「冷たっ……!」
イルミネーションショー終了後、噴水広場から移動して屋外エリアへ出た直後、突然天城が小さく声を上げながら、キュッと目を瞑ってピクッと肩を震わせた。
どうかしたのかと声を掛けようとした瞬間、不意にヒンヤリとした小さな粒が俺の頬を撫でた。その感触に、俺は慌てて顔を上げた。
視線の先には冬の夜空。その真っ暗な空を覆うのは、沢山の雲。そしてそこから俺達の立つ地上に向かって降り注ぐのは、無数の白い小さな結晶――そう、雪だった。
「いつの間に……屋内に居たから、全然気付けなかったな」
「本当……どうりで寒い訳だね」
怯みから回復した天城が、空を見上げながら呟く。直後、突然嬉しそうに笑い声を口からこぼす。
「どうした?」
「ホワイトクリスマスだなぁ……って。ちょっと嬉しくて」
「え? ああ……そうだな」
クリスマスに降る雪に、確かに特別感を抱く事はあるかもな。女子はそういうロマンチックなのが好きだし、天城もそうなのかな。
俺も確かにそんな感情を微かに覚えたりはする。だが、どうしても寒いという気持ちが強い。ロマンチックの欠片も無いが、やっぱり寒さには勝てない。出来る事なら今すぐ止んで、願わくば気温が上がってほしい。
だがそんな願いはお空に届く事は無く、雪はどんどん地上へ降り積もっていく。それに少しずつだが、勢いも強まっている気がする。
このままだとさらに強まりそうだな――そんな心配をしていると、隣でジッと雪を眺めていた天城が、「クシュン!」と可愛らしいくしゃみをした。
「大丈夫か?」
「う、うん……綺麗だけど、やっぱり寒いね……」
天城は空いている手で体をさすり、縮こまる。
防寒はバッチリだけど、雪のせいでかなり冷え込んでるからな……天城は寒いの得意じゃ無いみたいだし、少ししんどそうだな。
どうにか暖を取る方法が無いかと辺りを見回すと、すぐ近くにカフェがあるのを発見する。
「ひとまず、あの店に入るか。温かい物でも飲もうぜ」
「うん……そうしよっか……」
寒そうに震える天城の手を引き、目先のカフェの中へ入る。店員さんに案内された席へ座り、早速温かい飲み物をそれぞれ注文する。
冷え切った手を擦り、息を吐き掛けたりして熱を取り戻しながら待つ事数分、俺の頼んだホットコーヒーと、天城の頼んだホットココアが届く。
俺達はすぐさまカップに、かじかんだ手を伸ばす。カップを手にした瞬間、コーヒーの熱が伝わり、体温がぐんぐんと上昇していくのが分かった。
その熱に一種の安堵を感じながら、ゆっくりと中身を喉へ流し込む。するとさらに熱が全身へ伝わり、ようやく体温が正常に戻る。
「ふぅ……生き返るぅ……」
「だね……それにしても、急に降ってきたね」
「まあ、天気が良いとは言えなかったしな……天城、傘は持ってるか?」
「ううん。大丈夫と思ってたから」
「そっか……俺も大丈夫だろうって、持ってきて無いんだよなぁ……まあ、ここはショッピングモールだし、傘ぐらい買えるからそこまで心配する必要も無いか」
俺の言葉に天城は「そうだね」と呟き、ココアを少し飲んでから、再び口を開く。
「ねぇ……この後はどうする? ……もういい時間だし、白場へ帰る?」
「もう九時過ぎだしな。天城がいいならそろそろ電車に乗りたいところだけど……どうだ?」
「うん……もう遅いもんね。名残惜しいけど、デートはここでお終いだね」
微かに寂しさを感じる笑顔を浮かべながら、天城は両手でココアを口元まで持ち上げる。
「な、なんかごめん……」
「あ、謝らなくていいよ! 今日のデートは凄く楽しかったし、もう十分満足してるから! ただ、やっぱり終わっちゃうのは寂しいなってだけだからさ! 私のわがままだし、世名君は全然気にする必要無いよ!」
