「友希君、ちょっといいかしら?」
とある日の昼休み――屋上にて天城達いつもの五人と昼食を楽しみ、食べ終えてから昼休み終了十分前まで会話を交え、解散してそれぞれの教室に戻ろうとしたその時、不意に朝倉先輩に呼び止められた。
「何か用ですか?」
「……先日の事、改めてお礼を言おうと思ってね」
「先日……?」
それが一体何の事か瞬時に理解出来ず、脳内で記憶を探る。そして数秒も経たずに、それが先日の黒いあいつの事だとしっかり察し、言葉を返す。
「別にいいですよ。俺は何もしてないし、結局冬花さんがやっつけたんですし」
「それでも、私の為にわざわざウチに来てくれたのだから、お礼を言うのが義理よ。ありがとうね、友希君」
「そんな律儀な……まあ、どういたしまして。そういえば、あれからなんか変わった事ありました?」
「特に何も無かったわ。……いえ、一つだけあるかしら。実は――」
「二人だけで何話してるんですか?」
急に、俺の背後から冷ややかな声が耳を刺激し、思わず体がブルッと震える。その声に微かな恐ろしさと殺気を感じ取り、慌てて振り返る。そこにはとてつもなく不機嫌そうな顔で腰に手を当て、仁王立ちをする出雲ちゃん。その後ろに同じように機嫌を損ねた様子でこちらを見る、天城と海子。そしてちょっと離れたところでボケッとした様子でこちらを見る陽菜と、教室に向かったはずの面々の姿が見事に勢揃いしていた。
「あれ……教室に戻ったんじゃ?」
「途中で先輩とどっかのお嬢様が居なかったのに気付いて戻ってきたんです。で、何を話してたんですか?」
「別に、単なる世間話よ。あなた達には関係無いから」
「……ウチに来たとかなんとか聞こえましたけど?」
天城の言葉に朝倉先輩は一瞬「あら、聞いていたのね」と言いたげな顔をすると、唐突に口角を上げる。……嫌な予感。
「ええそうよ。実は先日友希君が私の為に我が家に来てくれたの。ちょっとしたトラブルに困っていた私の悩みを聞いて、助けてくれたのよ。
「なんで最後の言葉を強調してるんですか! というか……それ本当ですか!?」
「ええ、本当よ。事実よ。真実よ。ねぇ、友希君」
「え!? あー、いや、まあそうなんですけど……いや! 俺は人間として当たり前の善意に従って彼女の力になっただけであって、別にそういうあれでは無く……」
とりあえず脳内にある低レベルなマイ言い訳辞書から言い訳の言葉を適当に選出して、どんどん口に出していく。が、彼女達の不機嫌は一向に収まる気配を見せず、だんだんと膨れ上がりこちらをジトッと見つめるのみ。
その何度経験しても慣れそうに無い状況に戦慄が走りかけたその時、昼休み終了直前を告げる予鈴のチャイムが鳴り響いた。
それを聞いて流石の彼女達も問い詰める時間は無いと諦めたのか、スッと視線を外す。そして代表して出雲ちゃんが口を開く。
「……今回は深く問い詰めるのは止めます。許したつもりは無いですけど」
「あら? 随分とあっさりと諦めるのね」
「どうせあなたに問い詰めてもはぐらかされるだけですし。それに、私は今は機嫌がいいですから」
「どうしてかしら?」
「あなたなんかに言う必要ありませんよ!」
「……もしかして、誕生日か?」
唐突に海子がそう口にする。すると出雲ちゃんは図星を指されたのか、少し顔をしかめる。が、すぐにドヤ顔を見せて大きく胸を張る。
「そうですよ! もうすぐ10月1日! 私の誕生日ですから!」
「誕生日でそこまでテンションが上がるとは、お気楽ね」
「フンッ、忘れてるんですか? 誕生日は先輩とデートって決めたじゃないですか。だから私は機嫌がいいんですよ! 誕生日を先輩と過ごせるんですから!」
「そういえば……10月1日って、この学校の創立記念日で休みだっけ……?」
天城の呟きに、出雲ちゃんはさらに誇らしげに胸を張る。
「ええそうです! だから私は、天城先輩や雨里先輩と違って、誕生日当日に先輩と一緒に過ごせるんですよ!」
「そうなの……じゃあ創立記念日を取り消すように学校側に打診しないと」
