「――なぁ、博士よ。これってさ」
「うん、原子力潜水艦だよね。間違いなく――」
その日。タバネサブマリンのクルーはとある6000m付近の海底で、一隻の原子力潜水艦の残骸を発見した。
それ自体に問題はないのだが、問題は海流に押し流されて海を漂っていたその残骸が、放射能を纏っている事にあった。
放射性物質に対して束が無駄に高い耐性を付与したタバネサブマリンだから良かったものの、その性能が無ければ最悪クルー全員が被曝するのもありえた。
そう考えると秋斗を含めた全員の背中に冷や汗が垂れる思いである。
この発見に際し一同は、一先ずコレに対してどう対応するかを議論した。
「――ダイオウイカよりよっぽど怖いんだけど」
「だよねぇ。で、どうしようか。コレ?」
束はモニターに映る残骸を指差し、秋斗とクロエを振り返った。
回収するにしても放射能塗れな残骸など誰も欲しいとは思わない。流石の束でもだ。
「――放っておくしかないのでは? それ以外に何か出来ますか?」
クロエが真っ先に言った。
「束様なら汚染を除去する方法も作れるかもしれませんが、そこまでして回収する様なモノでも無いでしょう?」
「でも放っておくにしても、コレがこのままずっと海を漂ってるってのは、流石に気分悪いぜ? 今後、気分良く魚食えるか?」
「……まぁ、それは確かに」
秋斗の返した意見にクロエは思わず頷いた。そして束の方を振り返った。
「ん~汚染の除去なら何とかなるけど……やる?」
すると束は少し悩むように顎に手を当ててから、珍しく乗り気でない提案をするように秋斗の方を向いた。
海底に漂う放射性物質に対しては、それを食べるようにプログラムしたナノマシンを散布する等して汚染を除去する装置自体は作れるかもしれない。
しかし最終的にもっとも大きな汚染物質である原潜本体の残骸の片付けは秋斗による手作業だ。
深海で放射能洗浄――これ程に危険な仕事は他にないと束は言う。
それに対して秋斗は小さく溜息を吐いた。
「――ISを使ったら何とかなるか?」
「まぁ、なんとかなるね。宇宙空間を想定して放射能云々についての対策は真っ先にしてあるし。だけど――」
「どうした?」
「別に~。ただ凡人の尻拭いみたいであんまり気分が乗らないな~って」
束は心なしかアンニュイな表情を浮かべて言った。
「ISの性能を使って掃除するのは良いよ。だけどこんなまともに扱えもしない
束が心なしか不機嫌に見えたのには理由があった。
ISの性能を使って困難を実現するのは構わない。
しかしその困難が、他でもない束の嫌う凡人の汚した後片付けという状況が気に入らないのだ。
「――いつだったか、アルフレッド・ノーベルにはなりたくないって言ったけどさ。実際、束さんもそうなりそうな気がするよ。たぶんISを広めても、結局それを使うのはああいう馬鹿なんだもん」
「束様――」
束はモニターの奥に写る原子力潜水艦の残骸を顎で指した。
掃除も回収もまともに出来ないから放逐する――
一応大丈夫だからと放逐する――
束も割りと好き勝手に振舞う方だがそれでも自分で管理が出来ないレベルの代物を平然と使い、それを投げ捨てるような行いはしない。
少なくとも束は、科学に対しては真摯であった。
故に、目の前の残骸を見て、束は珍しく気分を害していた。
「――他人にあれこれと好き勝手に在り方を決められたく無いなら、それこそ博士が率先して使い方を示してくしかねぇよ」
「ふぇ?」
とそこへ秋斗が口を挟んだ。
秋斗は首をかしげる束に対して、あっけらかんと言った。
「他人を思い通りに動かすより、自分なりに考えて動く方が早い――違うか?」
「まぁ、そうだね。だけど――」
「なら、答えは簡単――思うままに動け、だ。俺達がいつもやってる事だろうが」
「っ!?」
秋斗のきっぱりとした言葉に束は思わず虚を突かれたという様子を浮かべた。
自ら証明する。その原動力こそISを生んだのだ。
ならばそこから先も同じである。
ISに賭ける何らかの想いがあるのなら、それを率先して自ら証明するのが正しい――
秋斗は暗に、そう束に指摘した。
「いっその事、『サルでも判るISの正しい使い方』っていう本でも書いてみたらどう? で、IS学園の教科書として配布する、みたいな――」
「なにそれ――」
カラカラと笑う秋斗の笑みに釣られて束は笑った。
クロエもそれに釣られて笑いながら、「それならIS学園の講師に就任して、束様の望むように生徒達を洗脳してみてはいかがでしょう?」と提案した。
「――面白い提案だけど、流石に洗脳って言い方は止めようぜ、クロエよ」
「ですが教育なんてそんなモノなのでは?」
「まぁ――確かに?」
クロエの過激な意見に秋斗は思わずそうツッコミを入れるが、歴史教育などを思い出すとあながち間違いでも無いかと思ってしまう。
そんなクロエと秋斗の脇で、束はふと考え込むように腕を組んだ。
「ねぇ、あっくん」
「ぁん?」
「くーちゃんの言う通り、IS学園で先生やるってのも意外に悪くないかもね」
「……え?」
秋斗は束の口から漏れた予想外の提案に思わず固まった。
☆
IS学園の職員室。
各クラスの教員達がこの日の授業の準備を始める中で、千冬は一人、疲れた顔でコーヒーを煎れて朝刊を手に休息を取っていた。
本来の千冬の立場は技術指導教官で、元々は各クラスのISに関する実技を取り仕切る側の人間だ。
故に朝からHR等の対応を要求される他の教職員とは違い、多少は時間にゆとりがある方である。
しかし最近は学園教職員の中でもっとも多忙な立場だと自他共に認識されるようになった。
なぜか?
