えっ、シスコン魔王様とスイッチ姫みたいな力ですか?   作:のんのんびり

191 / 225
第百九十一話 光

 

 

 

 あれから流れるように三日という期日は過ぎ去り、――ついに約束の日が訪れた。

 

 事前に連絡を入れていたため、無人となっている教会に一人の大柄な男が姿を現す。十二月の半ばという季節には似つかわしくない、薄手の祭服を纏っただけという頼りない出で立ちでありながら、その身に纏うオーラと肉体は鍛え上げられた芸術そのものとも呼べる生きた伝説。腰に下げられた大ぶりの剣はレプリカではあれど聖剣であり、男が歩くたびにカタカタと小さな音が鳴り響いた。

 

 しばらく現役を離れ、レグレンツィ一家を見守る役目に準じていたが、今ここにある彼の姿を見た者なら誰もが息を呑み、緊張と警戒を強いられるだろう。それだけの気迫を纏った教会の戦士――ヴァスコ・ストラーダ司祭枢機卿は、礼拝堂の前まで足を進めると聖書の一句を口ずさみながら、天界へと繋がる陣を描いていった。

 

 まさかこうしてまたお目にかかる機会があるとは…、と真摯に祈りながら約五年前のことを思い出す。人間の身でありながら天界に招待され、そこで聞かされたこの世界の真実。自分たちが信じる神がすでに亡くなっていることを、これ以上聖書陣営同士で争い続けることの危険性を。そして、信徒でしかない自分に頭を下げ、これからの未来のために力を貸してほしいと告げられた幸福を。こんな老骨にも、まだまだ若者たちのために出来ることがある。真実を受け入れ、信徒たちが道を迷わぬように少しでも手を差し伸べたい。ストラーダはその思いを胸に、この五年間を過ごしてきたのだ。

 

 だからこそ、これから先にある未来を見据えていたストラーダの下に届けられた、今回の件は決して楽観的に考えられるものではなかった。神の死によって不具合が起きるようになった世界で、それを覆す者が現れるなど本来ならあり得ない……否、あり得てはならないことなのだから。神の領域に触れる者が本当に現れたのか、その真実を確かめるための(先兵)となる。それが、自分の役目だと静かに頭を垂れた。

 

 それから数刻ほど経ち、教会の礼拝堂で一人祈りを捧げていたヴァスコ・ストラーダの前に、巨大な両開きの扉が現れた。白亜で出来た扉が音を立てて開かれていくと、そこから輝くような金色の髪と黄金色の衣装を身に纏った青年がゆっくりとした足取りで地上へと降臨したのであった。

 

「お久しぶりですね、戦士ストラーダ」

「お久しぶりでございます、ミカエル様。此度は不確定な情報でありながら、お越しくださり感謝いたします」

「構いませんよ。……神器の不具合を治療する者が現れた、と伺っています。それを悪魔側から齎されたものだとも」

「はい、詳細をお伝えします」

 

 平伏するストラーダに天使長であるミカエルは小さく頷くと、楽にするように一言告げる。彼の頭部には天使であることを証明する金色の輪っかが漂い、普段は優し気な笑顔を浮かべている相貌だが、今は厳格な為政者のものになっていた。リュディガー・ローゼンクロイツが神器症の治療のために、教会と接触したことはすでに報告されている。悪魔との和平を考えていた天使側としても、最上級悪魔に恩を売れるのは悪くないとそこはあえて見逃していたのだ。

 

 しかし、そこから発信された症状の完治に関しては、全く予想だにしないことだった。ストラーダは感情的な部分の一切を排し、デュリオから伝えられた事実のみを答えていく。本来ならここまで迅速に天界が動くことになるなど、あり得ないような不確定な情報。それこそ、罠だと一蹴されてもおかしくなかっただろう。しかし、こうしてミカエルは自分の目の前に現れ、今も厳しい顔で眉を顰めている。それだけ、天界側としても由々しき事態になっているのだろう。

 

