IS原作にたどり着け! 『本編完結』   作:エネボル

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第一章
01 俺が織斑家を立て直す!


 ある日の事。

 とある一人の少年が、40℃に近い高熱を出した。

 少年の命は一時期、医者からも危ういとすら言われたが、運の良い事に彼は寸での所で一命を取りとめた。

 

「……んぁ」

 

 そして彼は、目を覚ました――――。 

 そして同時に、彼は自らの身に起こった、ある種の“異変”に気が付いた。

 

「――――起きたか! 私が判るか、秋斗(アキト)!?」

「……アキト?」

 

 眼を覚ました少年の前に、凛とした黒髪の美少女が姿を現した。

 少年は少女の呼び声に反応した。

 己の事を“聞き覚えの無い名前”で呼ばれた事に対し、少年は反射的に首をかしげた。

 

「……寝ぼけているのか? まぁ、無理も無いか……。一時は、命も危ういとさえ言われていたんだからな」

 

 

 少女は心配そうな顔で少年の様子を覗き込む。そして「ったく、心配したんだぞ。馬鹿モンが」と、心の底から安堵する様に吐息を漏らして、少年の寝汗で濡れた額をやさしく拭った。

 ――――少年はされるがまま、心の中で首をかしげた。

 

(――――アキトってのは、“俺”の事なのか?)

 

 少年――秋斗は、内心に湧いて出たそんな疑問に首をかしげつつ、一先ず目の前の少女の話に口裏を合わせた。

 

「一夏の奴も心配していたんだぞ? まぁ、直に帰ってくるだろう。兎も角だ。良くなってくれて本当に良かったよ」

「あ、あぁ……悪い。迷惑、掛けたかな?」

「あぁ、盛大にな」

「……そうか」

 

 迂闊な事を言える余裕も、そんな体力も無い。

 秋斗は当たり障りの無い会話を続けながら、ふいに周囲を見渡した。

 窓から差し込む小さな部屋。夕日の明かりで見る部屋の造りは悪く言えばボロッちい簡素なアパートそのもの。

 家賃はおよそ4~5万と言ったところだろう。

 

「――――ただいま」

「と、そうこう話しているうちに帰ってきたな。おかえり一夏。今日は早かったな?」

(……一夏?)

 

 玄関から声がした。

 新たに登場したのはランドセルを背負った小学生ぐらいの少年だった。

 将来は確実にイケメンと持て囃されるだろう整った面立ちを持つ少年は、少女に一夏と呼ばれていた。

 秋斗の目の前で、黒髪の少女は、帰宅した一夏を迎え入れる。

 ――――その光景を前に秋斗は、不意に無視出来ない重要なワードを聞かされた予感がした。

 

「お? おぉ、起きたのか秋斗! 学校の皆も心配してたんだぜ? もう大丈夫なのか?」

「あ、あぁ――――」

 

 一夏は秋斗に気づくなり、そう声を弾ませながら駆け寄った。

 一夏は乳歯の抜けたばかりの歯を見せつける様にして笑う。

 

「心配したんだぜ? 明日も寝込んでるのなら学校の皆で千羽鶴でも作ろうかって話もしてたんだぞ?」

「そ、そうか」

 

 一夏は背負っていたランドセルを床に置きながら言うと、鞄の中からクリップで留められた数枚のプリント束を取り出し、それを秋斗に手渡した。

 

「はいよ、宿題。先生から預かっといたぜ。先生はしばらく待つから、良くなってから提出しなさいってさ」

「……ありがと」

「気にすんなよ。兄弟なんだから助け合うのは当然だろ?」

 

 秋斗が礼を言うと、一夏は屈託のない表情で笑みを浮かべた。

 秋斗の回復を、本当に心の底から喜んでいるようだった。

 

「――秋斗。とりあえず今夜一晩様子を見よう」

 

 静かに見守っていた黒髪の少女が口を開いた。

 

