えっ、シスコン魔王様とスイッチ姫みたいな力ですか?   作:のんのんびり

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 本当にお久しぶりです。長らく更新できず、申し訳ありませんでした。3月の繁忙期が予想以上に大変でしたね…。自分、本当に何時間働いたんだろう……(遠い目)
 前話が1ヶ月前なので、簡単なあらすじも載せておきます。4月からまたバタバタしそうですが、のんびり充電しながら頑張っていきます(・ω・)ノ

《前話のあらすじ》
 朱雀(シスコン)襲来! 手伝いのお礼として奏太(&作者)は、うっかりプロポーズの品をシスコンに渡す。出戻りが決定した管理者、駒王町の現状に号泣。泣いていい。コカビーが駒王町に逝くのを止められるかはアザゼル先生、あなたの手にかかっている! そんな感じでスタートです。


第百八十二話 衝突

 

 

 

 堕天使陣営『神の子を見張る者(グリゴリ)』に所属する武闘派の幹部、コカビエル。全身を覆う黒衣のローブを纏い、そのローブから覗くウェーブのかかった長い黒髪と鋭い眼光。威圧的な長身も合わさり、他の幹部たちとは雰囲気からしてどこか一線を画した古参の堕天使だ。大戦時代も率先して前線に立って戦い続け、混迷を極めた終盤でいち早く離脱を選んだアザゼルの判断に、最後まで反対の意思を掲げたのも彼だった。

 

 大戦以降、戦争回避を指示するトップに反感を抱き、堕天使陣営が研究に取り組む神器システムにも興味がないため、組織全体の方針にも不満を抱き続けている。コカビエルの気性の激しさは組織全体でも浸透していたため、彼が堂々と文句や不満を口にしても周りはそれを宥め続けた。互いに方針の違いはあれど、ずっと昔から共に過ごしてきた仲間だったからだ。コカビエル自身も組織のやり方に不満があっても、それでも長年この組織に身を置いてきたのは、そう言った繋がりが確かにあったからだろう。

 

 しかし、彼はしぶしぶ従っているだけで、本来の性格や思いが変わったわけではない。現在は冷戦状態となっているが、いつの日か再び聖書陣営同士で雌雄を決する戦いが行われることを望んでいる。そのために静かに力を蓄えていることを、トップであるアザゼルは知っていた。知っていながら、それでも行動に起こすことができなかった。危険分子であるコカビエルを追放することもできず、説得しようと話し合いの席を設けても平行線のままに終わる日々。いつからかこうして二人で顔を突き合わせるのは、任務の指示や報告以外ではなくなってしまっていた。

 

 総督として方針に逆らう部下を切り捨てることもできず、我の強い友を仲間として説得することもできない。お互いに宙ぶらりんのまま、綱渡りのような均衡で保たれていた組織の実状。しかし、そんな均衡はあと一ヶ月もしないうちに崩れることになる。『三大勢力による停戦協定』の確立という、コカビエルの意思とは真っ向から背いた方針が立てられるのだ。それに向けて、すでに裏で調整が行われている現状を考えれば、彼に隠し続けることは不可能に近い。

 

 他の部下たちのように決定をただ伝えるだけでは、コカビエルの怒りは収まらないだろう。自分の意思を完全に無視された状態で決められた最終方針に、自己主張が強い彼がどんな行動に出るか想像に難くない。だからこそ、アザゼルはコカビエルだけには直接自身の口から伝えるべきだと考えた。総督として無慈悲に決定を口にするのではなく、仲間として彼に話を聞いてほしかった。……しっかり話がしたかった。

 

 もちろん、ただの話し合いで終わらないだろうことは心の中で理解しながら――

 

 

「ふざけるなァッ!!」

 

 ガンッ!! とコカビエルとアザゼルを隔てるように置かれていたテーブルが、軋むような勢いで振り落とされた拳。ソファーに身を預け、腕を組んで激昂するコカビエルを静かに見つめるアザゼル。倉本奏太関係のことは出来る限り伏せ、今後の『神の子を見張る者(グリゴリ)』の方針と、近日中に行われる停戦協定についてだけ口にしたのだ。その事実を聞いて怒りに震えるコカビエルに、やっぱりなとアザゼルは心中で吐露する。直情的なコカビエルの性格は、長年の付き合いで理解していた。

 

「……ふざけてねぇよ。お前だって頭の中ではわかってるだろ。再度三つ巴の戦争なんかやったら、その結果どうなるかってよ。聖書陣営同士で好き勝手できていた時代は、すでに終わったんだ」

