モテ期と修羅場は同時にやって来るものである   作:藤龍

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告白⑤

 

 

 

 

 

 

 まるで重りを付けているかのように重苦しい足をどうにか動かして、俺は最後の目的地を目指していた。

 いよいよ次が、俺の答えを伝えるべき最後の相手。彼女に俺の気持ちを伝えれば、長い間続いた子の恋路にも決着が付く。全てが、終わるんだ。

 全てが終わった後、どういった事になるかは俺にはまだ分からない。全てが丸く収まって、変わらずに今まで通りな日常が続くかもしれない。逆に今回の事が理由で、俺達の間に溝が出来て、前みたいに楽しい日々が無くなってしまうかもしれない。

 彼女達も、今日の悲しみを乗り越えられず、立ち止まってしまうかもしれない。もちろん極力そこには注意して、少しでも彼女達が前に進み出せるように、しっかりと結論を出したつもりだ。それでも、実際にどうなるかは彼女達次第。もう俺には、どうする事も出来ない。

 それでも、ここで引き返すという選択肢は無い。例えどんな結末が待っていようとも、俺はもう前に進むしかないのだから。

 改めて覚悟を固め、俺は前へと強く足を踏み出す。しばらく歩み、階段の終着点に到着する。この先が、全てに決着を付ける最後の場所。そして全てが始まった――最初の場所。

 

「……行こう、全てを終わらせて……始める為に」

 

 自分にそう言葉を掛け、俺は最後の目的地――屋上へ続く扉を開いた。

 扉の開く重い鉄の音が鼓膜を刺激するのと同時に、涼しい春の風が肌を撫でる。それに思わず目を細めるが、数メートル先に佇む一つの人影に、俺はゆっくりと瞼を上げて、目を凝らす。

 屋上を囲むフェンスに手を掛けて、白場の景色を眺める少女。まだ三月だというのに、まるで秋の夕日のような光に照らされ、艶やかに煌めく黒髪に手を添えながら、彼女――天城はゆっくりと振り返った。

 

「……待ってたよ、世名君」

 

 そう淡い微笑みを浮かべる。どことなく哀愁の漂うその笑みに、チクリと微かに胸に痛みが走る。どうにか感情を表に出さないように注意しながら、話し掛ける。

 

「ごめん、待たせちゃって」

「ううん、全然平気だよ。むしろ、たっぷり待ててよかったかな。心の準備をする時間、出来たから」

 

 グッと胸元に拳を押し当てながら、天城は少し目を伏せる。

 

「世名君が私を……ううん、きっと私達を呼んだ理由は、答えが決まったから……なんだよね?」

「ああ……みんなに、俺の気持ちを伝える為に、全てを終わらせる為に」

「…………そっか」

 

 ポツリと呟き、天城は風に靡く髪を搔き分け、屋上を見回しながらしみじみと口を開く。

 

「本当、本当に長かったな、ここまで……ここで勇気を出して世名君に手紙を渡したあの日から、本当に長かった……」

「……ごめんな、こんなにも時間を掛けて」

「あ、ううん! 別に世名君を責めてる訳じゃないよ! むしろ、今はそれでよかったかなって、思えるんだ」

 

 どこか嬉しそうに口元に笑みを作り、天城は静かに語り出す。

 

「最初の頃は海子達を、私が告白したのを知ってて、世名君に告白したみんなを許せなかった。でも、彼女達と競い合っていく中で、私は色んな事を経験出来た、色んな事を知れた。その知識や経験は、私にとって凄く貴重なものだと思うんだ。だから今は、この長い時間を経験出来てよかったって、そう思えるんだ」

「天城……」

「だからさ、世名君には感謝してるんだ。世名君に会えたから、世名君を好きになったから、私はこんなにも素晴らしい時間を経験出来た。この一年間は、きっとこれから先の私の人生にとって大きな糧になる。……そんな気がするんだ。根拠は無いけどね」

 

 アハハと笑いながら、天城は頬を掻く。

 

「……私がこの先、どんな未来を歩むのかは私にも分からない。でも出来れば、この一年間みたいに楽しい未来になればいいなって、そう思ってる。そして今この瞬間……そんな私の未来がどうなるか、決まろうとしてるんだよね?」

 

 天城の問い掛けに、俺は何も答えられなかった。

 俺の答えによって決まる彼女の未来、それは即ち俺と共に歩めないという、彼女が最も避けたい未来なのだから。

 

「――世名君、躊躇わないで」

「えっ……」

「もしかしたら、これから世名君が出す答えで、私の未来は望まないものになってしまうかもしれない。そんなのは、正直私も嫌だ。でもね、何も聞かずに先に進めないのはもっと嫌だ。だから聞かせて世名君。私が、未来に歩み出す為に」

 

