トンネルの壁面に叩きつけられた車の車内に、もうもうと白煙が満ちた。
運転席に座った秋斗はクラッシュの衝撃で、意識を失った。
――――そんな秋斗が夢の狭間で見た“光景”は、酷く懐かしいものであった。
☆
「――――ここは?」
エアーズロック。
夕日が浮かぶオーストラリアの荒野に秋斗は立っていた。
その光景を前にして秋斗が思ったのは、前世でこんな風景を見たという懐かしい感想だった。
『――ココは
「ぁん?」
唐突な声に、秋斗は振り返る。
そこには、薄ぼんやりと輝く“謎の光の塊”が漂っていた。
光の塊は秋斗の対面に浮かび、そして子供のような――少女のような声で秋斗に語りかける。
秋斗は
それは普段、首から提げる懐中時計――ISコア501の持つ“意識”であった。
「お前は、アレか? 懐中時計のISコアか?」
『そう。貴方を観測するために生まれたISコア。ナンバー501』
「そうか。そいつは……なんって言うか、はじめまして?」
『はじめまして』
秋斗の挨拶に501は同じ様に返す。
その言葉と共に明滅する501の輝きが、不思議と言葉に“感情”を込めている様子に思えた。
秋斗はそこでふと、なぜ501と話す状況になったのかを疑問に思った。
「それで聞きたいんだが、なんで俺は此処にいる? 確か俺は――――」
秋斗はそこで思い出した。
亡国機業のテロリストから逃げ、何とかIS学園にたどり着こうと奔走していた事。
そして追撃する“オータム”を機転で何とか倒し、あと少しのところでヘリからの銃撃でクラッシュした事を――――。
秋斗はそこで思った。
「……俺は死んだか?」
口にすると余りに荒唐無稽な話。
だが二度目ともなると流石に慣れが有るのか、秋斗は不思議と状況を俯瞰して見るような、風に漂う凧にも似た気分で501に尋ねた。
『いいえ。まだ生きてる。だけど瀕死』
501は淡々とした調子で言った。
その返事に秋斗は、『流石に死んだか……』と、先程までの状況を他人事の様に思った。
秋斗はそこで一つ、溜息を吐く。
「瀕死ならココは一体何処だ? 三途の川的な場所か?」
『違う。ココは秋斗の心象風景。つまり、秋斗の心の中にある最も深い意識の中――――』
「へぇ」
秋斗は周囲を見渡し、そう短く吐息を漏らした。
――――悪くない。
自分の中の風景を見て秋斗は素直にそう思う。
『――――秋斗にずっと聞きたい事があった』
「ぁん?」
501は明滅を繰り返しながら、言葉を放つ。
『秋斗は“
「……そいつはまた、随分と“漠然”とした質問だな?」
501からの問いに、秋斗は思わず苦笑を浮かべた。
対する501は、不定形な光の姿で明滅する。その声の調子は淡々と、そして何もおかしな事は尋ねていないと言う真面目な様子であった。
『私は産まれてからずっと秋斗を見てきた。そして他の多くの男性も観測した。そして気づいた。秋斗は他の男性とは“何か”が決定的に違う。秋斗は――いえ、秋斗だけがこの世界のずっと“先”を見ている』
「へぇ、鋭いな……」
501の言葉に、秋斗は思わず感嘆の吐息を漏らした。
「……常に“観測”しているだけ、あるってか? 流石、博士に作られただけあるな」
秋斗は思わずそんな褒め言葉を口にする。
しかしそれを501は意に介す事無く、更に言葉を続けた。
『“原作”。秋斗が時々口にする言葉。そして秋斗の心の中にずっと深くに存在する“苦痛の元凶”。秋斗は
「………………」
そんな質問が出てくるとは思わず、秋斗はふと言葉を考える。
「――――さて、な。その理由は俺にも判らねぇ。寧ろ、教えてくれる奴がいるなら俺が聞きたいくらいだぜ」
