淹れ方に多少苦心した甲斐もあり、市販のインスタントにしては芳醇なコーヒーの香りが鼻をつく。
ふと慎二の方を覗いてみると、静かに香りを楽しんでいるのか、涼やかな笑みと優雅な所作が目に入った。普段がアレでも良家の出身というだけはあるのだろう。まぁ、生憎そういった目利きではない故に雰囲気から判断しているに過ぎないが。
「────慎二、そろそろ話してくれても良いんじゃないか?」
「ふむ、あんまり待たせ過ぎても礼に欠けるってもんだ。じゃ、本題に入ろうか」
チラリ、雨の降り始めた暗い外を見つめる。名残惜しげに、しかし一切の躊躇なくコーヒーを飲み干した慎二がゆっくりと視線をこちらに合わせた。
「さて、何処から話したものかな………」
──────そう、『聖杯戦争』ってのはそもそも世界に孔を開けるための儀式だ。
「呼び出したモノを還す、言ってしまえばそれだけで事足りる程度のソレなんだよ。願いを叶えるのは事実だけど、それは副産物でしかないのさ」
「────それはまた、不合理だな」
最初から『孔』を開けるのが目的なら、他にもこれより効率的な方法などいくらでもあるだろうに、とは思ったが、よくよく考えれば『世界に孔を開ける』なんて大それたことをしでかせば世界が黙っている筈もない。自然、
「うん、僕もそう思う。だけど、そんな不合理でこそ世界は黙認してくれる訳だ。いやまぁ、聖杯戦争のシステムを造った御三家の事情もあるんだけど、それは一旦置いておこう」
苦い顔を浮かべる慎二。なにやら彼にとって気に入らない事でもあるのだろうか。
「重要なのは降霊した存在を返還するって事だ。勿論、英霊そのものは
「あぁ、ソレについては把握している。あの巨人が真の意味で全力なら、俺は奴の行動を認識する間もなく挽き肉にされるだろうからな」
そもそも、バーサーカーを出し抜けたのも、白い少女という足手まといがいたからに過ぎない。加え、その手綱を握る少女自身が『何かを躊躇していた』事も大きな要因だろう。
「そうかい。で、まぁ、ここで注視すべきは『世界』に『孔』を開けるってこと」
「ふむ、『世界の外』には何が在るんだろうな?」
「ハァ、僕が言わなくても半ば理解してるだろ相棒………」
「いやいや、俺の事は気にせず続けていいんだぞ?」
「はいよ………」
世界の外。幕引きされた神代の残りカスが漂流する他、世界にとって重要な情報を記録する『座』や一部の幻想種たちがたゆたう何処でもない何処かである。そこには当然、魔術師が探し求める『根源の渦』とやらが存在しているのである。
聖杯戦争とは、サーヴァントを還す際に開かれる世界の孔から漏れだした渦を観測する儀式を指し、そのための燃料が英霊の持つ膨大な魔力というわけだ。
「─────で、今回の
「面倒な事、というと?」
「その前に相棒、この冬木の地を観測、解析したことはあるかい? あぁ勿論、魔術的な意味でね」
覚えがあった、どころか今の今まで、あの災害から十年間ずっと感じていた代物。忘れもしない、養父の生命を僅か2年で奪い去ったあの泥だ。
「──────呪詛としての側面を持つ強力極まりない悪性汚泥か」
「察しがいいね。いや、どうあっても視えてしまうのかな。冬木には随分泥が染み込んでいるからね。いや、その通りだ。アレの発生源が何か、調べたことは?」
「できる限りの解析はしたが、無理だった。恐らく、慎二の言う発生源側からプロテクトが掛けられてる」
「ま、そうだろう。アレは完全な黒か白でなきゃ通してはくれないだろうからねぇ」
なるほど、ならば俺では観測出来ない筈だ。この身は人間の雄とはいえ、魂は
「もうお察しだとは思うけどね。十年前の災害は、聖杯が………いや、聖杯戦争が引き起こしたモノだ」
「─────そうか」
淡白な反応だ。無表情で、なんの感情も見えない無機質な琥珀の瞳がそこにある。慎二は彼の養父を奪った凶事の真実を語りながらも、違和感が頭にこびりつくのを認識した。これが起源覚醒者とやらか、と。
「簡潔に言えば、もし今回の聖杯戦争が完遂されたのなら、日本はおろか世界が滅ぶ。前回、十年前は運が良かったに過ぎない」
「ソレ程か。いよいよもって見逃す訳にはいかなくなったな」
「あぁ、そうだね。こちとら可愛い妹が家で待ってるんだ。こんな下らない事なんざさっさと粉砕して帰らなきゃねぇ」
「ふむ、やはりシスコンか」
「なんもかんも妹が可愛いのが悪い。むしろグッド。やっぱ僕の妹は最高だな!」
「桜のことは別に尋ねてもいないが?」
「んだとコラ!? うちの桜が可愛くないだと!? ぶっ殺すぞ衛宮ァッ!」
「いや、そんなこと一言も言ってないから。ほら、早く続きを話したらいいんじゃないか?」
「お前後で覚えとけよ………。ん、というか話題振ったの衛宮じゃん。何乗せられてんだよ僕………」
焼き増しのような会話。苦笑を漏らし慎二を見据える。さて、いったいいつまでこんな取るに足らないやりとりが出来るやら。
「はぁ、いい加減元凶を教えよう。大体七十年前の第三次聖杯戦争、その時にアインツベルンが召喚したのが、イレギュラークラスのサーヴァント。アヴェンジャー『アンリ・マユ』だ。勿論、本物のゾロアスターの悪神じゃあない。聖杯に神霊を召喚するほどのスペックはないからね。顕れたのは、役目を背負わされただけの人間だったそうだよ。当然、ただの生け贄が通常のサーヴァントより強い訳がない。真っ先に脱落して、その姿を消した」