 とても力強く真っ直ぐな瞳に、俺は無言で頷き、俺の気持ちと共に彼女の未来を示す答えを告げた。俺と道は分かたれるという、残酷な未来への回答を。

 

「ここで天城に告白された時は、凄くビックリしたよ。ほとんど接点が無かったのに、手紙なんて渡されてさ。正直、どうして俺なんかに告白したんだって思ったよ。俺の天城のイメージは才色兼備で、俺なんかは一生関わる事が無い高嶺の花だった。正直、俺なんか絶対釣り合う訳無いって思ってた。でも、一緒に過ごして分かった。俺が思ってたよりも天城もごく普通の女の子で、弱点もいっぱいある子だって。運動は苦手で、とても恥ずかしがり屋。そして何より、とても心が不安定。言っちゃ悪いけど、そんな弱い子なんだってさ」

「……うん、そうかもね」

「でも支えがあれば、助けがあれば必ず立ち上がれる強い子でもある。だから、もしも天城が挫けてしまう事があるなら、俺は支えになってやりたいって、助けになりたいって、傷付けたくないって、そう思った。……でもごめん、天城。俺には君を傷付けてでも、一緒に居たい人が、支えたい人が居る。だから……天城の気持ちには……応えられない」

 

 顔を直視する事を恐れ、俺は俯きながらその言葉を彼女に告げた。

 が、いくら経っても、天城の反応は返って来る事は無かった。流石に心配になり顔を上げてみた、次の瞬間。視界に映り込んだものに、俺に胸が抉り取られるような痛みが走った。

 映ったのは、呆然とした表情で、何も言葉を発せず、微動だにせず、静かに一筋の涙を流す、天城の顔だった。

 

「天……城……?」

「…………え? あ、ご、ごめんね……! なんかね、涙が、止まらなくって……アハハ、おかしい、ね……」

 

 無理な笑顔を作りながら、震えた声を出しながら、涙を拭う天城。しかし、彼女の瞳からは未だに無数の雫が流れ落ちていく。それを天城は止めようと両手で拭うが、それでも涙は彼女の悲しみを表すように頬を伝う。

 その姿を目の前にしても、俺には彼女に掛ける言葉が無かった。だって彼女を傷付けたのは俺だから。今の彼女を支える権利は、俺には無いのだから。

 

「ごめん……ごめんね、世名君……世名君を困らせない為に、もし振られても泣かないって決めてたのに……どうしても、涙が止まらなくて……! ごめんね……ごめんね……」

「ッ……!? ……それは、俺の――」

「ううん、世名君は何も悪くない。何も悪くないよ。悪いのは……弱い、私だから……」

 

 一生懸命に涙を拭いながら、天城は必死に今にも消えてしまいそうな声を絞り出す。

 やっぱり、俺は最近だ……彼女をこんなに悲しませて、傷付けてしまって。それでも俺は彼女に何もしてやれない、しちゃいけないんだ。

 でも、これが俺の決めた道なんだ。俺は彼女を、彼女達を傷付けても、陽菜と共に歩むと決めたのだから。

 

「……ごめんね、こんな事言っちゃって、ズルいよね、私……もう、大丈夫。私は、大丈夫だから。……ねぇ、世名君は誰を選んだの?」

「……陽菜だよ。俺は、あいつの側に居たい」

「……そっか……じゃあ、行ってあげて、桜井さんのところへ。きっと待ってるんでしょう? 世名君が戻って来るのを。大丈夫、私は確かに弱いけど、世名君の言った通り立ち直れる強い子でもあるもん。だから……気にしないで行って、世名君」

 

 そう言って、天城は校門の方角を指差す。

 彼女が無理をしているのは、すぐに分かった。けれど、俺がここで足を止める訳には、彼女の側に寄り添う訳にはいかない。そうしたら、きっと彼女は前に進めなくなってしまうから。

 だから俺は、彼女の言葉に首を縦に振り、背を向けた。彼女が、再び立ち上がる事を願って。

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 屋上の扉が閉まる音が、夕空の下に響き渡る。その重々しい音が耳を通り抜けてしばらく経ってから、私はふらりと今にも倒れてしまうんじゃないかと思える足取りで、フェンス際まで移動した。

 そのまま真下に広がるグラウンドの景色を眺めながら、ただ茫然とその場に立ち尽くした。

 すると不意に、視界がじんわりと滲み始め、頬を湿った何かが撫で落ちる。それが私の瞳から零れ落ちる涙だという事を理解するまでに、数秒ほど時間が掛かった。

 それだけ、私の心は虚しさに満ちているんだ。自分が涙を流している事にすぐ気付かないぐらい、世名君に振られた事にショックを受けているんだ。

 

