「ほら、おいでー」
私の招きに応じてニャー、ニャーと来る猫達。その数はどんどん増しに増して、ついには億を数えて私を潰した。
潰れた私は染み出して逃れ、針山地獄に向かって彼らを引き摺っていく。
そして、共に因果応報を味わう前に、全てが揺らいで形を失い混沌に紛れてしまった。
それでもまだまだ矛盾に彩られた世界は続く。続いて欲しい、延々と。
ここは普通ならばあり得ないことばかりが起きる場所。そう、夢の中なのだから。境界線の曖昧な、何でもありの世界だった。
「あら、思ったよりも子供らしいのね、夢の中でも遊んでいるなんて」
「子供だもの、仕方ない」
「それは違うわ。子供だからこそ、始末が悪いのよ」
犬を扉にはめ込むために抱えていると、そこで声をかけられた。
そう、ここは何でもありの世界だから、ここに境界の妖怪が紛れ込んでいても、ぜんぜん不思議じゃなかったのだ。別にそれは、おかしくない。
しかし、彼女が出てきたせいで、世界は仕切られて形を得てしまう。綺麗に、とても美しく、望んでいない風景が辺りに広がった。
彼女と私とでは趣味が異なりすぎる。ただ、私の足元に咲き誇っているのが水仙であることだけは、認めてもいいかもしれないけれど。
「どうしたのかな、八雲紫。先の邂逅ではノータッチだったのに、わざわざ憩いの時間に邪魔しに来るなんて」
「動かない大図書館ほどではないけれど、私も何の調査もせずに動くことはしない。今が貴女にとって都合が悪いというのなら、たまたま私が動いたときと重なったというだけ」
「動いているなんて、よく言う。どうせ今も体をゆっくりと休ませているだろうに」
「疲れたら、直ぐに休む。それが美容と健康の秘訣よ」
「年をとると色々と苦労するものなのね」
こいつも私も夢の中。
八雲紫が境界を操ったせいで繋がってしまった夢は、全てが彼女に支配されている。
夢の中で生かすも殺すも、彼女しだい。その気になれば私を無間地獄に落とすことだってできるだろう。
ただ、そんな混沌を、八雲紫が許すことはない。だから、私は今も嗤っていられる。
「で、調べて何か分かったの?」
「分からなかった。だから、こうして訊きに来たのよ。貴女は何?」
「昨日生まれた新参の妖怪。ただそれだけよ」
「生まれた経緯が気になるところね」
「いやらしい」
「否応なしよ」
そう言って、八雲紫は境界線上に座した。
ゆったりと座したままに彼女が向けてきた、その手の傘の先端に集まっていく力が、眩しい。
そのままそれを受ければきっと、一回は死んでしまう。死んでも死なない世界での死はあまりに無意味でつまらない。避けようとしても、どうせずれを正されるだけだろう。
圧されたというわけじゃない。ただ、下らないことは好きでもつまらないことはしたくなかった。だから、幾ら公言されても構わない、下らない事実を私は語る。
「まあ、簡単に言えば、私の方を見た人がいたから、彼を食べてみたというのが最初。そうしたら堕ちて、こうして姿を表せられるようになった、というわけ」
「貴女は神……というよりも高位の悪魔か何か、かしら。境界が薄すぎて分かり難いわ」
「どちらかと言えば、両方かな。私は成すものであって、勝手なもの。方向性のない気ままな力。けど、堕ちた今はただの妖怪。そういうこと」
「はぁ……厄介ね」
生まれるのが遅かったせいか、きっかけがなくて、守護神にも祟り神にもなれなかった私。
そんな私と目が合ってしまった十九歳はどれだけ運が悪いのだろう。創作を覗いただけで食べられてしまった私の一部には、痛みすら感じる間も与えなかった。
まあ、とても美味しかったし、後悔なんて欠片もしてはいないけれど。いや、そういえばごちそうさまを言ってなかったっけ。行儀が悪い。
そして、私は挨拶を忘れていたことに、今更気付いて苦嗤い。ああ、こいつに挨拶しなければならないのか、とも思うがそれが出来ること自体は喜ばしいことだった。
「改めて、初めまして。会えて嬉しいわ、管理者。大丈夫、なにも荒らすために堕ちて来たわけじゃないから。それなりにゆっくりと順応していくつもりよ」
「出来れば直ぐがいいのだけれど。新参者の癖に、随分と自分勝手な子ね」