「医者からは熱が下がれば大丈夫と言われたが、念の為に明日また病院に行こう。まぁ、峠を過ぎた。恐らくは明後日には、普通に学校に行けるようになるだろうがな」

「………………学校か」

 

 『学校』という単語を久しぶりに聞いた秋斗は、なんとも言えない小さな苦笑を浮かべた。

 それを見た一夏は間髪居れずに尋ねた。

 

「なんだよ、嫌なのか?」

「――――なんと言うか、“説明”が難しくてな」

 

 秋斗は歯切れ悪く応える事しか出来なかった。

 秋斗の曖昧な返事を聞いて一夏と少女は揃って首を傾げるが、直ぐに流した。

 2人は熱に浮かされた病人の戯言として受け取ったらしく、不意に漏れた秋斗の小さな言葉を深く追及しなかった。

 「今晩は安静にしろ」と言い残して部屋を出て行った少女――“千冬”の命を受けて、秋斗は部屋に独り、布団に横になったまま考えた。

 ――――そして日が落ち、夜の帳が訪れる頃。

 秋斗はようやく己の身に起きた奇怪な出来事を受け止め、現状を受け入れる事が出来た。

 

(――――なにがどうなってる? 何で俺が小学生に? なんで、“織斑一夏”と“織斑千冬”が目の前にいる?)

 

 それはある意味で、一種の奇跡の様なシロモノだった。

 この日を境に織斑秋斗(おりむらあきと)という少年は、『前世の記憶』と言うモノに目覚めたのだ。

 

「何がどうなってるんだ、一体……」

 

 秋斗は布団の中で酷く困惑し、そして余りに小さくなった己の掌――小学生の掌となった己の身体に視線を移した。

 

 

 

 

 織斑秋斗という少年が、その前世で読んでいたライトノベルに『インフィニット・ストラトス』という作品が存在する。

 そしてその登場人物の中に、現在の秋斗の家族である『織斑千冬』と『織斑一夏』という名前が存在した。

 インフィニット・ストラトスの物語は、今となってはもはや作品の具体的な話の流れすらもうろ覚えだ。大まかな筋書きとして、後にISという超兵器が登場し、世の中の男女のパワーバランスが逆転し、女性優位となった世界で唯一の『男性IS操縦者』として覚醒した主人公――織斑一夏が、ISを学ぶ為の学校に通うというぐらい。

 しかし印象深い内容だった為、秋斗は今生の家族の名前を聞いた瞬間に、そんな前世で売られていた物語の事を思い出した。

 秋斗は前世の記憶に覚醒してから直ぐに、一夏と千冬の名前と、その苗字に当たる『オリムラ』という名前の響きを聞いて、今生がそんなインフィニット・ストラトスの物語世界であるという可能性を考えた。

 今思えば、それはあまりに荒唐無稽な発想だ。偶然、身内が同じ名前だったからと言う理由は、あまりにも短絡的。

 しかし何故か、秋斗にはその瞬間、“ソレ”を見過ごしてはいけないという謎の直感が働いた。

 熱が下がって早々に、秋斗はその予感を確かめるべく行動を開始した。そして程なくして、秋斗は今生が『インフィニット・ストラトス』という物語世界であるという大きな要因を見つけてしまった。

 織斑家の後見人――その人物の名前が“篠ノ之柳韻”で、彼の娘の名前が“篠ノ之箒”だった。

 それは件の物語(インフィニット・ストラトス)で主人公〝織斑一夏”のヒロインと同じ名前だった。

 兄として目の前に“主人公”が居て、その近くにヒロインまで揃っているという現実を目の当たりにした秋斗の動揺は大きく、その衝撃を受け入れるのに丸一日を要した程。

 そして己が物語の世界に存在し、今の身内が登場人物の中でも最上位に位置する重要な存在である事を実感した時、秋斗は己の立ち位置が主人公の“双子の弟”と言う、ありふれた二次創作設定そのものである事を理解した。

