モテ期と修羅場は同時にやって来るものである   作:藤龍

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告白②

 

 

 

 

 

 

 陽菜を残し、校門前を離れて本校舎に移動した俺が真っ先に目指したのは、一階にある生徒会室だった。

 誰も居らず、明かりも点いてない薄暗い廊下を進む。辺りも静まり返り、自身も無言であるせいか、足音がいつもよりも大きな音で辺りに響き渡る。しかしその音すら気にならないほどに、俺の耳には別の音が響いていた。

 それは自分の心臓の音。激しい運動をしている訳でも無いのに、心臓はやかましく鼓動し、鼓膜を刺激する。つい先刻陽菜に告白した時も緊張で同じように心臓が激しく鼓動していたが、これはその時よりも遥かに大きく、激しく、苦しい。しかし、これは緊張から来るものでは無い。

 この息苦しい鼓動は、一種の恐怖から来るものだ。これから残る四人に自分の気持ちを告げ、彼女達の思いを裏切り、傷付けてしまうという事実に対する。

 きっと何も告げずとも、時間が経てば彼女達は自然と察してくれるかもしれない。けど、そんな事は絶対にしてはならない。ここまで、長い間彼女達を俺という存在に縛り付けてしまったのだ。なら、俺にはそれを断ち切る責務がある。彼女達を新たな道に進ませる為に。

 だから、俺はしなければならない。彼女達を悲しませるという、最悪な行為を。全員の未来の為に。

 

 何度も何度も、心の中で決意を繰り返しながら歩みを進める事数分、通常の倍近い時間を掛けて、俺は生徒会室前に到着した。

 この中には、俺が手紙で呼び出した彼女が居るはず。そして彼女は、足音で俺が目の前まで来ている事に気付いているはず。俺がこの扉を開けて目の前に現れる事を、答えを知るのを待っているはず。

 躊躇も逃避も許されない。深呼吸を繰り返し、覚悟を決める。そっと扉に手を伸ばし、ゆっくりと扉を開いた。

 視界に映り込んだのは、窓から差し込む微かな光に照らされた生徒会室。そしてその窓際で外を見つめながら佇む、銀髪の女性。彼女は日の光によって美しく煌めく髪をそっと手で掻きながら、揺らめくようにこちらへ顔を向けた。

 

「――待ってたわ、友希君」

 

 そして彼女――朝倉先輩は、いつものように微笑んだ。艶やかで麗しいその笑顔に、胸がズキズキと痛む。これからあの笑顔を崩してしまうかもしれないと考えるだけで、吐きそうなほどの罪悪感に襲われる。

 しかし、それを彼女に悟らせる訳にはいかない。あくまで俺の言葉で、俺の意思で彼女に伝えなくてはならない。勝手に理解させるなんて、絶対に駄目だ。

 グッと気持ちを心の奥に閉じ込め、普通を装って、彼女の近くまで歩み寄る。

 

「すみません……卒業式が終わったばかりなのに、呼び出したりして」

「いいのよ別に。友希君の呼び出しなら喜んで受けるわ。それに、最後に改めて、この場所を見る良い機会にもなったわ」

 

 そう言いながら、先輩は自身の席であった机をそっと指先でなぞる。

 

「私が使っていた時よりもずっと綺麗。羽奈、余程丁寧に使ってるようね」

「……みたいですね」

「これなら安心して任せられそうね。……さて、この話はここまでにして――」

 

 ピッと、制服の胸ポケットから一通の手紙を取り出す。俺が彼女に送った手紙だ。

 

「早速、本題に移りましょうか」

「……はい」

「フフッ、まさか友希君に手紙を貰って、ここに呼び出されるなんて……あの時とは逆ね」

「そうですね……あの時は驚きました。いきなり手紙でここに呼び出されて、接点も何も無かった先輩に……告白されたんですから」

「そういえば、そんな始まりだったわね。今思うと、我ながら思い切りな手に出たものね」

 

 クスクスと笑った後、先輩は神妙な顔付きで俺の手紙を見つめる。

 

「でも、何一つも後悔はしてないわ。あの時、ああして思い立ったから、行動に出たからこそ、この一年間私は素晴らしい日々を過ごせたのだから」

「先輩……」

「無駄な事なんて一つも無かった……思い返せば、どれも楽しかった掛け替えの無い思い出だったと胸を張って言える。全て初めてで、大切な思い出」

 

 そっと目を閉じて、胸に手を添える。

 

「遊園地にプールや夏祭り、友希君や他のみんなとは色々なところに行ったものね。あなたと会う前の私では、こんなに充実した日々は過ごせなかったでしょうね。それに二人っきりの時間もいっぱい経験した。一緒に水着を買いに行ったり、文化祭でデートをしたり。本当に……色々な事があったわ」