「はぁ!?」
「冗談よ。私もそこまで卑怯では無いわよ」
「どの口が言ってんですか……」
と、出雲ちゃんが周りの人に聞こえないように小さく呟く。
まあともかく……誕生日が近いから出雲ちゃんは機嫌がいいと。そのお陰で今回はお咎め無しになったんなら結果オーライだな。……他二名は誕生日の事実を知ってさらに機嫌が悪くなった感じだが。
「――ねぇ!」
二人の機嫌が悪くなった事で第二ラウンドが発生しないか心配したその時、今まで口論を傍観していた陽菜が急に声を上げる。
「もうすぐ授業始まっちゃうよー!」
「げっ、そうだった……!」
「話はまた今度ね」
「全く……なんでこんな事に……!」
「お前が余計な事を話し始めるからだろう!」
「とにかく急ごう」
俺達は会話を切り上げ、教室に全速力で走り出した。途中先輩が口にしようとしていた変わった事や、出雲ちゃんの誕生日が少し気に掛かったが、ひとまず消し去ってA組の教室を目指した。
◆◆◆
放課後――今日、久方ぶりの日直だった俺は、すっかり存在を忘れていた学級日誌を適当に走り書きして、ハル先生に提出する為に職員室を訪れていた。
「はいご苦労様です」
俺から日誌を受け取ると、ハル先生はそれをデスクの上に置いて「気を付けて帰ってねー」といつものようなおっとりとした口調の言葉を掛ける。
俺も教師達が大勢居る生徒としては居辛い場所からさっさと立ち去ろうとしたが、ついハル先生の顔をジッと見つめたまま立ち尽くしてしまった。
「……私の顔になにか?」
「あ、いやその……昨日、妹さんにお会いしまして……」
「……ああ、そうみたいね。昨日冬花から聞いたわよ。それで……私の顔になにか?」
「いや……そう聞くと似てるなーっと思いまして……」
言われなければ気が付かないだろうが、意識して見るとハル先生と冬花さんは案外似ている。全体的にふんわりしているというか……ただ、冬花さんの方が威圧感があるし、身長も高いし、スタイルも失礼だがあちらの方が個人的には魅力的だ。どちらかというとあっちが姉な感じがしなくも無い。
「……今失礼な事を考えてたかしら? 世名君」
「え!? そんな事無いですよ!」
こっちもこっちで迫力はあるかもな……怒ったとこ見た事無いけど、怒ったらヤバそうなのはなんとなく分かるし。
とりあえずはぐらかす為に話題を変える。
「えっと……冬花さん、朝倉家のメイド長らしいですけど……という事は先生は朝倉先輩の事を?」
「ええ聞いてますよ。というか、教師はみんな彼女の事情を知ってますよ。万が一誰かが彼女に対して失礼な事をしたら、どうなるか分かったもんじゃ無いから」
笑顔で怖い事言うなこの人……まあ、確かにそうかもな。
「でも……冬花さんどういった経緯で朝倉家のメイドなんかに?」
「えっと、それは――」
「叶先生! お電話です!」
「あ、はーい。ごめんなさいね、世名君。お話はここまでみたい」
「いや、いいんです。ちょっと気になっただけなんで。じゃあ、俺はこれで」
「はーい。また明日ねー」
軽く頭を下げ、俺は職員室を後にした。
冬花さんの事を聞けなかったのは少し残念だが……知らなくても支障は無いし、また別の機会に聞けばいいか。
それから何人か残って駄弁っている生徒が居る教室に戻って荷物をまとめ、学園を去る。そのまま家に帰宅――はせず、駅近くにある商店街へと向かった。
いつもなら太刀凪書店でのバイトの為だが、今日はシフトが入って無いので違う。今日は商店街近くのスーパーで母さんから頼まれた買い物を済ませる為に向かっている。
「……寄ってみるのもいいかもな」
だが折角商店街近くを通るんだし、顔見せするぐらいはいいかもしれない。……人足りないから働けなんて事は流石に無いだろうし。
ひとまずスーパーで頼まれた物を買ってから、書店に顔を出そうと商店街へと足を運び、店の前に到着する。
いつも店員として働いてる店に正面から客として入るのは、何だか緊張するな……とはいえ、躊躇しててもあれなので、思いきって店内に入る。
