気が付けば一月も最終日。長いようで短かった一ヶ月だったが、俺の彼女達とのデートはまだまだ終わらない。
今日の相手は出雲ちゃん。毎度の如く行き先、予定などは全く知らされてはいないが、事前に出雲ちゃんから「今回のデートは、いわゆるデートの定番スポットとも言える場所ですよ! 楽しみにしてて下さいね!」と、自信あり気な感じに伝えられている。
定番スポットと言われると、いくつか思い浮かぶ場所はある。が、それだけでは判断材料が足りない。……というか、それが当たり前みたいに馴染んでしまったが、どうして毎回デート内容を当日のお楽しみにしてるんだろうか。……今更か。
どうせデートが始まれば内容は分かるのだ。ならば行けばいいだけだ。その後の事はその時に考えればいいのだから。
今日のデートの内容を知るべく、俺はいつも通りに手早く支度を済ませて、待ち合わせ場所である白場駅に向かった。
本日の天気は晴れ。午後は少し冷えるらしいが、雨や雪が降る心配は無いらしい。現在も、空には燦々と輝く太陽が姿を見せているし、漂う雲も真っ白だ。
そんな見ていて気持ちが良い空を眺めながら歩く事数分、白場駅に到着する。
「出雲ちゃんは……まだ来てないみたいだな」
まだ約束の時間までは十分近くあるし、ちょっと早く来すぎたかな。まあ、遅れるよりマシだな。
気長に彼女を待とうと、適当な場所に立ち、スマホを弄りながら出雲ちゃんが駅にやって来るのを待つ。
が、それから約十五分。待ち合わせの時間を過ぎても出雲ちゃんは現れない。
珍しいな、出雲ちゃんが時間になっても来ないなんて。いつもは楽しみで待ちきれないって感じで、待ち合わせより早く来るぐらいなのに。
何かトラブルでもあったのだろうか。心配になったので、俺は出雲ちゃんに電話を掛けようとした、その時だった。
「あ、居た居た! せんぱーい!」
と、どこからか聞き覚えのある声が、馴染みのある呼び方で俺を呼ぶ。それに視線を移すと、そこには手を振りながらこちらに向かって走って来る出雲ちゃんの姿が。
「はぁ……はぁ……す、すみません、遅れちゃって……待ちました?」
「出雲ちゃん! よかった……何も無かったんだな」
「へ? どういう事ですか……?」
「いや、いつもなら出雲ちゃんが遅れる事なんてめったに無いからさ。何かあったのかって、心配してたんだよ」
「あ、そういう事ですか……心配お掛けしました……」
申し訳無さそうな顔をしながら、出雲ちゃんはぺこりと頭を下げる。
「いや、何も無かったのならそれでいいよ」
「はい……それより先輩、私の事心配してくれてたんですか?」
「そんなの、当たり前だろう。何かあったらどうしようかと思ったよ」
「……先輩は私に何かあったら、悲しかったり、嫌だったりするんですか?」
「え? そ、それは……」
それに対する答えは当然イエスなのだが、どういった言葉で伝えるべきか迷い、つい言葉が詰まる。
それに対して不満、もしくは哀情を覚えたのか、どこか物悲しそうな表情を浮かべながら、俺の顔を覗き込む。
「そんな事無いですか……?」
「ち、違う違う! その、なんて言ったらいいのか迷ってさ。出雲ちゃんに何かあったら当然嫌だし、悲しいよ。だって大切な……後輩だし」
「……まあ、今はそれでいいです。えへへ……ちょっと不謹慎かもしれませんが、先輩にそう思ってもらえて嬉しいです!」
一転して、出雲ちゃんは満足そうな表情を浮かべる。それにホッとしながら、彼女に問い掛ける。
「ところで、待ち合わせに遅れるなんて珍しいね。どうしたの?」
「うっ……そ、その……ね、寝坊しちゃって……」
「寝坊?」
「ご、ごめんなさい! で、でもこれには理由があるんです!」
「それって?」
問うと、出雲ちゃんはばつが悪そうに人差し指をツンツンさせながら口を開く。
