えっ、シスコン魔王様とスイッチ姫みたいな力ですか?   作:のんのんびり

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第二百十四話 居場所

 

 

 

「ここが、ラヴィニアとグリンダさんが暮らしていた森…」

 

 背の高い木々に囲まれた、うっそうとした森。どこか人を寄せ付けないような不気味さが漂ってくるが、これは人払いの結界が張られているだけが理由じゃない。まったく人の手が入っていないような自然。正直、ここに人が住んでいると言われなければ気づかないだろうほどの深さだった。

 

「この先にラヴィニアがいるんですか?」

「うん、南の魔女グリンダが居を構えていたのはこの先だ。僕も初めて足を踏み入れるねぇ」

 

 ラヴィニアから通信をもらってすぐ、俺は理事長室へと駆けだした。グリンダさんの家を俺は知らなかったので、急いでメフィスト様の下へ向かい、ここまで案内してもらったのだ。メフィスト様もラヴィニアからの通信に難しい顔をしながらも、すぐに準備に取り掛かってくれた。

 

 正臣さんはあいにく別の任務についていたので、俺とメフィスト様の二人だけだ。それにメフィスト様曰く、南の魔女であるグリンダさんの存在はあまり公にしない方がいいらしい。『灰色の魔術師(グラウ・ツァオベラー)』と古くから確執を持つ『オズの魔法使い』。確か北と南の魔女は良い魔女だってお話にはあったけど、未だに彼女たちの目的は明かされていない。メフィスト様はあたりを付けているみたいだけど、確証はないって前に話していたと思う。

 

「カナくん、この森に入るなら入り口にある結界を解除する必要がある。できるかい?」

「魔法の結界ですか…。いつもならリライトで丁寧に解除しますが、今回は緊急事態だから荒っぽく行きます」

 

 メフィスト様も結界の解除はできるだろうけど、ここは部下の俺がやるべきだな。俺は森に向かって一歩踏み出すと、深く息を吐きだす。他人の領域へ侵入する場合、いつもならバレないように『書き換え(リライト)』で術の権限を奪う工程を入れるけど、今回は別にバレてもいいし、何なら術を壊してしまっても構わない。単純に消すことにおいてなら、この異能が一番効果的である。

 

「相棒」

 

 俺は両手に暁紅の槍を呼びだすと、穂先を森の入り口へと向ける。大きく息を吸って吐くと同時に、オーラを槍の先端へと集めていく。槍に螺旋のように巻き付いている黄金の枝が脈打ち、十の球(カバラ―)の模様の九番目が紫色に輝き出す。この異能に攻撃力は皆無だが、そのものの状態を0――『無』に帰すことなら右に出るものはない。

 

 この森を本来の姿――『0』に戻す。故に、この森に人工的にかけられている全てが『1』としてカウントされる。槍の穂先に集まった紫光へ向け、俺は異能を発動させた。

 

「全てを消し飛ばせ、『基礎(イェソド)』ッ!」

 

 この紫の光が届く全てが効果範囲。槍の穂先から光が(ほとばし)り、視界に映る森全体を明るく照らした。ただ異能を消すことだけに特化した異能。故に、明らかに実力差があるものには効果は薄いけど、どんな効果であろうとこの光の前では『無』へと変わる。紫の光が収まると同時に、森を覆っていた重苦しい空気がスッと消えたのが感じられた。

 

「今のがカナくんの十の異能の内の一つ、『基礎(イェソド)』だね。『基礎(イェソド)』は「消滅(デリート)」を特化させた浄化の光。元々「消滅」は『消滅の紅緋槍(ルイン・ロンスカーレット)』に備わっていた能力だった分、効果も他より強力に感じられるねぇ」

「元祖ラスボスの嫌がらせ技ですからね! でも、まだ敵味方の区別をつけて異能が発動できないのと、光を集める準備時間と集中力が必要なことを考えると、使いどころが難しい異能ではあります」

 

 少なくとも、戦闘中はとてもじゃないけど使えない。味方のバフも敵のデバフも消してしまうので、初手の不意打ちに使えれば儲けもの程度だ。もっと練度を高めれば、準備時間も精度も何とかなるだろうけど、『王国(マルクト)』や『理解(ビナー)』に比べると練習方法が限られてしまうんだよなぁー。というか、この二つが異様に伸びているだけな気はするけど。

 