アワアワとしながら言葉を連ねる天城の様子に、俺は思わず笑い声をこぼす。それに釣られたのか、天城もクスリと笑みをこぼした。
「本当、今日は楽しかった。ありがとうね」
「どう致しまして。楽しんでくれたようで、俺も一安心だよ」
「うん。……それでさ、最後のわがままなんだけど……」
「ん?」
「今、雪降ってるしさ……帰りはさ、相合い傘していかない? いつかみたいにさ……」
俯き加減の上目遣いという、愛らしさ全開の仕草で言い放ったお願いに、俺は思わず手にしていたコーヒーを落としそうになる。
どうにか寸でのところでテーブルにぶちまけるのを防ぎ、ゆっくりとカップを置いてから、額に右手を添えて返答を考えた。
「駄目……かな……?」
「いや、駄目じゃ無いよ! 傘も一本で済むし、そうしようか」
「本当!? 嬉しい……」
嬉しそうに表情を明るくしながら、口元で両手を合わせる。
「それじゃあ、ここを出たら傘を買いに……」
そう言いながら、天城は視線を窓の外へ向ける。すると突然、彼女が驚いたように目を丸くする。
何かビックリするものでも見つけたのだろうかと、俺も窓の外へ目を向ける。瞬間、俺も彼女と同じように目を丸くした。
少し前まで、雪は深々と降っていた。にも関わらず、現在は一転。まるで殴り付けるような勢いで吹雪いていた。
「ま、マジか……いつの間にこんな激しく……」
「ぜ、全然気付かなかったね……これじゃあ吹雪だね」
「急にどうしたんだ一体……」
スマホを取り出して、気象情報を調べる。
「うわっ、ここら辺、大雪警報出てるらしいな……明け方までこれらしい」
「そうなの? 珍しいね……でも、これじゃあ相合い傘は難しいかな……?」
「うーん……ちょっと危険かもな。天城には悪いけど……」
「分かってる。流石にこの悪天候で、相合い傘を実行しようとは思わないよ。世名君に怪我してほしく無いし。……残念だけどさ」
と、天城はしょんぼりと肩をすくめる。
申し訳無いけど、こればっかりは仕方が無い。こんな大雪には俺も天城も慣れて無いし、今は安全面を重視する必要があるからな。
この様子だとさらに強まっていきそうだし、早めに店を出て、電車に乗らないと――
「……あっ!」
「世名君? どうかしたの?」
「いや、この雪だとさ……電車って止まっちゃわない?」
「……あっ」
今更気が付いた事態に、俺は慌ててスマホで電車の運行状況を確認する。
「やっぱり……今、電車止まってるみたいだ……この調子だと、多分復旧は明日かも……」
「それってつまり……白場に帰れないって事……?」
「……いや、電車が止まったとしても、バスとかタクシーがあるし……なんとかなる」
「でも、他にもそう思ってる人居るだろうし、バスは難しいんじゃないかな? タクシーは……白場まで結構遠いから、お金が……」
「…………だよなぁ……」
ぐうの音も出ない天城の正論に、俺は弱々しく息を吐いた。
この吹雪の下でバスを長時間待つのはシンドいし、タクシーは金銭的に厳しい。他に交通手段も無いし、これでは白場へ帰る事が出来ない。
最後の最後に起きたまさかのトラブルに、俺は頭を抱える。こうなるかもって考えとけばよかった……いや、もし考慮していてもどうしようも無いな、これは。
どうしたものかと、腕を組んで必死に頭を回転させる。しかし、俺の答えが出る前に、天城が声を上げた。
「あ、あのさ!」
「ん? 何か思い付いたか?」
「えっと……もし、世名君が良ければだけどさ……今日は、泊まっていかない?