「終わってなどいないっ! 忌々しい悪魔と天使共がまだいる。まだ、何も終わっていないだろうがッ!?」

「終わったんだよ。……聖書の神(あいつ)と魔王が死んだ時点で、終わったんだ。俺達の戦争は…」

 

 最初の始まりなど、あまりにも昔過ぎて朧気になっている。神に仕える天使から堕天して黒き翼となり、天界から去った後。悪魔とは冥界での領土を奪い合う戦いが、天使とは神の名の下での戦いが、三つ巴の終わりの見えない戦争が当たり前のように始まっていた。そんなあまりにも長すぎた大戦は結局決着がつかず、全員が癒えない傷を背負うだけで唐突に終焉を迎えた。神と魔王の死によって。

 

「この時代で生きている大半の連中にとって、神や魔王が生きていた時代の戦争なんて、すでに過去のことなんだ。あの戦争で失ったものは多い。多すぎた。だけどな、過去でしか戦争を知らないやつらと再び戦争をして、それが何になる。何の慰めになる。何が、得られる…」

「…………」

「表のことは人間の信徒に任せ、種が増えなくなったことを危惧して天界に引きこもった天使。トップだった魔王が死に、内乱の果てに二代目の魔王として新政府を立てた悪魔。……そして、俺達堕天使だって、同じように変わっていった」

 

 世界の調整役として人間の営みを観察し、人知れず不穏分子を排除する。さらに神が残した神器(セイクリッド・ギア)を調べ、それによる研究機関を確立した。それぞれが種を守るために方針を変え、戦いを避け、少しずつ傷が癒えるように時間をかけていった。そうして出来上がった今の世界は、すでに旧体制の面影などほとんど見えなくなっていた。深い底では根深い根がまだ張っていても、目に見える生い茂る木々は若々しい力に溢れているのだ。深く張られた根に遺恨はあれど、残された木々に恨みはないのだから。

 

「だいたい俺達以外にも、この世界には数多くの神話が存在する。強引に信者を奪っていった聖書陣営(俺達)へ、未だに恨み辛みを募らせているやつらだっているのは知っているだろ。もう一回内輪で戦争を始めて今より疲弊して、それでそいつらのことはどうする気だよ」

 

 アザゼルから語られるのは間違いなく正論だった。堕天使という種の存続を願い、それに向けて変わろうとしている。感情で剣を振り下ろせる時代は終わり、種を守るための為政者としての時代が今だ。現に、コカビエルも反論はなかった。しかし、それでも納得できないと告げる赤い瞳が、爛々と燃えているのはわかった。

 

「だからこそ、力を蓄えるのだろう。悪魔も天使も、五月蠅い外野共も葬るために」

「どうやってさ。堕天使としての力だけでは敵わず、お前が否定している神器だって決定的な武器にはならないと散々扱き下ろし、数だって人間の信徒と転生悪魔を抱える天使と悪魔より足りていないのによ」

「ないなら扇動すればいい! 教会や悪魔に恨みを持つ者や、力が欲しい者たちをかき集め、何なら神共が封印した怪物を解き放ち、混沌へと導けば――」

「世界がめちゃくちゃになって終焉を迎えました、ってか。しかも、それはもう堕天使としての覇権争いでもなんでもねぇ。誇りすら(どぶ)に捨てた、ただの無秩序な暴力(テロリズム)だ。なぁコカビエル、もう一回お前に聞くけどよぉ。その結末を迎えたところで、何になるんだ? 何の慰めになって、何が得られるんだよ」

 

 コカビエルの感情論に、アザゼルはそれでも理路整然と答える。コカビエルに問いかけるように、これまでにも平行線となった話を繰り返す。そこに煽るような声音はなく、ただただ真っすぐに言葉をぶつけていった。そんなアザゼルの態度に忌々しそうに目を吊り上げたコカビエルは、ギリッと歯を鳴らした。

 

 アザゼルの言いたいことなど、とっくにわかっている。コカビエル自身も、過去の大戦のような戦争など故意にでも起こさない限りは不可能だろうことも理解していた。それだけ、どこの勢力も先の戦争で泣きを見たのだ。それに、もう何度もこの手の話し合いは、かたちは違えど行われてきたのだから。

 

「そこまで戦争に拘る必要がどこにある。お互いが争い合う大元である神と魔王が死んだ以上、戦争の継続は無意味だろ。二度目の戦争はない。俺はもう部下を、ダチを失いたくねぇんだよ」

 

 それでも、荒れ狂う感情が収まらないのだ。戦場での高揚感や命のやり取りによる緊迫感を忘れ、安寧と終わりのないほど長い生をこれから歩めと言うのか。悪魔や天使と手を取り合い、種の繁栄のためだけに妥協する生涯など、それこそ何になるというのだ。 何の慰めになって、何が得られるというのか。

