えっ、シスコン魔王様とスイッチ姫みたいな力ですか?   作:のんのんびり

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 前話の「起源」についての補足と、修行の成果になります。


第百四十九話 治療

 

 

 

 八重垣正臣(やえがきまさおみ)悪魔の駒(イービル・ピース)で悪魔に転生して、約一年の月日が経った。毎年の恒例とも言える魔法使い達にとっての佳境期『五月一日の夜会(ヴァルプルギスの夜)』も無事に乗り越え、いつもの日々がまた始まった頃。悪魔としての生活にもだいぶ慣れ、魔力や翼を使う感覚が当たり前に感じられるようになってきただろう。『騎士(ナイト)』は眷属の中で『女王(クイーン)』に次いで役割のある駒なのだが、正臣の『(キング)』は外に出ることがあまりなく、領地の経営などもしていないため、見習い悪魔としての仕事を集中的に取り組むことができた。

 

 去年は『灰色の魔術師(グラウ・ツァオベラー)』に所属する魔法使いの護衛や、協会に不利益を及ぼすはぐれ魔法使いの捕縛などを行ってきた。さらに、主からのお願いや材料の採取なども行い、合間に堕天使の組織に拉致され続ける日々。器用で頑丈で下っ端根性のある正臣は嬉々として人工神器のテスターとして使いまわされ、眼鏡をかけた堕天使の幹部に「ちょびっとでいいから、改造されてみない?」とドリル片手に迫られるのを全力で逃げ回る。恋人が慰めてくれなかったら、さすがに泣いていただろう。

 

 もちろん、やりがいはある。強くなれるのならば、望むところだ。正臣が返せるのは、己がもつ武力だけ。魔力を纏うことで身体能力は人間だった頃では考えられないほど向上し、多種多様な仕事を請け負ったことで戦闘経験も積むことができた。また『騎士(ナイト)』の特性により、正臣の速度は並みの相手では追いつくことができず、無傷で敵を制圧したことも多い。見習い悪魔として、ぶっちゃけ協会の何でも屋のような立ち位置であったが、この一年を正臣なりに必死になって取り組んできたのだ。

 

 そして一年間の経験を経て、主から新しい仕事が下された。八重垣正臣の主は、この魔法使いの協会の理事長であり、多くの悪魔からも畏れられる大悪魔。番外の悪魔(エキストラ・デーモン)であるメフィスト・フェレスそのヒトである。自分のような人間が、彼のような大悪魔の眷属に抜擢(ばってき)されるなど本来ならありえないことだ。主からは「運がいい」と言われたが、本当にその通りだと思う。

 

 種族も違えば、寿命も違う。貴族令嬢である彼女と元敵対組織の腕っぷしだけの男。何もかも吊り合うことがなかった恋人と、これから先も一緒に生きることができる。それがどれほどの「幸運」なのか、正臣自身も計り知れない。それを可能にしてくれた主と、そして自分たちを救い上げてくれた恩人への感謝。彼らのためにできることがあれば、全力をもって報いたいと考えていた。

 

 

「……はははっ、そうか。カナくんの「起源」が「木」で、本質は「降霊」……しかも神性に特化したものだったとはねぇ。これはさすがに僕も気づかなかったよ」

 

 そんな正臣が尊敬する主は、常に優し気な微笑みを浮かべ、優雅な佇まいを崩すことがない。さすがは万を生きる大悪魔だからか、メフィストのその余裕が崩れるようなことなど相当なことが起きない限りないだろう。そう、相当なことが起きない限りは――

 

「ハハハハッ……。正臣くん、ちょっと水を一杯用意してもらってもいいかな?」

「すでに用意してあります」

「うん、ありがとう。ふふっ、最近は胃薬の良し悪しがわかるようになってきてしまったよ」

 

