「面白いわ。これが弾幕ごっこってやつ?」
「侵入者を追い払うのがごっこ遊びというのなら、ねっ!」
奔る閃光、炸裂する魔弾、作られる槍衾。
間断なく続く猛攻は人形そのものが爆発する等といった奇手を交え、様々にリズムを変えて、少女を襲う。
受ける少女が幾ら強靭であってもそれはあんまりなくらいの多勢に無勢。当然、圧されて、傷つき、倒れることすらある。
しかし、それも長引く戦いの僅かな間のこと。彼女は多くの攻撃を破り、防いで、あろうことかそれを縫って攻勢に転じてもいた。それは純粋に、高い身体能力に拠るものだ。
翻弄されながら少女が振った爪は狙いが甘いために尽く空振ってしまうが、それでもアリスが安心することは出来ない。
なぜなら、その一振りは光弾を軽々と切り裂く威力を誇っているのだから。
高い身体能力と予想をはるかに越える相手の強靭さ。それが、アリスを困らせていた。
「そうなんだ。なら、私も何かを撃たないと……こうかな?」
「っ、上海!」
七色の光による暴力に満ちた世界で、少女はものともせずに平然と喋る。そんな彼女が撃った妖弾も、幾多の魔弾をいとも容易く押し通り、包囲を貫いた。
黄と白のマーブル模様は止まらない。力の加減も方向性も考えられずに作られたそれは、少しの間を置いてから炸裂して、力を暴れさせた。
「えっ……くぁ!」
「きゃあ!」
避けたアリスも、発した少女も、共に暴風に吹き飛ばされる。魔法の糸まで千切れてしまったのか、人形達は辺りに散らばった。
しばしの沈黙。爆風に飛ばされて、アリスと少女二人は地面に転がりうつ伏せになっていた。
生まれて初めて照れた少女が頬を掻く音だけが、響く。
「あはは……」
「……はぁ」
少し経ってから何事もなかったかのように二人は起き上がり、体に付いた土を払う。そして、苦嗤いする少女を、アリスは半眼で睨んだ。
「あはは……通常弾のつもりだったんだけれどなー。こう、拳銃を一発、バキューンって感じで」
「はぁ、一発でこの惨状……爆弾の間違いじゃないかしら」
溜息の多くなる日だと、アリスは思った。
幼すぎる相手とは与しにくい。特に、分別がないくせに力だけは持っているような子供は、より性質が悪いものだった。
最早少女は人形に興味がないのか、戦うこと自体に興味が移っているようにも見える。不慣れであってもその才能はあるというのがまた、始末が悪い。
振るう力に振るわれている少女は、どこか間抜けで突飛であり、だからこそ危険な相手だった。
「被害は……大したことない、か」
何だか空気は緩んでしまったが、アリスは油断せずに糸を伸ばして人形達の安否の確認をする。
爆発の被害を受けた人形も確かにあった。しかし、アリスが逃しきれなかった人形達を上海人形が咄嗟に操ってくれたおかげで、動けなくなった人形の数は辛うじて一桁に収まっている。
幸いなことに、全壊してしまった人形は一つもない。この場での戦線復帰は不可能だろうが、後で直すことは可能だった。
これなら、まだまだ戦える。しかし、少女がもう一度あの馬鹿げた妖弾を放ち出せば、次はこのくらいの被害では済まなくなってしまうだろう。
魔法の保護が成されている家屋にまで被害が及ぶことはないだろうが、それも相手の底の深さに左右されてしまうので、定かではないのだ。
元々、アリスは勝ち負けにはあまり拘らない。たとえこのまま戦って勝てたとしても、そのためにこれ以上の被害を出してしまうくらいなら、負けたほうがいいのだ。
ただ、憂さを晴らすためにも、この生意気な少女をこてんぱんにのしてやりたいとは思っていた。
ならば、とアリスはやり方を変える。十体の人形のみを残して、彼女は人形達に細かい指示を出しながら撤退させた。
「あれ、帰しちゃうの? 何だか自分が怪獣になったみたいで楽しかったのに」
