モテ期と修羅場は同時にやって来るものである   作:藤龍

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スノー・ファミリー④

 

 

 

 

 

 

 

「あら、もうこんな時間なのね」

 

 朝倉先輩の自室で他愛無い会話をしていた最中、不意に先輩が壁に掛けた時計に視線を向けながら呟いた。その少し驚いたような一言に釣られ、俺も視線を時計の方へ向ける。

 確かこの部屋に来たのが、八時過ぎ。そして現在の時刻が、十時より少し前。つまり、俺達はこの部屋で約二時間も話をしていた事になる。

 そんなに時間が経過しているとは全く思っていなかったので、俺も先輩と同様に若干の驚きを感じた。

 まさか会話だけでこんなに時間を消費するとは……精々一時間程度だと考えていたんだがな。

 

「フフッ……やっぱり、友希君との時間はあっという間に過ぎてしまうわね。なんだか不思議な気持ち。でも、とても充実した時間だったわ」

「それならよかったです。……この後は、どうします?」

「そうね……ねぇ、友希君。今日は、ここに泊まっていってくれる?」

「えっ、泊まりですか……?」

「ええ。もう遅いし、何より……今日という日を、最後までアナタと共に過ごしたいの。……駄目かしら?」

 

 小さく首を傾げる先輩。俺はその問いに数秒間を空けてから、了承の頷きを返した。

 

「もちろん。先輩がそうしたいなら」

「本当? 嬉しい……ありがとうね。それじゃあ、今晩はここで一緒に寝ましょうね。ちゃんと友希君用の寝巻も用意してあるから、安心してね」

「あ、やっぱりですよね……」

 

 最初から泊まらせる気満々だった訳だ。まあ、そうだとは思っていたけど。

 同じ部屋で寝るのはやっぱり緊張もするけど、彼女のお願いを断る訳にもいかない。それに昨日は天城とは一緒に漫画喫茶に泊まって同じ部屋で寝た訳だし、朝倉先輩だけ断るというのは、差別しているようで申し訳無い。

 今日は彼女の為の日なんだ。付き合える事には付き合わないと。にしても、先輩と一緒に寝るのも、今回で……三回目か。前回も前々回も抱き付かれたり、寝起きに至近距離に居て驚かされたりしたからな……気を引き締めておこう。

 そんな事を考えていると、以前先輩と寝た時の記憶が、次々と浮かび上がってくる。

 柔らかくて温かな抱擁の感触。寝起きの視界に映った美しく綺麗な顔。そして、頬や耳に受けた優しいキスの感触。

 

「…………」

「あら? 顔が赤いけど、大丈夫?」

「えっ!? だ、大丈夫です!」

 

 ……本当、気を引き締めていかないとな。

 

「なら良いのだけど……泊まるのならば、汗も流したいわよね? 今からお風呂にしましょうか」

「そ、そうですね。えっと……ちなみに、お風呂はどこに……?」

「安心して、男湯はここから右に真っ直ぐ歩けばいいだけだから。不安なら案内しましょうか?」

「いや、それなら大丈夫です。というか……その言い方だと、いわゆる女湯は違う場所なんですか?」

「ええ。女湯は反対側よ」

「そうなんですか?」

 

 一ヶ所の方が便利なのでは――そう言い掛けたが、以前別荘で雹真さんから聞いた話を思い出し、その言葉を飲み込んだ。

 確か、別荘の風呂は女性陣が男性陣の意見を跳ね除けて、男湯と女湯を離したんだっけ……ここも同じ理由だろうな、多分。

 

「……分かりました。じゃあ、終わったらこの部屋に集合って事で」

「そうね。……まあ、私的には、一緒に入ってもいいんだけど」

「ちょ……!? 何言ってるんです!?」

「フフッ、冗談よ。でも……友希君が望むなら、全然構わないわよ?」

 

 そう言って、先輩は服を着ているにも関わらず、まるで裸体を隠すような仕草を取る。

 

「ッ……!? じ、じゃあ俺、先に行きますね!」

「もう……照れ屋さん」

 

 先輩のからかい言葉を背に受けながら、俺は逃げ出すように早歩きで部屋を出て、浴場へ向かった。

 

 

 

「――あら、世名君。こんなところで何をしているの?」

 

 その移動の最中、偶然六華さんと出会す。彼女は真っ直ぐ俺の方へ歩み寄りながら、再度問い掛けてくる。

 

