えっ、シスコン魔王様とスイッチ姫みたいな力ですか?   作:のんのんびり

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 会談に入る予定でしたが、情報量(爆弾)が多すぎて入りきらなかったので、次回に続くよ! なんてことだ…。


第百九十三話 直面

 

 

 

「ミカエル様、ありがとうございます。素晴らしい触り心地でした!」

「それは、よかったです…」

 

 キラキラした笑顔で大満足そうな奏太の様子に、ミカエルは天使スマイルを頑張って作って応えた。初対面で天使長の翼をモフリたい、などと言われたのは当然ながら初めてである。多くの人間はまずその神々しさに畏怖を抱き、荘厳なオーラに息を詰めるものだ。教会の信徒でなかったとしても、異形の翼を好奇心で触りたいなど命知らずな行動だろう。マイペースなデュリオですら「カナたん、すごい…」と唖然とし、ストラーダは頭が痛そうにしていた。

 

「天使の羽って、羽毛布団みたいにフワフワして温かいんですね。堕天使の皆さんの羽は、どっちかというとツヤツヤしてひんやりしていたからなぁ。つまり天使が冬用で、堕天使が夏用って訳か…」

「堕天使の総督と天使長の翼をモフっておいて、そのセリフはねぇだろ」

「待ってください、堕天使の皆さん……?」

 

 奏太の感想にアザゼルがツッコむ隣で、ミカエルはさらっと告げられた言葉に頬が引きつる。アザゼルが地位などに頓着のない軽い男なことは知っていたため、人間の子どもに翼を触らせるなどというありえないことをやらせる可能性はあるだろうと思っていた。しかし、堕天使の多くは気難しい者が多い。それなのに、翼のような特に敏感な場所を好意で触らせるような者が、それも複数いることが信じられなかった。

 

「あっ、複数といっても三人……あぁー、二人だけですよ」

「なるほど、それぐらいなら…」

「シェムハザさんとバラキエルさんです」

「それ、堕天使のトップ2(ツゥー)3(スリー)だよねッ!?」

 

 テーブルへ崩れ落ちそうになったところを腕に力を込めて耐えたミカエル様に代わり、常識的な信徒であるデュリオがツッコんだ。ストラーダは無言で手を目元に当てて黄昏れた。

 

「教官も副総督も優しいよ? バラキエルさんの家はよく遊びに行ってご飯を食べさせてくれるし、シェムハザさんは任務先で見つけた美味しいお菓子とかをよくお土産に買ってきてくれるんだ」

「餌付けされていない…?」

「……ガブリエル、今お菓子は持っていますか?」

「申し訳ありません、ミカエルさまぁ。さすがに持っていません」

「携帯食料ならありますが…」

 

 嬉しそうに堕天使と過ごす日々を語る奏太に、こそこそと相談する天界陣営。趣味が「美味しいもの巡り」であるデュリオが代表して話すと、結構食いつく奏太になるほどと頷く天使。それを眺める保護者達の乾いた笑みが印象的であった。

 

「なんとなく、キミという人間が分かったような気はします。この取扱説明書は的確なようですね。それにしても、冊子自体にも香木の優しい香りが染み込まされていて、これを作った者の配慮が感じられます」

「本当ですか。作ってくれた朱雀に、天使長様が褒めていたって言っておきます!」

「……朱雀さん?」

「日本の五大宗家の一角である、姫島家の次期当主である姫島朱雀ちゃん」

「……もう奏太くんの人脈に関しては、何も言いません」

 

 メフィストの答えにツッコむ気力もなくなったミカエルは、お茶請けに手を伸ばして水で流し込んだ。すでに地元の中間管理職が率先して飲んで安全を確かめているので、トップである自分が飲めば下も遠慮せずに手を付けられるだろう。これほどの常識(強敵)を相手に、丸腰のままはまずい。悪魔からの餞別ではあるが、ここは素直に送られた塩をもらうべきだ。

 

 事前情報がないという時点で、あまりにも不利な盤面になってしまっている。それでも、大組織を預かる者として、天使長である自分が折れるわけにはいかない。覚悟を決めた熾天使の相貌は、真っ直ぐに射貫くように逆境へ向かっていた。

