翌日。俺は起きてすぐに熱を計った。体温は36度8分。うん……結構下がったな。これならもう大丈夫だろう。
無事に何とか風邪も治り、一安心。一日で治るとは思わなかったが、これで他に移す心配も無いだろう。でも明日バイトだし、ゆっくりしとくか。
とりあえず体力を本調子に戻すべく、まずは朝食を食べにリビングへ降りる。
「あ、おはよう友希。風邪はどうなの?」
「もう治ったみたい」
「そう、それはよかったわね。朝ご飯今作ってるから、ちょっと待っててね」
フライパンを振るいながら爽やかな笑顔を見せる母さん。どうやら移ったとかは無さそうだと安堵する。
リビングの席に座り、朝食が出来るのを待ちながらテレビを適当に見ていると、友香が大きくあくびをしながらリビングにやって来る。
「おはようさん。何か眠そうだな」
「おはよう……うん……ちょっと寝不足なだけ……」
まだ寝ぼけているのか、はっきりしない口調で目を擦りながらボソッと呟く。珍しいな……こいつ夜更かしするようなタイプじゃ無いし、割と寝付きは良い方だったと思うが……
「それよりお兄ちゃん、風邪治ったの?」
「へ? ああ、もう大体治ったぞ」
「そっか……じゃあ今日はよく寝れそうだ……」
「どういうことだ?」
「こっちの話」
相変わらずぼけっとしながら席に座る。
俺の風邪が治ったらよく寝れそうって……どういう原理? まあ、気にしても仕方無いか。
それから友香と共にテレビを見ながら朝食を待った。
数分後、目玉焼きを中心としたオーソドックスな朝食を食べ終えた後、母さんは買い物に、友香は昼寝と言って部屋に戻った。
俺は特にする事も無いし、あんまり無茶も出来ないのでテレビだったり本だったりを見て、時間を潰した。
それから数時間。やる事もだんだんとなくなり、俺も一眠りしようかとした時、家のインターホンがピンポーンと鳴り響く。
午前中から珍しいなと、少し驚きながら来客を迎えに玄関へ向かう。
「はーい……」
鍵を開け、ドアを開く。視線を下の方からゆっくりと上へ上げる。まずひらひらとした薄い水色のスカートが目に入り、次に真っ白なブラウスと、一瞬で目が覚める程豊満な胸が目に入る。そして顔を上げきった時、見覚えのある麗しい顔が目に入った。
「おはよう、友希君」
「ど、どうも……」
そう、来客は朝倉先輩だ。まあ、胸が見えた辺りで何となく分かってたけど。あそこまで大きい知り合いは二人ぐらいしかしらん。
冗談はさて置き、何故朝倉先輩はこんな早い時間に我が家に来たのかを考える。まあ、大体予想はつくけど。
直後、俺の予想通りの言葉が彼女の口から出た。
「友希君、風邪を引いたのでしょう? だからお見舞いに来たわ」
まあ、そうだよね。嫌な事では無いし、心配してくれるのは有り難い。ただ昨日の事もあるし、素直に喜べんな……まあ、普通に対応しよう。
「わざわざありがとうございます。もう治ったので、大丈夫ですよ」
「あら、そうなの? どれ……」
するとどうした事か、突然朝倉先輩が自分と俺の前髪を上げ、額をくっつけてくる。いきなりの急接近、密着に思わず息を呑み、体が熱くなる。
な、何してんだこの人!? 顔近っ! 鼻先当たってるし、何か良い匂いするんですけど! というか……この人本当に整った顔立ちしてんな……って、冷静に考えとる場合か!
脳内で訳も分からずあたふた喚いていると、先輩がゆっくりと額を離し、うっすらと口元を吊り上げる。
「うん、確かに熱は下がってるみたいね。安心したわ」
そ、それを確認する為にいきなりあんな事すんのかよ……この人のいきなりのボディタッチを超えた行為は心臓に悪い……
「昨日は生徒会の仕事で来れなかったけど、こうして元気な姿を見れたから、今日来て正解だったわね」
「そ、そうですか……」
「フフッ、そんなに顔を赤くして。また風邪引いちゃったかしら?」
あんたがあんな事したからでしょうが……その口調絶対分かってるでしょ……この人はおふざけが過ぎるというか何というか……
「ああ、そうだ忘れてたわ。これ、お見舞いの品よ。大した物では無いけど、是非ご家族と食べて」
「あ、どうも……」
朝倉先輩が差し出した何かテレビの高級お土産品特集とかで見たことあるロゴの入ったビニール袋を受け取る。これ絶対高級品だろ……どうやら中はケーキっぽい。たかが風邪で貰う品じゃ無いよな……何か申し訳無い。流石に何かお返しした方が良いか? わざわざ休日にお見舞いにも来てくれたんだし、タダで帰すのもなぁ……
「……えっと、立ち話も何だし、中入ります?」
「あら? 良いのかしら?」
「こんなの貰うだけだとあれですし……家族全員でも一個余るから、良かったらですけど……」
「そんな気を使わなくていいのに……」
そう言うが、朝倉先輩は嬉しそうだ。勢いで言っちゃったが大丈夫かこの選択……まあ、ちょっとお礼するだけだもんな、うん。
