ゆっくり大妖怪   作:茶蕎麦

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第九話 暗闇が怖くてはゆっくりできない

 

 

 

 宵闇の中で、私はまた浮かぶ。

 欠け始めた月には丁度雲がかかっていて、光源の少ない辺りが暗さに紛れて溶けていた。

 そんな曖昧な光景は、私にはどこか心地の良いものだと感じられるもの。目を瞑れば更に、楽しくなった。

 横を真っ黒い球体が通り過ぎたりもしたが、それに囚われることなく私はゆっくりと空を飛んでいく。

 

 そうして人形や人間等の有象無象の視線から逃れた私は、両手で包んだ人形に語らせていた。

 

『……それで、結局、弾幕ごっこが出来るようにはなったのか?』

「まあ、妖怪や妖精相手なら直撃してもボロボロになるくらいの威力に抑えられるようにはなったから、妖怪みたいな人間に使っても大丈夫だと思うよ。たぶん」

『実力は?』

「接近できればそこそこで、弾幕を爪で切ってもいいならそれなりかな。耐えてもいいならかなりのものだと思うけど」

『距離を開けられたら?』

「妖精以下」

 

 美鈴さんの元で、それなりに学ぶことも慣れることも出来た。それでも、出来ないものを可能にするには到底時間は足りていなかった。

 弾幕も当たらなければどうということはないけれど、それ以前に届くことすらなければ構える必要もなくなる。

 弾が飛んできたら普通は退くもの。それでも私は飛んでくる弾を防ぎながら自ら迫って、相手を嵐のような弾幕に巻き込むようにしなければならない。

 近づいて、捕まえる。それが今私に出来る全てだった。

 

「思いっきり展開できないのは気持ち悪いけれど、でも、これで強盗まがいのことをしなくていいようにはなるのかな」

『普通に対価を用意すればいいじゃないか。弾幕ごっこで勝ち取るというのもどうかと思うぞ』

「そうだね。相手の厚意に甘えてばかりでもいけないか。働き口を探さないと」

 

 でも、直ぐに思いつくところを挙げてみると、人里は無理に決まっているし、妖怪の山は排他的な雰囲気だし、で私が働けそうなところは中々なさそうだ。

 高い所に居る人たちとって私は穢れの塊に他ならないし、地に潜るというのも会いたくない者に会うかもしれないから遠慮したい。

 そう、これから謝罪しにいく予定の妖怪が主をやっている所で職の無心をするのもどうかと思うけれど、これではひょっとしたら紅魔館が第一候補に挙がるのかもしれなかった。

 

 まあ、選ぶにはもう少し時間は必要。それに、私があまり先のことを考えるのもどうかとは思うから、今は流れに身を任せておくとしよう。

 

『そういえば謝りに行かせておいて何だけれど、彼女、許してくれなかったな。明日もまた行く予定みたいだけれど、今度は許してくれると思うのか?』

「さあ、どうかな。まあ、明日でないにしろ、何時かは許してくれると思うよ。レミリアさんは子供っぽかったけど、器が小さいということはなさそうだったから」

『ふうん。一目でそこまで想像出来るのも凄いな。あ……そうか。確か大体の妖怪は【生まれる前】に見たことがあったんだっけ?』

「ここらの空を漂っていた時に大体ね。でも、家の中から出てこない子は私も見たことないなあ。何時だかに大図書館さんは何度か見かけたことがあるんだけれど」

『へぇ……それはきっと珍しいことじゃないのか? 膨大な時間の中には、そういうこともあるんだな』

「時間じゃなくて、機会の問題じゃないかな? パチュリーさんが動くときは大抵騒動が起きていたり、むしろ彼女が起こしたりするから、思ったより分かりやすかったりするよ」

 

 動かない大図書館といっても、生きているからには求めて動く。

 恐らく彼女が未熟であった百年くらい昔には、頻度は少なくとも自ら外出して知識を仕入れるようなこともしていた。

 生粋の魔法使いは生きるために奪う必要性が乏しいからか、知識欲ばかりに偏って起こすその行動は、理解し難い突飛なものが多かった。

 そういえば私も生まれる前に、見られることさえなかったけれど、調べられたことはあったような気がする。

 

 きっと、好奇心旺盛な彼女は全ての本を読みきり研究し尽くしてしまったら、動き回る大図書館に宗旨替えするのだろう。

 まあ、そこまで彼女が長生きするか分からないし、アウトドアな日常を送るパチュリーさんなんて、私にはとても想像つかないけれど。

 

 

