ピピピッ、と一律に電子音を鳴らす目覚まし時計を止め、俺は体に覆い被さる布団を払い退けて上体を起こした。同時に真冬の冷気が肌を突き刺し、眠気が一気に吹き飛ぶ。
「さっむ……もう六時か……早いな」
寒さに震える両手に息を吐き掛け、先ほどアラームを止めた目覚まし時計に目を通しながら俺は小さく呟いた。
天城とのクリスマスイブデートが終わり、予定より約半日以上遅れて家へ帰宅した俺は、着替えや片付けなどを手早く済ませて、疲れた体を休める為にすぐさま眠りに付いた。
そして現在。七、八時間程度のガッツリな睡眠を取ったお陰で、体に蓄積されていた疲労感はすっかり無くなった。これでこの後に控える予定も何とか無事にこなせそうだ。
そう、つい先ほど天城とのクリスマスイブデートを済ませたばかりだが、俺にこれ以上休息する暇は無い。何故ならこれから朝倉先輩とのクリスマスデート――もとい、誕生日デートの予定があるのだから。
こちらも先刻の天城とのデートと同じように開始は夜から。あと一時間もしない内に先輩と合流する予定なので、あまりゆっくりしている時間は無い。
早速ベッドから降り、軽く動いて寝ぼけた身体を万全な状態にしてから、俺は次なるデートの準備に取り掛かった。
と言っても、やる事は天城とのデート前にした事とほぼほぼ変わらず、荷物選びと着替えだけだ。
だが朝倉先輩とのデートも、天城と同じくプランは向こう側に任せてあって、俺はまだ内容を伝えられていないから、荷物はほとんど変化無し。なので実質やる事は先とは違う衣服に着替えるのみ。
一応鞄の中身を見て、必要そうなものが粗方入れてある事を確認してから、タンスの中を探る。
外にはまだ若干雪が残っていて、辺りを漂う空気もかなり冷え込んでいる。これは今日も防寒はしっかりしていった方が良いなと、俺は昨日も出した防寒性能の高そうな服を適当に取り出す。
「これとこれと……あと、これだな」
その中から白のトレーナー、黒のズボン、そして誕生日に朝倉先輩から貰った黒のトレンチコートを選択して、残りはタンスに戻す。早速トレンチコート以外を身に着け、開始僅か三分程度でデートの準備は終了した。
相変わらずあっさりしているというか……もっとこう、やる事があるだろうに――そんなツッコミを自分自身に言いながら、俺はベッドの上へ腰を下ろした。
事前の話し合いで、朝倉先輩が家まで迎えに来るという事になっているので、俺に出来る事は時間が来るまで待つのみだ。
「……誕生日デートも、今回でついに五回目か」
今日はクリスマスだが、それ以前に朝倉先輩の誕生日。今までと同じように彼女に満足してもらう為に頑張らないとな。今日という日が、彼女にとって幸福な一日になるように。
よくよく考えてみると、こういう休日にちゃんとしたデートを彼女とするのは、夏休みに水着を買いに行った時以来かもしれない。だとすると、先輩は今回のデートをかなり楽しみにしているかもしれない。ならば、その期待を裏切らないようにしなければ。……いや、あんまり気負い過ぎるのもよくないか。もう少し気楽にしていた方が、彼女も楽しめるだろう。
しかし、朝倉先輩は一体どんなデートプランを考えたのだろうか? あの人の事だから、予想も出来ないプランになるかもしれないな。あんまり無茶な内容じゃ無ければいいけど――と、少々失礼だが一抹の不安を抱きながら彼女が来るのを待っていると、不意に外から車の走行音らしき音が聞こえてくる。
雪がまだ積もってて、ここら辺はあまり車が走ってなかったのに、珍しいな――そんな事を思いながら音に耳を傾けていると、突然その音が止まった。
「ん? ウチの近くで止まった……?」
というか、恐らくウチの真正面で停止した。
宅配か何かだろうかと、窓から外を確認しようとした瞬間、家のインターホンが鳴り響く。
家の真正面に車が停止した直後に鳴ったインターホン、やはり宅配のようだ。だが、家族の誰からも荷物が届くという知らせを聞いていない。
不思議に思いながら、俺は部屋を出て玄関へ向かい、扉を開けた。
「――こんばんは、友希君」
直後、夜の冷風に乗って、凛とした声が俺の耳に流れ込んできた。
目の前に立っていたのは宅配の人では無く、雪に溶け込んでしまうほど真っ白なトレンチコートを身に纏った朝倉先輩だった。
「朝倉先輩!?」
「あら? そんなに驚く事かしら? 今日は友希君の家まで迎えに行くと事前に伝えていたと思うのだけれど……」
「いや、でもまだ約束の時間じゃ……」
「ああ、そういう事ね。ごめんなさい、雪で遅れが出ると思ったから、少し早めに出してもらったのよ。まあ、特に遅れる事は無かったのだけれど」
「そ、そうですか……ん?