 

 

 ――一方、己の存在感を消すように静かにお茶請けを消費する教会の戦士は、遠くを眺めるように一人ポツンと座っていた。

 

 なんで私はここにいるのだろう? 紫藤トウジは理解不能なまま、当たり前のように渡された取扱説明書のページをめくるたびに、ズキズキと感じる胃のあたりを押さえていた。神器による不治の病を癒したとされる悪魔の関係者と話し合うために、たまたま選ばれたのがこの駒王町だったはず。悪魔と天使が衝突することなく、秘密裏に話し合える場所と考えれば、確かに二つの組織が共同で経営しているこの街が選ばれることに理解はあったのだ。

 

 長年教会に勤めていた紫藤トウジとしても、四大熾天使であるお二人のために街を案内するという大役に胃が緊張で大変痛かったが、信徒としてこれほど幸福なことはないと奮い立たせることができた。さらに伝説の戦士とされるヴァスコ・ストラーダ司祭枢機卿に言葉をかけられ、将来教会を引っ張るだろう有望なエクソシストの少年とも顔合わせをした。レプリカとはいえ聖剣を持つことが許され、それなりに腕が立つ戦士とはいえ、紫藤トウジは日本の小さな街を任される中間管理職でしかない。そんな自分が、雲の上の方々とこうして肩を並べられたことに深い感謝の祈りを捧げていた。

 

 神器症の治療が本当のことなら、天界としても捨て置けない事態だと教えられたため、矮小ながら自分も戦士の一人として戦うことを決意してこの場へと足を踏み入れたのだ。それなのに、目の前に広がる景色は現実だろうかとまた逃避しそうになる。はっきり言えば、覚悟が足りなかったのだ。神に仕える戦士として、決死の覚悟で剣を振るうつもりはあった。しかし、残念ながらこの場で必要とされたのは武力ではなく、――強靭な精神力だったのだ。

 

「み、水をもらっても……?」

「どうぞ」

 

 教会の戦士として、悪魔にものを頼むのはどうかと思うが、そんなことを気にしていられる余裕はなかった。すでにスタンバイしていた銀髪のメイドは、水と一緒に追加のお茶請けも置いてくれる。紫藤トウジは慣れた手つきで薬を開封して胃に流し込むが、優雅に紅茶を飲んで待つ魔王陣営とニヤニヤと頬杖をついている堕天使陣営が目に入り、また痛み出した胃に涙が出そうになった。何で一地方の管理職ごときが、勢力のトップ同士が揃う首脳会議に参加しているんだろう。自分、絶対にいらないどころか、完全に場違いだよね? こんなの想定しろ、という方が無理である。

 

 だが、悪魔と堕天使、そして治療者側はこの事態を想定して動いていたのだろう。そうでなければ、ここまで準備万端にこちらを待ち構えることなどできない。それどころか、一歩間違えれば古の大戦が再び起きてもおかしくない状態で、天界陣営が人間の子どもの取説を読まされるという意味不明な構図を黙って受け入れるはずがない。いや、本当に何でこの状況で取扱説明書を読まされているの? 要約するとこれ、これから待ち受ける理不尽を諦めて受け入れろってことだよね。

 

 ――お家に帰りたいよぉ…、紫藤トウジの目は虚空を見つめながら、最愛の妻と娘が待つお家(マイホーム)に思いをはせた。

 

 

「おや、紫藤くん。体調は大丈夫かい、魂が半分抜けていそうだけど?」

「あっ、申し訳ありません。ご心配をおかけ――」

 

 急に名前を呼ばれて慌てて頭を下げようとして、ピキリッと固まった。そして、恐る恐る首を上にあげると心配そうにこちらへ声をかける大悪魔がいた。『灰色の魔術師(グラウ・ツァオベラー)』の理事長にして、『番外の悪魔(エキストラ・デーモン)』である古き悪魔の一人。伝説の大悪魔であり、トップ陣営同士が揃うこの中でも涼しい顔をしていられるほどの実力と権威を持つ者。

 

 何でそんな大悪魔様が、一地方の中間管理職の名前を知っているの?