店内はシーンと静まり返っており、客もかなりまばらだ。どうやら今日は暇な日らしい。……今日シフト入れればよかった――そんなちょっとした後悔をしていると、話し声のようなものが店のレジ付近から聞こえてきた。
その声にレジ方面へ歩みを進めると、そこにはいつものように木刀を左腰に装備した千鶴さんと、彼女と楽しげに会話を交える、メイド服の女性が立っていた。
「ふ、冬花さん!?」
「あら? これはこれは世名様。こんにちは」
「あ? どうしたお前? ……タダ働きなら大歓迎だぞ」
「違いますよ!」
親指を立てながら口にした千鶴さんの言葉に速攻で反論し、ここには買い物ついでに顔を見せに来た事を伝える。
「なんだ冷やかしかよ……ならさっさと帰れ帰れ。ウチは忙しいんだ」
「どこがですか……それより、どうして冬花さんがここに?」
「……それはどうしてこの店に居るのか――それともどうしてこの町に居るのか、どっちの意味でしょうか?」
「え? ……じゃあ、両方で」
「承知しました」
ペコリと礼儀正しく頭を下げると、冬花さんは微笑んだまま右の人差し指をピッと立てる。
「まずはどうしてこの町に居るか? 実は先日お嬢様の元を訪れたのはお嬢様の危機をお救いするだけで無く、旦那様にお嬢様のお世話を任せれたからなのです」
「……つまり?」
「以前まで別の者が担当していたお嬢様の担当を、私がする事になったのです。だから、私は今もこの町に居る次第でございます」
「そ、そうなんですか……またなんで冬花さんが先輩の?」
「さあ? ただ、旦那様は過保護ですから。愛する娘が心配で心配でたまらなくて、私を派遣したのでしょう。最近は世名様との恋愛で色々あるようですし」
そんなにか……仮にもメイド長を娘一人の為に実家から離すかね……もしかして、別荘に居たのもそれが理由か? ……あと色々ってなんだ。
そんな俺の疑問をさて置き、冬花さんは続けて中指を立てて、口を開く。
「そしてこの店に居る理由は簡単です。世名様と同じように買い物ついでに立ち寄ったまでです。千鶴様とは顔見知りなので」
「そ、そうだったんですか!? 一体どういう関係で……?」
「あらまあ、ご存知無いのですか?」
「は、はい……」
「そうなのですか……まあ、そんな大層な関係ではありません。私の姉と千鶴様が高校時代の同級生なだけですよ」
「ど、同級生……!?」
そ、そうだったのか……そういえば、千鶴さんとハル先生って同じ28だったな……でも、まさか同級生だったとは……ていうか――
「どうして教えてくれなかったんですか」
「聞かれてないし。言う事でも無いだろ」
「まあ、そうですけど……」
「別に同級生って言っても腐れ縁って訳でも無いしな。……どっちかと言えば、別の理由で深い縁があるというか……」
「へ?」
「……何でも無い」
「いや、何でも無い事無さそうな雰囲気――」
不意に、千鶴さんがギロリとこちらを睨みながら、右手を木刀に添える。このままではいつもの一閃が襲い掛かりそうなので、気になる気持ちを抑えて口を閉じる。
それを見て千鶴さんは木刀から手を離し、ふぅと息を吐いて腕を組む。
「とにかく! 用が無いならとっとと帰れ。じゃないと本当にタダ働きさせっぞ?」
「理不尽な……」
「あぁ?」
「何でもないです。すぐ帰ります」
これ以上千鶴さんの機嫌を曲げると俺の骨が一、二本は折り曲がってしまいそうなので、慌てて店内の外へ向かい歩く。
俺が何をしたっていうんだ……まあ、ここは大人しく帰るのが吉だ。
「――世名様、少しよろしいでしょうか?」
店の外に出て、そのまま商店街から抜けようとしたその時、突然背後から冬花さんに呼び止められ、足を止めて振り返る。
「申し訳無いですが、今から少々お時間を頂いてもよろしいでしょうか?」
「えっ……いいですけど、何ですか?」
「是非とも、世名様からお話を聞きたいと思いまして。これからお嬢様のお世話をする事になるからには、私の知らないお嬢様の事や、思い出話なんか色々と」
