えっ、シスコン魔王様とスイッチ姫みたいな力ですか?   作:のんのんびり

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第十五話 氷姫

 

 

 

 ドサリッ、と小柄な少年の体は血の中に沈んだ。彼が神器を自らの腹に刺し貫いたと同時に、紅の神器ははぐれ魔法使いの視界から消えるようにスッと目に見えなくなった。神器の消滅は、宿主の死の証。うつ伏せで倒れ込み、ピクリとも動かなくなった子どもに、彼は苛立ちから展開途中だった魔方陣を消し、力の限りそばにあった壁に拳を叩きつけた。

 

 あの子どもの心は、ほぼ折れ欠けていた。今まで実験体にしてきた相手も、圧倒的な力の前に己に命乞いをし、縋りついてきていた。だから、少年を追い詰め、精神を圧し折るために暴虐的に力を振るったのだ。それなのに、その行為によって自分が強く興味を引かれたものが、まさか目の前で露と消えるとは思わなかった。

 

 嘗めていた。確かに、効果的な意趣返しだ。これ以上ないほどに、彼の神経は逆なでされた。まさか自殺という行為で、今までの時間を全て無為にされてしまったのだ。その高ぶっていた感情も消化しきれず、彼は拳が傷つくとわかっても再び壁に叩きつけるしかなかった。ギリッ、と歯ぎしりが起こる。

 

 それでも、終わってしまったことはどうしようもない。何より、もうここに長居はできない。仲間につけていた生存確認の探知が少し前に途切れてしまっている。殺されたのか、捕まったのだろう。彼らが戦っていた場所より、離れたところに誘導したが、それでもいつここに『氷姫』が現れるかわからない。そして何より、この少年の言うとおり、少年を無残な死へと誘った彼は、氷の少女の怒りを買うだろう。これからは、慎重に動かなくてはならなくなる。

 

 最後の最後で、本当に全てをひっくり返された。彼は八つ当たりのように少年の遺体を睨み付けると、ズカズカと足を進めた。今すぐに逃げなくてはならないのは承知の上で、それでも収まらない怒りが彼を動かした。せめてこの少年の抜け殻を、実験材料にでもして死んだ後も辱めてやろう、という下種な考えが働いたからだ。転移魔法で運ぼう、と少年の近くにしゃがみ込み、魔方陣を展開させようと集中したその時――。

 

 

 ――グサリッ、とはぐれ魔法使いの腹部に紅の槍が突き刺さっていた。

 

 

「なぁ、ガァァァッーー!?」

 

 腹部に突如感じる貫かれた衝撃、炎のように燃えるような激痛、そして何かが急激に失われていく感覚。彼が攻撃魔法で槍ごと消し飛ばそうと考えるよりも先に、血に濡れていた少年の身体が勢いよく起き上がり、後ろに槍を引き抜くように下がった。紅の槍には、べっとりと魔法使いの血が付着しており、少年はそれに眉を顰めるも、それでも真っ直ぐに敵意を持って、魔法使いへ槍の先端を向けていた。

 

 いったいどうなっているのか。何故この少年が生きているのか。驚愕と痛みと共に感じたのは、違和感と疑問と、そして微かに抱いた恐怖だった。皮肉にも、少年と同じように理解できないものへの恐怖感をお互いに抱きあったのだ。

 

「……さすがに、人を消滅させる勇気は俺にはなかった。だけど、俺は俺のために人に武器を向ける勇気は持てた。それだけで今回は上等だよな、相棒?」

「貴様ッ、何故ない…。右足や腹部の怪我が何故ェェッ!?」

「……悪いけど、カッコよくあんたに種明かししてやるほど、俺には余裕がないんだよね」

 

 少年は肩を竦めながら、うっすらと笑みを作った。しかし言葉通り、少年の顔色は悪く、脂汗が頬を伝って流れている。だが、それは魔法使いも同じだった。それでも、先ほどまでの右足の怪我と骨折、そして貫かれたはずの腹部の怪我が治っていることが信じられなかった。まるで、もともと怪我なんてなかったかのように、全てが消えてしまっている。

 

 そこまで思考が働いた時、まさかと思い至った考えに男は目を見開いた。

 

「まさか、その神器は物質だけではなく、概念にまで働くというのか!?」

「……これだから、頭がいいやつが相手だと嫌になる」

 