 

 ただ失わなくなるだけの、消極的な選択でしかないではないか。

 

 

「……言いたいことは、それだけか」

「…………」

「随分べらべらと好き勝手言ってくれたものだ」

 

 テーブルに叩きつけていた拳を、ゆっくりとアザゼルと自分の顔の間に掲げた。

 

「『二度目の戦争はない』? 一度振り上げたこの拳をただ収めろと言うのか」

「そうだ」

「悪魔や天使を滅ぼすことなく、堕天使は今後も人間の神器(セイクリッド・ギア)所有者を招き入れ、人間に頼って種の存続を続けていけと」

「あぁ、そうだ」

「……俺は今でも後悔している。あの戦争の最後。神が死に、魔王が死んだあの時。堕天使は幹部以外のほとんどを失ったが、まだ戦うことができた。継続できたはずなんだ。あのまま戦い続けていれば、頭を失い統率が取れなくなったやつらを滅ぼし、堕天使こそ最強なのだと見せつけることができたかもしれなかった。そのはずだったのだ…。それにも拘わらず、それを、それを…、貴様はっ――!」

 

 先ほどまでの激情にかられた声音は抑えられているが、微かに震える拳から彼の憤怒がにじみ出ていた。己の持論を語るコカビエルの相貌は、今にも荒れ狂う寸前の獣と同じだ。それでもこうして押さえ込んでいるのは、アザゼルを睨みつけるだけでいられるのは、ひとえに彼の中に残る幹部としての矜持があったから。ここでこの拳をトップにぶつけたとしても、結局はただの平行線で終わるだけ。

 

 これまでと同じだ。結局、アザゼルとコカビエルの話し合いは何も解決などしないのだ。どちらも譲れない一線を越えることも、交わることもできず、道を違えることしかできない。アザゼルへとぶつけそうになった言葉を必死に飲み込み、そのまま部屋を出ようとコカビエルは立ち上がった。アザゼルも、もうコカビエルへの説得は不可能だと悟るだろう。

 

 もう語ることはないと、扉へと進み(たもと)を分かとうとする男に向かって、これまでなら沈痛な気持ちで見送るしかなかった男の目は諦めていなかった。

 

 

「どこに行くつもりだ、コカビエル。べらべらと好き勝手に持論をぶつけてきた相手に対して、お前は何も俺にぶつけてこないのか」

「……俺の行動の意味が分からないお前じゃないだろ」

「あぁ、そうだな。だが、直接お前の口から聞いたわけでもねぇ。それに、俺はこの組織の総督だ。なら、溜まっている部下の不平不満を受け止めてやるのも上の役目ってやつだろ?」

「お前のおふざけに付き合うつもりはない。……今の俺は気が立っている。これ以上無駄口を叩くつもりなら――殺すぞ」

 

 立ち去ろうとするコカビエルを止めるアザゼルの言葉へ返すように、ウェーブのかかった黒髪から覗く赤い眼光から隠すことのない殺気を叩きつける。およそトップに向けるようなレベルではない、本物の殺意を籠めた禍々しいオーラ。それを真正面から受け止めたアザゼルは、コカビエルとの話し合いが始まってから初めて、挑発するような笑みを浮かべた。

 

「お前に俺が殺せるとでも?」

「今の俺は気が立っていると言った。長年くだらない研究に明け暮れ、腑抜けた貴様など相手にならん」

「はっ、言ってくれるじゃねぇか…。なら、試してみるか?」

 

 売り言葉に買い言葉。しかし、これまでにないアザゼルの好戦的な返事に、コカビエルは信じられないように目を見開く。これまでにも何度か喧嘩のようなやり取りはあった。だが、今回は違う。コカビエルはアザゼルへの殺意を一切隠さずにオーラに乗せて言ったのだ。これまでのらりくらりとしていたアザゼルなら、この売り言葉を買うことはなかった。しかし、コカビエルの挑発にアザゼルは堂々と真正面から買って出たのだ。

 

 ようやくコカビエルは、アザゼルと本当の意味で視線を合わせる。細められたワインレッドの瞳が、先ほどまでの言葉が嘘じゃないことを物語っていた。組織のトップと部下としてではない、同じ土俵に立って向かい合う者として。

 

「お前の不満を聞くための場所はシェムハザが用意してくれている」

「本気か」

「言っただろ。お互いの腹の中に溜まっているもん、全部吐き出すぞってな。俺も、お前もよ…」

「…………」

 

 二つの足音が、無人の廊下へと向かって進んでいった。

 

 

 

――――――

 

 

 