 調整ができない広範囲の強制解除の異能なんて、下手なところで使ったら大変なことになる。建物にかかっている異能なんかも消してしまうので、協会で気軽に練習もできない。わざわざ何もないところへ行って、消す対象を用意しなくちゃいけない手間を考えると、強力な異能だけど習熟度を上げるのは骨が折れるのだ。

 

「メフィスト様、森の結界はこれで大丈夫ですか?」

「うん、問題はなさそうだねぇ」

「それじゃあ、早くラヴィニアのところへ」

「カナくん、おそらくラヴィニアちゃん以外は発動する罠がいくつかあるだろうから、先頭は僕が行くよ。焦りはあるだろうけど、こういう時こそ冷静になるんだ。すでに脅威は去っているだろうけど、警戒は必要だからね」

 

 視野が狭まると見えるものも見えなくなるよ。そう俺に助言をすると、ポンポンッと頭を叩かれた。図星をつかれて肩を竦める俺に微笑むと、メフィスト様はサクサクと森の中へと進んでいった。俺は相棒を手に、仙術で気配察知を務めながら後に続く。ラヴィニアの心配や、犯人への憤りはあるけど、今はそれを異能で抑えつけ、自分の果たすべき役割に従事した。

 

 

「……ラヴィニアがグリンダさんに拾われたのは九歳の頃で、ご両親が事故で亡くなって、親戚が引き取りを拒否していた頃なんですよね」

「あぁ、幼い頃から神滅具の気配を感じ取れていたラヴィニアちゃんに気づいて、南の魔女は自身の下へと彼女を招いた。南の魔女グリンダは本来オズの世界で暮らす魔女だが、神器(セイクリッド・ギア)に興味を持ち、こちら側に居を構えた変わり者だったのさ。神器を研究したい彼女にとって、神滅具を持つ居場所のない幼子を見つけたことは幸運なことだっただろう」

 

 昔、タンニーンさんの領地ではぐれ悪魔討伐の依頼を受けていた時に、彼女から過去を教えてもらった。才能を持って生まれたラヴィニアは幼少から神滅具を感知できてしまい、自分にしか見えない『氷のお化け』に恐怖し、それ故に周囲から不気味がられていた。愛してくれていた家族を突然失い、両親の死を『氷のお化け』に当たるしかない彼女を親類縁者は見放してしまった。ラヴィニアの周りには、誰も彼女を理解してくれる人がいなかったのだ。

 

 そんな時に現れたのが、グリンダさんだった。メフィスト様の言う通り、彼女にも思惑はあっただろう。神器の研究者であれば、神滅具を持つラヴィニアの確保に動いてもおかしくない。だけど、あの当時ラヴィニアを理解し、「もう大丈夫よ」と抱きしめてあげられる人は彼女しかいなかった。

 

「それでも、精神的に追い詰められ、心を氷のように閉ざしていたあの子が、今みたいに笑えるようになったのは彼女のおかげだろうねぇ」

「……はい」

 

 その恩師が、突然いなくなってしまった。第二の故郷である家が焼け落ちてしまった。それがどれだけラヴィニアの心に衝撃を与えたか…。彼女にとっては、二度目なのだ。突然、自分の目の前から大切な人がいなくなってしまうことが。ラヴィニアの下へ早く向かいたい思いはあるけど、彼女にどんな言葉をかけたらいいんだろうかという不安が胸を()ぎった。

 

「カナくん、ラヴィニアちゃんはキミに『助けて』と言ってきたんだね?」

「あっ、はい」

「なら、ラヴィニアちゃんを助けられるのはキミだけだ。あの子の『助けて』がどれだけ重いものか、キミならよくわかるだろう」

 

 メフィスト様の言葉に、ハッと俺は顔を上げる。いつも優し気な赤と青の瞳は、真っ直ぐに俺を見据えていた。彼女はいつだって頼りになるパートナーだけど、逆に誰かに頼るのは苦手だった。それは頼っていた両親を亡くし、誰も助けてくれなかった過去があったからだ。自分から手を伸ばすことを恐れ、小さな少女は「助けて」の一言さえ口にできなかった。

 

『もし、またラヴィニアにとって辛いことがあった時はさ。こんな風に、手を伸ばしてほしい。助けを求めてほしい。ラヴィニアの周りには、その手を取ってくれるヒトがたくさんいるんだから』

 

 あの時の約束が、俺の脳裏によみがえった。

 

