妬みの権化と化した者達から逃れる為にメイド喫茶から全力逃走した俺と雹真さんは、校舎を右往左往し続けた。
二階から一階に降り、別の階段から再び二階に上り、最終的に三階へ辿り着いたところで追っ手の気配が完全に途絶え、俺は疲れ切った体を休ませる為にその場にしゃがみ込んだ。
「はぁ……はぁ……やっと撒けたか……しつこいっての……」
「ふぅ……なかなかにスリリングな体験だった。久しぶりに青春出来た気分だよ」
「お気楽ですね……」
完全に他人事な様子で笑う雹真さんを横に、俺は呼吸を整えてからゆっくりと立ち上がる。
「さてと……友希君、これからどうするんだい?」
「そうですね……丁度三階ですし、妹達の出し物に顔出します」
「ほお、どんな出し物なんだい?」
「確か……手作りスイーツの販売です」
「手作りスイーツか……いいね、早速行こうじゃないか。女性が集まりそうな場所だから、素敵な出会いがありそうだ」
やっぱり出会い目的なのね……この人は変わらないというか、自由人だな本当に。
雹真さんの変わらない女性との出会いを求める信念に呆れながら、彼と共に友香や出雲ちゃん達の出し物がやっている1年B組の教室を目指し、歩き始める。
「お、ここかい?」
「はい。えっと……」
B組の教室の近くに辿り着いてすぐ、友香達が居るか入り口から中を覗いてみる。
教室内は可愛らしい内装で、メイド喫茶と同じ感じでいくつかテーブルが並んでいて、そこにスイーツを買った客が座り食事を楽しんでいる。
結構お客さん居るんだな……盛況してるみたいだな。
彼女達の出し物が見事成功した事を内心喜びながら、再び友香達を探す。すると、教室の黒板の前に友香、出雲ちゃん、中村の姿を見つける。
「お、居たね。僕の見知らぬ美人も居るが、彼女も友人かい?」
「一応。あ、彼女男性恐怖症のとこがあるんで、気を付けて下さいね」
「むっ、そうなのかい? なら、紳士として彼女を安心させるような振る舞いをせねばね」
不安だな……まあ、女性には優しい人だし大丈夫かな。
今は忙しくは無さそうだし、彼女達に話し掛けても平気だと判断してから店内に足を踏み入れ、彼女達の元まで歩く。
「よお、お疲れ様」
「あ! 先輩、来てくれたんですね!」
「休憩取れたからな。調子はどうだ?」
「結構いい感じ。ところで……」
チラリと、友香は俺の後ろに居る雹真さんに目を向ける。それに釣られて中村と出雲ちゃんも雹真さんに目を向け、中村は驚いて友香の後ろに隠れ、出雲ちゃんは目を丸くして人差し指を向ける。
「あー! あなた、朝倉先輩の!」
「やあ、久しぶりだね。元気にしていたかい? お二人さん」
「まあ、それなりに。お久しぶりです。…………」
友香は説明を求めるような視線をこちらに向ける。それを受け取り、俺は先ほど雹真さんと偶然出会し、色々あり一緒に行動している事を彼女達に告げた。
「ふーん……ま、身内の文化祭に来るのは不思議では無いか」
「先輩と一緒に行動している理由はなんか納得出来ませんけど。先輩に変な女を近付けさせたりしたら許しませんよ?」
「それは安心したまえよ。彼には君や雪美達の事に集中してもらいたいからね」
「……ならいいですけど」
「……ところで、彼女はいつまで僕に怯えているのかな?」
と、雹真さんは友香の後ろに隠れ、ひょっこり顔を出す中村を指差す。すると中村はサッと顔を引っ込める。
「男性恐怖症とは聞いていたけど……そこまで怖がられると少し傷付くかな……」
「ご、ごめんなさい……初対面の男性はちょっと……」
「まあ、愛莉も悪気は無いから許してやって下さい。大丈夫だよ愛莉、チャラチャラしてるけど悪い人じゃないから」
「う、うん……」
友香から雹真さんが危険の無い人と聞いて少し恐怖心が和らいだのか、中村は友香の後ろから出てくる。
「あ、あの……すみませんでした! 私、男性を前にしちゃうと緊張しちゃうっていうか……」
「いやいいんだよ。そういうか弱いところも、女性らしくて僕は素敵だと思うよ?」
「え、えぇ……!?」
「そういうセクハラ紛いな発言は自重して下さい」
「おっと失礼。僕は思った事を口に出してしまうタイプなんでね」
ハッハッハ、と雹真さんはわざとらしい笑い声を上げる。それに中村はどう反応していいか分からないのか、引きつった顔で苦笑する。