 

 過去を懐かしむように、当時を思い返すように、先輩は口元に笑みを作る。その幸せそうな顔が、俺の胸をさらに締め付ける。だってもうその幸せを与える事は、出来ないのだから。

 

「……こんな事を言ってしまうのは、少しズルいわね」

 

 ふと、先輩がそんな事を呟く。

 

「こんなアピールもどきを今更しても、結果は変わらない。私にはもう、あなたから答えを受け取る事しか出来ないのにね」

「先輩……」

「やっぱり、心のどこかで恐れているのかもしれないわね。でも……そんな事をしても、意味は無いわね。御託を並べるのは、ここまで」

 

 鋭い眼差しで俺を見て、先輩は自分の体を支えるように腕を組む。震えを堪えるかのように、恐れを隠すかのように力強く真っ直ぐと、彼女は口を開いた。

 

「聞かせて頂戴友希君。あなたが見出した――答えを」

 

 先輩は覚悟を決めたんだ。あるかもしれない絶望と向き合う。なら――俺が逃げ出す訳にはいかない。全てを伝えるんだ、俺が彼女に対して見出した、全てを。

 

「この一年間、先輩には振り回されてばかりでした。俺をからかうような言動や行動ばかりを繰り返して、正直心身共に疲れてました。でもその度に先輩は楽しそうに笑っていて、幸せそうにしていた。だから、こういうのも悪くないかなって思いもしました。俺は先輩の過去を知ってるから尚更、先輩には楽しくいてほしい、そう思うから。先輩が笑ってくれるならって。でも――」

 

 そこで、俺の口がピタリと止まる。そこから先の言葉を口に出すのが、彼女に伝えるのを無意識に躊躇ってしまったのだろう。

 だけどもう、後戻りは出来ない。胸の痛みを、息苦しさを、唇をグッと嚙み締めた痛みで乗り越えて、俺は彼女に告げた――裏切りの言葉を。

 

「――俺にとっての一番は、それじゃない。だから……ごめんなさい。俺は先輩の思いには……応えられません」

「……………………そう」

 

 長い沈黙を越え、先輩はただ一言、そう呟いた。どんな顔をしていたかは、見る事が出来なかった。俺は歯を嚙み締め、拳を握り締め、黙って下を向く事しか出来なかった。彼女に合わせる顔が、見つからなくて。

 

「……顔を上げて、友希君」

 

 そんな俺に声を掛けたのは、朝倉先輩だった。俺なんかよりずっと苦しいはずなのに、ずっと辛いはずなのに、彼女は俺に一切の負の感情を見せずに、静かに微笑んでいた。

 

「友希君は何も悪くないわ。あなたは自分の気持ちに正直に向き合って、答えを出しただけ。だから、何も悪くない」

「先輩……ごめんなさい、折角の卒業式に……」

「いいのよ。むしろ今日でよかったわ。これで何もしがらみを抱えずに、新たな道に進める。友希君もそう考えて、わざわざこの日を選んでくれたのでしょう?」

「その考えもありましたけど……やっぱり、俺は最低です。だって……」

「もういいわ、友希君」

 

 そう言って、先輩は俺に背を向けて、窓の外を眺める。

 

「もう全て伝えたのだから、長居は不要でしょ? 早く行きなさい。まだ、伝えるべき相手が居るのでしょう?」

「……はい」

「なら、待たせる訳にはいかないでしょう? 大丈夫、彼女達も向き合えるはずよ。だから……伝えてあげて」

「その……つもりです」

「ええ。……最後に、一つ良い?」

 

 背を向けたまま、先輩は俺に問い掛ける。

 

「友希君にとっての一番は……誰だったのかしら?」

「……陽菜です。あいつの笑顔が……俺にとっての、一番です」

「そう……付き合いの長さには敵わなかった、という事かしら」

「……あの――」

「行きなさい友希君。心配は無用よ」

 

 俺の言葉を遮るように、先輩は言う。それに、俺はもう口を開けなかった。いや、もう開くべきでは無い。俺から彼女に掛ける言葉は、掛けていい言葉は、もう無いのだから。

 だから俺は黙ったまま、彼女の背中に向かって頭を下げて、生徒会室を出て次なる目的地を目指した。それが、今の俺が彼女の為に出来る、唯一の事だった。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 足音がだんだんと遠ざかっていく。やがて彼の気配は完全に無くなり、私はそのタイミングで胸の奥底に溜め込んだ息を、一気に外へと吐き出した。

 

「…………終わったのね」

 