それもこれも全ては弟一夏がISを動かした事でIS学園に強制編入した事と、もう一人の弟にして現在世界から失踪中の弟秋斗が世界最大級のダイオウイカを発見すると同時に束の元で第二の男性IS操縦者と化した事実が明らかになったからだ。
加えて一学年の副担任という立場から、今後学園に訪れる編入生の対応にも追われている。
「ったく――」
千冬は無愛想な顔の裏で、弟2人の今後の将来を案じて深い溜息を吐く。
本気の心配がそこにはあった。
――が、しかしそんな心配を余所に一夏はIS学園で顔を合わせて早々危機感の薄い顔で「げぇ、関羽」というあまりにあまりな普段通りのリアクションを返し、秋斗は相変わらずな好き勝手に更に拍車をかけて、連絡の一つも寄越さずに自由気ままに“天災”と行動を共にしている為、ひどく内心ではイラついていた。
振り回されるのはいつも私だ――
と千冬は思わず自前の握力で陶器のコーヒーカップを握りつぶしそうになった。
「――あの、織斑先生?」
「更識か。どうした?」
と、そこへ一人の少女が千冬を尋ねてきた。
IS学園2年に属す更識楯無であった。
彼女は生徒会長としてIS学園を取り仕切る立場にあり、故に顔には千冬と同じ強い疲労を浮かべていた。
それはとても17歳の少女の顔では無く、言うなれば42歳でリストラにあった世の男性に近いだろう。
そんな楯無は何時もの快活な雰囲気も、常に纏う妙な胡散臭さも消して、ただ言い辛そうに沈痛な面持ちで千冬に要件を告げた。
「先日の続きです。織斑秋斗君について詳しく話を聞きたいと委員会が――」
「その件はもう捨て置けと返事をしておけ」
「出来るならやってます」
「――――っ」
楯無の言葉に間髪入れずにそう答える千冬だったが、楯無は余命を告げる医師のような面持ちで首を横に振った。
それを見て千冬は思わず舌打ちをした。
最近はこの手の話題ばかりだった。織斑秋斗に関する情報請求と、それに付随して発生する各種問題への対応。
それに千冬と楯無は追われていた。
秋斗がダイオウイカを発見したと同時に明るみになった第二の男性IS操縦者としての資格。そして天災篠ノ之束に最も近い存在である事実。加えて秋斗の存在が明るみになるにつれて明らかになる第二回モンドグロッソの裏の真実――
大衆には多くを秘匿されて報じられた日本政府最大の失態とも揶揄される『テロ事件』の全容が、今更になって織斑秋斗の名前と共に掘り起こされるのだ。
千冬は身内として、楯無は更識という日本政府が有する対暗部用暗部という家柄として――
それぞれが織斑秋斗という存在に大きく振り回された。
それがこの数日である。
――逆に考えるとそうした秋斗の天災ぶりがある所為で、もう一人の弟一夏の方で掛かる心労が程よい気分転換になったのは、ある意味で皮肉だと言えよう。もしも束のところから派遣された元千冬の教え子であるラウラの存在がなければ、恐らく2人のうちどちらかは過労で倒れていた。
と、そんな風に千冬は思った。
「織斑先生――」
「わかった。わかった。対応すればいいんだろう。ったく――」
千冬はまだ煎れたばかりの熱いコーヒーをグイッと飲み干し、ダンッと机を叩いて席を立った。
委員会を初め、学園に話を聞きにくる各国の内心は透けて見えた。
織斑秋斗は現状、天災篠ノ之束の足跡を辿る唯一の痕跡なのだ。
そして織斑一夏とは違い現在失踪中という身の上。その為に何処もかしこもが、その最終的な帰属先を自国にしようと目論んでいるのだ。
確かに千冬から見ても、織斑秋斗が取れればそれに付随して何らかの形で篠ノ之束にも干渉できよう。故に秋斗が今後、IS学園に属する事になれば、あらゆる障害を踏破してでも積極的に関わりを持ちたいと考えるのは普通である。