「……ミカエル様。差し支えなければ、今回の情報にこれだけ迅速な対応がなされた理由をお聞きしてもよろしいでしょうか」

「そうですね、あなたになら話してもよいでしょう。五日前、天界は未曽有の事態に陥っていたのです。信徒たちを不安にさせないため、そして他勢力の介入を恐れ、外部に漏れないように我々は箝口令を強いていました」

「それほどのことが…」

「えぇ、なにせ原因不明であり、未だに解明もできていない不甲斐ない状態ですから…。天界の最上部にして、神の住まう場所である第七天。そこは天使である我々でも容易に足を踏み入れることができない、神の奇跡を司る場所。そこに存在する「システム」が突然紅く発光し、天界中を照らしたのです」

 

 実際のところ、めっちゃピカピカ光っただけで、実害は何もなかった。その後も、特に何も問題なくシステムは稼働する始末。本当にただ光っただけである。しかし、何万年という時を生き続けていた天使達にとっては、全く生きた心地がしない時間だった。これまで起こったことがない異常事態が発生したのに、原因はさっぱりわからず、問題も起こらないという静けさが逆に不気味過ぎた。

 

 信徒を導き、神が残した奇跡を護ることで天使としての使命を全うしようとしていた彼らにとって、システムに何かあればそれこそ共倒れになる危険性さえあるのだ。それなのに、明らかな異常事態の原因さえ掴めない。そんな阿鼻叫喚な天界に齎された、神器症の治療というありえない情報。しかし、悪魔が知るはずのない秘匿されていた時期とも被ることもあって無視できない事態になってしまったのだ。

 

 本来なら信じられないが、それだけのことをすればシステムに影響を与えてもおかしくない、という結論に至るのに時間はかからなかった。ストラーダはシステムに問題がなかったことにホッとしながら、天界がそれほどの緊急事態になっていたとはと冷や汗を流した。予想よりも深刻な事態に男たちは渋面をつくり、原因すらも掴むことができなかった状況に苦虫を噛んだ。

 

 ――なお「システム」が光った原因は、ついに宿主が禁手に至ったことで嬉しくなり、張り切ったらうっかり光っちゃっただけで深い意味は全くなかったりする。

 

 

「では、ミカエル様もやはり治療が真実である可能性が高いと…」

「えぇ。しかし、やはりこの目で見なければとても信じられません」

 

 だが、今回の会合に選ばれた場所には魔王まで来るという。つまり、魔王も神器症の治療が事実であると認めているということだ。そうでなければ、天使との秘密裏の会合をここまでスムーズに運ぶことはできないだろう。和平を望んでいるという悪魔側のメッセージを受け取ったのは、五年前のことだ。もしそれが本当なら、罠である確率は低いとは踏んでいる。だが、何か言い知れぬ不安のようなものは確かにあった。

 

 しかし、ここで悩んでいても仕方がない、とミカエルは小さく頭を振る。天界の長として、此度の真実を暴かなければならない。ミカエルは翡翠色の瞳を細め、ストラーダに向けて厳かに言葉を紡いだ。

 

「戦士ストラーダよ。教会の剣として、この先に待ち受けるものを私と共に見届けてもらいます」

「御意。もとより、その覚悟で参りました」

「ふふふ。えぇ、頼もしい限りです」

 

 先ほどまでの空気が和らぎ、柔らかな微笑みを見せる両者。「教会の暴力装置」の異名を持つストラーダの手に、その名を轟かせたデュランダルはない。しかし、それが彼の弱みになるかと言えばそんなわけがないのだから。それに、そろそろ時間だと考え、重い空気の中に「子ども」を連れてくるわけにはいかないだろう。

 

「あら~、お待たせしてしまったかしら? ミカエルさまぁ」

「いえ、ちょうどいいタイミングですよガブリエル。……その子が?」

「えぇ、デュリオくんの弟くんよ」

 