 そんなあまりにも悲しすぎる発言を耳にしながら、騎士として主のために水筒とコップはいつも持参している。自分も時々お世話になっています。魔王や義兄や総督や龍王も愛用しているアガレス産の胃薬。時々トップ同士の通信で、どの胃薬がよかったかを議論しているところを見てしまった時は、うっすらと目に涙が浮かんだ。恩人――倉本奏太の保護者としての大変さを、主の姿から身に染みてよく理解できた。

 

「奏太くん、もうちょっとやらかしは何とかならない? 万を生きる主の心臓と健康のためにも」

「えーと、取り扱い説明書は見てもらいましたが…」

「あれ、覚悟を決めろとしか書いていないから。というか、項目がまた地味に増えていたよね」

 

 『灰色の魔術師(グラウ・ツァオベラー)』にある理事長室の一室で、現在三名は応接用のソファーに座っていた。理事長であるメフィスト・フェレスは、倉本奏太からの「たまたま朱雀から教えてもらったんですけど、報告してもいいですか? あっ、保護者には取説案件だって言え! と言われました」の一言で、流れるような動作でテーブルの上に胃薬を準備した主に目頭が熱くなる。正臣も普通に水を用意してしまっていたあたり、この五年間の慣れを感じた。

 

 そして、奏太が告げた「神依木」の本質。これまでメフィスト達が気づかなかったのは、それだけ特異な「起源」だったからだ。多くの魔法を奏太に触れさせてきたが、さすがに「降霊」――しかも神性を人間の身に降ろすことを試すなどできなかった。失敗した時のリスクの高さもあるが、何よりも倉本奏太に宿る神器がどういう反応をするのかが予想できない。下手に刺激するわけにはいかないため、奏太の身体に影響のある魔法は避けていたのだ。

 

「それにやらかしって…。今回の「降霊体質」の判明は、俺じゃあどうしようもない内容なんですけど」

「そこは、うん。まぁ、生まれた時からやらかしているのは、奏太くんらしいか…」

「それで納得されるのも、俺としては物申したい気分になるんですが」

 

 ムッとした表情を奏太から向けられたが、正臣としては遠い目にもなる。今年から始まった正臣の新しい仕事は、倉本奏太の正式な護衛任務だったからだ。今年から奏太は日本を離れ、本格的に裏の世界で過ごしていくことになる。これまで表の世界に隠れていた分、裏にいる時間が増えれば、それだけ外からの目は増えていく。今でも十分に周囲から狙われる要素が満載だった護衛対象が、さらに厄介な体質持ちと判明したことに頭が痛かった。

 

 

「姫島の姫君が、良識的な子で本当によかったよ。本来『姫島』……五大宗家のような神を祀る一族にとって、カナくんの「起源」は喉から手が出るほど欲しいだろうからねぇ」

「えっ、そうなんですか?」

「あのね、神をその身に降ろして『無事』な人間は希少だ。神の力は強大故に、神降ろしには相当な負担を依り代に強いる。それこそ、依り代にした人間を廃人にしてしまうぐらい十分にあり得るんだよ」

「……でも、朱雀は普通に神降ろしを」

「カナくん。姫島が何故、火の加護を受けられなかった者を一族と認めず、追放するのだと思う?」

 

 突然の質問に目を見開く奏太へ、メフィストは真剣な眼差しで見据えた。火の加護を得られなかった姫島朱芭は、たとえ宗家に生まれようと、火以外の才ならあっても追放を余儀なくされた。逆に火の加護を持っていた姫島朱璃に対しては、堕天使と情を交わしたにも関わらず、連れ戻そうと躍起になっていた。それだけ、姫島にとって火の加護とは必要不可欠なものなのだ。

 

「一族の血や才をね、薄めないためなんだよ。姫島は四神の一角である火の神をその身に降ろし、権能を行使することができる唯一の一族。逆に言えば、それが確実にできることを求められるということだ。才能のない血を一族と認めて交配し続けて、火の加護を持たない者が次世代に増えることを彼らは恐れた」

