モテ期と修羅場は同時にやって来るものである   作:藤龍

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告白③

 

 

 

 

 

 生徒会室を後にして、上の階に続く階段を歩いている最中、ふと胸の辺りに微かな痛みを覚え、俺は踊り場で一旦足を止めて壁に寄り掛かった。同時に軽い吐き気を催し、右手で口を押さえる。

 きっとこれは、罪悪感から来たもの。先刻の事を、朝倉先輩の気持ちを裏切って傷付けたという事を思い出すだけで、心の中に得体の知れない今まで経験した事の無いような感情が渦巻く。

 こんなに辛い事を、あと三回も繰り返さなければならない。それを考えるだけで気が滅入る。それに他の三人は朝倉先輩に比べると、精神的な強さは若干劣る方だろう。そんな彼女達に拒否の言葉を告げるのは、とても心苦しい。

 けれど、もう立ち止まる事は出来ない。彼女達の為、そして何より俺自身と陽菜の為に、俺は彼女達と真正面から向き合い、この言葉を伝えなくてはならない。未来に、歩み出す為に。

 

「……行かなきゃ」

 

 重い足を動かし、再び階段を上る。二階に到着してすぐに、俺は次なる目的地に足を運んだ。

 そこは、俺のクラスでもある2年A組の教室。深呼吸をして心を落ち着かせてから、俺は扉を開いて中に入った――が、そこには誰の姿も無かった。

 

「あれ……? おかしいな……」

 

 確かに、ここに彼女を呼び出したはず。なのにその当人の姿は無い。

 まだ来ていないのだろうか……いや、彼女がこちらの指定した時間を守らないというのは少々考えにくい。何か理由があって、今は席を外しているのだろうか。

 とりあえず教室の中に入り彼女を待ってみようと入口から数歩ほど進んだ、その瞬間だった。

 

「――あー! 先輩、こんなところに居たんですね!」

 

 と、俺が数秒前まで居た入口付近から、明るい活発な声が飛んで来た。静まり返った教室にいきなり響き渡った大声に多少ビックリしながら振り返ると、そこには可愛らしい笑みを浮かべた、金髪の少女が立っていた。

 

「い、出雲ちゃん……!? どうして……」

「どうしてって、先輩が呼んだんじゃないですか。この手紙で」

 

 言いながら突然教室に現れた出雲ちゃんは、他のみんなにも渡した手紙を見せる。

 

「そうだけど……でも、呼び出したのは、ここじゃないはずだよね?」

 

 確かに、出雲ちゃんにもこの学校に来るようにと手紙を出した。でも、彼女と会うのに指定した場所はこの教室では無い。ここに呼び出したのは、別の者だ。

 

「だって、いくら待っても先輩来ないんですもん! だから、こっちから会いに来ちゃいました」

「そ、そうだったんだ。ごめん、待たせちゃって」

「いいんですよ別に! ……あの時と、一緒ですね」

 

 ふと、出雲ちゃんの顔から喜色が消え、神妙な顔立ちに変化する。

 

「あの時も私は先輩を待ってて、待ちきれなくなって先輩を探しに出て、ここで話した」

 

 静かな口調で、出雲ちゃんは言う。

 彼女が言っているのは、恐らくあの時の事だろう。俺が彼女に告白された、あの日の。

 

「……でも、今日はあの日とは逆、なんですよね。あの日は私が、先輩に好きだって告白した。でも、今日は先輩が私に告白してくれるんですよね。自分の出した、答えを」

 

 真剣な顔付きの出雲ちゃんの言葉に、俺は無言で頷く。それに出雲ちゃんは複雑な表情を浮かべながら、髪をいじる。

 

「やっぱり、そうですよね……はぁぁ……なんでだろう。ずっと楽しみにしていた時が来たって言うのに、なんだか心が騒めいてるっていうか……落ち着きません。自分から告白したあの時は、全然そんな事無かったのになぁ」

「……そういえば、あの時はやけにあっさりと告白したっけ、出雲ちゃん」

「あはは、そういえばそうでしたね。今思い返すと、かなりおかしな事言ってましたね。暴走気味っていうか。まあ、あの時は先輩を取られちゃうかもっていう不安とかそういうので、訳分かんなくなってたから……でも、ちょっと勿体無かったかも」

「勿体無かった……?」

「だって告白ですよ! 一世一代の大勝負! そんな大事な事をあんなロマンチックの欠片も無い感じにしちゃったのは、本当に我ながら勿体無い事したなって。自業自得ですけど」

 

 と、出雲ちゃんは過去の自分の行動を悔やむように肩を落とす。

 

「でもまあ、あんなんでも先輩に告白したお陰で、色々と素敵な体験が出来たからよかったですけどね! でも、代わりに朝倉先輩や他の人達と一緒に居る事も増えてしまいましたけど。……まあ、それも今では悪くない経験だったとは思います。先輩との思い出に比べたら、全然ですけど!」

 