雹真さんの自由度に改めて呆れていると、 何かが足りないと違和感を覚える。
「……そういや、小波はどうしたんだ? あいつもここだよな?」
「ああ、悠奈なら先に休憩に入ってる。ミスコンの準備もあるしね」
「ミスコン? 準備? あいつミスコンに関係してんのか?」
「ん? お兄ちゃん聞いてないの? ……まあ、始まれば分かるよ」
どういう事だ? 海子もそうだったが、俺の知らないとこで何が動いているんだミスコン。
何とかして問い詰めてみたいとこだが、友香も出雲ちゃんも答える様子が無いので、仕方無いと諦める。
「まあそれはさて置き、お兄ちゃん達は何注文するの? まさか顔出しただけで帰る訳じゃ無いでしょ? ちゃんと売上に貢献してってよね」
「お前言い方あるだろ……んじゃ何か買ってくか…」
彼女達との会話を切り上げ、目の前にある商品を見回す。テーブルの上に置かれる包装されたマカロンや、ショーケースに入れられたケーキなど、様々なスイーツが並んでいる。
結構色々あるな……素人目だが、どれも店で売ってもいいレベルだと思える。つーかこのショーケースとかよく用意出来たな。普通に店とかにありそうだし。
予想以上のクオリティ驚きながら何かを買うか考える。しかし、どれも美味しそうでなかなか決まらない。雹真さんも同じように、迷っているようだ。
「……何かおすすめとかあるかな?」
「おすすめですか?」
「おすすめはやっぱりこの手作りショートケーキです! 私が作ったんですよ!」
「出雲ちゃんが?」
「もちろん一人でって訳じゃ無いですけどね……でも、とっても美味しいものになってますよ! もしよかったら、私があーんして食べさせて――」
「ウチでは接客サービスはしてないから止めようねー。お兄ちゃん特別扱いしたら、他のお客さんが荒れるからねー」
「むっ……分かってるよ……」
急な友香の説教に、出雲ちゃんはムスッと頬を膨らませる。
友香、サンキュ……またあの悪夢が再現されずに済んだよ。お礼に明日の文化祭用に小遣いやるぜ。……三百円ぐらい。
「サービスはともかく、確かにショートケーキは美味そうだな……」
「じゃあ、これにしますか?」
「そうだな……じゃあ、これで――」
「たっだいま戻りましたー!」
ショートケーキを注文しようとしたその瞬間、突然教室に響き渡った明るく大きな声に遮られる。それに俺達は一斉にその声が聞こえた入り口方面へ顔を向ける。そこには茜色のツインテールの、乱場学園の制服に身を包んだ巨乳の女子が元気そうに手を挙げている姿があった。
「お前……花咲?」
「ん? あ! 世名先輩、お久しぶりです!」
そう、生徒会の書記である花咲真昼だ。花咲は相変わらずの天真爛漫な動きと笑顔を見せながら、こちらへ近付く。
「お前もスイーツ買いに来たのか?」
「何言ってんですか! 私もD組の生徒! つまりはここの関係者ですよ! というか、リーダーみたいなもんですよ!」
「そうだったのか。というかリーダーってなんだ?」
「花咲さんの実家ってケーキ屋なんだって。それでお菓子作りとか得意だから、今回のまとめ役になってもらってるの。ちなみに、このショーケースも彼女の実家で使わなくなったもの無償で譲ってもらった」
「そうなのか……案外凄いんだな」
「フッフーン! もっと褒め称えてもいいんですよ!」
花咲はドヤァ、と効果音が付きそうなほどのドヤ顔を浮かべ、腰に手を当て胸を張る。
「で、そんなリーダーさんはどこ行ってたんだ?」
「トイレ行ってました!」
「女子がブイサインしながら言う事じゃねーだろ……というか食事中の人居るんだから止めなさい」
「あ、すみません……」
「……あなた、先輩相手に親しくし過ぎじゃない?」
と、不意に出雲ちゃんが不機嫌そうな顔で花咲を睨む。花咲はギョッと顔を引きつらせ、大げさに手を動かす。
「こ、これぐらい普通ですよ……あんまり怖い顔しないで下さいよ、大宮さん!」
「ふーん……普通ねぇ……」
「ア、アハハ……と、ところであの金髪イケメンさんはどちら様ですか? まさか世名先輩のお兄さんですか……!?」
「話逸らすなよ……全然顔似てないだろ」
「そうですよね……DNAって残酷ですね……気にしちゃ駄目ですよ!」
