モテ期と修羅場は同時にやって来るものである   作:藤龍

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波乱まみれなプールデイズ~修羅の午前~

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここ、白場プライムビーチには、広大な敷地の中に様々な種類のプールが存在する。

 普通の競泳プールから一番人気の流れるプールに、ウォータースライダー、波のプールと多種多様だ。

 

 まだ午前中で時間はあるとはいえ、それらを出来るだけ多く遊び尽くすのに、考え無しに行動するのは愚行と言えるだろう。

 だからこそ、俺はまずどこで何をするか、それを考えながら真夏の太陽が照りつける下を彼女――戦い(ジャンケン)に勝利し、俺とのマンツーマンの時間を最初に勝ち取った天城と共に歩いていた。

 

「さてと……天城は何かリクエストある? 流れるプールでまったりか、競泳プールでガッツリ泳ぐか……ダイビングプールとかもいいかもな」

「う、うん……そうだね」

 

 俺の問い掛けに、天城は少し小さめの声で返事をする。

 どうしたんだ……何だか表情も暗めだな。いつも俺と居る時は嬉しそうだけど……言ってて恥ずかしいな。

 

「……どうかした? 暑さにやられたか? それとも楽しくないとか?」

「ち、違うよ! 世名君と二人きりなのはとっても嬉しいし、楽しいよ! ただ……」

「ただ?」

「……笑わない?」

 

 俯き加減の状態で、流し目でこちらを見ながら照れ臭そうに言う。

 その言葉の意味がよく分からなかったが、笑うような事は無いだろうと、黙って頷く。

 それから数秒天城は黙り、おちょぼ口でとても小さな声を出す。

 

「私……泳げないんだ」

「…………」

 

 その告白に、どう返していいか分からず、思わず黙ったまま彼女を見つめてしまう。

 な、なるほど……だからテンション低かった訳か……それにしても、随分可愛らしい悩みだな。

 

「天城、泳げなかったんだな」

「うん……私、運動は全然駄目で……」

「確かにそんな感じはするな。でも、それなら言ってくれればよかったのに」

「だって……泳げないって知られたら、何だか恥ずかしいし……」

「そんな恥ずかしい事か? 逆に泳げない女子の方が多いと思うぞ?」

 

 友香だって中学上がるまでしっかり泳げてた訳じゃ無いし、陽菜だってあんまり泳げる方じゃ無かったし。今は知らんけど。

 天城は気にしてるみたいだけど、泳げないのは別に恥じる事では無いと思う。それにそっちの方が女の子らしい感じもする。

 

 俺の言葉に天城は安心したのか、表情が明るくなる。ずっと逸らしていた顔をこちらへ向け、ほっと息を吐く。

 

「そっか……じゃあ、あんまり気にする必要なかったね」

「うん。……でも、天城が気にしてるんだったら、泳げるように練習とかしてみる?」

「れ、練習!?」

「競泳プールなら泳ぎの練習は普通に出来るしな。俺泳ぎは自信あるし、もし天城がしたいのなら付き合うぜ」

 

 少しでも泳げたらプールも楽しめるだろうし、天城にとっても損は無いはずだ。

 天城は俺の提案に、顎に手を当てて、しばらく考え込む。

 

「……世名君が言うなら……せっかくだし、教えてもらおうかな。私もちょっとは泳げるようになりたいし」

「そっか。じゃあ、早速行こうか?」

「うん。フフッ……」

 

 突然、天城が嬉しそうにクスリと笑う。

 

「どうした?」

「何だか、こういうの良いなって。そのぉ……カップルみたいで」

 

 照れ隠しをするように髪の毛をいじくりなから、視線を下に落とし、顔を少し染める。

 毎回どうしてそうも可愛らしい言葉と仕草を盛り込むんだ? 俺の心臓が保たないよ!

 

「ご、ごめん! 変な事言って! よ、よろしくお願いね!」

「お、おお……!」

 

 天城が気まずさを打ち消すように少し裏返った大声を上げ、競泳プールの方を目指して早足で歩き出す。俺も慌てて、それについて行く。

 

 そして数分歩くと、目的の場所へ辿り着く。

 ここには三つ程競泳プールが存在するので、この場所自体に人が大勢集まっている訳では無い。なので今も十分なスペースがある。距離も25mだし、練習には最適だな。

 

「これなら大丈夫だな。よし、早速入るか。水に入るのは……平気だよな?」

「そ、それぐらいなら……!」

 

 天城はギュッと両手で拳を作り、胸元辺りまで上げる。

 やる気はあるみたいだけど……まあ、いざとなれば俺が支えるから平気か。

 