「そ、その……今日のデート凄い楽しみで、あんな事やこんな事したいなー、とか考えてたら、なかなか寝付けなくて……」
「な、なんだその遠足前の小学生みたいな理由は……まあ、何も問題無かったならいいんだけどさ」
「ご、ごめんなさい……はぁ、先輩を待たせちゃうし、まだちょっと眠いし、折角のデートなのに最悪の出だしだよ……急いでたせいで服も適当だし……」
呟きながら、出雲ちゃんは自分の洋服の裾を摘まむ。
彼女の今日の服装は、シンプルな黒のジャンパーにスカート。彼女的には不服なコーディネートらしいが、俺から見れば特におかしな点は無いし、十分に可愛いと思う。
なのでフォローのつもりで、俺の考えを彼女に伝える。
「別に、そんなに落ち込む事無いよ。遅刻といっても数分程度だし、その服も全然可愛いよ」
「……先輩って、ズルいですよね」
「えっ!? な、何が……?」
「いきなりそんな事言われたら、その……恥ずかしいじゃないですか! 心の準備くらいさせて下さいよ、もぉ……」
縮こまるように言いながら、出雲ちゃんは頬を染めて顔を背ける。
出雲ちゃん、普段は積極的に攻めてくるけど、予想外の事には本当に弱いんだな……可愛そうな気もするが、彼女のこういう一面を見るのは嫌いじゃないかな。
などと思いながら彼女を見ていると、不意に出雲ちゃんはパンパンと頬を叩く。
「……よし、気合い注入! ちょっと調子狂っちゃったけど、ここからはいつも通り行きますから! 先輩、覚悟してて下さいね!」
「覚悟って……まあ、あんまり気負わずに楽しもうよ。折角のデート、なんだしさ」
「先輩……うん、そうですね!」
ニンマリと、柔らかい笑顔を浮かべながら、出雲ちゃんはギュッと俺の手を握る。
「改めて、今日はよろしくお願いしますね! 最高な一日にしましょうね!」
「ああ、そうだな。……で、今日はどこに行くんだ?」
「あ、そうだ! 先輩急ぎましょう! 電車出ちゃいます!」
「え? あ、ああ」
どうやら電車に乗って移動するようだ。出雲ちゃんに引っ張られ、俺達は改札を抜けてホームへ向かった。
ホームに着くと、既に電車が停車していた。俺と出雲ちゃんは急いでその電車に乗り込み、近くの席に隣り合わせで腰を下ろした。直後、扉が閉まり電車が動き出す。
「ふぅ……ギリギリ間に合いましたね。でも、席も空いてたし、運が良かったですね!」
「そうだね。それで、改めて聞くけど、今日はどこに行くんだ?」
「あ、はい。えっとですね……ここです!」
言いながら、鞄からスマホを取り出し、出雲ちゃんはその画面を俺に見せる。液晶に映っていたのは、ある動物園のサイトだった。
「もしかして……ここが今回の目的地?」
「はい! 今回は動物園デートをしようと思って!」
「ふーん……確かに、定番と言えば定番だな。でも、どうして? 出雲ちゃん、動物好きだっけ?」
「結構好きですよ。それに、こういう場所こそ、カップルが行く場合って感じじゃないですか!」
「なるほどね……いいんじゃないかな」
「へへっ、ですよね! いっぱい楽しみましょうね!」
出雲ちゃんの楽し気な言葉に、俺はコクリと頷く。
「……でも、この動物園、それなりに距離があるな」
「そうですね。大体、一時間ぐらいですかね」
「だな……まあ、座れた訳だし、気長に待とうか」
「ですね……お話でもして、ゆっくりと……」
不意に、出雲ちゃんの声が虚ろとしたものになる。
次の瞬間――こてんと、出雲ちゃんの頭が俺の肩に倒れてくる。ビックリして首を回すと、視界にまるで家のベットの上で寝ているかのように安らかな、出雲ちゃんの寝顔が映り込んだ。
出雲ちゃん、寝ちゃったのか……そういえばあんまり寝付けなかったって言ってたし、電車に乗って急ぐ必要も無くなったから、安心したのかな?
