モテ期と修羅場は同時にやって来るものである   作:藤龍

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告白①

 

 

 

 

 

 

 

 卒業式も終わり、静寂に包まれた乱場学園。

 現在の時刻は午後の四時前。この時間帯はいつも部活に励む生徒達の活気のある声がこだましているが、今は全くの無音。辺りが微かに薄暗くなっているのも相まって物寂しさを漂わせるその場所に、俺は制服姿のまま一人で訪れていた。

 校門の前に立ち尽くし、目の前に見える校舎をジッと眺める。学園は物静かだが、人が全くもって居ない訳では無い。少なくともここには()()()が居るという事を、俺は知っている。そしてその彼女達が、俺を待っているという事も。

 だからこそ、今すぐにでもこの足を前に出して、その彼女達の下へ向かわなくてはならない。彼女達は今か今かと俺の事を待っているのだから。押し潰されそうなほど大きな不安と、抑え切れない期待を同時に抱えながら、ずっと願い続け、待ち焦がれ、恐れ続けたであろうその時を。

 

 けれど、俺の足は校門に差し掛かったところで、まるで誰かが足首を抑え付けているかのように、ピタリと止まってしまった。同時に心臓の動きが激しさを増し、炎天下に晒されたかのように喉が渇く。視界も眩み、足元がふらつく。

 覚悟は決めたはずだった。けれど、やはり俺は恐れているみたいだ。この先に進む事に、俺の答えを彼女達に告げる事に、全てを終わらせてしまう事に。俺が今からしようとしている事は、これまでの全てを壊してしまうかもしれない事だ。それは最初から分かっていた。それを承知で、俺はここまで進んできた。

 でも、いざその時が来て、恐れてしまった。今までの、いつからか当たり前になっていたこの日常の全てが変わってしまうかもしれないのが。この答えが、一体彼女達にどのような結末を、未来を与えてしまうのかが。

 

 怖い。逃げ出したい。今ならまだ間に合う。いや駄目だ。もう後戻りは出来ない。進め。でも本当にこれでいいのか――自分でも訳が分からなくなるほどに、頭の中でグルグルと言葉が繰り返される。

 無意識に、右足が一歩後ろへ下がった。それがキッカケとなり、全身が行くべき場所へ背を向けそうになった、その時だった。

 

「――友くん」

 

 囁くように、春風のように優しい声が正面から俺の耳に流れ込んだ。その声にハッと動きを止め、慌てて視線を校舎から下方に下げる。

 緊張のせいで狭まった視界に映り込んだのは、乱場学園の黒い制服を身に纏い、両手を背後で組んで校門の向こうで立つ、一人の少女。彼女は赤茶色に染まった髪を風に靡かせながら、薄っすらと微笑みを浮かべた。

 

「なーにやってるの? そんなところに突っ立ってさ」

「ひ、陽菜……お前、どうしてここに……」

「もう、何言ってるの友くん。友くんが私を……ううん、()()を呼んだんでしょ?」

 

 言いながら、陽菜は背後に回した右手を前に出す。その手には、一通の手紙。

 

「この時間に学校に来てくれってさ。ビックリしたよ、卒業式が終わったら下駄箱にこんなのが入ってるんだもん。友くんも粋な事するねー」

「確かにそうだけど……会う場所に指定したのは、ここじゃなくて……」

「うん、そうだね。そろそろ来るかなーって、待ちきれなくてこっちから来ちゃった。……それに友くん、きっとこうして悩んでると思ったから」

 

 手紙をポケットにしまい、陽菜は一歩前に足を踏み出す。

 

「聞いたよ? 友くんみんなから告白された時は、手紙を貰ったって。そして今回は、友くんがみんなに手紙を出した。つまり……そういう事なんでしょ?」

「……ああ。お前の思ってる通りだよ」

「そっか……だからさ、友くんはきっと悩んでると思って。みんなに、答えを伝えるの。友くんとっても優しいから、やっぱり踏ん切りが付かないと思って。だって、これから友くんがする事は……誰かを傷付けちゃうかもだし」