「ラヴィニアちゃんを慰めることなら、僕や他の誰かでもできる。だけど、それじゃあ駄目だ。あの子が手を伸ばせるのは、本当の意味でその手を掴めるのはカナくんしかいない」

「俺だけ…」

「もし君がいなかったら、彼女はまた心を氷で閉ざしてしまっていたかもしれない。南の魔女を襲った犯人を捕まえるために、己の身を(かえり)みずに無謀にも飛び込んでいく可能性が高い。ラヴィニアちゃんもカナくんと同様に頑固な子だからね、きっと止まれなくなる」

 

 俺は自分の手の平を見つめる。もし俺が暴走して突っ走ってしまう時は、パートナーであるラヴィニアが止めてくれる。なら、彼女が同じように突っ走ってしまう時は、俺が止めるしかない。どんな時でも、彼女の手を離さないと決めたのは俺自身なのだから。

 

『そうそう、こうやって上手くバランスを取っていけばいいんだ。片方が押しつぶされそうなら、もう片方が引っ張ってあげて。今みたいに押しつぶしそうになったら、もう片方が押し返してあげてさ』

『……カナくんは、それでいいのですか?』

『俺はそれがいいんだよ。そんなパートナーになれたら、って思う。だから、俺がしんどい時は助けて。俺もラヴィニアがしんどい時は助けるから。そうやって、一緒に前を向いて頑張っていこうよ』

 

 見つめていた手の平をゆっくりと持ち上げ、俺は勢いよく両頬を手で叩いた。たくっ、俺が弱気になってどうする。ラヴィニアを支えると誓ったのは、これからも一緒にいてほしいと告げたのは俺自身だろ。メフィスト様が話す「もしも」は俺が起こさせない。彼女が危険に自ら飛び込むのなら、俺が全力で舗装して安全な道にしてやる。

 

 もう大丈夫だと伝えるように、力強くメフィスト様を見返すと、嬉しそうに微笑んでまた前へと視線を戻した。ご心配をおかけしました。相変わらずの機敏な配慮に、さすがは出来る上司だとしみじみ感じた。

 

「さぁ、魔術の気配はこの先だ。僕は何か痕跡や手掛かりがないかを調べるから、ラヴィニアちゃんのことは頼んだよ」

「わかりました」

 

 今度はしっかりと頷き返し、赤と青の後ろ姿を追っていった。そうして、深い森を抜けた先に見えたのは――木造の一軒家が無残にも焼け落ちた姿だった。

 

 

 

――――――

 

 

 

「ここが、ラヴィニアの家…?」

 

 炭化してしまっている家の残骸を残すのみで、ほとんど家の形なんて残っていない。おそらく魔術に用いていたのだろう道具がちらほら見受けられ、まだ使えただろう家具も多いので、グリンダさん自身が火を放ったようには思えない。何者かに襲われて、燃やされたと考える方がしっくりくる。しかも、魔術で保存されていた物がここまで炭化しているとは、相当な威力の火力を受けたのだろう。

 

 火はすでに鎮火しており、建物の損傷具合から見ると、燃やされてからそれなりの日数が経っているのは間違いない。すでに熱は感じず、火事特有の焼け焦げた匂いも消えてしまっている。つまり、犯人はもう目的を達成し、姿を消してしまった後という訳か。爆風か何かで倒れていた椅子らしきものを端に寄せると、俺は頭上に気を付けながら家の中へとゆっくり足を踏み入れた。

 

「…………」

 

 家はそれなりに広いが、迷うことはなさそうだ。煤けた二人分の家具、子ども用の勉強机などが目に入り、グッと拳に力が入る。ここはラヴィニアにとって第二の故郷であり、安心できる居場所だった。それをこんな風にした犯人への怒りが込み上げてくる。そうして、奥へ奥へと進んだ先で、黒く炭化した家の中にやっと白色を見つけた。

 

「ラヴィニア」

「カナくん…」

 

 すでに涙は止まっていたが、泣きつかれたのか目が赤い。真っ白だったローブは煤によって汚れ、ところどころ破れているのは木片か何かで擦ったのだろう。怪我はないようだけど、家の中を歩き回ったのか顔や手は黒く汚れていた。どこか焦点の合っていない碧眼が俺を見つめた瞬間、ふらっとラヴィニアの身体が倒れそうになったのを慌てて駆け寄って支える。ラヴィニアが被っていた魔女帽子が床に落ち、そのまま崩れ落ちそうになったため、心の中で謝りながら抱きしめるように一緒に座り込んだ。