「んにゅ……せんぱぁい……ふへへっ……」
と、出雲ちゃんは幸せそうに頬を緩ませる。
どんな夢見てるんだか……ま、ゆっくり寝かせてあげるか。疲れを取った方が、今日のデートを思いっ切り楽しめるもんな。
スヤスヤと眠る出雲ちゃんが倒れないように肩で支えながら、俺はジッと目的地に着くのを待った。
◆◆◆
熟睡する出雲ちゃんを肩に、電車に揺られる事約一時間。ようやく目的の駅に到着したので、俺は出雲ちゃんを起こし、二人揃って電車を降り、駅を抜けて目的の動物園を目指して歩いた。
道中、俺達と同じ方角に進む家族連れやカップルを多く見掛けた。恐らく、同じく動物園を目指す人達だろう。この様子だと、動物園は大分混み合いそうだ。
「ところで先輩。先輩は動物園で見てみたい動物とか居ますか? 結構広いみたいだし、ある程度目安を立てとかないと」
「そうだな……そう言われると、パッと思い付かないもんだな。出雲ちゃんは何かあるの?」
「そうですね……色々あるけど、一番楽しみなのは動物とのふれあいコーナーですかね。ウサギとかハムスターとか触れるんですよ!」
「ああ、さっき電車の中で軽く調べたけど、そういうのもあるらしいな。ただ、人気のコーナーだから、かなり混むらしいな」
「みたいですね。まあ、色んな場所を回りながら、落ち着くのを待ちましょう。見る場所はいっぱいあるんですし!」
「うん。しかし、動物園なんて何年振りだろうな……」
記憶が正しければ、最後に動物園に行ったのは、小学校低学年の時だ。かれこれ十年近く、動物園という施設と縁が無かった事になる。
そういえば、俺って動物に好かれない体質だけど、ふれあいコーナーは大丈夫なのかな……まあ、最悪出雲ちゃんだけでも楽しめたらいいか。見るだけなら、問題無いだろうし。
「――あ、見えてきましたよ!」
歩く事数分。出雲ちゃんが正面を指差しながら言う。その先には目的の動物園と、その入り口に出来る長蛇の列があった。
「うわぁ……案の定凄い人ですね」
「ああ……これは入るのにも時間が掛かりそうだ」
「むぅ……まあ、こればっかりは仕方無いですね。並びましょうか」
頷き、俺と出雲ちゃんは列の一番後ろに着く。
それから待つ事数十分。最前に辿り着き、二人分の入場料を支払い、俺達はようやく動物園の中に足を踏み入れる事が出来た。
「思ったより待ったな……日曜日の動物園、半端ないな」
「ですね……見える範囲でも、凄い人ですもんね。ちょっとでも油断したら、人の波に飲まれそうです……」
出雲ちゃんの言う通り、入口を抜けた先にも当然だが人は大勢居た。ちょっとでも油断したらぶつかってしまいそうなほど人が密集しているし、恐らく動物の居るエリアはもっと凄い事になっているだろう。
「これは……迷ったりはぐれたりしないように気を付けないとな」
「はい。でも……」
言いながら、出雲ちゃんが俺の右手を握る。
「こうして手ぇ繋いどけば大丈夫ですよね! 先輩、絶対離しちゃ駄目ですからね?」
「お、おう……」
「むっ、なんですかその微妙な反応」
「いや、いきなりだからビックリして……」
「もう、今更じゃないですか!」
確かに今更だけど、女の子にいきなり手を握られてドキッとするのは、男としてはしょうがない。出雲ちゃんは積極的に攻めて来るから、特にドキドキしっぱなしだ。
「まあ、私はそういう風に反応してくれるのは嬉しいですけど。ほら、早く行きましょう先輩! 時間なくなっちゃいますよ!」
「そ、そうだな」
ここまで混雑した状況だと、移動にも一苦労しそうだ。昼飯もここで食べる予定だし、後々の事を考慮すると、早めに行動を開始した方が得策だろう。
まずは入口付近にあった園内のマップが載ったパンフレットを手に入れてから、俺と出雲ちゃんは歩き出す。
