モテ期と修羅場は同時にやって来るものである   作:藤龍

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日焼け止めは乙女のたしなみである

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒南島の別荘到着後、俺達は朝倉先輩やメイドさん達の案内で、彼女の別荘を見て回った。

 大浴場、黒南島を一望出来る巨大なテラスなど、一般人には縁遠い場所を全て回った後に朝倉グループの使用人であるコック達が作った三つ星レストランとかでも出されてもおかしくない豪勢な夕飯を食し、先刻の大浴場で疲れた体を癒してから、それぞれの部屋で眠りについた。

 

 大した事をしていないにも関わらず、何だか必要以上に疲れた初日はこうして終わり、翌日の午前十時頃――俺達は黒南島最大の人気スポットである、黒南海岸へとやって来た。

 多くの観光客がひしめく広大な砂浜に、女性陣に先駆け、俺達男性陣は水着に着替えやって来た。

 

「海来たぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 ビーチサンダルを履いた足で一面に広がる砂を踏むと同時に、孝司は雄叫びを上げながら波打つ真っ青な海に向かい全速力で走り出した。

 それを俺と裕吾、そして今回もやはり海パンにパーカースタイルの翼は突っ立ったままその馬鹿の後ろ姿を見つめる。

 

「げ、元気だね……」

「馬鹿だからな」

「ま、厄介事持って来なきゃ文句は言わないけど」

 

 とりあえず後を追いかけようと俺達も砂へ足を踏み入れる。直射日光を浴び続け素足で立ち尽くしていると火傷してしまいそうな砂の温度に足を忙しなく動かしながら、前進する。

 だんだんと砂の熱に慣れ、普通に歩けるようになった頃、先走っていた孝司が再び全速力でこちらへ戻ってきた。

 

「どしたお前」

「ビッグイベントを見に来たんだよ!」

 

 俺達の間を通り抜け、背後で急ブレーキをかけて立ち止まると、孝司は遠方を見るように身を乗り出す。孝司が見る方へ視線を向けると、そこにはバラバラの歩調でこちらへと歩み寄ってくる、水着の朝倉先輩達の姿があった。

 なるほど、これを見るために戻ってきたのね。揺るぎの無い孝司の行動原理に呆れながら彼に視線を移す。孝司は握り締めた拳を胸元辺りまで上げ、ガッツポーズをしながら肩を震わせていた。

 

「来てよかった……!」

 

 それほどですか……女性の水着でそこまで感激出来るとは、頭が平和な奴だな。

 

「というか、プールでも見たじゃん。あれ同じ水着だぞ?」

「うるせー! こういうのは何回見ても嬉しいもんなんだよ馬鹿野郎!」

 

 クワッと見開きながらこちらへ向けられた孝司の瞳の真剣さにさらに呆れながら、それとなく視線を逸らす。

 

「あーあ、これでカスミンも居れば最高だったんだけどなー」

「仕事なんだから仕方無いだろ。というかグラビアの写真とか持ってるんだし、それで十分だろ?」

「アホか! 生は違うだろ! アイドルの生水着だぞ!? 全財産払ってでも見たいわ!」

 

 どんだけだよ……お前絶対いつか女性関連で破産するぞ――その将来への警告を何となく飲み込んで口に出さずに、ただ黙って溜め息を吐いた。

 そんなくだらない会話をしている間に彼女達は俺達のすぐ近くまで来ていて、出雲ちゃんが一足先に飛び出し、こちらへ駆け寄って来る。

 

「センパーイ! お待たせしまし――まっ!?」

 

 駆け寄る勢いのまま、出雲ちゃんが俺に向かってダイブしようと飛び上がろうとするが、それをいつの間にか彼女の背後へ移動していた天城が腰へ腕を回して阻止。急な妨害に出雲ちゃんは変な声を出して変な態勢で急停止。

 

「ゲホッ……! 危ないじゃ無いですか!」

「あらごめんなさい。このままだと世名君が押し倒されちゃうと思って」

 

 天城のどこか含みのある言い方に出雲ちゃんはギラリとした目で彼女を睨むと、ふんっと鼻を鳴らして目を背ける。な、何かいきなり険悪ムードだな……何かあったのか?

