ゆっくり大妖怪   作:茶蕎麦

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第二十話 ゆっくりと笑う

 

 

 

 さて、私の暴走、皆に好かれる位置が再び欲しくなったがあまりに起こしてしまった癇癪は、神奈子さんがわざわざ壁となって付き合ってくれたおかげで穏便に収まった。

 代償として、お気に入りの服は粉々、人形は何処かへ飛んできっとバラバラに。何もかもを失い裸んぼになってしまった私は、守矢神社にて今、早苗のお古を着させてもらって佇んでいる。

 空っぽの手を開いて閉じて、何を手にできなくともしかし寂しくはなかった。きっと、そろそろ人形遊びは卒業する時間になってきたのだと思う。そう、時と共に思いは思い出に変わるのだ。

 でも、それが嫌だから、私は――

 

「ゆ、おかあさん!」

「と……ゆっくり霊夢じゃない」

 

 そんな私の懊悩を知らずに一笑に付しながら、微笑んで障子の隙間からぴょんぴょんと向かってくるのはゆっくり霊夢。彼女は私の愛すべき子である。

 幻想郷において食べられるばかりのゆっくりは弱いものと思っていたけれど、神隠しにあいながらもその美味な見た目は変わらずに元気いっぱいな辺り、実は中々のつわ者なのかもしれない。

 

「ゆっくりちゃん……あ……」

 

 そして、ゆっくり霊夢と追いかけっこをするため速めていた足を遅くし、悩ましげに眉を歪めながら私を認め出したのは、東風谷早苗。彼女はゆっくり霊夢を攫った下手人だ。

 

「おはよう、早苗。ゆっくり霊夢とは随分と仲良くしてくれているみたいだね」

「ゆー」

「お、おはようございます。水仙庵、さん」

「くぁ。仮称であっても名前を呼んでもらえるというのは嬉しいね」

「そ、そうですか」

 

 名字に自分で創った弾幕名、水仙庵を頂くことにした私は、苦く愛想笑いを返す早苗に反して心から楽しく嗤った。

 勿論、付けられることのなかった名無しの私と違って、食べた彼の名前はある。だから、彼でもある私はその名を名乗ってもおかしくはないだろう。けれども、故人の名を借りるには、相手に対して私は無体を働きすぎていた。

 だから私はけじめとして、新しく考えた名前を自分に付けている。それは、決別の意味を含めて。

 

「もう、早苗は固いなあ。ゆっくりみたいにプルプルしろとまで言わないけど、もうちょっと友好的に接してくれてもいいんだよ?」

「ゆっ、ゆっ、ゆ!」

「えっと……わ! ゆっくりちゃん、危ないから急に飛び込んでこないで!」

「あはは。昨日言っていたじゃない。なにせ、貴女はゆっくりの友達になってくれるんでしょ? 不出来な親といえども、子供のお友達と微妙な感じじゃいけないよね」

 

 気の利いた優しい春風が一陣。足元の土の香を攫っていく。

 縁側にて座しながらゆっくりとじゃれ合う早苗を見つめ、私は無理やり笑顔を作る。それが、以前のように内向的で侮蔑的な代物と違い確りと上手く出来上がったようで。

 

「そう、ですね」

 

 思わず早苗は顔を赤くしていた。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

「ゆっくり霊夢。良かった。無事だったんだね」

「おかあさん、ゆっくりしていってね!」

「あーうー。どっちかというとそれは私が言うべき言葉だね」

 

 戦い終わったその後。私は力なく神奈子に連れられて、諏訪子の頭に乗っかったゆっくりと顔を合わせることとなる。

 相変わらず、ふわふわもちもちどっしりと。変わらない甘味の良さを感じる見た目に私は思わずお腹を鳴らしてしまったが、集まる白い目を無視して私は優しくゆっくり霊夢に手を伸ばした。

 

「ゆ、ゆっ」

「よしよし」

 

 それは勿論食べるではなく、撫で擦るため。柔らかな食感、ではなく触感を楽しんで、そうしてからようやく私は近くで小さくなっている女の子を目に入れる。

 衣服が白く青い少女、彼女は顔色も少し似たような色にさせているみたいだ。

 

「それで、そっちの巫女っぽい子はどうしたの? 確か早苗って言ったと思うのだけれど。私からゆっくりを奪っておいて、一言もなし?」

「っ、それは、そのことに付いては、本当に、申し訳ありませんでした……」

 

 ついつい嗜虐心に任せて言葉を紡いだ所、つむじが私の方に向いてきた。応答もせず、私は少し間を置いて楽しむ。

 ぴょこんとそこから伸びる一房を面白がっていると、唐突に私の頬は引っ張られた。

 