 ほぼ確信を持って言った魔法使いの言葉に、少年の口元は引きつっていた。そう、少年――倉本奏太がしたことは単純にして明快。『この戦闘で負った己の傷』を消滅させたのだ。

 

 先ほどまでの会話や腹部に槍を刺したのは、この魔法使いに自殺したと思わせるための演技。そして、心音を神器で消して死んだふりをしながら、神器を手のひらで隠れるぐらいに小さくし、腹部と右足の怪我を消したのだ。あとは、無警戒に近づいてきた相手に、槍を元の大きさに変えて突き刺した。

 

 もしあのまま、この魔法使いが奏太に近づくことなく逃げるのならそれでもよかった。結果的に一矢報いたのは事実であり、こちらは死んだものと思われる。あとはスタコラと逃げる算段だった。

 

 相手が魔法で死体を消そうとしてきたら、神器で姿や気配をタイミングを合わせて消して逃げだし、相手が結界を解くまで隠れ続ければいい。しかし、相手は奏太の死体さえも辱めようとする下種だった。それ故に、彼の中の迷いは完全になくなり、この魔法使いに明確な敵意を持つことができたのだ。

 

 もちろん、奏太自身の消耗はすでに倒れてもおかしくないほどであったが、彼の思いに応えようと神器は限界ギリギリまで彼を支えていた。疑似回復技は、それだけ負担が大きい。それでも、彼はそれを土壇場で成功させ、今こうして立っている。神器に己の全てを託し、相手の虚をつくことで、一縷の希望を掴みとったのだ。あと少しだけ、身体を動かせるぐらいには。

 

 

「ッ、くそっ! 何故だ、何故魔法が上手く発動できない!? 身体も、動かなッ……!」

「……あんたを消滅させる覚悟は俺にはなかった。だけど、別のものは消滅させてもらった。あんたの中にあった魔法力を消滅させたんだよ、あれ危ないから。あと、体力もちょっとな」

「――ヒッ!?」

 

 目の前で己の傷を消滅させた、という現実を堂々と相手に見せつけているため、説得力は十分だった。もっとも一瞬だけしか刺せていないから、少しの間だけかもしれないけどね――と奏太は心の中で溢すが、それをわざわざ男に教える必要はないだろう。何より、今はそれだけの時間があれば十分であった。

 

 魔法力という絶大な力に溺れていた男にとって、その振るっていた力が使えなくなった。その事実は、魔法使いの根底を崩すのに十分すぎるほどの威力を持っていた。目から光が失われ、嘘だとうわごとのように呟く。そんな相手の様子を奏太は静かに見据え、ゆっくりと前に足を踏み出していった。

 

 魔法使いが奏太の接近に気づいた時には、すでにその距離がほとんどなくなっている。なんとか逃げ出そうと後ずさる身体は、突然の浮遊感にバランスを崩し、小さな穴の中に納まってしまっていた。少年が男のいる地面に神器を突き刺し、小さな落とし穴を作ったのだ。逃げ場も力もなくした男は、絶望のあまり蒼白になった顔から涙が流れた。

 

「……俺は、あんたと違って、人を傷つけることが好きじゃない。それでも、お前がしようとしたことは許せない。だから、これでおしまいにしてやる」

 

 主人公、兵藤一誠も言っていた。どうしても怒りが収まらない時の解決方法を。奏太も今回は、それに賛成だった。単純だけど、これ以上ないほどに己の思いを相手に真正面からぶつけられるから。

 

「とりあえず、一発ぶっ飛ばされろォォッーー!!」

 

 ガコンッ! と神器の効果を纏いながら、奏太は生まれて初めて全力で、拳を男の横っ面に突き刺したのであった。

 

 

 

――――――

 

 

 

「……や、やりすぎたか? いや、でもこれぐらいやってもいいよな、さすがに」

 

 俺は目の前で涙や鼻水で、ぐちゃぐちゃになった顔の魔法使いに目を向ける。彼は俺の拳が突き刺さったと同時に、気絶してしまった。一応全力だったとはいえ、子どものパンチで伸びてしまうとは、よっぽど魔法力が消滅したのは衝撃的だったのだろう。俺も相棒がいなくなったら、少なくとも冷静ではいられないだろうからな。

 

 あと、困ったのはこの男の腹部の傷だ。さすがにこのままにしたら、死んでしまう。俺は人殺しになりたい訳じゃないし、なんとか魔法使いの協会に連絡を入れたい。しかし、もう俺自身が限界だった。気絶した男の腹に、衣服で簡単な止血をした後、俺は身体を壁に預けて、そこから動けなくなってしまった。むしろ、よくここまで動いてくれたと俺自身も思う。