「その戦闘服、見覚えがあると思ったらあの頃のものを改良した物か」

「まぁな。俺としては、もうちょいスマートなフォルムのものがいいんだけどな。日本のアニメで『変身!』って言って、格好よくトランスフォームする技術があるんだ。あれ、実は憧れているんだよなぁ…。今度グリゴリの戦闘服に関する考案でも出してみるか」

「また訳の分からないことを…」

 

 なお、後日アザゼルから『変身フォーム』の提案をされた副総督は、「ついに魔法少女の魔の手(総督の隠れた趣味)が部下にまで…」と心労が祟ったらしい。南無。

 

「いきなり呼びだしたこっちが言えることじゃねぇが、そっちは問題ないのか」

「貴様の気遣いなど不要だ。むしろ、自分の心配をするんだな」

 

 シェムハザが用意した訓練場は、すでに準備がされていた。魔法や錬金術などの技術によって疑似的な亜空間が生み出され、部屋の中とは思えないような広大なフィールドが広がっている。本物の土のような感触を足下から感じ、蒼く晴れ渡った空には人工的に創られた太陽が昇っている。障害物のようなものはなく、お互いを隔てるようなものは何もなかった。

 

 先に部屋へと入ったアザゼルは中央付近へと自ら進み、コカビエルもそれを追うように続いていく。そしてあたり一帯を確認するように見まわした後、どちらともなく向かい合うように佇んだ。軽口をたたき合いながらも、お互いの視線は逸らされることなく、自分たちの間合いを測っていく。中・近距離を得意とする堕天使らしく、目視できる範囲で足を止めた二人は無言で見据え合った。

 

 昔は肩を並べて共に戦った戦友だった。少し前までは方針の違いから互いにすれ違うしかなかった。そして今、こうして戦意を滾らせながら対面し合っている。我が強い者同士、譲れない矜持がある者同士が向かい合えば、後はもう衝突するしかない。己の我が儘を通すために。

 

「結果は見えているというのに、無駄なことを…」

「コカビエル。五年前の『堕天使麻雀王決定戦』でそんなセリフを吐きながらふんぞり返っていたら、シェムハザに完膚なきまでに瞬殺されたんだろ。フラグを立てていいのか?」

「――死ね」

 

 先に仕掛けたのはコカビエルだった。口先での勝負は圧倒的にアザゼルの方が上である。しかし、二人は話し合いをするためにここへ来たのではない。腕を振り上げる動作と同時に、眩い光の槍がコカビエルの手の平に形成される。十枚の黒い翼を背に、一瞬の躊躇もなく放たれた光の道筋は容赦なくアザゼルへと降り注いだ。

 

 己の視界を覆うような閃光の雨にアザゼルも十二枚の黒い翼を背に表し、降り注ぐ攻撃を避けながら反撃の攻撃を加えていく。お互いに生み出した光の矢を、同じように打ち消し合う。時折地へと落ちた光が、フィールドにいくつものクレーターを作っていった。空中を大きく飛び回り、遠距離からの攻防戦をしばらく繰り広げた後、コカビエルは鼻を鳴らしてそっと腕を下げた。

 

「存外粘る。しかし、こちらとの距離を詰めさせないように立ち回るとは、随分と腰抜けになったんじゃないか?」

「おいおい、まだ始まったばかりだろうが。まずは軽いジャブからって言うだろ、そう急かさんなって」

「お前のペースに付き合うつもりはない」

 

 挑発を笑って受け流すアザゼルに眉を不快そうに顰めたコカビエルは、宣言通り翼をはためかせ、開いていた距離を一気に詰めるように空を駆けた。それに反応したアザゼルは瞬時に光力を固め、迎撃のための光の槍を用意する。コカビエルもまた光力を固めて作った斧槍(ふそう)を手にし、近距離での鍔迫り合いが行われた。光力がぶつかり合うたびに、激しい閃光が生まれる。

 

 コカビエルへと放たれた槍の一突きは一歩分距離を離されることで躱され、斧槍の切っ先がアザゼルの顎先ギリギリで空を切る。お互いに決定打は受けず、身体中に細かい切り傷が刻まれながらも、攻撃の手は一切緩めない。風を切るように空を舞うたびに、散っていく黒い羽。黒と白が交わるたびに、空に眩い閃耀(せんよう)が瞬いた。

 

 

「アザゼル、お前は変わった」

「はぁ…? なんだよ、いきなり」

 

 何度目かの拮抗の最中、不意に呟かれたコカビエルの吐露に、要領を得ないアザゼルが胡乱気に返した。

 

