「ふわぁ……眠……」
朝。セットした目覚まし時計の耳に響くうるさい音に目を覚まし、あくびをしながら体を伸ばす。
とりあえず目覚まし時計を手に取り、時間を確認する。今の日時は6月21日の日曜日。午前10時だ。何故せっかくの休日にわざわざ目覚ましを使い起きたかといえば、午後からバイトがあるからだ。
「早めに準備しとくか……」
母さんが何か食事を作ってくれてるだろうし、ささっと食べて準備を済ませるか……
寝起きで重苦しい体を動かし、リビングへ向かう。
階段を下り、一階へ辿り着くと同時に、キッチンの方からフライパンで何かを焼く音。そして何やら上機嫌な鼻歌が聞こえてくる。これ……母さんか?
何がどうしてこんな上機嫌なのか不思議に思いながらも、リビングへ向かう。
「おはよー」
リビングに着くと同時にソファーに寝そべりながら、テレビを見る友香に挨拶される。相変わらずのグータラっぷりだな……少しは女子らしくしとけよ。
「……おはよう」
色々注意したい点もあるが、言っても結局直さないのは分かってる。何も言わずに言葉を飲み込み、ソファーの空いている所へ座る。
「ちょっ、狭いよ」
「ソファーはみんなの物です。文句言うならしっかり座れ」
「はーい……」
ムスッと頬を膨らませながら起き上がり、ドスッとソファーに座る。全く、来たら自然に退いてやるぐらいの気遣い見せろ。
そのままテレビを見ながら母さんが作ってる料理が出来るのを待つ。
「……そういえば、母さん何であんな上機嫌なんだ?」
「上機嫌? ああ、あの鼻歌ね。実は――」
友香が口を開こうとした瞬間、母さんがキッチンの方から完成した料理を片手にリビングへやって来る。その表情はとてもにこやかで、少し小刻みにスキップしていてとても嬉しそうだ。あー……なんか見たことある。
「あ、友希ぃー! おはよう!」
「……おはよう」
声のトーンがいつもより高い。相当ご機嫌だな。という事は……そういう事だろうな、多分。
「……どうしたのそんなご機嫌で」
「え? 分かるぅ?」
分かるわ。あんたいつもそんなキャピキャピしとらんだろう。まあ、ある状況下ではこんなんだけど。
大体理由は分かってる。そして思った通りの言葉が、母さんの口から出る。
「実は……お父さんが帰って来るの!」
「……でしょうね」
まあ……それしかないよな。母さんのテンションが上がる事といえばそれぐらいだ。
俺達の父親は極々普通のサラリーマンだ。そして今は遠方の方へ長期出張中だ。確か俺が高二に進級したぐらいからだから……ざっくり二カ月ぐらいか。その父が出張から帰って来る……って事らしい。
そしてどうして母がこんなにも上機嫌なのかというと……息子の俺が言うのはあれだが、ウチの母と父は馬鹿が付く程ラブラブな夫婦だ。
母も父も見た目は若い方だから良いが、四十近くの良い大人がイチャイチャするのは息子としては正直来るものがある。
「……で、いつ帰って来るの?」
「実は……今日なの!」
「今日? またいきなりな」
「出張行く前にも、今日には帰って来るって言ってくれてたし! ちゃんと守ってくれるなんて……流石は私の旦那様!」
ハートマークが付きそうな程甘い声を出し、両手を頬に当てる。止めてくれ、母親の乙女ポーズは息子にはダメージがデカい。……もう慣れたけど。
でも、どうして今日までなんだ? 今日何かあったっけ? 思い当たる事を探していると、友香が先に気付いたらしく、口を開く。
「6月21日……ああ、そういえば結婚記念日だっけ?」
結婚記念日……そういやそうだったな。毎年その日が豪勢な食事なの覚えてるわ。確か小学校低学年の時は裕吾達他の家族も交えて結婚記念日祝ってたな……あいつらよく付き合ってくれたもんだ。普通は人様の両親の結婚記念日なんて祝うなんて興味無いだろうに……
「はぁ……早く帰ってこないかしら……私もう恋しくてたまらないわぁ……」
「はいはい。早く帰って来ると良いねー」