 事情を知ってそうな友香へススッと近付き、耳打ちをする。

 

「おい、何かあったのか?」

「多分、昨日の夜かな。実は――」

 

 それから友香は昨日の夜、女子部屋で起きた事を簡潔に説明してくれた。

 

 ざっくりまとめると――昨日夜に朝倉先輩を除いたメンバーで同室で寝たのだが、全員がそれぞれのベッドに入った後、陽菜が「みんなでお泊まり、懐かしいなー! 昔友くん達とした以来だなー」という発言から事が発展。

 彼女のその発言に天城、出雲ちゃんの両名が食い付き、問い詰める。それに陽菜は俺とのお泊まり会の思い出をあっさりと語り始め、それを聞いた二人は激昂。

 それだけならまだしも、何故か急に出雲ちゃんが「わ、私だって先輩との思い出ぐらいあるんですから、調子に乗らないで下さいよね!」と言い出し、俺とのここ三ヶ月で経験した思い出(俺に手作り料理を振る舞ってもらった事など)を語り出す。

 するとその事実を知らない天城が「それはどういう事かしら?」と機嫌を損ね、「私にも、素敵な思い出ぐらいあるわよ」と何故か抗争するように俺との思い出(相合い傘をした事など)を語り出す。

 そしてその事実を知らない出雲ちゃんは「な、何ですかそれぇ!」と同様に気分を悪くする。

 そこから二人の間に険悪ムードが流れ、口論から枕投げにまで発展し、疲れ果てた結果寝落ちして幕を閉じた――という事らしい。

 

「…………」

 

 事のあらましを聞いた俺は、何も言わずに頭を抱えた。

 どんなカオスなガールズトークしてんだアンタら……暴露トークにも程があるだろう! どうやら海子はその流れには乗らなかったらしいが――

 

「…………」

 

 彼女はさっきから俺の事をジトッとした目で見ている。恐らく昨日の天城達の暴露で内心機嫌を損ねているらしい。いきなり波乱だなクソー!

 いきなり気分を害している彼女達をどうやって機嫌を直させるか頭を悩ませていると、陽菜がキョトンとした顔で俺の事を覗き込んでくる。

 

「友くん、元気無さそうだけど大丈夫?」

 

 元気無さそうに見えるなら大丈夫じゃ無いんだろうね……というか、お前が余計な事言わなきゃこうはならなかったんだぞ――そう言いたい気持ちを抑え込んで、無言で頷く。

 こうなってしまった以上、仕方が無い。今日一日を使って、三人の機嫌を取り、平常に戻す! その為に早速策を考え――

 

「何だか色々あったみたいね。気にするだけ損よ、友希君。早く行きましょう?」

 

 突然隣に立った朝倉先輩がそう口にしながら、俺の手を握り締める。不意に走ったフワリとした柔らかい感触に思考が一旦停止する。が、すぐに今の状況に気付きいがみ合っていた天城達へ目を向ける。

 

「…………」

 

 案の定、三人は負のオーラ全開でこちらを睨んでいた。……どうしてこうなるの!

 

「朝倉先輩、抜け駆けは許しませんよ?」

「あら? あなた達が勝手にゴタゴタやってただけでしょ? 気が済むまで討論を続けてていいわよ。私は友希君と泳いでくるから」

「じょ、冗談じゃ無い! わ、私達も友希と泳ぎたいんだ!」

「勝手な行動をしたら、海の藻屑にしますよ?」

「まあ怖い」

 

 駄目だ、空気が一向に良くならない。周囲はサーファーに、日焼けしてる水着ギャルに、グラサン掛けたパーリーピーポーと華々しい限りなのに、ここだけ地獄だよ! 真っ黒に燃えたぎってるよ!