 入る前に軽く体を動かし準備運動。しっかりと体を解してから、プールへと入る。

 足が付くとはいえ何が起こるか分からないので、安全を考え俺が先行して入る事にした。

 

「よっと」

 

 プールサイドからピョンと飛び降り、一気に水の中に全身を浸からせる。体中に水の冷たさが伝わり、ゾクッと背筋を震わせる。真夏日とはいえ水の中は寒いなぁ……

 水温に体が馴染んできたところでプール端のハシゴ付近まで移動し、万が一の時に備え、天城を支えられるように待機する。

 

「うんしょ……」

 

 遅れて、天城がハシゴに足を掛ける。正直その動きだけでもたどたどしく、見てるだけで心配になる。本当に運動が苦手なんだなと、改めて認識する。

 距離が短いとはいえ、これはトラブルが起きてもおかしくない。すぐに対応出来るように彼女から目を離さないようにしようと、下から降りてくる彼女を見上げる。

 

 が、彼女がゆっくりと降りだした瞬間――俺は下手したら首が壊れる程の速度で、顔を明後日の方向へ逸らした。

 理由は一つ。天城はこちらを見ずにハシゴを降りている。それにより、無防備な彼女のお尻が俺の視界に映ってしまったのだ。

 イカン……落ち着け、世名友希! 恐らく今日は今後も似たような事に遭遇するぞ! ここでこんなんじゃ身が保たないぞ!

 気を紛らわす為、水中で太もも辺りを殴り続ける。が、先程割と至近距離で見た天城の柔らかそうなヒップラインが頭にチラチラと浮かび上がる。

 駄目だ……全然離れない! あー、思春期って怖い!

 

「えっと……どうしたの?」

 

 脳内で必死に記憶を消そうとする思いと、このまま脳裏に焼き付けておきたいという思いの葛藤を人知れず続けていたが、不意に聞こえた天城の声で我に返る。

 横に顔を向けると、胸元まで水に浸かった天城が、不思議そうにこちらを見ていた。どうやら無事に降りれたようだ。

 

「い、いやこっちの事だ……始めようか」

「う、うん! よろしくね……!」

「それから……ごめんなさい」

「へ……?」

 

 言ってしまったら天城がテンパるだろうし、申し訳無いが言わないでおこう。

 というか前に下着見た時は割と平常心保てたのになぁ……あの時はペンダント探してたからか? 水着の魔力って恐ろしいな。

 

 さて……気を取り直して始めよう。せめてもの償いとして、泳げるように協力しよう。

 

「それじゃあ……まずは顔を出来るだけ長く水に浸けるってとこから始めようか。そういうの大事だしな」

「分かった! スゥゥ……!」

 

 空気を精一杯吸い込み、口と目を閉じてすぐに水中へ勢いよく潜る。全身潜る事は無いんだが……まあいいか。

 そのまますぐ近くで彼女が上がるのを待つ。しばらくするとポコポコと水中から気泡が浮かびだす。そろそろ限界か?

 

「ぷはぁ!」

 

 そう思った矢先、天城がシンクロの選手ばりの勢いで顔を上げる。そして無意識に溺れない為か、俺の肩を掴む。

 

「はぁ……はぁ……どうかな?」

「うん、悪くはないと思うよ。水が苦手って訳じゃないみたいだな」

「そっか……あ、肩ごめんね!」

 

 慌てて肩から手を離し、ササッと俺から少し離れる。

 自分を落ち着かせるように深呼吸をすると、天城は改めてこちらへ近寄る。

 

「えっと……次は、どうするのかな?」

「そうだな……じゃあ、泳いでみようか」

「い、いきなり……!?」

「もちろん一人では泳がせないよ。俺が手を引っ張ってリードするから」

「よ、よかった……でも……」

 

 ほっと胸を撫で下ろしたと思ったら、そのまま谷間の辺りで手をモジモジと動かし、視線を泳がせる。

 

「手ぇ引っ張ってもらうって……ちょっと恥ずかしいかな……」

「あ、あぁ……それならビート板とか使う?」

「い、いいよ! 別に手を繋ぐのが嫌な訳じゃ無いし、少し恥ずかしいだけだから! 全然嬉しいから!」

「そ、そっか……」

 

 バチャバチャと水しぶきを上げながら、両手をブンブン振るう天城の姿が何だか可愛らしく見え、思わずクスリと笑ってしまう。

 すると天城は動きを止め、恥ずかしそうに目を少し細め、顔を半分水に沈めてブクブクと気泡を立てる。

 

「ハハッ。ごめんごめん。それじゃあ始めようか」

「う、うん……」

 

 天城が顔を上げ、手を差し出す。俺はその手をそっと掴む。

 もう何回も握ったりしてるけど、やっぱり緊張するな……いや、今は集中集中!