友香よ、あからさまな棒読みはどうかと思うぞ。まあ、気にせず飯だ飯。
ほんわかとした雰囲気で両手を組んで天井を見上げる母さんを放っておいて、持ってきた食事をささっと平らげる。
「ごちそうさまっと……」
何か量多かったな……幸せで舞い上がってんのか? それは良いとして少し食うのに時間掛かったな……もうすぐバイトだし急ぐか。
食器を片付け準備を始めようとした途端、ポケットに突っ込んでいたスマホが鳴りだす。
「なんだ朝から……って千鶴さん?」
何かトラブルか? とりあえず電話に出る。
『お、世名か。悪いな朝から』
「いえ良いんですけど……何か用ですか?」
『ああ。お前、今日シフト入ってるよな?』
「はい。それがどうかしたんですか?」
『実は今日はちょっとした事情があって店を休む事になったんだ。だから、来なくていいぞ』
「休むって……何かあったんですか?」
『別に大した事じゃ無いから気にするな。とにかく、今日は休みだ。明日以降のシフトは変わらないからな。じゃあな』
「あ、はい!」
慌てて返事をするが、既に電話は切れていた。切るの早っ……でも休みって……いや、去年も似たような事結構あったな。今更だが適当な仕事場だな。
とはいえ、休みか……予定が一気に無くなったな。どうしようか……
「もしかして……バイト休みになったの?」
「そうらしい」
「なら、今日暇だったりする?」
母さんがどこか期待を抱く目を向けてくる。……予定が埋まりそうだな。
◆◆◆
突然バイトが無くなり暇になった俺は今、母さんに頼まれ街へと繰り出していた。
「えっと買う物は……多いなおい」
母さんから預かったメモに改めて目を通し、つい口に出してしまう。
俺が頼まれたのは簡単な夕飯の買い物だ。ただ、量が多い。父さんが帰って来るからって、ここまで豪勢にするか? 普通。いや、あのバカップルに普通も何も無いか。
とりあえず、買い物はスーパーで済ませられるしいいか。時間もかなり余裕があるし、気楽に行こう。
量が多いと言っても持ち切れない程でも無いし、適当に済ませて帰ろう――そう思い目的のスーパーへ向かい歩き始めた瞬間。
「あ!」
突然、後ろから聞き覚えのある声が聞こえ、不意に立ち止まってしまう。聞き間違えかとも考えたが、それは無いだろうと、後ろを振り返ってみる。と、誰かがこちらに向かって駆け寄って来るのが見える。……ただの買い物では済みそうも無いな。
「やっぱり、先輩だ! こんなところで会うなんて奇遇ですね!」
「本当……奇遇だね、出雲ちゃん」
まさか出会すとは思わなかったな……まあ、今は他の誰かと居るわけじゃ無いし構わないか。
そう思いながら、何となく出雲ちゃんの手元を見てみると、手提げの鞄とは別にビニール袋を持っていた。
「それは?」
「あ、えっと……参考書です! ほら、もうすぐ期末テストですし、役立つかなって」
期末……ああ、忘れてたわ。そういやもうじきだったな……俺勉強してねぇ……帰ったら少ししとくか。
「出雲ちゃんはそれを買いに? でも確か出雲ちゃん勉強嫌いなんじゃ……」
「うっ、そうですけど……今回は真剣に取り組むんです! だって、赤点取ったら、夏休み補習ですよ? そしたら先輩と過ごせる時間が減っちゃいます!」
「そ、そっか……」
補習か……俺も頑張らないとマズイな。出雲ちゃんもこうして頑張ってるんだし、俺が補習なんて洒落にならん。
「あ、良かったらこれから先輩の家にお邪魔していいですか? 是非勉強教えてほしいです!」
いきなりだなおい……でも俺教えられるスキルは無いし、そんな余裕も無い。それに……
「きょ、今日はちょっと無理かな?」
「えー、どうしてですか?」
「そのぉ……今日は父さんが出張から帰ってくるんだ。だから色々騒がしいだろうし……」
「お父さんが!? なら、尚更お邪魔させて下さい!」
急に出雲ちゃんが目を輝かせ、顔を近付けてくる。いっ、一体どうした?