「弱くなった。戦いを憂い、腑抜けになった。昔のお前の目は、もっとギラギラと輝き、力づくで我を通す男だった」

「……俺は何も変わっていないさ。今も昔も俺は自分がやりたいことを、自分が見たい未来のために我を貫いている」

「そうか、残念だ」

 

 コカビエルのその声音は、昔の憧憬を懐かしむようなどこか痛まし気なものだった。

 

 先ほどまで武器で打ち合っていた均衡を崩すように、さらに連撃を重ねてきたコカビエルにアザゼルも応えるように腕を振るが、徐々に防戦一方となっていく。苛烈な攻めに歯を食いしばり、隠そうとしているが微かに焦りの表情を浮かべたアザゼルに、コカビエルは無言で力をさらに籠めた。これ以上、友の醜態を目にしたくないと告げるように。

 

「――ッ!?」

「これで終わりだ」

 

 力負けした反動からか、地に向かって仰け反ったアザゼル。その機会を逃さず、追撃を選んだコカビエルの背後から無数とも言える光の槍が出現する。アザゼルとの熾烈な近接戦闘を繰り広げている最中も、僅かな光力を空間に漂わせておき、合図一つでいつでも放出できるように準備していたのだ。まだ崩された体勢を整え切れていないアザゼルの驚愕の眼差しを見据えながら、コカビエルは無慈悲に腕を振り下ろした。

 

 

「堕ちろ」

 

 疑似的に創られたフィールドの太陽を背に、流星のような光の雨が降り注ぐ。目では追いきれないほどの無数の光が視界を覆いつくし、地面に着弾すると同時に粉塵が勢いよく噴き上がり、黒い羽が宙を舞った。しばらく眺めていたが、眼前に広がる土煙が晴れることはないようだった。

 

 あの様子では、おそらく直撃だろう。コカビエルとの戦闘で手一杯だったアザゼルに、この攻撃を咄嗟に防ぐ術はない。だが、衰えたとはいえ、アレでも十二枚の翼をもつ者だ。少なくとも、死んではいないだろう。静かに息を吐いたコカビエルは空に浮かぶ太陽へと目を向け、ぽっかりとした虚しさのようなものが胸中に浮かんだ。

 

 先ほどまでの攻撃は全て殺意を乗せた一撃ばかりで、手心を加えたものなど一切なかった。それなのに、おそらくまだ生きているだろうと思われる相手へ今ここで止めを刺しに行く気概はどうしてか湧かなかった。コカビエルがアザゼルに対して感じていた怒りは本当のことであり、実際に目の前が真っ赤になるほどの衝動だって抱えていた。今は間違いなくチャンスなのだろう。

 

 アザゼルが生きている限り、三大勢力間での和平はいずれ成立してしまう。あの男は諦めることなく、最後まで足掻くことをやめないだろうから。なら、今ここで殺しておけば自分の望む未来へ近づくかもしれないのだ。この部屋を囲む強固な結界の中なら、シェムハザもすぐには介入できない。アザゼルが和平の中心的人物になるだろうことは、コカビエルも理解していたから。

 

「……最初から、無謀だったのだ。神器なんぞに執心し、研究ばかりをしていた男がこの俺に勝とうなどと」

 

 それなのに、動くのは口だけだった。腹の中に溜め続けていた鬱憤が、弾けるように堰を切った。

 

「平和な世など俺には必要ない…。ただ生きるだけの生に、何の価値があるというのだっ。そんなものが、そのようなものが……あの戦争で失った者達の代わりに得た対価などと俺は認められないッ!! 神に逆らい、我らこそ神を凌ぐ最強の存在なのだと認めさせるために向けた矛を、どうして中途半端に収められるっ! ならば、何のために俺達は神に反逆したのだッ!?」

 

 生みの親である神に逆らい、反旗を翻す行為。堕天したばかりの堕ちた天使達は、自分たちの意思を、価値を認めさせるために戦いを挑んだ。自分たちは神に捨てられたのではない。自らの意思で神の下を離れ、生きることを選んだのだと。自分にとって不要だからと地に堕とした()を見返したかった。

 

「耐え難いのだ。たとえ待っているのが破滅なのだとしても、このままただ朽ちるだけなど認められないッ! 我ら堕天使こそ最強の存在なのだと示すまで、俺は――」

 

 

「なら、認めさせればいいじゃねぇか」

 

 コカビエルの慟哭に応えるように土煙の中から聞こえた声は、力強い響きをもっていた。

 

「ただし、これまでとはやり方を変えてな。戦争に関しては反対だが、お前の望みを叶える方法は他にもある。もう死んじまった(やつ)のために命を使うなんて、勿体なさ過ぎるからな。あと、お前らをただ朽ちるだけの存在になんてさせるわけねぇだろ。今後もバリバリ働いてもらわにゃ困るし、この先の『未来』でいくらでも力を示す機会を与えてやるよ」