「いたたー」

「全く、困った子供だね。早苗、いいから貴女はゆっくりと一緒に外していなさい。諏訪子には付いてきてもらうけれど。そうね、早苗にはお茶の用意でもしておいてもらいましょうか」

「で、でも……」

「はぁ。早苗はそんなに早く仕置きして欲しいのかい?」

「わ、分かりました。ほら、ゆっくりちゃん、行こう」

「ゆ? ゆー……」

 

 神奈子に抓まれている私を放って、逃げるように去る早苗と連れられたゆっくりは一緒に離れていく。甘い香りが消え去り、後に残ったのは二柱と折れた柱が一つ。

 

「さて、お話をしましょうか」

「仕方ないなあ」

「本当は楽しみなんだろうに、天邪鬼だねー」

 

 内緒話は大人がするもの。私は餓鬼だけれども、それでも立ち位置としては最早子供の範疇ではない。だから、仕方がないと、神奈子に視線を合わせるために見上げる。余計なことを言う蛙の言葉は無視が一番。

 そうして、神奈子が私の頬から離して差し向けた手を取り、そのまま奥へと連れて行かれた。

 

 

 その後、服のように私を覆っていた花びらが剥がれた後に顕になった小さな裸体に困る二柱が居たりしたが、それは割愛。

 私は早苗がもう着れなくなったのを集めたのだという衣装ケースの奥から見つけて強請った黄色と白のモザイク柄のワンピースを着込んで、二柱に対する。そして、丸卓袱台を挟んで向かい合い正座をしながら、私は一言目を口に出した。

 

「それにしても全く、あんな幼体を拐かすなんて。怒る保護者を想像できなかったのかなあ。貴女たちの巫女モドキは、人畜無害な私のゆっくりと違って、悪い子だね」

「なあに、何時だって取り返しの付くことしかしないあの子はいい子さ。しかし……貴女たちの、ということは、アレがあんたの巫女だったのかい?」

「まあお供えものも担当してるんだけど、そうだよ。何せ、あの子は何時だって私の声を代弁してるもの。【ゆっくりしていってね】って」

「あんたは……未だカミサマのつもりなのかい?」

 

 ふざけ半分に話す私に対して、どうしてだか真剣な目を向けてくるのは、八坂神奈子。横で話しを聞いている洩矢諏訪子は、薄く目を開け、こちらを望むばかり。

 それにしても、神奈子の言葉に切実な色が見えるのは気のせいだろうか。いや、きっとそれは違うのだ。だから、私は本当の音色を持って答えた。

 

「ただのごっこ遊び。もう成れないし、そんなつまらなのなんて目指してないよ。未練はあるに、決まっているけれどね」

「なるほど、その言葉は真のようだね。だから私を使って、未練に後悔を断ち切ろうとしたのかい? ――創世の、大妖怪」

「くぁ。まあそうだね。でも、私はそんな大したものじゃなくて、小さな私でも抱きしめられるくらい、もっともっと小さいものを創りたいな。私はゆっくりの、大妖怪でいいんだ」

 

 私は参考としてこの世界を観させられていた世界創りのカミサマ。元々は、何でも創れたのだろう。しかし、私はゆっくりを創った。そして、今やそれに満足をしている。ならば、それでいいのだろう。私は彼女を子として、共に生きることを選んだ。

 他の選択肢を捨てるとこになっても、そう決めたならば、そのように進む。それが、生きようとすることだと思うから。

 

「……そうか。ただの妖怪なら、気を張らなくても大丈夫だね。……諏訪子、そろそろ早苗を呼んできてくれないかい?」

「あーうー……うん。分かったよ」

 

 少し悩むような様子の諏訪子だったけれども、しかし私を見て、何か思い直したのか表情を変えて、神奈子の言うとおりに部屋から出ていった。

 何を悩んでくれたのだろう。私は、そんな彼女が今ひとつ分からない。疑問符を頭に浮かべた私を察したのか、神奈子が補足するように口を開く。

 

「……諏訪子は八百万の神。そして、やり方違えど多少は生命を創造することも出来る。ひょっとしたら、シンパシーでもあったのかもしれないね。貴女が立ち位置を手放していることに対して思う所がないってこともないだろう」

「自分だったら、って考えちゃったのかな? 愚かしいとでも思ってくれた方が楽なんだけれど」

「数少ないものを愛することが出来るというのは、我々にとっては非常に羨ましく思えるものさ。人の愛は限り有る故に尊い。小さな違いに一喜一憂し、そして認めあうことで人間を成す。そんなこと、私達の位置では不可能なものだから」