「俺を勝手にイケメンの兄を持ったかわいそうな弟にするな。あの人は朝倉先輩のお兄さんだよ」
「へー、朝倉会長の…………ウエェェェェ!?」
と、花咲はワンテンポ遅れて驚愕の声を上げる。
「あ、朝倉会長にお兄さんなんて居たんですか……!? しかもこんなイケメンの!?」
「ん? 君は雪美の知り合いかい?」
「は、はい! わ、私! 生徒会で書記をやらせてもらっている、花咲真昼と申します!」
「生徒会……ああ、君が。雪美の兄の雹真だ。妹が世話になってるみたいだね」
「い、いえいえとんでもないです! 世話になってるのはこっちと言うか、なんというか……」
「とりあえず、落ち着きなよ。ゆっくり話すといいよ」
完全に慌てた様子の花咲を落ち着かせるように、雹真さんは彼女に優しく声を掛ける。
「は、はい……ううっ……朝倉会長のお兄さん、とっても優しいですね……私なんだか嬉しいです……! 会長のお兄さんとは思えないです!」
「……どうやら妹は君に大分厳しくしているようだね」
「しまった! つい……そ、そんな事無いですよ! 全然! 全く! スッゴイ優しい方ですから会長は!」
「……そこまで必死に言われると信用出来ないかな……何だかごめんね」
と、雹真さんは朝倉先輩の代わりと言わんばかりに軽く頭を下げる。それに花咲は「め、滅相もない!」と雹真さんよりも深々と頭を下げる。
「そんなに頭を下げなくていいよ。そうだ、よければ雪美の話を聞かせてくれるかい? 生徒会での事を聞いてみたい」
「は、はい! 私でよければいくらでも!」
「ありがとう。という訳で友希君、僕は彼女と少し話しているから」
そう言って、雹真さんは花咲と共に店内の空いている適当な席に座り、二人で会話を交える。
「全く……好き勝手やるな……」
「先輩、あんなの放っといていいですよ。それより、ショートケーキでいいんですよね?」
「ん? ああ、そういやそうだったな。じゃ、それ一つで」
「分かりました!」
出雲ちゃんはショーケースを開け、そこからショートケーキを一つ取り出して、皿に乗せ、それをトレイに乗せてから俺の前に出す。
「はいどうぞ!」
「ありがとう。さてと、どこで食おうか……」
トレイを受け取り、料金を払ってから座る場所を探す。
席はチラホラ空いてあるし、適当な場所に座るかな。雹真さんはまだ花咲と話してるみたいだし、先に食べてるか。
ケーキを食べる為に席へ移動しようとした、その瞬間――
「イッズモーン!」
という叫び声が教室全体に響き、同時に出雲ちゃんの顔が一気に青ざめる。
バッと顔を入り口方面へ向けると、金髪セミロングのラフな格好をしたまたまた巨乳の女性――出雲ちゃんの姉、飛鳥さんの姿があった。
「な、な、なんっ……で!?」
突然の飛鳥さんの襲来は出雲ちゃんも予期してなかったらしく、目を見開き、口をパクパクさせる。
だが当の飛鳥さんはそんな出雲ちゃんの様子など気にせず、早足でこちらに近付き、ショーケースを挟んだ先に居る出雲ちゃんに強引に抱き付く。
「やっと会えたぁ……お姉ちゃん遊びに来たよー!」
「苦しっ……! な、なんでここに居んの……! もう黄嶋に帰ったじゃん……!」
「イズモンの初の高校文化祭だよ! 例え火の中水の中、私は駆け付けるよー!」
「ちょっ……! 止めてよ……!」
「……誰?」
「出雲さんの……知り合いですか?」
出雲ちゃんが飛鳥さんにほっぺをスリスリされるという異様な光景に、友香と中村が呆然としながら口を開く。
ああ、そういえばこの二人は飛鳥さんの事知らないんだっけ……
「ん? ああ、もしかしてあなた達が友香ちゃんと愛莉ちゃん!?」
そんな二人に気付くと、飛鳥さんは出雲ちゃんを離して二人に向き合う。
「そ、そうですけど……」
「やっぱり! 私、イズモンの姉の飛鳥って言うの! イズモンと仲良くしてくれてるんでしょ?」
「い、出雲さんのお姉さんですか……!?」
「出雲、お姉ちゃん居たんだ……」
ジッ、と二人が出雲ちゃんを見つめる。出雲ちゃんはバツが悪そうに目を逸らし、深く溜め息をつく。
「とうとうバレちゃったか……」
「出雲ちゃん、もう話せば?」
「先輩……はい、こうなったら仕方無いですよね……」
再び溜め息をつき、出雲ちゃんは二人に飛鳥さんの事を説明し始めた。