 そんな『真理』に辿り付いてしまった秋斗は、目の前にある現実を半ば本気で夢だと思った。

 しかし数日を経ても現実は変わらずそこにあり、秋斗は次々と身近で発覚する驚愕の事実を前に強い疲労感を覚えていた。

 

「――――まさかもう一回“ランドセル”なんてモンを背負うハメになるとはな」

 

 あくる日の朝。

 まだ真新しいランドセルを背負って、秋斗は家を出発した。

 この時の秋斗は6歳だった。そして双子の兄の一夏も同様に、織斑兄弟の2人は今年から小学校に通い始めたばかりのピカピカの一年生だ。

 前世の記憶を取り戻す以前は当たり前だった光景が、今ではすっかり不自然に感じてしまう違和感。

 そんな憂鬱な気分に苛まれながら、秋斗は一夏と一緒に学校へ赴く道中、ずっと顔を伏せていた。

 

「なぁ、秋斗。さっきから難しい顔してどうした? まだどっか調子悪いのか?」

 

 そんな秋斗()の只ならぬ様子に気づいた一夏が、心配そうな面持ちで尋ねた。

 

「いや、別に何でもねェよ。気にしなくて大丈夫だ」

「そうか? ならいいけど、病み上がりなんだから無理すんなよ? 具合が悪くなったら直ぐに俺とか先生に言うんだぞ?」

「あぁ、判ってるよ。大丈夫。ありがとよ、一夏」

 

 心配そうに顔を見せる一夏に対して、秋斗は平静を取り繕った顔で応えた。

 内心では現実に対する盛大な溜息を吐き、未だ続く現状への強い混乱と強い不安を感じていた。しかしそれらを一切見せる事はなく、秋斗は一つ溜息を吐いて顔を上げた。

 一夏はそんな秋斗の返事を聞いて、それ以上の追及はしなかった。

 それ以降、学校に赴く途中の兄弟の間に会話らしい会話は無かった。

 しかしその静寂は今の秋斗にはとてもありがたいものだった。

 

(織斑一夏、か――――)

 

 秋斗はふと、半歩前を歩く今生の兄の顔を見る。

 原作を知っている立場として当初秋斗は、“織斑一夏”という人物に対して余り良い印象を抱けなかった。

 先入観で人を推し量るのは良くないのは百も承知だが、しかし原作一夏の印象から、秋斗は一時期、心のどこかで一夏の事を避けていた。

 言う事は立派だが、行動が伴わない。八方美人故に直ぐにフラグを立てるくせに、釣った魚に餌をやらないを地でいく朴念仁。

 そんな悪いイメージがあった点も含めて、秋斗はかつて物語の登場人物として認識していた今の家族らと、改めてどう接するべきかと悩んでいた。

 ――――しかし振り返ってみれば、その懸念も最初の頃だけだったというのが今の感想である。

 家族として寝食を共にして見ると、秋斗の中で一夏の評価は大きく変わった。

 

「――――あ、そうだ。柳韻先生には俺から言っとくからさ。今日は道場休んどけよ?」

「ぁん?」

 

 無言だった道中で、一夏はふいに思い出したように言った。

 姉の千冬が毎日のバイトで帰宅が遅い為、一夏と秋斗は学校が終った後、いつも後見人の篠ノ之柳韻の剣術道場に通っている。それは面倒を見てもらっているというより、真面目な習い事に近い習慣なので、一夏は先の体調不良を考慮して、秋斗にその稽古を休むよう提案した。

 一夏の提案を聞いた秋斗は、素直にそれに同意した。

 

「……意外だな。いつもなら休むの嫌がるのに?」

「流石に病み上がりで派手に運動したくはねぇからさ」

「そっか」

 

 素直に同意した秋斗を見て一夏は意外そうな声を上げる。

 そんな一夏を見て、秋斗は「確かに以前までの秋斗ならありえない返事だ」と、小さく自嘲を浮かべた。

 