 

 そう言葉放つ、神奈子の気持ちは私にはあまり分からない。私は一人を愛することで生まれた妖怪。神の視点は早々と忘れてしまっている。

 でも、彼女の自嘲的な言葉を私は認めることが出来ない。だって、手を伸ばせば届くのに、立場の違いでそれを止めてしまうのは、つまらないことに思えてならないのだから。

 

「それは違うんじゃないかな」

「何が、だい?」

「失ったら死にたくなるほど愛することを、神様だって選択していいと私は思うわ。かといって家族愛が神を殺すこともないでしょうし、もう少し気を緩めてもいいんじゃないかしら」

 

 思いやりを知っている彼女たちならば、私みたいに大好きな相手を傷つけ殺すことにはならない。だから、彼女たちには、もう互いに少し幸せになるための努力をしてもらっても悪くはないのではと、思うのだ。

 皆の幸せを望むのがカミサマだとしたら一人を選んだ私は失格だけれど、それでも変わった今は自分の周囲ばかりの幸せを望むことくらいは出来た。さて、私を助けてくれた神々の幸せを願って私は変わらず自嘲しよう。

 醜く口元を歪ませた私を見つめた神奈子は何かを察して、頬を掻く。

 

「貴女、少し変わりすぎね。性格矯正のためとはいえちょっと強く叩きすぎたかねえ……まあ、言葉はありがたく頂いておくよ」

 

 そう言う神奈子も綱を降ろした今、戦っていた時では想像もつかないくらいに優しい表情をしていた。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

「お茶、お持ちしました……」

「おかあさん、ゆ、ゆっ!」

「あはは、お前が持っているのは湯じゃなくてただの水だよ」

「くぁ! ゆっくり、何時の間にそんな技術を覚えたの?」

 

 神奈子の前で足を崩して、正座の痺れを楽しんでいたら、丁度私の愛するゆっくりとその他がやって来たようだ。

 その際に、私は思わず驚く。人間である早苗は配膳出来て当たり前として、ゆっくりまでも器用にも飛び跳ねながら頭にお盆を載せてその上の湯呑みの中身を溢さぬままやって来たのにはびっくりだったのだ。

 

「私が躾けてみたら、意外と直ぐに出来るようになったよ。この子は賢いし不器じゃないね。それにしてもこの程度が未習得だったなんて、あんた、実は随分な甘まやかしいだね?」

「くぁ……痛いところつかれたなぁ。確かに少し、この子のこと甘く見ていたかも」

 

 食べたら甘いのは当然として、確かに少し評価を低く見積もりすぎていたのかもしれない。乳臭さも、その内取れていくものと認められなかった、私の不明に思わず嘲笑う。

 生み出した未熟な私と同じく、ゆっくりも成長するもののようだ。それも、けっこうな勢いで。放っておいても学んだだろうけれど、教えれば意外と吸収するみたいだった。

 このお饅頭は生意気にも霊力の欠片くらいは持っているために、十年二十年鍛えたらそれなりに強い生き物になるかもしれない。いずれは饅頭こわいと幻想郷中にその名が轟く可能性もあった。

 まあ、そんな捕らぬ狸の皮算用なんてどうでもよくて。ただ私は、ゆっくりをよく出来ましたと撫でてあげた。

 

「よしよし」

「ゆ、ゆ」

「あの、粗茶ですが、どうぞ……」

「ん、ありがとう」

 

 そして、ゆっくりの頭上の水を貰って卓袱台の上に置くと、その隣にもう一つ湯呑みが置かれる。湯気を溢れさせるそれは勿論緑茶で、配膳人は早苗だった。

 彼女は私が大体の情報を知っているのを知らずに、姿勢を正して初対面として相対す。

 

「それで……ええと、そういえばお名前をお伺いすることを忘れていましたね。後は自己紹介も。私は東風谷早苗と言います。失礼ですが、貴女のお名前は?」

「うーん……今まで必要がなかったから、名無しだったのだけど……」

「なら、今付けてしまいなさい。別に後で変えても良いのだから、気楽に名乗ってしまえばいい」

「沢山の別名がある人に言われると確かに気が楽になるね。そう、私は水仙庵。下の名前は考え中」

「水仙庵、さんですか。改めて、ゆっくりちゃんを貴女の手から奪ってしまって、申し訳ありませんでした」

 

 早苗は本当に反省しているのか、真剣な顔をしてからそれを伏せ、頭を下げた。

 現人神の頭、果たしてその価値は幾らくらいなのだろう。私は落ちたそれを直ぐに上げさせたくなった。

 