「…………」

「でもさ、友くんはやれば出来る子だから! 一度踏み出せれば、きっとそのまま突っ切れるはず! だから……私が友くんを引っ張ってあげようと思ってさ!」

 

 さらに一歩前に出て、陽菜は右手を俺に向かって差し出す。

 

「私が友くんの決めた答え、最初に受け止めてあげる! ほら、気の知れた幼なじみなら、ちょっとは気が楽かもしれないでしょ?」

「陽菜、お前……」

「……逃げちゃ駄目だよ、友くん」

 

 陽菜の表情が明るい笑顔から、神妙なものに変わる。

 

「友くんの気持ちは分かるよ。でも、みんなようやくだって、友くんの事を、友くんの言葉を待ってる。だから友くんは、真っ直ぐその思いを伝えてあげて。怖いけど、みんなだってきっと覚悟を決めてる。……私だって、そう」

 

 微かに、陽菜の瞳が揺れる。今まで見た事の無い陽菜の力強い眼差しに、思わず一瞬息をするのを忘れる。

 そうだ……みんなだって、俺以上に不安を抱いてここに来ているはずなんだ。それでも覚悟を決めてるんだ。今、目の前に居る陽菜だってそうだ。きっと心の中は不安でいっぱいなんだ。耳を塞いで、目を閉ざしたい気持ちを抑えてここに居るんだ。先にあるかもしれない、幸福を夢見て。

 

「……ああ、そうだな。俺の役目は彼女達に偽りの無い回答を示す事……だよな」

 

 その言葉に、陽菜は無言で頷く。微かに手が震えていた。それでも彼女は、真っ直ぐ俺に向き合っている。その彼女の覚悟に応える為に、俺は足を前に出して校門を踏み越え、陽菜の前に立った。俺の答えを、告白する為に。

 そのままどのタイミングで、どんな風に自分の答えを伝えるべきか頭を悩ませていると、不意に陽菜が胸に手を当てながら、大きく息を吐いた。

 

「ふぅぅ……な、なんだか凄く緊張してきちゃったよ……こんなに緊張するの初めてかも……ちょ、ちょっとだけ世間話でもしない?」

「なっ……今、そんな状況か?」

「だ、だって緊張するんだもん……ちょっとぐらいリラックスした方がいいでしょ?」

「たくっ……まあ、お前らしい考えだな。こんな時でも陽菜は陽菜だな。でも、その方が安心するよ」

「あはは……」

 

 苦笑しながら、陽菜は辺りをキョロキョロと見回す。

 

「そういえば……桜、いっぱい咲いたね」

「ん? ああ、そうだな」

 

 陽菜の言った通り、この校門前には沢山の桜が咲いている。桜並木と言うには少ないが、それでも春らしい景色が広がっている。

 

「まだ三月だっていうのに、よくこんなに咲いたもんだ」

「そうだね。……私、こっちで桜見るの、久し振りだな……」

「帰って来たの、夏だもんな」

「うん。……本当、帰って来てから色んな事があったね」

 

 再び後ろで手を組み、桜を見上げながら陽菜は静かな口調で語り始める。

 

「白場に帰れるって聞いた時は本当に嬉しくってさ。それで友くんと再会出来た時は、もう抑え切れない! って感じだったよ」

「そういえば……帰って来ていきなり飛びついてきたっけな、お前……」

「あはは、そうだったけ? で、そこで優香ちゃん達と会ったんだよね。最初はビックリしたよー。友くんがあんなにいっぱいの美人さんと知り合ってる! って」

「俺も驚いたよ。今までなんの連絡も無かったのに、いきなり帰って来たんだから。しかも俺んちに居候するとかさ。そんでもって……いきなり好きとか、告白されてさ」

「むっ、だから私は、昔から好きだって言ってたよ! 友くんが冗談だって思ってたのが悪いんだよ?」

 

 陽菜はぷくっと頬を膨らませ、俺を窘めるように視線を向ける。

 

「それは……悪かったよ」

「まあ、もういいけどさ。……でも、その夏は本当に色んな事があったよね。みんなでプールに行ったり、雪美さんの別荘に行ったり、夏祭りに行ったり! たった二ヶ月ちょっとで、こんなに思い出があるなんて凄いよね!」