「ああ、その手が……って、ホテル!? それって……」
「へ、変な場所じゃないよ!? 普通のホテルだから! というか、ホテルって聞いてそんな反応見せないでよ……世名君のエッチ」
「ご、ごめんなさい……」
確かに今のは俺が悪いな……でも、クリスマスにホテルって単語が出たら、思春期男子としてはどうしても連想してしまうものだ。
でも、確かにこうなったらもうこちらに泊まるぐらいしか解決策は無い。明日になれば流石に運行再開するだろうしな。
「ただ……それもいくつか問題があるな」
「問題?」
「まず、同じような考えの人は他にも居るだろうし、もうここらのホテルは部屋が埋まってるかもしれない」
「あ、そうか……今日はクリスマスイブで、外から来た人も多いだろうしね」
「あと、やっぱりお金の問題。帰りの運賃は残しておかなきゃだし、あんまり高いホテルは無理だ。安い部屋は、やっぱり取られてる可能性も高い」
「そっか……やっぱり難しいかもね。ホテル以外に泊まる場所ってあるかな? ……あ、変な場所は駄目だからね!?」
「わ、分かってるよ……とりあえず、近場を調べてみるか……」
スマホの地図アプリを開き、宿泊出来そうな施設を探す。
「……あ、ここなら……いや、でも……」
「何かいいところあった?」
「うん……あるにはあったけど……俺はいいけど、天城はどうかな……」
「私は? ……へ、変な場所じゃないよね……?」
「変な場所では無いよ……この近くに、漫画喫茶あるみたいなんだ」
「漫画喫茶? そこって、泊まれるの?」
その問いに、俺は無言で頷く。
「宿泊施設って言うにはあれかもだけど、一応寝泊まりは出来る。でも快適からは程遠いし、天城には少し厳しいかなって」
「ふぅん……世名君は、泊まった事あるの?」
「俺も寝泊まりはした事無いけど……俺はどこでも寝れるだろうし、大丈夫。だから、天城がいいならここでもって思ったんだけど……やっぱり厳しいよな?」
「……ううん、そこでいいよ」
「いいのか? ……改めて言うけど、快適からは程遠いぞ? ここは毛布の貸し出しはやってるらしいけど、ベッドも枕も無いし、仕切りはあっても防音は全然だ」
「そ、そうなんだ……」
俺の説明に天城は一瞬不安そうな表情を浮かべるが、すぐに顔を引き締めて首を縦に振る。
「でも、いいよ。これ以上モタモタしてたら、泊まる場所が無くなっちゃうもん」
「そうかもだけど……本当にいいのか?」
「うん。不安は不安だけど、こういうの初めてだから、ちょっとワクワクもしてる。それに……こういう形でも、世名君と一緒にお泊まり……嬉しいから。部屋は……一緒だよね?」
「えっ……ま、まあ流石に、一人は危ないしな……」
「よかった……なら大丈夫。世名君と一緒なら、どこでも安心出来るよ」
ニッコリと、天城は安らかな笑みを浮かべる。
「そ、そうか……なら、ここにするか」
「うん。じゃあ、早く行かないと。ここまでいっぱいになったら、野宿になっちゃうかもしれないし」
「それは避けたいな……よし、急ぐか」
俺と天城は急いで飲み物を飲み干し、すぐさま会計を済ませて店の外へ。その後、ショッピングモール内の適当な店で傘を二本買い、目的の漫画喫茶を目指して吹雪の中を突き進んだ。
ショッピングモールから移動する事、数十分。どうにか吹雪を乗り越えて目的地である漫画喫茶に到着。
服に付いた雪を払って店内へ入り、カウンターへ向かう。幸いまだ部屋は空いており、俺達は二人用の個室を選択。次に滞在時間やら諸々の事を決め、料金を先払いして、荷物をお店のコインロッカーに預けてから部屋へ向かった。
「なんとなく狭いって想像はしてたけど……こんなに狭いんだね」
部屋の前へ辿り着くと、天城はそんな事を呟いた。
そう言いたくなるのも無理は無い。俺達の目の前にあるのがこれから二人で寝泊まりする個室になる訳だが、その広さはビックリするほど狭い。
壁に背もたれをピッタリとくっ付けたソファー、そのすぐ正面には、パソコンと小さなテレビが置かれた同じ横幅のデスク。その隙間はまさに人間一人分。恐らく足も満足に伸ばせないだろう。
「改めて聞いとくけど……大丈夫か?」
「う、うん……正直予想以上だったけど、平気だよ」
「ならいいけど……とりあえず、入ろうか。お先にどうぞ」
右手で部屋の中を指し示す。天城はそれに従い、部屋へゆっくりと入っていく。彼女が奥の席に腰を下ろしたのを確認してから、俺も手前の席に座る。その際、若干だが天城と肩がぶつかる。
「ヒャッ……!?」
「ご、ごめん!」
「う、ううん、こっちこそ……ほ、本当に狭いね。……凄く、近いね」
「そ、そうだな……」
俺と天城の距離は、ほんの数センチ。少しでも横へ動けば、彼女とピッタリ密着状態になってしまう。
今更だが、こんなに狭い個室で天城と二人って……色々と凄い状況だな。下手したら変な場所よりアレだぞ。色々大丈夫か?
