ゆっくり大妖怪   作:茶蕎麦

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第十五話 妖しい風

 

 

 

「くぁ。何か弾幕が濃くなってきた」

 

 春の陽気に芽吹き生えて青く茂った木々は、暗闇を生んでその中に妖かしを隠す。

 そんな森がこんもりと大きく盛り上がっているのが山である。そして、大きな神を頂いた今となっては杜でもあるのだろう。

 ゆっくり霊夢を取り戻すためにそんな危険地帯に向かった妖怪の少女だったが、近づくにつれて抵抗が激しくなってきているのを感じてきていた。

 圧され過ぎないよう気を付けないと、と守るべきものを追いかける少女は自分の身を初めて気にかける。そう、それは広く展開された眼前の弾幕を、容易く切り裂いていながらも。

 

 神社から妖怪の山に向かうまでに、遊ぶために寄って来て散っていった妖精たちとは、既に相手の格が違っている。

 何しろ、山の近くに居を構える大小様々な妖怪が、テリトリーを守るために異質なものに対して応戦しているのだ。またその中には、暇を持て余した弱々しい神もいたりした。

 

「ほら邪魔だよ、どいてどいてー」

 

 少女のその恐るべき大きな力に惹きつけられるかのように、そんな物語の中の幻想達は寄って来て、そして火に入る虫と同じく墜ちていく。

 小さな妖怪らが自分の妖弾によってあらぬ方向へと飛んでいくのを見ても、まるで気にせずそのまま無理を通して、彼女はゆっくり突き進んでいた。

 

「遊んでいる暇はないのに、どうしてこんなに寄って来るんだろ。ひょっとしたら私もちょっと、不安定になっているのかもしれないなあ」

 

 ゆっくりとすることが信条である少女でも、助ける時までそんなに暢気にはしていられなかった。

 尤も、そのために速さを増しすぎて形を崩し過ぎてしまえば、飛び散って辺り一帯が大変なことになるのは目に見えている。そうでなくても、今既に焦りで穢れが少なからず撒き散らされているようなのだ。

 だからだろうか、何とか幽雅にも思えるスピードを保持しながら、ふわりふわりと彼女は飛んでいた。

 

「うーん……まあ、緑一辺倒の気の利いてない山の色に、おかげで彩りが増えたと思えばこれでいいのかもしれないけれど」

 

 大妖怪は、小さな妖怪なんて、気にしない。気にかけてあげることも、餓鬼である少女ではあり得なかった。

 故に、彼女は対話もひねくれた言葉の応報もなしに、一、二面ボスのように派手で容易い妖怪だって問答無用でたたき落としていく。

 だから、焦る心の中で楽しめたのは、向けられた力の、その美しさばかりである。

 

「歓迎は弾で、っていうの殺伐とした流儀は私の好みに合ってるかな」

 

 避けて、斬って、当って、進む。無視して通るには隠れないその身を見せびらかしながら、やがて少女は妖怪の山の中程まで至っていた。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

「そこまでよ!」

 

 そんなゆっくりとペースを保った快進撃に待ったをかけたのは黒い影。

 その姿があまりに急に目の前に現れたために、少女も認めるために一旦停止しなければならなかった。

 

「くぁ? あ、こんにちは、烏さん。……へぇ。お出迎えは貴女一人きりなんだつまらないの」

「あやややや。迷子を追い返すためにそんな大勢も必要あるわけないのに。貴女は自己評価が過剰なのね」

 

 そして、見えた双方は、これ以上なく嫌そうな顔をしてから、軽口を叩きつけ合った。

 少女の眼の前に立ちふさがったのは、烏天狗の射命丸文。幻想郷最速を誇る新聞記者である。

 しかし、今はどうやら妖怪の山のいち社会人として動いているようであり、敬語を捨てて敵意を隠すことなく少女を睨みつけていた。

 

「あーあ。それなら、霊夢さんも一緒に連れてくれば良かったかなあ。そうすれば、動物園を楽しめたかもしれないのに」

「はぁ。全く、私は貴女のその余裕がことさら憎いわ」

 

 だが天狗という大妖怪を前にした少女は、畏れるでもなく邪魔な存在を無視して残念がる。

 少女は昔々にあった、山を守るため白い狗が群れを成して侵入者に立ち塞がる光景を覚えていて、それが存外楽しみでもあったようだ。

 動物好きは、彼に由来しているものではあるが、それを受け入れている彼女にとってそんな偏りは自分のもの同然で。

 だから、もっと近くて愛おしいゆっくりという動物を案じるあまり、うざったい烏一羽なんて可愛がる気も起きずに、彼女は文の強い視線を跳ね返した。

 