 

 身体は冷たく、血の気の引いた唇。ギュッと俺の服を掴む冷えた手をそのままにし、俺はラヴィニアが落ち着くまで背中を右手で優しく叩き続けた。何となく今彼女が欲しいのは言葉ではなく、人のぬくもりだと感じたからだ。言葉は後でいくらでもかけられる。だから、今は冷えた身体を温めながら、ラヴィニアは一人ではないんだと伝えるべきだと考えた。

 

 おそらく、ラヴィニアの感情に合わせて神器の冷気が漏れ出しているのだろう。白く吐き出される息が目に入り、俺は左手で蝶を呼びだすとラヴィニアの肩へ止まらせて安定を図るようにしておく。寒さで震えそうになる身体を叱咤し、相棒に頼んで冷気の遮断や回復をお願いした。あとで正気に戻った時に、パートナーが凍傷になった姿なんて見せたら罪悪感を抱かせてしまう。何事もなかったかのように見せるのが、男としての意地の張り方ってやつだろう。

 

「大丈夫、もう大丈夫だから」

 

 俺の肩に顔を埋めるラヴィニアの背中をあやしながら、短く言葉を伝えていく。彼女が落ち着くまでずっと。

 

 

 しばらくその状態が続いたあと、少しずつ震えが小さくなっていき、もぞもぞとラヴィニアの頭が上がっていく。彼女の肩に止まっていた蝶も消え、綺麗な金色の髪が煤で汚れていたため、そっと手で払っておいた。先ほどよりも焦点の合った碧眼にホッとしながら、じっとラヴィニアを待ち続けた。

 

「また…」

「うん」

「また、いなくなっちゃったのです…。パパも、ママも。グリンダも……」

 

 か細く、弱弱しい声。震えた唇は寒さだけの所為ではなく、そこには彼女の内に秘められ続けていた恐怖も感じ取れた。

 

「私の、大切な人は…。みんな私の前からいなくなっちゃうのですか……?」

「そんなことない。俺やメフィスト様、みんなだってちゃんと――」

「でも、でもっ…! 私はまた取り残されてしまってッ! もしカナくんまでいなくなっちゃったら、私は――」

 

 膨れ上がった恐怖が慟哭を上げる。また孤独になってしまうかもしれない恐れが、堰を切ったようにラヴィニアから溢れてくる。ポロポロと零れ出す涙を見て、俺は覚悟を持って彼女と目を合わせた。

 

「いなくなったりなんてしない」

 

 だから俺は、真っ直ぐに言い返してやる。

 

「でも…」

「でもじゃない。俺がラヴィニアとの約束を破ったことがあったか?」

「だけど、ママやパパやグリンダみたいに突然――」

「俺が俺である限り、この魂が続く限り、必ずラヴィニアの下へ帰って来る。絶対にいなくなったりなんてしないから」

 

 ラヴィニアの言う通り、突然の不幸はいつだって訪れる可能性はある。

 

「俺は死ぬつもりはないし、最後まで諦めるつもりもないけど…。確かに、絶対に死なないとは言い切れないのも事実だ」

 

 ここでイッセーなら「俺は死にません!」って格好よく言えたのかもしれない。ただ俺の場合は、耐久面が紙装甲だからな。正直、原作勢の一撃でも諸に喰らったら終わりなぐらいの綱渡り状態である。天使化の影響で多少の耐久は上がるかもしれないけど、あまり期待し過ぎるのはよくないだろう。

 

「だけどさ」

 

 そこはほら、俺である。

 

「俺には次期聖書の神様候補の相棒と、冥途の十王様が後ろについているからな! 万が一死んで死者になっちゃった時は、土下座してでもラヴィニアのところに帰れるか頼んでみるよ。年に一度、死者が現世に戻ってこれるお盆休みだってあるんだし」

「えっ…」

「まぁ、これは最悪の時の保険程度の認識でいいんだけどさ。とにかく、ラヴィニア自身が俺の帰ってくる居場所なんだってことは覚えておいて」

「私が、カナくんの居場所…」

 

 メフィスト様の言う通り、いなくなったグリンダさんを探すために無茶をしかねない彼女の楔になるように、俺の帰る場所はここなんだと伝える。大切な人に置いていかれてしまうことに怯える必要なんてないと伝えるように。俺の言葉にポカンとするラヴィニアに笑うと、彼女の耳に届くように言葉を重ねていった。