「雪美は一緒じゃないのかしら?」

「あ、えっと……実は今日は泊まらせてもらう事になって、それでお風呂を借りに……」

「なるほど……そういう事。ゆっくりしていって頂戴」

「は、はい。……あの、葉霰さんとのお話は終わったんですか……?」

 

 少し気になったので、恐る恐る問い掛けてみる。すると六華さんは溜め息を吐きながら、重々しく口を開いた。

 

「一応ね。まあ、いくら言ってもあれは治らないと思うけれど」

「た、大変ですね」

「もう慣れたわ……呼び止めて悪かったわね。浴室は広くて落ち着かないかもしれないけど、ゆっくり疲れを癒してね」

 

 と言い、六華さんは歩き出して、俺の真横を通り過ぎる。

 が、不意に立ち止まり、俺の方へ首を回す。

 

「世名君、悪いけどちょっと時間をもらえるかしら? 少し話がしたいの」

「え? 別に構いませんけど……」

「ありがとう。立ち話は疲れるから、近くの応接室まで行きましょうか」

 

 再び俺の真横を通り過ぎ、歩みを進める六華さん。俺も慌てて後を追い掛ける。

 そのまま数分ほど歩いた先にあった部屋に入り、俺と六華さんは室内にあったソファーに向かい合わせに腰掛ける。

 

「えっと……それで、話とは……?」

「大した事では無いわ。雪美の事で、色々とね」

「先輩の……ですか?」

「ええ。軽い話は聞いているけど、あなたから直接聞いてみたくて。……単刀直入に聞くわ」

 

 六華さんの鋭い眼差しに、全身に緊張が走る。

 一体どんな質問をされるのだろうと身構える俺に向かって、彼女は落ち着いた口調で、質問を投げ掛けた。

 

「あの子……雪美は、あなたに迷惑を掛けていないかしら?」

「め、迷惑ですか……?」

「知っての通り、あの子は世間知らずのところが多いから。そのせいであなたに失礼が無いか、親としては少々心配でね」

「な、なるほど……」

 

 もっと答え難い事を聞かれるかと予想していたので、内心少しだけホッとする。

 

「別に、迷惑なんてしてませんよ。ちょっと振り回される事はありますけど、失礼だと思う事は一切ありませんよ」

「そう……それを聞いて安心したわ。……あなたと関るようになってから、あの子はよく笑うようになったわ」

 

 と、六華さんはどこか遠い過去を思い返すように目を細める。

 

「聞いているとは思うけど、あの子はある日を境に、全くと言っていいほど笑う事がなくなったわ。正直当時は、二度と彼女に笑顔が戻る事は無いと思っていたわ」

 

 当時を思い出したのか、どことなく悲しそうな色を瞳に浮かべる。

 

「でも、最近のあの子は違う。あの頃の事が嘘みたいに、笑うようになった。それはきっとあなたのお陰。あなたに出会ったから、あの子は笑顔を取り戻せた。だからその事に関してお礼と、お願いを言いたいの」

「お願い……ですか?」

「ええ。……世名君。今後も、あの子と仲良くしてくれると嬉しいわ。形はどんなでも構わないから」

 

 形はどんなでも構わない――それはつまり、恋人でも、友人でもという意味だろう。

 

「……はい、もちろんです。どうなろうと、縁を切ったりするつもりはありません」

「……ありがとう。面倒な子かもしれないけど……あの子の事、どうかよろしくね」

 

 そう言って、六華さんはうっすらと笑みを浮かべた。今まで無表情だった彼女の顔に浮かんだ表情は、朝倉先輩のそれとよく似て、とても温かなものだった。

 

「どうかした?」

「えっ? あ、いや、やっぱり親子なんだなぁ、って思って。六華さんの笑顔、先輩によく似てたんで……」

「……そう」

 

 どことなく照れ臭そうに言いながら、六華さんは席を立つ。

 

「時間を取らせて悪かったわね。確かこれからお風呂だったわね」

「あれ? もういいんですか?」

「ええ、もう十分。まだ言いたい事もあるにはあるけど……そこは、あの人が言ってくれるでしょうし。……あんまり、深く考え過ぎるのも駄目よ?」

「……? それって――」

「さあ、あんまり時間を掛け過ぎると雪美を待たせる事になるわよ?」

「は、はい……それじゃあ、これで……」

 

 六華さんにペコリと頭を下げてから、俺は応接室を出て再び浴室を目指した。

 最後のあの言葉……どういう意味だったんだろう?