「そんなの…」

「それだけ、彼らにとって神を受け入れる器を磨き続けることが第一だったんだ。火の加護や特異な才能を持つ者同士を掛け合わせ、崇拝する神のための最高の依り代を作り出す。彼らにとって、姫島とはブランドであり、一族の血をかけた集大成ともいえる作品そのもの。……現に姫島は、姫島朱雀ちゃんという素晴らしい作品(才能)を生み出すことができただろう?」

「…………」

 

 赤と青のオッドアイに熱はなく、メフィストから冷静に紡がれる事実に、奏太も正臣も押し黙るしかない。姫島を改革することがどれだけいばらの道なのか、わかっているつもりだった。姫島の行いが苛烈であることは否定しない。それでも、それによって守られてきたものもちゃんとあるのだと理解できた。

 

「姫島朱雀ちゃんは生まれた時から『火之迦具土神(ヒノカグツチ)』の加護を得ていた、それこそ百年に一度という天賦(てんぶ)の才の持ち主だ。その彼女だって、霊獣をその身に馴染ませるのに一年をかけた。それだけの手間と時間をかけて、神を降ろす器へと至ったんだよ」

 

 あまり実感の湧いていない奏太へ向け、メフィストはゆっくりと理解させるように伝えていく。「神依木」の「起源」持ちとはいえ、さすがに姫島朱雀のように火之迦具土神の権能を行使することはできないだろう。だが、神をその身に降ろし、声を伝えることならできる。神を祀る一族は、一年に何度かの祭事で神降ろしを行い、神の意向を耳にしようとする。だが、次期当主や当主ばかりに負担をかけるわけにもいかない。そんなときに、ほぼ確実に神降ろしを成功させる器があれば、どれだけありがたいことかわかるだろう。

 

 それぞれが信仰する神に特化した血を残しているので、『霊獣朱雀』を祀る姫島家が、櫛橋家が祀る『霊獣青龍』をその身に降ろすことはできない。しかし奏太は、神性なら依り代として高い効果を発揮する。つまり、他家の神だろうと降ろそうと思えば降ろせるのだ。神の存在を尊び、声を聞くことに喜びを表し、崇め(たてまつ)る人間にとって、これほど便利な体質はない。それがわかっていたからこそ、朱雀は信頼できる者以外に決して口外するなと伝えたのだ。少なくとも、普通に暮らしていれば奏太の本質に気づくことは早々ない。

 

 

「カナくんが、これまで神性を持つ者に関わることがなかったのが幸いだったねぇ」

「他の神様に会ったら、やっぱりわかるんですか?」

「おそらくわかると思う。カナくんの神器くんだって、キミの本質を真っ先に理解していただろう?」

 

 そう言われ、確かに今回奏太の「起源」がわかったのは、相棒である『消滅の紅緋槍(ルイン・ロンスカーレット)』が宿主を「依木」と呼んだからだ。最初は意味がわからなかったが、「倉本奏太」という名前がそのまま「神依木」を表していたと理解した今ならわかる。朱雀に『神器の先にいる者』が『神』に近しい何かだと教わっていたため、納得がいったように頷き返した。

 

「だけど、現存する神はそこまで危険じゃないよ。日本の神は必要がなければ基本無関心だし、それ以外の神だって神話の薄れたこの時代にわざわざ人の身を借りてまで降りてくる理由がない。だから気を付けるべきは、さっき話した神を祀る側と、失われた神ぐらいだろう」

「失われた神、ですか?」

 

 神妙な表情で聞いていた正臣の復唱に、メフィストは重く頷いた。失われた神――それはつまり、何かしらの要因によってこの世の現存が叶わなくなった神、又は肉体を失った神だ。そんな神に出会う確率の方が低いだろうが、絶対ではない。中には邪神教のような封印された神の復活を目論むような者にとっては、これ以上ないほどの生贄になるだろう。奏太を怖がらせるのはメフィストとしても不本意だが、これから生きていく上で知っておかねばならない危険は分かっておくべきだ。