「別にいいよ。それに、何をしなくたって、仕置きは神奈子か諏訪子がやってくれるでしょ?」

「そこは任せておいてよ。早苗には武神の拳骨に、修行フルコースを味わって貰う予定だから」

「うう……怖いですが、だからこその罰ですね。謹んでお受けします」

「くぁ。この子じゃないけど無理せずゆっくりね。怪我でもされたら後味悪いし」

「ありがとうございます……」

「これでよし、と。くぁ……あれ?」

 

 一件落着と他所を向いてから欠伸を一つ。そういえば一度は這入ってみたかったのだけれど、この家では流石にコタツはもう仕舞っているみたいだな、と周囲を見ながら思っていたら、視界に入る二柱とゆっくりの顔が何故か不安げだ。

 どうしたのかと残る一人である早苗を覗くと、どうにも冴えない表情をしている。これはまだ何か抱えているのかと少し呆れながらも、私は聞く体勢を整えた。

 

「……今回は、自分の未熟を痛感しました。行動の意味をろくに考えない頭に、及ばない力に怯えて動かないこの体。自分の総身が情けなくてなりません」

「ゆ、ゆっ!」

「ごめんね、ゆっくりちゃん。慰めてくれているのだろうけど、今はそれも辛いの。早く、変わりたい……」

 

 重い空気を察したのか犬のように早苗に擦り寄ったゆっくりだったが、そんな彼女の行動でも早苗の心を晴れさせることは出来ない。

 私はお茶を一口頂き、その温さを楽しみながら、早苗の気持ちをしばし考える。

 

 もう、罰を受けるのは決定している。誰も彼もが、早苗の未熟を糾弾してはいない。それなのに、いやだからこそ彼女は自らを許せないのかもしれなかった。

 間違い、それに悩んでいる間は忘れられたのだろう。許されてしまったからこそ、自分の不出来を直視することになってしまう。

 恥ずべき自分。それを消したいがあまりに焦る気持ちはから回る。きっと早苗は、元々強い自信がそびえ立っていたのを、何かをきっかけにして一度折れかけさせているのではないだろうか。そのため余計に、今回の一件の自分の失敗を受け止められない。

 だって受け止めてしまえば、それは未だ間違えるただの人から脱却していないと認めてしまうことになるのだから。

 

 早苗はそれが凡人より遥かな高みであることを忘れて、上を見上げればきりがない幻想郷で、神としても人としても未熟な少女でしかない自分の程度の低さを感じている。それはとても傲慢なこと。しかし若者らしい悩みではある。

 未だに完全に早苗の頭が垂れてはいないが、それも時間の問題のように思えた。

 人であり神でもある少女は弱さも強さも、そして成長という希望も持っている。故に、長い永いこれからがあるというのに。焦りは周囲を見えなくさせるという、その典型。

 きっと素晴らしいものになるだろう原石のような彼女は、そんな大切な自身を認められずに嘆く。まだ足りないと下を向いておきながら上を望んで。直ぐ近くの山の高みに気を焦らせる。

 

 しかしそんな高望みに悩む姿に耐えられなかったのだろう、最初にご先祖様が、声をかけた。

 

「なに、早苗。あんたったら、ひょっとして直ぐに成長したいとでも思っちゃったの?」

「はい。守矢神社……いいえ、幻想郷の風祝として相応しく。私は誰恥じることのない存在になりたいのです」

「やれやれ。誰もが認める存在なんて、そんなものにはなれっこないよ」

「そんな!」

「だって、蛙の子はオタマジャクシに決っているじゃないの。成長しようが大きな蛙が関の山。だからさ……ぴょんと大きく跳ねるのは後でもいいんだよ。尻尾を引きずったままじゃ、何しても満足いかないのは当たり前のことさ。まずは尾っぽが取れるまでじっくり時間をかけるといいよ」

「そう、ですか。しかし……神奈子様に諏訪子様、更には水仙庵さんの足元にも力及んでいない現状は、どうにも歯がゆいです」

 

 力がない自分が認められない、だから、誰も認めてくれないだろうという誤解。それは、過去の唯一無二の自分に対する自信から来てしまっているのだろう。

 でも、私はそんな気持ちを一番に和ませてくれるモノを知っている。見つめてもらっている二対の視線を忘れて、独りぼっちに混乱している少女に私は一言口にしたくなった。

 

「くぁ。そんなこと気にする必要ないと思うけど、そうだとしてどうしたというのかな?」

「えっ?」

「届かないのなら、手を差し出してもらえばいい。並ばなくても一緒になれるし、未熟だからこそ、愛してもらえもするでしょう。それに、人間が完璧に近いものを目指すというのは、良いことばかりじゃないよ」