この状況に今日一番の緊張に襲われ、心臓がバクバクと高鳴る。俺がこの状態なのだから、恐らく天城はもっと緊張しているに違いない。
チラリと、彼女の方へ視線を向ける。が、彼女の真っ赤で目を大きく見開いた俯き顔に、すぐさま視線を背けた。
やっぱり物凄く緊張してらっしゃるな……早くリラックスムードを作り出さないとな。じゃないと天城、緊張で死にそうだ。……俺も。
「よ、よし! ドリンクバーあるし、飲み物取りに行こうか! あと、漫画喫茶なんだから、漫画も取りに行こう!」
「そ、そうだね!」
部屋を出て、俺と天城はどことなくどぎまぎしながら、漫画と飲み物を取りに向かった。
一旦分かれ、各々好きな本を探しに静まり返った店内を散策。俺は適当な棚からバトル物の少年漫画を数冊、そしてドリンクバーで飲み物を確保してから、部屋へ戻る。
部屋の扉を開くと、中には既に天城が戻っていて、奥の席で漫画を読んでいた。彼女はこちらに気付くとそそくさと壁際へ詰め、俺は空いたスペースへ腰を下ろす。
その際、今度は肘がぶつかってしまう。それにビックリしたのか天城はビクリと大きく体を弾ませ、俊敏な動きでさらに壁際へ詰め寄り、丸まるように縮こまった。
まだかなり緊張しているみたいだな……まあ、無理も無いか。こんな狭い空間に二人きりなんて、緊張しない訳が無い。こればっかりは、慣れるのを待つしか無い。
とりあえず今は声を掛ける事はせず、彼女が落ち着くのを待つ事にして、俺は持ってきた漫画を開き読書を開始した。
それからしばらくの間、俺と天城は互いに無言を貫いたまま、読書に集中した。そうでもしないと、相手を意識してしまって、今以上に気まずい状況になるのは目に見えてるからだ。
が、それでも緊張状態である事に変わりは無い。時々肩がぶつかったり、距離が近いせいか彼女の匂いが時折鼻腔を擽ったり、周りも静かなせいで彼女の息遣いが聞こえてきたり、彼女の朱色に染まった乙女な顔が視界に映ったりと、そんな些細な刺激が頻繁にやってくるので、全然漫画の内容が頭に入ってこない。
そしてそれは恐らく天城も同じだろう。一分に一回はこちらをチラリと見てはすぐに視線を逸らしたり、緊張で喉が渇いているのか飲み物は凄い勢いで減ってるし、足元も落ち着き無くモジモジと常に動いている。そんな天城の様子に、こちらの緊張もさらに高まる。
互いに落ち着く気配は全く無い。このままでは、終始気まずい空気が流れ続けてしまう。それは流石に遠慮したい。
どうにかして居た堪れないこの空気を変えるべく、俺は必死に良い話題が無いか思考を回し、勇気を出して彼女へ声を掛けた。
「ところで……何読んでるんだ?」
「えっ!? あ、えっと……しょ、少女漫画だよ。前に
「そ、そうか……面白い?」
「う、うん……」
「……そっか」
空気を変える為に切り出した会話は、一分も保たず終了。気まずさはさらに増加し、俺は逃げるように手持ちの漫画へ視線を落とした。
駄目だこりゃ……人間、緊張してるとこんなにも頭が真っ白になるんだな。もう話題が思い浮かばない。こうなったら、自然と眠くなるのを待つしか無いな。
とはいえ、嫌でも天城の事を意識してしまうから、このまま寝付ける気がしない。現に一向に眠くなる気配が無い。逆に目が覚めてきた気がする。女子と個室で二人きりなのだから、思春期男子として興奮気味になってしまうのはしょうがない事と言えるだろう。
今まで女子と二人きりという状況は何回も経験してきたはずなのに、この様だ。我ながら自分の肝の小ささに呆れる。……でも、こんな美女と夜に個室で二人きりなのに緊張しない方がおかしいよな、うん。