 

 自分自身の利用価値に理解が及んできたのか、だんだんと顔色が悪くなる奏太へ、正臣は水の入ったコップを手渡しておく。感謝の言葉と共にゴクゴクと水を飲んでいくが、あまり顔色はよくならない。奏太の起源は自分のために使うには扱いづらく、しかしそれを欲する者にとってはいくらでも使い道を見い出せる。初めてメフィストと対面した時の忠告の言葉を思い出し、奏太は俯きながら唇を噛んだ。

 

 その時、奏太を包み込むように紅のオーラが力強く全身を駆け巡った。まるで励ますかのように、宿主に落ち着きを与えようとするような温かな思念。それにきょとんと目を瞬かせた奏太に、小さく笑ったメフィストは安心させるように目を細めた。

 

「大丈夫、僕たちがカナくんをそんな目にあわせないように守るよ。それにカナくんの神器くんは、キミと一心同体のような存在だろう? キミの許可なく勝手に身体へ入ってきた相手に、怒りを覚えないわけがない。徹底的に異物を叩き出そうと、容赦なく異能を行使するだろうねぇ」

 

 少し困ったような、乾いた笑みを浮かべられる。そう言われて、以前アザゼルから教えられたことを奏太は思い出す。初めて『神の子を見張る者(グリゴリ)』の施設へ足を運んだ時に、堕天使のもつ神器を抜き取る儀式について話をした時だ。もし自分の神器を抜き取られたらと怯えた奏太へ、アザゼルから呆れたように告げられた言葉。

 

『前にも言ったがお前の神器は自立した意思を持っている。万が一術式を発動されても、お前を気に入っているその神器が反抗しない訳がない。片っ端から自発的に害のある術式を消滅させていくだろうさ。お前に限って言えば、神器を取り出される心配はほぼないに等しいかもな』

 

 そのことを思い出すと同時に、「全力で叩き出すよ!」という紅の思念を感じ、頼もしいと同時に相棒の過保護さに頬を引きつらせた。嬉しいし大変助かるのは間違いないが、ちょっと微妙な気持ちになる。過保護のおかげで、警備が万全すぎる。全員がなんとも言えない顔になった後、メフィストは小さく咳払いをして空気を入れ替えた。

 

「アザゼルやアジュカくん、タンニーンくんには僕の方から伝えておくよ。カナくんも必要以上に怯えなくて大丈夫だから、いつも通りに過ごしなさい」

「はい…」

「それに神はね、案外人間が好きなんだ。人に崇拝されてきた神々は、特にそれがわかりやすい。……人がいなければ神話は存続することができないことを、彼らは一番よく理解している。だから神性を宿す者は、キミの本質を知っても口外しないだろう。むしろ神性と調和しやすいカナくんの傍は心地よくて、そっと手助けしようとしてくると思うよ」

 

 実際、本来なら契約者である姫島朱雀以外には『霊獣朱雀』の声が聞こえないはずでありながら、思念のようなものを感じ取っていたり、後始末の手伝いをしてくれたり、奏太に対して自発的に関わっていた。また、神滅具持ちのラヴィニアと一緒に日本の神社へ初詣に行って、神社にいた神性を驚かせてしまった時。神器の効果で神滅具の波動は消したが、普通なら警戒までは解かない。だが奏太の本質を感じて落ち着けたことで、見守る体制になれたのもその影響だ。

 

「……つまり、朱雀の霊獣さんをいつの日か抱きしめることも可能ってことですか?」

「カナくん、何事もポジティブに物事を考えられるのはキミの長所だけど、他所の家の神様だからね」

「神様…。そっか、だからお菓子じゃ好感度が上がらなかったのか。神様だからお供え物じゃないと受け取ってくれないって意味ですね」

「違う、そういう意味じゃない」

 