「えっと……それ意味あるんですか?」
「ぶっちゃけ興味です。それから、姉の事も少々。あのような姉ですから、なにか生徒の皆様にご迷惑をかけてないか心配で」
「そ、そうですか……」
まあ、抜けてるとこあるからな、ハル先生。それに先輩の話か……別に断る理由も無いし、少しだけ付き合うか。俺も色々聞きたいし。
「……じゃあ、近くに喫茶店があるんで、そこに行きますか?」
「ありがとうございます。……ああ、ご安心を。別に口説き落としなどというお嬢様を裏切る事は考えておりませんので。もしも大人なお姉さんとのキャッキャウフフを妄想していたのなら、申し訳ございません」
「いやそんな事考えてませんから……」
それから俺と冬花さんは以前燕さんとの会話や、天城と香澄ちゃんについて話をした時に来た喫茶店へ向かい、適当な飲み物を頼んで話す事に。
何から話そうか考え込もうとしたのだが、何だか周りの目がいつも以上に集まっているのを感じて、上手く集中出来なかった。まあ、メイド服の女性と二人でお茶しに来てるなんて特殊過ぎる光景だし、視線が向いてしまうのは致し方ない状況だろう。
が、視線を向けられている当人である冬花さんはもう慣れっこなのか一切気にする素振りを見せず、注文したホットコーヒーを少しだけ啜り、こちらへ目を向ける。
「では、話しましょうか」
「えっ……あ、はい……で、何を話せば?」
「そうですね……では、今まで世名様がお嬢様とどんなアハーンな事を仕出かしたかお話して頂けますか?」
「言い方……」
時々変な言葉選ぶなこの人……ユーモアもあっていい人だとは思うけど……というか、前に雹真さんにも同じような事聞かれたな……みんな朝倉先輩の恋愛事情に興味持ちすぎでしょ。
反応に困った俺はゴホンと咳払いをして気を取り直し、彼女に言われた通りの事を話す。内容は別荘の時に雹真さんに話した内容とほぼ同じだ。それを冬花さんはちょくちょく相づちを打ちながらどこか嬉しそうに聞き続ける。それだけで雹真さんと同じく、彼女がどれだけ朝倉先輩の事を思っているかが分かった。
先輩に関する話を全て終えた後、今度はハル先生について話をした。とはいえ、ハル先生の事はそんなに詳しく無いので、授業などでハル先生がやった失敗談などを適当に話した。昨年も担任はハル先生だったので、割とエピソードは豊富だ。
授業の内容を前回の続きと言っておきながら、全く同じ内容を十分間指摘されるまで続けたり、明日抜き打ちテストをすると前日に報告したりなどなど――
それらのハル先生の色々抜けているエピソードを聞くと、冬花さんは小さく苦笑する。
「それはそれは……姉らしいというか……妹として恥ずかしい限りです」
「ハハッ、でも、そういうところも生徒に人気で、いい先生だと思いますよ?」
「なるほど……ならよかったです。姉は心配になる事ばかりですから」
「そうかもしれませんね……なんというか、冬花さんの方がお姉さんっぽいですよね?」
「そうですね……昔からよく、私が一番しっかりしているとよく言われましたから。でも、あんなでも素晴らしい姉なんですよ? 昔はよく姉に怒られて、泣いてましたから」
「そ、そうなんですか……」
怒ると怖いのは本当だったか……というか、冬花さんも怒られるような事してたんだな……そんなイメージ湧かないけど。
まだ会って二回目だが……この人の有能オーラは嫌というほど感じられる。正直朝倉先輩並みに欠点が無さそうに見える。
「そういえば……冬花さんって、どうして朝倉家のメイドになったんですか?」
「私ですか? ……ナンパされたからですかね」
「な、ナンパ……?」
その単語を聞いた瞬間、ある人物の顔が思い浮かぶ。金髪グラサンの、アロハシャツの男性が。
「そ、それって……」
「ご想像の通り、雹真様ですよ」
「ですよね……ていうか、ナンパされてメイドになったってどういう事ですか?」