 このままではこの砂浜全体に修羅の空気が広まってしまうような言い知れぬ不安を感じた俺は、思考する時間も惜しんで口を動かす。

 

「とと、とりあえず泳ごう! 今回は思い出作りが目的でもあるんだし、楽しもう!」

「そうだよ! みんなでスイカ割りとか、ビーチバレーとか、砂のお城作ったり、色々楽しむ事があるんだし、時間が勿体無いよ!」

「そ、そうそう! だからいがみ合いは忘れて、目一杯海を満喫しよう! 俺もちゃんとみんなに付き合うからさ!」

 

 思うままに言葉を出し続けると、彼女達は互いに一瞬目を合わせ、すぐさま俺の方へ視線を向けてコクリと首を縦に振る。

 何とかなったか……よし! ここからが本番だ! 彼女達を楽しませて、挽回だ!

 

「よし! それじゃあ準備運動をしっかりして、まずは海で泳ごう! それから色々と――」

「あ、少し待ってくれないかしら。海に入る前に、友希君に少しお願いしたい事があるの」

 

 俺の言葉を遮ると、朝倉先輩は手持ちの小さなバッグの中を漁り、何かを取り出して俺に渡す。

 

「これは……?」

「日焼け止めよ。今日は日差しがかなり強いし、しときたくてね。それで背中に塗るの……お願い出来るかしら?」

「…………え?」

 

 俺が? この日焼け止めを? 先輩の背中に?

 お願いの内容は至極単純なはずなのだが、俺は思わずポカンと口を開きながら、渡されたジェルタイプらしい日焼け止めと、彼女の真っ白な肌を交互に見る。

 なるほど……俺が彼女のあの柔らかそうな……というか実際柔らかい背中にこれを塗るんだな。簡単な事――

 

「――って何で!?」

 

 ようやく理解が追いつき、感情のままに叫んだ。

 

「あら、駄目かしら?」

「駄目というか……何で俺が!? 他に頼める人は居るでしょう! ここに居るメンバーとか、メイドさんとか!」

「それは簡単よ。私は是非友希君にしてほしいのよ。こういうの何だか恋仲って感じで素敵じゃ無い?」

 

 クスリと微笑み、首を小さく傾けた先輩を、俺は唖然と見つめた。

 気持ちは分かるけど……地肌に、しかも滅多な事で無ければ触れないであろう背中にこの恐らくヌルッヌルであろうジェルタイプの日焼け止めを塗るっていうのは高校生男子にはハードル高いと言いますか……それに、こんな事言い出したら当然――

 

「ふっ……ざけないで下さいよ!」

 

 と、思った通り出雲ちゃんが物凄い剣幕で先輩に食いかかる。

 

「そんな先輩とのスキンシップ、認められません!」

「あら、お肌のケアに協力してもらうだけよ? それにいつも抱き付いてスキンシップをしてるあなたに言われたく無いわね」

「んっぐ……だったら……!」

 

 出雲ちゃんもガサゴソと手持ちのバッグを漁り始め、先輩のとは違うクリームタイプの日焼け止めを差し出す。

 

「先輩! 私にもお願いします! 背中全体に! まんっべんなく!」

 

 やっぱりね――心でそう呟きながら、出雲ちゃんから日焼け止めを受け取る。

 そりゃこうなるよね……はぁ、グチグチ言っても仕方が無い! 男世名友希、ガツンとやってやる! サッと塗ってサッと終わるだけだ! ただそれだけだから!

 覚悟を固めると同時に、変な気を起こさないように精神統一しながら、ふと天城と海子の方へ視線をやる。すると二人はビックリしたように肩を震わせる。その手には、いつの間にやら取り出した日焼け止めが。

 そのまま視線を逸らさず、何も言わずに彼女達を見つめる。二人はあたふたしながら視線を泳がせ、口を声を発さずにパクパク動かす。

 

「あっ、とっ……ゆ、優香! ひ、日焼け止めを塗るのを手伝ってくれるか!?」

 

 数秒後、海子が裏返った声を出しながら日焼け止めを天城へ渡すと、天城も同じように日焼け止めを渡す。

 

「う、うん! わ、私もお願いするね!」

 