 未成年であるためお酒は購入できないので、お米や塩をとりあえず用意してみようと奏太は心に決めた。メフィストは今後も奏太に振り回されるだろう姫島朱雀と霊獣朱雀への申し訳なさと、それでも付き合ってくれるだろう優しさに感謝する。彼女が姫島本家の当主となり、本格的に改革へ動き出すときは陰ながらしっかり手を貸そうと思った。

 

 

「さてと、初っ端からカナくんのやらかし報告で、色々話が飛んじゃったけど…。今日のカナくんの仕事の話に入っても大丈夫かな?」

「あっ、はい。確か、今日は協会系列の病院に出張治療の日ですよね?」

「うん。今回見てもらいたい患者は、協会の活動に協力をしてくれている政界のお偉いさんの奥さんなんだ。病に気づいた時には症状がだいぶ進行していて、手遅れだったらしい。そこで、『灰色の魔術師(グラウ・ツァオベラー)』の癒し手ならと頼まれたんだ」

 

 先ほどまでの空気を切り替え、奏太はメフィストから教えられる情報に頷いていく。これまで『灰色の魔術師』に所属する魔法使いだけを対象に、極秘に治療を行ってきたが、さすがに一年も経てば周囲に気づかれて当然だろう。それまで病に侵されていた者や呪に苦しんでいた者が、この一年間でどんどん快調していったのだから、傍から見ていた者が「協会の癒し手」の存在に辿り着くのはそう難しくない。

 

 メフィストが秘匿しているから倉本奏太までたどり着いていないが、逆に理事長が直々に隠しているというだけで、『誰が』治療を行っているのか推測することはできる。メフィスト・フェレスの秘蔵っ子とされる魔法使いは、『氷姫』と『変革者』の二人だ。協会で精力的に活動する『氷姫』と違って、詳しい活動の詳細がほとんど語られない『変革者』。どちらに探りを入れるべきか考えれば、答えはあっさりと出てくるだろう。

 

 徐々に公然の秘密へと変わってきたことを察し、メフィストはある程度の情報を外に開示することを選んだ。あまりに秘密にし過ぎると、それを暴こうとする勢力も逆に増えてしまう。それに癒しの力を求める者は多く、治療のためなら強硬手段を用いる者だっている。それなら主導権をこちらが握れるように情報を誘導し、治療を受けられる条件を提示したのだ。当然、『灰色の魔術師』にとって利益になる相手のみで、治療の際は一切の口外を禁じている。

 

 そうして静かに情報が広がったことで、魔法使い以外の人間の利用も増えていった。裏について知っている者なら、これまで通り協会に直接来てもらって治療することができる。だが、今回のような夫は裏を理解しているが、妻は表しか知らないケースも少なからずある。その場合は、協会が経営する警備の厚い病院に移ってもらい、そこに転移して治療を施すという出張治療をすることになった。完全な一般人はいない病院だが、安全を考えて護衛を必ずつけるようにして行っている。

 

「大きな治療はその一件だけかな。あと三件ほどその病院で診てもらいたい患者がいるみたいだけど、無理のない範囲で受けてきてほしい」

「わかりました。正臣さん、今日もよろしくお願いします」

「うん、任せて」

 

 奏太が魔法使いとして外に出るときは、必ず付き添ってくれる正臣にペコリと頭を下げた。八重垣正臣の実績はこの四年間でしっかり周囲に知れ渡っていて、さらに悪魔に転生したことで人外としての畏怖も持たれている。昔馴染みの魔法使いたちにとっては、今でも愛すべき下っ端扱いであるが。それでも、大悪魔の眷属悪魔であり、ベリアル家のご令嬢と恋仲である正臣を軽んじる者は協会にはいない。

 

「あっ、メフィスト様。治療が終わったら、今日も病院の子どもたちとちょっと遊んで来てもいいですか?」

「構わないよ。午後からまた別のお仕事を頼むことになっちゃうし、それまではのんびり過ごしてきたらいいさ」

 