「では、少しお邪魔しようかしら。実はそのケーキ、私のお気に入りなの。限定品でなかなか手に入らないから、有り難いわ」
限定品ですか……ますます申し訳無い。
ともかく、朝倉先輩を家へ上げ、リビングに案内する。
「適当に座ってて下さい。えっと……ウチ紅茶とか無いんで……牛乳とかでも平気……ですか?」
「何でも大丈夫よ」
良かった……紅茶以外飲まない主義では無いようだ。
とりあえずキッチンからコップとケーキを乗せる皿を持ってきて、テーブルに並べる。早速朝倉先輩が持ってきた四つのケーキの内、二つを皿に乗せ、残りは冷蔵庫へ入れる。ケーキは見る限り高級品だと一目で分かる物だった。なんだろう……オーラが違う、オーラが。
「じゃあ、いただきましょうか」
「は、はい……」
正直こんな凄そうなのを食べるのは恐れ多いな……何だろうこの気持ち。
そんな躊躇する俺とは違い、朝倉先輩はケーキを食べ進める。やっぱ格が違うな……色々。
「どうしたの?」
「いえ、何でも。いただきます……」
このまま手を着けないのは失礼だし、とりあえず一口分、口に運ぶ。
「……おいしいですね」
「でしょ? 口に合ったみたいで良かったわ」
何だこれ……口に入れた瞬間甘さが広がって……何というか……柔らかいというか……ふんわりしてるというか……うまいな! ……俺食レポの才能無いな。
想像以上に美味なケーキを食べ進めていると、再びインターホンが鳴る。今日は客が多いな……朝倉先輩に待ってて下さいと言ってから、玄関へ再度向かう。
この時、何かデジャヴを感じたが、気にせず……いや、わざと考えずにドアを開ける。
そして、先程と同じように顔をゆっくりと上げる。
まずはピンク色のミニスカートが目に入る。次に何か英語が描かれた白いTシャツと――胸元にぶら下がったハートのペンダントが目に入る。
「…………」
そこで一瞬動きが止まる。嫌な予感しまくりだが、臆せず顔を上げる。そして案の定、見覚えのある黒髪の少女が、大きく澄んだ黒い瞳をこちらに向けていた。
「お、おはよう、世名君……」
「おはようございまーす……」
そう、来客はやっぱり天城だった。まあ、ペンダント見えた辺りで分かってたけど。だって一万円したし。
冗談はさて置き、これはマズイ……今は我が家には朝倉先輩がリビングにてケーキを食している最中だ。そんな状況を知ったら、今は頬を染めてモジモジしている天城さんも狂気の雰囲気に包まれるだろう。というか可愛いなおい!
「ご、ごめんね……昨日はバイトでお見舞い来れなくって……休んで来ようとも思ったんだけど、店長が許してくれなくて……」
まあ、俺休んでたしね。で、今日お見舞いに来たと。来てくれるのは嬉しいが、タイミングが悪いなぁみんな!
「あ、そうだ、店長から伝言があるの。明日は大事を取って休め。その代わり来週は全力でこき使う――だって」
「りょ、了解しました……」
こき使うか……どれぐらいかが問題だな。よく休んどこ。
「それと、これお見舞いに。駅前のシュークリーム。良かったら……」
「おお、ありがとうな……」
天城が差し出したよく見るロゴが描かれたビニール袋を受け取る。これ友香がよく買ってくる奴か……おいしかったなこれ。
「世名君、風邪は大丈夫なの?」
「ん? もう大体治ったよ。心配かけて悪いな」
「そっか……良かったぁ……」
ほっと息を吐き、胸に手を当てる。そこまで心配してくれてたのか……何だか嬉しい気分ではあるな。まあ、今何かが始まってしまうんでは無いかと不安でいっぱいで変な汗かいてきたけど。
すると天城も理由は分かって無いだろうが、俺の様子に気付いたようだ。
「何か顔色悪いね。あんまり長居しちゃ悪いし、帰る……ね……」
ん? 何か最後の方歯切れ悪かったな。一体どうしたのだろうと天城の様子を伺うが、彼女はどこか一点をじっと見つめている。気のせいか、次第に目から明るさが無くなってくる。え、何これ怖い。
俺が一気に不安に襲われていると、天城が問い詰めるように感情が分かりづらい声で、ゆっくりと口を開く。
「ねぇ世名君。その靴……何?」
そこですかぁー! 目の付け所怖いよ天城さん!
天城が言った靴とは、玄関にある朝倉先輩の靴だ。彼女本人の姿は隠せても靴は隠せてなかったか。そりゃそこ見られる何て思わないもん!
「それって女性物の靴だよね? 友香ちゃんのにしては大きそうだし……一体誰の?」
「こ、これは、そのぉ……」
どうしよう……言い逃れできない。いや、まだ朝倉先輩とバレた訳じゃ無いし、問題は――
「もしかして……女の人が来てるの? どんな奴?」
ありありだなちくしょう! 女性って時点で問題だな! 天城さん目がどす黒くなってるよ! 笑って笑って! 何もやましい事無いから!