「お父さんが帰ってくるなら、ご挨拶ぐらいしておかないと!」
「ご挨拶って……?」
「それは……将来はお世話になるかもしれないんだしぃ……うへへっ……」
片手を頬に当てて、ニマッと口元をだらしなく吊り上げる。お世話って……そうなるとしても早いだろう。
「その……父さんも帰って来てすぐは休みたいと思うし……」
「そうですかぁ……じゃあ、別の機会にしときます」
挨拶には来るのね……そういや父さんは俺の現状知らないんだよな。わざわざ告げる事でも無いけど。
「そういえば、先輩は何かこの後用事あるんですか?」
「ん? ちょっと夕飯の買い物にね。今日は豪勢らしいから」
「どうしてですか?」
「えっと――」
豪勢な食事にする理由が結婚記念日だから。そしていらないとは思ったけど、二人バカップルぶりなど、適当に話した。
その話を聞くと、出雲ちゃんは何故か感心したように両手を合わせ、口を開く。
「結婚記念日……! 素敵ですね!」
「そ、そうかな?」
「そうですよ! 結婚してからもそんなにラブラブなんて、素敵じゃないですか!」
「そういうもんかな……? 息子の立場としては正直シンドイけど……」
確かに端から見れば幸せな夫婦なのか……? 身内と他人じゃ感じ方が違うか。
「いいなぁ……私達もそんな素敵な夫婦になれると良いですね!」
「え? あ、ははっ……」
朝倉先輩とかもそうだが、もう結婚は決定なのね。そりゃまあ、その内は四人の内誰かと結婚するんだろうけど。
結婚か……全然想像出来ないな。そもそも付き合うのすら想像出来ないのに、そんな先までは無理か。
「今日が結婚記念日って事は……ジューンブライド……って事ですね!」
「ジューンブライド……そういう事になるな」
「そういうの幸せですよねぇ……先輩、私も結婚する時はジューンブライドが良いです!」
「結婚って……そんな先の事考えても仕方無いんじゃない?」
「そんな事ありません! 私はもうそれよりずーっと先まで考えてます!」
「先?」
そう問い掛けると、出雲ちゃんは少し神妙な表情になり、こちらを真っ直ぐ見つめてくる。そのどこか真剣な眼差しに、思わず言葉を呑む。
「まずは先輩と恋人になって……いっぱいデートして、思い出も作って……そしてプロポーズされて、6月に結婚するんです! それから子供を産んで、一緒に幸せな家庭を築いて、子供の成長を見守ったら老後を一緒に過ごして、一緒に天国へ行く……」
「そ、そこまで考えてるの?」
「当然です! なんなら来世の事だって考えてますからね!」
ら、来世って……スケールが大きいな。まあ、それぐらいの想像はするか。その相手が俺っていうのは荷が重いけど……その思いを受け入れないかもしれないんだし……
「……言っておきますけど、私は本気ですから」
「え?」
「私は本気で、先輩と結婚したいです。この思いだけは……譲れません。妄想とか想像とかで終わらせる気はありませんから」
「出雲ちゃん……」
そう……だよな。軽々しく結婚だなんて言う訳が無いよな。出雲ちゃんは本気で、俺と結婚したいって思ってくれてるんだ。そして、それは他の四人も……はぁ、本当、こういった話をする度に、自分がどれだけ重大な立場に居るか思い知らされるよ。
でも、こうやって好意を向けられるのは……まあ、悪い気分では無いな。
「……先輩? どうしたんですか?」
「え? ああ、いや……結婚とかさ、先の事はまだ分からないけど……出雲ちゃんのその気持ちは嬉しいなって。今すぐ返事を出せないのは申し訳無いけど……」
「へ、返事って……! いや、あくまで結婚は将来の事で! そんなすぐに結婚とかは困るというか恥ずかしいというかぁ……別に嫌な訳じゃ無いんですけど、心の準備というか――」
そう慌ただしく喋りながら、急に体をクネクネ動かし、照れ始める。
……言葉足らずだったかな。それにこういうのは軽々しく言っちゃ駄目だよね、うん。
とりあえず出雲ちゃんを落ち着かせる。出雲ちゃんは未だ顔が赤く、若干妄想の世界に入ってるっぽい。
「ふぅ……取り乱してすみません」
「いや別に……」
「でも、この気持ちに嘘は無いですから。私の夢は――先輩のお嫁さんになる事です!」
そうニコッと笑みを浮かべる。その言葉を聞いて、俺の中である記憶が引っ張り出された。
――夢はお嫁さんになる事!
「…………」
「先輩?」
「あ、いや何でも!」
何だ今の……誰の言葉だ? でも確かに覚えてる……誰かがそう言った事を。いつの事で……誰の言葉だっけ……?
「変な先輩……まあいいや。じゃあそろそろ行きましょう、先輩!」
「え、どこに?」
「買い物するんですよね? 私も付き合いますよ!」
「え!? いやでも悪いし……」
「私は先輩と一緒ならいいんです! それとも……前は天城先輩と楽しく買い物してたのに私は駄目なんですか?」
うっ……まだ覚えてたのね……あれは目的地が同じだったから……
「はぁ……分かったよ。退屈だろうけど良いの?」
「はい! 私は先輩と居れれば十分満足ですから!」
そう満面の笑みを浮かべると、腕に抱き付いてくる。全く……仕方無いな……
いくら言っても帰らないだろうし、別に一緒でも問題は……誰かと鉢合わせない限り無いだろうと、俺は出雲ちゃんと共にスーパーへ向かった。
その間、俺は頭の片隅で頭に浮かんだあの言葉を必死に思い出そうとしたが、結局最後まで思い出す事は出来なかった。
◆◆◆
その後――何とか大事も無く買い物を済ませ、出雲ちゃんと別れ、俺は大荷物を両手に抱えながら帰宅した。こんなに一日で使えるんだか……
「ただいまー……」
少し苦労しながら扉を開き、玄関に入ると同時に家の中から何やら豪快な笑い声が聞こえてくる。もしかして……もう帰って来たのか?