「だな。で、二学期からここに通い始めて……速攻で俺んちに居候してる事を打ち明けてさ。あの時は周囲の目が凄かったよ……」

「そうだったんだ? まあ、私は学園生活をエンジョイしたけどね! 文化祭に修学旅行、色々あったなぁ……でも一番の思い出は……やっぱり誕生日かな」

 

 陽菜はゆっくりと、過去に思いを巡らせるように目を閉じ、俺に背を向ける。

 

「みんなに祝ってもらえたのもそうだけど……やっぱり、また友くんと一緒に誕生日をお祝い出来たって事が、何よりも嬉しかった。ずっとずっと、離れ離れだったから」

「陽菜……」

 

 一瞬、強い風が俺達の間を吹き抜ける。周囲の桜が舞い散り、陽菜のサイドテールも風に靡く。その風に流されるように、陽菜はゆらりとこちらに向き直る。

 

「私、友くんと再会してから、毎日が幸せ。でも、やっぱり心の中には何かが引っ掛かっていた。それが何かは、分かってる。だから出来れば、このモヤモヤを取り除きたい。だから……教えて。友くんの――気持ち」

 

 舞い散る桜の中で、陽菜はとても安らかな笑みを浮かべた。美しく、そしてどことなく儚いその瞳に、俺の口は無意識に言葉を綴った。自分の気持ちを、答えを伝える為に。

 

「……お前から好きだって言われた時は、本当に驚いたよ。正直俺にとってお前は、ただの幼なじみだったから。好きとかそういうの、昔は全然考えてこなかった」

「うん……」

「でも帰って来て、告白されてからは、ちゃんと幼なじみとか考えずに、一人の女性として見てきたつもりだ。新しいお前の一面……魅力みたいのを、知ろうとした。……でも、やっぱり駄目だよ。お前はやっぱり、俺の幼なじみだ。どうしても、その感覚が抜けなかった。お前が楽しそうに笑ってるのも、怒ってるのも、ふてくされてるのも、幸せそうにしてるのも……ああ、昔からそうだったなってさ。もちろん変わったなってところもあったけど、やっぱり俺の中のお前は、あの頃と同じ、俺の幼なじみだ」

「……そっか」

 

 小さな言葉と共に、陽菜の口元に悲しみの色が滲む。

 

「――でもだからこそ、俺はお前と変わらずに接する事が出来た」

「えっ……?」

「正直見た目だけで言えば、今のお前は凄い変わった。女性っぽくなったというか……美人になった。だから最初は上手く接する事が出来るかなーって、心のどこかで思ってたかもしれない。でも中身は全然変わって無かった。だから俺は昔と同じ風にお前と話せた。他の奴らと話す時とは違う、一番素の自分でいられた。それはちょっと嬉しくて、楽しかった。……それでさ、思ったんだ。そんな今と変わらないお前の姿を、昔の俺はずっと隣で見てたなって。楽しそうにしているのを、幸せそうにしているのを見て、一緒に笑い合ってた。その日常は俺にとって結構幸せなものだった。そして――それは今も変わらないって、気付けた。お前が笑ってるのを、幸せそうにしているのを見ると、こっちまで嬉しくなる。だから、今なら胸を張って言える」

 

 そこで言葉を切り、俺は彼女の瞳を真っ直ぐ見つめながら、自分の気持ちを真っ直ぐに声にして伝えた。

 

「――俺は、お前が好きだって」

 

 彼女への、偽りの無い愛情を。 

 

「お前にはいつまでも笑顔で、幸せでいてほしい。それが俺にとっての一番の幸福なんだって、お前を見てきて気付けた。そしてそれがもし、俺が側に居る事で叶うのなら……俺はお前の側に居てやりたい。そして一緒に笑い合って、幸せな毎日を過ごしたい。だから……俺を、お前の側に居させてくれるか? 幼なじみとしても、恋人としても」

 

 言って、俺は陽菜に手を差し出す。しかし、陽菜はそれになんの反応も示さず、呆けた顔で俺の顔を見つめていた。

 