そしてIS学園で織斑秋斗を受け入れる用意があると、その意思の確認だけでもしておきたい。というのが現在、対話を要求してくる者達の思惑であると千冬は推測できた。
――しかし千冬は思った。
「
千冬が吐息と共に内心をはき捨てた。
いつだって奴らは人の想像の斜め上を飛ぶのだ。御せるならそれこそ、とっくの昔に千冬自身が己の手で2人を御していると、千冬は思った。
その瞬間、千冬の持つ携帯から着信のベルが鳴った。
反射的に電話を取って宛名を確認した千冬は、そこに『束さん♪』という表記があるのを見た。
「――――」
「お、織斑先生? あの――」
千冬の纏う雰囲気が変わるのを楯無は間近で目にした。
楯無が恐る恐る千冬に声をかけると同時。千冬の手の中で携帯が音を立てて軋んだ。
「もしもし――」
『あ、ちーちゃん? やぁやぁやぁ。久しぶりだね。元気にしてた♪』
「あぁ。おかげさまでな。思わず縊り殺してやりたいほど気分が高揚している」
『それはよかった。とりあえずビールでも飲んでリラックスしなよ』
「相変わらず面白い事を言う奴だな」
『そうかな? じゃあもっと面白い事を提案するよ』
漏れ出した殺気に青ざめる楯無を尻目に、千冬は能天気に電話を寄越してきた束に応答した。
その時点で千冬は予感にも似た寒気を感じた。
そして案の定――
千冬も最初こそ落ち着いた様子で会話を続けていたが、程なくして声を荒げた。また同時に卒倒しかけた。
「――ふざけるな馬鹿モン! 一体、何を考えてるんだ貴様は!」
『何ってそんなのISの未来に決まってるじゃないか。その点だけは昔から真摯だよ私は。でね、ちーちゃん。束さんもそろそろ表舞台に立つ日が来たのかなって。あっくんも他人に期待するより自分で動いた方が早いって言ってくれたしね。まさにその通りだと――』
「~~っ!?」
職員室にある全ての視線が向かうほど声を荒げた千冬は、そこで絶句した
「――あの、織斑先生。一体何が」
それまで一歩引いた立場で様子を静観していた楯無だったが、好奇心を抑えきれずに遂に尋ねた。
すると千冬はチラリと楯無の顔を見た。
そして机の上にあった付箋にサラサラと情報を書き、楯無に渡した。
――束と秋斗が放逐された原潜の残骸を海底で発見。現在ISを用いて汚染に対応中――
「っ?!」
情報を扱うその道のプロであった事が幸いして、楯無は驚愕を外に漏らす事はなかった。
が、同時に思った。
こんな情報を渡されてどうしろというのか?
更識刀奈改め更識楯無は強く困惑した。
すると千冬は一端電話を脇に置いて、小声で手短に言った。
「――以上を含めて今後は
「っ!?」
その言葉を受けた楯無も、余りの問題の大きさに千冬と同じで卒倒しそうになった。
そしてこれほどの大事件の渦中で生徒会長をやる事になった自身の不運に対し、楯無は『厄払いしよう』と強く思った。
――しかしこの時、重要な事実がもうひとつ存在した事を2人は知らなかった。
実は放逐された原子力潜水艦の残骸から計34基の核弾頭が発見されたのだ。
そして束達により秘密裏に回収されていた事を――
つまり束を受け入れるという事はそのままIS学園が“核武装”するに等しいという事実を、この時の2人は幸か不幸か知らなかったのだ。
そしてこの後。
束が学園の特別顧問兼講師に就任する事を知った各国は、その目論見に悉く挫折して天災の天災たる片鱗を目の当たりにする事になる。
そして人の手に負えないからこそ天災なのだ――と世界は再び天災を思い出す事になった。
筆が進んでこんな話が生まれてしまった……
主人公の今後は判りませんが、ウチの束さんならありえるかなぁっと。
そして放逐された原子力潜水艦のモデルはK-219です。
世界を滅ぼすトレジャーを見つけるのも冒険モノのお約束かと――