 

「だから、大丈夫。グリンダさんも、きっと大丈夫だ。少なくとも、この家にグリンダさんはいなかったし、どこかに連れていかれたのなら一緒に探せばいいんだから」

「私の事情なのに…ですか?」

「ラヴィニアの事情だからだろ。それに、グリンダさんはラヴィニアの家族だ。ということは、俺にとっても家族みたいなものだろう。なら、家族を探しに行くのは俺にとっても当然ってことだ」

 

 先ほどまで俺の服を強く掴んでいたラヴィニアの手をそっと外し、俺の左手と重ねる。ラヴィニアに過去を教えてもらったあの時のように。家族を亡くした時とは違うのだと、キミはちゃんと成長出来ているのだと知らせるように。

 

「手を伸ばしてくれて嬉しかった。よく頑張ったな」

「あっ――」

 

 先ほどまでの涙とは違う、しゃくり上げるような嗚咽。氷のように閉じかけた相貌は、血の通った一人の女の子に戻っている。孤独に震える恐怖からではなく、やっと安心できたのだと、辛い気持ちを悲しい思いを素直に表現できるようになったのだとわかった。俺は右手でもう一度ラヴィニアの背中を擦りながら、彼女の気が済むまで傍で待つことにした。

 

 

 

――――――

 

 

 

「お疲れ様、カナくん。ラヴィニアちゃんも大丈夫かい」

「あっ、メフィスト様」

「す、すみません…。ちゃんと落ち着いたのです…」

 

 俺達の様子を窺ってタイミングよく声をかけてくれたメフィスト様に、ラヴィニアは顔を真っ赤にしてゴシゴシと目元を袖で拭った。俺は慌てて相棒の異能を宿した蝶を出して、痛める前に彼女の目元を治しておく。ついでに煤で汚れたお互いのローブも、相棒クリーニングで完璧な仕上がりにしてみせた。

 

「ありがとうございます、カナくん。私、カナくんが来てくれるまでの記憶が曖昧で…。ご迷惑をおかけしてしまったのです」

「こんなことになって、気が動転するのは当たり前だろ。ここはラヴィニアにとって第二の故郷で、グリンダさんとの大切な場所だったんだから」

「……はい」

 

 しっかりと焦点の合った碧眼は生気に満ちた光を宿しており、俺が立ち上がって手を伸ばすと力強く握り返してくれた。立ち上がったラヴィニアはパンパンとローブを叩くと、床に落ちていたとんがり帽子を頭に被せる。そこにはもう弱弱しい少女の姿はなく、『灰色の魔術師(グラウ・ツァオベラー)』の魔女としての頼もしい相貌へと変わっていた。

 

「カナくん、私はグリンダを探したいです。手伝ってくれますか?」

「もちろん。だけど、絶対に一人で無茶はしないって約束な。無茶する時は、ちゃんとみんなを巻き込んでからにしよう」

「二人で突っ走っちゃうよりマシなんだけど、保護者としてツッコみたくもなるねぇ…」

 

 俺の言葉に呆れるメフィスト様に、ふふっと小さく笑みを浮かべたラヴィニアを見て、俺もニッと笑い返した。

 

「メフィスト様、何か手掛かりはありましたか?」

「まず南の魔女グリンダが襲撃されたことは間違いないだろうねぇ。この家の火事は、彼女の魔力によるものじゃない。死者の霊魂を探ってみたけど反応はなかったため、この襲撃で亡くなったということはなさそうだ。彼女の安否は不明だけど、わざわざ連れ去ったことを考えると生きている可能性は高いだろう」

「やっぱりですか…」

 

 メフィスト様からの見解に、一先ずグリンダさんが生きていることに安堵した。もし犯人がグリンダさんの命を狙っての犯行なら、わざわざ連れ去る必要はない。何かしら彼女の身柄を欲する理由があったと考えるべきだろう。それに、俺とメフィスト様が来た時、森の結界や罠などの防衛システムは生きていた。つまり、彼女を狙った犯人はそれらを素通りできるほどの実力者か、あるいはグリンダさんの顔見知りだったと考えられるだろう。

 

「いったい誰が…」

「グリンダが『オズの魔法使い』の世界からこちらに来ていることを知っているのは、ごく限られた者なのです。グリンダの持つ魔女の知識を狙った犯行も考えられますが、おそらく犯人の狙いは別にあります」

 