 そう、空はこんなに暗くて不明で、幾ら尊いものがそこにあっても、雲があればそれを覆い隠してしまえるのだ。

 だから、手を伸ばして払わなければ価値の分からないものもあるのだろう。見たり読んだりしているだけでは分からないことも、きっとあると信じている。

 生きれば、そう生きてさえいなければ手に入らないものも、あるに違いない。不明は、きっと生きるためのものだ。

 

 そんな風に考えて、私はずっと皆を羨んでいた。

 

 

「でも、生きることも大変だよね。ゆっくりとでも、進んでいかなければならないから」

『幻想郷ではまた違うかと思ったけれど、そう変わりはしないな。みんな狭い中でしっかりと生きている』

「生きようとしていなければ、死ぬ価値もなくなってしまうものね。それでも、最後まで餌としての価値は残るのだけれど」

『そうだな。でも、まあひょっとしたらその方が楽でいいのかもしれな、い――』

 

 

 

「――――黙りなさい。本物は、そんなことを言わない」

 

 

 

 私は二枚舌を噛み切り、潰す。

 ついつい力が入ってしまった両手は、危うく人形を裂いてしまうところだった。

 

「ああ、空しい」

 

 私を見てくれた彼はいない。

 そう、お行儀良く綺麗に食べてしまえば、亡骸さえ残ることはないのだ。

 

 誰も私を見ていない中、夜風に冷えた体を震わして、私は私を抱きしめた。

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

「紅魔館へ、ようこそいらっしゃいました。貴女が懲りずに来訪したことを、お嬢様は誠意として認め、歓迎するそうです」

「はぁ……」

 

 来訪を伝えるために美鈴さんが門の中に引っ込んでからしばし待って、ようやく出てきた人間のメイドさんに、私はそんなことを言われた。

 その率直で素直な言葉も、レミリアさんの発言を彼女のフィルターに通して伝えてくれたものだと分かれば、気にはならない。

 きっと、私の気質くらい理解している十六夜咲夜さんは抜く必要のない棘をわざわざ残しておくいてくれたのだろう。

 こちらにとって、それはとてもありがたいこと。主従揃って素敵な人たちだと、私は思う。

 

 

 その後、入れ違いで門の守りに就いた美鈴さんとばいばいで分かれた私は、咲夜さんに連れられて紅魔館の門を潜る。

 遠目からでも霧に紛れた湖の青に誤魔化されることなく、はっきりと映っていた屋敷だったけれど、近くで見るとまた目が覚めるくらいに紅かった。

 それも単調であるというより、純粋すらを感じられるくらいに赤と紅の配色の上手さが際立っている様には、赤色への拘りが自ずと窺い知れるものだった。

 

「うわっ、広ーい……」

 

 そして、屋内に入ってみれば、外観が嘘であったかのように大きな空間が広がっていた。

 力の強い妖怪が篭っていても窮屈さを感じないだろうと思えるくらいに、端から端までが遠い廊下に私は思わず舌を巻く。

 これが人の持つ能力によるものだというのだから、驚きはひとしおだ。

 

 私はそのままぼうっと眺めることに時間を浪費して、ふと振り向けいてみればそこに居たのはメイド長。

 黙して、控えて、相手のペースに合わせて彼女は先を案内してくれる。おかげで右も左も分からないのに足取りは軽く、意識せずとも道を違えることもない。

 たまにすれ違う妖精のメイドさんたちに軽く会釈しながら、私は知らずに連れられたまま目的の場所へと進んでいった。

 

 

「失礼します。お嬢様、【彼女】をお連れしました」

「そう、後は私に任せなさい。下がっていいわよ、咲夜」

「承知しました」

 

 ノックを切欠に、幾つもあった大きな扉の中の一つを挿んで、そんなやり取り。

 こちらを向いて成されたお辞儀にお辞儀で返して、顔を上げたら既にそこには咲夜さんは居なかった。

 慌しくはないけれど忙しい人だなと思いながら、私は彼女が開けてくれた扉からその部屋へと入る。

 

「こんにちは」

「ええ、こんにちは」

 

 箸を膳に置いて、レミリアさんは入室した私に顔を向けた。どうやらお食事を終えた丁度その頃に、私は着いていたようだ。

 挙げた片手を合図に彼女は妖精メイドにお膳を下げさせる。ちょこんと上がったその手は微笑ましいけれど、彼女より私のほうが丈が短いことを考えると、ちょっと嗤えない。

 

「ふーん。炒れば天敵、腐らせれば好物、かあ……」

「別に、食べられなくても両方敵でも嫌いでもないわよ。元々、私自身豆に思うところがあるわけではないからねぇ」

 