 千冬も含めると、織斑家の三姉弟は全員が篠ノ之柳韻の剣の弟子だった。

 その実力は千冬がダントツで、次に一夏。そして越えられない壁の向こう側に秋斗という順で兄弟の実力が並んでいた。

 秋斗が前世の記憶を取り戻す以前の状態なら、少しでも鍛錬を休む事に強い抵抗があった。

 決して口には出さなかったが、以前までの秋斗には確かな形で姉兄の剣才に対する強いコンプレックスが存在していたからだ。

 ――――しかし今となっては、そんなコンプレックスなど秋斗の中にはもはや存在しない。

 

「じゃあ、俺は先に行くぜ。秋斗も変に無理すんなよ?」

「はいはい。また放課後な」

「おう!」

 

 学校の門を潜ったところで、一夏は励ますように秋斗の肩を叩き、グラウンドに集まっている学友達の方に駆けて行った。

 秋斗は叩かれた肩に鈍い刺激を感じながら、その背中を見送って小さく吐息を吐く。

 家族として一緒に生活をはじめて見ると、一夏という少年の非常に家族思いの心優しい性格を幾つも知った。

 織斑家の状況は俯瞰して見るとかなり特殊で、一夏はそんな状況を小学生なりにも察し、バイトと学業を両立させながら一家を養う長女――千冬の手を煩わせまいと、進んで家事の大部分を請け負っていた。

 加えて今朝も朝早くに家を出た千冬を見送った後、一夏は頼んでも居ないのに態々秋斗()の為に手の込んだ粥を用意した程。

 

「――――男兄弟なんて、喧嘩して何ぼのもんだと思ってたんだがな」

 

 現実として実感する形で、秋斗は一夏の家族に対する献身を本物だと知った。

 そして物語の中で強く描かれなかった部分を身近で感じた結果、秋斗は一夏の優しさを素直に評価し、心の中で少しだけ尊敬した。

 同時に原作知識という先入観で推し量り、心のどこかで忌諱する様な対応をした事を、酷く情けないと反省した。

 秋斗は既に、一夏を含めた“織斑家”そのものに対して、不満の吐息を漏らす事は無い。 

 湧き上がる溜息のほとんどは、大抵が目の前の現実(・・・・・・)に対してのモノばかりだ。

 

「……さて、俺も行くか。ったく何年ぶりだ? 小学校なんて――――」

 

 家の中だけなら兎も角、これから小学生として生きなければならない現実を前に、秋斗は改めて深く溜息を吐く。

 一夏と別れた秋斗は、そのまま真っ直ぐ己の在籍する1年3組の教室に向った。

 蘇った前世の記憶は、それまでの秋斗の人生に大きく上乗せされるようにして、精神に染み込んでいる故、目覚める以前の記憶や交遊関係を失う事は無かった。

 が、しかし大きく上乗せされた精神の加齢がある分、秋斗はどうしても以前までの級友らと、“対等の視線”ではいることが出来なくなっていた。

 加えて数年ぶりの様な真新しい感覚を伴う新しい学校生活は、常に手探りの過酷さで秋斗に乗しかかる。

 子供らしい“若さ”を無理やり演技し、『らしくない』という強い自己嫌悪に苛まれながらの一日が始まるチャイムを聞いて、秋斗はまたしても憂鬱な吐息を吐いた。

 

 

 一月が経った。

 途中から馬鹿らしくてやってられないと開き直った秋斗は、口調からして子供っぽくするのを止めて、普段の粗忽な言葉遣いに変えた。

 この一ヶ月を通して、演じながら生きるのは辛いという結論に達したからだ。

 秋斗は手探りながらも、この現世で生きて行く為の努力を不器用ながらも積んで過ごした。

 前世で一通りの学歴は収めている、故に今更、小学生の授業に遅れはとらないならと、これから“先”を見越して予習復習がてら中学高校の参考書を読んでみたり、逆に周囲に“神童”と騒がれるのを避け、常に実力や学力の全力をセーブした行動を意識した。