 礼拝堂に突如黄金の方陣が現れ、徐々に人型をつくった先に現れたのはウェーブのかかったブロンドの髪を持つ美女――四大熾天使の一角であるガブリエルであった。彼女は聖母のような笑みを浮かべ、腕に抱く幼子の髪をそっと払う。子どもは安らかに眠っているが、遠目からもやつれた印象を受け呼吸もどこか浅い。ガブリエルは幼子を揺らさないように慎重に歩き、その後ろをついていくように金色の少年が続いた。

 

 金髪の少年――デュリオ・ジェズアルドは、ガブリエルと共に弟を迎えに行っていた。神器症の治療の真実を確かめるためには、当然ながら患者がいなければ始まらない。そこで選ばれたのが、デュリオが懇意にしている教会の子どもだった。本来なら重篤な弟を移動させるなど危険なことだが、熾天使であるガブリエルと一緒なら症状の悪化を防ぐことができる。

 

 最初はミカエルと一緒に行く人選で、駒王町には忍者がいると聞きつけたメタトロンがとんでもなく「行きたいです!」と主張したのだが、さすがにこいつに子どもは任せられないと無難に選ばれた人選であった。そんなガブリエルから一歩前に出たデュリオは、緊張でガチガチになりながらも、教会の戦士としてトップに向けて頭を下げた。

 

「は、初めまして、ミカエル様! デュリオ・ジェズアルドと申します」

「初めまして、デュリオ。あなたの活躍は天界にも届いておりますよ」

「はい、大変光栄っス!」

 

 憧れであるトップとこうして相まみえることができた興奮に、普段はマイペースなデュリオもビシッと挨拶をする。戦士の身の上でありながら、セラフから直々に命令を受けたこともあったが、天使長とこうして直で話すなど未だに信じられないことだった。そんな弟子に肩の力を抜け、と師匠として小突きながら、ストラーダも微笑みを浮かべる。そんなやり取りにニコニコと笑ったガブリエルは、ウインクをして人差し指を口元に当てて見せた。

 

「こ~ら、デュリオくん。大きな声を出してはいけませんよ?」

「あっ、す、すみません…」

「さて、その子のためにもすみやかに駒王町へ向かいましょうか。ここから転移で飛び、現地の管理者と落ち合うことになっていますから」

 

 駒王町の教会に転移した後、現地の協力者と共に会談場所へ向かう手筈となっている。今回は悪魔と教会が秘密裏に会合ができるように、駒王町にあるビルを丸々一つ貸し切っていた。そのビルを囲むように強力な結界が張られ、誰も中へ入れないように徹底されているようだ。それは事前に確認させた部下からも報告を受けており、少なくとも周囲に伏兵などはいないと聞いている。

 

 そのビルには魔王とリュディガーと例の治療者、そして治療者の保護者だけが入れるようになっていると事前に聞いていた。こちらは四人で武器の携帯もしているが、病人を連れている以上動きは制限されるだろう。ミカエルは一度全員の目を見て頷くと、気持ちを引き締めるように手をスッとあげる。すると、彼らの眼前に黄金に光る方陣が輝きだした。

 

「い、いよいよ治療者の人に会えるんですね…。治療が成功したら、もうみんな苦しまなくてよくなるんだよなぁ」

「デュリオ」

「……わかっています。俺は教会の戦士であり、ミカエル様達の剣です。でも、奇跡を信じたいって祈る気持ちは許してください」

 

 ガブリエルに抱きかかえられている弟の頬を優しく撫でると、デュリオは意を決して方陣の中へと向かう。この中で誰よりも奇跡を願っているのは、デュリオ・ジェズアルド自身だ。今回の会合が、天界にとっても大事であることはわかっている。それでも、子どもたちを救ってくれる存在と出会えることに純粋な喜びもあった。ストラーダは溜め息を吐きながらもそれ以上は何も言わず、続いて方陣の中へと足を踏み入れた。

 

 