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

「……落ち着かないなぁ、どうも」

 

 と、独りでに呟いた俺の言葉が、浴室に響き渡る。

 屋敷がこれだけ広いのだから当然かもしれないが、六華さんが言っていた通り、この家の浴室は恐ろしいほどに広かった。浴槽は小さめな船なら一隻ぐらい軽々と浮かべる事が出来そうだ。

 そんな空間に馴染めるはずも無く、俺は貸し切り状態にも関わらず、浴槽の隅っこの方で縮こまっていた。

 別荘の時は裕吾達が居たからまだ大丈夫だったけど、一人でこの広い場所に居るのは、何というか……落ち着かない。

 正直あまり心身共に休まらないし、早いけどもう出てしまおうか――そう思った矢先、突然浴室の扉が開き、二つの人影が俺の方へ近付いてきた。

 

「ん? なんだ、誰か居るかと思ったら、友希君じゃないか」

 

 と、少し元気の無い声で浴室にやって来た内の一人――雹真さんが声を掛けてくる。その後ろに居たもう一人、葉霰さんも若干テンションが下がった顔で俺に向かって手を振る。

 

「ど、どうも……なんか、疲れてますね」

 

 そう問い掛けてはみたが、大体の予想は出来ている。二人とも、彼女達のせいでグロッキーなのだろう。

 

「だろうね……今さっきまで、休み無しで仕事していたからね……」

「私も六華にこっぴどくね……相変わらず厳しい妻だ」

「お、お疲れ様です……」

 

 そのような事になったのはどちらも自業自得ではあるのだが、一応労いの言葉を掛ける。

 

「まあ、いつもの事だがね」

「ですね。湯船に浸かって、綺麗サッパリ気分転換と行きましょうか」

 

 そう、楽観的な言葉を吐きながら、彼らはゆっくりと湯に足を付け、俺の両隣に腰を下ろした。

 反省する気は微塵も無さそうだな……そんなんだから怒られたりするのが毎度の事になるんじゃないか?

 忠告しようかとも思ったが、言っても無駄なのが安易に想像出来たので、俺は何も言わずにいる事にした。そんな俺を間に挟み、二人の愚痴めいた会話は続く。

 

「しかし、どうして六華はあんなにも怖い女性になってしまったのだろうなぁ……昔はとても大人しく、私の半歩後ろを歩いてくれるような女性だったのに」

「冬花も、最近は特に迫力が増したというか……女性っていうのは、変わっていく生き物なんでしょうねぇ……」

「悲しいものだなぁ……いつか雪美も、六華のような鬼嫁になってしまうかもしれんな。だとしたら大変だな、君も」

「へ? あ、ああ……そう、ですね……」

 

 急に話を振られたせいで、つい曖昧な返事をしてしまう。……いや、もし急でなくとも、曖昧な返事しか出来なかっただろう。何故なら――

 

「と、君はまだ雪美と結婚するとも、付き合うとも決めている訳では無かったな。悪いな、反応し難い事を言ってしまって」

 

 俺の心情を察してくれたのか、葉霰さんがそう謝罪する。

 そう、俺はまだ朝倉先輩とは恋人ですらない。だから先のような事を言われても、正直どう返答すれば良いのか、困るだけだ。相手がその朝倉先輩の父親となれば尚更だ。申し訳無いやら何やらで、少々気まずい。

 

「そう固くなるな。大方、娘を振り回していて申し訳無い――などと考えているのだろう?」

「えっと……はい……」

「最初に言ったと思うが、君と雪美の関係性に関しては、別に責めるつもりは無い」

「そうだぞ友希君。恋愛の形は色々だ。君の現状も、立派な恋愛の一つの形さ」

「その通りだ。恋愛する事に罪は無い。だから堂々と胸を張っていればいいのさ!」

 

 と、葉霰さんは俺の背中をバシバシ叩く。

 

「イッツ……!」

「おっと、すまんね。ともかくそういう事だから、気にする事は無い。むしろ、私は君には感謝しているぐらいさ」

「感謝……ですか……?」

「ああ。私の高校時代は、とても恋愛なぞしている暇が無いほどに大変な時期だったからね。だから娘に恋愛というものを教え、青春を謳歌させてくれている君には、お礼を言いたいんだよ」