 少し彼女から距離を離し、腕を伸ばす。

 

「じゃあ、俺が引っ張るから、とりあえずばた足で泳いでみて」

「わ、分かった。あの……絶対、離さないでね……?」

 

 か細い声を上げながら俺の手をキッチリと掴みながら、不安と緊張が混ざったような瞳で、俺の顔見つめる。

 そのとても弱々しい様子に、思わず手の力が緩みそうになり、慌てて力を込め直す。

 これは……絶対に離す訳にはいかないな。

 

「よし……それじゃあ、引っ張るぞ」

「うん……」

 

 天城が強張った声で返事をした直後、俺はゆっくり後ろ歩きで彼女を引っ張る。天城がそれに続き、足を底から離し、顔を水に浸ける。

 バタバタと必死に足を動かし、時折息継ぎの為に顔を上げ、再び浸ける。見るからに不慣れな動きだが、頑張っているのがよく伝わってくる。

 

 とりあえず一番端まで、足を付けずに泳ぎ切る。壁に背中がぶつかったのを合図に、足を止める。それから遅れて、天城も泳ぎを止め、顔を上げる。

 

「ふぅ……疲れたぁ……」

「お疲れ様。なかなかいいんじゃないか?」

「そ、そうかな? 世名君に言ってもらえると何だか自信が付くな。しっかり泳げるよう頑張るよ」

「ああ、その調子だ。一旦休憩にするか?」

「ううん。時間が勿体無いし、続けるよ。世名君とは、常に二人っきりって訳じゃ無いし……」

 

 そう言いながら、天城が悲しそうに目を伏せる。

 そっか、11時に他の子と交代だっけ……今が10時半だから……もう少しか。

 

「あの、世名君。他の子は放っておいてさ、私とだけってのは……駄目?」

「……悪いけど、それは出来ない。あくまでみんな平等ってのが、俺の考えだ。ここで天城だけをひいきにする訳にはいかない。天城だって、俺が他の子にばっか付きっきりなのは嫌だろ?」

「うん……わがまま言ってごめんね。本当はこのままずっと一緒が良いけど……我慢するよ」

 

 よかった……天城もそこまでわがままな子じゃ無いか。

 

「その代わり……今は私だけの事考えてね?」

「うっ……そ、それはもちろん! とことん付き合う気だよ」

「よかった……それじゃあ、練習再開しよ?」

 

 ニッコリと笑いながら、俺の手を再びギュッと握ってくる。

 彼女の無垢な笑みに紅潮し、熱くなった頬を冷ます為に水を掛け、気を静めてから、彼女の練習を再開した。

 

 

 それから数十分間感覚を掴む為、同じように泳ぎを繰り返す。

 初めの頃に比べれば大分上手になってきた気がする。これなら案外行けるかもしれないな。

 

「天城、そろそろ俺のリード無しで泳いでみるか?」

「え、えぇ!? まだ早いんじゃ……」

「大丈夫大丈夫。流石にビート板は使わせるけど、行けると思うぞ」

「で、でも……」

「もし何かあったら、すぐ俺が助けるから。安心してくれよ」

「世名君……それじゃあ、頑張ってみるよ……!」

 

 力の入った目で俺を見る。不安も迷いも無い、良い目だ。

 それから近くのビート板を貸し出してる場所から、一つ借りて、天城へ渡す。

 

「ふぅー……よし!」

 

 ビート板を両手でガッチリと掴み、意を決したように声を発しながら、水に潜る。俺は少し離れた場所から、彼女を見守る。

 少し体勢が安定してないが、天城は何とか前へ進んでいく。よし、いいぞ!