しかしだからといってこのまま寝付けないのは問題だ。明日の事もあるし、ゆっくり休んで今日の疲れを少しでも取りたい。
こうなったら、そんな興奮さえも掻き消すぐらいの眠気が来るのを祈るしか無いな。まあ、なんだかんだ言って俺は寝付きが良い方だし、きっと気が付いたら眠ってしまうだろう。今までもそうだったし。天城の方は……もう、これはばっかりは彼女自身がどうにかするしかない。
彼女にも安眠が訪れる事を祈りながら、俺は読書に没頭した。
「…………ふわぁ……」
それから約一時間後、無意識に俺の口からあくびがこぼれ出る。同時に、瞼がうっすらと視界を覆う。
さっきまであんなに緊張してたのに、もう睡魔が襲ってきたな……人間、案外すぐ慣れるもんだな。まあ、今日は遠出で疲れも溜まってるだろうし、こんな状況でも眠くなってしまうものか。緊張が完全無くなった訳では無いが、これなら思ったより早く寝れるかもしれないな。
天城の方はどうだろうと、彼女の様子を横目で確認する。彼女もまだ若干緊張しているようだったが、どことなくウトウトしている。どうやら彼女も夢の世界へ旅立つ寸前のようだ。
これなら俺が先に寝てしまって、彼女が一人で緊張に悩まされて寝付けない、という心配は無さそうだな――そんな小さな安心を抱いていると、天城が自分の飲み物に手を伸ばしながらポツリと口を開いた。
「あ……飲み物無いや……世名君、前いいかな?」
その問い掛けに、俺は無言で足を引っ込めて天城の通るスペースを作る。それを確認してから天城はコップを片手に立ち上がり、ゆっくりと横歩きで俺の正面を通る。
少しでも前に上体を傾けたら彼女とぶつかりそうだったので、俺は限界まで背もたれへ背中をくっ付ける。そして正面を向いたままだと横切る彼女の胸元を直視してしまいそうだったので、なるべく視線を下へ向ける。
後は彼女が外へ出るのをジッと待つだけ――そう思った、矢先の事だった。
「キャッ……!」
と、天城の小さな悲鳴が真正面から聞こえ、俺は慌てて顔を上げる。
次の瞬間――視界を真っ白な膨らみが埋め尽くし、それが俺の顔面に覆い被さった。
「な、なんっ……!?」
突然の事に理解が追い付かず、俺は訳も分からず動揺する。しかし、顔面を包むモフモフとした毛のような感触に、ふっくらとした柔らかな弾力。そして――
「はぅっ……!?」
すぐそこから聞こえた、甲高い声にならない悲鳴。それらに俺は、全てを理解した。
このモフモフとした感触は、天城が着ていた白いセーターの毛。この柔らかい弾力は、彼女の程良く膨らんだ胸。そしてこの悲鳴は俺を胸で押し倒してしまった事に動揺した、天城の声だ。
「いや、これはっ、躓いて、あのっ、違くってぇ……!」
俺がそれらを理解した直後、天城が涙声でちぐはぐな言葉を連ね始める。
相当混乱しているようだ。視界が覆われて目視は出来ないが、恐らく彼女の顔は真っ赤っかで、今にも泣き出しそうな表情をしているだろう。
どうにかして彼女を落ち着かせたいが、俺も突然のハプニングに、頬に走る柔らかな感触に動揺を隠せず、パッと言葉が出てこない。ひとまず彼女の谷間から脱出する為、体を動かす。
「んっ……!? あ、あんまり激しく動いちゃ駄目ぇ……」
「えっ!? あ、ご、ごめん!」
「わ、私が起き上がるから……せ、世名君はジッとしてて……」
「わ、分かった!」
ピタッと、必死に心を無にして、その状態のまま静止する。天城も深呼吸をしてからゆっくりと起き上がり、彼女の胸が俺の顔から離れる。
色々なものから解放され、俺は溜め込んだ息を一気に外へ吐き出す。
「ご、ごめんね……私のせいで……」
「い、いや、別に怪我とかはしてないから……それより、そっちは大丈夫か? ……色々と」