ひとまず道なりに進んで、途中に居る動物を適当に見ながら先にあるフードコートを目指そうという事になったので、早速行動を開始する。
そして歩き始めて数分経った頃、俺達の目の前に最初の動物が姿を見せた。
「あ、先輩見てください! 象ですよ!」
「本当だ。動物園と言ったらって感じだな」
「ですね! 近くで見てみたいけど……柵の近くは、子供たちいっぱいですね」
「まあ、動物園の目玉の一つだしな。今は遠目で我慢しようか」
「仕方無いですね。でも、本当に大きいですよねー。背中とかに乗ったら、きっと良い景色なんでしょうねー」
象をウキウキした目で見ながら、出雲ちゃんは楽しそうに語る。その様子を見て、つい口角が緩む。
「ん? どうしたんですか先輩? ニヤニヤしながらこっち見て」
「ああ、ごめん。楽しそうだなーって、ついな」
「……それって、子供っぽいって言いたいんですか?」
ジトっとした目でこちらを見据えながら、出雲ちゃんは少し機嫌が悪そうに頬を膨らませる。
「ち、違うよ。純粋に楽しそうだなーって、そう思っただけだよ」
「ふーん……それならいいですけど。……そう見えたのはきっと、昔の事を思い出してたのかもしれませんね」
「昔の事?」
「小っちゃい頃、両親が休みの時はよく動物園に来てたんです。お父さんに肩車してもらって動物を眺めたり、お母さんやお姉ちゃんと一緒に動物に餌をあげたり……昔はそのたまにある時間が、凄く楽しかったんですよ」
「……そっか」
両親が忙しくてなかなか一緒に居れないからこそ、そういう時間がとても大切で、幸せだったんだろうな。
「……そして今も、すっごく楽しいです」
「え?」
「先輩と一緒に居る今の時間も、私にとって凄く楽しくて、幸せな時間。だから……ありがとうございます、先輩。私と一緒に居てくれて。お陰で私、すっごく楽しいです!」
嬉しそうに言いながら、出雲ちゃんはニッコリ笑う。その喜色満面に俺はつい照れてしまい、目を逸らす。
「えへへ……さあ、早く次に行きましょうか!」
それに出雲ちゃんは嬉しそうに笑うと、グイッと俺の腕を引っ張りながら歩み出す。
「おわっ……!? きゅ、急に引っ張らないで……!」
「ほらほら先輩! この幸せな時間、ボーっと突っ立ってるだけで終わらせるのは勿体無いですから!」
本当、楽しそうだな出雲ちゃんは……でも、こうして楽しそうな彼女を見ていると、不思議とこっちも楽しくなってくる。
今日はずっとこうして楽しめればいいな――そんな思いを抱きながら、俺は彼女と動物園の奥を目指した。
象のエリアを離れた後も、俺と出雲ちゃんはライオンやキリンなど、動物園お馴染みの様々な動物達を、楽しく会話をしながら見て回った。
途中、トラの餌やりの体験コーナーに立ち寄ったり、特設コーナーで猿と猿使いの大道芸を観覧したりしながら進み、丁度お昼頃に最初の目的地に決めたフードコートに到着。
とりあえず手軽に食べられるハンバーガーをフードコート内のお店で買って、空いている席に座って食しながら、この後の指針ついて話し合いをする事に。
「さて……これからどうしようか」
「そうですね……時間はあるとはいえ、まだ半分も回れて無いですもんね。さらに混んできたし、ある程度計画的に進まないと、回り切れないかもしれませんね。はむっ……」
手にしたチーズバーガーを頬張り、出雲ちゃんは辺りをキョロキョロ見回す。俺も手にしたテリヤキバーガーを口にしながら、同じように辺りを見回す。
フードコート内も、他の来客者でいっぱいだ。この昼食を購入する際も、三十分近く並んでようやく買う事が出来た。昼飯時というのもあるだろうが、それだけ混んでいるという事だ。