「そ、そんな……俺は……」

「謙遜しないでくれ。私からの礼、是非とも受け取ってほしい。娘に楽しい日々を与えてくれて、ありがとう」

 

 そう言って、葉霰さんは水面ギリギリまで、深々と頭を下げた。

 六華さんと似たような事言うんだな……本当、先輩の事を大事に思っているんだな。

 

「ど、どういたしまして……」

「うむ、それで良い。……さて、ここからは男同士楽しく裸の付き合いを楽しもう――というのも良いが、折角だ。少し、真面目な話もしよう。父親として、言っておきたい事もあるからな」

 

 そう言うと、葉霰さんの表情が今までとは明らかに違う、神妙なものに変わる。その変化に、思わず俺は息を呑む。

 

「父さん……こんな時ぐらい、楽しく気楽に行かないかい?」

「そういう訳にもいかん。私も空気を悪くはしたくないが、親としての役目がある。……構わんかね?」

 

 その問い掛けに、俺は黙って頷いた。

 彼も一人の父親なんだ。楽観的に俺と先輩の関係をスルーという訳には行かないだろう。彼には物申す権利がある。俺はそれを、甘んじて受けなくてはならない。

 

「ありがとう。では、遠慮無く言わせてもらう」

「……はい」

「さっきも言った通り、君と雪美の現状を責めるつもりは無い。ただ、親の立場から言わせてもらうと、あまり芳しいとも言い難い。君達の現状は、あまりにも不確定過ぎる。雪美も、来年で高校を卒業する。卒業は言わば新しい道への第一歩だ。だが、言い方は悪いが、君のせいであの子の進むべき道はまだ定まっていない」

「ッ……!」

「親として、この大事な時期に娘の将来が不確定なのはとても心配な事なんだよ。だから出来る限り早い段階で、あの子が進むべき道を見定められるようになってほしい――それが、私の父親としての思いだ」

 

 と、葉霰さんは俺の目を真っ直ぐ見ながら言う。

 彼の言いたいのは、つまりこういう事だ。俺が告白に対する返答を渋っているせいで、朝倉先輩の将来は不確定なものになっている。だからこそ、彼女がどの道を歩むべきかしっかりと決められるように、早々に答えを出してほしい――と。

 

「当然、あの子は君と共に歩む道を望むだろう。しかしまだ、その道は不確定だ。そして君が雪美を選ばなければ、その道は消える。そんないつ消えてしまうかもしれない道をあの子が迷わずに進むのは、少々不安なのだ。出来る事ならば早い段階で安定した道になるか……雪美には悪いがその道が無くなって、新たな道に進んでくれる方が正直安心する」

「…………」

「いつまでも悩んでいる君を責めるつもりは無い。むしろそれだけ真剣に考えてくれるのは嬉しい。だが、出来れば早々に答えを出してくれると、私は有り難い。そうすれば、私達も早い段階からあの子の将来に向けての助力がしやすくなるからな」

「…………」

 

 先輩は以前、いつまでも返事を待つと言ってくれた。けど、本人がそれで良くても、親の立場となれば話は別だ。いつまでも娘の将来が不確定なのは、当然好ましくないだろう。

 俺だって、出来る事ならすぐにでも答えを出して、彼女達を新たな道へ進ませてあげたい。いや、そうするべきなのだ。遅れれば遅れるほど、新たな道へ移り、進むのが険しくなるかもしれないのだから。特に高校卒業という節目を控えている朝倉先輩は、ここでタイミングを逃せば進むべき道を見失うかもしれない。

 だからこそ、本当は急がなければならないんだ。けれど、それが出来ずに、今日という日まで進んできた。彼女達の優しい言葉に甘えて、俺は未だに彼女達をこの道に縛り付けている。俺と共に歩むという、不確定な将来に続く道に。

 

「…………すみません……」

 

 それ以外、言葉が浮かばなかった。他に言うべき事があるはずなのに、俺はその言葉を口にする事しか出来なかった。

 

「……すまないな、このような事を言ってしまって」

「いえ……親として、当然な考えだと思います。……本当に、すみません……俺が、もっと決断力があったら……」

「そう自分を責めるな。君の行いは、決して悪い事では無い。女性の為に真剣に思い悩む……素敵な事ではないか。私個人としては、大変素晴らしいと思うよ。ただ、やはり親として、言うべき事は言わないとね」

 

 ポンと、俺の肩を叩き、葉霰さんは優しい微笑みを作る。

 