 そう、全てが終わった。この一年間、彼を手にする為に続けてきた全てが、つい先刻彼の言葉と共に、終わりを告げた。

 結果は言うまでも無く、失敗。いわゆる失恋というものを、私は今まさに味わっているのだ。私は友希君を巡った恋敵達との戦いに敗れたのだ。桜井さんに、敗北したのだ。

 

「敗北か……本当、あの桜井さんに負けるなんてね……人生、何があるか分からないものね」

 

 思えば初めてかもしれないわね……本気で挑んだ事で、誰かに負けるなんて。

 私はずっと、困難を求めてきた。何もかもが思い通りに行って、何も達成感の得られないのが嫌だった。だから友希君を巡って彼女達と競い合う事は、私にとってとても充実した毎日だった。だからこの困難を乗り越えて友希君を手に入れたら、きっと最高の達成感を、そして幸せを手に入れられると思っていた。

 

 でも、私は負けた。初めて、自分の思い通りに行かなかった。

 

「思ったより、悔しいものなのね……思い通りに、行かないのって……」

 

 その言葉がこぼれ出るのと同時に、私の頬に、一筋の涙が流れた。

 悔しくて泣くなんて、初めての経験かもしれない。でも、それほどに悔しかった、悲しかった。この結末が。困難を乗り越え、達成感を得る事が出来なかったのが。初めて欲しいものを逃したのが。愛しい彼を手に出来なかったのが。愛する人を愛する権利がもう私には無いという事実が、深く私の心を痛め付けた。

 覚悟はしていた。それでも、それでも涙を堪えずにはいられなかった。止めどない悲しみが、私を襲った。

 だから私は、ひたすら泣いた。グッと声を抑えながら、地面に膝を突き、胸を握り締め、ただただ泣いた。この苦しみを、全て洗い流す為に。それが私の……友希君の、為だから。

 

 

 それから、どれだけの時間が経ったのだろう。涙は枯れてしまったのか、嘘のように収まった。経験した事の無い目の痛みに不思議な気分を抱きながら、私はそっと立ち上がった。

 そのまま私はふらつく足を進め、コンコンと壁を叩きながら、少し大きな声で言った。

 

「……居るのは分かってるから、姿を見せなさい」

 

 そう言うと、壁を隔てた先にある隣の部屋から「うひょあ!?」と、情けない声と誰かが転んで物が倒れるような音が聞こえる。

 それから約一分。生徒会室の扉が開き、ある人物達が姿を見せた。この高校生活を共に過ごした羽奈、真昼、そして夜雲君、生徒会のメンバーだ。残りの一人、彼を除いた三人は気まずそうに生徒会室に足を踏み入れる。

 

「き、気付いてたんですね……」

「まあね。盗み聞きなんて、感心しないわね」

「ち、違うんです! 私達はその、新庄先輩に頼まれたんですよ! 万が一の時は支えが必要だろうからって……」

「馬鹿! それを言ってどうする!」

 

 と、羽奈が口を滑らせた真昼を肘で小突く。

 

「新庄君が……全く、友希君は気の回る友人を持ったものね。でも、正直有り難いわ。あなた達を見てたら、気が落ち着いたわ」

「あっ、と……会長……じゃない、朝倉先輩、その……」

「励ましの言葉は結構。……もう、大丈夫よ」

 

 どうにか笑みを作り、私はみんなに視線を送る。

 

「……夜雲君。この三年……いえ、中学を含めたらもっとね。一緒に生徒会として活動出来てよかったわ。お疲れ様」

「……ああ、そっちもね」

「真昼。あなたはとてもドジで、落ち着きの無い子だけど、本当はとても優秀な子。だから少しは落ち着いて行動しなさい。期待してるわよ」

「先輩……はい! 一生懸命、頑張ります!」

 

 と、勢いよく敬礼した右手が、真昼の額をチョップする。

 

「イタァ!?」

「全く……最後に、羽奈」

「はい」

「私が愛する……いえ、愛した彼や、みんなが居るこの学園を……どうか、支えてあげてね。新しい、生徒会長として」

「……謹んで、お受け致します!」

「……ありがとう」

 

 羽奈の力強い返事に安心しながら、私は振り返り、窓際まで歩く。

 いつまでも落ち込んでなんかいられない。これは終わりでは無く、新たなスタートなのだから。前を見て、歩き出そう。それが答えを出してくれた、彼への礼儀だ。

 すぐには無理かもしれない。でも、いつかは彼への思いを捨てなくてはならない。それでも……私は決して忘れない。彼に恋をしたという事を。

 だってそのお陰で、私の人生は輝きを取り戻したから。悔しい結果に終わっても、この一年は素晴らしいものだったと、自信を持って言えるから。だから――

 

「だから……ありがとう、友希君。私の……初めて愛した人」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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