 どうしても無邪気さと無縁の老成した精神の影響で、級友と遊びに付き合う事が難しいと判断した時は、大人しくその輪から外れて一人で過ごす様にも気を使った。

 以前に比べると秋斗の評価は、かなり変化したと言えるだろう。担任曰く、『誰とでも仲良く出来るが、基本的には独りで居る事を好む少し変わった性格の子供』。それがこの一ヶ月で積み上げた秋斗の評価だった。

 無駄に良い子を演じる気もなく、あえて悪辣に生きる気も無い。明らかに友人の数が減ったが、気疲れする付き合いならば無理に続ける気も無い為、惜しいとも思わない。

 前世の記憶を取り戻す以前と、現在を見比べた秋斗は、「まぁ、こんなもんだろう……」と、今日までの変化とその評価を肯定的に受け止めた。

 自分がどこか“変”なのは、百も承知。故に、多少の事はある意味個性だと、秋斗は開き直る事にした。

 ――――そんな紆余曲折を経た秋斗がようやくこの現実に慣れた頃だった。

 秋斗は偶然にも、“織斑家”の筆舌にし難い過酷な状況を知る事になった。

 

「――――11時か……」

 

 隣の布団で一夏が寝静まった夜。

 秋斗はスタンドライトの明かりで本を読みつつ、こっそりと姉――千冬の帰宅を待っていた。

 時刻は午後11時過ぎ、直に日付が変わるという時間になってからようやく、千冬は帰宅した。

 

 帰宅後の千冬は勤労帰り特有の強い疲労感を纏った煤けた出で立ちであった。

 千冬は帰宅したその足で疲れた身体をズルズルと引き摺って歩くと、寝巻きに着替える事すらも端折り、一目散に布団に突っ伏して寝入った。――――そしてそれから4時間程経った後で、再び眠りから目覚めた。

 疲れと汚れをシャワーで強引に洗い流した千冬は、まだ日も昇らぬ朝早くに家を出発する。そして朝の7時前になってから、何事も無かったかのように帰宅して、一夏の作った朝食をとってから学校に向った。部活をやっていない為、その帰宅は夕方頃になる。しかし学校から一度帰宅するなり、千冬は私服に着替えて再び出かけては、また夜の11時過ぎに帰ってくるまでバイトをする。

 そんな生活スタイルが、秋斗の発見した千冬の毎日だった。

 秋斗がそんな無茶苦茶な千冬の生活リズムに気づいたのは、本当に偶然だった。

 前世の記憶に目覚めた影響で小学生の生活リズムに身体が慣れず、たまたま本を読んで夜更かしをした時に気づいたのだ。

 もしもその時に秋斗が気づかなければ、千冬が倒れた後で織斑家の過酷さを兄弟は知る事になっただろう。

 

「……こんな無茶続けてたら、死んじまうぞ?」

 

 深夜。

 何時ものように帰宅し、そのまま一目散に布団に突っ伏して寝入った千冬に向って、秋斗は小声で言葉を投げた。

 深い眠りに堕ちた千冬には、その言葉が届く事は無い。しかし泥のように眠るという比喩が本当に在るのだと知った秋斗は、日に日に状況に対して強い危機感を抱いていた。

 織斑家には両親がいない。家に居るのは千冬と一夏と秋斗の3人のみで、故に千冬が、たった一人の稼ぎで織斑家の財政を支えている。

 両親が蒸発した理由については、一夏も秋斗も詳しくは覚えておらず、千冬に聞いても話したくないと言う態度を見せる為、今となっては知る事は適わない。秋斗自身も、当初は親が居ない理由を“余所の家の事情”だとして深くは詮索しなかった。が、しかし今思えば、その考えがどれ程に冷淡で、楽観的で、軽薄だったか?