「今言ったことも、考慮してくれると嬉しいという、私のわがままだ。あくまで雪美や君の考えを尊重するし、否定も邪魔もしない。いくらでも迷ってもいいから、しっかりとした答えを出してくれ。きっと、雪美もそれを望んでいる」

「そうだよ友希君。そもそも恋愛を含めて、人生とは不確定なものだ。安定してほしいなんて、父の戯言さ。父さんも、あんな事を言う必要無いだろうに」

「うっ……そうかもしれんが、親として一応だな……」

「我々は黙って、彼らを見守っていればいいのさ。友希君も、あまり考え過ぎるなよ? 雪美が心配する」

「……はい、そうですね」

 

 そうは返事をしたが、俺の頭の中は、今し方葉霰さんに言われた事でいっぱいだった。

 いつまでも待つ――そう彼女達に言われて、少し蔑ろにしていたところがあったが、本当はそうもいかないのだ。彼女をいつまでもこの道に縛り付けるのは、良くない。

 もうすぐ年も明ける。この恋路を進んで、もう半年以上経つ。そろそろ、この恋にも決着を付けないといけないのかもしれない。……けれど、俺はまだ分からない。まだ決められていない。誰と、この人生という道を歩むかを。

 急がなければいけない。けれど、適当な答えを出す訳にはいかない。その為には、やはりまだ時間が掛かりそうだ。

 

「……やっぱり難しいな、恋愛って」

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 入浴を済ませ、用意されていた上下黒のジャージに着替え、共に風呂を出た葉霰さん達と別れ、俺は再び朝倉先輩の部屋の前まで戻ってきた。

 あの後も、しばらく葉霰さんに言われた事について考えていた。が、いくら考えても答えは纏まらないし、余計に悩みの種が増えるだけだった。

 駄目だなこんなんじゃ。これじゃあ雹真さんが言ってた通り、朝倉先輩を心配させるだけだ。今日は先輩の誕生日なんだし、気分を害するのは駄目だ。

 一旦先の事は忘れ、朝倉先輩との時間に集中しよう――そう気持ちを切り替えてから、俺は部屋の中へ入った。

 

「あ、おかえりなさい。随分長かったわね?」

 

 部屋には、既に朝倉先輩が戻っていた。彼女はドレスから、ラフな薄手の水色のワンピースに着替え、ベッドの上に腰掛けていた。

 

「ちょっと、葉霰さん達と話してて」

「お父様達と? ……そうだったのね。ほら、こっちへいらっしゃい」

 

 隣をポンポン叩きながら、手招きをする。俺はそれに従って、彼女の隣に腰を下ろす。

 風呂上がりの彼女の髪はまだ若干濡れていて、シャンプーのいい匂いも漂っていた。そのせいかいつもよりもドキドキが加速するが、先輩はそんなのお構い無しに擦り寄って来る。湿った銀髪が頬を撫で、接近した事でさらに強まった芳香が鼻腔をくすぐる。

 

「フフッ、ドキドキしてるの?」

「わ、分かってるならわざわざ言わないで下さいよ……!」

「ごめんなさい、ついからかいたくなっちゃって」

「全く……もう遅いですし、寝るなら寝ちゃいましょう」

「……ねぇ、友希君」

 

 不意に、先輩は真面目なトーンで声を発した。

 

「ど、どうしました……?」

「寝る前に、少し外を歩かない? なんだか、風に当たりたい気分なの」

「えっ? 俺は別に構いませんけど……」

「ありがとう。じゃあ、行きましょう」

 

 そう言うと先輩は立ち上がって、タンスからストールを取り出し、肩に羽織る。続けてマフラーを取り出して、「外は寒いから、使って頂戴」と俺に渡す。それを身に着け、先輩と共に部屋を出て屋敷の外に向かった。

 

 やって来たのは、屋敷の裏にある庭園。緑の壁で出来た、まるで迷路のような場所を、俺と先輩は横並びでゆっくりと歩く。

 

「夜風が気持ち良いわね……」

「そうですね……ちょっと寒いですけど。先輩は平気なんですか? かなり薄手ですけど」

「私は寒さには強いから。それに、友希君と一緒に居るだけで心も体もポカポカするから、全然大丈夫よ」

「そ、そうですか……」

 

 彼女の笑顔に、俺の体温も微かに上昇する。

 そのまましばらく、庭園に咲く様々な花や、冬の夜空を見ながら、俺達は散歩を続けた。

 