「えっとだな……」
何とか言い逃れしなければ……そう言い訳を口にしようとした矢先――
「どんな奴って……こんな奴だけど?」
「んなっ!?」
いつの間にか朝倉先輩がリビングからここまで来て、勝ち誇ったように堂々と腕を組んで壁に寄りかかっていた。何で出て来たのこの人ぉ!
「い、いつから……?」
「靴がうんぬん……辺りかしら?」
結構前! まあ、バイトの事は聞かれて無いからセーフとしよう……他はアウトだけど。
「……どうして生徒会長さんが居るんですか?」
「あなたと同じ理由だけど?」
「そうじゃなくて、どうして世名君の家に上がってるんですか?」
「それは勿論友希君が是非上がってと言ったからよ?」
そう朝倉先輩が言うと、一瞬驚いた顔をして、天城が確認を取るように俺の方を見る。そうは言ったけどもう一、二言ぐらい入れて!
「いや、決して変な意味では無く……」
「あらそうなの? 私はお誘いだと思ったのに」
何故か胸元を押さえるように体を抱える。何のお誘いだと思ったのあなた! ああー、天城さんの表情がまた怖くなったよぉー、何で煽るのあなた!
「……何かしてないでしょうね?」
「あら怖い。安心して、抜け駆けなんてしないわ。私はちゃんと、あなた達をしっかり諦めさせてから友希君と楽しむから」
「……じゃあ、絶対そんな時は来ませんね」
「そうかしら?」
何ですかこれ、今からストリートファイトでも始めるんですか? 決闘ですか? デュエルですか!? もう止めてくれ、俺のライフはゼロだから!
「さて、私は要件も済んだし、帰らせてもらうわ。それじゃあ、またね友希君」
「は、はい……」
ガッチガチの返事を送る。
そのまま先輩は俺の後ろで靴を履き、俺と天城の間を抜けて何事もなかったかのように立ち去る。それを、天城は憎悪いっぱいで睨み付ける。怖いよこの子ぉ……
「……世名君」
「はいぃ!?」
天城がゆっくりと近付いて来る。な、何されるの? 怖い事嫌だよ俺豆腐メンタルだから!
「その、俺はただ親切心というか、悪気があって先輩を家に上げた訳では……」
「……言わなくても分かってるよ」
「だから……へ?」
「世名君は優しいもん。きっとお見舞いに来てもらったんだし、タダで帰すのは申し訳無いとか考えたんだよね?」
ず、ズバリ正解だ……俺の思考ってそんな単純?
「世名君のそういうところ、私は好きだし、悪いとは言わない。でも――」
そこまで言うと、天城は少し身を沈め、俺の胸元に頭をコテンと当てる。
「私の気持ちも……考えてほしいな……」
涙声に近い甘えた声に、思わず言葉を失う。そんな直球で言われると……何も言い返せないな……
「何ていうか……ごめん。その……天城も上がってくか?」
「……ありがとう。それじゃあ……お言葉に甘えて、お邪魔しようかな」
天城がにっこりと笑う。良かった……何とか機嫌は直ったらしい。ふぅ……休まる暇が無いな本当。
その後、天城をリビングに上げ、一緒に天城の持ってきたシュークリームを食べながら、軽く話をした。
途中、友香が起きてきて、シュークリームを見た途端にテンションマックスで入ってきたりしたが、大きな問題が起きる事無かった。
その後用事があると言って、昼前に天城は家を出る事に。
「それじゃあまたね、世名君。ゆっくり休んでね? 無茶したりしちゃ駄目だからね?」
「ああ、分かってるよ。天城も、移ったりしないよう気を付けて」
「うん。友香ちゃんも、またシュークリーム食べようね」
「はい。お気を付けてー」
笑顔で手を振りながら去り行く天城を、友香と共に見送る。
天城が去った後、家の中へ戻り、シュークリームなど食った後だが、友香が昼飯の準備を始める。俺はそれをリビングで気長に待った。
色々あったが……何とか風邪での問題は終わったな……いや、まだ来週のバイトが残ってるな。あれは別の意味でしんどそうだ。
「ねぇお兄ちゃん。冷蔵庫に入ってたこれ何?」
「ん? ああ、それ朝倉先輩のお見舞いのケーキ」
「ケーキ……貰って良い?」
「まあ、お前と母さんの分だしいいけど……今食べるのか?」
「いいじゃん別に。こちとら心配で寝れなくて栄養不足なの」
「心配? 何が?」
そう問いただすと、友香が一瞬失言だったという顔をして、そっぽ向く。
「お兄ちゃんには関係無い事! いいから黙って待ってて!」
何だそれ……というかあいつがキョドるとは珍しいな。まあ、そういう年頃か。
兄妹だからといってあまり深く追求するのはいけないと、これ以上考える事を止め、俺は明後日のバイトの事を考えた。
とりあえず……明後日の為に本調子になるよう休もう。
前回出番が無かった二人のターン。
後輩ちゃんより天城さんの方がヤンデレっぽいと思う今日この頃。