そして恐らく、人はまだまだ増える。出雲ちゃんの言う通り、ある程度予定を立てないと、人混みのせいでまともに動物園を回れないかもしれない。
「元々広い場所だしなぁ……こりゃ、何個かは行けないものと諦めるしかなさそうだな」
「残念ですけど……そうせざる得ないですね。日曜日の動物園の混雑具合を舐めてました……」
「まあ、こればっかりは仕方無いよ。こういうのも動物園の醍醐味だって、ポジティブに考えてこうよ」
「先輩……そうですね! じゃあ、気を取り直して予定、決めましょうか!」
「うん。じゃあ、出雲ちゃんはここは絶対に行きたいって場所はある?」
パンフレットに載ったマップを差し出しながら問う。すると出雲ちゃんは間髪入れずに、ある個所を指差す。
「ここは絶対外せません!」
「えっと……さっきも言ってたふれあいコーナーか。じゃあ、ここは確定だな。でも……ここは一番の人気コーナーだし、きっと凄い混雑してるだろうな」
「ですね……待ち時間も凄い長そうだし、どうしましょうか……」
「うーん……なら、ここは最後に行くとして、それまでは別の場所を回ってみるか? 閉園時間に近い方が、人は少ないだろうし」
「あ、それいいかもしれませんね! じゃあ、見たい場所を決めて、最終的にふれあいコーナーに辿り着く最適なルートを考えましょうか! こういうの考えるの、なんかワクワクしますね!」
楽しそうにはしゃぐ出雲ちゃんに、俺も釣られて笑みがこぼれる。
「確かに、こういう風に予定を組み立てるのは楽しいな」
「はい! それに……なんだか、恋人って感じでいいです! 互いに意見を出し合って、一緒にデートの予定を考えて! こういう関係、素敵だと思いませんか?」
「え? あー、うん……そうかもね」
「むぅー……微妙な反応」
「ご、ごめん……」
「いいですよ。今の先輩の立場では、そうなっちゃうのも仕方無いですから。その代わり、デートは一緒に思う存分楽しんで下さいね?」
出雲ちゃんの言葉に、俺は「もちろん」と頷く。
「それならいいです! 今日は私が先輩を独占するんですから! さあ、それじゃあ予定の組み立てを続けましょう!」
「ああ。じゃあ、まずはこのエリアから――」
それから俺達は食事をしながら行きたい場所、見たい動物を選出し、どういった順序で見回るかを話し合った。
そして食事が終わった頃、ピッタリこれからの予定が定まったので、完璧にそのスケジュールを完遂する為に、俺達は早速行動を再開した。
◆◆◆
数時間後。ほぼほぼ予定通りの行動で動物園を回り、俺達はついに最終目的地点である、動物とのふれあいコーナーに辿り着いた――のだが。
「……全然空いて無いですね」
閉園時間に近い遅めの時間帯であれば人気のふれあいコーナーに集まる客も減るんじゃないかと予想を立てたのだが、今現在このふれあいコーナーの場には、溢れ返るほどの客が集まっていた。
まさかこれほどの人気だったとは……これは軽く一時間は待ちそうだな。まあでもここが最後だし、閉園時間までには終わるだろう。
「じゃあ、早いとこ並ぼうか。さらに列は長くなりそうだし」
「はい! ここまで来たんだから、思う存分ふれあいます!」
二人揃って列の最後尾に並び、順番が回って来るのをひたすらに待つ。
ここのふれあいコーナーは四方が柵に囲まれた、長方形の小さなエリアだ。一度に入れるのは、多くても十人前後といったところだろう。今列に居る人達が、大体十分間隔で入れ替わったとしても、かなりの時間が掛かるだろう。
そんなざっくりとした計算を立てていると、列が少し動く。それに合わせ、俺と出雲ちゃんも前に進む。
それを繰り返す事数回――やっと、俺と出雲ちゃんは動物達が待つ柵の内側へ足を踏み入れた。