不思議とこの空間では、言葉を“誤魔化す”事が出来なかった。
反射的に言葉が出るというべきか、紡ぎだす言葉は濁すにしても
それに気づいた秋斗は、何となく上手い言い回しを考えようと思わずポケットに手を突っ込む。すると何故か、ポケットの中に前世で愛飲していたタバコとオイルライターが見つかり、秋斗は思わずそれを手にした。
「……なんて言うか、俺には物心ついた時から“前世の記憶”ってやつがある。――――と、言ったらどうするよ?」
秋斗はそう言葉を続けながら、ソフトボックスから慣れた手つきで紙巻を一本取り出すと、左手に持ったライターで火を点した。
記憶と寸分違わぬ味と臭いを感じつつ、秋斗は立ち上る紫煙を眺めながら探るように呟く。
「501が生まれるよりもずっと前からだ。目が覚めると、俺は見知らぬ世界に居た。だけど世界の“未来”がどんなのだか、ある程度だけど“ぼんやり”分かってな。そんでもって俺って居る事そのものが“イレギュラー”らしくて、その所為でまったく歯車が噛み合ってない、ぶっ壊れそうな状況がいきなり目の前に広がってやがった……」
秋斗は前世の記憶に目覚めた日を思い出す。
小学生の一夏。
高校生の千冬。
家に両親の姿は無く、唯一の働き手である千冬も過労死寸前の貧乏家庭――――。
覚醒して初めて目の当たりにした織斑家の状況は、そう簡単に忘れられるようなモノではない。
501が明滅した。
『――――だから秋斗はずっと“孤独”を感じているの?』
「ぁん?」
『私が観測している限りだけど、秋斗はいつも一人で悩んでいた。それはお母様も知らない心の深い深い部分で。……唯一、秋斗だけが、未来がどうなるかを判っているから。存在しないイレギュラーだと自分を思っているから。だから秋斗は、ずっと苦しいのに誰も頼れず孤独を抱えているの?』
「……そういう言い回しを使われるとちょっと照れくさいが、そりゃ、“そう”もなるだろう?」
アキトは紫煙を吐きながら、何処か疲れた様子で呆れた様子の笑みを浮かべた。
「だってこんな“荒唐無稽な話”があるわけねぇじゃん? だけど俺の所為で破綻しかけた家族が居やがって、それを何とかしようと思って、真っ先に出て行こうと思ったらさ……“泣かれた”んだぜ? 泣かれちまったら、どうしようもねぇだろ?」
秋斗は言った。
あの時の決意の真実を何となく誤魔化してきた言葉を、今、改めて口にした。
「俺が存在しなけりゃ、何も問題ないんだ。でもそれも出来ない以上、その結果がどうなるか判る以上、“俺が如何にかする”しかないだろ? ――――男としてよ?」
『男……。その男という存在が何か、私にはまだ分からないけど、男とはそうする生き物なの?』
501は問う。
『辛くて、痛くて、孤独でどうしようもないのに、それでも意地を張るのが男なの? 特に秋斗は“原作”を頼りにしているから、それで更に苦しんでた。どうして逃げようとは思わないの?』
「はっ!」
その言葉に秋斗は思わず笑った。
「辛いに決まってんだろ? んなもん、俺が一番良く知ってるよ。だけど目の前で泣きやがった女が、必死こいて働いた金で飯食ってたんだ。加えてそんな状況を作ったのが俺の存在にあるなら、逃げられるわけねぇじゃん?」
501の純朴な質問に、秋斗は紫煙を吐きつつ理由を口にした。
「それに“何とか出来るなら何とかしてやる”っていう存在に、ちょっと憧れてたから。ガキみたいな考えだけどな。そん時はそれでいいと思った。男ってのは、やっぱり常に心のどこかで、昔憧れた奴らみたいに成りたいなと思ってるんだよ。多分、大なり小なり皆そうだと思うぜ?」