 

 薄暗く、常闇のような漆黒の翼がオーラを纏い、視界を遮っていた粉塵を一瞬にして吹き飛ばしていった。それによって、コカビエルの攻撃により抉られた地面が日の光に照らされる。しかし、その男が佇む位置だけには一切の戦闘跡がなかった。先ほどまでの直接戦闘で負った傷以外は、どこにも真新しい怪我がない状態でニヤニヤとアザゼルは笑みを浮かべていた。

 

 あり得なかった。先ほどのあのタイミングは、コカビエルの攻撃に手一杯だったアザゼルには対処できないものだったはず。多少は防げたのだとしても、それでも行動不能になるほどの威力は籠められていたのだ。混乱に呆然とするコカビエルに、アザゼルは肩を竦めてみせた。

 

「馬鹿な、あの攻撃を無傷で凌げるわけがッ……!」

「おう、俺もちょっと危なかったぜ? お前の不満を受け止めるって格好つけて言った手前、無様な姿を晒すわけにはいかねぇからな」

「何かを使ったのか? それとも、人間から抜き取った神器で何か小細工を……」

「おいおい…。随分見縊(みくび)ってくれるじゃないの、コカビエル?」

 

 漆黒がふわりと再び空へと舞い戻る。余裕そうに口角をあげるアザゼルに、コカビエルは再び斧槍を構えた。先ほどの焼き増しのようにアザゼルも光の槍を手にし、切っ先を相手へと向ける。ついさっき見たばかりの光景のはずなのに、アザゼルから放たれるオーラは明らかに格が違った。

 

「最初に言っただろ、お前の腹ん中にあるもん全部出せってよ。言うまで随分時間をかけやがって、たくっ…。だが、これでようやくお互いに遠慮なしにやれるな」

「何を…」

「お前の悪い癖だぜ、コカビエル。お前計画とか立てるのは好きで、その通りに舞台を動かそうとするが、不測の事態が起きた時に咄嗟に思考が鈍るだろ。特に圧倒的に自分が有利だと考えていた時とかな」

 

 アザゼルの翼から溢れたオーラが高まったと視認した瞬間、――すぐ目の前に赤い瞳があった。コカビエルが咄嗟に反応できたのは、反射だったとしか言えない。これまで培ってきた直感が武器を無造作に振るっていた。アザゼルが刺突した槍の矛先と斧槍が交差し、一閃の光が辺りに散る。アザゼルの勢いに怯み、先ほどとは逆に地へと弾き飛ばされたコカビエルは忌々しそうに太陽を背に羽ばたく男を睨みつけた。

 

 

「アザゼル、貴様…。さっきまで手を抜いていたのかッ!?」

「手は抜いちゃいねぇが、本気ではなかったな。理由は二つほどあるが、さっきも言った通りお前の本音が聞きたかった。あとは、お前の悪癖を利用するつもりだったよ。お前は強さへの自負があるからこそ、『遊び過ぎる』きらいがあるだろ。特に自分より格下だって思った相手には余計にな」

「……ッ」

「……正直に言うとな、コカビエル。あの大技を俺に食らわせた後、お前は動けなくなっているだろう俺にとどめを刺しに来ると思っていた。それも余裕ぶっこいて、隙だらけの状態でよ。お前の望みを考えれば、俺が生きている方が不都合だろうからな。そう思っていたんだ。なのによぉ、……お前は俺を殺しに来なかった」

 

 あの時、コカビエルから放たれた光の雨を、アザゼルも同様の方法で相殺しながら地上へと身を潜めた。アザゼルとしても、真正面から武闘派であるコカビエルと相対して、確実に勝てるかはわからなかった。だからこそ、必勝の機会を得るために策を練っていたのだ。敵が最も油断するのは、敵を倒したと感じた瞬間。それも長い間戦いから離れ、研究者として過ごしていたアザゼルが相手なら、確実に油断するだろうと考えていた。

 

 だからこそ、土煙の中でジッと息をひそめていたアザゼルだったが、いつまで経ってもコカビエルはとどめを刺しに来なかった。それに作戦がバレたかと焦ったが、空の上で佇むだけのコカビエルの様子からそうではないと気づく。彼の中の葛藤に、気づいてしまったのだ。故に、アザゼルは隙だらけだったコカビエルへの攻撃をやめた。それどころか自ら声をかけ、先ほどまでの必勝のために考えた作戦を全て捨て去った。

 