「やっと入れた……待ち疲れた……」
「だな……さて、それじゃあ待ちに待ったふれあいと行こうか」
「はい! まずはウサギから触りに行きましょう!」
パタパタと小走りで、出雲ちゃんはウサギ達が集まる木のゲージの方へ向かう。
「うわぁ……! ウサギがいっぱい! 可愛いー!」
「本当だ。黒いのから真っ白なのまで……沢山居るな」
「どれも触り心地良さそう……では、早速……」
ゲージの近くにしゃがみ込んで、出雲ちゃんは黒いウサギを手に取り、胸元まで持って行って優しく抱き抱える。
「うはぁ……! モフモフゥ……よーしよーし」
幸せそうに顔を綻ばせながら、出雲ちゃんはそっとウサギの体を撫でる。
手慣れてるな……しかし、出雲ちゃんもこんな風に動物を愛でたりするんだな。普段はあんまり見ないから、不思議な気分だ。自分で言うのは恥ずかしいが、俺以外には関心無しって印象だったし。
出雲ちゃんも女の子なんだな。……改めて傍から見ると、こうして幸せそうにしてる出雲ちゃんって、凄く可愛いんだな。
「ん? どうしました先輩?」
「あ、いやなんでも……出雲ちゃん、ウサギ好きなのか?」
「はい。可愛いし、触っていて気持ち良いし、好きですよ。ただ……」
ふと、出雲ちゃんはどこか物悲しそうに目を細める。
「出雲ちゃん……?」
「あっ……な、なんでも無いです! ほら、先輩もウサギ触りましょうよ! モフモフで気持ち良いですよ!」
が、俺が声を掛けるとすぐに彼女の顔に笑みが戻る。しかし俺は感じ取った。その笑顔の裏に隠れる、微かな愁いを。
時々、出雲ちゃんの顔は、いつもの明るさが嘘みたいに陰る事がある。彼女はひょんな事で、心に抱える悲しみが表に出て来てしまう。きっと今も、何か過去の辛い記憶を思い出してしまったのだろう。
それがどんな事で、何がきっかけで出て来たのかは分からない。でも、出来る事なら俺はそれを知りたい。そして支えてやりたい。彼女の心が、少しでも休まるように。
「……あの、出雲ちゃん――」
「あのー、申し訳ございません」
ウサギと戯れる出雲ちゃんに先の事を問おうとした寸前、不意に、従業員のお姉さんが話し掛けてくる。
「現在お待ちになられているお客様が大変多くて……大変申し訳無いのですが、お早めに他のお客様との入れ替わりをお願い出来ますでしょうか?」
「え、もう!? まだ十分ぐらいしか経ってないのに……」
「……まあ、しょうがないよ。楽しめただろ?」
「ううっ……まあ、満足はしましたし、仕方無いですね」
残念そうに唇を尖らせながら、出雲ちゃんは抱っこしたウサギを元の場所に戻し、立ち上がる。そのまま俺達はふれあいコーナーを後にした。
これで本日の予定は全て終了。後は電車に乗って、白場に帰るだけだ。俺と出雲ちゃんは帰宅ラッシュに巻き込まれない内に、動物園の出口を目指した。
「あーあ、先輩とのデート、もう終わりかぁ……あっという間だったなぁ。でも、凄く楽しかったです! 先輩はどうでした?」
「俺? 俺も楽しかったよ。動物園なんて久し振りだったし」
「ならよかったです! またいつか来ましょうね!」
と、出雲ちゃんは満面の笑みでニッコリ笑う。
さっき見せた暗さは感じないな……どうやら忘れたみたいだな。何を思ってあんな顔をしたのかは気になるけど、思い出させてまた落ち込ませるのは悪いし、変に触れないでおこう。……少し、モヤモヤはするけど。
そのまま先のふれあいコーナーでの事には触れず、今日の感想を話し合いながら歩き、俺達は駅へ到着。そのまま白場行きの電車に乗った。
「帰りも座れるなんて、ラッキーでしたね!」
「そうだね。ずっと歩いて疲れてたから、助かるよ」