「……駄目だよ……いつまでも、こんなんじゃ……ずっと泣いてちゃ、世名君や、桜井さんに迷惑掛けちゃう……頑張って、立ち直らないと……」

 

 力いっぱい両手で涙を拭う。けれど、涙は私の意思に反して止まってはくれなかった。

 いや、これが私の今の本当の気持ちなんだ。悲しくて、辛くて、苦しくて、涙を流さずにはいられないんだ。そうじゃないと、きっと私は悲しみに押し潰されて壊れてしまう。

 

「私、本当に……前に進めるのかな……?」

 

 さっきは世名君にああ言ったけど、私には私が立ち直って前に進み出せる未来が、世名君が隣に居ない道を歩み出せる未来が見えない。

 私は本当に、この失恋を乗り越えられるの? そんな不安が悲しみと一緒に心の中に渦巻く中、不意に背後から優しい声が聞こえてきた。

 

「――ゆっちゃん」

「えっ……? ゆ、由利……!? それに……香澄まで……!? どうして、ここに……」

 

 慌てて振り返ると、そこには由利と香澄が、どこか物悲しそうな表情で私の事を見つめていた。

 

「二人とも、なんで……?」

「新庄君に言われて、ゆっちゃんの事見守ってたの。告白が成功したら思いっきり祝福してあげてー、もしも駄目だったら……慰めてあげる為に」

「そう、だったんだ……アハハ……情けないとこ、見せちゃったね……」

「そ、そんな事無いよ! えっと、その……」

 

 言葉が出ないのか、香澄はオドオドした様子で視線を泳がせる。

 

「……ごめんね、香澄。世名君を……あなたのお兄ちゃんにしてあげる事、出来なかった」

「わ、私の事は今はいいよ! それより……お姉ちゃんは、大丈夫、なの……?」

「うん……うん……」

 

 香澄の言葉に、私はすぐに返答出来なかった。

 妹にこれ以上情けない姉の姿は見せられない。そんな姉の意地のようなものが微かに浮かんだが、悲しみはそんな意地を一瞬で飲み込み、私は涙に滲んだ声を絞り出した。

 

「正直に言えば……駄目かもしれない……立ち直らなきゃ、前に進まなきゃって思ってるけど、出来る気がしないよ……今にも悲しみに押し潰されそうで、胸が苦しい……世名君の事を諦めて、この気持ちを忘れて前に進むなんて、出来る気がしない……辛い……辛いよ……」

「お姉ちゃん……」

「世名君の、桜井さんの、みんなの為に立ち直らなきゃいけないのに……私、本当に駄目だ……弱くて何にも出来ない自分が、嫌で嫌で仕方無い……世名君は強い子だって言ってくれたけど、やっぱり私は、弱い子だよ……」

「……そんな事無い」

 

 不意に、由利がそんな事を言いながら私の下に歩み寄って、そっと私の手を握る。

 

「確かにゆっちゃんはちょっと打たれ弱くって、すぐに泣いちゃったりする、弱いところがあるかもしれない。でもそれでも、いつかは必ず立ち直れる子。そんな強い子だって、私知ってる」

「由利……」

「だから今はすっごく悲しくても、時間が経てばゆっちゃんは必ず立ち上がれるよ、前に進めるよ。その為に今はいーっぱい、泣いちゃおう。いっぱい泣いたらスッキリして、きっと前に進めるよ」

 

 安らかな微笑みを作りながら、由利は私の頭に手を置いて、ポンポンと軽く叩く。

 

「もしも一人で辛くなっちゃったら、私がよしよーしって、してあげる。支えてあげるのが、友達の役目だもん」

「わ、私も! お姉ちゃんが辛かったら支えてあげる! 私はどんな事があってもお姉ちゃんの味方だから!」

「二人とも……」

「だからゆっちゃん、今は何も考えずにひたすら泣こう。大丈夫、私達が側に居るよ」

 

 そう言いながら由利、そして香澄は包み込むように、私を抱き締める。

 

「由利、香澄……私、私……! うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!」

 

 二人の温もりに、私はずっと堪え続けていた叫びを、思い切りぶちまけた。それを慰めるかのように、由利は私の頭を優しく撫でてくれた。

 正直、今はこの失恋から立ち直れる気がしない。初めて経験した失恋の痛みは私が想像していたよりもとても深く、辛いものだった。でも必ず、立ち直らなきゃいけない。それが苦しみながら答えを出してくれた世名君の為だから。だから私はこの悲しみを乗り越え、苦しみを忘れて、前に進み出す。

 でも決して、私が抱いたこの初恋は、彼を愛したという事は忘れはしない。大切な思い出として、心に刻もう。だってこの恋は、私に様々なものを与えてくれたから。

 その為に、今ここで悲しみを全て洗い流そう。この恋が、素敵な思い出となる為に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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