何を言われたのか理解できなかった。聞き間違いかと何度も自分の頬を抓った。……夢なら覚めてくれ。
「うぬ? 固まってどうしたのじゃ?」
片手で自身の何十倍もあるヒグマを軽々と持ち上げてダンベルのように下から上へと動かしながら爺ちゃんは問いかけてくる。
「……えっと、何してんの」
「見てわからんのか。筋トレしとる」
いや、それはそうだろうが!
俺が聞きたいのは、何でクマをダンベル代わりにしてるのか!
そもそも、何でヒグマがいんだよ、とか。ホッシーズ・ブートキャンプって何⁉︎ とか、そういうことだよ!
「手頃な重さのダンベルがないからのぅ。連れてきた熊で代用した。
ダンベルじゃなくて……クマベル? ベアベル……かのぅ?」
「いや……だから、そうじゃなくて」
つうか、そのネーミングは何だ?
「何で爺ちゃんが来たのかとか知りたいんだよ! ……つうか、何でヒグマいんの」
「昴が長い間いなくて寂しかったからのぅ。ちょっと気晴らしに北海道行って獲ってきた」
気晴らし⁉︎ 気晴らしで熊獲ってくんの!
「二、三体獲るつもりじゃったが、張り切り過ぎて20体ばかし獲ってきてしまってのぅ。空自の手を借りて本州まで運んだのは良いが……熊鍋飽きたし、何かに使えないかと思ってたのじゃが。昴が強くなりたがっとると光一から聞いて稽古の相手に良いと思い山に放った。反省はしとる。反省のし過ぎで寝れなくなって目の下にクマできるほどに。獲ってきたの熊だけに」
「寒いわ!!!」
「じゃが、命がけで戦えたじゃろう?」
ニカっと笑い、爺ちゃんは語りかけてくる。
「人が一番強くなれるのは、結局のところ……大切な仲間や人を守ろうとした時なのじゃ! 自分の為だけに力を振るうより、誰かの為に力を出す。それが一番強く、一番難しいのじゃが……お主達は一番大切なものを持っとるようじゃな」
爺ちゃんの言葉にチームメイト数人はあからか様に目を逸らす。
「強さには三つある。心技体。お主達は技も体も未熟じゃが、心はまあまあじゃからな。じゃから儂が直々に鍛えてやろう。他のもの達は……ありゃ、駄目じゃな。仲間を大切にせんで、国を守れるわけがないからのぅ。日本人の強さは個々の強さより、群れることでの団結力。いわば絆の強さにあるのじゃ!
個々の力では出来ることは限られとるからのぅ。……まあ、儂ぁ、群れるの苦手じゃったから好き放題生きてきたがのぅ」
がははは! と豪快に笑う爺ちゃん。
笑いながらも腕を動かし、肩に乗る熊は上下に揺られる。
腕を上下に動かす度に、筋肉がプルンプルンと豪快に揺れる。
「特に、そこのオカマ! お主名は?」
「は、はひぃ! 巻、巻六雄じぇす」
「……」
「「「……」」」
(か、噛んだな。噛みまくったな。ドンマイ巻!)
「お主、見所ありそうじゃ。お主は昴と同じ特別メニューで筋肉ムキムキにしてやろう!」
「あ、ありひゃとう、ごひゃいます!」
ゾクリと背中に悪寒を感じた。やばい。何がやばいかわからんが、絶対ロクな目に合わない。
「あ、あのさ……爺ちゃん」
「バカモン! 爺ちゃんではない! 教官。もしくは軍曹殿と呼ばんかぁ!!!」
え? いきなりどうしたの?