 ……どうやら、彼女達には――いや、彼女達にとっても、日焼け止めはハードルが高かったようだ。だが、正直助かった。四連チャンは流石にシンドイっす。

 安堵したのも束の間、四連チャンは逃れても三連チャンはあるかもしれない事に気付き、バッと後ろの陽菜へ顔を向ける。

 何も言ってはいないが、陽菜はこれまでの流れから事を察したのか、元気良く腰に両手を当てて、何故か誇るように胸を張る。

 

「あ、私はいいよ! 日焼けには強いですから!」

「そ、そうか……」

 

 そういえば昔から使ってるの見た事無いな……本人もああ言ってるし、ならいいか。

 三連チャンも回避でき、ホッと息を吐く。が、これから二連チャンで出雲ちゃんと朝倉先輩に日焼け止めを塗るのは変わりない。気合いを入れるか! ……たかが日焼け止めで何やってんだ、俺。

 

 それからとりあえず全員で準備運動をしてから、それぞれ散り散りになって行動を開始する。

 孝司と裕吾と陽菜と友香は一目散に海へ泳ぎに、泳げない翼はみんなが泳いでる間は砂浜の一郭で荷物番をしてもらい、天城と海子はそこから少し離れた場所で日焼け止めを塗りに向かった。

 そして俺と出雲ちゃんと朝倉先輩は、翼が荷物番をする場所から少し離れた場所に移動。大きめの青いビニールシートを敷いて、二人がそこに横並びになり、うつ伏せになって寝転ぶ。

 

「それじゃあ……やりますよ」

 

 妙に緊張して自分でも分かる程、声が強張っている。イカン、落ち着くんだ俺! これは頼まれてやってんだ! マッサージの時と同じだ、心を無にするんだ!

 深呼吸を数回して、カッと目を見開き、ビニールシートの丁度二人の間辺りに置いた日焼け止めに手を伸ばす――が、その手をすぐに止める。

 そういえば、どっちからやればいいんだろうか……順番は関係無いか? いや、気にするのか? どうすればいいんだ……?

 どうでもいいように思えるが、彼女達にしてはとても重要な事かもしれないと、思い悩む。するとそれに感付いたのか、出雲ちゃんが少し背中を反らして、俺の顔を見て口を開く。

 

「あ、私は後でいいですよ。本当は独占したいですけど」

「あら、いいのかしら?」

「ええ。こういうのは後の方が感触が手に残るんですよ。私のスベッスベな肌に、先輩はメロメロになっちゃうかもしれませんね?」

「それは凄いわね……でも申し訳無いわね。先にあなたみたいな貧相な肌が感じられない程の印象残しちゃうのは」

「はぁ? 勝手に決め付けないで下さいよ」

 

 何かまたしても口論が始まったよ……これは早く終わらせとかないとな。

 とりあえず先輩を先にする事が決まったので、ジェルタイプの日焼け止めを手に取る。その動きに気付いた朝倉先輩は背中へ手を回し、水着の紐を解く。解けた細い紐が先輩の背中を滑り、シートの上にゆっくりと落ちる。それを見て、思わずゴクリと唾を飲む。

 致し方無い。何故なら今の先輩の行動は水着を脱ぐのとほぼ同じ行動と言えるのだから。今はうつ伏せの状態だから大丈夫だが、もしもこのままバッと起き上がってしまえば、彼女の胸元を隠していた水着は機能しないのだから。自然とそういうシチュエーションを想像してしまうのが男性という生き物だ。

 そしてそんな事を想像してしまうなら、現在無防備である彼女の胸元に視線が流れてしまうのも致し方無い事である。シーツに思いきり押し付けられてはいる事により、彼女の巨乳は形を大きく歪ませて、横乳が背中からチラリとはみ出している。それだけで、彼女の胸がどれだけの弾力を誇っているかが安易に想像出来る。……まあ、以前のプールでどれぐらいかは経験してるのだが。あれは柔らかかったなぁ……

 

 ――って、イカンイカンイカン! イカンぞ友希君! 無駄に色んな事を考え過ぎだぞ! あくまで紳士的に、冷静に早急に終わらせるのだ! 決してやましい気持ちなんぞ生み出してはならん!