「怪しい獣というならその通りね、この不審者。その襤褸切れを纏っているような服装、獣みたいよ」
「あ、服は破れるものだっていうことを忘れてた。なるほど、だから皆は避けるんだ」
「皆はあんたみたいに大雑把じゃないのよ。特に私の人形達は作りが繊細だから、あんな爆発を一々浴びてられないの」
「ふーん。人形本体が爆発するのはいいのかと疑問に思わないでもないけど、ま、別にいいか。的は小さくて少ない方が、当て甲斐があるもん」
最初に放った弾幕が微塵も通用していないことを確認してからずっと、アリスは物量で圧すことを選んでいた。
それは、幾ら頑強であろうとも、手も足も出なければ諦めるだろうという考えからのものだった。
しかし、少女は中々諦めずに、むしろ嬉々として自分の無力を楽しんでいる様でもあった。
そこにあの爆弾染みた通常弾である。あの突破力があっては圧し続けるのは難しく、どうもそれも効果が薄いようだ。
せめてダメージは貯まっているかと思えば、回復力も相当なものだったようで、顕わになっている肌は今、とてもそこかしこに傷があったとは思えない白く綺麗なものである。
一分やそこら攻撃を止めただけでこれなのだ、これではこいつは吸血鬼か何かかとアリスも頭を抱えたくなる。そのくらいに根本的な身体能力は桁違いだった。
しかし、少女が吸血鬼ではないことは誰よりもアリスが解っている。
人体を知る人形師である故に、ただ強い妖怪という【だけ】でしかない少女の弱点は、よく見えていたのだ。
「そう。なら――――撃てるものなら撃ってみなさい。これから貴女は、動くことすら叶わない」
「それじゃあお言葉に甘え……られない?」
それをつくために、アリスはここで初めて、人形以外を使った。正確には散開する様に方々に分かれて逃げた人形達が【それ】を使って、少女を拘束したのだ。
知らず少女の四肢に結ばれた見えないくらいに細い、魔力で編んだものではなく実体のある【それ】は、アリスの手によって束ねられて急激に拘束力を増す。
暴れるために力を入れようとしても、身動きがとれなければ力は上手く伝わらず、一転して非力となった少女は宙に張り付けられた。
「……なるほど、糸か。これはしてやられた。人形を残しておいたのは注意を逸らすため、かな?」
「察しが良くて助かるわ。操ることはちょっと難しそうだけれど、動くことは出来ないでしょうね。妖気も乱してあげているから、ろくに集めることも出来ないでしょう?」
「そうだね、なんだか力が入らない。撃ち逃げは出来なそう。さっきまでは派手で綺麗なものだと思っていたのだけれど、実は魔法って地味でいやらしいものなのね」
「派手な方が好みなら、今からでもお腹一杯味あわせてあげられるわよ? それに……一番いやらしいのは貴女の格好よ」
「最低限は覆えているからいいと思うけど。まあ、確かに余裕があった方がいいかも」
「余裕があった方がいいというのは同感だけれど……有り過ぎてもやり難いわ」
縛られて動けないでいるというのに、余裕綽々とした少女にアリスは眉根を寄せる。
手も足も、弾幕すらも出せない状況すら楽しむ少女は酷く不可解だった。今も嬉しそうに嗤っているのがそれに拍車をかける。
妖怪を相手取る時には精神的に屈服させて勝利を収めるのが一番なのだが、この様子ではアリスも困ってしまう。
まさか最期まで終わらせるまで折れないのかとまで思ってしまうが、そんな気の滅入ることをしたくないアリスは流石に躊躇いを覚えていた。
アリスはただ糸で拘束したというだけではなく、魔法で人形を操る要領で、器用にも少女の体を廻る大量の妖気の流れの要所を魔力によって乱していた。
妖弾も練らなければ発することは出来ないし、高い身体能力も妖力の後押しが無ければ少女の膂力も並みの妖怪と変わらない程度である。