 が、10メートル程進んだところで、天城の足の動きが弱まる。そして――

 

「ぷはぁ! はぁ……はぁ……」

 

 その場で足を付け、顔を上げてしまう。

 

「天城、大丈夫か?」

「うん……世名君に引っ張ってもらうのと違って、自分の力だけだから、難しくて……」

「いきなりだからな……それに、疲れもあるだろうし」

「ごめんね……せっかく世名君に付き合ってもらったのに……」

「いや、苦手のにこれだけ進めたのは凄い事だよ」

「そ、そうかな? ならよかった……」

 

 むしろ俺の教え方が良ければもっと行けたと思うんだよな……やっぱり教えるのとかは苦手だな、俺。でも――

 ふと、天城に目を向けてみる。僅かだけど、泳げた事を喜ぶようにニヤニヤと笑っていた。こんなに喜んでくれたなら、教えた甲斐があったかな。

 

「さて、あんまり長く浸かりすぎるのもあれだし、上がろうか」

「うん。……あの、世名君!」

「ん? どうした?」

「えっと……ご褒美が欲しいかな……なんて」

 

 そう、顔を赤くしながら頬を掻く。

 ご褒美か……天城がそんな事言うなんて珍しいな。まあ、頑張ったんだしそれぐらいは良いか。

 

「いいぜ。どんなのがいいんだ?」

「じゃ、じゃあ……えっと……」

 

 が、天城はご褒美の内容を口にしようとせず、口をモゴモゴさせる。

 

「や、やっぱりいいや!」

「ど、どうしたんだ? 別に遠慮しなくても……」

「そうじゃなくて……は、恥ずかしくて……」

 

 恥ずかしい? ご褒美が恥ずかしい事って……何を頼もうとしてたんだこの子。

 ……でも、ここまで来たら気になるな。それをするかしないか、出来るか出来ないかは別にして。

 

「……ちなみに、何を頼もうと?」

「え!? その、あのぉ……な……」

「な?」

「な……なでなでしてほしいなって……」

 

 なでなで……? 頭を撫でてほしいって事か?

 そんな事であんなに恥ずかしがっていたのか……天城らしいけど。

 天城はいいって言ってるけど、多分してほしいんだよな。……少し気恥ずかしいけど、せっかくだ。

 

 意を決し、照れて俯く天城の頭の上に右手を乗せ、軽く撫でる。

 

「ひゃ!?」

 

 直後、天城がひっくり返った声を上げ、俺からササッと離れる。

 

「ご、ごめん! 嫌だったか?」

「ううん、驚いちゃっただけ……も、もっとしてほしい……かな……」

 

 そう目をトロンと垂らし、頭をこちらへ寄せてくる。

 正直なんだか恥ずかしいが、ここまで来たからには退くわけにはいかない。俺は再び、彼女の頭を撫でた。

 

「フフッ……気持ちいいなぁ……」

 

 天城は甘えるような声を出し、身を寄せてくる。

 か、可愛すぎる! 駄目だ! これ以上は理性が飛ぶ! 早く止めなくては!

 だが、濡れた天城の黒髪はとても手触りが良く、不思議と手が止まらない。天城も気持ちよさそうに顔を綻ばせ、一向に離れようとしない。

 

 このままでは何となくいけないと思い、俺は何とか頭から手を離す。

 すると天城はキョトンと顔を上げる。そして自分の体が俺に急接近している事に気付くと、煙が上がりそうな程顔を真っ赤にして、素早く離れる。

 

「ごごご、ごめん! その、つい気持ち良くて我を失ってたというか……」

「いや、こっちもつい長く撫で過ぎたっていうか……」

 

 気まずい空気が流れる。お互いに言葉を発さず、目も合わせる事なく忙しなく手を動かす。

 話のきっかけを作ろうと天城の方を見る。瞬間――同じ考えだったのか、天城もこちらを向き、不意に目が合う。

 

「あっ……と……」

「…………」

 

 再び気まずい空気が流れ、互いに意味も無く見つめ合う。

 

 

 しばらくこの状態が続くと、そう思われた時、俺の元に救いの声が――いや、新たな試練の声が聞こえてきた。

 

「なーんかいい感じですね、セーンパイ」

 

 その可愛らしくもあり、恐ろしくもある声が耳を通り抜けた途端、背筋がゾクッと震えた。

 若干の恐怖を感じながらその声が聞こえたプールサイドの方を見上げると、そこには予想通りの金髪少女――出雲ちゃんが笑顔を作ってこちらを見下ろしていた。

 

「そろそろ時間なんでぇ、探しに来ちゃいました! 来てよかったみたいですねぇ……」

 

 俺に満面の笑みを見せた後、どこか迫力のある暗い声を出しながら、据わった目で天城を睨む。怖い怖い。怖いよ出雲ちゃん。

 

「……何か用かしら?」

 

 するとそれに天城も鋭い眼光で出雲ちゃんを睨み付ける。切り替え早っ!? あんたさっきまで照れてたじゃん!