早くないかとも思ったが、時計を確認してみると時刻は既に4時過ぎ。出雲ちゃんと色々話してて遅くなったのか……
靴を脱ぎ、改めて荷物を持ち上げてリビングへ向かう。そしてリビングへ続く扉を開くと――
「はぁい、お父さん。あーん」
「あーん……」
「…………」
枝豆を使った軽食を、母が黒髪の男性に食べさせている光景が広がっていた。
「ん? おお、友希か! ただいまー。いや、お帰りか?」
「……いきなりイチャラブシーンを息子に見せつけるな」
「ハハッ! 何だ、嫉妬か? ママを取られて悲しいかぁー?」
相変わらずムカツク……
彼こそが我が父――世名
「なーに辛気臭い顔してんだ。さては俺もイチャイチャ出来る彼女ほしー! とか思ったか?」
この人は……人の現状も知らないで良く言えるもんだ。こちとらそれどころじゃ……
「安心しろ我が息子よ! そんな春の来ないお前に朗報だ!」
「……はぁ?」
何言ってんだこの人。酔っぱらってるのか? いや、酒は飲んでなさそうだな。
「実はな、出張先で偶然桜井さんに会ってな」
「桜井……?」
一体誰だと一瞬考えたが、すぐに答えが出た。それは俺のもう一人の幼なじみの名だ。
裕吾は幼稚園で仲良くなり今まで連んできたが、そいつは家族ぐるみの付き合いで、一番付き合いが長い友人とも言える。かつては裕吾と三人で良く遊んだもんだ……
でも、小五の頃に親の仕事の都合で引っ越したきり連絡も取らなくなってどこに居るかも知らなかったけど、父さんの出張先に住んでたんだな。でも、それが何故俺にとって朗報何だ?
「桜井さんと向こうの居酒屋で話したんだが……実は娘さんがこっちに戻って来るらしいぞ」
「も、戻って来る?」
「ああ。こっちで一人暮らしするらしいぞ」
ま、また何でそんな事に……でも、戻って来るのか……それは普通に嬉しい事――ん? それが朗報って……
「さらに実は! その娘さんがこっちに来る理由は何と! お前に会いたいんだとさ!」
「……へ?」
「いやー、お前あの娘さんと仲良かっただろ? 一緒に水族館行ったりしてたし、確かあの子の為にいじめっ子グループに刃向かったりもしてたろ?」
「あ、ああ……」
「だから、きっとあの娘さん……お前に惚れてるんだと思うんだわ!」
「…………」
そうだ……思い出した。あの言葉が、誰の言葉で……誰に向けて言われた事かを。あれは小2の時、母さんと父さんの結婚記念日のパーティーの時。
――私の夢はお嫁さんになる事! 友くんのお嫁さん!
あいつが俺に向けて言った言葉だ……!
「いやー、良かったなぁー! あの子は完全に気があるみたいだし、お前にもとうとう春が……って、どうしたんだ死んだような顔して。もっと喜べよ!」
「……こべ……」
「ん?」
「喜べるかぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「何で!?」
何て事だ……! ただでさえ今はあの四人で手一杯なのに、そこに俺の事を好きな幼なじみだぁ!? そんなの対応仕切れない上……火に油を注ぐ事に等しいぞ! 幼なじみという存在が加わったら……あの四人がどんな反応を見せるかなんて想像出来るもんじゃ無い! いや、想像したくも無い!
というか……本当にあいつは俺の事を好きなのか? あの時の言葉も子供の時だし……でも俺に会いたいって……ああ、駄目だ! 頭がこんがらがる!
「ど、どうしたんだよ……そんな思い悩む事無いだろう。付き合ったら幸せだぞ? 俺と母さんみたいに――」
「だぁってろ糞親父!」
「糞親父!? とうとう反抗期!?」
ようやく四人の事が分かり始めて、ちゃんと考えられると思ったのに……これから一体どうなるんだよぉ!
何て事無い日常回と思いきや、ラストまさかの衝撃展開。
という事で、次回急展開……かな?