 メフィストは視線だけを正臣に向け、それに騎士も小さく頷いた。安全のため外には出られないが、病院の遊戯室の中で一緒にゲームで遊ぶぐらいならできる。今回のような人命のかかった治療は、この一年で慣れてきたとはいえ奏太への精神的な負担も大きい。失敗できないという責任感は、非常に神経を尖らせる。そのため治療後は、肩の力を抜かせるために奏太がやりたいことをやらせるようにしていた。

 

 メフィストは治療に必要な情報とカルテをテーブルの上に並べ、それを真剣な表情で奏太は黙読していく。奏太の異能は、『対象を選択し、己が定めたものに消滅の効果を及ぼす』ものである。さらに、宿主の理解や知識、技量に応じてその幅も広がっていく。その力は、本来なら「物質」にしか働かないはずだったが、様々な要因からバグを起こしたことで「概念」にまで発展してしまった。

 

 宿主を含め、未だに誰も底がわからない異能。唯一全てを理解しているだろう『神器の先にいる者』について知ろうにも、宿主を禁手に至らせてしまうリスクがある。そのことに、メフィストは内心で溜め息を吐き出した。今回判明した奏太の「起源」が、このバグを起こした要因の一つなのはおそらく間違いないだろう。アザゼルも口にしていたが、奏太と神器は本当に奇跡のようなバランスで成り立っている。そのことが、こちらから下手に手を出せない理由にもなっていて、同時にもどかしくもあった。

 

「資料ありがとうございます。相棒も大丈夫みたいです」

「うん、それじゃあよろしく頼むよ。カナくんも神器くんも無理はしちゃダメだからね」

「はいっ!」

 

 笑顔で元気に返事をする奏太にメフィストと正臣は口元を緩め、そっと目を合わせて意思を確認し合う。奏太の突拍子のない行動力ややらかしに何度も苦労してきたが、それでもこのまま折れることなく真っすぐに成長していってほしいと願った。それから奏太は灰色のローブを纏い、正臣は黒の制服を羽織り、それぞれの任された仕事を遂行するために歩き出したのであった。

 

 

 

――――――

 

 

 

「そういえば、奏太くんの治療の護衛を始めてしばらく様子を見てきたけど…。具体的に治療ってどうやっているの?」

「俺の治療の仕方ですか?」

「うん、僕からは神器くんを患者に刺して、オーラが動いているなぁー、ってことしかわからなくてさ」

 

 奏太と正臣は『灰色の魔術師(グラウ・ツァオベラー)』に設置されてある転移魔法陣からジャンプし、協会系列の病院の地下へとさっそく移動した。そこには事前に連絡を入れていた協会の医療に携わる魔法使いが待機しており、二人を患者の下へ案内するために歩き出す。奏太の治療法は秘匿されているため、治療を受ける患者は深い昏睡状態になるように魔法をかけられ、この病院の地下の治療室に運ばれるのだ。

 

 そして、案内された部屋に入ると、白いベッドの上に点滴を打たれているやせ細った女性が寝かされていた。患者の夫と案内係の魔法使いは別室で待機し、治療が終わるまでは誰も入室をさせないことが条件にされている。護衛である正臣のみ一緒に部屋の中へ入り、病室に不審なモノがないかを隈なく確認していく。奏太は患者の手前に椅子を置き、脈を診るようにその腕に触れていた。

 

 病室の安全を確認し終わった正臣は、次にメフィストから持たされている結界の魔道具を発動させ、完全な密室空間をつくる。ここまでやって、正臣はようやく肩の力を抜くことができた。そして邪魔にならないように奏太の後ろ側に立って、そっと治療の準備をしている様子をうかがう。今までは下手に声をかけない方がいいかと思っていたが、最初の検診中なら問題ないと聞いていたので、正臣はこれまで疑問に思っていたことを口にした。

 