「えっと、私も怪我はしてないけど……その……」
天城は左腕で胸元を覆い隠し、恥じらいマックスの面持ちで目を逸らす。
「ほ、本当にごめんなさい!」
そして居た堪れなくなったのか、彼女は逃げ出すように部屋の外へ出た。
折角落ち着いてきたのに、こりゃまた気まずい空気に逆戻りだな……ていうか、俺が外出て道をもっと空けたりすればよかったな……トラブルとはいえ、天城には悪い事したな。多分、恥ずかしさのあまり絶対どこかでうずくまって泣いてるよな。
「…………」
ふと、俺は頬へ右手を伸ばす。まだ若干だが、彼女の胸の感触が残ってる。
「って、イカンイカン! 変な事考えるな、俺! すぐに忘れる!」
天城の為に、そして今後の為に記憶に留めておかない方が良いと、バチンと力強く頬を叩き、先の感触を痛みで打ち消そうと試みる。が、やっぱり完全には忘れられず、彼女の谷間の感触が蘇る。
「……寝れば忘れるよ……うん」
自分に言い聞かせながら、俺は再び頬を叩いた。
それから約五分後、ヒリヒリとした痛みが治まった頃、天城が戻ってくる。今度は先のような事が起こらぬよう、俺が外に出てから、天城が奥の席に座る。
天城が腰を下ろしたのを確かめてから、俺も席に座り、天城へ目を向け様子を確かめる。彼女は俯き、羞恥の色を全面に浮かべて、持ってきた飲み物をストローで一気に飲み干していた。
これは声を掛け辛いな――このまま触れずにいようか迷っていると、天城の方から声を掛けてきた。
「その……さっきは本当にごめん……」
「えっ!? あ、ああ……別にいいって気にしなくて」
「うん……あ、あのさ……」
少し潤んだ瞳をこちらへ向け、両手で胸元を隠しながら、天城はおちょぼ口で静かに言った。
「さっきの……忘れてね……? ……恥ずかしいから」
「も、もちろん!」
と言いながらも、俺の頬はまだ微かにあの弾力を記憶している。だがそんな事言ったら天城が意識してしまうはずなので、悪いが嘘を口にした。
その事を察しているかは分からないが、天城は俺が顔を埋めた谷間に手を添えながら、そっと視線を背けた。きっと、俺と同じでまだ感触が残っているのだろう。
「えっと……わ、悪い」
「せ、世名君は悪く無いよ……! ……そ、それにさ……嫌じゃ無かったから……寧ろ、ちょっと嬉しかった……かな」
「へ?」
「あ、いや、別に胸を押し付けちゃった事が嬉しかったって意味じゃ無いよ!? なんというか、あんな形だったけど、好きな人と密着出来たのは嬉しいというか……うぅ……なんでこんな事言っちゃったんだろう……これじゃあ私がエッチな子みたいだよぉ……」
天城は両手で顔を挟み、泣き出しそうな顔で赤面する。
「あ、安心しろって! ちゃんと天城の言いたい事は分かってるからさ! だから落ち着こうぜ?」
「う、うん……ね、ねぇ、今日はもう寝ない? 本当はもっとお話したり色々したいけど、なんかもう疲れちゃったというか……」
「そ、そうだな。良い時間だし、そろそろ寝ようか」
とはいえ、さっきの事で眠気は完全に吹っ飛んだし、また眠くなるのはかなり時間が掛かりそうだな――と、寝付けるか少し心配になりながら、就寝の準備を始めた。
とはいえやる事は漫画類を片付け、貸し出しの毛布を部屋に持ち込むだけ。準備は十分も掛からずに終わり、俺と天城は横並びに座り、それぞれ毛布を掛けた。
「その……何回も聞いて悪いけど、寝れそうか?」
「座った状態で寝た事は無いけど……多分大丈夫。……でも、別の事が心配というか……」
「別の事?」
「あの……世名君と一緒に寝るなんて、初めてだから……ドキドキして寝れないんじゃって……さっきの事もあるし」
「あっ……そっか……」