『憧れ? ……憧れとは何?』
「ロマンの事だ。憧憬の念を抱いたヒーローの様にありたいっていう馬鹿みたいな気持ちさ。形は違えど、男の心には常にそんな馬鹿な考えがある」
『憧れ……ロマン?』
501は強く明滅した。
『昔、秋斗はロマンは自分で見つけるモノが正しいと言った。つまりロマンとは千差万別?』
「あぁ、その解釈であってると思うぜ?」
『ならば秋斗のロマンは何?』
「俺の?」
『………………』
促すようにジッと漂う501に、秋斗は紫煙を吐きながら視線を宙に移す。
夕焼けに染まるオレンジと濃紺のグラデーションの空を見ながら、秋斗はいつか言った言葉をもう一度口にした。
「昔、サボテンの上に裸で飛び降りて怪我した男が居てな。どうしてそんな事をしたと尋ねられた時に、男は言ったそうだ。“その時はそれで良いと思った”ってな。まぁ、後で後悔すると思うなら、馬鹿な事でも本気でやってみたって話さ」
『………………』
「そんで昔――前世の頃だけど、その言葉に影響されて、“この”エアーズロックの上からの夕日を見に行ったんだ。……金もねぇくせによ? だけどその時に、小さい事で悩んで生きるのは馬鹿らしいと思った。そんで“好きなように生きて死にたい”と思った。――――それが俺のロマンだよ」
『………………』
アキトは紫煙を吐きながら遠くに望む夕日を眺めた。
好きに生きて、好きに死ぬ。
そんな風な秋斗の人生を決定付けた思い出深い景色だった。
「――――だけど、まぁ。その結果が今のこの
秋斗は死に掛けと言う、501の言葉を思い出し自嘲を浮かべる。
すると501は強く輝いた。
『今、分かった気がする。秋斗が……男とはどんな存在か――――そして私達“IS”がどうあるべきか――――』
「……ぁん?」
『一次移行《ファーストシフト》開始』
強く明滅を繰り返す501の形が、ゆっくりとその姿を変えた。
薄ぼんやりと光る不定形の光から、徐々に“人型”に――――。
光の四肢が伸び、ふわりとした銀色の髪が後ろに伸びる女性体へと、501は各個たる自我を保持する独自の“アバター”を形成した。
『……一次移行完了。私はコア501。秋斗の傍らに共に在る存在』
秋斗は人型に変化した501を見て、驚きを隠せなかった。
銀の懐中時計と同じアッシュグレイの瞳と長い髪。知的で精密な機械を思わせる冷たい印象を持った長身の美女。
――――その姿はまさに、かつて秋斗がオンラインゲーム“幻想惑星”で、秋斗自身がクリエイトしたゲーム内の“アバター”である。
「……随分とまた成長したな? 博士は女の子って言ってたけど、結構な“レディ”じゃねぇか?」
『“レディ”――――認識した。これよりコア501は、個体名“レディ”と識別する』
「……は?」
501は己をレディと名乗った。
『私はレディ。秋斗の全てをまだ私は理解出来ないけど、それでも一つだけ判った。貴方の在り方が好ましい。そして貴方のあり方を、憧れを、此処で終らせたくない。だから私が救う。私が――――』
「――――っ」
秋斗の世界は覚醒した。
遠のく意識の中でコア501の最後の台詞が秋斗の中に木霊する。
深いまどろみの中から浮かび上がるように、秋斗の意識が覚醒した。
☆
「っ―――」
覚醒した秋斗は押し付けられたエアバックの上で身じろぎした。
鼻を突き刺す焼け焦げたエンジンの酷く不快な臭い、そして全身を軋ませる激痛に、まどろむ隙もなく、秋斗の意識は急速に覚醒する。
パラパラと、フロントガラスの破片が音を立てて零れ落ちた。
「……“負ける”な、か。随分ときっつい事言ってくれるぜ、まったく――――」