 秋斗は身を削りながら毎日働き、疲れを押し殺して生き急ぐ千冬を見た瞬間、家庭の事情を他人事として捕らえていた自分を、情けないと嫌悪した。

 仮にも前世の記憶で、それなりに社会を経験した過去を持つ身である故に、この家で秋斗だけは、大黒柱としてたった一人で家族を養おうとする千冬の過酷さを理解出来た。

 ならば、もはや無関心で居る事こそが罪――そんな風に感じた秋斗は、遂に“子供”として無関心で居る事に決別を選んだ。

 

 翌日の深夜――――。

 意を決した秋斗は、千冬が帰宅するのを待った。

 昨日と同じく疲れ果てた様子で帰宅した千冬に、秋斗は言った。

 

「姉貴。気持ちは分かるけど、いつか死んじまうぞ?」

「……なんだ、まだ起きてたのか? 早く寝ろ。明日も学校があるだろう」

 

 千冬は疲れの所為か、何時もより低い声で少し機嫌が悪そうに返す。

 秋斗はそれを意図的に無視して、更に言葉を続けた。

 

「それは姉貴も同じだろうが。……って、冗談言ってる場合じゃなくて、こんな生活続けてたらマジで死んじまうぞ? だから――――」

「――――子供は気にしなくて良い!」

 

 千冬は表情を曇らせると、秋斗の言葉にそうぴしゃりと被せた。

 前世の記憶を加味した秋斗の視点で見れば、千冬も十分に子供だった。

 両親が蒸発した理由を『捨てられた』と考えるなら、それが意地に繋がっている気持ちも分からなくは無い。しかしそれでも他ならぬ秋斗だけは、“それ”を言う必要があった。

 その場を去ろうとする千冬を呼び止めた秋斗は言った。

 

「――――恨んだりしないから俺を児童養護施設に預けてくれ」

「っ!?」

 

 千冬は振り返り、驚愕を貼り付けた顔で秋斗を睨んだ。

 

「お前――――」

 

 千冬は反射的に右手を振り上げた。

 しかし振り抜かれる事は無く、千冬は酷く打ちひしがれた様子でゆっくり手を下ろす。

 秋斗はそんな千冬を正面から見据える。

 

「……死んだら終わりだぞ? 意地張ったまま、姉貴は先に逝くのか?」

「そんなわけないだろう! 私は――――」

「んな、ズタボロになっててよく言うぜ。一夏だって気づいてんだぞ!」

「っ!? ……一夏もなのか?」

 

 一夏の件に関しては秋斗のハッタリだった。しかし今の段階では気づいているか不明でも、後に確実に気づくという予感があった。

 その根拠は『原作ではそうだった』という荒唐無稽な理屈だが、それ故に『確実』だと秋斗は確信を持っている。

 ――――そして“原作”という存在を意識した時、秋斗はこの問題における最大の原因に気づいてしまった。

 だからこそ秋斗は意を決し、この問題は他ならぬ己が言わなければならないと強く感じてしまった。

 

「……姉貴、もう一回言うぞ。恨まないから、俺を手放してくれ」

「―――っ!」

 

 秋斗は千冬の眼を見据えて正面から言った。

 千冬の過酷な現状の要因が、他ならぬ秋斗というイレギュラー要素の存在にあったが故に――――。

 

 原作のインフィニット・ストラトスは、あくまでも千冬が一夏という弟を一人養う事で生まれた物語。

 そうである以上、現状を作り出した一番の要因は、他ならぬ“織斑秋斗”というイレギュラー要素の所為。

 故に秋斗は、己と言うイレギュラーの身を切る事を一切、厭わなかった。そしてそうする事が、もっとも確実に現状を救える方法だと察してしまった。

 

「………………っ……私は頼りないか?」

「別にそうは言ってないだろ。それに、俺は姉貴ほど頼りになる奴を他に知らんよ」

「――――だったら!」

「だけど実際問題、意地張ってどうにかなる話でも無いだろ?」

 