「ですね。先輩、別に眠ってもいいですよ? 行きは私が寝ちゃったから、帰りは私が肩をかしてあげますよ!」
「ありがとう。でも、俺は平気だよ。出雲ちゃんこそ、疲れてない?」
「私は平気です! 折角のデート、最後を睡眠で潰しちゃうなんて勿体無いです! 楽しくお喋りしましょう!」
「分かった、そうしようか」
「はい! ……なら、さっきのちゃんと話しとくべきですね」
ふと、出雲ちゃんは神妙な顔付きになる。
「どうしたの?」
「先輩の事だから、気になってますよね。さっきのふれあいコーナーでの事」
「……! ……まあ、ね」
「ごめんなさい、変な気遣いさせちゃって。……今日のデート、後腐れなんて残したく無いから、しっかり話します。聞いてくれますか?」
「……もちろん」
「ありがとうございます。といっても、大した事じゃ無いんですけどね」
苦笑をこぼしてから、出雲ちゃんはゆっくりと語りだす。
「あの時、ウサギが好きな理由聞かれたじゃないですか? あの答え、ちょっとだけ違うんです。もちろんあの理由も噓じゃ無いんですけど、本当はその……どちらかと言うと、共感出来るって感じなんです」
「共感?」
「よく言うじゃないですか、ウサギは寂しいと死んじゃうって。そういうところに共感出来るっていうか……似てるなって、子供の頃に思ったんです」
そう言いながら、出雲ちゃんは物悲しそうな表情を浮かべ、目を細める。
そういえば、前に言ってたな……子供の頃は、両親が仕事で忙しくて、なかなか一緒の時間が無かったって。それで寂しい思いをしてたって……その時の自分と、ウサギのそれを重ねてたって事か。
「まあ、実際は死んじゃうなんて事は無いみたいですけどね。……でも、子供の頃の私はそれぐらいに寂しかった。一人で居るのが、たまらなく辛かった。本当に死んじゃうんじゃないかってぐらい。その時の事を思い出して、ああなっちゃったんです」
「出雲ちゃん……そうだったんだね」
「……ごめんなさい! こんな暗い話しちゃって! えへへ……私、面倒臭いですよね? こんなちっぽけな事でクヨクヨしちゃって……」
「……そんな事無いさ。人間、小さな事で悩んじゃうもんだ。出雲ちゃんのそういう人間らしいとこ、俺は嫌いじゃないよ。だから、気にしないでいいさ」
「先輩……ありがとうございます」
感謝の言葉を口にしながら、出雲ちゃんはうっすらと微笑む。
出雲ちゃんは普段は明るくて、元気な女の子だ。けど、根はとても寂しがり屋だ。いつか彼女の母親である八重さんも言っていたが、彼女はとても繊細で脆い。ちょっとした事で、何かの拍子で壊れてしまいそうなほどに。
でも、彼女は立ち直る事の出来る強い子だ。だからその悲しみを乗り越えて、また笑顔で過ごせる。そして出来る事なら、彼女にはそうしてずっと笑顔でいてほしい。明るい笑顔を絶やさずに、毎日を幸せに過ごしてほしい。悲しむ彼女を見てると、こっちも悲しくなるから。
だから俺は、出来る限りその手助けをしてやりたい、支えになってやりたい。だから――
「……だから、辛い事や苦しい事があるのなら遠慮無く言ってほしい。受け止めて、一緒に考える事ぐらいなら出来るからさ」
「先輩……本当、先輩は優しくて、カッコいいですね。そんな先輩が……私は大好きです」
そう言いながら、出雲ちゃんはそっと俺の肩に寄り掛かる。
「すみません、やっぱりしばらくこうさせて下さい。なんだか、こうしていたい気分なんです」
「……ああ、もちろん」
寄り掛かる彼女の頭を、俺はそっと撫でた。それに出雲ちゃんは嬉しそうにほくそ笑み、眠りにつくように目を閉じた。そのまま出雲ちゃんは安心したのか、寝息を立てて眠ってしまう。
そんな彼女を俺は静かに見守り、支えながら、電車が白場に着くのを待った。