 

「おっ、お前さんが紫藤トウジか。確かに苦労してそうな顔をしているなぁー」

「あっ、キミが例の教会の戦士か。この街を守護してくれていること、本当に感謝しているよ」

「なるほど、キミが噂の聖人、紫藤トウジか…」

 

 堕天使の総督と魔王二人も、何故か紫藤トウジの名前に反応してきた。隣で若干目が死にかけていた天界陣営も驚きにこちらを見てくる。やめて、こんな注目は求めていない! 確かにこの街はグレモリー家とバアル家が管理する土地であるため、自分の名前が書類か何かに載っていたとしてもおかしくない。だけど、普通こんな一職員の存在なんて気にするはずがなかった。だからこそ、この会議室に入室してからもうっかり胃薬で興奮した時以外は、存在感を出来る限り消していたのだ。

 

 わからない。何が起きている。紫藤トウジは混乱する頭で、咄嗟に感じた疑問を口にしていた。

 

「あの、何で私の名前を知っていらっしゃるのですか…?」

「私はセラフォルーからかな。魔法少女達が尊敬し、認めるほどの素晴らしい牧師がいると自慢していた。色々魔法少女達のために配慮や注意もしてくれて、名誉顧問としてとても感謝していると言っていたよ」

「そ、そうですか…」

 

 サーゼクスが告げた魔王の名前に、やはり駒王町関係かと頬が引きつった。だが、これはある意味で想定内だ。確かに駒王町の守護者として、管理者代理をしていたセラフォルー・レヴィアタンと通信ではあるが交渉もしたことがある。しかし、ここまで好感度が高かったとは思っていなかった。昔は敵対し、一度共闘したとはいえ、何でここまで魔法少女達が慕ってくるのかさっぱりわからなかった。

 

 とりあえず無理やり納得した紫藤トウジだったが、次に視線を向けた緑髪の魔王と堕天使の総督は「へぇー」とサーゼクスの説明に感心しているようだった。どうやら、こちらは別ルートで知ったらしい。

 

「ふーん、俺は五年前ぐらいだったな」

「ふむ、もしかすると俺も総督と同じルートで知ったのかもしれませんね」

「ご、五年も前に…? いったい何で――」

『レントゲン』

「レントゲンッ!!??」

 

 想定外をさらに斜め上にぶっ飛ばされた。組織のトップが、一地方の管理職でしかない男のカルテをわざわざ見る必要性が理解不能だった。というか、何で個人情報が洩れているの? ガクガクと震える紫藤トウジに、最後に残ったメフィストがニッコリと微笑みをつくった。

 

「僕は……ハムスター越しかなぁ」

「ハムっ――!?」

「ふふっ、『もう本当に、うちの子がすまなかった』ねぇ、紫藤くん」

 

 訝し気に眉を潜める上司達をよそに、紫藤トウジは一瞬にして五年前の記憶が駆け抜ける。混乱で働かない思考だが、明確な答えを一つだけ導き出していた。五年前に起こった粛清未遂事件。教会や悪魔すら手玉に取った大きな存在が裏にいたことを、紫藤トウジだけは知っていた。その時に、黒幕の一人だろうハムスターと会話をした記憶がある。自分たちの予想すら超えたハッピーエンドへの道を示した、あの奇跡を。

 

 ウインクをするメフィストにつられて、紫藤トウジは倉本奏太へと視線を移す。そこには、ぺこぺこと本気で頭を下げる少年がいた。『灰色の魔術師(グラウ・ツァオベラー)』に所属する、理事長直属の部下。事件が終わった後、魔法使いの組織へと追放された悪魔と元聖職者。思えば、当時二人のために戦ってくれた子どもの年齢を考えれば、彼ぐらいになるかもしれない。その繋がりに思い至ると、紫藤トウジはお腹を押さえながら深い溜め息を吐いた。

 

 なるほど、何となく見えたような気もするが、詳細はわからない。たぶん、もっと深く考えればわかりそうだが、お腹がそろそろ限界である。なら、今一番聞きたいことを、――言いたいことを言えばいい。

 