その問い掛けに冬花さんは口に運びかけていたコーヒーカップを置き、言葉を考えるように暫し顎に手を当てる。
「……雹真様と出会ったのは六年前――私が大学生の時です。偶然町で出会った彼にナンパをされたのがキッカケです。いきなり『おお! なんて美しいお人……あなたこそ私のイブだ! 恋に迷えるアダムの前に舞い降りた天使! 私とお茶でもいかがですか?』という意味の分からないオッペケペーな言葉を掛けられました」
「それは……アブノーマルな出会いですね」
「ええ。正直第一印象は、何言ってんだこの金髪野郎、髪の毛刈り取るぞ――と思いましたね」
あなたの思考も大分凄いですね――そのツッコミを心の内で放ち、話を聞き続ける。
「もちろんそのナンパは適当に断りました。ただあまりにしつこいので話を聞いてあげたんです。その時、彼に我が家のメイドにならないかとスカウトされたんです」
「と、唐突ですね……」
「本当ですよね。最初は断ろうかとも思ったんですが、そういった普通では体験出来ないような事をしてみたいとは思っていたので、とりあえず了承しました」
「とりあえずで了承するもんですかそれ!?」
「ノリですよノリ。それで後日お試し程度にメイドの仕事手伝わせてもらったのですが、旦那様や当時のメイド長に気に入られて、そのまま正式に朝倉家のメイドになる事になったのです」
な、何だか適当というか……大ざっぱだな、朝倉家のメイド起用。そんなんでいいのか?
「まあ、雹真様は人を見極める才能のようなものがございますから。きっと私に何かを感じ取ってスカウトしたのでしょう」
「な、なるほど……」
確かに、人を見透かすみたいな才能はありそうだなあの人……冬花さんの中にある才能を見抜いてスカウトとしたと……まあ、明らかに出来そうな人だしな。
「……それから、私は朝倉家のメイドとして働くようになり……今から三年前、前任のメイド長が朝倉家を離れる事となり、私がその跡を継ぐ事になったのです。若くて新参者な私に勤まるかと不安でいっぱいでしたが、雹真様に旦那様、お嬢様や他の使用人……皆私の事を認めてくれました。だから私は今、誇りを持ってこの仕事を全うしています。皆の期待を裏切らぬように」
「……そうなんですか」
「ええ。ですから今は、お嬢様のお世話を全身全霊を込めてこなしていく所存です」
そっと右手を胸元に添えて、ニッコリと微笑む。
冬花さん、いい人だな――平凡な感想だが、純粋にそう思った。
「ですから世名様、是非恋愛で悩みがあれば、ご相談下さい」
「えっ、どうしてそこで俺が?」
「今のお嬢様にとって、一番幸せなのは世名様との時間です。ですからお嬢様に幸福になってもらう為に、世名様には全力でご協力させてもらいます」
「そ、そうですか……」
「お嬢様の事で何か分からない事があったら、何でもお聞きになって下さい。私、実は三年前まで今と同じようにお嬢様のお世話をしてましたから、お嬢様の事なら色々知っております。苦手な事からスリーサイズ、お風呂の時にまずどこから洗うか、お嬢様の胸囲の成長記録まで、何でもお答えしますよ」
「は、はぁ……」
そして、凄い人だな――やはり平凡だが、そうも思った。
「……さて」
ホットコーヒーを飲み干すと、冬花さんはゆっくり立ち上がる。
「少々話が長くなりましたね。世名様、お付き合い頂きありがとうございます。お支払いは私が済ませておきますね」
「あ、いいですよそんな……」
「お嬢様がお世話になっているお礼です。ご遠慮なさらないで下さい」
そう言うと冬花さんはそそくさとレジへ向かい、会計を済ませる。
ご馳走になっちゃったな……まあ、好意として素直に受け取っておこう。
会計を済ませた冬花さんと店の外に出て、そのまま軽い言葉を交わして別れようとしたまさにその時――
「――おお、なんと力強い立ち姿! まるで毘沙門天のように勇ましい!」
と、突然太刀凪書店の方から商店街全体に響き渡るような男性の声がこだました。