 何かしらの確信をもって告げるラヴィニアは、俺とメフィスト様を案内するように炭化した家の中を進んでいく。彼女についていった先にあったのは、他と比べて炭化しているものが少ない部屋だった。灰となった物や煤けた家具はちらほら見られるが、他の部屋と比べて棚の中が綺麗なのだ。

 

 

「ここはグリンダの研究室なのです」

「ここが?」

「なるほど、明らかに何かが持ち去られたような跡だねぇ。つまり犯人の狙いは、彼女の知識とその研究成果だったという訳か」

「グリンダさんが研究していたことって確か」

 

 グリンダさんがわざわざ『オズの魔法使い』の世界から、この世界へとやってきた理由。この家に辿り着く前の道中で、メフィスト様が俺に話してくれた。神器の研究、それもラヴィニアの神滅具を中心としたものだったはずだ。敵の本当の狙いに、神器の知識もあったということか。

 

「じゃあ、この棚の中にあったのは…」

「はい、私とグリンダで丹精込めて作った『機動騎士ダンガム』のプラモデルやフィギュアが全部奪われてしまっているのです!」

 

 ……えっ、この棚全部がダンガムで埋まっていたの?

 

「この棚には歴代のDA(ドールアーマー)を保管してあって、こっちのスペースにはダンガムの武装やカナくんからもらった資料やDVDなどが置いてありました。さらにこっちのスペースにあった、去年グリンダと共同作業で頑張って作った二メートル級のダンガムも無くなっています。ハッ、あそこにあったはずのショーケースや塗装ブースが丸ごと無くなっているのですっ!」

「ラヴィニア、落ち着いて。メフィスト様がめっちゃ遠い目になってしまっているから」

 

 うちのパートナーがすみません。彼女もグリンダさんも大変真面目に研究していたんです。ダンガムは、彼女たちにとって欠かせないものだっただけなんです。その後もラヴィニアの被害報告はダンガムに集約されていき、彼女の嘆きが胸を打つ――はずなんだけど、何だろうこの気持ち…。どうしてこんなにも、気持ちが迷子になるんだろう。

 

「メフィスト様、犯人は何でグリンダさんを攫ったんでしょう」

「……彼女は南の魔女であり、その知識はかなり深い。そこを狙われた可能性は話したね」

「じゃあ、犯人はいったい何を考えてダンガムグッズ(研究資料)も奪っていったんでしょう」

「それは僕が聞きたい…」

 

 犯人への怒りはあるのに、お前ら何がしたかったの? と困惑も強い。家まで燃やす用意周到さで、ラヴィニアの被害報告を聞いているだけでも大量にあるダンガムグッズを根こそぎ持っていくその執念は何なの…。真面目にグリンダさんの神器研究の資料だと思って持っていったのなら、絶対に表のサブカルチャーとかと無縁の暮らしをしているヤツが犯人だと思い浮かんだ。

 

「いや、まさか彼女たちならあり得るか…? 三体の魔獣の中に『魂を求める鋼人(デッド・ランバージャック)』がいる。あれの使役に使えるかもしれないと考えたのなら…」

「メフィスト様?」

「……すまないね、まだ確証がない。魔力の痕跡や今後の調査で犯人の目星はつけてみるよ。とりあえず、カナくんはラヴィニアちゃんを慰めてあげて。僕にはちょっとできない」

 

 あの、さっきよりラヴィニアを任される温度が違いませんか、メフィスト様。そんなサブカルチャーのことをあんまり知らないから、コアな人とどう接すればいいかわからないみたいな扱いもどうかと…。まだ組み立てていなかったダンガムのプラモデルもないことに気づいて怒りに震えるラヴィニアを見て、俺はそっと寄り添っておいた。ダンガムを思う気持ち、ラヴィニアにとってはグリンダさんとの大切な思い出の品々だ。それは間違っていない、うん。

 

「ラヴィニア、グリンダさんもダンガムも必ず取り戻そうな」

「はいっ!」

 

 いなくなったグリンダさん、そして消えた『機動騎士ダンガム』。いずれまたこの事件が、俺達の前に現れるような予感。不安やわからないことは多いけど、少しでも手掛かりを見つけて前に進んでいくしかない。隣にいるパートナーの目に宿った光を、決して失わさせたりはしない。

 

 波乱の蕾が芽吹きだす。それらを祓いのけることを胸に、新たな一年が始まっていくのであった。

 

 


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