「ふぅ……ちょっと疲れたわね。あそこのガゼボで休んでいきましょうか」

 

 と、先輩は少し先の開けた場所にある、鳥かごのような建築物――いわゆる西洋風あずまやを指差し、俺の手を引いて歩みを進める。

 中に入り、隣り合わせに座る。それから数秒ほど、二人揃って沈黙する。草木が風で揺れる音だけが、耳を通り抜ける。

 その心が安らぐ音に耳を傾けていると、不意に朝倉先輩が話し掛けてくる。

 

「……突然外に連れ出して悪かったわね」

「いいですよ別に。でも、どうして急に? 風に当たりたかった……ってだけじゃないですよね?」

「……友希君、どこか難しそうな顔をしていたから。風に当たれば、少しは安らぐかと思って」

「えっ……」

 

 そうだったのか……顔に出さないようにって、気にしないようにって注意してたんだけど、隠しきれて無かったんだな。

 

「すみません、気を使わせたみたいで……」

「いいのよ。大方、お父様に私絡みの件で、何か言われたのでしょう?」

「……はい。実は――」

「ああ、言わなくていいわ」

 

 スッと、先輩は人差し指を俺の口まで伸ばす。

 

「お父様の言った事、なんとなくだけど想像出来るもの。私もそれに関して言いたい事はあるけれど、それを言ったらきっと友希君は余計に悩んでしまうわ。あなたはとても真面目な人だから」

「……そう、かもしれませんね」

「友希君がお父様の話を聞いて、何を考えたかは分からない。悩むなとは言わないけど、深く考え過ぎるのはよくないわ。一旦考えるのを止めて立ち止まってみなさい。そうすれば、周りがよく見えるわ」

「先輩……」

 

 俺は考え過ぎて、結局悩み続けることばかりだ。だからたまには考えるのを止めるのも、悪くは無いのかもな。むしろその方が、頭を整理出来るかもしれない。

 

「……そうですね。悩み過ぎるのも、良くないですよね」

「ええ。それに、今は私とのデート中。難しい事を考えるのは、後にしてほしいわ」

 

 そう言いながら、朝倉先輩は俺の肩に寄り掛かる。

 

「す、すみません……」

「もう、友希君はいつもそうね。まあ、それがあなたらしいところで、良いところなんだけど」

 

 本当、俺はいつもこうだな……考え過ぎて、相手に気遣わせて……折角の先輩の誕生日なんだから、もっと楽しく――

 

「あっ……!」

「ん? どうかした?」

「いや、先輩の誕生日プレゼント、どうしようかと思って……今日はてっきり街に出ると思ってたもんで、その途中で買おうとしてたから用意してなくて……」

「あら、そんな事を考えてくれていたのね? 嬉しいわ。でも……プレゼントならもう貰ったわ」

「え?」

「友希君と一緒の時間……それが私にとって、最高のプレゼント。だから、物を貰う必要は無いわ。気持ちだけで十分よ」

 

 両手を重ねた状態で胸に当て、先輩はそっと目を閉じる。

 

「……分かりました。先輩がそれでいいなら」

「ええ。その代わり、最後の最後まで付き合ってもらうからね?」

「もちろんです」

「フフッ……本当に、今日はとても良い一日だったわ」

 

 微笑みながら、先輩は空を見上げる。

 

「といっても、ほとんど他愛無い話をしていただけですけどね。なんだか、平凡なデートになって、すみません」

「あら、そんな事無いわ。平凡でもいいじゃない。それが、日常というもの。でもそんな平凡な日常でも、あなたが隣に居るだけで、私にとってそれは素晴らしい日になる。だから、今日はとても素晴らしい日なの」

「先輩……なら、よかったです。先輩が満足してくれたなら」

「ええ――あ、見て友希君」

 

 突然、先輩が空を指差す。それに顔を上げた瞬間――冬の夜空に、一筋の流れ星が走った。

 

「……消えちゃったわね」

「ですね……それにしても、綺麗な空ですね」

 

 移動中も何度か見上げたが、俺達の頭上には都会では見れないような星空が広がっている。余計な光が一切無い、とても美しい夜空。

 

「ここは街から離れているからね。住んでた頃はよく見ていたのに、どうしてかしら? 今日は一段と綺麗に見えるわ。……きっと、友希君のお陰ね。……さて」

 