首から提げた懐中時計の文字盤が、小さく明滅する。
励ますようなその光を見た秋斗は、痛みに顔をしかめて身を起す。
寸前で発動した“絶対防御”が、致命傷を軽減したようだ。
「……流石、“天災”の秘蔵っ子。随分と手間取らせてくれたじゃない、リトルマクレーン?」
「っ―――」
トンネルの入り口に舞い降りたヘリ。
そこから降りたスコールが、拳銃を構えながらゆっくりと近づいてくる。
スコールは頬から流れる血を指で掬いながら言った。
それは紛れも無く、秋斗の健闘に対する賞賛の言葉だった。
「『トランスポーター』……それとも『ダイ・ハード』かしら? だけど“ごっこ”はもう終わりよ」
「……そこまで禿げてねェよ、バカヤロウ」
秋斗はゆっくり身を起しながら、自力で何とか扉を蹴り破り、車内から脱出する。
左手に持った拳銃の残弾はゼロ。
それを確認して、秋斗は
スコールはコツコツとヒールを慣らしながら、一歩ずつ秋斗に迫る。
秋斗はスコールの正面に立つ。
そして不思議と脳に流れてくる情報に、呼吸を落ち着けた。
「オータムの代わりにココで撃ち殺してやりたいところだけど、心配しなくても殺しはしないわ。寧ろ、ゲストとして丁重に扱ってあげる」
スコールは嘲笑する様にいった。その声には明らかな怒気があった。
秋斗は不意にスコールの背後を見た。
そこには炎上する4WDが転がっていた。
そしてもう一度正面を見据える。
右手に拳銃を構えてゆっくりと距離をつめるスコールと、トンネルの入り口を塞ぐようにアイドリングするヘリ。そしてアサルトライフルを構える兵士の姿があった。
そして――――。
――――
「ゲストか、そいつはいいな。特に命の保証があるってのが良い」
「でしょう? だから――――」
「――――だが、断る」
スコールの笑みが消える。
しかし秋斗はキッパリと言い放った。
「…………面白くないジョークね? 下らない意地を張れる状況かしら?」
「昔、裸でサボテンの上に飛び降りた奴曰く、『その時はそれで良い』らしいぜ? それとついでだ。おあつらえ向きな言葉を贈ってやるよ――――」
「っ!?」
――――その時、何かが飛来する甲高い駆動音が周囲に響いた。
その音にトンネルの入り口からスコールを初めとするテロリスト達が夜空を見上げた。
瞬間、“プラズマキャノン”の一発がヘリを打ち抜いた。
この世でその“兵装”を持つ存在は一つしかない。
そしてそれは、秋斗にとって最も思い出深い存在だ。
故に、遠巻きでもその『白』が、なにかを察した。
「あれは――――そんな、嘘よ!?」
爆散するヘリを見て狼狽するスコールも
スコールの視線が秋斗から外れた瞬間。
秋斗は奪った
――――そして言った。
「
連続して放たれる銃弾が、スコールを吹き飛ばした。
地面に叩きつけられたスコールを見て、秋斗は最後の強がりを振り絞って笑みを浮かべた。
「……俺の勝ちだクソッたれ」
飛来する、今や伝説と化した原初のIS“白騎士”の――その一号機。
秋斗は舞い降りた白騎士を確認して、安堵と共にゆっくりと地面に膝をついた。
『――――束様、あっくん様を発見しました。ついでに敵武装ヘリの無力化に成功』
『了解、くーちゃん! 兎にも角にもあっくんの救助を最優先だ!』
『了解』
意識を手放す瞬間、秋斗は酷く懐かしい声を聞いた様な気がした。
2丁目の拳銃は一応ですが、回収している描写はあります。
そしてかなり最初の方にちらっと書きましたが、本作の白騎士プラズマキャノンを搭載しています。
とりあえず、シリアスはココで終了です。