 そうして五人が黄金の光に包まれ、一瞬の浮遊感を感じた後――。次に目に入ったのが、先ほどの礼拝堂よりかは一回り小さな教会だった。黄金の輝きがステンドグラスを照らし、彼らの到着を胃を痛めながら待ち続けていた牧師は、「本当に来ちゃったよ…」と現実逃避と神々しさに涙を流しながら頭を下げた。一信徒でしかない自分がトップに会えるなんて、天にも昇るような痛みと気持ちであった。

 

「ようこそ、いらっしゃいました。私はこの駒王町の守護を任されている紫藤トウジと申します」

「えぇ、ここは難しい土地だと聞いています。よくこれまで職務を全うしてくれましたね」

「い、いえ、信徒として当然のことであります! 魔法少女の方々がやりすぎた部分をフォローし、怪人たちが迷惑行為をしたら説教し、異能者たちのはっちゃけを収め、おっぱいの癒しでこの街がまとまるように苦心し、外部に騒ぎが広がらないように情報を統制し、部下たちの精神的ケアも頑張ってまいりましたっ!」

「うん、……うん? えっと、頑張りましたね?」

「はいっ、はいッ……! 先日もようやく空を丸太()で飛ぶ時間帯などを話し合い、交通ルールも決めることができました。神に仕える信徒として、今後も精進してまいります!」

 

 ミカエル様とガブリエル様の後光を差すような黄金の光に感動した紫藤トウジは、ありがたやと手を合わせて祈りを捧げる。報告の半分以上に?マークを浮かべたミカエルは、そっとガブリエルを見るが、彼女もきょとんと首を傾げている。とりあえず、ものすごく真摯に祈ってくれているのはわかるので、ここは労わるべきだと長年の経験から察したミカエルは極上の天使スマイルを送っておいた。

 

「魔法少女……確かGiappone(ジャッポーネ)の神秘文化の一つだったな」

「猊下、Wizard(魔法使い)とは違うんスか?」

「ふむ、我々の知る魔法使いとはまた違った存在ではあるらしい。普段は街に溶け込むように擬態し、危機を察すると真の姿に変身する生体だと説明されていたはずだ。私はこれまで魔法使い達の技術や論文を数多く見てきた。その内の一つに、現魔王レヴィアタンが注目している技術であると噂を聞いたことがある。この街の報告では、これまで裏に潜んでいた魔法少女達が表だって活動できる唯一の街らしいと書かれていたな」

「ま、魔王が目にかけるほどの種族が、この街を根城にしているってことですか。これは気合を入れないとまずいっスね…」

 

 魔法少女の生態について真面目に知識を語るおじいちゃんに、弟子は真剣な表情で頷く。ヨーロッパに魔物や妖精などの生命体が実在し、時にはひっそりと共存する村があるように、ジャパンにも魔法少女という名前の生命体が暮らす街があってもおかしくないだろう。半端な日本知識と裏の常識を混ぜ合わせたらダメだとよくわかる事例であった。

 

 こうして紫藤トウジの案内の下、会合予定のビルに向かうまでに日本の空は丸太が飛ぶことを知った天界陣営なのであった。

 

 

 

――――――

 

 

 

「驚きました、丸太にあのような活用方法があったとは…」

「びゅ~んと、すごい速さでしたわ~」

「ガキんちょたちに見せたら、めっちゃ興奮しそうですねぇー」

Giappone(ジャッポーネ)の文化も、なかなかに奥深いものだ」

 

 外国人と引きこもりに盛大な勘違いを与えながらも、無事に目的のビルに辿り着くことができた一行。紫藤トウジとしても「いや、あれは…」とおずおずと弁解したかったが、雲の上の方々がキラキラとした目で空飛ぶ丸太を見て楽しんでいる光景に何も言えなかった。どうせトップがこの街に来るのは今回の一回きりだと心の中で言い訳をし、職務を全うすることだけを考えたのであった。

 

「皆様、こちらのビルの十二階にある会議室を用意させてもらいました。私や今回の会合を知る者たちで隈なく調べましたが、特に不審なものはありませんでした」

「ありがとうございます。……悪魔や治療者はまだ?」

「いえ、悪魔側は結界の準備のためにすでに待機されています。しかし、治療者の方は直接このビルに転移してくると連絡を受けました。それに治療が必要な子どもがいるなら、先に安静にした方がよいだろうと伺いましたので」