「倉本奏太くん、だったね」

「はい、紫藤さん」

「……『灰色の魔術師(グラウ・ツァオベラー)』に保護された、八重垣くんとクレーリアさんは元気にやっているかな? 二人は幸せだろうか」

「……はい、元気にやっています。クレーリアさんは魔道具の勉強をしながら喫茶店を開いていて、二人のバカップルぶりは魔法使いの間でも有名なんですよ」

「そうか…」

「正臣さんはメフィスト様の『騎士(ナイト)』になって、俺の護衛や魔法使いからの契約(無茶ぶり)をいつも頑張っています。戦闘以外は相変わらず抜けていますが、すごく頼もしい最高の友人です」

「八重垣くんのことは風の便りで聞いていたけど、やっぱり苦労していそうだね。でも、うん。二人が幸せそうでよかったよ」

 

 五年前に巻き込まれた理不尽には色々言いたいことは山のようにあったが、それでも一番聞きたかったことがこれなのだから、自分も甘いなぁと感じる。改竄された情報しか知らない上は訝し気に二人を見るが、五年前の事件の結果は知っている。紫藤トウジの元部下が不祥事を起こし、その原因である悪魔と共に協会に引き取られたことを。それなら、メフィストの部下である奏太が二人を知っているのは当然ではあるだろうが、それだけではない繋がりが見えたような気がした。

 

「……それはそれとして、本当に何で魔法少女だったんだい。ちょっと海外で入院したら、いつの間にか増殖しているし、悪の組織とかが出てきて吸収されるし、犯罪どころか裏関係も私たちが出る幕がないほど見つけたら即群がって解決するし、守護者の仕事も魔法少女のかじ取りになってきたようなありさまだし、イリナちゃんがミルたんさんに弟子入りして『鮮血のアーメン天使』なんて伝説をつくっちゃうし、新鮮な野菜や魚介類が「牧師さんサービス」で低価格で買えて妻からありがたく思われて何も言えないし、もうおっぱい万歳でゲルゲルだし――」

「本当にすみません! マジで全部押し付けてすみませんでしたァァッーー!!」

 

 あとちょっと一言言おうとしたら、弾けるように止まらなくなった。紫藤トウジの理不尽すぎる試練の大半のきっかけが奏太のやらかしの所為であり、本人もこればっかりは自覚していたので、めっちゃ頭を下げまくった。保護者達も、こればっかりは仕方がないと見守りの姿勢に入る。そして、やっぱり天界陣営だけが混沌についていけないのであった。

 

 

 

―――――――

 

 

 

「戦士紫藤、いったい…」

「まっ、そっちは後で話してやるよ。あいつらのことは今回の話し合いに一部関わっているからな」

「悪魔、堕天使、天使が、こうして一堂に揃ったんだ。話し合うべきことは、山のようにあるだろう?」

「…………」

 

 グッと歯を噛みしめたミカエルは、実際に彼らの言うとおりだと視線を元に戻す。先ほどまでのグダグダした空気で麻痺していたが、ここには各陣営のトップ陣が揃い、それこそいつ一触即発の空気になるかわからない空間なのだ。天界が求めていた神器症の治療を餌にして、罠に嵌めて行われる会談に思うところはあるが、こうして三つの勢力が揃う機会が作られたのは確かに僥倖(ぎょうこう)ではあった。

 

 悪魔と堕天使が繋がっていたことは想定外であったが、魔法使いの組織が仲介をしたというのなら話は分かる。敵対組織同士である以上、安易に連絡を取り合うことはできない。特に天界は外界との接点をほとんど絶っており、下部組織である教会は過激な者が多い。天使側が話し合いの場を求めようにも、それを可能にするきっかけがなければ厳しいことを理解していた。

 

 お互いに敵意はないが、動向を探るような目は消えていない。ミカエルは小さく息を吐くと、まずは先手を取ろうと厳しい表情で口を開いた。

 

「……正直に言えば、このような不意打ちでの会談に物申したい気持ちはありますよ。奏太くんが起こした奇跡を利用するようなやり方は、天使長として不愉快ですから」

「本当に申し訳ありませんでした…」

「ちなみに、神器症の治療を餌にして引きこもりの天使を釣ろうぜ! って最初に発案したのはカナタ(こいつ)な」

「えっ…? えぇッ!? ――か、奏太くんが言い出したのならいいのですよ。こんな悪魔のような発案は、どうせアザゼルだろうと勝手に勘違いをしてしまっただけですからっ!」