 

「別にぃ、もうすぐ先輩とのデートタイム、私の番なんで来ただけですよ? まさかどっかの泥棒猫さんが独り占めするといけませんからね」

「泥棒猫はあなたでしょう」

 

 さっきまでの平和な様子が一転。恐怖に満ちた修羅場へと変わった。

 声はキャピキャピしてるのに恐ろしさがある出雲ちゃんに、さっきと全然雰囲気が変わった天城。二人のいがみ合いに、俺は手を出せなかった。

 

「ていうか、あなたの相手してる暇ないんですよね。先輩とのイチャイチャタイムが減っちゃいますから。さ、行きましょう先輩!」

「あ、えっと……」

 

 確かにそういう約束ではあったけど、こういう感じになるとは思わなかったな……天城には悪いけど、これも決めた事だ。

 

「天城、悪いけどこれで。他のみんなと合流しててくれ。お昼には二人で戻るから」

「……うん」

 

 物悲しそうな瞳で、俺の事を見つめる。そんな目で見られると心が痛むんだが……

 が、天城は俺から目を逸らし、出雲ちゃんの方を睨み付ける。

 

「あなた、世名君に変な事したら……分かってるわよね?」

「怖い事言わないで下さいよ! 分かってますよそれぐらい! ただ……先輩がそういう事したいって思う事になったら、文句は無しですよね?」

 

 その意味深な言葉を出雲ちゃんが放つと、二人の間に火花が散る。

 これは……このまま二人を同じ場所に居させ続けたら駄目だ! 血が出るぞ!

 慌ててプールサイドへ上がり、出雲ちゃんの前を歩く。

 

「い、出雲ちゃん! そろそろ行こうか!」

「はい! 他の人達は別の競泳プールに居るんで待ってて下さいねー、天城先輩」

「…………」

 

 背中越しに天城のおぞましい視線を感じながら、俺は二人を離すように歩いた。

 こういう感じのが後何回あるんだろうか……胃が痛い。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 天城と別れ、出雲ちゃんに引っ張られながら移動すること数分。浮き輪やビーチボールなど、プールで使える道具が売られている小さな売店の前で、出雲ちゃんがピタリと足を止める。

 

「先輩、よかったらここで何か買っていきませんか? 道具があればもっと楽しめると思うんです!」

「確かに……じゃあ買ってくか。って、財布持って無かったな」

「それなら心配いりません! 私のやつは持ってきてるんで、ここは任せて下さい!」

「いや、流石に後輩に買い物任せるのは……」

「いいんです! その代わり、お昼は奢って下さいね?」

「そうか……? じゃあ、ここは任せるよ」

「はい! じゃあ、早速入りましょう!」

 

 はしゃぐ出雲ちゃんと共に、売店の中に入っていく。

 

「色々ありますねぇ……あ、このイルカ型のフロートなんてどうです? これに二人でギューッと掴まって、流れるプールをゆったり回ったり!」

「ハハッ……出雲ちゃんのお金なんだし、好きなの買いなよ」

「そうですね……一緒に見て回りましょう、先輩!」

 

 元気だなぁ……さっきはあんなに刺々しかったのに、俺と二人っきりになった途端甘えた雰囲気になって……分かりやすいというか何というか……ま、機嫌が良いならそれでいいか。

 店の中を進む出雲ちゃんについて行き、適当に店内を歩きながら商品を見て回る。

 出雲ちゃんは気になった商品を次々と手に取っていき、その中からいくつか選んでいく。店内を粗方回り終えると、選んだ商品を手にレジへと向かい、会計を済ませる。

 彼女が買った商品はイルカのフロートに、ビーチボールの二つ。案外お気に召した物が無かったらしい。

 

「これだけでいいのか?」

「はい。あんまり買いすぎてもあれですし、これだけあれば十分です!」

「そっか。じゃあ、これどうする?」

「もちろん、膨らませましょう! その前に、財布置いてくるんで待ってて下さい!」

 

 そう言うと、出雲は手を振りながら走り去る。

 俺は店の外で彼女を待ちながら、先にどちらか膨らませておこうかと、店前に置いてある足踏み式のポンプを借りようとした。が、すでに先に使ってる人が居た上、かなりの人が順番待ちをしていた。参ったな……これじゃ結構掛かりそうだ。

 店で一個ぐらい買っておいた方がよかったかな――そう少し後悔しながら、仕方なく自力で空気を入れる事にした。

 

 近場の適当な場所に座る。まずはイルカの方を膨らませようと袋から出し、空気栓に口を付け、空気を吹き込む。

 結構な大きさのあるこれを膨らませるのは一苦労だろうが、根気で何とか空気を入れ続ける。

 

