ビッグマリーナを後にして、俺達は白場市に戻ってきた。
既に日は落ち――というか若干雨雲が出てきていて辺りはすっかり暗がりになっていた。もしかたら一雨来るかもしれないな……しっかり天気予報見てくればよかったな……
そんな後悔と不安を抱きながら、俺は海子を家まで送る事にした。水族館であんな事あったばかりで少し心配だった事もあるし。
「すまないな、わざわざ家まで送ってもらって」
「いいって事よ。折角なんだからとことん付き合うよ」
「そうか……」
海子が小さく笑う。どうやら喜んでくれてるみたいだし、今日は一応成功……かな?
それにしても今日は色々あったな……早く帰って、ゆっくりと休みたいな……そして多分明後日は三人から色々言われそうだし、対応策を考えておかないとな。
「大変だな……ん?」
海子に気付かれないように頭を掻き呟いた時、手の甲に何か冷たい感覚が伝わる。そして微かに感じる、覚えのある匂い。
それから数秒後、次第にコンクリートの地面に上からポツリと音を立て、雫が落ちる。
「ありゃ……降ってきたな……」
「だな……急ごう、私の家まで走ればすぐだ」
海子の言葉に頷き、二人でそのまま雨里家を目指して走る。だが、その間にも雨はどんどんと激しさを増し、あっという間に滝のような豪雨となる。なんだこれ!? 集中豪雨てやつ!?
先がほぼ見えない状態になり、一瞬で水の中に落ちたかのように全身びしょ濡れになる。ズボンが水分を吸い、非常に歩きにくい。
「酷いなこれ……! 強すぎるだろ……!」
風も強くなってきた。まさに台風のようだ。油断したら吹っ飛ばされてもおかしくない。
少し海子が気になり、チラリと目をやる。正直雨のせいでよく見えないが、歩くのに支障は無さそうだ。そういえば格闘技やってるって言ってたし、足腰は俺より強いか。
「もうすぐ私の家だ! 友希も来い!」
「そうだな……!」
流石にこの状況でまともに帰れるとは思えない。今は平気だが、この様子だとさらに強くなりそうだ。少し海子の家で雨宿りさせてもらおう。
そのまま横殴りの雨の中を駆け進む。走ること数分、ようやく海子の家に辿り着く。着くや否や海子はすぐさま玄関を開け、中に入り俺を手招きする。それに遠慮無く、俺も中に入り込む。
海子が扉を閉めようとドアノブに手を伸ばすが、そうするまでも無く、扉は風に押されてバンッ! と勢いよく閉まる。
「うおっ! 凄いな……手、挟まなかったか?」
「何とかな……しかしまさかここまでの豪雨とは……迂闊だったな……」
確かに……梅雨も近いだろうし、傘ぐらい持ってた方がよかったかもな……まあ、この状況だと一瞬でぶっ壊れそうだけど。
さてどうしようか……海子には悪いけど、弱まるまで雨宿りさせてもらって、しばらくしたら傘を借りて帰るか。
その考えを海子に伝えようと顔を向け、口を開こうとした――その時、俺は目に入った光景に言葉を呑んでしまう。
「ふぅ……友希……って、どうした? 目を丸くして」
「えっ!? あー、いやー、そのぉ……なんと言いますか……悪気がある訳じゃ無く……不可抗力というか……事故ですし……」
「支離滅裂だぞ? 一体何を言ってる?」
「えっと……」
今の状況をどう告げれば良いのか――テンパりながらも、海子から視線を逸らしつつ考える。が、これも男の性というものか、無意識に目が海子の方へチラチラと向いてしまう。
その俺の挙動不審な視線に気付いたのか、海子が不思議そうに自分の視線を落とす。そして次の瞬間、今の自分の状態に気付き、海子の顔が一瞬にして真っ赤になる。
海子の服装は白いワイシャツ一枚だ。そんな薄手の服が水に濡れたら肌に服が引っ付き、当然透ける。そして今、海子の服はもはや服としての役目を殆ど果たしてはいなく、隠されていた肌が露わになり――胸元を覆い隠す水色の下着が浮き出ていた。
「……あ、アッチ向けぇ!」
「アイアイサー!」
海子の叫びから半秒も掛けずに全身を180度回転させ、何故か背筋をピンと伸ばして直立不動の姿勢をとる。
姿は見えていないが、恐らく海子は今体を抱えてうずくまっているに違いない。仕方無い、同年代男子にあられもない姿を見られたのだから、そりゃ凹む。
まあ割とガッツリ見た俺も悪いけど、しょうがないよ男の子だもん。谷間があったら見ちゃうよ!