「おい、待てこらぁミカエルッ……!」

 

 始まって数分で一触即発になったが、魔王側がどうどうと宥めてなんとか収まる。どこにやらかしの爆弾があるかわからない会談に、いろいろな意味で天界陣営に緊張が走った。

 

「えーと、カナくん。今のうちにお願いしておいてもいいかな。どうせすぐに入用になるだろうから」

「あっ、わかりました」

 

 アザゼルとミカエルがどんちゃんしている間に気力を戻した奏太は、机の上に置いていた相棒を握りしめる。相棒に慣れたみんななら効率を重視して槍のまま渡すのだが、さすがに初っ端で槍を渡すのはまずいだろう。そんな今更な気遣いであるが、ないよりはマシである。ふわりっと黒髪がオーラで揺れ、槍の装飾に刻まれている十の球(カバラー)の一番下のコアがチカチカと四色に光った。

 

王国(マルクト)

 

 そこからひらりと『四つの色を纏った蝶』が五匹舞い上がり、色鮮やかに飛んでいく。レモン色、黒色、オリーブ色、小豆色と色とりどりに光った後、全ての蝶が明るい黄色を纏った。神器のオーラから生まれた聖なる光を放つ蝶の美しさに、教会の戦士たちは言葉を失うように眺めていた。

 

「これは…」

「俺の能力の一つです。先ほど説明した『概念消滅』の能力を纏った蝶を生み出せます」

「そういや、カナタ。四色あった色が一色に変わったのは何かあるのか?」

「えっと、蝶の色で重ね掛けした能力の数が分かるようになっています。一つだけならレモン色、二つならオリーブ色、三つなら小豆色、それ以上重ねているなら黒色って感じで色が濃くなります」

「ふむ、なるほど。それはわかりやすいねぇ」

 

 今必要な能力は一つだけなので、全ての蝶がレモン色に変わったのだろう。この色の機能は、どちらかと言えば仲間向きのものだと感じる。敵なら蝶を生み出したときは四色に光っているため、じっくり観察しなければその後どの色を纏ったのかは気づきにくい。『姿消し』と組み合わせておけば、色がバレる心配もそもそもない。セフィロトの樹がもつ『王国(マルクト)』の四色を、そのように表したのだろう。

 

 五匹の蝶はひらひらと天界陣営の方へ飛んでいき、静かにそれぞれの肩の上に止まった。それにピクリと肩が跳ねたが、少なくともここで危害を加えてくることはないだろう。何の能力を籠めたのかと聞こうとして、ガタリッと音を立てて驚愕に目を見開く男がいた。

 

「お、おぉぉぉっ…! 私を苛んでいた胃の痛みがッ――!!」

「やはりもうボロボロだったんだねぇ、紫藤くん。本当にうちの子がごめん」

 

 紫藤トウジの肩に止まっていた蝶がスゥッと消え、代わりにレモン色の光が腹部で輝きを放った。驚愕に目を見開いたトウジは、天使長が一目置く少年をめっちゃ謝らせたことで今更ながらヤベェ! と痛めていた胃が全快したことを悟る。仲間の身に起こった奇跡に、引きつったような表情でそれぞれの蝶を見つめる。効力はわかったが、それはつまりそういうことである。

 

「一定の胃へのダメージを察知したら、自動で発動する仕組みになっています。これでいつでもお腹が痛くなっても大丈夫ですよ!」

「あの、奏太くん…。ありがたいですけど、胃痛を治すのに能力を使うというのは…」

「安心してください、ミカエル様! これまで悪魔や堕天使やドラゴンや人間など数多の胃を治してきた相棒の治療はプロですよ。天使の胃だって必ず治してみせますっ!」

「そういう心配ではなくて……、いえ、もうありがとうございます」

 

 天使だからこそわかる善意いっぱいの奏太の言葉に、ミカエルはプルプルと震えそうになる身体に活を入れて、天使スマイルで受け止めた。ガブリエルは同情したような眼差しで悪魔や堕天使を見ると、悟ったような笑みを返される。彼らも苦労したらしいと理解した。