人形遣いが人形を操るための糸は、見えても切れてしまってもいけないために、細く強靭なものが使われる。
力を逃すように張り巡らされた糸は、並みの妖怪程度の力で破られるようなものではない。四肢の自由を奪うには充分だった。
そして、それさえすれば、身体構造がまるで【人間を基にしたかのように】似通っている少女では、逃れる術はない。体を蝙蝠に分解出来る吸血鬼相手ではこうはいかなかっただろう。
そう、だから強い妖怪という【だけ】でしかない少女は口しか動かすことが出来ないはずなのだ。
しかし、それで充分とでも言う様に、少女は変わらず不敵なままだった。
「でも、お姉さんも随分と余裕があるじゃない。こんなに狡いことまでして本気を隠すなんて、それはよっぽどのものなのね」
「……よく分かるわね。なら、降参しようとは思わないの?」
そう言って、アリスは蓬莱人形に持たせていた魔導書を撫でる。
一目見ただけで力のあるものと分かる魔導書は、鍵がかけられ封印されたままだ。その鍵を開けることが出来るのは、きっとただ一人。
アリスの底はまだまだ深い。故に、彼女は相手がどれだけ強くとも怖じることはなかった。
「あはは、だって全然怖くないんだもん。夢にまで出てきたスキマさんの方がよっぽど怖い」
「私が怖くないとしてても、自由を失うことは怖くないのかしら。その気になれば、私は直ぐにでも貴女の手足を千切ることだって出来るのよ?」
「不自由は幾らでも味わってきたから怖くはないなー。蠢いて、生きるために暴れるのは慣れているから。――――そのくらいで、私の勝手は止められない」
しかし、恐怖はなくとも、生理的な嫌悪感は隠せない。
アリスが少女の瞳から覗いてしまったそれは、出来が悪くて生まれることのなかった感情の渦。
それは生への願望であり、生きとし生けるものに対する嫉妬であり、それらを飲み込んだ崇高な何かでもあった。
形にならずに蠢きあうそれはあまりに醜悪であり、少女の美貌を犯すのには充分過ぎるものである。
そんな、この上なく醜い美しいものと焦点が合う。
アリスは生まれて初めて、自分の眼を潰してやりたくなった。
「私を乱してしまったのがお姉さんの敗因。おかげで私は理解出来た。さて、惜しんだことが不明だったのか、賢明だったのか――――それはこれから分かるでしょう」
「なっ――――」
少女はとても綺麗に、嗤う。そうして、彼女に廻る妖力が一気に増した。
それまでが滴る水だとすれば、今はまるで大瀑布。乱れていた今までの流れを味方にして、力は縦横無尽に暴れだす。
必死に押さえようとするアリスの魔力は枷にもならずに、そしてあっという間に妖力は少女ですら扱いきれない域に到達して、溢れ出した。
糸を尽く千切って少女すら傷つける程の妖力は、人形たちの放つ七色すら食い尽くして輝く。
アリスも人形も木っ端であるかのように、それは何もかもを無視して少女の体を媒介に循環しながら増し続ける。
「あっはははは! 混沌を拘束するなんて、誰にも出来はしないのよ!」
肉の焦げる匂いを甘受しながら少女が発した嗤い声は、高く響いた。
力を纏って、痛みを噛み締めて、それを楽しむことが出来るのは生きている間だけ。少女は生きているという事実に、充足する。
力の奔流に紛れて、ただ黒々とした少女の瞳が輝いていた。
「何よ、これ……こんなのどうしようもないじゃない」
アリスが弱音を零してしまうのも仕方がない。何せ、幾ら弾幕を張って集中を乱そうとしても、むしろその力を吸収されてしまうのだから。
弾幕ごっこは持ち前のブレインでどうとでもなるとしても、こんな自爆染みた力の渦を御すにはそれだけではどうしようもなかった。
弱点を突くにしても、どうにかするためのパワーが足りていない。しかし、もしも今「弾幕はパワー」を信条とする相方が居たとしてもどうしようもなかっただろう。