 鼻についた独特な香りに、私は思わず溢していた。

 吸血鬼が納豆好きとは意外だった。昼食に納豆ご飯と血液入り紅茶しか頂いていないレミリアさんの小食ぶりも、驚くべきことではあるけれど。

 まあ、発酵食品らしい独特な匂いも悪くはないものだ。それにこれでも私は和食党だと思われるくらいだから、快い香りにすら感じられていた。

 十九年間で食べたパンの数は八十九枚と、食べかけが半分くらい。それは給食でパンとおかずを交換してくれる奇特な友人がいたからこその数字だったろう。

 

 でも、私にはそんな人は居ない。だから、食べるのならば最後まで一人でなければいけなくなるのだろう。

 

「来るのは分かっていたから食事を用意させても良かったのだけど、特に必要はなかったでしょう?」

「そうだね。きっと沢山あっても私が食べたいものはないと思うから、無駄にならなくて良かったよ」

「そう。貴女、好き嫌いも程ほどにしておくことね」

「うん」

 

 まあ、確かに好きなものばかりを欲している私は子供なのだろう。

 レミリアさんにたしなめられることを想像していなかったあたり、私も相当なものだと自覚する。

 私は別に子供でも構いはしないけれど、気付いた範囲で礼儀を欠くのは耐えられない。

 だから、丁度彼女が開けてくれた会話の隙間に、頭を下げて謝った。

 

「あの夜のことは、ごめんなさい」

「もう、気にしていないわ。そうね、別に許してあげてもいいけれど――――ま、お前もただで許されては困るだろう?」

「うん。賞罰は早く受けておかないと、後が怖いものね。私は先のことまで考えられないから、早めに精算をしておきたいわ」

「立つ鳥跡を濁さず、か。もっとも、あんたに何かやらせるにしても、人手が足りていないのは一つくらいのものだけれどね」

「それがよっぽど無茶なことでなければ、どれだけ出来るか分からないけれど私も喜んで仕事を受けるよ」

 

 やる気があるのを誇示するために、胸を逸らして語る私はまるで嘘をついていなかった。

 それもどうかと思うけれど、元来満足に生きるために行う仕事というものに興味はあったのだから、喜んでしまうのも仕方がない。

 まあ、内心はともあれちゃんとこなせば、罰にはならなくとも償いにはなるからそれでもいいと割り切っておく。

 私はそれがどれほどの難題であるかも知らずに、人知れず興奮をしていた。

 

 

「そう。なら妹の遊び相手になってくれたら、私としてはとても助かるのだけれど?」

「え? あ、ええっと……」

 

 確か、妹さんの名前はフランドール・スカーレット。見たこともない少女の狂った笑顔が頭を過ぎる。

 私は彼女のことをまるで知らない。空気の澱んでいる紅魔館に私が流れ込むことはなかったのだから、それも仕方ないことだった。

 確度の低い僅かな情報だけはあるけれど、それにしたって彼女の危険性を証明するばかりのものだ。

 495年もの間、紅魔館に篭っていたらしい相手と私は満足に遊べるのだろうか。遊ばれて散らかされてしまうのは流石に困る。

 

 それは、任せてくれと即答するには難儀な相手。先に訊いておいた方がいいことは沢山あった。

 でも、不明を怖がってどうするというのだろう。自信をなくしたからといって、私はどうしてこうも弱気になっているのだろうか。

 闇を怖がる妖怪なんて、おかしい。冗談の中でもそんなことはあってはいけない。

 

 ほら、口を噤んだ私を見て、レミリアさんも声を出さずに嗤っている。

 

 

「愚鈍ね。脳なんていう単純なもので考えているから結論が遅れるのよ。どうせ、本当はもう決めているだろうに」

「はぁ……そうだね。たぶん、私に出来ることはそれくらいだろうし」

 

 私は未だに明るくない。知らないことの方が多すぎて、調子を悪くした私では思わず進むことを躊躇していた。

 だからといって、模していたとしても、別に頭だけを使って悩む必要はなかったのだ。私の全部を使って読んで計算して、ゆっくりと答えを出せばいい。

 それでも、きっと早くて上等な答えが出る。一部が全てに敵うことなんてありはしないのだから。

 

「任せて。私が思いっきり、妹さんを怖がらせてあげるから」

「今度は理解が進みすぎね……まあ、こちらからもお願いするわ。フランを頼んだわよ」

 

 光の少ない暗闇の中で私は一歩を踏み出した。

 でも、その一歩が思ったより遠くまで届いてしまったことに、苦嗤い。

 レミリアさんが期待している事柄までを理解して、私は人形の入っている胸ポケットをそっと押さえて撫で付けた。

 

 

 

 

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