しばらく沈黙が続き、外で降りしきる雨の音だけが耳に入る。流石にこの状況が続くのは辛い……早急に謝って許しを乞おうとしたその時――不意に玄関近くの階段から誰かが下りてくる。
下りてきたのは見た目大体三十代ぐらいの茶髪の女性。ジーパンに黒いTシャツにエプロン姿と、何だか主婦感のある女性だ。そしてどことなく海子に似てる……ちょっと若いけど、もしかしてお母さんか?
「あら、海子帰ってたのね……って、どういう事?」
下りてきたその女性は、俺達の姿を見た途端首を傾げる。
まあ、その反応も頷けるな。だって我が家に知らない男と、うずくまってる娘が居たらそうなるよね。
海子の母親と思われる女性はしばらく俺達の事をぽかんと口を開けて見つめる。すると何か察したのか、ぽんっと手を叩く。
「ああ、もしかしてあなたが友希君かしら?」
「えっ、そ、そうです……」
「やっぱりねぇ! 私は雨里
「あ、いえ……」
やっぱり母親か……というかクールな見た目に相反してテンション高いな。
「ところで……どうしてウチの娘は半べそでうずくまっているのかしら?」
「それは、その……」
「……なるほど、青春ね? もう、海子も初なんだからぁ! いっそ押し倒したりしちゃったらいいのにぃ!」
「か、母さん! 余計な事を言わないで――」
「あら、ブラのホック友希君に見えるわよ?」
海子が口答えしようと前に出ると、水樹さんが即座にそう言う。それに海子は声にならない悲鳴を上げ、またしゃがみ込む。
今のやり取りだけで分かったわ……この人割とキャラ濃さそうだ。
「冗談はさておき……二人ともびしょびしょねぇ。すぐお風呂でも入ったら?」
「え、いや俺は少し雨宿りさせてもらうだけで良いですよ。どうせまた出るんですし――」
「駄目よ! その間に風邪引いたらどうするの! こういう時は体を早く暖めないと駄目なの!」
「は、はい……」
なんというか……肝っ玉母ちゃん的な人か? とりあえず反論出来そうに無いなこれ……
「沸かすのには時間が掛かるから、シャワーで良いわよね? あ、それとも二人でゆっくり入りたい?」
「母さん!」
「冗談よ冗談。じゃあちょっと待っててねー」
ニコニコ笑いながら水樹さんは家の奥へ消えていく。たった数分のやり取りなのに、なんか余計に体力を奪われた気分……
「その……すまないな、母さんは世話焼きというか……ちょっかい好きというか……あんな感じなのでな」
「いや、別にいいよ。でも、見た目はともかく性格は全然似てないな……」
「そうだな……何だか少し恥ずかしい気分だ……」
まあ確かにちょっと変わった人みたいだし、あんまり知られて嬉しい事では無いか……
そう考えると気が緩み、思わず海子の方を見てしまう。その瞬間海子と目が合ってしまい、即座に目を逸らす。しまった……海子まだ透けてる状態だった……
「わ、悪い……」
「い、いや別に構わない……さっきもつい驚いただけで、そこまで嫌では無かったというか……」
「えっ……」
「だ、だからといって見ていい訳じゃ無いぞ! そういうのは手順が……って、そうでは無く!」
声だけで海子がいかにテンパっているかが伝わって来る。何か気まずい……そんな中水樹さんが戻ってくる。
「準備出来たわよー。さ、早く入ってらっしゃい!」
「そ、それなら友希から先に入るといい!」
「え、だから俺は……」
「男子の方がシャワーを浴びるのは速いだろう! 私は長いから先にしろ!」
海子が急かすように俺の背中を押す。入るのはもう決定なのね……まあ、折角だし好意に甘えとくか……
◆◆◆
「ふぅ……」
結局俺は半ば強引に風呂場まで連れて行かれ、適当にシャワーを浴びる事になった。
今更だが、女友達の家でシャワー借りるって……凄い事だな。