 と、出雲ちゃんはいつものように元気に喋る。だがどこか違和感のようなものを感じる。まるで、何かを誤魔化すようだ。

 ふと、出雲ちゃんはピタリと口を止め、表情を曇らせて俯く。

 

「ごめんなさい先輩、一人でペチャクチャ喋って……私、不安なのかもしれません……先輩から答えを、聞くのが」

「出雲ちゃん……」

「やれる事はやってきた、自信だってある。けど……やっぱり怖いんです。先輩の答えが」

 

 震えを抑えるように、出雲ちゃんは自分の体を抱える。

 心配する必要は無い、安心していいよと、彼女にそう言って楽にさせてあげたい。でも、それは出来ない。だって彼女の不安は、当たっているのだから。

 

「……でも、逃げる訳にはいかないですよね」

 

 そう言いながら、出雲ちゃんがゆっくりと顔を上げる。

 

「怖いからって逃げてたら、先に進めない。もしかしたら幸せが待ってるかもしれないのに、それを掴めずに立ち止まってしまう。だから私聞きます、先輩の答えを。だから先輩も言って下さい、自分の答えを」

「出雲ちゃん……ああ、分かったよ」

 

 彼女の強い決意に応える為に、俺は全てを告げる為に口を開いた――共に歩めないという答えを。

 

「初めて会った時はさ、俺にとって出雲ちゃんはただの妹の友達だった。でもそんな君に好きだって告白されて、しっかり出雲ちゃんの事を一人の女性として見てきた。そして、君の色んな一面を見てきた。出雲ちゃんは普段はとっても明るくて元気な子だけど、実は凄い脆くて、繊細な子だって事なんかが色々と分かった。だからさ、出来ればそんな君の支えになって、笑顔でいてほしいって思った」

 

 俺がそう言うと、出雲ちゃんの目が期待を抱いたように微かに揺れる。でも、俺がこの後口にするのは、その期待を裏切るものだ。

 本当に、俺は最低だ。こんな期待させるような事を言って、結局裏切るのだから。でも、全て伝えなきゃいけない気がするんだ。俺が彼女達に対して何を思い、何を感じたのかを正直に。そしてその上で、俺の決めた答えを。

 だから俺は告げた。出雲ちゃんに対して抱いた思いを。でも――それを捨ててでも、掴みたい思いがある事を。

 

「……でも、ごめん出雲ちゃん。俺には君よりも、笑顔にしたいと思う相手が居る。だから……君の一番の隣には、居られない」

「…………そう、ですか」

 

 ポツリと、悲しみに沈んだ呟きだけが返って来る。同時にスッと、目から期待の色が消える。

 その希望から一気に絶望に落ちた表情の変化に、俺の心はさらに締め付けられた。見ているのも辛くなり、視線を逸らした。

 

「……先輩。先輩が笑顔にしたい人って、誰ですか?」

「……陽菜だよ。俺はあいつを、笑顔にしてやりたい」

「そうですか…………あーあ! 桜井先輩に負けちゃいましたかー!」

 

 突然出雲ちゃんはくるりと背中を向けて、わざとらしく……いや、きっと自分の気持ちを誤魔化す為に、大声を出した。

 

「ま、あの女に負けなかっただけマシですかね! あー、なんか全部終わったらスッキリしました! これで心置きなく、新学期を迎えられるってもんです!」

「い、出雲――」

「さて、要件も済みましたし、私はここらで失礼しますね! 先輩は早く他の人にも同じ事伝えてあげて下さいよ!」

 

 そう、こちらには一度も顔を見せないまま一方的に言い放ち、出雲ちゃんは教室の扉を開いて廊下に出る。

 このまま彼女を行かせてはならない気がする――無意識にそう思った俺は、思わず口を開いた。今の俺なんかが彼女に掛けていい言葉かは分からない。けれども伝えなきゃいけない気がした。だから俺は、いつもと変わらぬ口調で、彼女に伝えた。

 

「出雲ちゃん! ……またいつでも、ウチに遊びにおいでよ。みんなと、さ」

「…………はい、先輩」

 

 微かに湿った声で、嬉しそうに呟いて、出雲ちゃんは静かに扉を閉じた。それから数秒ほど間を空けてから、廊下から走り出したような足音が聞こえた。俺はその音が聞こえなくなるまで、黙ってその場に立ち尽くした。

 

 

 ◆◆◆

 

 

 ただただ、ひたすらに走った。訳も分からず階段を駆け上がり、気が付いたら私は自分の教室である1年B組の教室に来ていた。

 荒れた息を整えながら誰も居ない教室を見回し、ゆっくりと歩み出す。そして数歩進んだところで、私の体は糸が切れてしまったかのように、膝から崩れ落ちた。

 それからしばらくの間、私は膝を突いたまま真下に首を曲げて、呆然と床を見据え続けた。

 頭が真っ白で、何も考えられなかった。このまま意識が遠のき、気を失ってしまうのではないかと思えるほどに、思考が完全に停止する。でも、次第に意識がはっきりしてきて、霞んでいた視界もだんだんと焦点が定まっていく。