「ミカエルさま、懸念はありますが移動にかかった負荷を考えれば、早くこの子を横にしてあげるべきですわぁ」

「そうですね。では、引き続き案内をお願いします」

 

 ガブリエルが傍にいるとはいえ、子どもの体力を考えればここで時間を使うのは得策ではないだろう。ビルの中に入ると人気や物はまったくなく、どうやら無人のビルを貸し切ったらしいとわかる。しかし、ちゃんと電気は通っているようで、会談として使うには特に問題はなさそうだろう。エレベーターの中に乗り込み、十二階のボタンを押すと何事もなく上へと上って行った。

 

 そうして辿り着いた階層は、駒王町の街を見下ろす景観が広がっていた。紫藤トウジが会議室の扉の前で深呼吸をすると、コンコンと扉をゆっくりとノックする。それに返事が返って来たことを確認すると、意を決して会場へとトップを導いた。会議室の椅子に座ってこちらを見据える碧と蒼の瞳と相対するように、ミカエルたちの瞳が重なる。魔王が来るとは聞いていたが、まさかこの二人がわざわざ来るとは、と警戒心が湧いた。

 

「……これは、ルシファー殿とベルゼブブ殿。お待たせしてしまいましたかね」

「ごきげんよう、ミカエル殿。いえ、そんなことはありませんよ」

 

 輝くような笑みを浮かべる天使長と同様に、ニコリと微笑みを浮かべる魔王。天使側としても、悪魔との交渉のために魔王がつくことは知っていたが、まさか二人……それも超越者と呼ばれる悪魔がわざわざ来るとはと考えていた。それだけ、悪魔側も今回の治療の件は重く受け止めているのかもしれないと思考を回す。ミカエルたちは促されるまま部屋に入り、会議室の真ん中に置かれているベッドが問題ないかを確認し、子どもを横に寝かせておいた。

 

 お互いに敵意はないことを認識するが、ピリピリとした空気は消えない。いつでも武器を手にかけられるように佇む教会の戦士たちは、静かに成り行きを見守っている。サーゼクス達の護衛としてついているグレイフィアは、冷たい相貌を無言で向けた。それにアジュカは肩を竦めると、トントンとテーブルを叩いた。

 

「座ったらどうだい。別に取って食う気もなければ、そもそもキミたちと争う意思はないよ」

「そうであると助かりますね。……我々としても、悪魔と争うために来たわけではありませんから」

「グレイフィア、彼らの分の紅茶をお願いできるかな。もちろん、無理にとは言いませんが…」

「いえ、いただきましょう。最強のクイーンと呼ばれる方の紅茶が飲める機会などそうそうありませんからね」

 

 トップ同士の会話には入らず、それでもいつでも前に出られるように警戒しながらも、教会の戦士たちも各々椅子に腰を下ろした。紅茶にはそれなりにうるさいぞ? と先にストラーダがカップに口を付けて問題ないことを確認すると、紅茶の香りを楽しみながら喉を潤す。デュリオは紅茶の美味しさに目を見開き、リアルメイドさんすごいと純粋に驚く。トウジは己の場違い感に緊張で味がわからない中、とにかく気をしっかり持つように頑張った。

 

 双方共に語ることはなく、黙々と過ぎていく時間。ミカエルとしては、まずは治療の真実を見極めることが先決だと考えていた。魔王側も何かを仕掛けてくることはないため、カチカチと鳴り響く秒針だけが嫌に耳に響いた。そんな部屋に、コンコンッと新しい音が生まれる。誰もが音が鳴った扉に視線を向けると、ゆっくりと開かれた先に銀色の青年が佇んでいるのを目にした。

 

 