 それから数分後、フロートがだんだん、しっかりとしたイルカの形になってきた頃、出雲ちゃんが戻ってきた。

 

「お待たせしましたー! って、先輩自分で膨らませてるんですか?」

「ん? ああ、貸し出してるポンプが使えなそうだったからな。ボールの方も後でやるよ」

「そうなんですか……でも軽々と膨らませちゃう先輩、カッコいいです!」

「そういうもんか……? というか、軽々じゃ無くて、結構シンドイけどね」

「あ、だったら私替わりますよ!」

「え、でも……」

「私こう見えても肺活量には自信があるんです! 任せて下さい!」

 

 そう言うと出雲ちゃんは俺からフロートを奪い取り、空気栓に口を付けて息を吹き込み始める。

 肺活量に自信があると言うだけあって、膨らむスピードは俺より早めで、あっという間にフロートがパンパンに膨れ上がり、完全なイルカの形になる。

 空気を入れ終えると、栓から口を離し、蓋をする。空気がちゃんと入ったか確認するようにイルカを軽く叩き、そのまま自分の身長と同じぐらいの大きさのそれを、全身を使いギュッと抱き締める。

 

「どうです? しっかり膨らませましたよ!」

「ほぇー……凄いな。意外な特技だな。助かったよ」

「まあ、日常では役立ちませんけど。でも、先輩の助けになったならよかったです! ボールの方も膨らませちゃいますね!」

 

 イルカを俺に渡し、続けてビーチボールの方へ空気を入れ始める。

 って、流れでボールも任せちゃったな……まあ、何だか嬉しそうだし、いいか。

 そのまま出雲ちゃんは休憩も挟まず、ものの数分でビーチボールを膨らませる。

 

「ふぅ……これでよし!」

「お疲れ様。悪いな、任せちゃって」

「いいんですいいんです! 私は先輩の役に立てた事が嬉しいですし! それに……」

 

 出雲ちゃんが突然口元に手を当て、目をうっとりと垂らしながら顔を染める。

 

「先輩とぉ……間接キス出来ちゃいましたし……」

 

 間接……? 一瞬なんの事かと思ったが、よくよく考えると彼女が膨らませたイルカの栓には、一度俺が口を付けている。つまりは……そういう事だ。

 この子……もしかしてそれを知ってて申し出たのか?

 チラリと視線を向けてみる。出雲ちゃんは口元を思いっきり緩ませながら、ニタニタと笑っている。うん、そうっぽい。

 はぁ……まあ、もう終わった事をどうこう言うつもりは無いけど。気付かなかった俺も俺だし。

 

「……とりあえず、膨らませられたし、適当なプールに行こうか」

「うへへぇ……あ、はい! それじゃあ、流れるプールに行きましょう!」

「おう。じゃあ行こうか」

 

 ビーチボールを俺が、イルカのフロートを出雲ちゃんがそれぞれ手に持ち、この施設で一番の人気プールである、流れるプールへ向かう。

 

 

 売店から数分、目的の流れるプールに到着する。

 一番人気というだけあって、人の数も凄い事になってる。

 

「凄い人だな……はぐれないように注意しないとな」

「ですね……あ、じゃあ――」

 

 出雲ちゃんが両手で持ったフロートを片手に持ち替え、空いた腕で俺の腕に絡み付く。

 

「こうやって密着してれば、はぐれる心配無いですよね?」

「そ、そうだね……」

 

 出雲ちゃんに抱きつかれる事にはもう正直慣れてきたんだが、露出の高い水着という事もあってか、いつも以上にドキドキする。

 直に伝わる彼女の柔らかくスベスベした肌に、濡れた髪の感触が敏感な俺の神経をくすぐる。それに、彼女だけに限らないが、水着姿もドキッとする。さらに、彼女の甘えきった声もかなり来るものがある。

 幸い水のおかげで匂いはほぼ消えているが、触覚、視覚、聴覚の三つに迫る彼女のアピールに緊張しっぱなしだ。

 

 そんな俺の感情を察してか、出雲ちゃんがニタリと口元を上げる。

 

「あれ? 先輩顔赤いですよ? もしかして、ドキドキしてます?」

「いや、その……」

 

 それに彼女は故意にアピールを行ってる。手を緩めるような事はしないだろう。

 本当……心臓に悪い。でも、彼女も悪気がある訳じゃ無いんだし、遠ざけるのはなぁ……ここは平常心を維持出来るよう頑張ろう。

 

「ウフフ……さあ、行きましょう先輩!」

「お、おお……!」

 