「そう、私はまだまだ子供だもの。勝手なのは仕方ないわ」
「なら、大人が真っ直ぐに育てなければいけないわね。とりあえずこれだけは覚えておきなさい。――――幻想郷に禍を成したら、嫌というほど泣かすわよ」
「禍も三年、赤子は泣くのが仕事よ。善悪は後々覚えていくわ。まあ、その年相応の凄みは忘れられそうにないけれど」
「それだけ覚えていれば結構よ。餓鬼にそれ以上は期待していない」
「婆は子煩悩だからありがたいわ」
嗤いあい、私たちはその場で別れた。
直ぐに歪んで移ろう夢の形。あったはずの境界は、紛れてしまってもう分からない。
残ったのは足元の水仙だけ。綺麗に咲き誇るそれを引き抜いて、食んでみる。夢だからか、味はなにもしなかった。
けれども、蝕むものは確かにあった。それだけでも、今の邂逅に意味はあったのだと思う。
水仙、ナルキッソス。花言葉は「自己愛」、有毒植物の一つ。
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「……くぁ」
目を覚まして、目を擦りながら私は一つ欠伸をする。思わず漏れてしまった小さな声は可愛らしくて、余りに私に似合っていない。
可愛らしさは少女のものだ。そんなものは、隙間に捨ててしまいたい。
餓鬼は憎たらしく、ただ嗤っていればいいのだ。
「あれ……なんだろ、これ」
拾い上げてみれば、それは少女を模した人形だった。彼女は目を回して、気絶しているみたい。おかしな人形だ。
そこまで考えてから、ようやく私は思い出した。そう、昨日自分は野宿したのだということを。それも、鈴蘭畑の真ん中で。
季節は春でも夜は冷える。だから暖を取るために野生の人形を抱きしめていたのだけれど、寝心地は今一つだった。
永い間ばたばた動いて暴れていたし、毒が喉に絡んじゃうしで、散々。まったく、少しは人形らしくすればいいのに。
「ホント、動かなければ、こんなに可愛いのにね」
ほっぺをつんつん、つまんでポイ。むぎゅと声をあげて、彼女は鈴蘭の花に包まれた。
ああ、なんて可愛らしいのだろうか。人形の相手をするには遠慮がいらないから素晴らしい。
また動き出すことさえなければ、壊れるまで愛でられるというのに。
「そうだ、なら人形を作ればいいんだ。動かないお人形さんを」
でも、流され続けてきた記憶と、知識。それを漁って散らかして、それでも作り方は分からない。
代わりに見つけたのが、餅は餅屋ということわざ。十九年だけの年月でも、それくらいは学べたようだ。いい仕事をしている。
「あはは。腕のいい人形師はどこかしら?」
作ってもらえばいいというのなら、心当たりは一人だけ。
私をガラスのような目で観察していた彼女。確か名前はアリスさん。
居場所は魔法の森のどこか、だっけ。
「さあて、次の宿は決まったし、行きましょうか。ゆっくりと」
ふわりと浮かんで私は向かう。
妖精は私が動けば道をあける。邪魔は何一つなく、空は雲っていい天気。思わず鼻歌を歌ってしまった。
やがて、足元の地面は厄介そうな木々に覆われて感覚が狂い、それでも真っ直ぐに私は飛んだ。
そうして、着いた一軒家。風景と似合っていないのが素晴らしい、森の中の可愛らしい洋館。
トントンと、入り口をノック。少し経ってから向かってきた足音に、私は笑顔を作る。
出てきた少女にその歪んだ表情を向けて、私は口を開いた。
「こんにちは、人形のお姉さん。突然だけど貴女のお友達、お一つ下さらない?」
「はぁ……突然何なのよ、あんた」
嗤いながら手を振る私を見て、アリス・マーガトロイドは人の形を操るその手で額を押さえる。
そして連れて行かれた庭の端っこで振り返ってみたら、沢山の人形達が群れていた。
なおも集う人形に目を輝かせる私をよそに、彼女は溜息をもう一つ吐いてから、弾幕を放った。
避けて当てられて、弾いて切り裂く。軍団のように統制された人形達は、無機質で可愛い。そして、それを乱すのは、とても楽しかった。
でも、やっぱり人形は動かない方がいいな、と思った。
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