「お待たせしました、皆さま。今日はわざわざお越しくださり、感謝いたします」

「リュディガーさん…」

「デュリオ、私との約束を信じてくれてありがとう」

「いいんですよ。リーベくんは元気ですか?」

「あぁ、走り回れるのが嬉しいのか、ヤンチャすぎて困っているぐらいさ」

 

 礼服に身を包んだ青年は、向けられた視線にお辞儀をし、デュリオと目が合うと嬉しそうに微笑みを返した。通信で話は聞いていたが、直接感じた声音や表情は本当に幸せそうで、和らいだ雰囲気はこれまでの彼にはなかったものだった。それにグッとしたものが込み上げてきたデュリオだったが、リュディガーの後ろからひょっこりと顔を覗かせた人物に目を瞬かせる。灰色のローブを着た、背丈からして自分とそう変わらないだろう身長の人物。自然と全員の視線が、彼に向いた。

 

「えーと、こんにちはー。……うわぁー、改めて見てもすごい豪華メンバー」

「キミは――」

「あっ、初めまして! 俺は『灰色の魔術師(グラウ・ツァオベラー)』に所属しています、倉本奏太って言います。天界と教会陣営の皆さま、どうぞよろしくお願いします!」

 

 声音から本当にデュリオと同じ年ぐらいの子どもだとわかる。先ほどまでの重かった空気などさっぱりな感じで、マイペースに明るく自己紹介をする少年に、ミカエルたちは思わず呆気にとられる。本来天使を初めてその目で見た人間は、その存在感に圧倒されるものだ。しかし少年からは尊敬を向ける視線は感じても、他の人間達のように畏怖や崇めるといった感情はない。真っすぐに向けられる目線は、しっかりとミカエルたちを見据えていた。

 

 奏太はいそいそと頭に被っていた灰色のフードを脱ぎ、もう一度ペコリと頭を下げる。少し癖のある黒髪と黒い瞳をもち、名前の通り日本人らしい容貌の子ども。身に纏うオーラは洗練されているがそれぐらいしか特徴はなく、オーラの総量を見ても平凡な実力しか感じない。それにも関わらず、あまりに普通過ぎる様子になんと表現したらいいのかわからない不可解さを感じた。

 

「えっと、その、もしかしてキミが治療者さん……?」

「えっ、そうですよ。あっ、デュリオさんで合ってますよね。リーベくんのお兄ちゃんの!」

「そ、そうだね…」

「おぉー、これがナチュラル兄貴の貫禄ってやつか…。めっちゃキラキラしてるー」

「奏太くん、興奮しているのはわかるけど落ち着こうね。キミのことを何も知らない初対面の相手からすれば、キミの感性は色々ズレているんだから」

 

 仕方がないようにポンポンと黒髪を撫でるリュディガーの仕草に、彼が心を許しているのが感じられた。リュディガーに窘められ、慌ててこちらにぺこぺこと頭を下げだす奏太。おそらくこれが、彼らの普段からのやり取りなのだろう。不意に背後の魔王達に視線を向けると、彼らもまた呆れたように肩を竦めるだけ。どうやらただの魔法使いではないらしいことは、この短い時間で何となく気づいた。

 

 弛緩した空気にミカエルはコホンっと咳払いをすると、奏太へと歩み寄るように一歩踏み出した。視線でストラーダたちを止めると、そのまま少年の前まで来て立ち止まる。それから十二枚の金色の翼をバサリと出現させ、ニッコリと天使スマイルで笑顔を見せた。

 

 ミカエルの背中から生えた黄金の翼に奏太は目を瞬かせているが、その瞳は物珍しそうに眺めるだけ。天使長の聖なるオーラを直接浴びても、『当たり前のように』受け流される。いや、受け流している意識さえしていない。おそらく、彼にとって相手のオーラを受け流すのは、無意識でも出来るほどに慣れた行為なのだろう。

 

 

「初めまして、倉本奏太くん。私はミカエル。天使の長をしているものです」

「初めまして、ミカエル様。この度は駒王町までお越しくださりありがとうございます」

「いえいえ、それではあなたがリーベ・ローゼンクロイツくんを治療した人間なのですね?」

「はい、そうです。俺と相棒で治療をしました」

 