「ここからはもう戦場じゃ。生き残りたければ、儂の言うことを聞くのじゃ! わかったか、この……豚共!!!」
「「「は、はい」」」
爺ちゃんの剣幕に、俺やチームメイトは震え上がる。
「『はい』ではない。よいか、これからは何かを言う前に、『サー』を付けろ。返事は『サー・イエス』だけじゃ」
「「「さ、サー・イ、イエス」」」
「声が小さい。もっと腹筋を震わせるのじゃ!」
「「「サー・イエス・サー」」」
「まだじゃ! もっと腹筋を、全ての筋肉を震わせるのじゃ!!!」
「「「サー・イエス・サー!!!」」」
「ふむ。まぁまぁじゃのう。よいか、貴様等豚共がこれから受ける軍事訓練に生き残れたら__各人は優秀な筋肉戦士になれる。一刻も早く立派な筋肉戦士になって我が国に害を与えるクソったれな筋肉なしなし共を地獄に叩き込むのじゃ! よいか、今の貴様らは筋肉がないただの豚じゃ。筋肉がない豚はただの豚。この世界で最下層の生物じゃ! それが嫌なら、筋肉を震わせてみせよ!」
「「「サー・イエス・サー!!!!!」」」
「今の貴様等は人間ではない! 豚ですらないものもおる。そいつは動物のクソを掻き集めた値打ちしかないクソ虫じゃ!」
爺ちゃんは熊を担いだまま、俺達の周りを歩く。
そして、ギロリと睨みつけてくる。
「貴様等はこれから厳しい訓練を課す儂を嫌うだろう。だが嫌っても構わん。鬱陶しく思いたくばそう思え! じゃが、憎むことだけは絶対止めるな! 憎めばそれだけ一生懸命に学ぶからのぅ! 儂ぁ、厳しいが公平じゃ! 差別主義だけは決してしない! なぜなら……」
爺ちゃんの下駄の音だけが地面に木霊する。
「男だろうが、女だろうが、オカマだろうが__平等に価値がないからじゃ! 儂の役目は、そんな役立たずな無価値の中から使えそうなものを見つけ、使えるものに鍛え直すことじゃ! 分かったか、豚共!」
「「「サー・イエス・サー!」」」
「何度も言わせるな! もっと声を出さんか! 筋肉を震わせるのじゃー!!!」
「「「サー・イエス・サー!!!」」」
「……どこの軍隊だよ」
「このバカモンが! 誰が発言を許可した? 儂はサー・イエス・サーと言えと言ったはずじゃが」
「いやいや、アメリカ海兵隊じゃないんだから」
爺ちゃんの指導法が間違っていると一概に言えないが、ここはアメリカじゃない。
確かに海兵隊方式なら強くなれるかもしれないが……。
って、まさか真夜中に熊を放ったのもこれが目的か!
アメリカの海兵隊新兵訓練では、訓練初日は睡眠を取らせない。
爺ちゃんはわざと熊は放つことで睡眠を妨害したんだろう。危機管理を持たせる為に。
訓練教官が罵声を浴びせるのも、私物を取り上げるのも、訓練初日は睡眠を取らせないのも、今までただの民間人だった彼ら、彼女らの意識を改革させ覚悟を決めさせるためだ。こうして新兵を一人前に育てあげる。
そうして、初期訓練を終えた新兵は『昔の弱い自分を捨て、まさに今日自分は生まれ変わり海兵隊員になったのだ』と実感する者も居るらしい。
「儂に意見をした者がどうなるのか、を見せる必要があるようじゃのぅ。なら……そうじゃな。よし、昴。
……儂を倒すことが出来たら卒業させてやろう」
「え?」
「聞こえなかったのか? 儂に一撃入れて地面に倒せたら帰って構わん。地面に倒せれば……の話じゃがな」
「その言葉後悔することになるよ?」
積年の恨み? 晴らしてやる!
拳を握りしめ、駆け寄って爺ちゃんの腹にグーパンをした。
「い、痛てええええぇぇぇ」
拳が爺ちゃんの腹筋に直撃しただけで、まるで鉄の塊を殴りつけたかのような感触を感じた。
殴った手は痛みと痺れで使い物にならない。
「ん? 今のはなんじゃ? そんなヘナチョコパンチでは吸血鬼は倒せても、儂は倒れんぞ!」
素手じゃ無理だ。
使えそうな武器はナイフしかないが、こんなんじゃ無理だな。爺ちゃんの身体は鋼鉄のように硬いから、ナイフじゃ砕かれて終わりだ。
なら……。
「これならどうだ!」
ナイフを反対の手に握り締めて、さっきと同じように爺ちゃんの腹に入れる。
「無駄じゃ! 何度やっても、そんなヘナチョコパンチじゃ……⁉︎」
拳が爺ちゃんの腹筋に当たりそうになった瞬間、拳を引いて反対の手に握り締めていたナイフを突き刺す!
その時、ナイフを握る手と肩、そして……頭を同時に動かして全く同じタイミングで一撃入れる。
3点同時攻撃。
あのシャーロックですら、身代わりをしないと防げなかった一撃だ!
これなら爺ちゃんの腹筋を越えることが出来る……はずだ!
そう思っていたが。
バキ、ゴチン、ブシュー……ナイフは砕け散り、殴り付けた手と、おデコからは血が噴出した。
(そんな、馬鹿な……⁉︎)
爺ちゃんの腹筋はありえないくらい硬かった。
腹筋自体が鋼鉄の盾のような、いや、違う。
全身鋼鉄の鎧になってるんだ。
「うぬ、なかなかいい一撃じゃな。思わず『硬化』してしまったわ」
「ズルい!」
「『硬化』しないとは言ってないじゃろ?」
いやいや、使わないでしょ。ここは倒れる場面でしょ?
「貴様は戦場で相手に加減してください、わざと負けてくれ、なんて言うのか?
相手が本当に加減すると思っとるのか? 本気でそんなこと思っとるなら……甘い! 砂糖菓子のように甘いわ!