 

 

「それにしても、神器から蝶を飛ばせるなんて。すごく素敵ですねぇ」

「ありがとうございます、ガブリエル様」

「う~んと、他にはどんな力があるのですかぁ?」

「えっ? えーと、あとはいろいろ消せる光を出せたり、相棒と話せるぐらいで…」

「――ッ、システムと話すことができるのですかっ!?」

 

 ガブリエルに褒められて、能力について口を滑らせた奏太に驚愕の視線が向く。ガタッと音を立てて、奏太を凝視する天使達に乾いた笑みが浮かんだ。アザゼルが口パクで「アホ」と伝えてくるように、天使達にとってはとんでもないことだった。システムに意思があることは聞いても、まさか意思の疎通もできるとは思っていなかったのだろう。

 

「奏太くん、もし可能でしたら少しでいいのです。主が創りし『叡智の結晶』であり、同じ天界に住まうものとしてお話をすることはできないでしょうか?」

「あぁー、その…。うーん、ちょっと相棒に聞いてみますね」

「お願いします」

 

 ミカエルの押しの強さにたじたじになりながら、奏太は神器を手に持って集中力を高めた。禁手(バランス・ブレイカー)によって繋がりを得たため、宿主となら多少の会話はできる。興奮した天使長様をちらりと見て、奏太は「天使の皆さんに挨拶をしに、ちょっと表に出られる?」と相棒へ思念を送った。

 

 それから数秒後。奏太から思念を受け取ったレーシュは率直に返した。

 

 

《めんどー…》

 

 

「…………」

「奏太くん、システム……レーシュ殿はなんと?」

「……ど、どうやらさっきの禁手で相棒の消耗も激しかったようで、表に出るのは難しいみたいです」

「そうですか…。いえ、無理強いはいけませんね。こちらこそ、わざわざありがとうございます」

「いえ、本当にすみません…」

 

 しょぼんと申し訳なさそうに謝罪する天使長様に、奏太の方が申し訳なさに謝った。時に嘘は、優しさでできているのである。

 

 

「ところで、ミカエル。そいつらはどうするんだ? 別室に行かせるなら、今しかないぜ?」

「……護衛として、ミカエル様達だけを置いていくことはできん」

「あぁ。お前さんは、その態度から『知っている』んだろう? だが、そっちの二人は『知らない』と見た。ここから先の話をするためには、『前提条件』を認知している必要があるぞ」

 

 ちらりとデュリオ・ジェズアルドと紫藤トウジを見たアザゼルに、ストラーダも口を噤むしかなかった。天界の最重要禁則事項である『神の不在』。目を瞬かせるデュリオと紫藤トウジは、不安を宿す瞳を隠そうとしない。この場で自分たちだけ知らない何かがある。そしてそれは、本来知ってはならない禁忌なのだろうことも。ミカエルはゆっくりと顔を二人に向けると、熾天使としての相貌を見せた。

 

「戦士デュリオ、戦士紫藤よ。この部屋からの退室を許可します」

「なっ!? し、しかしミカエル様! ここまで知って――」

「落ち着け、デュリオ。ミカエル様は、『許可する』とおっしゃられていただろう。選択はお前たちにある。……だが、私から言わせてもらうなら、これは『知らない』方がいい。デュリオ、お前はまだ若い。背負うにはあまりにも重すぎる」

「戦士紫藤。あなたは私たちの事情に巻き込んでしまっただけです。ここから先を『知れば』、もう後戻りはできません」

 

 ストラーダとガブリエルの真摯な声音に、二人は迷いながら目を合わせる。少し考える時間を取り、カチカチと時計の針が刻む音が響いた。そんな中、最初に席を立とうとしたのは紫藤トウジだった。先ほどまで思っていた通り、場違いなのは自分だと思っていたからだ。自分はただの小さな街の中間管理職で、大層な役目や実力があるわけでもない。それに、自分には守るべき家族がいる。その家族を危険に晒すかもしれない『真実』を知るわけにはいかないと決断した。

 