この声……聞き覚えがあるぞ。いや、どうしてここに? というかなんだそのセリフ――色んな疑問が頭に浮かび上がるが、目に映った光景を見て、その疑問が全て吹き飛んだ。
「…………また懲りずにナンパですか……」
「ふ、冬花さん……!?」
何故か冬花さんが、ニッコリ笑顔で憎悪を全開で振り撒いていた。
一体彼女の心情に何があったのか理由を考えるが、その答えが出る前に、冬花さんが太刀凪書店に向かい歩き始める。
このままだと何かマズい事が起きる気がする――俺の第六感がそう警告を出し、慌ててその後に続く。すると視界の先にある太刀凪書店の入口で、見覚えのある金髪アロハの男性と千鶴さんが何やら話し合っているのが見えた。
「どうですかお姉さん! 私と是非お食事でも……」
「お客様、ご用が無いなら帰ってもらえますか? 他のお客様にご迷惑なので」
「おっと! これは失礼した。では、二人で近くのレストランにでも移動しま――」
「一人で回転寿司にでも行ってろ金髪野郎!」
堪忍袋の緒が切れたのか、千鶴さんがその男性に木刀を振り下ろす。
「イッタイ! だが……そんなパワフルなところもナイスですよ、お姉さん……」
「何なんだよテメェ……警察呼ぶぞ? 知り合いに嫌というほど居るからな?」
「フッ、そんなもので私は退かないさ……私を止めたければもっと恐ろしいものを呼ぶんだな!」
「――呼ばれてないけど来ましたが……何か言う事がありますか?」
「……へ?」
その声にゆっくりと後ろ振り向き、背後に立ち尽くす冬花さんを見た瞬間、男性――雹真さんの顔が一気に青ざめ、物凄い勢いで後ずさった。
「ふふふふ、冬花!? ど、どうしてここに……!?」
「それはこちらのセリフです。どうしてこんなところで、私の顔見知りをナンパしてるんですか?」
「い、いや、仕事で近くに寄って、新たな出会いを求めて立ち寄ったというか…………き、君の知り合いだったんだね……」
「……将来朝倉グループを継ぐというのにこんな商店街のど真ん中で堂々とナンパとは……情け無いとは思わないのですか? もっと将来の事を考えては?」
「い、いや! これでも結構考えてるのよ? 将来、私の伴侶となる相手を探してだね――」
「だったらもっと真面目に考えて下さい」
「あ、えっと……も、もしかして嫉妬してるのかなぁ!? 私が可愛い女子に次々声を掛けている事に妬いてるんだなぁ! 可愛いヤツめぇ!」
「……絞め殺しますよ?」
「……ごめんなさい」
物凄く淑やかな口調と笑顔で放たれた物騒な言葉に、雹真さんは物凄く掠れた怯えきった声を出す。
す、凄い……あの雹真さんが子供のようにあしらわれている……
あまりに凄まじい光景に近づくのを躊躇い、ちょっと離れたところからその様子を呆然と見守っていると、突然冬花さんが雹真さんの首根っこを掴む。
「ちょっ!? 何を……!?」
「グループの将来の為に、そのナンパ癖はどうにかしないといけませんから。今からお説教です」
「いや……! 待っ……! い、今から大事な仕事があるから! グループの将来に関わる大事な事だから!」
「グループの将来の前にご自身の将来です。それに、大事な仕事があるのにそんなアロハシャツな訳無いでしょう?」
「あ、いや……こ、これから――」
「黙らっしゃい」
グイッと雹真さんの首を引っ張り、動かない犬を無理矢理引きずるように歩き出す。
「さあ、ごゆっくりお話しましょうか?」
「待って! 本当に待って! お願いだからぁぁぁぁぁぁ……」
悲痛な雹真さんの叫びが、商店街にこだました。そしてやがて、二人の姿は俺達の前から消えた。
その様子を俺、そしてあの千鶴さんさえも、唖然と見送った。
冬花さん、怖い人だな――平凡な感想だが、そう思った。
前回から続いて冬花さん登場。こういうサブキャラメインの回は珍しいかも。今後もこういう回をやってみたい。
そんないい人で、凄い人で、怖い人の冬花さんのプロフィールを登場人物一覧表に追加します。
興味がある方は是非。彼女の秘密が分かるかも。