 

「……じゃあ、行きますよ」

 

 長きに渡った心の葛藤を終え、ようやく日焼け止めを右手に出す。想像通りジェルらしくトロッとしており、よくお笑い芸人が相撲のお供として使うあれを連想させる。

 イカンぞ……早速煩悩出掛かってるよ友希君。落ち着くんだ、もし何かやらかしたら色々終わるからな!

 今度こそ意志を固め、ゆっくりと先輩の真っ白な背中に手を伸ばす。そしてジェルの部分が肌に触れた瞬間――

 

「ンッ……!」

 

 先輩が短く、甘い大人っぽい吐息を漏らす。それに思わず手を速攻で引っ込める。

 

「ごめんなさい、少しひんやりして驚いただけよ……続けてくれるかしら?」

「あ、はい、ただいま!」

 

 今の一瞬だけで、大分心臓が高鳴った。前々から感じてはいたが、先輩って案外敏感肌なのかな……て、そんな事考えたら余計な事が頭に浮かびそうだ。はぁ……こんなんで大丈夫かよ俺……

 何と言えばいいか分からない不安が一気に広がり、心が折れかけた瞬間――ふと出雲ちゃんの方へ視線が向く。

 

「…………」

 

 出雲ちゃんはうつ伏せのまま、不動で顔をシートに埋めている。が、今のやり取りを聞いていたのだろう。表情を見なくてもあからさまに不機嫌なのがひしひしと伝わって来る。今にも感情が爆発してもおかしくないぐらいに。

 これは……早く終わらせなければ。彼女の暴走を抑えるべく、直ちに順番を回さなければと、羞恥心を完全に捨てて朝倉先輩の背中に手を伸ばす。

 右手をまんべんなく動かし、彼女の背中に日焼け止めを塗り続ける。

 

「アッ……ンッ……ハァ……」

 

 手を動かす度に背中の肉のもっちりとした感触がジェルのトロッとした感触と一緒に右手に伝わってくる。さらに彼女の漏れ出る喘ぎ声が耳を、彼女の何かを耐えるような表情と、体を小刻みに動かす事でスライムのように動くチラリと見える胸が目を刺激する。

 本来なら理性が吹っ飛びそうな状況なのだが――

 

「ぐっ……!」

 

 だんだんと大きくなる出雲ちゃんの黒いオーラのせい……というかお陰で、早く終わらせなければという気持ちが勝り、どうにもならずに済んだ。

 そして一分も経たずに、背中全体にジェルを塗り終える。はぁ……何だか異常に疲れた……

 

「……終わりましたよ」

「ふぅ……ありがとうね、友希君。ちょっと照れ臭かったけれど、いい気分になれたわ」

「そうですか……」

「あ、最後に水着の紐を結び直してくれるかしら? 解くのは簡単だけど、結ぶのは鏡無しだとね」

 

 自分の両隣にある水着の紐の端っこを摘んで、背中まで持ってくる。それに何も返事はせずに、無言で受け取って手早く結ぶ。

 結び終えた事を告げると、先輩はゆっくりと起き上がり、肩紐などの位置を直しながら、こちらへ振り向く。

 

「フフッ……なかなか良い経験だったわ。もし今度もあったらよろしくね」

 

 うっすらと口元を緩ませた笑顔に、何だか気まずくなり、思わず目を逸らす。

 そんな時、突然ゴホン! と力強い咳払いが耳を通り抜ける。

 

「あー、終わったんならさっさと海に行くなり荷物番するなり、どっか行ってくれませんかね? 次は私の番なので」

「せっかちなのね。言われなくてもそうするわよ。でも少しぐらい余韻を味わっても構わないでしょ?」

「構わなく無いです! 今すぐに全部忘れて下さい! 先輩の手の感覚も、今の事全部!」

「あら、残念だけど私はこういう感覚の記憶はなかなか抜けないものでね。今でも以前の友希君の優しいマッサージの感覚を覚えてるわ」

 

 スッと立ち上がりながら先輩が呟いた言葉に、出雲ちゃんが眉尻をピクリと動かしながら、ガバッと起き上がる。

 

「マッサージって……何ですかそれ!?」

 

 が、先輩は何も返事をせずに歩き出す。

 