そういえば、他のみんなはあったけど、天城って今まで俺と一緒に寝た事は無かったっけ……スッカリ忘れてた。
「えっと……変な事はしないから、安心していいからな?」
「そ、それは分かってるよ。世名君はそんな事しない人だもん」
「あ、ありがとう……」
信頼されてるのは、素直に嬉しいな。さっきは思いっきり谷間に顔を埋めてしまったけどな……まあ、あれは事故だけど。
それからしばらく、俺達は黙り込んだまま睡魔が来るのを待った。が、やはり先の事もあってか、なかなか眠る事が出来ずに、時間だけが過ぎていく。
そんな中、天城が毛布から両手を出して、息を吐き掛けながら話し掛けてくる。
「夜中だと、お店の中でも冷えるね」
「そうだな……あ、寒いなら、マフラー首に巻くか? 邪魔かもしれないけど、温かいからさ」
と、俺は寝る際の防寒に役立つかと思いロッカーから持ち出し、端の方へに寄せていたマフラーを天城へ渡す。
「えっ……いいの? 世名君も寒いでしょ?」
「俺なら平気だよ。だから遠慮せずにさ」
「……ありがとう。じゃあ……さ」
天城は俺から受け取ったマフラーを自分の首に巻く。そして――余った部分を俺の首に巻き、そっとこちらへ擦り寄った。
「えっ!? て、天城……!?」
「これなら、二人とも温かいでしょ?」
「そ、そうだけど……その、近いというか……」
「……駄目?」
上目遣いで俺の顔を覗き込みながら、天城はそう言う。そんな可愛らしいお願いを拒否する事など出来るはずも無く、俺は黙って頷いた。それに天城は嬉しそうに微笑み、さらにこちらへ身を寄せた。
毛布越しに体が密着し、彼女のさらさらな黒髪が俺の頬を撫でる。急接近に鼓動が早まり、全身が熱くなる。
「……なんだか、不思議な気分」
不意に、天城が小さな声で呟いた。
「全身が火照って、とても眠れそうに無いぐらい凄くドキドキしてるのに……とっても眠たい。さっきは緊張してて眠れそうに無かったのにね」
クスリと笑い、コテンと首を倒して俺の肩にもたれ掛かる
「こうして世名君と寄り添っているのが、凄く心地良い……一人で寝るより、ずっと安心出来る。このまま、グッスリと眠れそう……」
キュッと、天城は俺の手を握り締める。その手付きはとても柔らかくて、優しかった。
「でも、眠りたくないって気持ちもあるんだ。もっともっと、この心地良さを感じていたい……このドキドキを感じていたい……この温もりを感じていたい……このままずっと……世名君を、感じていたいって」
「天城……」
「だからさ、今日だけでいいから……ずっと、私の側に居てくれる?」
「……もちろんだよ。今日は、天城の為のデートだからさ」
「ありがとう……今日は、いい夢が……見れそう……だ……よ……」
だんだんと声が小さくなり、天城の瞼がゆっくりと閉じていく。やがて、彼女の口から寝息が出始める。
「……寝ちゃったか」
彼女の安らかな寝顔を見ていると、不思議と釣られるようにこちらも睡魔に襲われる。背もたれに背を預け、薄れる意識の中、今日の事を振り返る。
今日は色々あったな……思わぬトラブルでこんな場所に泊まる事になっちゃったけど、天城が楽しんでくれたならよかった。ひとまず、クリスマスイブのデートは成功……でいいのかな?
首を回し、グッスリと眠る天城の顔を見る。前髪が少しだけ目元を覆っていたので、そっと指でそれを払いながら、俺は静かに彼女へ声を掛けた。
「おやすみ、天城」
天城が良い夢を見られますように――そんな祈りを込めながらギュッと彼女の手を握り締め、俺も目を閉じた。
クリスマスイブのデートも、一応完結です。
天城のエピソード自体はもう少し続くので、是非お楽しみに。