「そうですね…。まずは相棒を通して、俺のオーラを患者さんのオーラに馴染ませるようにします」

「普通なら他人のオーラが自分の中に入ってきたら反発を起こすものだけど、反発する要素を消して『同化』に近い状態にするんだっけ」

「はい。それで身体全体に流れる血液みたいに、まずはオーラの流れをたどっていって、身体のどこにオーラの(よど)みがあるのかを診察するんです。スキャンみたいなものですね」

 

 そう説明すると、奏太は手の平サイズの紅の槍を取り出し、固定した患者の腕にゆっくりと突き刺した。奏太が纏っていた赤みのあるオーラが少しずつ色を消していき、女性のオーラに馴染ませていく。そして腕から注がれたオーラが流れるように胸のあたりへと向かい、順番に全身を循環していった。異能によってあらゆる雑念を消し、心を無にして常に集中することができるため、いつでも冷静に治療に臨むことができた。

 

「……転移しているのがいくつかあるし、別のも混じっているか。とりあえず、大きいのが三つあるからそれからまず消していって、細かいのはちくちくやっていくしかないかな」

「悪いところだけをごそっと消していくんだよね」

「物理的に消しちゃうと穴だらけになっちゃうから、概念で悪性になっている要因のみを消していくだけですけどね。それが結果的に、健康だった状態に戻ることになります。ただ壊死(えし)……すでに失われたところが難しいんですよね」

 

 オーラによる検診が終わり、ふぅと息を吐き出す。事前にメフィストからもらっていたカルテに調べた結果を書き込み、どこをどう治療するのか順番や方法などについてもペンを走らせていく。奏太の能力は『1』のものを『0』にすることしかできない。悪性の元となる原因を排除したり、変質してしまった部分を取り除くことはできても、すでに『0』――死んでしまったものには干渉できないのだ。

 

 

「えーと、その場合は?」

「裏技を使います」

「えっ?」

 

 あっさりと答えられたことに、正臣は目を瞬かせる。奏太は持ってきた荷物から数珠を取り出し、手に巻き付けていく。患者の胸の前で印を結び、再び異能を使って集中力を研ぎ澄ませると、手を胸の前で合わせて真言を紡ぎだした。途切れることなく数分間の経を読み上げていくと、徐々に患者の身体とぶれるように半透明の膜のようなものが浮き上がった。

 

「これは…」

「魂に保管されている情報をちょっと表面化させてみました。そのヒトが『これが自分だ』って思う姿が映し出されています。ほら、魂だけの幽霊の状態になった時、自分が死んでしまった時の悲惨な状態で出てくることもあれば、逆に生前の健康だった時の自分の姿で出てくることもあるでしょ」

「幽霊によって姿やかたちの違いはあるけど、あれってそれが自分だって思っているってこと?」

「除霊ツアーをやっていて、悪霊はだいたい悲惨な姿で出てくるんですけど…。そういうのは、「可哀想な自分を見て」や「これだけ世の中を恨んでいるんだ」って感じで、他者へアピールする目的が多いみたいです。まぁ、普通に生者を怖がらせるのを楽しんでいたのもいましたけど」

 

 この二年間で姫島一家と一緒に除霊ツアーをしまくったおかげで、魂の在り方などを知ることができた。悪霊の除霊をやっていると、だいたいは「自分の存在を見てほしい」という思いが魂のかたちとして映し出されていたのだ。これまで多くの霊魂に触れ、朱芭からの教えを受けてきた奏太は、それらを治療に反映できないかと考えた。何度も朱芭と相談しながら、年月をかけて少しずつ魂を扱う治療法も確立していった。

 

「えーと、それで。これを生者に当て嵌めますと…。元々健康だった人の魂は、だいたい病気になる前の自分こそが本物だって思いたくなるもんですよね」

「それは…、そうだね。健康だった時があったのなら、なおさらそう思うかも。そう言われると確かに、膜のようなものに映っている女性は頬もこけていないし、今ほど痩せていない気がする」