「─────あぁなるほど、汚染されたか」
「その通り。ただ『そうであれ』と願われた人々の思いの結晶であるアンリ・マユは『無色の願望器』を真っ黒に染め上げた。結果として、聖杯はヒトの悪性を具現するかの如く叶えるべき願いを歪める様になってしまったのさ」
「フン、自業自得か。下らないな」
「ホントそれ。目も当てられないよね」
ニタリ。
気に入らないと二人揃って嘲笑い、示し合わせた様に彼らは──────
「「ぶち壊す、か………ッ!」」
──────そう、宣戦布告をかました。
★
あぁ、あぁ、あぁ。
傍らに佇む巨人に凭れ掛かり、冷たい雨が
いまや燃え盛る憎悪は消えかけだ。先程の交戦以来、イリヤスフィールは父によく似た赤毛の少年に頭の中を掻き乱されていた。そのせいか、今まで抑え込んでいた症状が悪化の一途を辿る。
イリヤスフィールにとって認めがたい事実が、甘い毒の様に心へ染み込む。まるで凌辱されるようだ。私の意思は関係なく、魂が訴えるのだ。対峙していた時は夢中で気づかなかった。だけど、思い返せばますます確信せざるを得ない。
私は、イリヤスフィールは、彼が好きなのだと。
逃避、かもしれない。薄れ行く己が、すがり付く対象としているだけかもしれない。だけど、だけど、だけど─────私は、彼が大好きだ。
「─────私は誰?
惑う、惑う、惑う。私は誰だ? 誰なのだ!?
混ざり、交ざり、雑ざり。
誰でもないナニかとして成立していく。それでも尚、決して薄れぬ
─────生きたかったッ!生きて、世界を見たかったッ!
─────イヤだッ! ワタシはまだ何も成していないッ!
─────まだだッ! まだ負けてないッ!
複数の声がする。皆同じ様なソプラノボイスだが、そこには確かに、確固たる意思が、個性があった。
あぁ、あぁ、あぁ、あぁ。溶けて、解けて、熔けて、融けて。私が私でなくなっていく。
─────愛しているわ、
母の声、無償の愛を体現する優しい声だ。だけど、それも今は自身を塗り潰す絶対的な害悪としてそこにある。
その中に、自己の肯定はやはり無い。ただ、想いだけが
どうして、私は。
─────あぁ、一目惚れなの………。
まだ、私を諦められないの………?
─────私の、弟………。
答え合わせは、一体
─────名前も知らない貴方………。
あぁ、なんて醜いの。こんな混ざり物じゃ、あの人に嫌われちゃう。
……………ャだ、イヤだ、イヤだッ、イヤだッッッ!!
認めない。ワタシ以外が彼を。そんなのは認められない。
重なった父の面影。あぁ、これは不要だ。あの人をキチンと見るんだから、余計なフィルターなど無粋極まりない。ついでに父との想い出も消しておこう。彼を想いきるには邪魔そのものだ。
混ざった母の清らかな想い。これもいらない。邪魔だ。私が持つべきはただ一つ。彼への想いだけ。ソレ以外の不純物など、ヘドが出る。
根源に、第三の魔法へ至らんとする千年の妄念。全く価値がない。千年だと? そんなもの、彼への想いに比べれば塵にすら劣る。
その他有象無象の
一通り彼以外への想いを消し飛ばし、一息つく。あぁ、あぁ、なんて待ち遠しい。もうすぐまた、彼に会えるのか。心が熱を放ち、熱い吐息が荒い呼吸と共に外気と混ざる。
例えるならば『恋』。もしくは『愛』。
夢見る心でありながら、それは求める心でもあった。
彼の隣に己が立つ姿を夢想すると、声が上擦り顔が赤くなる。
彼と楽しくお喋りするのを想像すると、心が張り裂けそうな位緊張する。
彼と愛し合う自分を幻視すると、絶命してしまいそうな程シアワセだ。
知らず知らずの内に、彼を憎む想いは影も形も無くなっていた。
彼が望むなら、イリヤスフィールはなんでもしよう。なんでも叶えよう。そう躊躇なく思えてしまう位、ベタ惚れだ。
「今、会いに行くわ。愛しい人。待っててね?」
──────純粋に至った不純が動く。
不動のまま、哀しげに暗い曇天を見つめる狂戦士は、ゆっくりと少女を肩に乗せ、少年の下へと歩き出した。
★
「相棒、やーな予感しない?」
「奇遇だな慎二、俺もだ。とんでもなくヤバイ感じが、な。さっきから悪寒が止まらんよ」
元気よく啖呵を切った馬鹿二人は、揃いも揃ってブルっていた。
慎二は既に霊体化したライダーを近くに潜ませ、士郎は武家屋敷周辺に探知結界を構築し、この予感に備える。
「来た?」
「分からん。少なくとも家の半径五百メートル圏内には入ってない、筈………」
「おいおい、下手なホラーは勘弁して欲しいんだけど?」
軽口をたたき、恐怖から目を反らす。しかしどうにも、悪寒は消えない。
「こっち側の居場所を悟られるような愚は犯していないつもりだが─────」
「今の内に手札を確認しておこう。僕はサーヴァントが一騎と、ある程度の戦闘能力がある。僕単騎でも、足止め程度は出来るだろう」
「こっちは戦闘能力と、結界が使える。後は魔力での造形だな。というかお前マスターだったのか」
「そうだよ。今は側に控えさせてる」
「そうか。──────来たぞッ!」
反応が現れた。直線距離で478メートル。これは────────
「跳躍したまま突っ込んでくるぞ。防御はしておいた方が良─────」
───────ドゴォォォオオオンッッッッ!!!