 それと同時に、私の意識は先の事をだんだんと受け入れていく。そして今さっき何があったのか、それを頭が完全に自覚した瞬間に、私の口からある言葉が、ポツリとこぼれ落ちた。

 

「そっか……私、振られちゃったんだ」

 

 自分でもビックリするぐらい落ち着いていて、淡々とした呟き。そして同時に、目から涙が静かに流れ出す。涙腺が壊れてしまったのだろうか、いくら頑張っても涙は止まる事は無かった。

 でも、心は不思議と穏やかだった。とても悲しいのに、とても悔しいのに、怒り狂う事も激しく嘆く事も無く、私はただただ、静かに涙を流し続けた。

 自分でもどうしてこんなに落ち着いているのかが分からなかった。振られたショックで、本当に壊れてしまったのだろうか。それとも、振られた事がそんなに悲しくなかったのだろうか。もしかしたら、最初からこういう結末になるとどこかで思っていたからだろうか。私なんてどうせ先輩なんかと付き合える訳無いって。だからこんなにも落ち着いているのだろうか。だってそれなら私は、当たり前の結果を、予想通りの結果を受けただけなのだから。

 

「……そうだよね。最初から、無理な事だったんだよね。私みたいな何の取り柄も無い女が、あんな人達と、渡り合える訳無かったんだよ……」

「――それ、本心で言ってるの?」

 

 不意に、廊下から覚えのある声が聞こえて来る。その声にハッと顔を上げて、振り返る。

 

「と、友香……? それに、悠奈に愛莉も……」

 

 そこに立っていたのは私の親友達。どうして彼女達がここに居るのか、そんな事を考える間も無く彼女達は教室に足を踏み入れ、友香が続けて口を開く。

 

「そんな言葉、出雲らしくない」

「そうです! 出雲さんはいつもいつも、一生懸命に頑張ってきました! だから……だから、そんな事を言わないで下さい!」

「で、でも……実際に、私振られちゃったしさ……」

「だからって、そんな言い訳かっこ悪い」

 

 悠奈が吐いた言葉に、友香が同意するように頷く。

 

「悠奈の言う通り。出雲は今、言い訳してるんだよ。あんなに頑張ったのに自分が負けちゃった事を、振られちゃった事を認めたく無いんだよ。だから仕方無かったって、言い訳してる」

「言い訳……」

「確かにあんなに頑張ったのにこんな結果になったのは、悔しいだろうし認めたくないと思う。けど、今までの努力を無駄にするのは、良くないと思うよ」

「わ、たしは……」

 

 友香が膝を突く私の目の前にしゃがみ込み、そっと私の肩に手を乗せる。

 

「努力が報われなかった事を認めたく無いのは分かる。でも、だからって無かった事にするのは駄目。惨めでも何でも、受け入れて前に進まないと」

「と、もか……」

「……まあ、とりあえず今は溜め込んでるもん、色々吐き出しちゃいなよ。よく頑張ったねって、あのバカ兄貴の代わりに褒めたげる」

 

 微笑みながら、友香がそう言う。その言葉に、私の中の何かが、弾けた。

 

「頑張ったよ……頑張ったよ! 私頑張ったよ! 先輩に見てもらう為に、先輩に好きになってもらう為に、私いっぱい頑張ったよ! 恥ずかしくても一生懸命アピールした! 他の人に負けないように必死に必死に! スタイルだって良くなるように毎日頑張ってバランス考えて食べて、いっぱいストレッチとかもした! メイクやファッションだって勉強して、お料理だってもっと上手くなれるように頑張った! いつか先輩と付き合って、先輩に幸せだって思ってもらえるように、思えるように頑張った!! でも……でも駄目だった!! 私は……先輩の恋人にはなれなかった! 努力も何も全部……駄目だった……! 悔しい……悔しいよ!!」

「そっか……うん、頑張ったよ、出雲」

 

 そう言いながら友香は、泣きじゃくる私の頭を優しく叩く。悠奈と愛莉も、私を抱き締めるように、しゃがんで周りを囲む。

 

「ええ……頑張りました! 出雲さんは頑張りました! いっぱい!」

「うんうん。だから今は人目を気にせず、愚痴も文句も全部吐き出しちゃえ。私達がどーんと受け止めるから」

「うぐっ……! うわぁぁぁぁぁぁぁん! こんなに、こんなに頑張ったのに……友希先輩の馬鹿ぁぁぁぁぁ! 桜井先輩の馬鹿ぁぁぁぁ! 私の……私の馬鹿ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 親友達に支えられながら、私は思いっきり泣いた。もしかしたら友希先輩にも聞こえてるかもしれない。でも、そんな事は気にしなかった。私は全てをぶちまけた。心にあるモヤモヤしたものを全部振り払う為に。新たな一歩を進み出す為に。

 そして、この掛け替えの無い一年間を、私の努力を、恋を、心に刻む為に。

 

「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿……馬鹿ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 

 

 

 

 

 


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