 

 俺はとにかく必死で我武者羅だったけど、たぶん相棒が色々頑張ってくれていたのはなんとなくわかる。あの時咄嗟に思った『傷を消す』という発想に、相棒はその難しさに難色を示していた。できないことはないが、成功するかは五分五分。それでも、俺はそんな博打に賭けるしかなかった。もうこんなギリギリな戦い、したくないです。平和に細々と頑張りたい、と心の底から思う。……だけど、同時に強くなりたいとも思った。

 

 それにしても、今更だけど疑似回復技を手に入れられたのってすごいことだよな。原作でも、確かアーシアさんの神器、聖母の微笑(トワイライト・ヒーリング)のような回復系は希少とされていた。悪魔と魔法使いの契約でも、癒しの恩恵を受けたいと多数の応募者が集っていたのだ。 俺のは受けた傷を消す、という反則みたいなやり方である。もちろん、失った体力や血液は戻ってきていないので、現在貧血と疲労でぶっ倒れているんだけどさ。有るものを消す、という能力に関しては、本当に心強い限りだ。

 

 

「あー、さすがに誰かそろそろ助けてくれないかなー。こいつが起き上がってきたら、ものすごく怖いんだけどぉー」

「しばらくは起き上がれないだろう。お前の行った行為は、それだけこいつの精神にダメージを与えていた」

 

 あれー、おかしいな。すごく野太い、第三者の声だ。ギギギ、と俺の言葉に反応を返す様に告げられた言葉の先に、俺は首を向ける。路地から靴音と共に現れたのは、またしてもフードの男。こちらはさっきのやつより背が高く、嫌な予感が俺の中で渦巻く。さすがにここまできて、現れたのが新たな敵でしたとかだったら、俺は神様に喧嘩を売ってもいいと思うんだ。神様いないけど。

 

「ちなみに、お聞きします。あなたの所属は?」

「そうだな、あまり気分はよくないが、こいつの同士の一人だな」

「てめぇ、世界このやろうっ!? 俺に何か恨みでもあるのか! ここは味方が颯爽と現れるパターンだろうがァァッーー!? ッ、げほっ、ごほぉ!」

「あまり騒げるほどの体力もないだろう」

「……おかげさまで。もうその人を連れて行っていいので、俺のことは見逃してくれたりはしてくれませんかね?」

「…………」

 

 あぁ、やっぱり駄目なのね。そうですか、そうですよね。こいつにどうやらさっきまでの戦いを見られていたっぽいし、助けに入ってこなかった理由はわからないけど、こいつらに仲間意識ってなさそうだしな。しかも俺はさっき、『疑似回復技』や『魔法力消失』まで見せた。俺がこいつらなら、危険だから消そうとするか、洗脳してでも連れて帰ろうとするわ。魔法使いの協会に敵意を持っているやつに、俺の能力は魅力的に映るかもしれない。

 

 やだなぁ、せっかくこんなに頑張ったのに。必死になって頑張ったのに、結果はこれかよ。俺は唇を噛み締め、ボロボロと涙が溢れてくるのを止められなかった。あいつと戦う前に、俺は一度あいつらの仲間の介入の可能性を考えていた。それが現実になってしまっただけのこと。もう本当に最後の力を振り絞ってしまった。俺に、抵抗できる力はない。

 

 大柄の魔法使いは、俺に魔方陣を向けながら、ゆっくりと警戒するように歩き出した。でも、残念。俺はすっからかんだから、本当に無駄な警戒心だ。指一つ動かすことすら、億劫である。それでもせめて、右手に持つ相棒を強く握り締めることで抵抗だけは示した。恐怖から、俺は目を閉じた。

 

 魔法使いが俺にさらに近づいてきたその時、ふと肌に感じたのは冷たい冷気だった。寒い、冷たい、だけど、どこか温かみがあるような優しい冷たさを感じる。なんだろう、と俺がそろそろと目を開けると、そこに映ったのは大柄の魔法使いが、冷や汗を流して後ろを警戒している姿。その視線を辿った先に、――彼女はいた。

 

 