 絡んだ腕を離し、出雲ちゃんと一瞬に流れるプールに入る。

 買ってきたイルカのフロートを水の上に浮かばせ、出雲ちゃんが両手でそれにしがみつく。俺はビーチボールを支えにしようとしたが――

 

「先輩も、こっちで一緒に!」

 

 出雲ちゃんが手招きするので、言われるままに近寄る。ビーチボールを片手で抱えながら、空いた手で彼女とは反対側の側面からイルカにしがみつく。

 すると、出雲ちゃんはしがみつく俺の手をギュッと握り、嬉しそうに笑う。

 

「フフッ……一緒に楽しもう、先輩」

「あっ……」

 

 彼女の純粋な微笑みに、思わず声を失う。

 何というか……時々こういう純粋な顔を見せるから、油断も隙もあったもんじゃ無い。正直、露骨にアピールしてくる時よりドキッと来る。

 

 彼女はそんな俺の内心をつゆ知らず、流れに身を任せプールを漂いながら、無邪気に喋り出す。

 

「気持ちいいですねぇ……何だか夢みたいです。先輩と一緒にプールに来れるなんて。ま、本当は二人っきりで来たかったですけど」

「それは……ごめん」

「いいですよ。来年はちゃーんと恋人になって来ますから! 今度はもっと先輩がドキドキするような水着着て来ちゃいますから、覚悟して下さいよ?」

「ハハッ……でも、今の水着でも十分ドキドキしてるよ。出雲ちゃん可愛いし、何でも変わらないと思うよ」

 

 俺がそう言うと、出雲ちゃんの顔が急に真っ赤になり、そそくさと顔を逸らす。

 

「そ、そういう事いきなり言わないで下さいよぉ……」

「え、えっと……」

 

 そういえば……時々こうやって照れる事もあったな。そういうのも油断出来ないな……照れてる姿可愛いし。

 モジモジする出雲ちゃんをしばらく黙って見ていると、急に出雲ちゃんが水中に潜り姿を消す。

 照れ隠しかと思った次の瞬間――俺の真後ろから水しぶきが上がり、その中から現れた出雲ちゃんが俺の背中に抱き付く。

 

「ちょっ!? いきなり何!?」

「私をドキッとさせたお返しです!」

「な、なんだそれ!?」

「一周終わるまでこのままです! 絶対離れませんからね!」

 

 出雲ちゃんは悪戯な笑みを浮かべながら、さらに強く俺を抱き締める。それによ必然的に彼女の胸が背中に押し付けられる。

 いくら大人しめとはいえ、女性らしい柔らかい胸の感触に気持ちが自然と高揚し、全身から変な汗が出る。が、彼女は嬉しそうに、楽しそうに笑いながら、さらに身を寄せ離れようとしない。

 参ったな……無理矢理離すのも無理そうだし……耐えてくれ俺の理性!

 

 そのままの状態を継続したまま、黙ってプールの流れに身を任せる。この流れるプールはかなり長いので、一周に時間が掛かる。

 ま、まだか……? 正直もう心臓がバクバクでヤバいんだが……

 高鳴る鼓動の音と振動を感じながら、気を紛らわす為に意識を他の事に向けようとした時、ふと自分の鼓動とは違う何かの動きを背中で感じ取った。

 その動きを感じる背後――出雲ちゃんの方へ顔を向ける。

 

「い、出雲ちゃん?」

 

 視界に入った彼女の顔は今まで見たこと無いぐらい真っ赤で、口元を歪ませた恥じらい全開の顔をしていた。そして背中越しに伝わってくる、彼女の高ぶる心音。

 いつもは抱き付いてもちょっと嬉しそうだったりするだけなのに、今はヤケに過剰に照れている。

 普段の彼女と違う反応に戸惑いながらも、彼女に声を掛ける。

 

「ど、どうしたんだ? 顔真っ赤にして……」

「あ、当たり前です! 好きな人とこんなに密着してるんですから……」

「そ、それはそうだろうけど……いつもそっちから抱き付いてきてるじゃん」

「……その、予想外だったんです」

 

 予想外……? 一体何がどう予想外だというのか。

 疑問に思っていると、出雲ちゃんは少し離れ、額をコテンと俺の首筋に当てる。

 

「先輩の背中……思ったより暖かくて……」

「へ……?」

「い、今までは服の上からだったから気付かなかったけど、先輩の肌凄く暖かくて、柔らかくて……それで、ドキドキしちゃっただけです!」

 

 照れをごまかすように声を張る。

 それで赤面してたと……可愛らしいじゃん。

 