彼女が自分の姉で、こんないわゆるシスコンな姉が居る事を知られたく無くて、ずっと隠していた事を。
「そ、そうだったんですか……」
「その……ごめんね、隠し事とかしてて」
「……確かに驚いたけど、別にいいよ。隠し事の一つや二つ、誰にでもあるだろうしね」
そう言いながら、友香はチラリとこちらへ目をやる。
何故俺を見る……いや、俺もバイトの事隠してるけど、今は関係無いだろう。
「だから、気にしなくていいよ。それに、気持ちはなんとなく分かる」
「うん……出来れば高校卒業するまで知られたくなかった……」
「イズモンそんなに私の事恥だと思ってたの!? そんな……どこがいけないの!? お姉ちゃん悲しい!」
「そういうとこが恥ずかしいんだってば……みんな見てるんだから止めてよね!」
確かに、さっきから周囲の視線が物凄い集まってる。この状況で姉のシスコンぶりが晒されるのは、確かにちょっとした罰ゲームだな。
「とりあえず、人前でベタベタするのは止めて! いいから何か注文して出てって!」
「イズモン……何だかいつもより荒れてる……どうしたの?」
「当たり前でしょ! もう、今年一番の恥だよ……」
「まあまあ出雲さん……素敵な姉妹愛じゃないですか。私は姉が仕事で忙しくてなかなか会えないから、羨ましいです」
「そうよね! これは姉妹愛よ! 愛莉ちゃんは分かってくれるのね!」
と、飛鳥さんは嬉しそうに中村の手を取る。それに出雲ちゃんは呆れたように頭を抱える。
飛鳥さんも結構な自由人だな……こんな姉持ったら苦労するわな、うん。
「ハハッ、何だか賑やかだね」
「あ、雹真さん。花咲との話は終わったんですか?」
「まあね。彼女が手持ちのジュースをこぼして、盛大に制服を汚してね。着替えに行ったから話は終わりかな。もう少し話を聞きたかったけどね」
「そ、そうですか……」
「それにしても彼女……なかなかに素敵な女性だね」
雹真さんは顎に手を当てながら、少しニヤケながら飛鳥さんを舐め回すように見つめる。
「……まさか狙ってるんですか?」
「彼女は見たところ成人してるみたいだしね……十分射程圏内さ。いやー、予想通り君と一緒に行動してたら美人に出会えたよ。それじゃあ、ちょっとアタックしてみようかな!」
「……はぁ、もう勝手にして下さい」
もうこの人を止める事は出来んな……どうせ失敗するだろうし、放っておこう。
俺が止めるのを諦めた事を察したのか、雹真さんは早速意気揚々と飛鳥さんに近寄り、声を掛ける。
「これはこれは美しいお姉さん! 少しお話、よろしいですか?」
「はへ? えっと……どちら様ですか?」
雹真さんに声を掛けられ、飛鳥さんはキョトンとした顔をしながら彼に向き合う。
「私は恋の狩人……麗しきマリアとの出会いを求める一人のしがない男ですよ。あなたこそ私のマリアに相応しいと思いお声を掛けさせてもらった次第ですよ」
「はぁ……イズモンの知り合い?」
「ま、まあ……ちょっとあなた、まさか姉に手を出すつもりですか?」
「手を出すとはとんでもない。ただ美しい女性が居たからお近付きになろうとしたまで。男性として当然の行為さ。安心したまえ、健全を第一に考えているから荒っぽい事はしないさ」
「そういう問題じゃありません! 姉とお近付きになるとか私は認めませんから!」
「イズモン……! もしかして、お姉ちゃんの事心配してくれてるの!?」
飛鳥さんが両手を合わせながら、少し涙ぐんだ歓喜の表情を浮かべる。
「もしあなたと姉が結婚でもしたら、
問題点そこなのか……結婚って先の事考え過ぎだろ。
「なるほど……君の気持ちは理解した。だが悪いが、私も本気だ! 何人たりとも私の出会いを妨げさせはしない! 君だって、友希君との恋愛を邪魔されたくは無いだろう!」
「それとこれとは話が別でしょう!」
「という訳でお姉さん、私と一緒にこの文化祭でも回りませんか?」
「話聞いて下さいよ!」
「イズモンが嫌そうなのでお断りします」
ペコリと、飛鳥さんが速攻で頭を下げる。
なんだその理由……まあ、飛鳥さんらしいっちゃらしいが。
まさかの理由でナンパが失敗した雹真さんは、予想外といった表情をしながら静止する事数秒、突然小さく笑い出す。