「ちょっ、どこ行くんですか! 何か言って下さいよ!」

「あら? あなたがどっか行ってくれって言うからどっか行くだけよ? 後はごゆっくり。友希君、また後でね」

 

 小さな微笑みを残し、先輩はその場から立ち去った。その後ろ姿を俺は呆然と、出雲ちゃんはギリギリと歯軋りをしながら見送る。

 最後の最後にとんでも無い事暴露してったなぁ……出雲ちゃん怒りのボルテージマックスだよ。

 

「何なのよあの女……! これだからあの人は嫌いなのよ……!」

「ま、まあまあ落ち着いて……ほら、今度は出雲ちゃんの番だからさ。とりあえずうつ伏せに――」

 

 その言葉を言い終える直前、出雲ちゃんは不機嫌極まりない表情から、一瞬にしてパァっと明るくなる。

 

「そうでした! 先輩、しっかりお願いしますよ? あの女よりもじぃーっくり、ゆっくりお願いします!」

「お、おう……」

 

 切り替え早いなぁ……まあ、険悪ムードより百倍マシか。

 出雲ちゃんは素早く、再びうつ伏せになり、首を回して俺を見上げる。

 

「それじゃあ先輩、お願いします!」

「おう」

 

 二回とはいえ、やっぱり緊張はするな……まだ気を緩める事は出来んぞ。

 先程の朝倉先輩の迫力ある体付きに比べたら出雲ちゃんは控え目だが、それでも彼女は彼女の魅力がある。以前のプールで密着した時も、彼女のスベスベした肌にドキッとしたのは一、二回では無い。

 そして今こちらへ向けられているほっそりとした背中も、見るからにスベスベしてそうで、手触りを想像しただけで少し鼓動が高鳴る。

 これ以上考えると本当に理性がぶっ飛びそうなので、早速行動に移る。出雲ちゃんの日焼け止めクリームを手に取り、ちょびっとだけ手に出す。さっきのジェルタイプに比べると何回か感じた事のある触感に、僅かながら安心する。

 

「それじゃあ、始めるよ」

「はい! あ、その前に――」

 

 出雲ちゃんが何やらもぞもぞと動く。どうしたのかと思ったが、多分水着の紐を解くのだろうと納得する。しかし、彼女は両手を頭の下に動かし、こちらへ視線を向けただけだった。

 

「先輩……水着の紐、解いてくれます?」

「え!? 何で俺が……」

「私、体固くって……お願い出来ますか?」

 

 初耳だぞその情報……

 恐らく嘘っぱちだろうと、簡単に予想は出来た。が、彼女の何かを求めるようなうっとりとした瞳に見つめられ、何も言い出す事が出来ずに、俺は「分かったよ」と言って、紐の結び目に手を伸ばした。が、そこで手が止まり、全身から汗が滲み出し、手が小刻みに震える。

 いくら日焼け止めを塗る為とはいえ、女の子の水着を脱がすって、相当凄い事だぞ? ものスッゴイ緊張する! というか別に解かなくても大丈夫じゃね? いやでも……

 心の中で葛藤を続ける事、数秒――俺は意を決し、彼女の水着の紐をサッと解いた。

 

「ッ……!」

 

 いくら頼んだとはいえ水着の紐を解かれる事に羞恥心が出たのか、出雲ちゃんは小さな声を漏らし、顔が一気に赤くなる。

 しかし解かれた紐は先刻の朝倉先輩と同じように、背中から滑り落ちてシートの上にパタリと落ちる。

 水着の紐という存在が無くなり、全てが露わになった出雲ちゃんの背中を、思わず凝視してしまう。細い一筋の紐が無くなっただけだが、不思議と色気が一割……いや二割ぐらい上がったような感覚を覚え、自然と視線が釘付けになる。

 

「せせ、先輩! は、早くやっちゃって下さい! 何だか……スッゴイ恥ずかしいです……出来るだけスピーディーに!」

 

 その視線に羞恥心がさらに高まったのか、先程までと正反対の言葉を口にする。

 しまった、つい眺めてしまった……出雲ちゃんも恥ずかしいよな。言う通り、サッと終わらせるか。

 クリームを付けた右手を伸ばし、彼女の背中に押し当てる――

 