「つまり、身体と魂で乖離が起きてしまっているんです。その場合、だんだんどっちかに偏りだします。肉体と魂は密接な繋がりがありますので。だから身体が弱ると魂もそれに合わせて弱っちゃうし、逆に魂の輝きが増せば、身体も魂に合わせて強くなろうとするんです」

 

 両方健康なら問題ないが、どちらかが不健康だともう一方もそれに引っ張られやすい。だが、この性質を逆に作用させれば、不健康を健康な方に引っ張ることも可能という訳である。だから奏太がすることは、その天秤を傾ける先をそっと誘導すればいい。

 

「壊死してしまった細胞や組織は、もう物理的に取り除くことしかできません。けど、その後に無くなった部分を元に戻そうと復元する手助けならできます」

 

 魂に記録されている健康だった自分を強く意識させることで、身体がそれを復元しようと働きかける気力を上げる。患者の魂に優しく働きかけ、彼女の深層心理にそっと根付かせた。こうしておけば、奏太の治療が終わった後に自然回復を見込みやすく、人工置換術を行う場合も馴染みやすくなる。魂に反映される通りの自分に戻ろうと、身体が引っ張られていくだろう。

 

「患者の身体に目指すべき指針は教えました。あとは原因を取り除いて、リハビリとかは旦那さんと一緒に頑張ってもらいましょう」

「はぁー、なるほどね…。奏太くん、教えてくれてありがとう」

「いえいえ」

 

 治療法について何となく理解できた正臣は感謝を告げ、あとは奏太が集中しやすいように後ろへ下がるように離れた。それを確認すると、奏太は薄っすらと表面化していた膜を元に戻していき、またいくつかの真言を唱えた。問題なく術が施せたことを確認し、静かに合わせていた手を降ろしておいた。

 

 あとは、消滅の能力を使って実際に治療を施すだけだ。この瞬間が、いつも緊張で汗が滲み出す。もし失敗して、命を窮地に追いやるかもしれない恐怖に震えそうになる。周りから責めるような目を向けられたら、自分が折れてしまうかもしれない。そんなもしもが、時々顔を見せるように奏太の前に現れた。

 

 倉本奏太は、自分が強くないことを知っている。実力も、心も…。これまで無我夢中でやらかしてこれたのは、「何もしないで失ってしまうよりは、行動して少しでも変えていく方がずっといい」と考えてきたからだ。だから裏の世界に足を踏み入れることができた。駒王町の前任者問題に介入した。姫島一家を助けるために罠を張った。神器症に苦しむ幼子を救うために動いた。それらは全て、奏太自身が目の前で誰かを失うことに耐えられないとわかったからだ。

 

 一度でも失ったら、再び立ち上がることが果たして自分にできるのか。それだけは、奏太自身も判断がつかなかった。だから、治療前のこの瞬間はいつも怖くなる。一年間奏太のその様子を見てきたメフィストが、命に関わる治療に関しては必ず時間を置き、ケアにも気を使っていたのはそのためでもあった。

 

 

《――――――》

「……うん」

 

 そんな時、いつも背中を押してくれるのは紅の光だった。右手に持つ神器から流れた思念に、奏太は深く頷く。顎に流れた汗をローブの裾で拭い、神器を右手にしっかりと構える。消滅の能力で治療に必要ない感情や雑念を消し去り、微かに震えていた手は気負うことなく患者に触れた。

 

Delete(デリート)

 

 自らのオーラを神器に乗せ、紅の温かな光が(そら)を舞うように踊る。『灰色の魔術師(グラウ・ツァオベラー)』の『変革者(イノベーター)』として、寄せられる多くの期待。そして幾瀬朱芭のたった一人の弟子として、いずれ来るだろうその時を受け入れられるように。少しでも今の自分より強く変われることを願いながら、これから先の未来を歩いて行けるように技術を磨いていくのであった。

 

 


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