家屋を踏み潰し、巨人が瓦礫から現れる。紛れもなく、先の巨人だ。その肩には、あの白い少女が。
こちらを見据える少女には、なにやら危険な光が灯っている。どう見ても正気ではない。果たしてこの短い時間の中で、一体何が起きたというのか。
「こんばんわ、お兄ちゃん。いいえ、愛しいお方。会いに来ましたわ」
可憐にして清楚。独特の侵しがたさと色気が流れてきた。なるほど、これは毒の造花であるらしい。
「グ、そうか。それは、………男冥利に尽きるな」
苦し紛れの返事は、やはり余裕がない。焦りが滲み出る声色は、衛宮士郎にしてはとても珍しいものだった。それも仕方のない事と言えよう。
相対する少女からは、一切の躊躇が感じられないのだから。
「あー、ライダー。援護頼む。お前は相性最悪な部類だわ、あのバーサーカー」
「分かりました慎二。御武運を………」
慎二は慎二で、既にサーヴァントを呼び出している。口振りから察するに、前へ出て巨人と応戦するつもりらしい。和服の袖に引っ込めていた右手には、何処か歪な印象を受ける大鎌が握られている。
ゆっくりと少女を見つめれば、彼女はこちらに笑いかけた。恥じらうような仕草だ。あぁ、全く厄介である。あれを自然にやってのけるのは、彼女が真性の女優だからなのか。それとも、本当の天然ものか。後ろに控える巨人さえいなければ、とても絵になっていただろう光景に、士郎は冷や汗が止まらなかった。
「さあ、─────愛し合いましょう? 名も知らぬ我が想い人………」
「ク、出来うる限りのエスコートはしようか。
第五次聖杯戦争、第三戦。
───────勃発。
いや、まぁ、その。(挨拶)
お久し振りです。モブです。投稿間隔どうにかするとか嘯いてこの始末なのはホントもうごめんなさい。†悔い改めて†もこれが限界だったんよ………。(ゲッソリ)
さて、今回の解説ですが、正直読んで下さった皆さんも違和感バリバリでしょう。いや、そうなるように書いてるんですが。
Q.イリヤさん、色々混ざってきてる?
A.病み気味だったのはこれのせい。具体的な設定はネタバレなのでまだ明かされませんが、悪夢の銃痕はこれが原因ですね。今回でそれもぶん投げましたけど。また、そのせいで薄れ行く自我を保つために、士郎君を依存対象に設定。ただし、一目惚れはそういうの関係なしにガチです。
Q.イリヤがヤンデレで士郎君が好き………ファッ!?
A.新手のチョロイン(ヤンデレ)なんじゃね? 属性を計算すると、小悪魔系汚染済ヤンデレ年齢詐称ロリ姉(チョロイン)………これもう分かんねぇな(白目)
Q.さらっと現れる駄妹ライダーネキ。
A.影が薄い登場で、本当に申し訳ない。本領発揮はまだまだ先の予定なんだよなぁ。
Q.危機になると途端に感情豊かになる士郎君。
A.というかこういった危機的情況でないと、彼の人間的な要素はほぼ出てきません。仕方ないね。
Q.聖杯や聖杯戦争の捏造設定。
A.公式の情報を参考にしつつ一年前に作りました。実際に世に出るまで一年掛かるとか、もうこれガバガバだな………。色々思うところはあるだろうけど、許してくださいなんでもしますから!
Q.いい加減サーヴァントの情報公開しろやボケナスゥ!
A.ネタバレは、ネタバレは許されないんDA!(使命感)
あ、バサクレス叔父貴は次回に公開します。
その他諸々色々気になる事はあるたろうけど、いつか明かされるだろうから、今は解説せんでもええやろ。あれ? こんな感じの事を前に言った様な………(既視感)
後、今回の話は後々改竄するかもしれないので、そこだけ謝罪申し上げます。