「もうっ! どうしてこんな時に私の邪魔するの? 今更なのは、遅すぎるんじゃない?」

「まあ、常々貴女を何とかしたいとは思っていたけれど……汚いドロドロに手を突っ込むのはある程度知ってからでもないと嫌でねえ。今関わる羽目になったのは、仕方なしのことなのよ」

「上からせっつかれたの? お疲れ様だね」

「その物分かりの良さだけは、私も嫌いじゃないわ。このまま黙ってUターンしてくれたら、好きにだってなれるかも」

「あはは。そんなの嫌だし、嫌いでいいよ」

「はぁ……じゃあ、立ち塞がるしかないわね」

 

 心底面倒だというように、文は溜息を葉団扇で隠しながら、ゆっくりと宙で構えた。

 その所作から多分な余裕を感じ取った少女は、目の前の強敵をくぐり抜けて先に進むのは困難であると予測する。まず、正道での突破は無理だろう。

 しかし、そんな現実はどうでもよく、天敵と勝手に認識している相手が困っている様を、喜び嗤うのが先決だった。

 

 カメラを置いてきていた文は、そんな憎い相手を自分の眼で見ることで、更にやる気が失せているのを認める。

 大した力を持つ不明というだけで、この明らかな餓鬼のために、(文にとって)真実を追求する素晴らしい仕事の時間を失ってしまったのは、どうでもよくないほど嫌な現実だったのだ。

 

「やれやれ。以前の働きが評価されたから、とはいえどうしてこう何度も犬みたいに山の門番のようなことをやらなければいけないのかしら。私はしがないブン屋ですのに」

「私はワンコは好きだよ。あれは人に好かれ易い形だもの」

「まあ、私だってただの犬がキャンキャン吠えているだけなら可愛いものと無視できるけれど、連中は自分を狼だと自称している飼い犬なのよ。実際はやる気がないのにそれしか出来ないから立場が奪われることを恐れて、文句ばかり。本当に、面倒だわ」

「社会人が大変なのは何となく分かるけれど。でもそんなしがらみを乗り越えてまで、どうしてこんなに小さな私の邪魔をするのかな?」

「何するかわからない貴女が何をしたいのか、その確認を取るために私は呼ばれたのよ。そんなこと、誰もやりたくないのに、今回は大天狗様が過去の成果を持ちだして来たから、仕方なく私が引きずり出されたのよね。貧乏くじを引いちゃったわ」

 

 

 

 それは秋の紅葉が綺麗だった年に、急に山の神様が現れて妖怪の山全体がその対応に難儀している際に、見知ったものであるからと侵入者との渉外を任された時の大功。

 機転を利かせた文は天狗社会に矛先が向かないように戦いわざと負け、そして胡散臭い神様をよく知るために、何の後ろ盾もない単純明快な侵入者とをかち合わせることで、上手くその神様の性格を捉えることに彼女は成功した。

 信仰を求めるばかりの偉そうな神様は、天狗社会の邪魔になるようなものではないと、そうして認めることが出来たのだ。

 

 それから山と神様の距離は一気に縮まって、益があれば互いに手を取り合うようにすらなったのだから、文が上手く引き出した利は真に大きく実ったといえる。

 そう、射命丸文の働きは長命な妖怪たちが一年二年経ったくらいで忘れることの出来ない程に、目覚しいものだった。

 だからこそ、神社の方から来たよく分からない化物に対しても、相応の対応が取れるのではないかと期待されるのは、仕方ないことであったのかもしれない。

 

 しかし今回ばかりは、面倒な上に、またもや仕事を取られた白狼天狗達から受けるやっかみを考えれば、文だって出来れば拒否したかった難事である。

 だが、無駄に少女との縁があったために、この渉外の仕事は受けざるを得なかったのだった。

 

 

 

「サボタージュすれば良かったのに」

「上司に向かってそんな子ども染みた反抗出来ないわよ。それに私は貴女の一番の目撃者だから…………ああ、あれは、酷かった。第一印象からして貴女は最悪ね」

 

 射命丸文は、あの日あの時を思い出す。

 何もないはずだった空から誕生した、大き過ぎる力。それによって引き起こされた局地的な異変。

 唐突過ぎて、事態をファインダーに収められた数もわずかで、その全ては不鮮明。そして創り出された少女の形は、文にとって目にも入れたくないほどの最悪だった。

 