「――友希」
そんな事を思いながらシャワーを浴びていると、不意に脱衣所の方から海子の声が聞こえ、俺はつい体をビクつかせてしまう。
「タオルと着替え、置いておくぞ。着替えは私のジャージだから少し小さいだろうが……」
「なんか悪いな……うん、私の?」
「か、勘違いするな! 一応未使用だ! 買ったはいいが使わなかったやつだ! サイズが私のという事だぞ!」
「お、おう……分かってるって……」
「ならいい……ではな」
そのまま海子は脱衣所から立ち去ったようで、気配が消える。着替えまで用意してもらって、悪いな……
ささっとシャワーを済ませ、脱衣所へ出る。タオルで体を拭いて、海子が用意してくれた黒一色のジャージに着替える。確かに、ちょっとキツいな……まあ文句言える立場じゃ無いか。
そのままリビングの方へ向かい、俺と入れ替わるように海子が風呂場へ向かう。
海子が居なくなったリビングには、水樹さんがテーブルでココアを飲みながらニュースを見ていた。
「友希君の分もあるわよ、ココア」
「すみません、わざわざ。お風呂まで借りちゃって」
「いいのよ、娘がお世話になっているみたいだし。さあ、座って座って」
手招きする水樹さんに軽く頭を下げ、正面に座る。
「ニュースによると、しばらくは強い雨が続くらしいわよ」
「そうなんですか……」
「まあ、ゆっくりしていきなさい。私が話し相手になってあげるわ。色々聞きたいし」
「はぁ……じゃあ、お言葉に甘えて」
「うん、素直でよろしい。前々からあなたとはお話ししたいと思っていたのよ。海子があなたの事を楽しそうに話していたから」
「そうなんですか?」
「ええ、それはもう。どうやら過去に色々世話になっていたみたいだし。あの子をいじめっ子から助けてくれたんでしょう?」
いじめっ子……ああ、確かそう言ってたな……俺は自覚無かったけど。
「あの時期は私も色々大変で、気付けなかったのよね……親として情けないわ」
「確か……離婚したんでしたっけ?」
「ええ。まあよくある喧嘩別れよ。でも、そのせいであの子が苦しんでいるのを分かってあげられなかった……そんな娘を救ってくれたあなたには、ちゃんとお礼を言いたかったの」
そう言うと、俺に向かって水樹さんは頭を下げて「ありがとう」と先程までの明るい気さくな口調とは正反対な神妙な口調で言ってくる。
「あ、頭を上げてください! 別に俺はそこまで大それた事をした訳じゃ無いですし、それに……」
「そう……聞いていた通り謙虚で優しい子ね。でも、お礼は言わせてもらうわ、本当にありがとう」
にっこりと微笑みながら、水樹さんが顔を上げる。
参ったな……まさかこんなにマジで感謝される事になるとは……俺としてはそんなつもりで海子を助けた……というか助けたっていう感じが無いんだが……まあ、感謝は有り難く受け取っておこう。
「それに、今も世話になってるみたいだし。あの子や優香ちゃんと……色々一悶着してるんだって?」
「うっ……!」
まあ、俺の事聞かされてるなら知ってるよな……
「ごめんなさいね、あの子意外と強引で。色々迷惑掛けて無い?」
「そ、そんな事は無いです! むしろ俺が迷惑掛けてるというか……何というか……」
自然と顔が下を向く。俺のせいで海子は……何というか辛い状況下に居る訳だし、色々と申し訳無いな……上手く言い表せないけど。
水樹さんとしてはどういう気分なんだろう……俺と海子はかなり複雑な関係性だしなぁ……
「……ねぇ」
すると突然、水樹さんが口を開く。慌てて顔を上げると、真っ直ぐとこちらを見つめる水樹さんと目が合う。
「友希君は……海子と付き合う気はあるの?」
大半の人が予想したであろうお約束展開。
そして中途半端ですけど、思ったより長くなりそうなので後編へ続く。