先輩の言葉に違和感を覚え、俺はもしかしてと思い、辺りを見回した。そして先輩の背後に見えたある物を見つけ、俺は言葉を失った。
そこにあったのは一台の車。しかし、それは決してよく見掛けるような宅配業者のトラックでは無く、真っ黒に染まった縦長の車――いわゆる、リムジンという乗り物だった。
「……もしかして、あれに乗って来たんですか?」
「ええ。最愛の人を迎えに行くんですもの、陳腐な物なんて使えないわ。だから最高級の物を出してもらったの」
「……誰が運転を?」
「冬花よ。遅れが出なかったのも、彼女のドライブテクニックのお陰かもね」
「……ちょっと待ってて下さい」
色々衝撃的な事が起こり過ぎて混乱した頭を整理する為、俺は一旦先輩から視線を外して、頭を回した。
とりあえず、リムジンの存在についてはひとまず除外しよう。多分いくら考えても答えは出ないと思うから。考えるべきは、何故先輩は車で迎えに来たのか、だ。
これから俺と先輩はデートに行く訳だ。しかし、この車で移動するとなると、車の運転手である冬花さんをデートに同行させる事になる。それではデートでは無くなる。流石にそれは先輩も分かって無いはずが無い。
目的地まで送ってもらうだけで、着いたら帰ってもらうのか? だが、その為だけにこんな豪華な車を使うのは考え難い。目的地に行くならば、電車でも十分なはず。それとも車でしか行けない場所へ行くのか? もしくは、電車という存在を知らない? いや、それは流石に無いだろう。
考えられる可能性を思い付くだけ浮かべてみたが、一分ほど思考しても結局先輩の意図が読めなかった。俺は自分の力での解決を諦め、正解を知っている先輩へ問い掛けた。
「先輩、どうして車で来たんですか? 一応、これからデートな訳ですよね? それなのに、冬花さんっていう第三者を同行させるのは……」
「あら? 友希君は私と二人きりがいいという事? 嬉しいわ、そんな風に考えてくれて」
「あ、いや、その……」
「フフッ、冗談よ。当然車で迎えに来た事には理由があるけれど……それは車内で話すとしましょう。さあ、外は寒いし早く中に」
「わ、分かりました……あ、荷物取ってくるんで、先に中で待ってて下さい」
扉を閉め、急いで部屋に戻って鞄を持ち、トレンチコートを上に着てすぐさま先輩の待つリムジンへと向かう。
初めて生で見るリムジンという高級車に若干緊張を覚えながら、恐る恐る後部座席の扉を開く。
「うおっ……!?」
直後に視界に映った車内の光景に、思わず声を上げてしまう。庶民の俺にとって、あまりに浮き世離れしていて。
ゆったりと出来そうな広々とした真っ黒なソファー、その正面にはワイングラスとボトルらしき物が大量に並び、壁には小型のテレビまでがある。
ドラマなどでしか見た事の無い光景に、呆然と車内に体を半分入れた状態で静止していると、ソファーに座っていた朝倉先輩が声を掛けてくる。
「ほら、早く隣に。風邪引いちゃうわよ?」
「は、はい……」
恐々としながら車内には入り、運転席に座る冬花さんに軽く挨拶をしてから、先輩の隣に座る。
すると、先輩は流れるような動きで俺との距離を積め、毎度の如く腕を絡ませ、その豊満な胸で俺の腕を包み込む。
「ちょ、先輩……!?」
「こうすれば暖まるでしょう? あら、そのコート……嬉しい、私がプレゼントしたのを着てくれたのね?」
「え、あ、はい……そういえば、先輩の着てるコートも……」
「ええ、友希君と同じデザインで作ってもらったの。ウフフ……こういうの、ペアルックって言うのよね?」
「そ、そうですね……」
先輩の綺麗な微笑み、コート越しにも十分なほど伝わってくる谷間の感触、慣れないリムジンという空間。様々な事に緊張が止まる事無く加速し、つい曖昧な返事をしてしまう。
その俺のただならぬ緊張を察したのか、運転席に座る冬花さんが、正面を向いたまま声を掛けてくる。
「世名様、そんなに恐縮しなくてもよろしいのですよ? 確かにリムジンは物珍しいかもしれませんが、特別な事などございません。時速100kmで走る事も無ければ、トランスフォームも致しません。結局は無駄に広いただの乗用車です。どうぞ気を楽にして下さいませ」
「は、はあ……」
とは言われても、やはり緊張してしまう。先輩や冬花さんは慣れているのかもしれないが、俺からしたらまるで別世界に居るようだ。
どうにも落ち着かず、辺りをキョロキョロしていると、不意に朝倉先輩が俺の腕から離れる。
「……友希君は、この車はあまり気に入らなかったかしら? ごめんなさい、私としては最上級の持て成しのつもりだったのだけれど……気分を害してしまったかしら?」
「い、いえ! そんな事無いですよ! こういうのに乗るのは初めてだから、ちょっと緊張してるだけです! 嫌なんて事は全然無いですから!」
「そう……?」