「これはこれは……美しい姉妹愛には適わなかったか……仕方が無い、ここは大人しく諦めるとしようか」
「あれ? 意外とあっさり退くんですね」
「僕は潔い方だからね。相手がキッパリと断っているならこちらもキッパリと諦めるさ」
「はぁ……そうですか」
そういうとこはちゃんとしてるんだな……真面目なんだか不真面目なんだか……
「だが、これで終わりでは無いさ。また新たな出会いを求めて僕は旅立つさ! まだまだ出会いの機会は無数にあるのだからね!」
「やっぱりですか……いい加減懲りたらどうですか?」
「言っただろう? ナンパ師は懲りたら負けだって」
と、雹真さんは誇らしげに微笑む。
無駄なポジティブ精神だな……ナンパする奴はみんなこんななのだろうか。
とりあえず、ひとツッコミ入れておこうかと口を開こうとした寸前――突然雹真さんの背後に一人の人物が現れ、静かに口を開いた。
「全く……その考えはどうにかして変わらないものですかね。記憶喪失にでもなって人間性を一から作り直したらどうですか?」
「これはこれは……随分と厳しい事を言うねぇ、友希君」
「……今の俺じゃ無いですよ」
「え?」
と、すっとんきょうな声を出し、雹真さんはその声の主を探すように辺りをキョロキョロと見渡す。
「こっちですよ――雹真様」
「……どっちでしょうか?」
「後ろです。背後です。回れ右です」
冷ややかで、淡々とした若干の殺意が混じった胸を貫くような声に、大体の察しが付いたのか、雹真さんは顔を青くしながら、回れ右をする。
次の瞬間、彼の背後に立っていた彼女は雹真さんの顔を見つめながら、ニッコリと笑みを浮かべた。
「や、やあ……奇遇だね、冬花……」
「ええ、奇遇ですね雹真様。ところで……ここで何をしているのですか?」
「な、何って……スイーツを楽しんでいただけだよ、うん」
「そうですか? 私にはそこのお方を懲りずにナンパしていたように見えたのですが?」
「み、見ていたのか……な、なら知っているだろう! それは見事に失敗した! だから、問題は無いだろう!」
「……それは大した問題ではございません」
ズイッと冬花さんは一歩前に進み、雹真さんは三歩後ろに下がる。
そのあまりにもどす黒い雰囲気に、俺だけでなく出雲ちゃんや飛鳥さん達、さらには周囲の客も無言になり傍らからその様子を見守る。
「私、何度も言っていますよね? ナンパはお止めになって下さいと。雹真様はその程度の約束も覚えられないのですか? 馬鹿なのですか? 頭だけ鶏レベルなんでしょうか?」
「い、いやそれは……ぼ、僕にとってこれは生き甲斐というか……め、迷惑が掛からない程度にしているから構わないだろうこれぐらい!」
「いい訳が無いでしょうスットコドッコイ」
冬花さんが急に右手を伸ばし、雹真さんの左手首を掴む。
「な、何をする……!?」
「決まっています。今度こそナンパなんて止めさせる為に、コッテリとお話をしようかと」
「そ、それは勘弁を……! ほ、ほら、雪美の劇もある事だし、今は……」
「お嬢様の劇まではまだ多少時間がありますよ。それまでは大丈夫ですよ。さぁ、行きましょうか?」
「そ、その……友希君、助けておくれ!」
と、雹真さんがこちらに右手を伸しながら悲痛な目を向ける。
だが、俺はこれに関わってはいけないと判断し、そっと目を逸らした。
「友希君!? 何故目を逸らすんだい!?」
「往生際が悪いですよ? 自業自得なんですから、覚悟をお決めになって下さい」
「だから! 本当に悪かったから! 許してくれないかな!?」
「そんな言葉を吐いて翌日に何事も無くナンパしてたのは今まで何回ありましたっけ?」
「あ、えっと……」
「……行きましょうか」
ニコッと笑い、冬花さんは雹真さんを軽々と引っ張りながら教室を出る。雹真さんはもう諦めたのか、悲鳴の一つも上げず、彼女に引きずられていった。それを俺達は、呆然と見送った。
彼らが去った後も、教室内はシンッと静まり返ったままで、放心するようにしばらく静寂が続いた。
雹真さん……とりあえず、生きて帰ってきて下さい――俺は心の中で、そっと祈った。
ちょっと詰め込み過ぎてごちゃごちゃしちゃったかな……
ともかく、雹真さんはここでご退場。その後、彼の姿を見た者はいなかったとか、そうでないとか。