初めての戦いは、私の勝ちで終わってしまった。
別に勝つのが好きというわけではないから、ことさら良かったとは思わない。何せ、負け続けて、人はようやく形に成るというのだから。
けれども、私は妖怪だから、そんなことは関係ないかもしれない。
転ばずにいても今はいいのかな。何時か気にしなくなった足元を掬われて、頭がくちゃりと潰れてしまわなければいいけれど。
まあ、私はそのくらいで死ぬことはないから、気にしなくてもいいか。
疲労のせいか重くなる目蓋に潰されるように眠って、なにやら日の光が目蓋を透過してきたので起きてから、最初に考えたのはそんなことだった。
「……くぁ」
「おはよう」
「おはよう……って、ひょっとして今は朝?」
「そうね。貴女、妖怪らしくもなく一夜丸々眠っていたわよ」
「寝る子は育つ」
「泣く子も育つそうだけれど?」
「よく寝るだけにする。別に、成長速度はゆっくりでいいから」
「そう。でも、起きたのならベッドから直ぐに退きなさい」
「はーい」
ふらふらとベッドからどいて、次に私は起きたばかりで眼の焦点が合わないために目を擦った。
本当はそんな動作は必要ないのだけれど、それでも行えば触感が刺激されるのか、心なしか目が覚めるのが早くなる。
こういう些細な動作の習慣化は、十九年生きてきた私の中の一部の知恵。それを真似して私はどんどん効率を良くしていく。
「ふぅ……いい匂い」
ほら、そうして少しでも早く覚醒できれば、このように食まれていくスクランブルエッグのいい匂いを、より長く楽しむことだって出来るのだ。
それだけでなく、崩れた玉子は見た目も中々いいものだった。
「美味しそうだね」
「欲しい?」
「心遣いありがとう。でも、お腹一杯だから今はいらない」
「そう」
私の前でとても綺麗にご飯を食べる、アリス・マーガトロイド。人形みたいな容姿の彼女が生きるために奪っている姿を見ると、胸が苦しくなる。
目を離すには少しもったいないその光景を地べたに体育座りしながら眺めていたら、その内にアリスさんは食事を終えて、食器を片付けてから再び椅子に座った。
一番簡単な運ぶことだけは自分でやって、皿を洗うのも椅子を下げるのも操った人形達に任せる彼女。それが優雅なのか忙しいのか分からなくて、どこか面白かった。
「そんなに何が楽しいのかしら?」
「あはは。昨日の無様を思い出していただけだよ」
にやけてしまった顔を指摘されて、思わず私は嘘を吐いた。
嗤って誤魔化すのはちょっと、難しい。口から出た虚ろな言い訳は容易く見抜かれてしまうものだから、きっとアリスさんには照れ隠しにしか見えていなかっただろう。
「そう。……それで、昨日無様に勝った貴女はどうしたいの?」
「お願い。私のために、人形を作ってちょうだい」
私は頭を下げて、頼み込む。
つられてはらりと落ちる、臙脂色の長髪。何時の間にか着せてもらっていたぶかぶかな白いネグリジェに、それはかかって頭と一緒に垂れた。
「この子達を友達にしたかったんじゃなかったの?」
「その子達は可愛いけれど、要らない。私はどうも、女の子の人形じゃなくて、男の人の人形が欲しかったみたい」
「ここは、いやらしい、とでも言った方がいいのかしら」
「別に含むものなんてない。ただ、私は【足りないもの】が欲しくなったというだけだよ。嫌でも作ってもらうからね」
「そう」
私が欲しいのは、遊ぶための人形ではなく、可愛がるための人の形。
無いからこそ、代わりが欲しい。私は、ただ投影するための形が欲しいだけなのだ。
「簡素なものでいいわ。男物の服を着ているというだけでもいいの。性別さえ一目で分かれば目も要らない」
「画竜点睛を欠いても、いい…………ああ、なるほど。そういうこと。だから、あえて目を書かなくてもいいと言うのね」
アリスさんの碧眼に、疑問が浮かび、そして解ける。
それに反することを目指しながらも、人形の正しい用途を当然ながら知っている彼女は、私が何のために欲しがっているかを察してくれたようだった。
得心がいく前に彼女が一瞬向けた視線の先にあったのは、出来のいい人形達に囲まれている作りかけのお人形さん。たぶん、その人形は誰かに似せられて作られたものなのだと思う。
「布に綿を詰めただけの物でいいのなら、一時間で済むわ。それで充分でしょう?」
「ええ、ありがとう」
弁えている彼女に言葉は要らない。ただ、それでも礼は要った。
そして、危うく私はもう一つの感謝を忘れるところだったので、思い至ってから直ぐに口を開いた。
「そうだ。それと、泊めてくれてどうもありがとう。更地で野宿なんて趣味じゃないから、本当にありがたかったわ」
「それは重畳ね。どういたしまして」
「人形を貰ったら直ぐに出て行く予定だけれど、そういえば、服はどうしようかな……一着くれない?」
「私と背丈が違う貴女に合うものなんてあるわけないし、仕立てるにも採寸から始めなくちゃならないわね……まあ、仕方ないか。半日ここでじっとしていなさい」
「うん。分かった」
幾つも視線を向けてくる人形達を尻目に、私はアリスさんの向かいに空いている席に着く。
お行儀良く、私はまるで人形のように、黙ってじっと完成を待とうと思っていた。
でも、そんな自由が許されるはずもなく、そのうちに手を上げて背を伸ばして、採寸のために胸や胴を紐に巻かれることになる。
そして、気付けばこれ以上ないくらいに私はアリスさんに接近を許していた。
首に紐が巻きついた時には、一瞬そのまま括られてしまうかのな、とまで思ってしまうくらいに私は近寄られ過ぎていた。
「はい、お終い。貴女、ちょっとやせ気味ね。余計なお世話かもしれないけれど、しっかりと食べるものは食べないとだめよ?」
「うん……」
けれども、紐はたわむことなく余裕を持ったままで採寸は終わってしまう。
目の前にあるその僅かに喜色を含んだ瞳に、後ろ向きな考えを看破されていたことに気付いた私は、そのままふい、と目を逸らした。
「あはは」
そして、死角に浮かんで隠れていた人形に顔を向けて目を合わせた私は、視線をそのままに、愛想よく嗤い顔を作る。
まあ、警戒していたのは、お互い様だったということだ。
直ぐ近くで溜息が聞こえたのを確認して、私は更に笑顔を深めた。
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