言ったはずじゃ、ここはもう戦場じゃ! 訓練じゃが、遊びではない」
爺ちゃんは鋭い眼光で睨み付けてきた。
ゾクリ、恐怖で足が竦みそうになる。爺ちゃんと目を合わせただけで失神してしまう奴らもいる。
「さて、負けを認めるかのぅ?」
「……負けを認めます」
「なら、今後は儂の指示に従うのじゃ! 強くなりたいならのぅ」
爺ちゃんから殺気が消えていく。
「さて、いい感じに身体も温まったところで、基礎から教えることにするかのぅ。全員、儂と同じことをするように……まずは、そうじゃのぅ。ヒグマを片手で持って兎跳びしながら山頂に「「「出来るかぁぁぁああああ!!!!!」」」……む? 口答えしたのは誰じゃ? 愛ある拳を受けたいんじゃな?」
「「「上等だーーー!!!!!」」」
一斉に飛びかかるチームメイト。
俺は思わず合掌してしまう。
お前達の死は無駄にはしない。
「がはははっ! 甘い、甘いわー! そんな軟弱な筋肉では儂は倒せんぞー!!!!!」
一人、また一人と愛ある拳に沈んでいく。
「がはははっ! 足らん。足らんわ。筋肉が足らん。もっと震わせんかー!!!!! ふん、貴様の上腕二頭筋と上腕三頭筋が鳴いとるぞ? 貴様はもっと、腹筋を震わせんかい! そこの貴様は大腿筋が足らん。もっと、足腰鍛えんかい!」
「「「ぎゃーーー!!!!!」」」
一方的な虐殺は3分ほど続いた。
拳による話し合いの結果、準備運動はかなり楽なもの……というより、
最初は今後の訓練に耐えるための基礎筋力、体力作りがメインになる。
まずは準備体操。
ジャンピングジャック。
ハロードリー。
腕立て伏せ×100
腹筋×100
背筋×100
準備運動が終わった後は、俺と巻以外の皆んなは約4・8キロを時間制限をつけて完走させられる。
アメリカ海兵隊新兵の体力試験の1つだ。
4・8キロを走った時間で点数がつけられる。最低要件として4・8キロを28分という時間で走らされるらしい。
他にも基本動作__気を付け、休め、敬礼の基本動作を教え込まれる。
さらに夜間に開かれる講義で陸上自衛隊の目的、考え方を教えられる。講義をしてくれるのは爺ちゃんではなく、付き添いの自衛官がしてくれた。よかった。本当によかった。
爺ちゃんなら、講義も筋肉談義になるからな。
講義により自身が所属することになる隊の歴史、思想などを知ることで愛着や敬意を抱かせるのが目的らしい。
そして、俺と巻の二人だけ、皆んなとは違う別メニューをやらされていた。
それはひたすら山を下り、また登らされるというもの。
何回も、何回もだ。
武器はまだ持たせてもらえない。支給品のナイフすら補給されない。
ただひたすら何回も山登りを繰り返す毎日。
すると、俺達は疑問を抱くようになる。
(どうして俺達はこんなことをやらされてんだ?)
(こんなに山登って何の意味があるんだ?)
(もう嫌だ、もう嫌だ、辞めてしまいたい……)
俺達の間に不信感が募る。
1日経つたび、空から降り続ける雪のように……それは高く積もっていく。
だが、俺は何故爺ちゃんがこんな真似をするのか、理解していた。理解できるからこそ、文句を言いつつ、耐え続けた。
なぜ爺ちゃんはあんな『不信感』をわざと煽るようなマネをしたのか?
それにはちゃんとした理由があるからだ。
『これには何の意味があるのか?』__この理不尽への不信感こそが、新兵に『皆と協力しないと目標を達成できない』、つまり『チームワーク』の大切さを理解させることに繋がる。つまり、わざと辛い状況へと追い込み、『仲間と助け合わなければ』と強く思う環境を作り出しているんだ。
アメリカ海兵隊の入隊訓練で新兵が追い詰められて取る行動は大きく分けて2つしかない。
1つは訓練を去る、という行動。
そしてもう一つは、『1人ではこの過酷な訓練を乗り越えることは不可能』と気付き、周りと助け合い、訓練を乗り越えるという行動だ。
前者を選ぶ者は少なく、大抵は後者を選択する。つまり海兵隊、今回の場合は『俺達学生自衛官候補生を支えるのは自分1人だけではない』と理解できるんだ。
『1人は部隊のために、部隊は1人のために』
こうして新兵達は『チームワーク』の大切さを学び、仲間同士協力して与えられた困難な試練を乗り越えていく。
これは軍隊だけではなく、俺のような武偵を志す者にとっても大切なことだ。
『仲間を信じ、仲間を助けよ。』……結局のところ、チームワークがなければ困難を乗り越えられない。人は一人では生きていけないのだから。