 これは殺し合いなんかじゃない。お互いの主張をぶつけ合うための戦いだから。勝てるかもわからない、負けるかもしれないような戦いに総督である自分が挑む。またシェムハザに無茶をしたと怒られそうだと乾いた笑みを浮かべながら、爛々と輝く赤い瞳を細めてみせた。

 

「悪かった、コカビエル。ここからは全力でぶつからせてもらう。もちろん、小細工なんて使わねぇ。……ダチとの本気の喧嘩にそんなものは必要ないからな」

「喧嘩、だと…?」

「こんなもん喧嘩で十分だろ。違うか?」

 

 返事はなかった。だが、否定もなかった。

 

 一拍後、再び舞台は空へと戻る。コカビエルの相貌に先ほどまでの焦りはない。アザゼルにも普段の笑みはなく、真剣な表情で相手の一挙一動を観察していた。合図はない。だが、互いの戦意(オーラ)が空間を埋め尽くすように競り合った瞬間には空を駆けだしていた。

 

 手に持つ武器を振るうだけではない。アザゼルが空いた片手を握って拳を振るえば、コカビエルは足蹴りを放ち、何だったら二人同時に頭突きだって見舞った。空間に光の槍を出現させては打ち消し合い、アザゼルがハエ叩きのような格子状にしてぶつけようとしたら、コカビエルも負けじと光力を鞭のようにしならせて叩き落としたり、まさに何でもありな喧嘩が広がっていた。先ほどの頭突きでぶつけた鼻から流れる鼻血を互いに手の甲でふき取った後、気づけば光力を纏った拳で殴り合うようになっていた。

 

 

「だいたいどうなっているっ! なんで研究ばっかりやっていた貴様が、ここまで俺の動きについてこれるというのだァッ!?」

「はぁぁー、わっかんないのぉー? これが幹部と堕天使の総督様の才能の違いってやつなんじゃねぇーか?」

「……やっぱり殺すッ!!」

「クハハハハッ! ……四年、いやもうすぐ五年か」

「はっ?」

 

 これまで無言だった戦いから、唐突に始まる愚痴の応酬。相変わらず煽りに関してはピカ一なアザゼルの言葉にブチ切れかけたコカビエルだったが、どこか実感のこもった年数にふと顔を上げる。互いに少し離れた距離。まるで鏡のようにところどころ焼け跡のある服に、ボロボロな身体。荒い息遣いに肩を上下する様子から、全く体力の配分を考えずに無心でぶん殴っていたのがわかる。殴りすぎた所為で皮が捲れ、血が滲む拳に鈍い痛みを感じた。

 

「お前の不満を受け止めるためにはよぉ…。話し合いじゃ、どう頑張ったって無理だとわかっていた。こうなるだろうことも理解していた。お前の性格的に同じ土俵に立つ必要があって、それから全部受け止めるだけの力が必須だった。だから、時間がある限りバラキエルのやつに鍛え直してもらったんだよ。マジで苦労したんだぜ、ほんと…」

「何……?」

「さすがに全盛期ほどの力は取り戻せてねぇけど、こうやって武闘派のお前を真正面からぶん殴れるぐらいにはマシになっただろ。お前の言うとおり、ずっと研究三昧だったからな」

 

 青く腫れた口元を歪ませ、肩を竦ませてクツクツと笑うアザゼル。コカビエルは戦いの最中でありながら、思わず呆然と目を見開いた。ずっとずっと長い付き合いだったからこそ、コカビエルはアザゼルという男を知っているつもりだった。しかし、それでも理解ができなかった。何故この男がそこまでする必要があったのかと。

 

 四、五年など異形である彼らにとっては、瞬きにも等しいような年月だ。それでも、その期間を趣味や研究に回すのではなく、コカビエルを説得するための訓練に明け暮れた。あのアザゼルが、誰よりも唯我独尊を地で行く男が。ここ数年は特に三大勢力の和平のために動き続けていたにも拘わらず、そのためだけに貴重な時間を本気で費やしたのだ。

 

「何故だ、何故貴様がそこまでする」

「はぁ? 当たり前のことを聞くなよ。お前も一緒に俺の目指す未来に引きずっていくために決まっているだろうが」

「俺はずっとお前に不満を言い続けてきた。あの時、戦争の終盤で…。お前は戦争から真っ先に抜ける選択を選んだ。まだ堕天使には余力が残っていたにも拘わらず、あのまま頭を亡くした悪魔と天使を滅ぼすことだってできたかもしれない。戦争を継続していれば、お前が臆病風に吹かれさえしなければ、あの戦いに我々は勝てていたかもしれなかったッ!」