「はい! というか、こんな凄い車に乗れるなんて、ちょっと嬉しくもありますから。だから、そんな顔しないで下さい」
「友希君……ありがとう。そう言ってくれると助かるわ」
その一言と共に、先輩の顔に明るさが戻る。
「気を使わせたみたいですみません……」
「友希君は悪く無いわ。悪いのは……いえ、この話はここで止めておきましょう。きっとキリが無いもの。折角のクリスマス、これ以上空気を悪くしたく無いもの」
「そうですね」
「お嬢様、世名様、そろそろ出発致します。まだ雪が残っているので車体が大きく揺れる可能性もございますので、しっかりと席にお着き下さいませ」
そう注意勧告をしながら、冬花さんはリムジンのエンジンを掛ける。数秒後、俺達を乗せたリムジンがゆっくりと動き出す。
「目的地まではおよそ一時間ほど掛かります。私は運転に集中するので、お嬢様と世名様は私の事を気にせずに、思う存分にラブラブドライビングを堪能して下さいませ」
「ラブラブドライビングって……というか、目的地ってどこなんですか?」
「ああ、そういえばまだ伝えていなかったわね、ごめんなさい。今から向かうのは、私の家よ」
「先輩の家ですか……? あそこ、一時間も掛からないんじゃ……」
俺がそう言うと、先輩はクスリと小さく笑みをこぼし、口を開く。
「言い方が悪かったわね。向かうのは今現在、私が住んでいる家では無いわ。昔、私が住んでいた家よ」
「住んでいた……? それってつまり……」
「そう、私の実家よ」
「じ、実家ですか……!? それってつまり、朝倉グループのお屋敷……って事ですか!?」
予想外の目的地を伝えられ、思わず大声を出してしまう。
クリスマスデートなんだから、てっきり外出だと決め付けていたが……まさかの家デートとは。いや、だとしても何故実家なんだ? 別に白場にある先輩の家でもいいだろうに……いや、むしろその方が二人きりになれる可能性が高いし良いはずだ。実家という事は、家族も居るはずだ。
正直実家というチョイスは、デートをするにはあまり向かない気がする。どうして先輩がそんな場所を今回のデートに選んだのか問い質そうとした寸前、先輩が自ら口を開いた。
「もちろん、最初は普通に街へ繰り出して、友希君と楽しくデートをするのも良いと思ったわ。けど、折角の機会だから、実家へ招待しようと考えたの。前々からいつか招待しようとは思っていたしね」
「それはまた、どうして?」
「知ってほしいからよ。私が一体どんな場所で産まれたのか、どんな環境で育ってきたのか、どんな人達に育てられてきたのか――私の全てを、友希君には知ってほしいの。今日は私の誕生日だし、両親も家に居るみたいだしね。だから最適な日だと思って、今回招待しようと決めた訳。駄目だったかしら?」
「……なるほど、納得しました。先輩が決めたのなら、俺は何も言いませんよ」
「ありがとう。ああ、もちろん二人きりの時間はたっぷりと確保するつもりよ? あくまで今日はデートである事を、忘れちゃ嫌よ?」
「分かってます。今日は、先輩の為のクリスマス……いや、誕生日デートですから」
「……ええ、ありがとう。今日はいっぱい楽しみましょうね?」
先輩の笑顔に、俺は真っ直ぐ彼女の目を見つめながら首を縦に振った。
少々想定外だったが、やる事は変わらない。先輩に楽しんでもらえるように、全力で今日という日を過ごすだけだ。
しかし、先輩の実家か……先輩の両親も居るとか言ってたし、顔を合わせる事にはなるだろうな……そう考えると、緊張してきたな。どんな人なのか知らないし、俺がどう思われてるかも分からないし。
「安心していいわよ」
と、俺の緊張を感じ取ったのか、先輩が優しく声を掛けてくる。
「お父様もお母様も、悪い人では無いから。……少し、変わっているかもしれないけれど」
「安心していいのか、不安に思うべきなのか……」
「まあ、友希君には悪印象を抱いていないと思うから大丈夫よ。さて……」
朝倉先輩は軽く腰を浮かせて、正面に置かれたグラスを手に取る。
「まだ到着までは時間はあるし、それまでゆったりとお話でもしましょうか。何か飲む?」
「そ、それってお酒なんじゃ……」
「大丈夫、ここにあるのは全てジュースに変えてあるわ。ブドウジュースがオススメだけれど、どう?」
「じゃ、じゃあ頂きます……」
先輩からグラスを受け取り、そこに先輩がボトルに入ったブドウジュースを注ぐ。先輩も同じようにグラスに注ぎ、ボトルを置いて座席へ腰を下ろす。
「じゃあ改めて……今日は一日よろしくね、友希君」
「はい、よろしくお願いします」
グラスとグラスがぶつかり合う音が、広い車内に響き渡る。
こうして、俺と先輩の誕生日デートは幕を開けた。彼女の実家を舞台にしたデートがどうなるのか、今はまだ分からない。
雪美とのクリスマスデート、そして最後の誕生日デート開幕です。
タイトル通り、彼女の家族も登場するので、どうぞお楽しみに。