 虚偽は許さないと静かに見据えるミカエルの視線から逸らすことなく、奏太は力強く返答を返した。これまで何人もの人間を見てきたからこそ、ミカエルはそこに嘘がないことに気づく。はっきり言えば、未だに半信半疑だった真実であったが、まさかこんな子どもがと素直な驚きが胸中に浮かぶ。それと奏太が返した答えに、ふと純粋な疑問が生まれた。

 

「相棒さん、ですか? しかし、ここにはあなたしかいませんが」

「相棒は俺の神器のことですよ。……あのー、それで、そこのベッドで寝ている子を治療してもいいんでしょうか?」

 

 さらっと神器持ちであることを暴露され、さっきから気になっていたのかベッドの方へ視線が向けられている。正直色々聞きたいことはあるが、まずは治療が本当のことなのかを確かめる方が重要だろう。少年のマイペースさにちょっと頭は痛くなるが、ミカエルは促すように前の道を開けた。

 

 奏太はリュディガーと後ろにいる魔王の二人に視線を向けて頷きをもらうと、しっかりとした足取りで前に踏み出した。ヴァスコ・ストラーダの視線にはお辞儀を返し、ガブリエルの微笑みに顔を赤らめ、心配そうに佇むデュリオに大丈夫だと笑いかけた。ベッドに横たえられた少年は、十歳はいっていないぐらいの年齢に見える。顔色は悪く頬が痩せこけ、生命力が薄くなっていることもあり、一回り小さく見えるようだった。

 

 それに奏太は痛まし気に唇を噛みしめると、そっと目を瞑り、深く――深く息を吐いた。

 

 

 静寂は、一瞬だった。ふわりと少年のオーラが吹きすさんだと感じた瞬間には、ひどく懐かしいオーラがミカエルの全身を包んでいた。驚愕で見開かれた目は、奏太の手に現れた夜明け色の槍に向けられる。どうして今まで認識できなかったのか理解できないほどの濃密な聖なるオーラ。ミカエルと同じくガブリエルも言葉にならない驚きを表し、口元を手で覆っていた。

 

「あ、るじ――?」

 

 だが、あれは『黄昏の聖槍(トゥルー・ロンギヌス)』ではない。主の遺志を宿す聖槍(ロンギヌス)ではないはずだ。それどころか、見たことも聞いたこともない神器のはずなのに…。それなのに、どうしてこんなにも懐かしさに涙が溢れそうになるのか。身体が無意識に求めようと、手を伸ばしたいと思ってしまうのか。

 

 自身が敬愛する主そのものではないと本能でわかっても、主が生きていた頃を思い出すような暖かさがその紅い光にはあったのだ。

 

 

《――義の太陽が昇り、その暁の翼には癒しがある――》

 

 

 教会の戦士たちは、その『聖句』に言葉を失う。少年から紡がれた(うた)は、彼らがよく知る聖書の一節だったからだ。旧約聖書文書の一つとされる『マラキ書』に記された、メシアの降臨を表わす有名な一文。大いなる希望を抱かせるようなその祈りを、信徒たちは誰よりも口ずさんできたのだから。朝焼けのように紅く輝きだす槍に魅入られるように目が向かい、まるで魂が引き付けられるように離すことができなかった。

 

 

《――神去(かむさり)し黄昏の循環は、夢幻なる黙示の夜明けを祈った――》

 

 

 神を弔う謳は物悲しく悼むように紡がれるが、その光が消えたわけではないことを感じさせた。槍の先端から生まれた暁の光はベッドに眠る少年へと注がれていき、光の粒子が赤色の蝶へと変わり舞い踊るように遊びだす。槍の円盤にある生命の樹に描かれた天球の五つ目が発光し、幼い少年の身体だけでなく、魂までも温かく包み込むように光が渦巻いた。

 

 

《――あぁ、最後の天秤は――》

 

 