 秋斗は淡々と言った。

 寧ろ、淡々と、としか言えなかった。

 前世の記憶と老成した人格の所為か、秋斗の心には織斑家に対するどこか他人事の様な冷淡な気持ちと、他人に対するような強い気遣いの気持ちが共存していたからだ。

 子供である事にも織斑である事にも強い執着が無く、そのどれもを捨てる事に戸惑いが薄い。 

 幾ら肉体がそうだとは言え、もはや中身が違う。

 秋斗が暗にソレを訴えるような決別の言葉を放つと、千冬は顔を俯かせながら拳を握りこんだ。

 千冬は眼を潤ませながら言った。

 

「――――私は秋斗と一夏が居るから立っていられるんだ。……もう家族が消えるのは私には耐えられない。だから、だから秋斗……出て行くなんて言わないでくれ!」

「っ!?」

 

 千冬は痛いほどの力で秋斗の肩を掴み、搔き抱く様に秋斗の身体を捕まえるとそのまま嗚咽を漏らした。

 今度は秋斗の方が驚く番だった。

 秋斗は千冬の豹変に驚きながら、どこか冷静な頭でその理由を察した。

 

(……そういえば、まだ16歳だったか)

 

 秋斗はこの時になって、またしても忘れていた事実に気づいた。

 原作では強い女性の代名詞として描かれている織斑千冬だが、彼女は現時点ではまだ、16歳の小娘に過ぎなかったのだ。故に、いくら後の世でブリュンヒルデと呼ばれても、まだ年相応に心は脆く、そして決して孤高の強い存在ではなかった。

 秋斗は小さくなった小学生の身体で千冬を抱きとめながら、不器用な手つきであやした。

 

「俺は姉貴に死んで欲しくねェだけだ。今、無理して意地張るより、後々余裕をもって“家族”で暮らせるように、今出来る事を考えようって言ってるんだ。そういう言い方だったら、伝わるか?」

「………………わからん」

「……姉貴」

「……嫌だ」

「………………はぁ」

 

 精神的に加齢した分を含めれば、秋斗の精神は千冬よりも年上になる。故に根気強く言い聞かせようと秋斗は、幾度と無く言葉を変えて言った。

 しかし千冬に幾ら提案を繰り返しても、千冬は嗚咽を上げたまま頑なに首を横に振り、断固としてそれに反対の意を示し続けた。

 千冬が落ち着くまでに10分以上の時間が掛かった。

 秋斗は千冬に抱きすくめられたまま頭を悩ませた。

 泣かれてしまった事も含めて、例え最善だとしてもこれ以上提案を強いたところで、何も変わる気がしなかったからだ。

 存在を確かめるように抱きしめてくる千冬の腕の中で、秋斗は思った。

 

(…………俺のツケは、俺が払うしかねェか)

 

 原作のインフィニット・ストラトスという物語が始まるのは、一夏が高校生となった時。

 つまり物語が始まる以前の生活は、どう転んでもその日に行き着くと考えられる。

 だがそれに至るまでの道筋が秋斗というイレギュラーの所為で捻じ曲がり、決して安寧でない以上、秋斗には物語の傍観者として無為に時間を過ごす事が許されなくなった。

 己と言うイレギュラー要素が、本来あるべき姿の物語を捻じ曲げたのならば、原作の前に崩壊しかねない織斑家の救済が己に架せられた責務。前世の記憶と原作知識を使っても、この困難に立ち向かう事が織斑秋斗(イレギュラー)の存在する意義だと、秋斗は舌打ち交じりに腹を決めた。

 

(――――判った。判ったよ。俺が織斑家を立て直せばいいんだな?)

 

 この世に神様とやらが存在するなら「こんな試練を与えてくれた事を強く呪おう」と、その夜、織斑秋斗は決意した。

 原作にたどり着く為の、織斑秋斗の物語が始まった。

 

 


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