「貴女は見ただけ、いや見【取れた】だけで妖精程度なら一度は命を落としてしまうほど、穢れていた。おまけに見逃せないくらいの力と怨念染みた美醜を揃えていたのが質の悪い所。貴女が生まれてから少しだけで、どれだけ幻想郷の五大が乱れたことか」

「誕生に伴う痛苦は当たり前……って言いたいけど、見せびらかしてたのはごめんなさいって謝りたいかな。自棄になってたことは反省しないと。もう、あんな風に戻りたくもないし」

「そうね……今は表面的には収まっているようだけど、貴女がそれほどの穢れを溜め込んだ危険なものであることに変わりがないわ。今回の目的は知っているけれど、それ以外にも腹に何か隠しているかとても信用出来ない。不明すぎるのよ」

 

 余裕を保つためには、確とした情報を持つことも必要である。

 あんな心底全てを穢してしまうような絶望的な存在を、文は知らない。少女が人の形を真似た妖怪と成りきった今ですら、瞳の奥からその不明が垣間見えるような気すらしてくる。

 

 故に、嫌でも自分から構わなければならないのだ。心に生まれた恐れを殺すためにも。

 そも、不明を明るくするのが記者であり、それが出来ないというのは、射命丸文にとって一等嫌なことであったのだった。

 

「それって、ただの取材不足なんじゃない?」

「そもそも貴女、上手く写らないじゃないの。印刷してからもうぞうぞと蠢き続けているだなんて、あまりに写真うつりが悪すぎるというものよ」

「私の偶像崇拝は、禁止だからね。でも、目に映ってあげるだけ、私は優しい方だと思うけれど?」

「最近ようやく吸血鬼も撮れるようになったのに、これじゃあまた河童に頼んでバージョンアップして貰わなきゃならないわ。勝手に真実を写し取るのが写真というもの。それを否定して神様を気取るのもいい加減にしなさい」

「嫌。あくまで私は肖像権を主張するわ」

 

 ノーライフキングに、魂を取ると噂された道具が効かなかったのは今や過去の話。しかしそこまで応用性が増した取材道具であっても、少女を捉えることは無理なのだ。

 瞳に映る不愉快な現実を写すことすら出来ない少女の不明。これでは到底、真実にまで届き、それを伝えることなど出来はしない。

 

 誕生(ハレの)日に死(ケガレ)を纏う、そんな少女の正体を知るには、どうすべきか。

 

「ま、最後は自分の眼に頼る他にないってことかしら」

「別に私は目にも映らない速さで動くなんて、邪道はしないし。ゆっくりと貴女を退けてから前に進むだけ。そう、焦って暴露するようなことは決してないわ。私が何か、なんていうのは私だけが知っていればいいの」

「でも、それでは私も貴女も困るわよ。私が何も報告出来なければ、交渉決裂ということで、山は貴女の敵になる。そうしたら、真っ先に貴女の弱点であるあの生き物が狙われることでしょうね」

「くぁ……それは確かに嫌だなあ。うーん、私はどうすればいいの?」

 

 少女がゆっくり霊夢という自ら創り出した生き物を大事にしているということは文も既に報告済みであったが、それは働きを示すためというより、もしもの時の保険だった。

 真正面からぶつかりたくないという、そんな不明に対する恐れ。それを、老獪な天狗は呑み込んで、品定めする眼を光らせる。

 余裕を持って浮かんでいるのは大雑把に見て、黄色と白と、赤と黒。仔細は近寄らなければまだ判断不能だ。だから、少女の真実を知るために、文はまず宣言をした。

 

 

 

「だから、貴女が妖怪の山に入りたいというのなら――――私の密着取材を受けてからにしなさい!」

 

 

 

 その裂帛の気合によって、文の周囲の風は狂って渦巻く。それが、ただ気の抜けた心に少し気を入れただけのことであるのが、驚異的である。

 千年も【生きて】いる大妖怪は、最早風など術を使うどころか力を篭めずとも気分に則って従わせることが出来た。普段のように、風に隠れて威を隠すことだって、お手のものであるが。

 そう、文はそれだけ世界に馴染んでいて、だからこそ彼女は異常を睨んでしまうのだろう。

 

「あはは。うん、分かった。それじゃ、一緒に遊びましょうか」

 

 幼い大妖怪は、そんな天狗の力の片鱗を嗤い。

 そして、少女は未だ一枚だけしかないスペルカードを胸元から取り出し、誘いに応じる。

 心の片隅でゆっくりの無事を想いながら、しかし少女は全力でこの勝負を楽しむことを決めていた。

 

 本気でなければ、負けてしまうだろうから。

 

 

 

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