 一礼して椅子を引くと、この部屋から出ようとする。そんな紫藤トウジに向け、ポツリと小さな声が届いた。

 

「これは、これから話す内容の一部ではあるんだけどねぇ。この駒王町は今後聖書陣営にとって、いや世界にとって重要な拠点として注目を浴びることになる」

「――っ!?」

「紫藤くん。キミがその選択を選ぶなら、この会談が終わった後に遠くへ離れなさい。教会の上の方には、天界から話をしてくれるだろう。キミが『家族』を思うのなら、『全て』から遠ざけなければならない」

 

 五年前の情報も含め、奏太の保護者として紫藤トウジのことを知っていたからこそ、メフィスト・フェレスは淡々と言葉を紡いだ。こちらを見通すような赤と青の瞳に息を呑み、なぜ自分のような一端の戦士に声をかけるのかわからなかった。

 

「フェレス理事長、何を…」

「選択をあげるなら、ちゃんと選ばせてあげるべきだろう。彼の場合、……いや、彼の『家族』も含め、無自覚だけどかなり深い部分に関わってしまっている。このまま『何も知らない』ままいつもの日常に戻れば、もしかしたら大切な『娘さん』を失うことになるかもしれないよ」

「なっ――! イ、イリナちゃんがどうしてッ!?」

「キミの娘さんは、『あの子』の一番近くにいる。僕は直接見たわけじゃないけど、とてもいい子なんだろう? 優しくて真っ直ぐで、誰よりも友達思いらしいじゃないか。……だからこそ、いずれ巻き込まれるだろう。このまま『全て』を捨てて駒王町から離れなければ、いずれ彼女自身の意思でね」

 

 奏太はハッとしたようにメフィストを見つめる。おそらく、奏太から乳神の話を聞いた後、メフィストなりに独自に調べていたのだろう。その時に、乳神とコンタクトを取った教祖について詳しく調べたに違いなかった。そこで、紫藤トウジの娘である紫藤イリナが、赤龍帝である兵藤一誠と親しいことを、淡い想いを抱いていることにも気づいたのだろう。

 

 メフィストの言うとおりだった。紫藤イリナがこの街にい続ければ、間違いなく兵藤一誠と関わりを持つ。乳神と唯一コンタクトを取れる、赤龍帝の幼馴染。教会の戦士の娘という立場は、天界陣営にとってあまりにも都合がいい。街そのものから、兵藤一誠から紫藤イリナを離さなければ、組織から命令されてもおかしくないのだ。彼女自身だって、大切な幼馴染のためなら迷いなく立ち向かってしまうだろう。騒乱を呼び込むという、赤龍帝と共に生きるために。

 

 だから、『知らない』ままでいるのなら、『家族』を守るためだと言うのなら、娘の日常を壊してでも駒王町を離れろと言ったのだ。

 

「それほどの選択だと思って選んだ方がいい。カナくんのことで迷惑をかけた、詫びも含めた老婆心だけどねぇ」

「…………」

 

 五年前、あの粛清未遂事件がもし遂行されていたら、自分は…家族はどうしていただろう。おそらく、駒王町にはいられなくなり、海外へと転勤していたかもしれない。そうしたら、それから先駒王町で何があっても、知らないふりをすることができた。罪の意識に苛まれることは間違いない。だけど、こんな風に魔法少女や常識に苦労することはなく、胃だって痛めることなく、今よりもまだ暮らしやすかったかもしれない。

 

 駒王町の守護者としての立場は、上から命じられた仕事だ。ずっと望んでいた転勤がやっと認められるかもしれないのである。魔法少女に染まっていく娘にお腹を痛めることも、魚介類や畜産類と井戸端会議をする妻を見なくても済む。おっぱいに癒しを求める必要もなくなり、自分が知る常識の中で穏やかに過ごすこともできるだろう。

 

 あぁ、それはなんて――

 

「……十一年」

「…………」

「私が駒王町で暮らした年月です。みんなで過ごした、イリナちゃんが生まれてからずっと守ってきた第二の故郷。今更、『全て』を捨てられるほど私だって若くないんですよ。何よりも、妻もイリナちゃんも笑っていました。なら、何よりも大切な家族の日常を護ることが、父親の役目ってものでしょう」

