシェムハザ様が素晴らしいかを語り続けるレイナーレがいるため、言葉はなかったが、お互いの気持ちが手に取るようにわかった。親指を下に向け、『地獄に堕ちろ!』と隠れて二人にメッセージを送るミッテルト。ちなみに、彼女たちがいる場所こそが冥界(地獄)で、天使からすでに堕天している、という野暮なことを言ってはいけない。

 

「あぁ…、アザゼル様のお傍にこの私がいられたら……。アザゼル様のためなら、私どんなことでもできちゃうわぁ…。それこそ、あーんなことやこーんなこともしちゃって、そしていつかアザゼル様から「愛してる」なんて言われちゃったりしてッ……!」

「お、落ち着くっすよぉ…。レイナーレ様、そろそろ始まると思うっすから――」

『皆様、お待たせ致しました。総督であるアザゼル様からの挨拶を行いたいと思います』

「静かにしなさい、ミッテルト。アザゼル様の挨拶が始まるわよ」

「…………はいっす」

 

 もうなんか怒りから色々言いたいことがありすぎて、でも結局何かを言えるわけもなく、下級堕天使の悲しさに黄昏ながら、ミッテルトは心の中で涙を流す。ちゃっかりレイナーレが大人しくなったと同時に帰ってきた同僚の姿にも、怒りを通り越して達観しかかっていた。今なら、なんか壁の一つや二つ、ぶち壊せるような気がした。

 

 

『あ、アァーー。あっ、あぁー。よーし、笑いすぎて声が枯れてねぇか心配だったが、問題ねぇな。おーい、お前らぁっーー! 聞こえているかァァーー!?』

『いきなり壁を叩きながら悶絶しだすから、ついに壊れたのかと思いましたけどね。あと、アザゼル。マイクチェックにそんな大声を出さないで下さい』

『おい、ついにって何だ、ついにって。たくっ、こんぐらいでケチケチすんなよな、シェムハザ。今日はせっかくのお祭りだぜ?』

『トップであるあなたのテンションが高すぎると、だいたいおかしな方向にブッ飛んでいくから言っているんです』

 

 先ほどまで賑わっていた会場に響いた声に、誰もが息を飲む。特に下級堕天使や中級堕天使などは憧れのトップの姿を目に焼き付けようと、視線を真っ直ぐに声の下へ向ける。特徴的な金色の前髪に、短く切り上げた黒髪。向けられる多数の眼差しに、堕天使の総督であるアザゼルは臆することなく、にやりと笑って腕を組んでみせた。

 

 そんなアザゼルの隣で頭が痛そうに疲れた顔をしているのは、『神の子を見張る者(グリゴリ)』の副総督であるシェムハザ。アザゼルからいきなりの「祭りをやるぞ!」発言から今日まで、会場設定やら呼びかけやら、その他もろもろの雑務を引き受けさせられた苦労人。堕天使側の最強中間管理職。つい先ほどまでも、アザゼルが何かしらの映像と音声を聞いていると思ったら、いきなり呼吸困難になってしばらく行動不能になったので、時間調整やら色々フォローに勤しんでいた。彼のおかげで堕天使陣営は回っている。

 

 そんな組織のトップ1と2の登場に、堕天使たちは固唾を呑み込む。この日を、彼らは待ちに待っていたからだ。最初にアザゼル総督から伝達された内容を知った堕天使たちは、我が目を疑った。こんなことが本当に起こり得るのかと。しかし、組織の幹部勢も参加するという内容に、開催が真実であるとわかった彼らは、我先へと参加を表明したのだ。

 

『さて、挨拶だったな。まず、今回の大会が何故開かれたのかについて話そうか。……一部の者は知っているかもしれんが、もともと今回の大会は俺含めた幹部連中とだけで行っていたものだった。しかし、今から半年ほど前に第299回目の堕天使幹部大会を開いていた時に俺は思ったんだ。さすがに299回もしていると、お互いに相手の手もわかってくる。つまりだ、ぶっちゃけると、……毎回同じメンツで卓を囲むのにちょっと飽きてきたな、と』

『ぶっちゃけすぎです』

『そこで、俺は思ったわけよ。今まで幹部とだけで打ってきたが、――もしかしたら俺達よりも強い打ち手が実はいるんじゃないのか? ってよ。この299回の間、ずっとトップ争いを幹部連中としてきたが、……実際に堕天使の中で最も強い打ち手と呼べるのか? そこに、俺は行きついてしまった…。新しい可能性を考えちまった訳よ』

 

 マイク片手に語るアザゼルの声は軽い調子ながらも、目は一切笑っていない。むしろ、……この会場にいる多くの堕天使たちを威圧するように、挑発するような眼差しだ。それに委縮する者も多いが、アザゼルの話す可能性という言葉に、魂の奥底から燃え上がるような熱が生まれ出していた。

 

 『堕天使で最も強い打ち手』。その言葉に、誰もが震えた。ここには、下級、中級、上級、そして幹部までもいる。純粋な強さという点で言えば、勝敗は明らかだろう。しかし、これから行われる大会は違う。誰もが同じ土俵に立つ、純粋な実力勝負。それこそ、下級堕天使であろうと、トップに立つことができる可能性を秘めているのだ。そのことに、ここにいる全員が気づいた。

 

 

『ワクワクしてきたみたいだな。遠慮はいらねぇ、卓の上なら俺達は同じ土俵に立つことになる。上司も部下も関係ねぇ。だが、そう簡単にトップ(俺達)を越えられると思うなよ。トップになりたきゃ、俺達を越えるしかない。その気概があるのなら、……全力で奪ってみせろッ! 己の持つ技術、実力、精神力、強運でなァッ!』

 

 パチンッ、とアザゼルが指を鳴らすと、会場の一部の床がせりあがり、そこに緑色の卓が複数現れた。『神の子を見張る者(グリゴリ)』の技術力をふんだんに使った装置が稼働を始め、巨大なモニター版も会場のいたるところから現れる。さらにスポットライトが会場を照らし出し、そこには名立たる幹部の姿が出現する。堕天使たちの興奮は、一気に最高潮へと達した。

 

 これらは、サハリエルとサタナエルとアザゼルが共同で開発し、会場設営をバラキエルとアルマロスが行い、堕天使に向けた宣伝をタミエルとベネムネが担当。その他雑務全般以上を(半ば押し付けられた)シェムハザが行う。幹部連中もノリノリで参加した大会であった。

 

 ちなみに、「最強は俺だというのに、無駄なことを…」と踏ん反り返っていたコカビエルは、忙しさからちょっとキレていたシェムハザに「受付ぐらいやってくれますよね?」と(強制的に)仕事を渡される。鋭い眼光で、大人しく受付に座るコカビエル。会場へ入場することに、一番神経を使った堕天使たちだった。

 

『始めるぞっ、野郎どもォォオオォッーー!! 第300回記念、堕天使幹部麻雀大会改め、――最強は俺だッ! 堕天使麻雀王決定戦開始だァァァッーー!!』

『オオオオオオオッーー!!』

 

 気合いと共に、怒号が巻き起こる。怪しい眼光を放ち、ギラギラと貪欲なまでに沸き立つ勝利への渇望。最強という称号を手に入れるために、あわよくば幹部の方に気に入ってもらいたいがために、上司と同僚からの扱いにキレていた鬱憤を盛大に晴らすために、堕天使たちは魂を震わせるような声を冥界中に響かせた。

 

 こうして、冥界の堕天使麻雀大会(大嵐)も混沌を振りまきながら、始まったのであった。

 

 


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