「でも、それなら離れればよかったじゃん」

「そ、それとこれとは話が別です! 私は先輩とくっ付いてたいですから! それに……ドキドキするなんて、いつもの事ですから……」

「え……?」

 

 いつもの事って……じゃあ、毎回俺に抱き付く時もドキドキしてるって事か? てっきりそんな事無いと思ってたけど……

 いや、そんな訳無いか。俺がみんなに抱き付かれてドキドキするのが当たり前何だし、彼女だってそれが当たり前だよな。

 でも、という事は彼女は毎回緊張しながら俺に密着してるって事か……何だか、そう思うと頑張ってるんだなって、少し微笑ましい気持ちになるな。その頑張りに答えられないのが申し訳無いけど。

 

「それに、前に言ってくれましたよね? 思った通りにすればいいって」

「え、ああ……言ったな」

「いくら緊張しても、ドキドキしても、私は先輩の近くに居たいんです! だから、私はこれからも先輩をギュッと抱き締めますから! 私の愛情を知ってもらう為に!」

 

 そう言いながら、彼女は再び背中にくっ付く。

 抱き締めたいから抱き締めるか……出雲ちゃんらしい考えだな。……まあ、あんまり抱き付かれ過ぎても困るというか……心臓に悪いし。それに抱き付かれるのは単純に照れる。

 

 若干照れ臭くなり、俺が視線を逸らすと、出雲ちゃんもそれに呼応するかのように目を逸らす。

 

「ううっ……何かこんな事話してたら凄く恥ずかしくなってきたじゃないですか……」

「えぇ!? 俺に言われても……」

 

 気まずくなるのもあれだし、新たな話題でも振って気分を変えようとしたその時――急に俺がしがみつくイルカの動きが止まる。

 流れるプールでは普通動きが止まる事は無いので、完全に気を抜いてた俺はその急停止に思わず体勢を崩す。出雲ちゃんも同じく反応出来ず、俺の背中に鼻をぶつける。

 

「な、なんだ?」

 

 誰かにぶつかったのかと前方を向く。すると視界に入ったのは、イルカの鼻先の辺りを掴む人の手。その手はプールの中からでは無く、プールサイドから伸びていた。

 

「――二人共」

 

 そしてその手の先から聞こえた、どこか冷たい声。その声に今まで高揚して上がっていた体温が一気に下がり、体が硬直する。

 恐る恐る、その手の先へ顔をゆっくり向けると――

 

「――そろそろお昼だよ?」

 

 しゃがみながら笑顔を見せる天城が居た。その笑顔はとても美しく綺麗なはずなのに、何故かとても恐怖を感じた。

 

「……何しに来たんですか、天城先輩」

 

 出雲ちゃんはそんな彼女にすぐさま威嚇するようなドスの利いた声を出す。さっきまでのほんわかムードは何処……

 天城もそれに対抗するかのように、出雲ちゃんを睨む。

 

「何って、もうすぐお昼だから二人を呼んだだけよ? ただ親切よ」

「親切ぅ? ただ邪魔しに来ただけですよね? せっかく良い雰囲気だったのに迷惑なんですけど?」

「良い雰囲気ねぇ……なおさら来てよかった。一体どんな雰囲気だったのかしらねぇ?」

「それはもうラブラブな雰囲気ですよぉ? もうすぐで先輩からの熱い抱擁が来たかもしれないぐらいに」

「へぇ……」

 

 あからさまに天城の表情が怖くなる。同時に天城のイルカを止める手の力が強まり、鼻先が音を立てて凹み始める。破れちゃう破れちゃう! イルカさん破れちゃうよぉ!

 

 完全なる険悪ムードが漂う。気のせいか周りの人達もこの場に近付かないよう避けている気がする。

 さっきよりも雰囲気が悪い……争いは避けられないのか!?

 

「ふ、二人共一旦落ち着こう! ほら、みんなと合流してお昼食べよう! な!?」

「……世名君が言うなら」

「分かりましたぁ……名残惜しいですけど、二人っきりは終了ですね……行きましょうか、先輩」

 

 ほっ、何とか収まった……一気に体の力が抜けた……昼食しっかり食わないとな。

 

「――その前に、大宮さん」

「……なんですか?」

「そろそろ世名君から離れれたらどうかしら?」

「……嫌って言ったらどうします?」

「剥がす」

 

 もう止めてぇぇ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 マンツーマンの甘い空間の後に訪れる修羅場。二つの意味でドキドキしっぱなしの主人公は大丈夫なのか?
 そんな波乱な一日はまだまだ続きます。



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