 先輩は席を立ち、汚れを落とすように軽くお尻を叩く。

 

「風邪引いちゃうし、そろそろ戻りましょうか」

「はい」

「帰ったら、一緒に寝ましょうね? 簡単には寝かせないわよ? ……なんてね」

「お、お手柔らかに……」

 

 俺も立ち上がり、先輩と共に歩き出す。

 

「あ、そういえば……まだ、ちゃんと言ってませんでしたね」

「……? 何かしら?」

「朝倉先輩――誕生日、おめでとうございます」

「……ええ、ありがとう」

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

「――お嬢様、世名様、間も無く目的地に到着致します」

 

 後部座席で隣り合う友希君と会話を続けていた最中、私達が乗車するリムジンの運転手である冬花がそう伝えてくる。

 

「あら、もう着いたの? 行きの時より早いわね」

「雪も溶けて、走行しやすくなりましたからね。世名様、一応下車のご準備を」

「あ、はい。わざわざ送ってくれて、ありがとうございました」

 

 そう言い、友希君は傍らに置いた荷物を確認する。その姿を見て、私は思った。もうこの時間も終わりなんだ――という、寂しい感情を。

 現在の日付は、12月26日――私と友希君の誕生日デートの翌日。今は実家を出て、友希君を彼の家まで送っているところ。つまり、私と彼のデートは残り数分で終わりを告げるのだ。

 昨日はとても満足した一日だった。それでも、別れは少々名残惜しい。幸せの時間の後に悲しい時間が訪れる……人生とは何もかもが幸せという訳には行かないようだ。

 ……いや、この悲しみを味わう必要が無い方法が、一つだけあるかもしれない。

 

「――到着致しました」

 

 冬花の一言と共に、車がゆっくりと停車する。窓の外を見ると、そこには見慣れた友希君の家が。

 

「……どうやら、ここまでのようね。友希君、昨日はとても充実した一日だったわ。また機会があったら、実家にいらっしゃい。それから、今度は街に出たりして、本当の二人っきりでデートしましょうね」

「そうですね……機会があれば」

「ええ。……それじゃあ、今日はこれで。寒いから早くお家に入りなさい。ゆっくり休んでね?」

「え? あ、はい……」

 

 と、どことなく拍子抜けといった風な表情を見せながら、友希君は車の外へ出る。

 

「えっと……先輩、昨日はその……ありがとうございました」

「こちらこそ、ありがとうね。……冬花、出して」

「……かしこまりました」

「じゃあ友希君、またね」

「は、はい、また」

 

 友希君のその言葉を耳にしてから、車の扉を閉める。数秒後、車はゆっくりと動き出し、世名家から離れる。

 

「……よろしかったのですか? あのような素っ気無い別れ方で」

「ええ。友希君も疲れてるだろうし、あんまり長話をする訳には行かないわ。それに……あんまりいっぱい話し過ぎると、別れがもっと寂しくなるわ」

「……それもそうでございますね。また会えるのですから、積もる話はその時に……ですね。まあ、その後も同じ事を考える事になるでしょうけど。恋心とは、面倒なものですね」

「ええ。でも、いつかはこんな事を考えずに済む未来を掴んで見せるわ」

「というと……?」

「簡単よ。夫婦になれば、デートの度に別れる必要は無いでしょう?」

 

 そう、結婚してしまえば同じ家に住む。今みたいにデートが終わる度に別れずに同じ家へ帰り、その日のデートの感想だって話し合える。

 それだけじゃない、昨日のように彼と他愛無い話をする時間だって、毎日のように体験できる。あの幸せな時間が、結婚すれば日常になるんだ。これ以上の幸せは無い。

 

「ウフフ……そう考えると、昨日は夫婦生活のちょっとした体験って事になるのかしらね?」

 

 なんて事の無い、平凡な日常。でもそれは私にとっては、またとない幸福な時間。あの幸せをいつでも好きなだけ……そして独り占めする為に、私は必ず彼の愛を手にする。

 

「願っているわ、友希君……あなたが私の、大切な家族になるその時を」

 

 

 




 雪美の誕生日イベントも、これにて終了です。少しデート感が薄かった気がする。少し反省。
 次回は少し時間が進み、年明けイベント。そしてとうとう、そこから彼らの恋物語もクライマックスに突入です。
 まだもうしばらくは続きますが、是非最後までお付き合い、お願いします。





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