 黒と紅が混じる瞳が揺れ、奏太の背中から現れた半透明な光の翼が優しく空間を撫でる。朝焼けの色を纏い、鱗粉のように、火の粉のように舞い散る細やかな光。その二対の翼はまだ小さく淡い煌めきであるが、焼け付くような熱い『願い』が込められているようだった。それがこれまで子どもたちに捧げてきた想いの結晶のように見えて、デュリオの目尻から涙が零れた。

 

 

《――黎明(れいめい)を照らす福音となり沈まぬ光を与えよう――》

 

 

 ……あぁ、認めるしかない。これは紛れもなく神の奇跡であると。自分たちが崇める()と同等の――祝福なのだと。失ったものの大きさに潰れそうになりながらも、それでも神の子らを見守り、導いていくのが残された天使(自分)たちの使命なのだと、奮い立たせてきたこれまで。その意思は神に与えられたからじゃない、自らの意思に従って選んできた道だった。

 

 神がいなくても世界は回る。それでも、もう二度と自分たちを照らすことはないだろうと涙を飲んだ太陽の輝きを、こうして再び浴びることができた嬉しさが魂の奥底から込み上げてくる。神の死により救済できる者が限られてしまったこの世界で、それを覆す奇跡()が確かに生まれたのだ。

 

 

《――()い、(うた)い、奏でよ…》

 

 

 奏太の持っていた槍が、ベッドに眠る子どもの魂へと吸い込まれるように消え、「システム」の意思が少年の神器へと干渉を始めていく。魂との齟齬によりERROR(エラー)が鳴り響く原因を消し去り、新しく書き換えた構成によって創り上げられていく。それは、新たな世界(未来)を創造することと等しい奇跡。

 

 黄昏によって訪れた明けない夜が、暁紅の朝日によって確かに塗りつぶされたのだ。

 

 

白夜なる(ミッドナイトサン)夢見鳥の聖樹槍(・イノベート・イデア・ロン・セフィラ)

 

 

 聖なるオーラがビルの一室を包み込み、消えかけていた命に再び光が灯りだす。五日前に天界中に駆け巡ったものと同様の紅の光がチラッと瞬くと、スルスルと奏太の手に再び槍として戻っていった。光が消えると同時に奏太の背に現れていた翼も消失し、前回とは違って気絶することはなかったが、ふらりとした視界を慌てて傍に来たリュディガーに支えられた。

 

 疲れからブルりと震えた奏太の身体に、ハッと気づいたストラーダはそっと自身が着ていた法衣の一部を被せる。それにきょとんと眼を瞬かせた奏太は、慌ててこくりとお礼を告げておく。目の前で起こった奇跡に未だに呆然とする中、ふらりと足を進めたデュリオは震える手で弟に手を伸ばしていた。

 

 これまで見たこともないような穏やかな顔つきで、深く静かに呼吸を繰り返す少年のあどけない表情。その変化を目に映したデュリオは、顔をくしゃくしゃにしながら大粒の涙を流し、声にならない慟哭をあげて弟に抱き着いた。もう二度と離さない、とギュッと抱き寄せた少年の温かな鼓動に、ずっと待ち望んでいた奇跡が舞い降りたことを心から実感したのであった。

 

 ガブリエルが泣き続けるデュリオを優しく宥める中、奏太の神器を見据えるミカエルの瞳と、魔王の静かな視線が重なる。何故魔王が二人もこの場に現れたのか、なぜこれほどまでに秘匿されなければならなかったのか、その全ての答えが倉本奏太の禁手に含まれていた。そして、天使長として、天界のこれからを担うものとして、決して彼を放置できる存在ではないと認識したのであった。

 

「さて、それでは天使長殿。認識を同じくしたところで、我々の話し合いを始めましょうか?」

「……えぇ、望むところです」

 

 純白のローブを翻したミカエルの相貌は、神の右腕としてのものに変わっていた。笑みを深める魔王と奇跡を知った天使の会合は、こうして始まったのであった。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。