「愛……」

 

 そう、高みを目指すのは一緒になりたいからだった。愛が欲しくて、早苗は攀じる。高く、誰もが認めざるをえないものになれば、好きになって貰えると信じて。

 早苗は結局、誰かさん達から見捨てられることを恐れていたのだった。似たようにして暴走をした私にはその気持ちが、何となく分かる。

 

 それは、愛の不足ではない。口にしない愛の伝え方が下手くそだったから、上手く早苗が受け取れきれていなかっただけ。しかし、たまには直球でも構うまいと、私は思って、神奈子を見つめる。

 表情を硬くし一瞬覚悟を決めたかのようにしてから、彼女は微笑んで口を開く。

 

「貴女、珍しく良いこと言ったわね。そう。金剛の硬い結びにだって、脆さが隠れているものだよ。完全なものっていうのは【そこにある意味】すら入る隙間のない邪魔者でしかない。だから、慰めでもなく、ただ早苗はそのままで良いのよ。私は、私達は……そんな早苗が好きなのだからね」

「っ……神奈子様!」

 

 最後辺りに至っては照れて頬を掻きながら、神奈子が伝えた本音は、真っ直ぐ届いて早苗の胸元に直撃した。そして、彼女の瞳を潤ませる。

 

 そう、別に今敵わなくてもいいのだ。これからがあるのだから。少女は未だ足りずに、少しだけ。

 しかし、それでも早苗は山に居る。険しい頂きを横目に見ながら、共に有った。それが心地いいと思っていたのは自分だけではないと、気付く。

 だから今は半人前の神様でいいのだと、彼女はようやく理解が出来たのだと思う。

 

「ありがとう……ございます!」

 

 神の視点は下げられて、真っ直ぐ少女の瞳に向けられた。それが少しだけでも、一度であっても、真に家族であれば想いは届くもの。

 涙を零す瞳を大きく開き、最愛の家族(神様)を痛いほどに目に入れて、早苗はとても幸せそうに、笑んだ。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 昨日のことを私は思い出し、そして私の姿をぼうっと見ている早苗に対して声をかける。それこそ、目が覚めるような言葉を持ってして。

 

「あのね、今さっきの笑顔は昨日の早苗の笑顔を真似たものだよ?」

「えっ。…………ええー! わ、忘れてくださいよー」

「ゆ?」

「あはは。ちょっと柔くなったね」

 

 ゆっくりをガバリと抱きしめ涙目になりながら、早苗は顔を真っ赤にさせる。

 私としては、あの笑みはとても素敵なものだと思っているのだけれど、彼女にはそれが忘却すべきものに入ってしまっているようだった。

 

「さっきまで固かったのは、早苗が人見知りが激しいからって訳でもないよね。どうして?」

「うう……昨日はゆっくりちゃんと水仙庵さんが居ることを忘れて、随分と恥ずかしい姿を見せてしまったのですから、それでどうにも照れが入ってしまって……」

「なるほどねえ」

 

 そう言いながら口内に乾きを感じた私は、随分前に中身を飲みきってしまった空の湯呑みを持ち上げ、碗全体に力を込める。

 途端に空は力の混沌で埋まって、創造が始まっていく。偏った水気が熱気を纏って変化する。そして出来るのは丁度喉が欲していたもの。そう、一々淹れるのは面倒だからと、私は横着をしたのだった。

 

「何をしているのですか? え? 湯呑みに水が貯まって……湯気が!」

「創ったの」

「はぁ、凄いですね……それも、創ったのはただの白湯ではありませんよね」

「これはお茶。残念ながらお酒は貰うものだから創れないの。そういえば、ここの人は大概好きだけれど、早苗はお酒呑める?」

「いえ、私は……ちょっと苦手で。慣れようとしてはいるのですが」

「そう」

 

 私は、沸点で安定しているお茶を楽しみながら、そっと下らないことを考える。

 無為な上昇志向もそうだが、酒をたしなめないことも、早苗をやたらと酒臭い幻想郷に溶け込ませることを難しくさせていたのかもしれない。

 だから、生まれたてホヤホヤの乳臭いゆっくり霊夢は早苗に合っていたのだろう。きっと彼女は甘党なのだ。

 

「ゆっくりしていってね!」

「ゆっくりちゃん、どうしたの?」

「ゆっ、さなえ!」

「わ、初めて私の名前呼んでくれたね!」

 

 抱きしめ、頬をすり寄せ、ゆっくりと友誼を深める早苗の姿を見て、私はもう一度だけ笑んだ。そう、今度はなるだけ優しくゆっくりと。

 

 

 

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