「あぁ、そうだな。お前の言うとおり、もしかしたら勝てていたかもしれなかった。だけどな、俺はあの時の選択を一切後悔なんてしていない。あの時も、今も、これからもな」

「……そうだ、お前はそういう男だ。組織の長として選択を間違えない。そのためなら、苛烈な決断も下せる。だからこそ、何故俺を切り捨てようとしなかった。お前にとって、組織に不和をもたらす者は不必要なはずだろうっ!」

 

 困惑と恨みと不満がドロドロに混ざり合い、納得がいかないと吼える。黒き十の翼が背に広がり、コカビエルは再び光力を拳に纏ってアザゼルへとぶつけた。アザゼルも同様の方法で受け止めたにも拘らず、あまりにも真っ直ぐな拳に反動が全身に伝わり、ゴフッと口元から吐血が零れる。バラキエルと訓練をしていたとはいえ、元々付け焼き刃であることはわかっていた。それでも、アザゼルの瞳に諦めはなかった。

 

「ごほっ、カハッ…。――ッ、組織の長として、必要な犠牲を払うこともある。だけどなぁッ! これまで背中を預けてきた仲間を、不必要だからって簡単に切り捨てるような生き方なんかしたくねぇに決まっているだろうがァッ!!」

「――っ、クッ!?」

「だから、こうして向き合っているんだろ! 切り捨てるぐらいなら、お前とぶつかる道を選ぶッ! 届くかどうかわからねぇ、命の危険だってあるかもしれねぇ! それでも、お前と戦うために時間をかけた。俺の言葉をぶつけるために、お前の言葉をぶつけさせるためにっ!」

 

 先ほどの衝撃で痺れた腕を使う選択を捨て、アザゼルは十二枚の翼にオーラを纏わせ、勢いよく羽ばたかせることでコカビエルの目を狙う。それに反応して仰け反った相手に、今度は足を振り上げ――ようとした動作を咄嗟にやめ、そのまま前のめりにコカビエルの顎へと頭突きを食らわせた。あまりにも鈍い嫌な音が広がり、コカビエルは口元を手で押さえながら後ろに下がった。何でもありな泥臭すぎる戦いに、これが組織のトップと幹部の戦いとは到底思えない光景だった。

 

 ぜぇぜぇと二つの荒い呼吸音だけが反響する。べっとりとした汗が滲み、口の中に広がる鉄臭いものを地へと叩きつけた。お互いに言いたいことを言い合い、罵り合い、そしてぶつけ合った。一瞬ふらついた足元に力を入れ、コカビエルは殴り合っていた男に視線を向ける。お互いの満身創痍な姿に、ここまで無心になって戦ったのはいつぶりだろうかと思った。

 

 少なくとも、喧嘩を始める前にあったはずの怒りはすでに無くなってしまっている。まるで、拳に乗せたことでそのまま放出されていったかのように。殴り合っている間、何かを考えている余裕がなかったからかもしれない。荒げていた息を整えたコカビエルは、小さく息を吸うと率直に感じたことを口に出していた。

 

 

「……アザゼル」

「あぁ?」

「お前は、やはり馬鹿だったんだな」

「おーし、わかった。まだ殴られたりねぇみてぇだな、この頑固馬鹿。あと馬鹿じゃなきゃ、清い天使様から堕天してねぇよ俺ら」

「ふっ、それもそうか」

 

 一歩、間合いを詰める。もう体力も気力もほとんど残っていない現状、これが最後の攻防となるだろう。全力の一撃を相手に打ち込むためだけに、重い身体を引きずるように前に進めた。

 

「先ほど、お前は言っていたな。戦争以外のやり方で、俺の望みを叶えてみせると」

「言ったな。言っとくが、その場限りの口約束じゃねぇ。俺はお前の力を腐らせるつもりなんかないからな。お前には、これまでの戦争なんか比じゃないほどの強大な敵を相手にしてもらう」

「神や魔王よりもか?」

「それよりも、果てしなくヤバいやつらばっかりだよ」

「そうか…」

 

 また一歩、距離が縮まる。コカビエルは、アザゼルが何を想定して動いているのかは知らない。だが、今はそれほど気にする必要はないだろう。この男が秘密主義であることは、今に始まったことではないからだ。それでも、こういったことで嘘をつくような男ではないことも知っていたから。無意識に浮かべてしまっていた笑みに、やはり自分はどこまでも戦闘狂(馬鹿)らしいと実感した。

 

 

 そして、己の思考がすでに傾きかけている時点で、とっくに勝敗は決していたのだろう。互いにクロスカウンターを決めるように顔面に放たれた一撃。その綺麗に打ち抜かれた拳を受けても、最後まで立ち続けたのは、地に伏して目に入った太陽と同じ金色の輝きだった。

 

 


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