「私の見通しが甘かったばかりに、無関係だったショーくんを巻き込んでしまいました。そしてこれ以上、あなたたちに彼を傷つけさせはしないのです」

「さすがは、『氷姫』か。我らの同士たちを、全員退けたということですか」

「えぇ、全員凍ってもらいました。あとは、あなただけですよ」

 

 そこにいたのは、綺麗な金色の髪に碧眼の、まるで妖精のような美しさを持つ少女だった。しかし彼女の様子は、最初に出会った時のぽやんとしたものではなく、射抜くような敵意を目に宿していた。彼女を中心に、溢れる冷気が舞い上がり、俺の頬を冷風が撫でた。水色の光が彼女を薄らと発光させ、その姿は幻想的なまでに綺麗であった。

 

「……相棒?」

 

 少女――ラヴィニアの冷気に呼応するように、俺の神器が脈打つように反応を示し、紅の光が淡く光る。どういうことだ、この冷気は魔法によるものじゃない? 徐々に冷気が、この周辺を包み込んでいくように感じる。気づくと、俺の吐息は白くなっていた。つまり、確実にこの周辺一帯の温度が低下している。そんなとんでもない現象を起こしているのが、その中心にいるのが、ラヴィニアさんだった。

 

 『氷姫(こおりひめ)』、この名前を聞いて、俺は魔法使いとしての二つ名なのかと思っていた。だけど、それが俺の勘違いなのだとしたら。俺は一つだけ、原作の知識で同じような名称を持つ神器を知っていた。だけど、その詳細は原作で未だ語られていなかったため、その可能性を打ち消していたのだ。でも、彼女を包み込む冷気が増すほど、その可能性がおぼろげながら少しずつ現実味を帯びてきていた。

 

 ラヴィニアさんの碧眼は、暗く、深海のような色に変わっている。彼女は自らも白い息を吐きながら、腕を広げ、(うた)を口ずさんだ。悲しいような、寂しいような、不思議な呪文のような言葉。何故か耳について離れない。これは、これが――アレだというのか。

 

 

《――悠久の眠りより、覚めよ。そして、永遠なる眠りを愚者へ――》

 

 彼女を中心に冷気が生き物のように、渦巻いていく。俺はただただその光景に圧倒されるしかない。桁違いのオーラがラヴィニアさんから発せられ、さらにそれが冷気と共に増していく。すると、そんな彼女の近くに何かが動き出した。氷が勝手に動いて、何かを作っている? 俺の疑問は置いてけぼりで、氷はどんどんとその形を変えていった。

 

 氷はまず手を作り、次に足、胴体をつくりあげて、最後に頭部が作り上げられた。工程だけを見たらロボットかと思うけど、これはどちらかといえば人形のように感じる。路地の壁以上の高さがあるから、おそらく三メートルはあるだろう。その氷の人形は、お姫様のようなドレスを着ているため、確かにこれが『氷姫』の二つ名の由来だったら納得できる。しかし、それだけでは終わらないことが、この氷姫にはあった。

 

 その人形は、ラヴィニアさんのような美しさよりも、畏怖を纏っていた。顔の左半分には六つの目が光り、もう半分の顔は茨に覆われている。細い腕が四本生えているけど、手は逆に大きい。アンバランスなはずの造形なのに、どこか見惚れてしまう怪しい妖艶さが、この氷の姫にはあった。

 

 

「……これが、十三の内の一つだというのか」

 

 魅入られていた俺は、近くにいた魔法使いの声で、ようやく意識を元に戻す。俺が視線を向けると、男の顔はフード越しでも蒼白になっているのがわかった。だけど、それは当然だろう。こいつらの敗因は、彼女の力を見誤っていたこと。こんなものを見せられ、そしてそれが己の敵として向かって来る。恐怖を感じて当たり前だ。もし、この氷のお姫様が俺の想像通りならば。

 

「『永遠の氷姫(アブソリュート・ディマイズ)』」

 

 ラヴィニアさんの謳が終わったと同時に、膨大なエネルギーの塊が姿を現した。氷の姫は六つの目で己の敵を見据え、白く凍てつかせるような冷気で男の動きを縛る様に展開させている。そこにある全てを凍らせ、眠らせる恐ろしく、そして美しい力。それが、彼女も生まれながらに持つことになった、生涯の相棒。

 

 そう、ラヴィニアさんこそ、十三ある特別な神器の内の一つ。神をも滅ぼすとされ、どの勢力からも危険視される存在――神滅具(ロンギヌス)の所有者であった。

 

 


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