単純に、この密な力の渦を弾けるくらいの魔力を集める時間がないのだ。それは魔理沙の持つ火炉のような増幅器があっても不可能だろう。
「仕方ない、か」
間に合わないことを半ば確信しながら、アリスは魔導書をその手にとる。
封印は強固なものだ。解き方を知っていてもそう直ぐには終わらない。焦りばかりが、募っていく。
それが代替行為だとしても、守るものが出来てしまったアリスには、逃げるという選択肢は出てこない。
そして、抗うアリスを嘲笑うかのように、溢れる妖力は乱れに乱れて止まらずに高まって、次第にそこにはただ混沌としているだけの塊が出来上がっていく。
それは、方向性の定まらない力の集まり。中心にいる少女はそこに、言葉を乗せる。
もっと蠢け、と歓喜して。
「くっ……蓬莱、鍵を!」
「タイムオーバー。さあ、早く私から逃げて」
アリスが本気を出すのには、やはり時間が足りなかった。
少女の言葉の僅か後。蠢く力は外を向いて、力は無秩序に暴れた。
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「つっ、痛……」
アリスは痛みで目を覚ました。自分が生きているということに、彼女は少しだけ驚く。
真っ先に人形達を逃して、苦し紛れに封印が解けていないまま魔導書を媒介にした魔法で防御したアリスだったが、咄嗟に防ぎきれるわけもなく家の壁面まで吹き飛ばされていた。
それでも幸いではあるだろう。直に被害を受けた庭の端、そして森の一部分は、見る影もなく荒れ果てていたのだから。
ボロボロになり煙を上げている地面や木々であったが、火が燃え広がっているのではない。地面も樹もどれほどの力に抉られ倒されたのか、テカテカと溶けて煙っていたのだ。
秩序だったものでなくて助かっていた。力が自分だけに向かって来ていたらと思うと、流石にアリスもぞっとする。
近くに纏まって転がっている十体の人形を見ながら、アリスはそっと胸をなでおろそうとした。
しかし、アリスは強かに背中を打ち付けていたために、壁に体を預けたままに指一本たりとも動かすことが出来なかった。
それ以前に、息をすることすら苦しかった。生きるための第一歩が苦しいことは、とても辛い。魔力を使い切っているアリスは、陸に上げられた魚の辛苦を否応なしに味わった。
そんな中「ひょっとしたら、産まれたばかりの赤ん坊は辛いから泣くのかしら」等と酸欠のせいかぼんやりとした頭で、埒もないことをアリスは思い付く。
そして、ぼんやりとでも働くようになった頭のおかげか、片足を引き摺りながら向かってくる影を、そこでようやく認めることが出来るようになった。
「あっ、別にどっちでも良かったんだけれど、生きていたんだ。良かった」
服はもう肩から下がった布でしかなく、重度の火傷を負っていたり、そこかしこの傷口からぽろぽろと血を零してもいるが、少女の五体は欠けずに揃っている。
馬鹿げた回復力は健在であり、アリスの目の前に辿り着く前までにはもう、引き摺っていた足の骨や腱は繋がっていた。
対してアリスは未だ手も伸ばせずに、器用な指も動かすことはできない。アリスは直ぐ傍に落ちている魔導書にすら手が届かないことを確認してから、抵抗を諦めた。
少女は両手を手の自由を確かめるように、目の前まで上げて開いて閉じる。
そして何を思ったのか、彼女はアリスの両手を握って立ち上がらせた。
「はい、手を貸してあげる。逃げられないでしょう? これで私の勝ちだね」
少女は嗤う。
逃げるには代償が大きすぎる。両手を潰されてまで勝利を得たいと思う人形師は居ないだろう。
頷くことで、アリスは自分の負けを認めた。
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