 

 紫藤トウジは引いていた椅子を戻し、その場に留まる選択を選んだ。そこにいたのは先ほどまでの巻き込まれた中間管理職の眼差しではなく、一人の父親としての覚悟を示していた。どんな真実を知ったとしても、娘が関わっているのなら知らないわけにはいかない。ミカエルは開きかけた口を閉じ、その決意に無言で頷いた。こういう目をした者は止まらない、信徒を導いてきた天使としてそれを誰よりも知っているのだから。

 

 

「じいさん、俺もやっぱり聞きたいです」

「デュリオ」

「俺はまだまだ未熟っス。いつも豪快な猊下が心配するぐらい、きっとすげぇヤバいことを知ることになると思います。だけど、……大丈夫です。どんな絶望にも負けはしません。だって、俺にとっての絶望はすでに過去のことだから」

 

 ニッと輝くような笑顔で拳を握るデュリオに、ストラーダは小さく目を見開いた。この手で掴むことができた可能性と、それを実現させてくれた奇跡。その光がある限り、デュリオ・ジェズアルドの心が曇ることはない。どんと来いと胸を張ってみせた。

 

「それに、カナたんは『知っている』んですよね。それどころか、この先のすごく深いところまで。なら、友達の隣にいるために俺も知ります。俺はもう何もできない部外者でいたくない。この力は、この意思は、俺が護りたいと願った希望のために使うと決めました」

「……後戻りはできんぞ」

「覚悟の上っス。俺の前向きさを嘗めんでくださいよ!」

 

 背筋を伸ばして椅子に座り直した頑固な弟子に、師匠は溜め息を吐きながら仕方がなさそうに笑った。続いてミカエルとガブリエルに深くお辞儀をすると、彼らの覚悟を認めてほしいと頭を下げた。この世界にとって最重要禁則事項であり、覚悟もなく触れてしまった者は教会から追放されるほどの重い重責が待っている。それでも、ここに残ると決めた戦士達に敬意を払いたかった。

 

「あの、ミカエル様。相棒……システムへの影響の危惧なら、問題ないって言っています。その程度の影響、調理器具や便利道具扱いされて荒ぶっていた頃に比べたら何でもないって」

「奏太くん、一言話すたびにこちらにダメージを与えてくるのはやめてもらってもいいですか…?」

 

 ミカエルの肩に止まっていた蝶が消失したと同時に、ズキッとしたお腹が治ったことにさらに頭が痛かった。大変便利である、と認識してしまうことすら居た堪れない。ミカエルはもう深く考えることを諦め、ゴホンッと咳払いをするとストラーダに頭をあげさせた。デュリオは今後の教会を引っ張る次世代の代表であり、紫藤トウジは駒王町の守護者として今後も関わりがあるだろう。

 

「わかりました。お二人の覚悟、認めましょう。天使が認めた剣として、この会談に参加しなさい」

『はっ!』

 

 天使長の許しに頭を下げ、一丸となった教会の戦士達の瞳に迷いはなくなった。この真実は信徒にとって危険なものだが、自分が護ると決めた『信念』があるなら大丈夫だろう。アザゼルは小さく肩を竦めると、彼らについてはそれ以上何も言わなかった。

 

 

「さてと、お茶請けもカナタの蝶もフェニックスの涙も揃い、失神用のベッドも隣室に置いてある。これで心置きなく、本題に入れるってものか」

「あぁ、始めよう。我々の会談を」

「……そうですね、ここからが本番なんですよね」

 

 頬杖をついて笑う堕天使と、両肘を机の上に立てて両手を口元で組む悪魔。そこに対峙するように真剣な眼差しを崩さない天使。全てを巻き込むような大戦を経て、それからも交わることがなかった種族たちが、初めて向き合うことになる歴史的な瞬間。誰もが息を呑み、世界の流れを変える一端になるだろうと予感した。

 

 それと同時に、天界陣営は心の中でひっそりと思った。そういえば、まだ本題すら入ってなかったんだなぁ…。その事実に、蝶がまたひっそりと消えていったのであった。

 

 


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