「陽菜……?」

「ご、ごめん……なんだか、頭がこんがらがっちゃって……えっとさ……つまり、友くんの私に対する答えはオッケーって……事?」

 

 どうやら大分混乱しているようで、陽菜はキョロキョロと視線を泳がす。そんな彼女を落ち着かせる為に俺は言葉では無く、行動で自分の気持ちを、改めて伝えた。

 そっと陽菜に両手を伸ばし――そのまま彼女の体を、優しく抱き締めた。すると陽菜はピクリと体を震わせたが、すぐに人形になってしまったかのように静止する。

 

「あ、あはは……なんか、こうして友くんに抱き締められるの、初めてな気がする」

「そうだな。いつもお前からだもんな」

「うん。大好きだから、少しでも近寄りたくて……友くんのこれも、そう、なの……?」

 

 その言葉に、俺は何も返さず、黙って抱擁の力を強める。すると陽菜も、そっと腕を俺の背中に回し、同じように抱き締める。

 

「そっか……そうなんだ……私の思い、届いたんだ……願い、叶ったんだ……」

 

 潤んだ声で言いながら、陽菜は小さく体を震わせる。そして――

 

「うっ……うわぁぁぁぁぁぁぁん! よかったぁ! よかったよぉー!!」

 

 大声で叫びながら、涙を流した顔をグッと、俺の胸に押し当てた。

 

「本当は不安で仕方無かった! 友くんが他の子と付き合っちゃったらどうしようって! 友くんの側に居られなくなったらどうしようって! でも友くんがそれで幸せならそれで我慢しようって、自分に言い聞かせるようにそう考え続けたけど……やっぱり怖くて怖くてしょうがなかった! だから、だから……!!」

 

 感情を抑え切れなくなったのか、陽菜は心の奥底に秘めていたであろう気持ちを全て言葉にしてぶちまける。俺はそんな彼女の頭をそっと撫でながら、静かに声を掛けた。

 

「大丈夫、もう大丈夫だ。もう決めたから。俺はお前の側にずっと居るって。だから、いっぱい泣いた後でいいから……安心して笑ってくれ」

「うっぐっ……! うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!! 友くん! 友くぅぅぅぅーん!!」

 

 子供のように泣きわめく彼女を、俺は黙って抱き締め続けた。彼女の顔に笑顔が戻るまで、ずっと、ずっと。

 

 そして、約三分。ようやく落ち着きを取り戻したのか、ゆっくりと陽菜が俺から身を離す。

 

「落ち着いたか?」

「うん……ごめんね、急に泣いたりしちゃって。なんか、色々爆発したというか……」

「いいよ、ちゃんと分かってる。幼なじみ、だからな」

「友くん……うん!」

 

 涙を拭い、陽菜は満面の笑みを浮かべた。

 これだ……この笑顔を、俺は守りたい、見ていたいんだ。その為に……俺にはまだ、やるべき事が残ってるんだ。

 そっと、彼女の体から手を離し、先に見える校舎へ目をやる。

 

「ごめん陽菜。色々話したい事もあるだろうけど、それはまた後で。……行かなきゃならないから」

「え? ……あっ、そっか……私が最初なんだから、つまり……」

 

 そう、今日の俺の目的は陽菜に思いを伝えるだけでは無い。残る四人にこの事を伝える――つまり、彼女達に告げるのだ。君の気持ちには、応えられないと。

 ハッキリ言えば、ここからが本番だ。気が重い。確実に傷付ける答えを伝えるなんて、考えただけで心が痛む。

 でもだからといって、この気持ちを曲げる事など出来ない。陽菜にも、そして彼女達にも失礼だ。辛くても、苦しくても、言うんだ。俺の気持ちを。

 

「陽菜はここで待っててくれ。……もし、居づらかったら」

「ううん、待つよ。待たなきゃいけない。勝ち逃げなんて駄目。全部……受け止める」

「……ああ」

 

 陽菜に見送られながら、俺は残る彼女達の下へ向かった。全てに、決着を付ける為に。

 

 

 

 


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