「ヒャア!」

 

 瞬間、出雲ちゃんが甲高い声を上げると同時に体をまるで陸に上げられた魚のようにピクリと跳ねさせる。

 

「だ、大丈夫?」

「す、すみません……何だかその……緊張したら、敏感になっちゃったというか……」

 

 そのまま地面に埋まってしまうのでは無いかと思うほど、照れ隠しをするように体を沈ませ、気弱な声を出す。

 さっきまでの好戦的な態度では無く、時折見せる照れが全開の雰囲気。何回か見てきた様子だが、さっきまでの雰囲気とのギャップに思わず笑いが漏れる。

 

「な、何で笑うんですか!」

「ご、ごめんごめん……さっきまでゆっくりお願いとか言ってたのにってさ……」

「ううっ……私だってゆっくりしたいです! でも、思ったより恥ずかしいんですもん……」

 

 煙が上がりそうな程顔を真っ赤にして、顔をシートに埋める。

 根本は照れ屋なんだな……みんなと変わらないな。

 

「じゃあ、日焼け止め止めるか?」

「そ、それはやります! 朝倉先輩がしたのに私はお預けなんて、不公平です!」

「はいはい。じゃあ、やるぞ?」

「うっ……はい……」

 

 キュッと口を噤み、息を止めて全身に力を込める。そこに俺は手を伸ばして、再度背中にクリームを塗り始める。出雲ちゃんの背中の肌は思った通りスベスベしてたが、クリームのベタついた感触のお陰で思ったより感じる事は無く、割と平常心を保てた。

 

「んっ……!」

 

 だが出雲ちゃんは別らしく、時々ブルッと背筋を震わせたり、甘い吐息を漏らしたりしている。そのせいで、結局ある程度は緊張してしまったが、特に問題無く塗り終わった。

 

「はい、終わったよ」

 

 そう言うと出雲ちゃんは止めていた息を一気に吐き出し、脱力したように体を少し伸ばす。

 

「はぁー……何だか、思ったより疲れました……」

「それはこっちのセリフだよ……」

 

 緊張やら色々で疲労がいっぱいの体を動かし、彼女の水着の紐を結び直す。すると出雲ちゃんは俺の顔を見つめ、急にクスリと笑い出す。

 

「ど、どうした……?」

「何というか……幸せだなって。そう、ふと思っただけです。それに凄く緊張したけど……スッゴイ気持ち良かったですし!」

「なっ……そういう事はあんまり言うもんじゃ無い!」

「ウフフッ……先輩ったら照れ屋さん!」

 

 お前が言うなよ――そう内心ツッコミを入れる。

 出雲ちゃんはゴロンとうつ伏せから仰向けになり、グッと全身を伸ばしてから、足を勢いよく動かして起き上がる。

 

「さーって、海はまだまだこれからですよ! 一緒に泳ぎに行こ、先輩!」

 

 俺の斜め前に立ち、手を差し出す。俺は無意識にその手を掴もうと、右手を伸ばす。

 ――だが、その出雲ちゃんの手が俺の手では無く、突然横から出てきた手に掴まれる。

 

「大宮さん? 抜け駆けは……許さないわよ?」

 

 その手の先には恐ろしい笑みを浮かべる天城。そしてその後ろには海子と朝倉先輩と陽菜も居た。

 

「チッ……このまま二人きりになれると思ったのに……!」

「そうは問屋が卸さない――って事よ」

「今回は思い出作りだ。貴様一人に友希を独占させてたまるか」

「そうだよ! みんなで遊ばないと!」

「という訳で……みんなで行こ、世名君」

「そ、そうだな……」

 

 確かに……俺達の海はまだまだこれからのようだ。

 

 

 

 

 

 

 




 最初のイベントは海。
 が、無駄に気合いを入れた結果、今回は日焼け止めを塗るだけで終了。会長さんのエロチック度が上がっていく気が……

 次回、海を舞台にヒロイン達のさらなる紛争が巻き起こる?





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